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2014年1月

2014年1月31日 (金)

The new mailmagazine from Mr.Chris Guillebaeu titling "Mistakes on the Road to Creative Freedom."

クリス・ギレボー氏からの新しいメールマガジン。

タイトルは"Mistakes od the Road to Creative Freedom"(クリエィティブ・フリーダムに至るミステイク)

クリス・ギレボー氏のサイトはコチラ

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『<女性職>の時代』は「女性職の時代」だけではないのだ

 XEEDという戦略系コンサルタント・ファームで起業の人材育成やキャリアカウンセリングm大学生・転職希望者への適職実現の講演やセミナーを行っている中川美紀さんの本なのだが、なんか「そうそう」と思うところと「そんなの当たり前じゃん」っていうところがないまぜになっているんだなあ。

20140130_101108『<女性職>の時代――ソフトインテリジェンスの力』(中川美紀著/角川oneテーマ21/2014年2月10日刊)

『男性企業社会に果敢に斬り込んで活躍している少数の女性の裏には、いまだキャリアの夢を描きながらも叶えられず鬱々としている大多数の女性、また現実には女性のキャリアに対して、そういう意識改革が進んでいない企業、これが今日の女性の就職と就業の正しい実態なのです』

 と「はじめに――99%の女性が同じ夢を抱き、99%の女性がその夢をかなえられない現実」に中川氏は書くが……、そんなことは男性だって同じなのだ。社会に出たその時、「取り敢えず横一線にいる」と錯覚した男性社員は、それぞれ「社長になる」「役員になる」とか「何年かしたら独立起業する」といった夢を持っているのだが、結局それは叶わず、一生平社員で終わる男性社員の如何に多いことか。つまり、男性社員だって女性社員と同じく「キャリアの夢を描きながらも鬱々としている」のである。

 ただし、男性社員の場合、結局定年までは働き続けなければいけないという前提があるので、女性社員みたいに『「こんなはずではなかった」「もっとやりがいのある仕事をさせてもらえると信じていた」』というような甘えを言わずに、取り敢えず目前の仕事をかたずけることに邁進するのだ。

 女性がキャリアパスを獲得する際の問題は;

『職業を選択する上で大前提となる仕事と企業の現実を知らない』
『仕事に対する意識の低さ』
『画一的な勝ち組イメージに囚われている』

 というのが女性側の問題であり;

『形式的な平等主義』
『女性は所詮9割までが腰掛けであるとする「コモディティとしての扱い」』

 というのが企業側の問題なのであるということだそうだ。

 つまり『女性たちが本気で頑張ろうとしない、それを受けて企業も重要な仕事を与えない、だから余計に女性達もやる気がしない、企業もますます期待しない、という悪循環が起きてしまっています』ということなんだなあ。

 ということで、その解決策として中川氏は「女性職」というのと「ソフトインテリジェンス」を提案する。

『「女性職」とは、性差に基づく戦略的な差別化であり、女性が職業人として成功するためのまさに最もナチュラルで合理的なワーキングスタイルだと思っていただければと思います』

 ということで、別に「女性職」に限定はないという。つまり、どちらかというと「人と人」をソフトに繋ぐ役割とでも言うべきもののようだ。

 もうひとつ「ソフトインテリジェンス」とは;

『「論理」を司る知性を「ハードインテリジェンス」、「心理」を司る知性を「ソフトインテリジェンス」と呼ぶことにしたいと思います』

 という具合に、こちらも「大まかな分け方」であって、どんなものが具体的に「ソフトインテリジェンス」なのかは限定しない。

 基本的には;

『ビジネスにおける「ソフトインテリジェンス」の代表的なものはインター・パーソナルスキル、即ち円滑で良好な人間関係を築くためのコミュニケーション能力にあると言っても良いでしょう』

 ということなのだそうだ。

 しかし;

『一般に男性は論理的思考、女性は情緒的思考であると言われています』

『女性には本来、男性にはない本能としての優しい母性と、他者の感情を察する能力や周りと調和を図ることができる能力が、すでにDNAレベルで脳にインストールされているということなのです』

『一つは、論理やデータをベースに思考して客観性や合理性を追求する「ハードインテリジェンス」であり、もう一つは、心理や感情をベースに思考して多様な人間に柔軟に対応する「ソフトインテリジェンス」です。
 そして、後者の「ソフトインテリジェンス」こそ、生来、女性に備わっている資質であり、その資質をメインに活かして活躍できる仕事が「女性職」だと話してきました』

 という風になると、ちょっと待てよということになる。

 だって、その「ソフトインテリジェンス」の考え方というのは、男性であってもやはり備えていなくてはいけない考え方なのであって、例えば営業職であっても、別に論理的に商品を説明しなくても、何となくその営業マンの雰囲気だけで購入を決める、なんてこともああったりする訳だ。それは女性だけの特色でもないし、男性がまったく持っていない訳ではない。

 勿論、それを女性の特色として生かすということを言っていることはよくわかるのだが、それを女性だけの特色であるかのように言ってしまうと、フェミニストだけではなく、男性からも反発を受けそうだ。

『昨今、「ハードインテリジェンス」の象徴といえるITをはじめとした利便のためのツールによって、世界はドラスティックに変化しました。ITやオートメーション機械をはじめとする「ハードインテリジェンス」の所産は、生産の効率と活動のスピードを高め、大量生産を可能にして、生産コストを大幅にダウンさせました。
  <中略>
 しかし、ここにきて一頃に比べてその熱狂ぶりが落ち着いてきた観があります。つまりようやく社会が成熟し、IT化や機械化の恩恵が一定の域まで達したのと同時に、それらの限界が浮かび上がってきたのです。
 では一体、IT化や機械化の限界として、どういう壁にぶつかったのでしょうか。
 それが、“人間の心理”です』

『言うなれば、昨今、効率や合理性一辺倒の「ハードインテリジェンス」への偏重が進んだからこそ、逆に「ソフトインテリジェンス」が重要なテーマになって来ているのです』

 という問題は、女性だけのテーマではなく、まさにこれまで「ハードインテリジェンス」を進めてきた男性にも必要なテーマでもあるのだ。

 別に、だからこそ女性の時代だっていうことではない。

『<女性職>の時代――ソフトインテリジェンスの力』(中川美紀著/角川oneテーマ21/2014年2月10日刊)紙版は2008年9月10日刊

2014年1月30日 (木)

『10年後の仕事のカタチ』で納得したこと

 2012年5月18日のブログで『僕がアップルで学んだこと』を紹介した、シリコンバレー在住の松井博氏と、2013年12月14日のブログで『英語もできないノースキルの文系学生はどうすればいのか?』を紹介した、ベトナム在住の大石哲之氏の、ノマド対談とこれから10年先へ向けた働き方のヒントである。二人とも肩書が「作家・経営者」ってところが、いかにもノマドっていう感じで面白い。

20140128_145220『10年後の仕事のカタチ10のヒント シリコンバレーと、アジア新興国から考える、僕たちの仕事のゆくえ』(松井博・大石哲之著/tyk publishing/2014年1月6日刊)

『アップルはいつでも、理由の有る無しに関わらずあなたを解雇できます(Apple can terminate your employment for no reason ro some reason)』なんてのは極端にしても、『非正規雇用と正規雇用の差が少ない。僕は日本もそのうちそうなるだろうと思っています。最近、解雇規制を撤廃しようという動きが出ていますよね? 仮に解雇規制が撤廃されなくても、企業側は非正規雇用をどんどん増やすに決まっているんです。簡単に雇用を調節できますからね。そういうのを鑑みると、アメリカも日本も実情はあんまり変わんなくなるんじゃないかなと思います』という松井氏の指摘は、当たらずとも遠からずというところだろう。

『中間管理職が不要になります。要はあまりにも通信手段が発達したので、途中で取りまとめてくれる人がいらない』

 というのも事実だろう。

 そんな時代変化に対応すべく現在はサラリーマンであっても、ノマドな要素を取り入れた生き方を提案する。

 それが10のヒント

ヒント1 スキルの掛け合わせで差別化する

ヒント2 肉体労働、感情労働は最後まで残る

ヒント3 いまある情報で判断する訓練をする
『アップルで何を学んだかというと、その時点で手に入れられる不正確な情報を元に、その時その時に最善だと思われる判断をしていくっていうこと』

ヒント4 言語を掛け合わせる、打算的に考えず、得意なことをやる
『世界どこでも通用するスキルを身に付けるって難しいから、ひとつのことをやりながら、サイドでもうひとつスキルを身に付ける』
『苦労なくできること、長時間やっていても苦痛だと思わないことを仕事にすると、ものすごいパフォーマンスが生まれます』

ヒント5 世界のトップレベルに触れる
『バーゼル、マイアミ、香港の3箇所をまわれば、ほとんど世界のトップレベルのアートというものがどういう感じで、どういう価格でどのように取引されているかというのは一目瞭然です。でもなんかね、日本のアーチストは、あまりそういうところを見に行こうとしなかったんです。自分たは自分たちのやり方があるって。まるで日本企業みたいですが…』

ヒント6 5年しか生きられないと考える、嫌なことをやらない

ヒント7 副業で小さな商売を始める
『みなさん会社で副業禁止とか色々あるとは思うんですけど、まあその辺は適当にシカトしつつ、何かやってみるというのも重要だと思うんです』
『副業で儲かったら堂々と会社辞められますしね(笑)』

ヒント8 関わることと、自己を同一化させることとは違う

ヒント9 英語のガイドブックで旅行する

ヒント10 日本の中のモノサシで測って「怖い怖い」と思わない
『ノマドとかグローバル化とかフラット化というのは、国内に閉じている人にとっては恐怖ではありますが、国内の閉塞感に息が詰まりそうな人にとっては、グローバル化によって自由な生き方ができるようになったというまさに天の恵みなのです』
『「実際に行ってみる」「自分で体験してみる」そこで「初めて考えてみる」、そうしたほうが書物だけ読んで不安心かき立てるよりもずっと良いと思うんですよ。見聞を広めるってそういうことですよね』

 その見聞を広めるということで言ってしまえば。

『エージェントにも頼まず、パッケージツアーなんかにも入らないで、自分で宿も飛行機も押さえてって訓練をすると、だんだん経験値が上がって屁でもなくなるから。もちろんそれなりにトラブルにも遭遇しますけど、それはそれで楽しむ。何だってトラブルはつきものだから』

 というのは旅の極意なんだけれども、しかし、それは旅だけではなく、言ってみれば人生の極意みたいなものだろう。「エージェントに頼ったり」「パッケージツアーに入る」というのは、企業に入って企業に自分の人生を預けるのと同じかもしれない。企業が安泰であれば、自分の人生も安泰かもしれないけれども、しかし、それはワクワクドキドキした人生ではない。

 むしろ、これからの企業はその中の人に対して安全・安泰な人生を保証してくれる存在ではなくなった。

 たまたま私の場合、私がサラリーマン生活を送っている間、企業は安泰ではあったが、それでもボーナスが大きく下がったために最後の数年は年収が下がってきてしまうという経験を持つことになった。まあ、企業に自分の人生を預けるっていうのは、そういうことかと悟った訳である。

 そんな訳なので、お二人はそんな状況変化ににも対応できるようなノマドな生き方を提案しているのである。

 それがバーチャルノマドとラスト・ワンマイル・ジョブ。

『バーチャルノマドは、上と下の層が世界に移動して散らばった後に国内に残る人々のことです。たいそうな名前ですけれども、要するに定住民です。この人たちは移動しないで国内に住んで、サービス業で働いたり、公務員だったり、国内で主にやるような仕事をやるわけです。でも、心は、世界を移動するハイパーノマドに憧れている。SNSなどといった手段を通じてネットに繋がって、世界中の人々とコミュニケーションしたりしてね、仮想的にノマドしてるんです。だからバーチャルノマド』
『「仕組みを創りだす側(ハイパーノマド)」と「それを消費する人(バーチャルノマド)」』

 そんなバーチャルノマドを束ねる会社を興せるのが「ラスト・ワンマイル・ジョブ」企業。

 つまり、どんなに世の中がハイテク化しようが、最後の自分の家までの最後のワンマイルには「配管工の仕事」はなくならない。なので『自分はハイテク機器で原因だけ究明して、一番手が汚れる作業は下層ノマドにやらせちゃうみたいなことが起きているんですよね。』

 なあるほど、参考になりました。

『10年後の仕事のカタチ10のヒント シリコンバレーと、アジア新興国から考える、僕たちの仕事のゆくえ』(松井博・大石哲之著/tyk publishing/2014年1月6日刊)

2014年1月29日 (水)

The new mailmagazine from Mr.Chris Guillebaeu titling "A Tale of Two Designers."

 クリス・ギレボー氏からの新しいメルマガ。題して"A Tale fo Two Designers"(二人のデザイナーの話)。

『1万円起業』で紹介したふたりのアートスクール卒業生の起業の話。

 クリス・ギレボー氏のサイトはコチラ

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『白本』は、何故「白本」なんだろうか?

 紙の本の話がしばらく続いている間に、Kindleで買った本がちょっとたまってしまったんで、今日からはしばらくKindle版で読んだ本の話になります。

高城剛が何故「ハイパーメディア・クリエイター」なのかという質問に対する答えが面白い。

20140123_163608『白本』(高城剛著/高城未来研究所/2013年12月25日刊)

『「ハイパーメディア・クリエイター」は、学生時代に、取材に来た新聞記者がつけてくれたものです。当時、僕が通っていた大学は、「映画」「放送」「音楽」「写真」「文芸」などと学科が縦に分かれ、僕は常に「全部やるのがこれからの時代の流儀なのに、縦割りしてここは職人養成所?」と、学内だけでなく、雑誌や新聞でも悪態をついていました。(今も似たようなものですが)その悪態が面白いと思って取材にきた新聞記者の命名で、メディアを「超える=ハイパー」から来ていると思います』

 というのだそうである。

 そうか、てっきり高城剛氏自身が自らの存在を誇示するための「変な肩書」として「ハイパーメディア・クリエイター」なんて名乗ったのかと思っていたのだが、そうではなかったのだな。

 本書は高城剛氏のメール・マガジン「フューチャーリポート」のQ&Aコーナーをまとめたものなので、特に本書を通じたテーマと言うようなものはない。なので、このブログもちょっと断片的なものにならざるを得ないが、まあ、そこはご勘弁を。

 なお、高城氏は『近々、大手出版社ではとても出せない「日本の真実」についてまとめた本書の続編『黒本』も発行予定でいます。こちらは実際、大手出版社から「出せない」と言われた言説も多くあり、そのことがむしろ「日本の真実」を裏付けています』ということだそうである。「大手出版社」がどこの出版社かは分からないが、楽しみである。

 で、取り敢えず面白そうな回答を写してみようか。

「21世紀のビジネスマンに必要な具体的なスキルとはなんでしょうか?」という質問の答えが;

『ビジネスマンに限らず、今後大切なのは「英語」と「コンピュータ」だと思います。続いては「国際感覚」と「センス」でしょうか。そして、これだけで充分だと思います。むしろ、残りは「遊ぶこと」に時間を割いた方がうまくいくと思いますね』

 とか「国際感覚」について

『今、日本を代表する企業が世界で苦戦しているのは、円高ではなく僕は企業トップの国際感覚の欠落だと思っています』

 という、なんか普通のことを書いている。う~ん、高城剛氏に期待しているものはもっと常識外れな答えじゃないのかなあ。

『アイデアと移動距離は比例する』

『はじめることより「やめること」のほうが難しいし、大変なんです』

 なんていうのもねえ、なんか普通っぽいです。

『バブル崩壊と国際化の失敗から保守的かつ内向きになり、表面的に合理的に思える選択を繰り返し、あたらしい可能性を追求しない姿勢は、多くの人を疲弊させるだけだと思います』

『TPPの本質は、農業問題でも医療や保険でもなく、また、日本vs米国でもなく、日本の既得権益を守りたい人たちvs日本の既得権益を壊したいと思っている人たちだと思います』

『コンピュータの仕事であろうがなかろうが、最後は体力であるというのが、過去35年間に渡り、あらゆるコンピュータを持ち歩いてきた僕の感想なのです』

 というのも別に殊更変わったことを言っているわけではなく、ごく当たり前のことを答えているだけだ。

 ということは高城剛氏ってそんなに変わった男じゃなかったんだ、というところに気がついていくわけですね。そんな高城氏だが、この辺だけはいかにもノマドな答えである。

『次の時代に大きく活躍する可能性がある日本人とは、「日本に住んでいないこと」「本業が別にあること」かもしれませんね』

『今後プロが競合となるのは、このハイアマチュアの人たちです』

『プロとはなんなのか? と考える時が今なんだと思います。これはDJに限らず、カメラマンでも作家でもアーティストでも、皆同じです。今、多くの業界で「プロとはなんなのか」ということの意義が、真剣に問われているんだと思います』

 という辺りになると、いかにもノマドな高城氏らしい発言だし

『僕は超巨大都市がアフリカに出現する時が来ると思っています。今だとナイジェリアが最有力候補でしょう。しかし、富の多くは現在の先進国に残ったままです。従って、今後50年で見た場合も、世界大戦などがなければ単純労働は次の新興国に随時流れるとみて間違いないでしょう。また、先進国は衰退する国と伸びる国に二極化すると思います』

 と言われると、果たして日本はその二極化する国のどちらに属するのだろうか。

『僕が日本を素晴らしい国だと思う点は4つほどあります。
 ひとつめは、日本人の勤勉さ、細かさです。
 ふたつめは、日本の山河溢れる大自然です。
 みっつめは、その自然を敬い共生する気持ちです。
 よっつめは、このみっつによって生み出されたテクノロジーの数々です』

 という日本の行く末は?

