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2014年1月24日 (金)

『紙の本は、滅びない』というのは自明のこととして、何を語るか

 東北楽天イーグルスの田中将大がニューヨーク・ヤンキースへの移籍を決めたようだ。まあ、やっぱり世界一(ワールド・シリーズでの優勝)に対するこだわりなんだろうな。一方、東京都知事選に家入一真氏が立候補した。まあ、メディアも家入氏には「泡沫候補」扱いはしていないし、そこそこ票を集めるかもしれない。ただし、その要因は「若い人の政治離れ」をしている若い人がどれだけ投票するかによるわけで、うまくすると家入都知事が誕生するかもしれない。それはそれで面白い。

 ということとは何の関係もなく、本日のブログは始まるのである。

『紙の本は、滅びない』というのは、今や自明のことである。

 当たり前でしょ。新しいメディアが出てきたって、旧来のメディアが無くなることはない。ただ状況や立ち位置が変わるだけだ。

2014_01_18_02492『紙の本は、滅びない』(福嶋聡著/ポプラ新書/2014年1月7日刊)

 というか、2012年の楽天KoboとAmazon Kindleの販売開始が日本では電子書籍のスタートとされているんだけれども、実はその前からもiPadによる電子書籍の配信とか、もっと前のエキスパンドブックのころから、「これからは電子だ、紙の時代は終わった」なんていうバカなお騒がせ人間はいた訳で、でも結局はそうはならなかったっていうことだけなんだよなあ。

 ポイントは電子書籍であれ、紙の本であれ、読書体験は変わらないってことである。これには、紙の本のファンからはかなり異論が出そうであるが、エキスパンドブック、iPadからKindle Paperwhiteまで電子書籍を体験してみた私の経験からすると、紙の本であれ、電子書籍であれ、読書体験は変わらないのである、って当たり前だよね。だって、読書体験はメディアではなくてコンテンツなのである。だったら、同じコンテンツを読むのならどんなメディアで読むのかは関係ない筈だ。

「紙の手ざわり」とか「書物のモノ性」とか言ったって、所詮それは単なる物神性でしょ。

 そんな物神性を信じて紙の書籍にこだわる人がいるのかねえ。そんなの単なる情弱じゃねえ、と言えば言えるのであるが、ここではそれは言わない。実はもっと大きな問題があるからなのだ。

 つまりそれは「著作権」に関わる問題であるからなのだ。

 基本的に、ネット空間というのは「著作権」を認めない空間である。つまり「コピー&ペースト」が当たり前の空間であり、それがなんでいけないの? という空間なのである。

 しかし、「紙の本」の世界では「未だに著作権が大きな問題」となっている。何で? だって、原著作者と言われている人だって、結局は誰かの著作物を引用したり参考にしたりして作っている訳でしょう。つまり、今の時代で「私が本当の『原著作者だ』って言える人」なんかはいないと思う。『永遠の0』の百田尚樹が堀越二郎の書いた著書を参考にして書いているのは当然である。しかし、百田尚樹の小説のどこにも「註:堀越二郎」という注釈はついていない。それでもいいとされているのが「紙の本」の世界。しかし、本当ならどこかで「註:堀越二郎」があってもいい筈だ。その辺が、結構いい加減な「紙の本」における「著作権意識」である。

 その辺が可笑しいんじゃないのか?

 というところから、私の論法は今の出版社、取次、書店という問題に切り込むことになる。

 単純に

『ジェフ・ベゾフ率いるアマゾンの強さの源は、徹底して「顧客が望むものを提供する」その単純さである。買い手は、少しでも安いものを選択して買う。これが経済学の原則であり、前提である。「世界一の小売店」をつくろうとしたジェフ・べゾフは、この原則に徹底して依拠する。赤字も顧みない「値引き」をはじめとしたサービスで、<顧客の喜ぶことをする→顧客を獲得する→売上が伸びる→儲かる〉という1次方程式を、但し徹底的に追求する。そしてそれが決してぶれない。これは簡単なようで、非常に困難なことである』

 という、問題なのである。

 問題はAmazonがKindleを出してきたことではない。そんなものは問題のほんの一部でしかない。もっと大きな問題は、日本の書店の多くが「再販価格維持制」と「委託販売制」という状況に安寧していたということが問題なんなのだ。

 で、なおかつもっと大きな問題は、そんな書店が結局は自分が始めた事業ではなく、親父から受け継げた稼業だということだろう。自分が始めた事業であれば、それはそれでどうやって稼ごうかという視点でもって現在の他の書店のやり方を見据えて、自分の書店の経営の方針を決めるってこともあるんだろうけれども、親父から受け継いだ仕事だと、どうしても取り敢えず親父の仕事を受け継いで、同じことをやっていればいいんだ、という意識の元、結局は、親父の経営方針のままに会社を運営している社長が多いってことなんだろう。

 私もそんな社長たちばかりと付き合ってきた。

 彼らが言うことは「Amazonがあるおかげで我々中小書店はやっていけない」とか「Kindleが来てしまったら我々中小書店は潰れる」ということばっかりなのだ。

 そうではないのだ。そこで初めて「普通の」競争状態に置かれた立場として、商店の企業競争を考えればいいということなのである。でも、殆どの書店はそれができていない。で、書店はどんどんなくなっていく。勿論、駅前だとか結構書店の立地状況はいいので、貸店舗なんかで経営体そのものは持ちこたえているところは多い。が、書店はなくなる。

 そうした状況に与える警鐘として本書が書かれているのであろう。しかし、問題は「ジュンク堂ならできるだろうけれども、ウチではねえ」という中小書店の反応だろう。だって、彼らは自分の店の経営には最早情熱を失っているんだもんねえ。

 そうではないのである。文京区の往来堂の話ではないが、キチンと自分の店の立ち位置をもっている書店はそれなりにちゃんとあるし、経営も出来ている。それは、東京だけではないだろう。どんな地方でも出来る筈だ。

 そんな本屋さんができたら嬉しい。

 問題は「電子書籍」やKoboとかKindleだけじゃないのだ。本当の問題は本を売っている筈の「町の本屋さん」の問題なのだ。

 本書にも書かれている通り

『決して、アマゾンが出てきたから書店が衰退したのではない、書店が衰退したから、アマゾンが出てきたのである』し

『「リスクを取る」、本の業界ではこれまで例外的であったそのことこそ、今必要なことではないのか? 少なくともその覚悟抜きに、喫緊の課題として議論されている「責任販売制」や「時限再販」「部分再販」などの新しい流通形態が、軌道に乗るはずはない』のである。

 本当に、前向きに生き残りを考えているのか?

『紙の本は、滅びない』(福嶋聡著/ポプラ新書/2014年1月7日刊)しかし、なんでポプラ社は電子版に前向きじゃないんだろう。いいのか、それで?

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コメント

Amazonが出てきたから本屋がつぶれたのではなく、本屋が衰退したからAmazonが出てきた、というのは同感です。デジタルカメラが出てきたから街のDP屋がつぶれたのではなく、街のDP屋が手抜きをして、いい加減な写真の仕上がりをしたからデジタル化が一気に進んだのだと思います。
不勉強でコンセプトのない本屋があまりにも多すぎました。再販制度に問題があるのはその通りですが、本屋はそれに甘えすぎました。
私自身は多分死ぬまで紙の本にこだわりますけど。

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