 勿論、そんなことに答えを出すような高城剛氏ではない。そんなことへの答えは、高城氏言うところの「プロフェッショナル」だけが答えるのである。

 つまり『「今」の情報に裏付けられたプロフェッショナルの発言ほど「今後」のアテにならないものはありません。プロは、間違ってはいけない訳ですから、常にちょっと前の過去の数字の話だけをします。ですので、大情報時代になればなるほど、プロとは違った自由なイメージを持つことが個々に大切になるのです』

 ということ。

 なるほどね。

『白本』(高城剛著/高城未来研究所/2013年12月25日刊)

2014年1月28日 (火)

Fitbit progress report from Jan.20 to Jan.26

 Fitbitからの先週のレポート。

 一週間のトータルは109,475歩、76.63km。

 最も活動的だったのは1月26日。21,748歩、15.22km。

 最も非活動的だったのは1月22日。12,167歩、8.52km。やはり寒い日はどうしても体を動かす気にはなれない。それでも、なんとか毎日1万歩動いているところが可笑しい。

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『名取洋之助』の秘密がわかる本

 名取洋之助と言えば1960年に東松照明との間で交わされた「名取・東松論争」が有名である。

Photo『名取洋之助 報道写真とグラフィック・デザインの開拓者』(白山眞理著/平凡社コロナ・ブックス/2014年1月10日刊)

「名取・東松論争」とは、『アサヒカメラ』1960年10月号に掲載された名取のエッセイ「新しい写真の誕生」において、東松が撮影した米軍基地の写真が物語性がないと言って批判したのに対して、11月号で東松が「僕は名取氏に反論する」と反批判したものだ。

 名取の言う「報道写真」とは『LIFE』なんかのフォト・エッセイ・スタイルの、写真をいくつも使って写真に物語性を持たせるようなスタイルの写真のことを言うのだが、これは戦中から引き続く「報道はプロパガンダである」という方法論に対して、東松などのどちらかと言うと「パーソナル・ドキュメント」の視点からの批判だったのである。これは東松が奈良原一高や細江英公などと作ったVIVOなどの写真集団の考え方であり、言ってみれば写真における世代間論争なのであった。

 しかし、当時すでに50歳の名取洋之助と30歳の東松照明の間で交わされた論争であり、名取と言えば近代的写真家の祖のような存在であり、まだデビューしたての東松との間の論争と言うものは、当時ではまず「あり得ない」ものなのであった。

 結局、その論争は決着をみないままに終わってしまったのだが、基本的には東松は「報道写真という言葉は、戦争の記憶とまつわるもんですから、私はすごく抵抗があったんですよね」という言葉を後に残している。

 これは名取が戦前に『NIPPON』という写真誌を出していた訳なのだが、その『NIPPON』というグラフ誌こそ対外宣伝誌として軍部に帯同した姿勢を持っていたことに対する抵抗なのであろう。まさしく写真と報道の両義性の危うさに気がついた世代と、そうした両義性に対する無批判な世代との世代間論争だった訳だな。そんな訳で、東松らの世代は写真をもっとパーソナルな方向に持って行こうとする。

 なあんてこと言ってる間に、写真はどんどんパーソナルな方向に動いてしまい、今やまさしくパーソナルな表現手段というものになってしまった。まさに国民総写真家時代である。なわけなので、私のようなトーシロであっても「フォトグラファー」なんて名刺に肩書を入れたりしているような訳である。まあ、別にフォトグラファーとかライターなんて別に資格が必要な仕事じゃないから、別にいいでしょうてなもんである。

 28ページに載っているコンタックスⅡやローライフレックス・スタンダードは名取が持っていたのと「同型機」だが、130ページに載っている、名取が『ロマネスク・1959‐1692』のために使った外付けファンダー付きのニコンSPは本物だ。いやあ凄い「本貫禄」のいいカメラだなあ。

 面白いのは48ページの「屋根付きの橋 バーモント」という写真。そうか、別にアイオワ州マディソン郡じゃなくても屋根付きの橋って言うのはあるんだ。しかし、アイオワ州じゃないとメロル・ストリープみたいな農家のカミさんと会えないなあ、なんてことを考えたりしながら読むのも面白い。

 更に、名取写真家デビューの切っ掛けが、実は同棲相手のエルナ・メレンブルグが撮影した博物館の火事の写真で、それを組み写真にして新聞社に持ち込んだら、それがミュンヘンの週刊絵入り新聞『ミュンヘナー・イルストリアーテ』に掲載されたことだというエピソードが面白い。

『自分の生涯の仕事は小説家でもなく、画家でもなく、ジャーナリストとしての写真家なのではないだろうか。妻が撮した写真で、生涯の仕事の自信をつけるなどとは、随分おかしな話しでしょうが、私は、まじめにこう思いこんだわけです』

 まあ、バウハウス流のデザインはドイツで教わった名取だが、写真術は別に教わったわけではなくて、国の兄からライカを送ってもらったというのが出発点であるようだ。

 しかし、結局写真なんて誰に教わるかということよりも、沢山撮影してそこから選ぶという、一種の編集者的な作業なわけで、どちらかというとそうした編集者的な部分の作業の方が重要だということになるのだろう。

 しかし、別にライカでレオン・トロツキーの写真を撮ったわけではない名取は、帰国してから写真を基本的に仕事にした訳なようである。その辺がロバート・キャパとは違う訳だ。しかし、キャパは『LIFE』のカメラマンとして民主主義のプロパガンダに励んで、名取は『NIPPPON』の編集者として国粋主義(ないしはファシズム)のプロパガンダに励んだわけだ。まあ、その写真をプロパガンダに使ったという点では、両者とも同じことなんだろうなあ。

 その辺が、東松あたりからは「あいつには気を付けろよ」という風に映ったんだろうけれども、それは対象が民主主義だったのか、国粋主義(ファシズム)だったのかの違いでしかない。結局、写真がプロパガンダに使われたという意味ではまったく同じというところが、なんとも「旧世代の写真観」というところであろう。

『名取洋之助 報道写真とグラフィック・デザインの開拓者』(白山眞理著/平凡社コロナ・ブックス/2014年1月10日刊)

2014年1月27日 (月)

The new mailmagazine from Mr.Chris Guillebeau, titling "The cure for boredom is curiosity."

 クリス・ギレボー氏から新しいメルマガが来た。題して"The cure for boredom is curiosity. There is no cure for curiosity"(退屈の治療法は好奇心です。好奇心の治療法はありません)というアメリカの詩人、ドロシー・パーカーの言葉。

 クリス・ギレボー氏のサイトはコチラ

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いつまでも『青べか物語』じゃないんだってことは分かってはいるんだがなあ

『浦粕町は根戸川のもっとも下流にある漁師町で、貝と海苔と釣場で知られていた。町はさして大きくはないが、貝の缶詰工場と、貝殻を焼いて石灰を作る工場と、冬から春にかけて無数にできる海苔干し場と、そして、魚釣りに来る客のための釣舟屋と、ごったくやといわれる小料理屋の多いのが、他の町とは違った性格をみせていた』

 というのが山本周五郎の『青べか物語』の書き出しであるのは有名なところ。ちなみに「浦粕」は「浦安」、「根戸川」は「江戸川」であることは、わざわざ言わなくても分かることか。

Photo『青べか物語』(山本周五郎/新潮文庫/1964年8月10日刊)

 しかし、浦安の人にとってみれば、「いつまでも『青べか物語』じゃあねえ」というところかもしれない。とは言っても、東京ディズニーリゾートというのはなんか「浦安」という地名にはそぐわない気がして、やっぱり『青べか物語』なんだよなあ。

2_5『青べか物語』で「釣宿千本」のモデルになった釣宿吉野屋である。

2しかし、古い浦安は現在東京メトロ東西線がある浦安市猫実ではなく、この江戸川の支流である境川を渡った先、浦安市堀江という町であった。

2_2境川河畔にある旧浦安町役場跡。

Photo町役場跡の隣にある清瀧神社の門前にはフラワーロードという狭い道があって、その中にこの宇田川家住宅や

2_3大塚家住宅

2_4旧濱野医院なんていう古い家が保存され残されている。

 さすがにこうして見ると、やはり堀江地区が昔の浦安の中心だったんんだなあ、ということが分かる。

2_6猫実地区にある昔の浦安を思わせるものはこの猫実庚申塔くらいなもので、あとは新しく建てられた家ばかりだ。

『青べか物語』(山本周五郎/新潮文庫/1964年8月10日刊)Kindle版も出ている

2014年1月26日 (日)

井の頭池が干上がっちゃった!

 井の頭池の底に大きな穴が開いてしまい、井の頭池が干上がっちゃいそうだ、という噂を聞いて、取るものも取りあえず井の頭公園へ行ったみた。

Photoそしたら本当に井の頭池が殆ど干上がっている。お魚さんたちはどうなっちゃうんだろう。

Photo_2公園のお客さんもそれを見たらクリビツテンギョウ。ボートも陸に上がった状態になっている。

Photo_3これはいかんと、東京都もあわてて「おさかなレスキュー隊」なんてもののボランティアを募集して、公園の魚を保護しようとして大変なことになっている。

Photo_4レスキュー隊によって助けられたお魚さんたちだ。よかったね…………。

 なーんてのは大嘘で。井の頭池の「かいぼり」という作業なのでした。

Photo_5こうやって池の水を吸い上げて神田川に流して。

Photo_6ボランティアさんたちが救い上げて、こちらの水が満々としている弁天池の方に避難させるんですね。

Photo_7で、何をするのかと言えば、ひとつはこうやって魚を全部上げて、在来種と外来種を分けて、オオクチバスやブルーギルという外来種(まあ、どこかで釣り上げた人が放流してしまったんだろうな)を取り除き、在来種だけの以前の池に戻すということと、ひと月ほど池の底を干上がらせて天日に晒し、池の水質を改良しようということなのだ。

 一月に完全に干上がらせてしまい、二月一カ月を天日干し。で、三月にはお魚さんたちを元の池に戻すそうだ。

 これを「掻い掘り(かいぼり)」と言って、感慨用の農地の池などでは良くやっている作業なのだそうである。「池の泥を空気にさらすと、泥中の窒素が深い層へと移動し、リンは水中へ溶け出しにくい状態になる。その結果、水中の栄養分が少なくなって、植物プランクトンが増殖しにくくなり、水がきれいな状態が続く」というのが、「かいぼり」を紹介した公園の案内。

 まあ、要は井の頭池の大々的な修繕というか、元に戻す作業なわけですね。

Photo_8しかし、問題はこうやって池の水を抜いてみたら、なんと自転車が15台ほども出てきたそうである。

 池の鯉に餌をやるのはいいとしても、自転車なんて鯉や鮒は食わないからね。あげちゃダメでしょ。

Nikon D7000 AF-S Nikkor 18-105mm @Inokashira Park Musashino (c)tsunoken

2014年1月25日 (土)

『アラフォー男子の憂鬱』ってもねえ。世代論ってものは、まあこんなもんだろうなあ

 常見陽平:人材コンサルタント、作家、大学講師、1974年宮城県生まれ(40歳)。おおたとしまさ:育児・教育ジャーナリスト、1973年東京都生まれ(41歳)。速水健朗:ライター・編集者、1973年石川県生まれ(41歳)。赤城智弘:フリーライター、1975年栃木県生まれ(39歳)。

 以上が本書の制作に携わった面々。なるほど、皆「アラフォー」ってわけね。

Photo_2『アラフォー男子の憂鬱』(常見陽平・おおたとしまさ編著/日経プレミアシリーズ/2013年12月9日刊)

 で、そのアラフォー世代(団塊ジュニア世代)の四人が繰り広げる「世代論」な訳だが、しかし、こうした世代論というのは、他の世代が読んでもなんの参考にもならないし、面白くもないわけなのだなあ。そんなところから「世代論無用論」というのもあるのだが、しかし、同じ世代からは「うーん、そんなこと、あるある」ってな感じで読まれて、それなりのマーケットはある。特に、団塊ジュニア世代であればそれなりのボリュームゾーンなわけで、日経が企画を通した状況はなんとも目に見えるようだ。要は、団塊ジュニア世代の社員が「おおっ、これ面白そうジャン」って通した訳だ。

 ということなので、団塊の世代の後の「谷間の世代(「しらけ世代」とも呼ばれている)」に属して、高校生運動(断じて「学生運動」なんて腑抜けたものではない)にも参加していた私がこの本を読んで、「なるほど団塊ジュニアってこういう考え方をするのか」と納得してみようか。って、する訳ないじゃん。

 結局、団塊ジュニア世代ってのは今に繋がる新興メディアとともに育ってきた世代なんだなということは確認できた。

 つまり、ガンプラ、キン消し、チョロQ、ファミコン、夕やけニャンニャン、MSX、NEC PC-9801、合コン、シングルCD、月9ドラマ、カラオケなんかに囲まれていた世代である。更に言ってしまうと学生時代にWindows 95がリリースされて、アップル・コンピュータもスティーブ・ジョブズが戻ってきてiMacなんかを発表した。その頃から「パソコンはスタンドアローンで使うものじゃなくて、通信とか、ワールド・ワイド・ウェブにつないで何ぼのもんじゃ」という時代になったのである。

 私が携帯電話を使用したのは1992年頃からじゃないかと思うんだけれども、当時は新宿中央公園あたりでも繋がらなくて困った思いがした。その後、その会社支給の携帯電話は返して、自分用の携帯電話を持ったのだが、電話は買取じゃなくて電話会社からのレンタルの形でしか持てなくて、その毎月の使用料が16,000円位して結構持っているのすら辛かったという思い出がある。

 でも、団塊ジュニア世代がケータイを持つようになってからは、当然、機械は買取だし、競争で契約者を増やしたいauとBodafon(後のソフトバンク)、NTTは競って「新規契約0円」競争をしていたわけなのであるな。

 そんな意味では、団塊ジュニア世代って、我々「谷間の世代」に比べると結構恵まれてるんじゃん、とも思えないこともないのだが、それに対して団塊ジュニア世代は言うんだなあ。

『思えば、僕たちは常に先端であり続けた。それは楽しいことであった。ないものが生まれ、成長していく時点に僕らは立ち会った。家庭にテレビゲームがやってきて遊びが変化し、趣味のものだったパソコンは、世界中の人たちをつなげるコミュニケーションツールに大きく進化した。その進化の中で、僕たちは自分が変われる可能性を信じていた。
 しかし、その果実を程よく受け取るのは、ある程度その文化が浸透した後に入ってくる人たちだ。だいたい、ゲームもパソコンも僕たちはある種の「オタク」としてそれを扱うのだけれど、その時点ではとても怪訝な顔で見られる。しかし、文化としてそれが浸透して当たり前になると、それが「流行の最先端」に変化してくる。「流行の最先端」というのは、決してその技術や分野自体の最先端ではなく、世間に認知されて受け容れられた時点での最先端なわけだ。はやりの言葉で言えば「キャズム(溝)を超えた」という常態』

 なるほど、やはり常に「α版」とか「β版」とかで「お試しされていた世代」ということを言いたいのね。

 それは確かに、「完成版」を提供された世代の方が生きるのには楽なのかもしれないが、しかし、「お試し版」の方が、そのプログラムの「荒野」的な状況が見られて面白いということもあるんじゃないだろうか。つまり、完成版だけを見せられて結局はその開発者やメーカーの思惑に乗せられているだけの人生よりも、「開発途上版」を見せられて、それに対していろいろな意見を言ったりして、まあ多少なりとも開発に寄与するという楽しさを体験できるかもしれない。

 ということでは、完成版ばかり見せられるようになってしまう団塊ジュニアの後の「団塊ジュニアの後の谷間の世代」に比べれば、それはそれで幸せなんじゃないのだろうか。

 そんな訳なので、今のアラフォー世代が何を言ようがかまわないが、そこで「自分たちは不幸な世代」だとか「自分たちは恵まれていない世代」だとかは言わないでほしい。

 結局、「世代論」で物語ってしまうと、自分の世代の「不幸」ということにばかり話が集中してしまうのである。「僕らの世代ではこうだったけれども、次の時代にはもっとこんな感じで良くなったんだよね」っていう具合に。だって、世間は次第に住みよくなってきているということを「信じる」なら、そりゃあ絶対に前の世代より後の世代の方が良くなってきているわけで……。

 まあ、そんなことを繰り返してきた人間の歴史ではあるんだけれども、ぼちぼちそんな言い方はやめませんか? って言っても多分ダメでしょうね。だって、それが人間の歴史なんだもん。

 ということなので、こうした「世代論」というのは永遠のテーマ(売れ筋)ではあるんだろうな。

 なあんてこと書くと、また速水健朗氏あたりから「読んでもいないのにw」なんて難癖がつくんだろうか?

『アラフォー男子の憂鬱』(常見陽平・おおたとしまさ編著/日経プレミアシリーズ/2013年12月9日刊)

2014年1月24日 (金)

『紙の本は、滅びない』というのは自明のこととして、何を語るか

 東北楽天イーグルスの田中将大がニューヨーク・ヤンキースへの移籍を決めたようだ。まあ、やっぱり世界一(ワールド・シリーズでの優勝)に対するこだわりなんだろうな。一方、東京都知事選に家入一真氏が立候補した。まあ、メディアも家入氏には「泡沫候補」扱いはしていないし、そこそこ票を集めるかもしれない。ただし、その要因は「若い人の政治離れ」をしている若い人がどれだけ投票するかによるわけで、うまくすると家入都知事が誕生するかもしれない。それはそれで面白い。

 ということとは何の関係もなく、本日のブログは始まるのである。

『紙の本は、滅びない』というのは、今や自明のことである。

 当たり前でしょ。新しいメディアが出てきたって、旧来のメディアが無くなることはない。ただ状況や立ち位置が変わるだけだ。

2014_01_18_02492『紙の本は、滅びない』(福嶋聡著/ポプラ新書/2014年1月7日刊)

 というか、2012年の楽天KoboとAmazon Kindleの販売開始が日本では電子書籍のスタートとされているんだけれども、実はその前からもiPadによる電子書籍の配信とか、もっと前のエキスパンドブックのころから、「これからは電子だ、紙の時代は終わった」なんていうバカなお騒がせ人間はいた訳で、でも結局はそうはならなかったっていうことだけなんだよなあ。

 ポイントは電子書籍であれ、紙の本であれ、読書体験は変わらないってことである。これには、紙の本のファンからはかなり異論が出そうであるが、エキスパンドブック、iPadからKindle Paperwhiteまで電子書籍を体験してみた私の経験からすると、紙の本であれ、電子書籍であれ、読書体験は変わらないのである、って当たり前だよね。だって、読書体験はメディアではなくてコンテンツなのである。だったら、同じコンテンツを読むのならどんなメディアで読むのかは関係ない筈だ。

「紙の手ざわり」とか「書物のモノ性」とか言ったって、所詮それは単なる物神性でしょ。

 そんな物神性を信じて紙の書籍にこだわる人がいるのかねえ。そんなの単なる情弱じゃねえ、と言えば言えるのであるが、ここではそれは言わない。実はもっと大きな問題があるからなのだ。

 つまりそれは「著作権」に関わる問題であるからなのだ。

 基本的に、ネット空間というのは「著作権」を認めない空間である。つまり「コピー&ペースト」が当たり前の空間であり、それがなんでいけないの? という空間なのである。

 しかし、「紙の本」の世界では「未だに著作権が大きな問題」となっている。何で? だって、原著作者と言われている人だって、結局は誰かの著作物を引用したり参考にしたりして作っている訳でしょう。つまり、今の時代で「私が本当の『原著作者だ』って言える人」なんかはいないと思う。『永遠の0』の百田尚樹が堀越二郎の書いた著書を参考にして書いているのは当然である。しかし、百田尚樹の小説のどこにも「註:堀越二郎」という注釈はついていない。それでもいいとされているのが「紙の本」の世界。しかし、本当ならどこかで「註:堀越二郎」があってもいい筈だ。その辺が、結構いい加減な「紙の本」における「著作権意識」である。

 その辺が可笑しいんじゃないのか?

 というところから、私の論法は今の出版社、取次、書店という問題に切り込むことになる。

 単純に

『ジェフ・ベゾフ率いるアマゾンの強さの源は、徹底して「顧客が望むものを提供する」その単純さである。買い手は、少しでも安いものを選択して買う。これが経済学の原則であり、前提である。「世界一の小売店」をつくろうとしたジェフ・べゾフは、この原則に徹底して依拠する。赤字も顧みない「値引き」をはじめとしたサービスで、<顧客の喜ぶことをする→顧客を獲得する→売上が伸びる→儲かる〉という1次方程式を、但し徹底的に追求する。そしてそれが決してぶれない。これは簡単なようで、非常に困難なことである』

 という、問題なのである。

 問題はAmazonがKindleを出してきたことではない。そんなものは問題のほんの一部でしかない。もっと大きな問題は、日本の書店の多くが「再販価格維持制」と「委託販売制」という状況に安寧していたということが問題なんなのだ。

 で、なおかつもっと大きな問題は、そんな書店が結局は自分が始めた事業ではなく、親父から受け継げた稼業だということだろう。自分が始めた事業であれば、それはそれでどうやって稼ごうかという視点でもって現在の他の書店のやり方を見据えて、自分の書店の経営の方針を決めるってこともあるんだろうけれども、親父から受け継いだ仕事だと、どうしても取り敢えず親父の仕事を受け継いで、同じことをやっていればいいんだ、という意識の元、結局は、親父の経営方針のままに会社を運営している社長が多いってことなんだろう。

 私もそんな社長たちばかりと付き合ってきた。

 彼らが言うことは「Amazonがあるおかげで我々中小書店はやっていけない」とか「Kindleが来てしまったら我々中小書店は潰れる」ということばっかりなのだ。

 そうではないのだ。そこで初めて「普通の」競争状態に置かれた立場として、商店の企業競争を考えればいいということなのである。でも、殆どの書店はそれができていない。で、書店はどんどんなくなっていく。勿論、駅前だとか結構書店の立地状況はいいので、貸店舗なんかで経営体そのものは持ちこたえているところは多い。が、書店はなくなる。

 そうした状況に与える警鐘として本書が書かれているのであろう。しかし、問題は「ジュンク堂ならできるだろうけれども、ウチではねえ」という中小書店の反応だろう。だって、彼らは自分の店の経営には最早情熱を失っているんだもんねえ。

 そうではないのである。文京区の往来堂の話ではないが、キチンと自分の店の立ち位置をもっている書店はそれなりにちゃんとあるし、経営も出来ている。それは、東京だけではないだろう。どんな地方でも出来る筈だ。

 そんな本屋さんができたら嬉しい。

 問題は「電子書籍」やKoboとかKindleだけじゃないのだ。本当の問題は本を売っている筈の「町の本屋さん」の問題なのだ。

 本書にも書かれている通り

『決して、アマゾンが出てきたから書店が衰退したのではない、書店が衰退したから、アマゾンが出てきたのである』し

『「リスクを取る」、本の業界ではこれまで例外的であったそのことこそ、今必要なことではないのか? 少なくともその覚悟抜きに、喫緊の課題として議論されている「責任販売制」や「時限再販」「部分再販」などの新しい流通形態が、軌道に乗るはずはない』のである。

 本当に、前向きに生き残りを考えているのか?

『紙の本は、滅びない』(福嶋聡著/ポプラ新書/2014年1月7日刊)しかし、なんでポプラ社は電子版に前向きじゃないんだろう。いいのか、それで?

2014年1月23日 (木)

『ウェアラブルは何を変えるのか?』という新しい本の書き方・発表の仕方

 昨日書いた佐々木俊尚氏の『ウェアラブルは何を変えるのか?』について考えたことをもう一つ書いておきたい。

『取り敢えず、2014年に刊行する予定の本の前半部分を、KDPで著者自らが出版して読者の反応を見てから後半部分を考え書いていく、という新しい本の書き方で出てきた』ということだ。

20140119_134657『ウェアラブルは何を変えるのか?』(佐々木俊尚著/佐々木俊尚/2013年12月24日刊)

 通常、書き下ろしでない方法で本を出版する場合、雑誌や新聞記事、ブログなどで一度文章を発表し、それらを編纂して一冊の本にする訳である。

 その一つの理由は、まず出版に先だって原稿料収入を得られるということがある。本の印税というのは基本的に出来高なので、本がどれくらい売れるかによって収入が変わるし、また印税収入というのは基本的に著書の価格の10%なので、あまり安定収入とは言えない。むしろ安定収入化するのは著書が出版されて数年たって、何刷かして、最早別の本を出した後に再び元に戻って読まれたりすることによって「予期せぬ収入」になった時である。そんな訳で、出版印税収入に先だって雑誌や新聞の原稿料収入があるというのは、作家にとって安定収入になるのである。

 また、そうした一度発表した文章を編纂して一冊の本にするという形ならば、言ってみれば雑誌や新聞に掲載された際に一種のマーケットリサーチが出来ている訳なので、そのマーケットリサーチの結果によって、書籍化する際に文章を書き替えたりすることができる訳である。

 更に言ってしまうと、例えば遅筆の作家の場合、実質的に原稿締切がないのと同じ書き下ろしだと、いつ出版ができるか計画が立たないという問題があるが、雑誌などで原稿締切が定められていれば、作家を追い込むことができるという出版社側の事情もある。

 しかし、書き下ろしの場合、それらの要点がすべてないわけで、果たしてその内容の本を出版して売れるのかどうなのかが、事前にわからないという問題がある。

 そこで、一種の事前のマーケットリサーチという意味でKindle Direct Publishingで本を出して、読者の反応を見るというのが著者の種類によっては有効な手段になるだろう、ということ。

 特に佐々木俊尚氏のようなテクノロジー系メディアを専門とするジャーナリストの場合、当然、自分の読者は電子書籍なんかにもアレルギーはないだろうから、Amazon Kindleなんかのユーザーは多いと判断したのだろう。

 で、書き下ろしを予定している新しい書籍の一部を、しかし、それなりにきちんと読ませるボリュームでKDP化してアーリーアダプターにリーチする。それで読者の反応を見ながら、一種のマーケットリサーチをする訳だ。

 で、その結果を元に書きなおしたり、後半部分の書き方を新たに研究したりしながら、一冊の本を書き上げるということである。

 当然、その場合、完成版を出す出版社は決まっている筈である。でないと、予めその出版社から電子版を出せなくなってしまうことになる訳だから、出版社の了解を得てからKDP化をしなければならない。だとすると、これから紙版『ウェアラブルは何を変えるのか?』を出す出版社は、あまり電子版については前向きではない出版社だということなのだろうか? つまりフル完成版『ウェアラブルは何を変えるのか?』電子版も佐々木俊尚刊で出るのだろうか? あるいは、フル完成版『ウェアラブルは何を変えるのか?』電子版は出版社から出るのであろうか? いやいや今後の展開が楽しみになって来た。

 KDP版の使い方としては、勝間和代氏のように自らのメールマガジンや勝間塾などへの導入のためのツールとして使うという方法もあった訳だが、それ以外にも、こうした書き下ろし書籍のマーケットリサーチとして使うという方法もあった訳だな。

 まあ、KDP版の使い方としては、事前にKDPで小説などを発表して、その実績を持って出版社に企画を売り込むという新人作家が出てくるのではないか、という予想はあったわけなのだが、既存の作家がこうしたことを行うということはちょっと考えていなかった。

 そんな意味でも、さすがは佐々木俊尚氏らしいやり方ではある。

『ウェアラブルは何を変えるのか?』(佐々木俊尚著/佐々木俊尚/2013年12月24日刊)

2014年1月22日 (水)

『ウェアラブルは何を変えるのか?』といっても変わらないでしょう。とにかくこれからはコンピュータ優先の社会になるんだからね

 取り敢えず、2014年に刊行する予定の本の前半部分を、KDPで著者自らが出版して読者の反応を見てから後半部分を考え書いていく、という新しい本の書き方で出てきた。

 なるほど佐々木俊尚氏らしい方法論ではあるな。

20140119_134657『ウェアラブルは何を変えるのか?』(佐々木俊尚著/佐々木俊尚/2013年12月24日刊)

「ウェアラブル・コンピューティング(wearable computing)」というと、やはり今から20年位前に行ったMITの見学を思い出してしまう。

 当時はe-inkという技術がやっと実用化したばかりで、ビジネス・チャンスを狙っているような状況で、開発者は新聞で使えないだろうかという方向でいろいろ動いていたようだが、結局、それはAmazonのPaperwihteという、取り敢えずの落ち着き先を見つけたようだ、というのは以前書いた。で、それと同じ見学コースでもって見たのが「ウェアラブル・コンピューティング」という考え方。でも、当時はまだまだコンピュータというのは「大きな機械」であって、まだまだラップトップコンピュータであっても結構重かった時代だ。今のようなスマートフォンなんてのも夢の時代だったし、今のようにタブレットが当たり前という時代がやってくるなんてことが信じられなかった時代でもある。

 つまり、当時は「ウェアラブル」と言っても、確かにそれは服を着るような感じではあったが、それは「服」というよりも「鎧」を着ているような感じで、なんかこれがどうやったら実用化するんだろうか、という考え方をしていた。まあ、そうは言ってもどこか遠いところで実用化の道が開けるんだろうなという思いも同時に見ながら……。

 ところが、それから20年経った2014年、今やウェアラブル・コンピューティングは満開である。それはグーグル・グラスなんてものではない。まだ実用に供していないグーグル・グラスはその上を狙っているようだが、しかしまだその段階に行ってはいない。要は、基本的には「加速度センサー」を利用したフィトネス向けのデバイスたちだ。Fitbit、Nike Fuelband、Jowboneなどのフィットネス・デバイスは今や世界中に広まっているのではないか。

 面白いのがそのソフト・ウェアである。私は以前、パンツのポケットにさすタイプのFitbit Ultraを使っていた関係で、今はFitbit Flexを使っているのだが、基本的に「一日に歩いた歩数、距離、活動的だった分数、消費カロリー、睡眠の時間と質、体重、BMI、食事プラン」などを記録(Log)するデバイス」なのである。まだ、私は体重に関しては普通の体重計を使ってキーボードで記入する方法を使っている。本来は、これもAria Wi-Fi Smart Scaleを使えば、一緒に「体重、BMI、体脂肪」なんてものも記録できるのだが、それはちょっと先になるだろう。というか、もっと面白いのが、その達成時の表現である。一日の達成目標を実現すると「にこにこマーク」が出てくるのである、まあ、別にそんなことでどうなのよ、と言われてしまえば「どうってことない」と答えるのであるが、でもなんかモチベーション・アップには繋がるんだなあ。もしかすると、「目標体重」まで落とすことができたら、もっとすごい「にこにこマーク」が出てくるんじゃないかなんて期待もあったりするんですな、これが。

 まあ、他愛ないけれども、それでも何もない普通の万歩計では味わえない楽しみが、ホストコンピュータと繋がることで心地よい楽しみとして味わえるのである。

 で、佐々木氏もその「にこにこマーク」にハマっているようなのだ。他愛ないね。

 勿論、その「私のデータ」はホストコンピュータと繋がって、先方に私の個人データはすべて裸になってしまって分かることになってしまうことはよくわかっている。それを気持ち悪いと感じる人がいることは分かっている。

 一方、それを「誰かに管理されている」と考えずに「誰かに管理を代行させている」と考える人もいる。それは人それぞれの考え方次第なのだ。

 もはや我々は「ビッグデータ」という「ビッグ・ブラザー」に捉えられた民なのだ。

 もう、どうしようもないじゃないか。

 後は、エマニュエル・ゴールドスタインの登場を待つしかないんだ。でも、ゴールドスタインは結局、スターリンによって粛清(殺害)されるんだよな。

 だったら、せめてビッグ・データかビッグ・ブラザーか知らないが、そんなネットの大海で泳ぐことを楽しむしかないんじゃないのか?

 なぁーんて言ってるけど、でも、そうはいかないんだよね。

 ウェアラブル・コンピューティングの目指す先はもっともっと遠いところにある。つまり、世界をコンピュータで包囲することなのだ、支配までは望んでいないかもしれないが、しかし、支配することをコンピュータ自身は望むようになるのである。

 つまりHAL 9000の世界。多分、どこかでHAL 9000に指令を出した人間がいるんだろう。しかし、HAL 9000はそれを忠実に実行しようとする。

 というか、そこからさらに進んで、コンピュータが最初の指令を受けて、そのままそれを実行しようとして、それから先はAIでもって自分で判断して動いてきたら……。

 なんてディストピアもウェアラブル・コンピューティングの先にはあるのだ。

 多分、アイザック・アシモフの「ロボット3原則」なんてものも、もしかしてロボット・テクノロジーがどんどん進んで行けばなくなってしまうのではないかあ。

 とは言うものの、それも人間が作って来た歴史の一つなんだよなあ。

 だとしたら、それはそれで仕方がない。

 ロボットに殺されましょう。

『ウェアラブルは何を変えるのか?』(佐々木俊尚著/佐々木俊尚/2013年12月24日刊)

2014年1月21日 (火)

Fitbit weekly progress report from Jan.13 to Jan.19

 毎週火曜日はFitbitからレポートが来る日。火曜日の朝なので、多分アメリカでは月曜日中に配信しているんだろうけれども。

 トータルで87,784歩、61.45km歩いた。

 最も活発な日は、1月13日(月)で15,502歩、10.85km。

 最も非活発な日は、1月15日(水)で10,189歩、7.13km。この日は大変寒い日で、あまり外に出なかったのだが、意を決して何とか1万歩を歩いた。

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『ちきりんの新刊「未来の働き方を考えよう」をはじめちきりんの全ての本のツッコミどころを考えよう~ちきりんの反論待ち~』の薄っぺらさについて

 あまりのバカバカしさに拙ブログで紹介するのは辞めようかと思っていたのだが、それも面白くないので、軽く面罵しておく。

 薄っぺらいのはページ数だけではない、その書いてある内容がもっと薄っぺらいのだ。

Photo『ちきりんの新刊「未来の働き方を考えよう」をはじめちきりんの全ての本のツッコミどころを考えよう~ちきりんの反論待ち~』(制作協力・女の話の矛盾を指摘する会/出版アマゾネス.LLC/2013年7月10日刊)

 大体、他人の書いた本に対する批判が「本当に正当な批判」であると批判本を書いた本人が考えているのであれば、本人の出自を明確にすべきだ。それが「制作協力・女の話の矛盾を指摘する会」なんて匿名のところに自分を置いておいて、他人の批判をするっていうのは、「2ちゃんねるやTwitterで炎上をさせて喜んでいる輩(バカ)」となんら変わりはない。

 ちきりんさんが匿名ブログであるというから、自分も匿名でっていうのはその理由にはならないだろう。ちきりんさんは確かに匿名でブログやTwitterを書いているが、しかし、そのブログやTwitterのURLは公開されている訳で、ちりきんさんへの批判を書きたければ、直接そのURLへ投稿することはできる。しかし、本書に関して言えば「女の話の矛盾を指摘する会」にしても、掲載写真にコメントを付けている「正論家 北野真事」にしても、別にURLやアナログな連絡先を示しているわけでもない。ネットでこれらの名前を入力して検索しても、結局は本書のタイトルしか出てこない、まったくの匿名記事でしかないのだ。

 まあ、そんなウンコみたいな奴の本を批評しても始まらないのだが、そうは言わずにここはキチンと批判しておこう。

 まず『目標は低く持ちましょう』というちきりんさんの書き方に対して『目標を低く設定したら結果はもっと低くなるよ。100点を目指せば80点になるし、80点を目指せば60点になる』という、いかにも尤もな批判に見えるような書き方だが、その節(「ツッコミファイル01」という言い方をしているが)のタイトルは『理想は高く持つべし』なのだ。「目標」と「理想」は違う。目標は具体的な自分の「そうありたい自分の姿」なのだが、理想はそうではない。理想は自分の「そうありたい姿」でもあるが、一方、自分以外のすべての社会の「そうありたい姿」をも指しているのだ。『自分の理想を追わない人は社会の理想も追わない人であり、社会悪に怒らない人です。ちきりんのような「世の中こんなもんだよ…」と諦観する人がいるから一向に社会が良くならないのです』という批判は、つまり二つの違う概念をあえて混同して使うことによって、ちきりんさんを「批判したつもりになっているだけの自慰的行為」ということになる。

「余談ですが、アメリカではリーダーが採るべき戦略や正しい方法論を学校で教えている。日本はそれがない為、若いうちにリーダーになりにくい。これからはそのような正しい方法を身につけられるしくみや機会を増やすことが重要になる』というちきりんさんの論に対して『日本はリーダーになりたいという需要がないから学校で教えないんじゃないの?』という批判だ(ツッコミファイル16)。

 これもそういう批判では批判になっていないことが、「女の話の矛盾を指摘する会」には分かっていない。つまりここでちりきんさんが言っているのは「アメリカ的なエリート養成機関を日本でも作ったら?」という提案なんだが、それはヨーロッパでは当たり前のことであり、ヨーロッパでは「エリート養成機関」と「労働者養成機関」というものが明確にあって、初めから「エリートになれる人たち」と「一生労働者でしか暮らせない人」がいる明確な階級社会なんだけれども、それに「追いつけ追い越せ」という考え方から、アメリカでも「エリート養成機関」を作ろうとしているということなんだが、そういった「エリート養成機関が日本にないことを嘆いている」ちきりんさんがいるってだけのことなのである。それを「日本にはリーダーになりたいという需要がない」という、トンでもない理由をどこかから探し出して、ちきりんさんを批判したつもりになっている、低能のライターがここにいますって、自分で言ってどうするの? 大体「日本にはリーダーになりたいという需要がない」って結論をどこから探し出したの? 自分が単にリーダーになりたくない(というか、なれない)からって、そんな結論を出すのは、始めっから論になってないのだ。

「ツッコミファイル22」では『極論に気をつけよう』と言っているが、極論を言うのはこのテの「自己啓発書」では当たり前のテクニックなのだ。というか極論を言わなければ自己啓発書は売れないので、自己啓発書のライターは基本的に「まず極論を提示して、その後、諄々と普通の論調に戻す」という書き方をするのである。

『先進国でデモに参加する人たちは「トップ数%にしか希望の無い世界はおかしい!」と叫んでいました。しかし彼らはつい最近まで、世界で最も恵まれたグループに属していたのです。彼らが格差解消を叫ぶ時、途上国の人たちと、先進国にいる自分との格差は意識されていません』と書くちきりんさんに対して『コミュニティの最大単位は国であって文化、価値観、国力の違う国どうしを比較する意味ないからねえ』(ツッコミファイル30)と批判する「女の話の矛盾を指摘する会」には何とも言いようのない虚しさを感じる。この「女の話の矛盾を指摘する会」はレーニンの「帝国主義論」ですら読んでいない無学な男なんだなあ。先進国(帝国主義本国)の労働運動が、植民地からの搾取をもっとひどくするって言う議論は、当たり前の論として言われているものなのである。それを「コミュニティの最大単位は国」って、いつの時代のことを言っているんだろう。まるで、明治維新の前の鎖国時代の日本の話みたいじゃないか。

 もういい加減、このバカに付き合っているのもつらいのだけれども、最後に『働く期間を20代から40代後半までの前期職業人生を。40代後半以降の後記職業人生に分けます。~この、「一生の間に、2パターンの職業人生をおくる」という考え方は、寿命が延びる中で正解の見えない時代を生きる人にとって、様々なメリットがある、とてもいい案だと私は考えています』に対して、『そこ2回にこだわる意味ないでしょ。何回でもやり直せばいいし、「ゆるく考えよう」のP65でちきりんがいってたようにやめる決断は早いほうがいい』という反論も、実は敢えて読み間違いを行った上での非難なのだ。

 別にちきりんさんは「2回」になんてこだわっていない。別に3回でも4回でもいいわけで、ちきりんさん自身がそんな回数にこだわった発想をしているわけではない。それを敢えて「2回」という書き方をしたちきりんさんに絡んできて、難癖をつけるというのは、酔っぱらいオヤジが若い娘に絡んで嫌われるというパターンそのもので、見苦しいったらありゃしない。

 そんなにちきりんさんの本が売れたのが妬ましいのかね。

 この程度の本なら俺だって書けるってところなのでしょうね。多分。でも出版社は書かせてくれなかった。なので、売れた本の著者に絡んでいるっていう。まあ、本当に酔っぱらいオヤジだなあ。

 私は、別にちりきんさんの本の信奉者ではない。これまでのブログでもそれなりの批判もしてきたし、賞賛もしてきた。というか、基本的にちきりんさんの本は、学者の書く「論文」なのではないのだ。そうした「論文」の場合は、矛盾点があれば相当厳しい点検を受けて批判をされてもやむを得ない。しかし、ちきりんさんの本は、ビジネス書でもないし、経済学の本でもない、単なる「自己啓発書」。なので、別に書かれていることが矛盾したっていいのである。極論を書いてもいいのである。

 所詮、こうした本を読むことは「お勉強」じゃなくて「お愉しみ」なのだからね。

 それを本気になって非難する、批判する、ってのは「オシャレ」じゃないねえ。

 ということなので、今回はAmazonのアフィリエイト・リンクはなし。

 

『フード左翼とフード右翼』という設定はちょっと無理筋?

 う~ん、食べ物で政治を語るっていう方法もあったのか? そうなのか?

Photo『フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人』(速水健朗著/朝日新書/2013年12月30日刊)

 取り敢えず腰巻に書かれているフード左翼とフード右翼の違いを並べてみると。

20140119_132237

 ということになる。

 なんとなく、「フード左翼」と「フード右翼」って言うと、左翼はリベラリスト、右翼はコンサーバティブというイメージなんだが、それはやはりイメージだけなのかな。例えば「有機野菜vs.遺伝子組み換え作物」とか言ってしまうと、なんかその左翼と右翼は逆転してしまいそうだ。

 で、本書59ページに掲載されている食のマトリクスを見ると。「地域主義vs.グローバリズム」を横軸に、「健康志向vs.ジャンク志向(安さ・量重視)」を縦軸に取っていて、こんな感じになる。

20140119_193620

 という具合になっている。「健康志向で地域主義」がフード左翼で、「ジャンク志向でグローバリズム」がフード右翼だ。

 遺伝子組み換え作物が健康志向とジャンク志向の真ん中にいるのが可笑しい。何でだろう? 更に「フォアグラ」が健康志向に入っているというのは、この人食の本質が分かっているのかしら? と疑問が湧いてくる。

『消費社会的な゛食゛の在り方が行き着く最先端は、自然志向、健康志向の「地産地消」「スローフード」的な方向と「メガマック」「メガ牛丼」といった「下流」に向かう方向との二極分化だ』

 というのは分からないではないが、『「フード左翼」は、ここまで見てきてわかるように、ほぼ例外なく「中産階級」「アッパーミドル」「富裕層」的な階層と結びついていることが分かる』とか、『「フード左翼」は、都市的なクリエイティブ階級と縁が深いのだ』というまとめを読んでいくと、結局、先進国における左翼運動は、決して下層の労働者階級のものではなく、中産階級のインテリ運動であるという結論に達している。

 速水氏の前著『ラーメンと愛国』ではないが、結局、下層階級は愛国主義やネット右翼のような、知識不足による保守思想に行くしかないという結論なのである。

 それは「オキュパイ・ウォールストリート」の運動が「我々は99パーセント」であると主張しようとも、結局それは中産階級的なインテリ運動でしかないし、それ故の脆弱性をもっているというのと同じ考え方である。

 つまり

『「フード左翼」が旧来型左翼の定義からはみ出すもうひとつの要素が、弱者に対する配慮である。左翼の本分の中には、「弱者の側に立つ」という要素が含まれるが、アッパーミドル階級的な消費意識を密接に結びつく「フード左翼」の持つ反科学主義は、世界の人口増とそれに伴う食糧難の可能性につおては、極めて冷淡だ』

 ということ。

『「フード左翼」による革命は、世界を飢饉から救う理想を捨てず、テクノロジーの肯定も見据えたモノになればいいと思う。そんな「フード左翼」像を願うのは、「理想」が高過ぎるのだろうか?』

 という疑問は、答えを見いだせないだろう。

 残念ながら、食には本当の「政治性」はないのだ。たとえ表面的には政治性を帯びているようには見えても、結局それは表面的なものでしかないようなのである。

 ちょっと「無理筋」の設定でしたね。

『フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人』(速水健朗著/朝日新書/2013年12月30日刊)

2014年1月20日 (月)

神保町古喫茶店散歩カメラby LEICA M6

 神田神保町の古い喫茶店と言えば、取り敢えずは神田三省堂の裏側の出口から出たことろの靖国通りの裏道なわけである。中央大学が駿河台にあった時代の学生であった私にとっては、懐かしい場所であり、いまでもちょくちょく出没する場所でもある。

Img019三省堂の裏口から出ると看板が見えてくる。

Img027まあ、やっぱり一番大きなのは「ラドリオ」だなあ。

Img023ラドリオの斜め前にあるのが、タンゴ喫茶&酒場の「ミロンガ」。

 ミロンガの三省堂寄りの隣にあるのが、ホワイトカレーの「チャボ」である。一番上の写真で赤い幟が出ている店がチャボ。ミロンガがガチ・タンゴ、ラドリオはちょっと緩めのシャンソン、チャボは映画音楽だったような気が……。

 実はこの三軒、同じ経営者がやっている店なのである。なんでもオーナーは元演劇関係者らしい。しかし、そのオーナーとは会ったことがないので、何も言えませぬ。

Img035最近ではここ「さぼうる」「さぼうる2」がメディアでは頻出している。

 ここはよく「さぼうるで授業をサボーる」なんていう駄洒落を飛ばしていた店なんだけれども、最近はちょっと違うメディアでの扱いになっている。

Img037この「さぼうる2」の看板通り、ここの名物は「スパゲティ・ナポリナン」になってしまったようなのだ。で、ここに行ってお客さんの観察をしてみると、食事をする人の全ては「スパゲティ・ナポリタン」を注文し、なおかつ、「スパゲティ・ナポリタン」が出てくると、皆、スマートフォンを取り出して写真を撮る、ということ。

 2014_01_28_07562その後は、多分、ブログ、TwitterやFacebookでもって、「さぼうる2のスパゲティ・ナポリタン」の映像が溢れ出るんだろうな。でも、結構盛りの大きいスパゲティ・ナポリナンなんで、食べるのには苦労するかも。

 むしろここでは、面白いから、さぼうる2でのお客さん観察のほうがいいかもね。

Img028勿論、昔の喫茶店はどこもスパゲティ・ナポリタンは出していたので、ここラドリオでもスパゲティ・ナポリタンは今でもあります。

 というよりも、私にとってラドリオの思い出といえば、私の書斎だったということ。

 つまり、『キネマ旬報』の常連投稿者だった私が、『キネ旬・読者の映画評』なんかの短評の原稿は殆どここラドリオで書いていた。

2014_01_17_0217当時のラドリオは今の倍くらいの広さがあって、ここ「ART SPOT LADO」というスタジオがあった場所までラドリオだったのだ。

 そんな広さがあったせいか、昔は結構長居する客にも優しくて、長時間居座って原稿を書いている私なんかも別に普通にお客さんでいられたりしたのであった。当時は今よりはもっと「緩いシャンソン喫茶」であって、ジャズなんかも古いものはかかっていたような気がする。モダンジャズ以前のものね。

2014_01_17_0218ラドリオの名物と言えばこのウィンナコーヒー。というか、日本で一番最初にウィンナ・コーヒーを出したのが、ここラドリオだそうな。

 なので昔は、ここラドリオではデフォルトで「コーヒーと言えばウィンナコーヒー」が出ていた訳で、私らは「コーヒー」と注文したら「ウィンナコーヒー」を出されてドギマギしている客をみながら、「ああ、田舎者め」なんて暗い優越感に浸っていたってのも、古いも思い出だなあ。

 まさに「古いこの酒場で沢山飲んできたから(ラドリオは夜は酒場なんです)、古い思い出はぼやけてきたらしい」の心境なんであります。

LEICA M6 Elmarit 28mm/F2.8 (さぼうる2のナポリタン、LADOとウィンナコーヒーはFujifilm X10) @Jimbocho Kanda, Chiyoda (c)tsunoken

2014年1月19日 (日)

イオンモール幕張新都心に行ってきた。その広さに超吃驚!

 昨年の12月20日にオープンした「イオンモール幕張新都心」に行ってきた。

Photoまあ、そろそろ新開店に伴う混み方も少しは収まっているかな、という感じでいたのだが、いやいや、まだまだ混んでいますね。駐車場はまあスムーズに入れたのだが、中は結構「敵情視察的」なサラリーマン風も結構いて、まだまだ新オープンてな感じなんでしょうかね。

Photo_2取り敢えずは、ご当地キャラ(ちょっと違うけど)的なふなっしーにご挨拶。って言ってもなんかくまモンの方が存在感があるのは何でだろう? 別に16日の記事のせいじゃないと思うけど?

 で、取り敢えずイオンモール幕張新都心の大まかな説明をすると、まず「グランドモール」がある。ここは、まあ、いわゆるよくあるイオンモンールと同じ構成で、イオンの食料品店があって、そこから続くイオンの一般店がある場所だ。ただまあ、その一般店の部分が他のイオンに比べるとかなり長い。

 でもまあ、ここまでは一般のイオンとはそんな変わったイメージはない。

Photo_5二階に上がるとなんかそこはエスニック・イメージ。こんな「チャイ・ティー・カフェ」なんていうタイ風のカフェなんかもあって、それ以外にもハワイ風やらアジア風のグッズを売る店があったりとか、なんかエスニック風のお店が多い。

Photo_6で、三階に上がるとこれが凄いんですな。まあ、言ってしまえば「オタク系」のお店ばっかり。だって、こんなガンダムカフェとか……

2014_01_16_01992「鉄道カフェ STEAMLOCOMOTOVE」なんて、Nゲージ見ながら食事するカフェなんかもあるんですぜ。これ、絶対お父さんの方が子どもより楽しんでいるよな。

Photo_7最後はここですよ。イオン・シネマはお約束通りあるんだけれども、となりにあるのが「よしもと幕張イオンモール劇場」ですよ。すごいよね、吉本興業まで幕張に呼んじゃうんだから。

Photo_3更に、ここグランドモールには蔦屋書店があるんだけれども……

Photo_4ファミリーモールには未来屋書店って、本来はイオン系列の書店がメインのモールじゃないところにあるってのが、凄いよね。

 で、メインのグランドモールから犬や猫がいるし、犬猫の病院やらペットホテルなどがある「ペットモール」をすぎると、ここ「ファミリーモール」に来る。

Photo_8ここ、ファミリーモールには子どもたちに向けたショップやら、「ごちそうパーク」というフードコートがあって、大盛況。

 勿論、メインのグランドモールにも「ライブ・キッチン」というフードコートもあるんだが、こちらも凄い広い。私はこのライブ・キッチンの重慶厨房というお店のお粥を食べてきたんだけれども、さすがに横浜中華街の重慶飯店の出店だけあってとても美味しかった。別に、フードコートでもテナント出店している店でも美味しさは変わらないんだな、と納得。

Kandu

 ファミリーモールには子どもたちの衣服やオモチャなんかを売っているお店が沢山。

 更に、こんなKANDUという、子どもたちに大人の仕事を体験できるゾーンなんかもあって、要は豊洲ララポートの「キッザニア」みたいなものだろう。

Photo_9

 保育園なんてのもあって、「一時保育」なんてお母さんが買い物している間に預かってくれるなんてのもあるのかな。
Photo_11

 途中にコストコなんかもあるんだが、まあこれは関係ないらしい。でも、見るとイオンの中にある感じなんだよなあ。
Photo最後はグランドモールから一番遠いアクティブモールである。

 スポーツ用品なんかが置いてあるんだが、なんとそこに発見!じぇ、じぇ、じぇ、あの超マイナースポーツのラクロスグッズがあるんだぁ。

 なんでまた。あのラクロスなの? アメフトグッズもないのに? 幕張近辺ではラクロスがもしかしたらメジャーなの?

 とまあ、あそれはいいとして、ここアクティブモールには用品だけではなく、テニスやフットサルコートなんかもあって、用品販売だけではないという形をとっている。

 ということで、イオンモール幕張新都心をすべて歩いたわけなのであるが、まあ、とにかく広い。

 ここを歩くだけで1万歩を超える歩行が可能だということは、要はここを歩くだけで7.6km以上を歩くわけで、それだけでも凄い広さだということはご理解いただけるだろう。

 うーむ、はたしてここに再び買い物にくるだろうか……というのはちょっと分からない。

Fujifilm X10 @Makuhari, Nrashino (c)tsunoken

2014年1月18日 (土)

『BRUTUS特別編集「合本 大友克洋 2012年再始動、そして。』どこへ行くんだ?

 大友克洋と『ブルータス』って言えば、以前『ブルータス』に連載していたクラブ・パンターニ(大友克洋氏と寺田克也氏、北久保弘之氏が作った自転車チーム)によるイラストとエッセイの記事を思い出す。

 大友克洋氏と寺田克也氏によるその連載は単行本にもなったのだが、今でもクラブ・パンターニは健在なんだろうか。

2014_01_15_01242『BRUTUS特別編集 合本 大友克洋 2012年 再起動、そして。』(マガジンハウス/2013年2月15日発行)

 本誌はブルータス2012年4月15日号「大友克洋、再起動」特集と2007年1月1・15日合併号「クールジャパン」特集を再編集し、増補改訂したもの。なので、基本的には2012年4月9日の『大友克洋GENGA展』について書いた通りであります。まあ、基本的にはね。

 今回は大友さん(と呼ばせてもらいます。この位なら紫綬褒章作家にも失礼にはあたらないよね)とアニメーション映画『AKIRA』でもって監督と制作担当として苦労したというか、苦労されられた思い出を語ってしまおうか。

 当時(と言っても今でもそうなんだけれども)アニメーション製作は基本的に、映像に声優が声を合わせるアフレコ(アフター・レコーディングの略なんだけれども、英語ではポスト・レコーディングというのが正しい)方式で音声収録をするのが普通だったんだけれども、大友さんは映像に先行して音声を収録するプレスコ(プレ・スコアリング)で製作することを希望した。

 それは昔のディズニー・アニメなんかがそういう方式で作っていたからなのであるが、その当時のディズニー・アニメは音声だけでなくて、映像もロト・スコーピングなんかで事前に役者が演じてそれを撮影して、その撮影画像から絵を描いたというようなスタイルでアニメーションを作っていた名残なんだなあ。今でもアメリカでは基本的にプレ・スコ方式でアニメーション製作をしているらしい。

 当然、声優陣はアフレコでしか製作に参加した経験はないから、プレスコで音録りをすることには慣れていない。まあ、声優も元々は俳優志望だったり、声優学校でも演技の指導はしているので、まあ、それは慣れればなんとかなるだろう、という思いで製作陣も考えていた。

 ただ、問題は遅れに遅れている大友監督の絵コンテ作りである。本来ならば、プレスコのひと月前位には絵コンテが上がっていて、それから音響台本を作って声優に渡し、練習して来いよ、リハーサルもあるし、というのが普通である。

 ところが、結局、大友さんの絵コンテが上がってくるのは、収録に予定されていた日の前日深夜なのであった。

 これでどうやってプレスコに間に合わせるの?

 と言ったって、それは間に合わせなければならない。で、大友さんのプレスコ希望を受け入れた講談社(つまり私)がその責任を負わなければならない。

 で、どうするのか?

 取り敢えず、描き終えた分の絵コンテを受け取ってコピー。それを持って会社に帰って、あとは時間が許す限りの勝負でワープロを打ち込む作業をしなければならない。当時(1987年頃)はまだオフィス・ワープロですら珍しい時代で、パソコンどころかパーソナル・ワープロもまだまだ仕事で使えるような段階ではなかったのである。

 で、とにかく夜っぴてワープロ打ちこみ作業を行って、翌早朝に何とか打ち上げ、それから声優の数+スタッフの数だけコピーを取って、スタジオに持ち込むというのが、ごく普通のプレスコ前夜の状況ではあった。

 なにしろ、声優にしても音響スタッフにしても、収録当日になって初めて台本を手にするという状況。多分、おおいに戸惑った収録だったと思う。事前に大友監督からシチュエーションや配役の心理に対する説明はあったのだけれども、収録がOKかNGかは大友監督しか判断できない。普通はOK、NGを出すのは音響監督なんだけれども、それも絵コンテだけでは出せないので、そういうことになる。

 更に、普通のアフレコ台本は「わら半紙」に印刷してあって、それは柔らかい紙を使って、ページをめくる音がしないようにという心遣いなんだけれども、ワープロ印刷の紙はいわゆる上質紙、なのでページをめくると音がしてしまう。ということなので、そんなことでも声優陣にはいろいろ気を遣わせてしまった。

 それでも何とか収録に漕ぎつけてくれた声優陣には感謝。

 しかし、当然アニメーター陣にもそれは同様の、それまで経験しなかった原画作りがあったわけで、それまではアニメーターが自分で計算していたキャラクターの演技が、今度は事前に音声があってのキャラクターの演技になる訳で、それはまた難しい未経験の分野なのであった。アニメ・スタジオには「A、E、I、O、U」のそれぞれの母音の発音に合わせた「口の形状」に関する張り出しがあったりして、普通のアニメ・スタジオにはない雰囲気があった。尤も、ベースにしたテレコム・アニメーション・スタジオは元々ディズニーの作画をやっていたりしていて、プレスコには慣れていたということも一部はある。ただし、当時テレコムで仕事をしていたアニメーターはアキラ・スタジオにはあまりいなかったということも、ちょっと問題だったりしたりするんだけれども……。

 まあ、そんな薄氷を踏むような仕事をしていたのが、アキラ・スタジオの日常ではあった。制作の連中の喧嘩なんてのもあったしね。

 私も、完璧にアキラ・スタジオに出向状態で一スタッフとして仕事をしていたわけで、それこそたまに講談社に出社すると、アルバイトの女の子からは来客扱いされていたことがある。

 まあ、それもいまでは懐かしい思い出。

 大友さんにとっても、アニメーション『AKIRA』は大きな思い出だと思うけれども、それは大友さんだけではなく、『BRUTUS』にも出てくる元講談社の由利さんにも大きな思い出だろうし、制作に関係した東京ムービーのスタッフにとってもそうだろうし、参加したアニメーターにとってもそうだろう。

そして小山茉美さん、岩田光央くん、石田太郎さん、鈴木瑞穂さん、その他の声優さんたちにもご苦労をかけたと思う。心から「ご苦労さま」と言いたい。

『BRUTUS特別編集 合本 大友克洋 2012年 再起動、そして。』(マガジンハウス/2013年2月15日発行)

2014年1月17日 (金)

Fitbitから昨年の総括が来た

 Fitbitから2013年の総括が来た。

 なんでも歩いた距離はカリフォルニア海岸1,402kmよりちょっと長い1,404kmだそうだ。

 ただし、これは年の前半ではFitbit Ultraを使っていて、それを無くしてからは普通の万歩計(PCやスマホとは同期しないタイプ)を使っていた時期があるので、まあ、半年の総括ってわけだ。

20140117_192733

 面白いのは、最も活動的だった曜日ってのがあって、それは金曜日だということ。多分、週末になってきて、今週の歩きが少ないななんて考えて、一生懸命歩きだしたりするんだろうな。

 最も活動的だった月が12月ってのも同じ理由かも知れない。ただ、これは今年はちょっと違ってくるだろう。取り敢えず、今はFitbit Flexを使っているが、多分、Flexを無くしたらすぐにFitbit Forceを買うだろうから、一年分のデータがキチンと蓄積される筈だ。

 一年間で最も活動的だった日は、12月14日、京都で鴨長明の方丈庵を実際に建てた場所を追い求めて。日野の里という山奥に分け入った日である。24,669歩、17.27km。

 まあ、これもFitbit Flexが去年の途中から使い始めたからなので、今年はちょっと違うデータが出てくるかもしれない。

 いずれにせよ、体重は少しづつ落ちているので、まあ、それが楽しみかな。

『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』というのは正しいんだが、それを行うのは難しいんだよなあ

 そろそろ今年の新刊が出始めたようだ。

 まあ1月23日はウソだけど……実際に刊行されたのは1月11日だ。

Photo『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』(日野瑛太郎著/東洋経済新報社/2014年1月23日刊)

「社畜」って何だ? 「社畜」って言うと、過労死寸前まで毎日残業をして、なおかつそれも「サービス残業であり、有給休暇なんてものは出来るだけ取らずに毎年会社に返してしまい、「社会人としての常識」にがんじがらめにされ、常に「経営者目線」でものを考え、定年退職してみたら、自分に何にもスキルが残っていないので、ただただ毎日を茫然と暮らすような人?

 いやいやそんな如何にもな人たちばかりではなく、日野氏に言わせると『社畜=会社と自分を切り離して考えることができない会社員』というものだそうだ。

『日本人の多くは、残念ながら会社と自分を切り離して考えることができていません。
 会社と自分を切り離すどころか、「会社は家族である」とか、「会社は尽くすもの」といった価値観は、今でもいろんなところで耳にします。
 こうした価値観にどっぷり浸からなくても、今の会社に一生勤めるんだ、と思っている人は決して少なくないでしょう。
 多くの日本人にとって、「会社」という存在は人生の中でそれなりに大きな地位を占めてしまっているのが現状です。
 そういう意味では、多くの日本人はいまだに「社畜」だと言えるかもしれません』

 ということなのだ。私も結局、定年まで一つの会社に勤めることになってしまったが、以前も書いたようなズッコケ社員だったこともあって、比較的「会社」というものを客観視していたところもある。そんな立場から見ると最初に掲げた「社畜」のについての考え方だけではなく、日野氏の言う「社畜」の定義にも頷けるところはある。

 ただし、それは「会社」というものが今後も永続的に存在するという保証があっての話であって、「いつ会社が潰れてもおかしくない。会社は潰れなくても、いつリストラされてもおかしくない」現代にあっては、まったくもって時代錯誤な考え方ということになるのだろう。つまり本書は「会社が潰れたり、リストラされた」時に慌てないですむ生き方指南なのである。

 で、日野氏によれば「社畜」には5つのタイプと6つの仕事観に分類できるそうだ。

『奴隷型社畜/ハチ公型社畜/寄生虫型社畜/腰巾着型社畜/ゾンビ型社畜』が社畜の分類。

①やりがいのある仕事につけたら、それで幸せ!
②つらくてもいいから、成長したい!
③給料をもらっている以上、プロ!
④言い訳は、悪!
⑤経営者目線を持って仕事をすべき!
⑥どれだけがんばったかが大事!

 が社畜の6つの仕事観だそうだ。

 5つのタイプで言うと、要は初めから順々に社畜化が進んできて、最初は自分が社畜でありさえすればよいというものが、最後のゾンビ型になってしまうと、他人まで社畜にさせなければ気がすまないといったはた迷惑な存在になってしまう。

 6つの仕事観で言えば、みんな「なるほど」と思わせてしまいそうであるが、実は、『やりがいのある仕事につけたら、それで幸せ』ではあるかもしれないが、そう思えるのは「キチンとした労働の対価」が伴ってこそだろう、『つらくてもいいから、成長したい』だってそうだし、『給料をもらっている以上、プロ』だって、「プロとして適切な支払いを受けているのか」が大事だ。『言い訳は悪』『経営者目線をもって仕事』なんてことになってしまうんだったら、自分が経営者じゃなければそんな必要はまったくない。

 最後の『どれだけがんばったかが大事』なんてこと言ってしまったら、そんな会社は潰れますぜ。仕事は結果が第一、経過はどうでもいいのである。頑張ったかどうかではなく、どんな成果を出せたかで評価しなければならないのである。途中でどんなにサボっても、結果が出せればそれでいい。仕事の評価というものはそういうものだ。

 日本社会が社畜を生み出すメカニズムは以下の通り。

①仕事の「やりがい」を最重要視する仕事観の形成
②過酷な就職活動を経ることで芽生える会社への恩義
③職場にはびこる同調圧力による洗脳

 ①は主に小学生の頃から始まる「将来なりたい職業」教育からだし、②は主に大学生だろう。③は殆どの日本の職場にある同調圧力だ。で、結局「社畜」になれない人は会社を辞めて行っていくわけなので、結局、会社には「社畜」しか残らずに、残った「社畜」が次世代をまた「社畜」に育て上げていくって訳だな。

 で、最後は「脱社畜」のための八ヵ条である。

①「やりがい」にとらわれるな
②つらくなったらいつでも逃げていい
③「従業員目線」を持ち続けよう
④会社の人間関係を絶対視するな
⑤会社はあくまで「取引先」と考えよ
⑥自分の労働市場価値を客観的に把握しよう
⑦負債は極力背負わない
⑧自分の価値観を大切にしよう

 うんうんと頷かせられるものばかりだ、とは言うものの、多分『自分の労働市場価値を客観的に把握』って言うのが、実は一番難しくて、これが出来ていない人が意外と多いのだ。

 それを自分のものにする一番いい方法は、例えば取引先の人の本音を如何に引き出すか、なんて実は簡単な方法もあったりするのだが、それが普段取引先とどんなつき合いをしているのかという部分が大切になったりするんだなあ。でも、それが出来ていないと「いざ会社を辞める」なんて時に躓いたりするんだ。

 それが出来ない間は、取り敢えず「社畜」を続けるんですな。

 やっぱり。

 日野氏の「脱社畜ブログ」はコチラ

『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』(日野瑛太郎著/東洋経済新報社/2014年1月23日刊)Kindle版も出ている。少し安い。なかなかやるな東洋経済新報社。

2014年1月16日 (木)

そうか『くまモンの秘密』はそういうところにあったのか!

 1月13日のJ CASTニュースのタイトルが『NHK大河ドラマしのぐ「くまモン」の経済効果 日銀熊本支店 異例の調査で2年1300億円』というもの。

20140113_172538『くまモンの秘密 地方公務員が起こしたサプライズ』(熊本県庁チームくまモン著/幻冬舎新書/2013年3月15日刊)

 2011年11月~2013年10月にくまモンが熊本県にもたらした経済波及効果は1244億円、テレビや新聞に取り上げられたパブリシティ効果は90億円以上というもの。調査は、くまモンが「ゆるキャラグランプリ2011」で優勝した2011年以降の「くまモンを利用した商品の売り上げ高」「くまモンによって増加した観光客数」を推計し、熊本県への経済波及効果を試算した。くまモン利用商品の売上高は、熊本県が利用を許諾した企業に絞ったという。ただし、熊本県はくまモンの使用料を取っていないので、多分、売上報告やそれぞれの企業の売上報告からの推定金額だろう。

 大河ドラマでは2010年の『龍馬伝』の際は高知県が535億円、長崎県が182億円。2008年の『篤姫』が鹿児島県に262億円、出雲大社大遷宮が285億円というから、まさにくまモンの経済効果は莫大だ。

 本書はそんなくまモンが小山薫堂氏のアイデアから生まれ、そして熊本のくまモンから、日本のくまモンになるまでの記録である。

 しかし何故、最初は大阪だったのだろうか、「熊本県庁チームくまモン関西部隊」だったのだろうか。普通は全国区になりたければ東京でしょ、と思ったのだが、そうか鍵は2011年3月12日の「九州新幹線全線開通」だったのね。確かに、東京から熊本へ行こうと思ったら、普通は6時間以上もかかるJRじゃなくて飛行機で行ってしまう。しかし、新大阪からなら3時間半くらいで熊本まで行けてしまうので、そこは大阪攻略がまず第一に考えられたのだな。つまりそれはJR西日本、JR九州とのある種のタイアップ企画だった訳だ。

 で、問題は熊本が九州新幹線の終着駅ではないということ。熊本県には新玉名、熊本、新八代、新水俣と4つ新幹線の駅があるところが如何にも整備新幹線という感じであるが、いずれにせよ鹿児島中央を終点とする九州新幹線では、下手をすると中間駅として皆通過してしまう恐れがある。それを払拭するためになんとか熊本県を売りだそうということで、くまモンが大阪に登場ということだったんだな。

 で、くまモンを関西に送りだす方向性は

1 関西の人みんながあっと驚くような面白いことをやったら、それだけで関西の人は自然に集まる。
2 お金を落として。そこに生まれた面白いものを関西の人みんなが見に来るようにする仕掛けを作る。
3 掛け算みたいに相乗効果でいろいろなものが絡まって広がっていく。

 という如何にもノリのよさそうな大阪人を相手にした考え方だ。

 で、そんなくまモンを大阪で売り出そうというチームくまモン関西部隊の活動コンセプトは

1 くまモンをメッセージ性抜きで関西各地に出没させる
2 ブログに活動報告をアップする
3 ツイッターで出没状況をつぶやく、つぶやいてもらう
4 素性を明かす面白い名刺を配布し、ブログとツイッターへ誘導する
5 新聞、ラジオ、交通広告のメディアミックスで、さらに認知度アップを図る

 というもの。なるほど現代のSNSを利用したパブリシティ手法ではある。

 で、2011年には「ゆるキャラグランプリ」で見事優勝したくまモンではあるが、これからのくまモンは今後どうしていこうかというと

1 くまモンのブランド価値を向上する
2 くまモンと熊本の関連性を強化する
3そのための持続可能な仕組みづくりをする

 う~む、ちょっとハードルは高いかな。

 しかし、もし可能であるとすると『迷ったらGO!』というのがチームくまモンの大きな方針が今後も守られてくれば大丈夫だろう。基本的に公務員の考え方は「迷ったらやめる」というものだから、これは普通公務員という立場からは考えられない意識変化なのである。

 で、他県などから「うちもくまモンみたいなキャラクターを作って展開したいのですが、どうしたらいいですか」といった質問に対しては

1 ターゲットを明確にする
2 TPOに合ったメディア戦略
3 SNSの最大限の活用
4 くまモンの爽快な動き・表現の豊かさ
5 くまモンを活用したPR・広報へのトップの理解と応援

 という基本的な考え方を示す。この中のポイントは5の「トップの理解と応援」という部分なのだろうが、多分、他県ではこの部分が難しいのではないだろうか。

 更に今回くまモンが成功した大きなポイントは

『ひとつは、組織の枠にとらわれず連携ができたことでしょうか。一般論として、行政に限らず組織が大きくなれば、ある課で何かを始めたら、それはその課の仕事であって、他からは協力が得にくいものです。この点、今回の新幹線開業に関連した各課の仕事については、そんな縦割りの縛りがなかった』

 ということであろう。

 本来、公務員というものは他の部署の仕事には口を出さないものだし、また他の部署には協力しないものだ。しかし、たまたま熊本県知事という人が、公務員出身ではなかったことが幸いしたのだろう。組織横断的な考え方をしたうえで、なおかつ知事の理解があったというよりも、率先して知事が理解と応援をしたということが、くまモンの大成功につながったのである。

 なにしろ吉本新喜劇の舞台でズッコケるような知事はまずいないだろうからね。

 熊本県庁のスタッフの人たちは良い上司に恵まれたものだ。

『くまモンの秘密 地方公務員が起こしたサプライズ』(熊本県庁チームくまモン著/幻冬舎新書/2013年3月15日刊)当然、Kindle版も出ている。まあ、多少は安いかな。

2014年1月15日 (水)

『ヤマザキマリのアジアで花咲け!なでしこたち 2』で感心したこと

 ヤマザキマリさんのコミックエッセイは、これまで自分の周辺の人物が基本的な対象だったのだけれども、こうした「取材モノ」があるとは知らなかった。それも既に「2」である。

 う~ん、テレビは殆ど観ないからなあ。

Photo『ヤマザキマリのアジアで花咲け! なでしこたち 2』(ヤマザキマリ著/KADOKAWA/2013年12月20日刊)

 17日で4カ国という突貫取材で紹介した国と人は、タイ(バンコク)でコスプレ雑誌の編集長をしている滋野真琴さん、ベトナム(ハノイ、ベンチェ省)で農村支援NPO「Seed to Table」を主宰する伊能まゆさん、フィリピン(イトゴン)で楽器やアクセサリーブランドの「EDAYA」をディレクター&デザイナーとして主宰する山下彩香さん、インドネシア(チカラン)で日本語学校や技能訓練所を経営する木暮七絵さんの四人に加えて、ヤマザキマリさんの永遠のアイドル、兼高かおるさん。

 まあ、そりゃそうだろう的なシンガポールなんかが入っていないのがすがすがしい。

 で、これらの人に共通しているのは

『人間は、地球上に自分たちの境界線を引いて、"自分はここに属している"というカテゴリーを作ってしまったわけですよね。でも「なでしこ」の皆さんは、日本国籍ではあるんだけれども、そういう国境的概念というものが取れちゃっている。地球レベルの問題に「地球人」として接する深い懐を持っていて、国籍とか言葉の違いが全く足かせになっていない。自分が何者なのかとか、自分のアイデンティティみたいな細かいことをいちいち考えるよりも、やらなくちゃいけない大事なことがいっぱいあって、それを一生懸命やっている人たちなんです』

 ということ。

『私自身もコスプレするなんてことは、日本にいたら考えられなかったので、自分らしくいても問題ないよ、表現していいよ、恥ずかしがらずにもっとどんどん楽しんでくださいって思います』という滋野真琴さん。

『なんか、知っちゃったんですよ。大変だなって。農村の皆さんは『助けてほしい』なんて言わないですけれども。でも『これ、大変ですよね?』って状況が各世帯のなかにあって。何か自分にできることはないかな、というふうに思ったんですね』という伊能まゆみさん。

『文化の継承って、外の人から言われているやるものではなくて、自分たちの中から、やりたいって湧き上がる気持ちで動いていかなきゃいけなくて、私がやっていることは……どう言ったらいいのかな、それのきっかけをデザインしているって言えばいいのかな』という山下彩香さん。

『未完成の若者たちを育てていくという事業は、私にとって不可欠です。生徒たちは『こんなことができるんだ』と驚かせてくれるし、そういう可能性を秘めた人を育てる場所に立ち会えることが、私たちの喜びなんです』という木暮七絵さん。

 四人に共通するものは、別にそれが日本以外の国でなくてもできること。でも、アジアに目を向け、実際に旅立ってしまうというところが我々とは大いに異なる部分である。

 アジアは未だ発展途上にある。当然、そこでは発展途上ならではの社会のひずみがある。先に技術を獲得した人は、先に富裕層となって、後からやってきた人たちとの階層分断はかなり激しい。特に、現在のグローバリスム経済社会の中で発展途上にいるということは尚更その傾向を見せている。

 そうした社会ではここに描かれている「なでしこ」たちの存在は欠くべからざるものであり、同時に、そんな社会で欠くべからざるものになっている「なでしこ」自身もそんな自分の存在を自ら認め、さらに社会に欠くべからざるものになっていこうとする。

 そんな女性たちの姿に、やはり世界を旅し、世界の国々で暮らしたヤマザキマリさんは感動を覚える。

『今回の旅で出会った4人の女性たちにも、やっぱり感動しました。自分の傷を癒すために海外に行くのではなくて、逆にその国で悩んでいる人の傷をふさいであげようとしている人たちでしたから。「自分が役に立てるかもしれない」と思って頑張っている彼女たちの姿は、すがすがしいし、見ていて心地いいんですよね。しかも4人とも、その地域にある程度は適応しているんだけど、自己主張もちゃんとできる。ものすごくバランスの取れた人たちだなと感じました』

 まあ、確かにヤマザキマリさんはその地において、その地での就職や起業やらはやっていなかったからね。とはいうものの、始めっからフリーランサーとして「漫画家」を選んだヤマザキマリさんもすごい。日本にいなかった状態で漫画家を目指すというのも結構すごいことなんだけれども、そんなことができるのもやはりネット社会でもって、世界中が一つになったということもあるんだろうか。

 そうなのか、そうだったのか。

 そういう意味では、やはりヤマザキマリさんも早いうちに海外に出て良かったという人たちの一人なんだろう。

 基本的に人生っていうのは「旅」だ。

 そんな「旅」には先導者はいるだろうが、そんな「先導者」に付いていくのが「旅」ではない。むしろ「先導者」がいない「旅」の方が面白いのである。

 人生という旅にとっては、導きは必要ない。そんな誰かに導かれた人生なんかは送りたくない、というのが普通の人だろう。

 なので、この番組自体は企画者の意図に乗っただけの「収録旅」なんだけれども、その対象になった人たちは面白い人たちばっかりというのが、まあ普通の感想だろう。

 ヤマザキマリさんにとっては、とても面白い体験だったとしてもね。

『ヤマザキマリのアジアで花咲け! なでしこたち 2』(ヤマザキマリ著/KADOKAWA/2013年12月20日刊)1がKindle版で出ているので、2も近いうちに電子化されそう。

2014年1月14日 (火)

The new mailmagazine from Mr.Chris Guillebaeu

 クリス・ギレボー氏からの新しいメールマガジン。

"Luck Appears When You Show Up"

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クリス・ギレボー氏のサイトはコチラ

Fitbit weekly progress report from Jan.6 to Jan.12

 Fitbitから先週のスタッツが来た。

 一週間トータルで94,217歩、歩いて合計65.95km。

 最も活動的だったのが1月7日で16,879歩、11.82km。板橋から旧川越街道を取材して歩いた日。

 最も非活動的だったのが1月6日。10,541km、7.38km。会社のOB会報の原稿を書いていた日。原稿が上がって少し散歩した程度だ。

 でも、一日1万歩のノルマはなんとか毎日達成している。

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映画版『永遠の0』山崎貴は所詮センチメンタリズムでしか映画を作れないのか

 残念ながら映画版『永遠の0』については多少辛口の評価を与えずにはおかない。

 なぜならば、原作小説にあるいくつかの重要なシーンを映画では描かなかったために、結局、映画版『永遠の0』が単なるセンチメンタリズムだけの映画になってしまっているからだ。

201401101859182『永遠の0』(原作:百田尚樹/監督・VFX:山崎貴/脚本:山崎貴・林民夫/音楽:佐藤直紀/制作プロダクション:ROBOT/2013年12月21日公開)

 勿論、原作小説は文庫版でも608ページにもなる分量の大きなもので、それを2時間内外の映画にするためにはかなりな部分を切らなければならないのは当然理解している。どこを残して、どこを切り取るのか、どこのシーンをどこのシーンに移し替えるのか、それらを決定するのはプロデューサーと監督の仕事である。したがって、どんな原作であれ、それを元に映画を製作する時には基本的のこの二人の意思が一番重要になる。

 私が原作小説を読んだ感想は、2010年8月16日のブログ「『永遠の0』って、要はゼロ戦ってはじめっから特攻機だったのだ』で書いたけれども、そんな文章を書く一番の切っ掛けになったのが原作版(講談社文庫版)313ページからの、現在は岡山の老人ホームで暮らす谷川正夫の証言。

『グラマンF6Fなどは7.7ミリ機銃だと百発くらい撃ち込んでもけろっとしている。クーパン基地にいる時に、一度撃墜したF6Fの残骸を見たことがあった。その時、鋼板の厚さに呆れたものだった。特に搭乗員の背中に設けられたぶ厚い防弾板は、7.7ミリ機銃では突き通せないほどのものだった。
 米軍は搭乗員の命を本当に大事にするものだなあと感心した。
 また米軍は空襲にやってくるときには、必ず道中に潜水艦を配備していた。途中、帰還がかなわず不時着水した搭乗員を救出するためだ。
 その話を宮部とした時、彼は言った。
「墜とされてもまた戦場に復帰できるということは、失敗を教訓に出来るということだ」
「俺たちは一度の失敗で終わりか」
「それもあるが、彼らはそうした経験を積み、熟練搭乗員に育っていく」
「こっちは逆に熟練搭乗員が減っていくというわけか」』

 あるいは243ページの、現在都内の病院に入院中で最早末期がんで余命いくばくもない井崎源次郎の証言。

『今、あの時、宮部さんの言っていたことの正しさがわかります。現代でも零戦が語られる時、多くの人があの驚異的な航続力を褒め称えます。しかしその航続力にのゆえにどれほど無謀な作戦がとられたことでしょう。戦後、航空自衛隊の戦闘機の教官からこんな話を聞いたことがあります。戦闘機の搭乗員の体力と集中力の限界は一時間半くらいだと。それでいうと、私たちは三時間以上かけてラバウルに到着した時は、既に体力と集中力のほとんどを失っていたということになります。もちろんその教官が話したのはジェット戦闘機についてですが、プロペラ機でもたいして条件は変わらないでしょう』

 など。その他にもゼロ戦の他国からは驚異的な性能だと思われていたことの裏側が実はあるのだ、という証言が原作にはいくつも出てくるのだ。

 ところがこうしたゼロ戦に関するネガティブな表現の一切が、映画版では出てこない。

 それは映画版を製作する際に邪魔な要素だったのだろうか。

 しかし、私はそうは思わない。

 むしろ逆に、それらの要素をキチンと映画版でも入れ込むことで、ゼロ戦で戦うということの本来の意味が浮き彫りになって、物語が単なる「特攻をした軍人を悼む」というだけのセンチメンタリズムに陥ることなく描けるはずだったのである。

 職業軍人であった宮部久蔵が、そうでありながら何故特攻を志願することを忌避したのか。さらに、特攻を志願した際に大石賢一郎少尉に何故妻と娘の運命を託したのか。何故、出撃の寸前に途中で攻撃を諦めなかければならなくなる新型の五一型機から、特攻を果たせそうな旧型の二一型機に乗り換えたのか。

 こうしたことが、上記の部分を映像化の際に取り入れることで、ある程度の客観性を帯び、もうちょっとクールな話になった筈なのである。ところが、こうした部分を捨象してしまっために、映画は単なるセンチメンタリズムになってしまった。

 Redというデジタルカメラを使用した映像はVFXとの馴染みは良いはずだし、当然素晴らしいCGとVFXである。というか殆ど全編に亘って使用されているVFXは、まあ、日本ならではの箱庭的VFXであり、工夫の産物とでも言うべきものではある。これがジム・キャメロンなら実物大の空母「赤城」を作ってしまうところだが、そうはいかない日本の映画事情の中で、白組もいい仕事をしている。

 岡田准一を始めとする俳優陣もそれなりの存在感で芝居をしており、なかなか見せてはくれている。

 だとしたら、やはりここは『ジュブナイル』や『ALWAYS 三丁目の夕日』みたいなノスタルジーとセンチメンタリズムだけの映画にはしないで、ゼロ戦を使った戦いが日中戦争では作戦的にうまく行ったのが、それがうまく行ってしまったために何ら反省することもなく、太平洋戦争でも同じように突き進んでしまって、その為の悲劇が数多く見られたことを、キチンと描くべきではなかったのだろうか。

 つまり、ゼロ戦は初めから特攻機になるべくしてなった戦闘機だったということである。

 特攻隊の話を単なる悲劇ではなく、その作戦の無意味さをも描くことができたのではないだろうか。事実、神風特攻隊の大半は敵艦に辿りつくことも出来ずに、整備不良や元々の製造不良でもって途中から引き返さなければならなかったり、戦場まで辿りついても敵艦に撃ち落されてしまったという、ほとんど敵に損害を与えることのできなかった無意味な作戦だったという事実。しかし、同時にそんな作戦しか考えられなくなってしまったという、当時の軍当局の劣化ぶり、なども描けたのである。

 結局それらの部分を描けていない映画版『永遠の0』は「大人の映画」になることは出来ずに、「女子供向けのお涙頂戴のセンチメンタリズムに溢れた映画」にしかなれなかったのである。

 まあ、その結果、程度の低い日本人の映画ファンというか岡田准一ファンには受けて、おかげで劇場は連日満員になってはいるんだけれどもね。

映画『永遠の0』公式サイトはコチラ

 映画を見たら、是非、原作も読んでみよう。映画で分からなかったことが、沢山出てくる。

 

2014年1月13日 (月)

東京周縁を往く:川越街道編

 国道254号、いわゆる川越街道だが、現在は春日通りの本郷三丁目を起点として、JR大塚駅の手前の大塚五丁目交差点で斜め左に曲がるあたりからが川越街道と呼ばれているのではないだろうか。

2014_01_07_00072 旧川越街道はどうだったかと言えば、日本橋を出てからは本郷通りを通って本郷追分で左に曲がって中山道をそのまま行って、ここ、旧中山道の平尾追分、今の仲宿商店街の入口でそのまま進めば旧中山道(仲宿商店街)、左に行けば旧川越街道という風に分かれていたのである。

 つまり、旧川越街道の起点は板橋平尾追分だったということ。

2014_01_07_00122 で、その平尾追分を左に行くと、ここYOUZA OYAMA商店街に入る。

 で、このYOUZA OYAMA商店街から……

2014_01_07_00172 東武東上線大山駅、そして大山銀座商店街と延々と続く商店街も旧川越街道なのである。

 その大山銀座商店街を出ると現在の国道254号に出る。

 その後、国道254号と旧川越街道は行きつ戻りつしながら殆ど並行したり、一緒になったりしながら走っている。

2014_01_07_00202 それがちょっと変わるのが、成増のちょっと先。

 国道254号と埼玉県道109号線の分岐点が成増の先の坂の下にあるが、この県道109号線が比較的旧川越街道をトレースして進んでいるのだ。

2014_01_07_00452 がしかし、本当の旧川越街道はちょっとだけ違うルートを辿る。

 国道254号は車での交通を基本にしているので、急な崖みたいなところは通れない。そこで切り通しのような感じで、坂を緩やかにしている。

 しかし、旧街道はそんなことは考えていないので、国道254号の切り通しの脇に普通に進んで、そして途中から急坂になるまんまだ。

 ということで、国道254号の脇にはこんな急坂の旧川越街道がまだ鎮座している。称して新田坂。

2014_01_07_00302 新田坂の急坂を下りてくると、途中に八坂神社がある。

 この八坂神社の右が旧川越街道、左が国道254号というわけである。

2014_01_07_00322

 新田坂を下りきると、白子川があってここを渡る白子橋を超えると埼玉県になる。ただし、実際にはそのちょっと前から埼玉県和光市白子になっている。

 実際は、県道109号線の東埼橋というやはり白子川を渡る橋が県境である。しかし、東京都と埼玉県の間の橋だから「東埼橋」って、なんか安易すぎない?

2014_01_07_00352

 白子橋を渡って進路を左にとり県道109号線との交差点にでるとそこにあるのが「白子宿通り」という標識と白子郵便局。この辺が川越街道白子宿であったそうだ。

 旧川越街道というのは、江戸日本橋から川越城下まで約43km位の短い街道だった。途中、板橋、上板橋、下練馬、白子、膝折、大和田、大井と七宿あるが、距離が短いので宿泊する者はほとんどいなく、休息場所だったそうだ。

 なので、この白子宿も特に昔を思い起こさせるものはなく、ごく普通の住宅街が続いているだけ。

 ということで、興味もないので、ここでおしまい。

 成増町発吉祥寺行きの西武バスで帰ってきた。

Fujiilm X10 @Itabashi & Nerimasu, Itabashi, Nerima & Wako (c)tsunoken

2014年1月12日 (日)

オリンパスOM10カメラテスト

 1月2日のブログでも書いたけれど、私の持っているカメラの全部が私が買ったカメラではない。義祖父からの形見分けだったり、義父からの形見分けだったりというのもあって、このOLYMPUS OM10も義父からの形見分けなのであった。8年前に亡くなった義父、3年前に亡くなった義母、でその遺品を整理してみたら出てきたカメラたちなのである。

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 その内、ローライコードとツアィス・イコンはテストしたり、修理したりして使えることは確認できていたのだが、このオリンパスOM10だけは何故かまったく手をつけていなかった。

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 多分それはこのカメラが電池を使って露出を測るカメラなので、その電池がダメになって使えなくなってしまっていると考えたからなのであった。

 で、恐る恐る電池室を開けてみれば、別に電池が液モレを起こしているようではない。

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 なので早速LR44電池を買ってきて入れてみれば……、なんと1979年製のこのカメラが「完動品」だったのだった。これには「感動」したって駄洒落を言っている場合ではない。早速、カメラテストをやってみようという気になったのが1月2日のことであった。

 取り敢えず近所を歩いてテスト撮影開始。

 
Img0692

 オリンパスOM10はオリンパスOM一桁シリーズと異なって、入門機なので基本的には絞り優先のAEカメラということ。カメラの軍艦部にはダイヤルがついているが、これはフィルムのISO感度をカメラに入力するためのもの。

 で、ISOを合わせて、あとは絞りをその日の状況に合わせて設定すれば、あとは何も考えなくても撮影できる、という方法。

 ただし、露出補正はできないので、そのためにはISO設定ダイヤルを動かしてカメラを「騙す」必要がある。まあ、順光で撮影している限りはそんなに露出補正は必要ないんだけれどもね。この辺がNIKON New FM2でマニュアル撮影に慣れている私には却って面倒くさいな、という位である。

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 でもまあこの35年前のカメラでも普通に撮影ができるってところが、フィルムカメラの偉いところ。

Img0682

 ちょっとこのカメラ用の広角レンズを手に入れて、オリンパスOM10で少しカメラ遊びを楽しもうかな。

OLYMPUS OM10 OM-System Zuiko Auto-S 50mm/F1.8 @Igusa, Suginami (c)tsunoken

2014年1月11日 (土)

グロースハッカーとは何か?

「グロースハッカー」とは「(商品を)成長させるハッカー」ということなんだろうけれども、私には同時に「増長するハッカー」と読めないこともない。

Photo『グロースハッカー ――会社もサービスも劇的に成長させるものの売り方、つくり方(Growth Hacker Marketing : A Primer on the Future of PR, Marketing, and Advertising)』(ライアン・ホリデイ著・佐藤由紀子訳・加藤恭輔解説/日経BP/2013年12月16日刊)

 たとえば「泊まりたいところ、きっと見つかる 現地の人から借りる家・アパート・部屋・バケーションレンタル」というエアビーアンドビー(Airbnb.com)の立ち上げの頃、『貸し出す部屋をエアビーアンドビーに投稿するユーザーが、同時にクレイグスリスト(Craigslist)にも投稿できるツールを構築したのだ(クレイグスリストは技術的にはこれを認めていなかったので、かなり高度なワザだ)。その結果、ちっぽけなウェブサイトのエアビーアンドビーのリスティングが、いきなり世界有数の人気サイトに無償で表示されることになった』という話なんかは、完全に「増長するハッカー」そのものだ。

 なあんて、あだしごとはさておき、グロースハッカーってなんだ。

『グロースハッカーは、伝統的なマーケティング戦略を放棄し、検証・追跡・測定・が可能なものだけを用いる。彼らの武器は、CMや宣伝や資金ではなく、電子メール、PPC(ペイパークリップ)、ブログ、プラットフォームAPI(アプリケーション・プログラミング・インターフェイス)だ。古い世代のマーケターが‟ブランディング”や‟マインドシェア”などの漠然としたものを追い回している間、グロースハッカーはひたすらユーザーと成長を追跡する。そして、戦略が当たれば、ユーザーがユーザーを引き込む連鎖反応が生まれる。グロースハッカーとは、自立し、自己増殖する成長マシンの発明者であり、オペレーターであり、整備士だ。この成長マシンが新興企業を成功に導くのだ』

 というのがライアン・ホリデイのグロースハッカーの定義。

 つまり、ここで言う「新興企業(スタートアップ)」の大半は、ドロップボックス(dropbox)、メールボックス(mailbox)、ツイッター(twitter)、フェイスブック(facebook)、エヴァーレイン(everlane)、インスタグラム(instagram)、ミント(mint)、アップスモウ(appsumo)、スタンブルアポン(stambleupon)などのIT系企業であり、マーケティング資金の乏しいこれらの企業のスタート時点でどうやって企業自身や製品のPR、マーケティング、宣伝をやっていたのかというのが本書のテーマ。

『製品開発とマーケティングを完全に別のプロセスとして行う方法はもう古い』

 ということ。ではどうやって「製品開発とマーケティングを同じプロセス」として行うのだろうか。

『グロースハッカーのルーツはエンジニアだ。データサイエンティストでデザインフリークでマーケター。彼らは情報を取り込み、処理して利用可能な形にする。そして、そうした情報が、直感と芸術志向が支配してきたマーケティングの世界で、切実に求められてきた明晰さだとみるのだ』

『グロースハックとは、ツールキットというよりも、マインドセット(考え方)だ』

『グロースハックのマインドセットは、製品発表の数週間前に始まるのではなく、製品の開発・設計フェーズから始まる』

『あらゆる場所で話題になりたい、動画を数百万回再生してもらいたい、ツイッターの「トレンド」になりたい――こういう感覚はよくわかる。こういうマーケターは、あらゆるところに行こうとして、結局どこにもたどり着けない。
 なぜなら、‟あらゆる人”のほとんどは自分の製品のユーザーにはならないからだ。
 グロースハッカーはこの誘惑(というか、もっと適切に言うと、妄想)を退け、アーリーアダプターだけを魅了するよう慎重に動く。<中略>その結果、余計な‟バズ”なしで今やユーザー数百万人規模になっている。彼らは、少なくともスタート段階では、マスマーケットに訴求したいという衝動を無視することで、結果的にマスマーケットにリーチしたのだ』

 なるほど、旧式のマーケティング(本書では「ハリウッド映画式マーケティング」と呼んでいる)では初めからマスマーケットを意識してPRしマーケティングをし、宣伝を行う。しかしこれは莫大な資金がいる。

 じゃあ資金に乏しいスタートアップ企業はどうすればよいかといえば、最初はマスは相手にしない。製品の開発と共に、開発情報を出してそれに目を付けたアーリーアダプターにまずアプローチ。アーリーアダプターを取り込んだら、彼らのアドバイスも聞きながら製品開発を行い、β版ができたあたりでアーリーアダプターに使ってもらって、その使い心地を楽しんでもらう。

 そうなれば自分も開発に参加したアーリーアダプターは、自らのブログやツイッター、フェイスブックなどのSNSを使って「クチコミ」で拡散するだろう。こうなれば、その拡散スピードは複利方式でどんどん加速していって、短期間で数百万人のユーザーを獲得できるのだ。

 こうなってしまえば、最早製品のブランディングにお金をかける必要はない。SNSを通じて無料でブランディングができてしまうのだ。

 当然、そうやって掴んだ顧客を定着させるには製品の改善も常にしていなければならない。

『企業はサービスそのものの改善に投資する必要があるのだ。ユーザーがそのサービスから離れられなくなる(そして友達を誘う)まで改善しよう』

 で、その仕事もグロースハッカーの仕事なのである。

『グロースハックのスタートは、かつてのマーケターには関係ないと思われていた領域(製品開発)だった。だから、ゴールもマーケターのこれまでの仕事と無関係なのは当たり前だろう』

 まさに「小さい会社」でのエンジニアの仕事をやりながら、同時にマーケターの仕事もやるのがグロースハッカー。

 というか、それは小出版社の編集者の仕事にもよく似ている。

 本(製品)を企画し、作家とともに(読者のことを考えながら)作業を進め、プルーフ(試読版)ができたらそれを書店員に配り(本の場合、書店員がアーリーアダプターであることが多い)、彼らのクチコミに期待し、本が刊行したら作家と一緒に本の宣伝に書店を回る。

 うん、まさに小出版社の編集者というのは、少し違うかもしれないが、アナログなグロースハッカーの一種でもあるのだな。

 と、自分の経験に近いところに無理やり結論を持ってきて、終わり。

『グロースハッカー ――会社もサービスも劇的に成長させるものの売り方、つくり方(Growth Hacker Marketing : A Primer on the Future of PR, Marketing, and Advertising)』(ライアン・ホリデイ著・佐藤由紀子訳・加藤恭輔解説/日経BP/2013年12月16日刊)Kindle版もあり。少しだけ安い。

2014年1月10日 (金)

『40歳からの会社に頼らない働き方』の新しいこと、古いこと

 結局、私は定年まで一つの会社に勤めてしまったわけだけれども、でもこの本に書かれている「今の会社に頼らない働き方(生き方)」というのはよくわかる。

2014_01_08_00502『40歳からの会社に頼らない働き方』(柳川範之著/ちくま新書/2013年12月10日刊)

 とにかく『たとえば就職して半年ぐらいの学生にOB会などで会うと、「わが社では……」と自分が会社を背負っているような口ぶりになっています』というのが、私には信じられない。だって、「わが社」は自分が勤めているだけの会社であって、自分の会社じゃないでしょ。というのが私の考え方なので、昔「講談社は」って自分の会社のことを話したら、先輩社員から「お前なあ、そういうときはわが社はっていうんだよ」と言われて、「だって講談社は野間さんの会社でしょ」なんて反駁した、可愛くない私がいたりしたのである。しかし、私は今でもその先輩社員は間違っていると思っている。

 この辺が日本のサラリーマンのおかしなところであり、本来は「自分の会社」ではなく「自分が雇われているだけの会社」でしかないのに、何故か「わが社は」って言ってしまうところが、そのまず第一なのだ。

 まあ、しかし、こうして日本企業は従業員の団結心を生み、強くなってき、戦後の高度成長を成し遂げてきたのだということはよく理解できる。ところが、その団結心を抱いてきた精神が、実は最早、日本企業を弱体化させる原因にもなってきていることに気づかないわけにはいかないのだ。

 そんな「わが社は」サラリーマンに、これからは「複線型の働き方をしなければ、これからの変貌していく社会を生き抜くことはできないかも」と本書は語りかけるのだ。

 じゃあ、どんな風にこれからのサラリーマン社会が変わっていくのかといえば、まず『今後、コンピュータの高性能化により人出がいらなくなる事態があちこちの産業で起こってくるでしょう』ということ。

『人間よりコンピュータのほうがずっと能力を発揮できるのが「決められたルールの中で望ましいものを探していく。あるいは有限の組み合わせの中から一番望ましいものを選び出す」というタイプの仕事です。ある程度やることが決まっているところで、それをいかに効率的にやるかという話になってくると、コンピュータのほうに圧倒的に軍配があがります。
 しかし、まったく未知の組み合わせを選び出してくるという作業は、コンピュータにはできません。限られた組み合わせから選ぶのならいいのですが、何でもいいから面白い組み合わせを作ってみる、ということはできないのです。ですから、労働力としてコンピュータに対抗するには、正解がない問題を解く能力をみにつける必要があります。これが「先進国型の能力」といえるもので、これから求められるものといえます』

 つまり、これまで日本は日本以外の先進国にある「解」を真似していけばよかったのが、いまや日本が「経済的」にも「人口動態的」にも世界で一番前を進んでいる状況になってしまった。だとしたら、これからの日本の進む道には先導者はいないし、日本自らがその「解」を作っていかなければならない、ということなのだ。

 つまり

『産業構造が変わって、大きな変化が二つありました。一つは海外展開の拡大で、これにより、海外においてではありますが、企業は中途採用で人を大量に雇うことになりました。もう一つ、国内ではM&Aの興盛で、事業を売ったり買ったりということを随分やって、産業構造の変換を切り抜けてきました。M&Aがあるとかなり異質な人を雇うことになりますから、ここでも、かなりの人数を中途採用で雇ったのと似たような影響が社内に生じました』

 という状況の中でのサラリーマンは、いつリストラされてもいいように、あるいは自ら今の会社を辞めて別の会社に行くとか起業するとかの準備をしながら働くというような「複線型の働き方」をしなければならないということ。

 それを助けるのがインターネット・テクノロジーでもあるのだ。

『「インターネット」「クラウドファンディング」「3Dプリンター」といったものが登場したことで、「ちょっと片手間に会社を興してみました」ということがある程度できるようになってます。そのような会社がリアリティをもって立ち上がってきて、その中から伸びる会社が出てくるはずです』

 という時代なのだ。

 だとしたら、今、サラリーンで「社畜」をやっている人も、今いる会社から強制的に放たれる前に、その時のための準備をしておこう。ということで「第六章 複線的な働き方実践編――バーチャルカンパニーを作ろう」ということなのだ。

 で、何をすればいいのか、といえば『仲間作りをする/仲のいい人に声をかける/社外に声をかける/名刺とSNSを活用する/能力を開発する/自分たちに足りないものを知る/グループの目標を作る/事業計画を作る』ということ。ただし、これは今雇用されている会社にいる間のことなので、会社のルールには従わなければならない。だから「バーチャル」カンパニーなのだ。別に、今から副業をしろということではない。いわば「会社ごっこ」。

 でも、そうした「会社ごっこ」をしている間に、本当に会社ができるような気持ちになれば、そこでその仲間と一緒に起業するもよし、その仲間ごとどこかの会社に転職するもよし、ということなのだ。

『これからは中小企業の時代ではないでしょうか』『ある程度の規模の製造設備が必要な産業については、大規模の人数がいて、大きな資本を必要とする会社が残るでしょうが、それが必要なのは一部の産業における一部の企業のみでしょう。他の分野は、中小企業、あるいは中小企業の連合体でいいということになってくるでしょう』

 という時代なのだ。その『ある程度の規模の製造設備が必要な産業』であっても、その作業の大半はロボットが人間に代わって仕事を行なうわけだ。

 そんな時代は、実は逆に明るい未来になっていくだろう。

 なぜなら……

『一つは、人生、二度、三度いろんなことができる時代になってきているということです』

『二つ目は、この「やりたいこと」についてです。<中略>金銭的価値以外のものを実現できる仕掛けというのもずいぶん整ってきているので、広い意味で「自分のやりたいこと」ができる時代になってきているのです』

 うーん、いい時代だなあ。ただし、そのためには『変わっていくことで、安心とチャンスが得られる時代』であるという認識がなければいけないけれどもね。

 取り敢えず、サラリーマン時代の私のように、会社の名刺とは別に、自分用の名刺を作るところから始めましょうか。

『40歳からの会社に頼らない働き方』(柳川範之著/ちくま新書/2013年12月10日刊)

2014年1月 9日 (木)

ソニーはもはやオワコンなのか? そうなのか。

 SonyがCES 2014 (Consumer Electronics Show 2014) に向けて新商品の発表をおこなったんだが、これがガッカリなものだったのである。

20140108_80729

 1月7日から10日にラスベガスで開催されるCES 2014に向けて、開催前日に各家電メーカーが今年の新商品ということでお披露目の記者発表を行うのだが、そのニュースを見てびっくり! 『Sony Mobile、ライフログツール「Core」を発表! リストバンド型スマートウェアやLifelogアプリケーションを今春に提供へ』って言うんだが、何? いまさらリストバンド型スマートウェアだって? Lifelogアプリケーションだって?

 そんなもの……

20140108_80920 Nike Fuelbandとか

20140108810442 Jowboneだとか

20140108_81147 私が現在使っているFitbit Flex や Fitbit Force なんて先行例がいくつもあるのだ。

 既にユーザーは世界中に沢山いるわけなのである。ウェアラブル・ライフログ・ツール&アプリケーションなんてもはやブルーオーシャンではない。既にレッドオーシャンになってしまっている。

 なんでいまさらソニーがそんなものを、如何にも先進的な商品ですってな顔をして発表しなければならないのだ。ドヤ顔をして Core を発表するソニーモバイルの鈴木社長の姿をテレビで見て、私はなんか複雑な思いがするのであった。

 まあ、いまさらソニーにウォークマンを発表した時ほどのときめきは感じないのだが、せめてVAIO位に我々を感心させる洗練されたものを発表して欲しかったのだ。それが、もうすでにいくつもの先行例がある商品を、これまた堂々と自分たちが企画・開発して作りましたなんて顔をされてもねえ。

 ソニーにしてみれば、NikeやJowbone、Fitbitなんて後発の健康機器メーカーだという意識があって、そんなもの大ソニーが同じ分野に進出すれば蹴散らせると考えたのかも知れないが、いまやソニーやパナソニック、フィリップスなど全企業規模で争っていた20世紀ではない。魅力的な新製品を生み出せない企業は、どんな大企業であれ市場からの撤退を余儀なくされる21世紀なのである。

 実は、上記同様ソニーに対してガッカリさせられる報道が1月2日にあったのだ。

『ソニーは国内5工場で早期退職者を募り、人員を削減することを決めた。赤字脱却をめざす電機事業の収益改善策の一つだ。2012年度も国内外で約1万人の削減策を打ち出したが、販売不振で収益が思うように改善しておらず、追加リストラに踏み切る。
 早期退職の募集期間は1月6日から3月末まで。40歳以上、勤続10年以上の社員が対象で、中堅社員や管理職にあたる。「電機事業には今の人員規模を支えられるだけの需要がないため、適切な事業規模にする必要がある」(ソニー幹部)としている』

 という朝日新聞の記事(途中省略)。

 問題は三つある。

 一つは「早期退職の募集」という点。つまり希望退職を募ると仕事ができる人から辞めていくということ。ソニーを辞めても仕事ができるという人たちが、退職金を割り増ししてもらい、沈みそうな船から逃げるわけだ。で、仕事もできないし、やる気もないし、会社の外にでたら使い物にならない人たちが残る。

 もう一つは、3ヶ月間に亘って何人辞めたら早期退職の募集を止めるということも示さずに、募集し続けるということだ。その間、従業員のモラル、モチベーションは下がり続けるだろうことは確実であり、その後、残った従業員が前と同じパフォーマンスを示すことはなくなるだろう。

 最後は、2012年度に一度リストラをしたにも関わらず、更に今回追加リストラをするということである。前回のリストラで本来は適正規模の人員配置になっていなければならないものを、実はそうなっていませんでした、っていうのは完全に経営幹部の読み違いでしかないだろう。

 ということは、新しい発想の商品も出てこないし、経営者は将来が見えていないソニーは、最早市場から撤退してください、ってことだ。

 最早、我々をわくわくさせたソニーの姿は見えない。

 もう終わりだな。

2014年1月 8日 (水)

The new mailmagazine from Mr. Chris Guillebeau

 クリス・ギレボー氏から新しいメルマガが来た。

題して"Uncoventional Guide to Freelance Writing"(型にはまらないフリーランスで文章を書く方法ガイド)。

 ただし、これはアメリカでの方法なので読んでもすぐにその気にならないようにね。

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クリス・ギレボー氏のサイトはコチラ

ユーミンの罪

「負け犬」の酒井順子さんは1966年生まれなので、1954年生まれの荒井由実が『あの日にかえりたい』をヒットさせた1975年時点ではまだ9歳。その頃からユーミンの歌を聞いていたのだろうか?

 まあ、小学生3年生なら充分そんな歌を聞いていてもおかしくない年齢でもあるなあ。

Photo_2『ユーミンの罪』(酒井順子著/講談社現代新書/2013年11月20日刊)

 荒井由実の歌では1976年に『中央フリーウェイ』という歌があって、その歌詞に「中央フリーウェイ、調布基地を追い越して」という部分があり、もはや1976年段階では米軍から返還されて調布飛行場という一般に開放された飛行場になっていたにも関わらず「調布基地」という呼び方をした荒井由実に対し、どこかに戦後の響きを感じていたということを、以前のブログにも書いた。更にバンバンに提供した『「いちご白書」をもう一度』という曲もあって、どこか荒井由実も私よりも3歳年下なんだけれども、どこか戦後派、どこか学生運動経験者に近い感性を持っているんだな、ということを感じていた。

 本書で取り上げられている荒井(松任谷)由実のアルバムは20枚。デビューアルバム『ひこうき雲』(1973年)から始まって、『MISSLIM』(1974年)、『COBALT HOUR』(1975年)、『14番目の月』(1976年)、『流線形'80』(1978年)、『OLIVE』(1979年)、『悲しいほどお天気』(1979年)、『SURF & SNOW』(1980年)、『昨晩お会いしましょう』(1981年)、『PEARL PIERCE』(1982年)、『REINCARNATION』(1983年)、『VOYAGER』(1983年)、『NO SIDE』(1984年)、『DA・DI・DA』(1985年)、『ALARM a la mode』(1986年)、『ダイアモンドダストが消えぬまに』(1987年)、『Delight Slight Light KISS』(1988年)、『LOVE WARS』(1989年)、『天国のドア』(1990年)、『DAWN PURPLE』(1991年)という具合。

 1976年の『14番目の月』と、1978年の『流線形'80』の間の1977年のアルバムがないが、それは荒井由実が松任谷由実になった年(1976年)の次の年だから。ユーミンとしては結婚を期に芸能界からフェイドアウトしてしまおうと考えていたそうだ。しかし、翌年春『紅雀』で「1年5ヶ月の沈黙を破り第5弾ついに登場!! ユーミンの新しい世界がここに!!」と「松任谷由実」として再デビュー。しかし、酒井さんの本ではこのアルバムについてはたった見開き2ページで触れられているだけ。それほど地味なアルバムだったのだろうけれども、そこは荒井由実から松任谷由実になった最初のアルバムとして、やはり一章割くべきアルバムなのではなかったのか? しかし、当時12歳の酒井さんにとっては、あまり聞くべき対象のアルバムではなかったのだろうか。まあ、確かに12歳の女の子にとっては「結婚」という言葉はまだまだ実感を伴わない言葉だろうし、結婚後最初のアルバムと言っても、それほど興味を持たなかったのかも知れない。

 でも、本書を読んでみると、別に酒井さん、リアルタイムでそれらのアルバムを聞いていたようでもないし、当然リアルタイムで聴いていたアルバムもあるだろうけれども、むしろ視点は2012年から2013年の40代後半に差し掛かった時点での酒井さんの感想なのである。

 だとすると、この本自体が「負け犬」決定してからの酒井さんのユーミンに対する視線なんだということが分かる。

 つまり、「あとがき」に書く

『ユーミンが我々にしてくれたことは、すなわち「肯定」です。「落語とは人間の業の肯定である」と、故・立川談志さんはおっしゃいましたが、置き換えるならば「ユーミンの歌とは女の業の肯定である」と言うことができましょう。もっとモテたい、もっとお洒落したい、もっと幸せになりたい……という「もっともっと」の渇望も、そして嫉妬や怨恨、復讐に嘘といった黒い感情をも、ユーミンは肯定してくれました。それも、「感情の黒さだって、時にはシックよね」と思えるように加工してくれたので、私達は女の業を解放することに罪悪感を持たずにすんだのです』

『晩婚化、少子化、社会進出に性的解放と、ユーミンの歌は、女性をとりまく様々な変化とわかちがたく絡み合っています。日本が経済成長し、ライフスタイルが欧米化するとともに女性達が生き方を変えていく、その伴奏曲となったのがユーミンの歌だったのです』

 という通り、まさしく酒井さんをして「負け犬になっても、それでもいいんだ」という気にさせてしまったのがユーミンの歌だったとしたら、それはそれで罪は大きい。

 勿論、人の生き方はそれぞれ自由であるというのが、現代の考え方であるから、別に酒井さんが「負け犬」という呼称を使う必要はまったくないんだけれども、そこはマーケティング手法でもって「負け犬」という言葉を発明した酒井さんである、だとしたらそんな自分に対するフォローもして欲しかったのである。

 それが

『ユーミンは、私が初めて会った「大人になってもおばさんにならない女性」でした。何歳になっても恰好いいユーミンという女性が実在するということは、もしかすると自分もそうなることができるかも、という可能性を、ユーミンは示してしまったのです』

 という風に、自分の今の自分の人生を人に押し付けている酒井さんなんだけれども、しかし、それが大きな間違いだったのかも知れない。

 だって「大人になってもおばさんにならない女性」なんていっぱいいるじゃないか。国連高等弁務官の緒方貞子さんなんてその典型だし、津田塾大学を作った津田梅子さんみたいな明治の女性もいる。『八重の桜』の新島八重や、鹿鳴館の大山捨松だってそうだよね。

 その辺に、立教女学院出という酒井さんの限界というか、ユーミンも同じ学校を出ているので、まあ、自分の学校の先輩という見方もあるのだろうけれども、だからといってそんな狭い目で見ることもないんじゃないかと思うのだ。

 まあ、結婚だけが女の幸せだとは思わないけれども、しかし、ユーミンは幸せな結婚をしちゃってるんですぜ。

 そんな人が「女の業を肯定してます」ったって、それは単なるマーケティングの結果でしかないわけで、ユーミンなりの「時代を読み取る眼」という名前のマーケティング。

 そんなマーケティング手法に乗せられた、博報堂出身の酒井順子さんの存在を見せられてしまうと、ちょっと残念。

『ユーミンの罪』(酒井順子著/講談社現代新書/2013年11月20日刊)

2014年1月 7日 (火)

Fitbit weekly progress report from Dec.30 to Jan.5

 Fitbitから先週のStatsが来た。

 別に一言も A Happy New Year なんてこともないところが、いかにもアメリカの会社ってところだね。

 一週間トータルで90,446歩、63.31km歩いている。

「新宿……暮景」を撮影して新宿周辺を2周ほどした12月30日が最も活動的だった日で、15,364歩、10.75km歩いた。

 家の周辺だけを歩いた1月5日が最も非活動的だった日で、10,689歩、7.48km。ま、それでも1万歩は歩いている。

20140107_85741

 

『BOSS』楽天の三木谷浩史氏は日本を切れるのだろうか?

 若手経営者のための雑誌『月刊BOSS』2014年2月号のカバーストーリーは『三木谷浩史の「日本改造論」』である。

「日本改造論」というと古くは北一輝の『日本改造法案大綱』とか、田中角栄の『日本列島改造論』、小沢一郎の『日本改造計画』なんかを思い浮かべるが、それらに共通するのが「既得権益の廃止」でなのである。

2014_01_05_00012『月刊BOSS』2014年2月号(経営塾/2013年12月24日発行)

 勿論、小沢の『日本改造計画』や三木谷の『日本改造論』では「規制緩和」というのが一番の眼目にはなってはいるが、それも結局は既成勢力の力の源泉が規制強化なのだから、「規制緩和」と「既得利益の廃止」というのは同じ意味。

 北一輝の『日本改造法案大綱』の基本は「言論の自由」「基本的人権尊重」「華族制廃止」「農地改革」「普通選挙」「私有財産制への一定の制限(累進課税の強化)」「財閥解体」「皇室財産削減」といったもの。現在でも納得できる改善策が盛り込まれていて、二・二六事件にコミットした若手将校たちの心情にも理解ができる。この若手将校たちの多くは東北地方出身者が多くて、かの地の貧乏な家の少女が身売りされている現実を見て、そのような行動をとったということも追記する必要もある。

 田中角栄の『日本列島改造論』も「工業再配置と交通・情報通信の全国的ネットワークの形成をテコにして、人とカネとものの流れを巨大都市から地方に逆流させる‟地方分散”を推進すること」を主旨として1972年に総裁選で勝利し内閣総理大臣になった訳である。まあ、これも一種の革命ではあったわけである。つまりそれまでの東大出の官僚か、代々自由党か民主党の党人派であった人間がしか総理大臣になれなかった自民党の歴史を、一介の高等小学校卒のなんの後ろ盾もない人間が総理大臣になってしまったわけである。やはりバックには貧しい新潟県をなんとかしたいという願いがあったに違いない。

 ただし、総理大臣になった田中角栄がやったことといえば、「交通・情報通信の全国的ネットワークの形成」のおかげで「地方・中央」の交通ネットワークが形成されたことで、却って人口や産業の中央集中が進んでしまい、田名角栄の思惑とは逆の方向に日本が進んでしまったということ。首都圏や大阪圏、名古屋圏などの大都市に人口が集中し、その一方で地方都市ではシャッター街化が進んで行ったことは田中角栄の思惑にはなかった人間の心理のなせる業ではある。

 小沢一郎の『日本改造計画』は「新自由主義的な経済改革」「自由貿易の推進」「軍事も含めた積極的な国際貢献」「政権交代のある二大政党制を可能とする政治改革」などが眼目で、基本的には21世紀へ向けての主要な政治課題を先取りしたものだ。

 しかし、この「軍事も含めた積極的な国際貢献」という点が、アメリカ追随ではなくて国連主義を謳ってしまったために、その政策はアメリカの同意を得られなくってしまい、結局アメリカに指導された日本の官僚によって政治生命を失うことになってしまったのである。

 で三木谷氏の『日本改造論』はどんなものかといえば、とりあえず医薬品の「体面原則・書面交付原則の撤廃」という、まあ前三者からすればあまりにも小さい「改造論」なのであった。

 しかし、大きな問題は

『国が成長するためにはイノベーションが不可欠だということ』

 そのためには

『ネット規制を筆頭に、成長を阻害する様々な規制を撤廃すべきであり、日本企業が国際的に競争できるように、法人税率を他国並みに引き下げることだ。さらにはグローバルで活躍できる人材を育成するために教育改革が必要であり、中でも英語教育に力を入れろ、といったものだ。いずれもかなり昔から言われていることであり、特に目新しい内容ではない。総論で反対する経営者はほとんどいないはずだ。
 にもかかわらず、日本社会はこれまで変わってこれなかった。そしてこのままでは、いつまでたっても変われないのではないか。その恐怖心が三木谷氏を動かしている』

 というのが、三木谷氏の「日本改造論」の根幹であるそうな。

 しかし、それが三木谷氏の根本なんだろうか。

 楽天という会社はとりあえず日本で起業した会社だ。そんな意味ではとりあえずは日本という社会の中で生きていかなければならない。しかし、三木谷氏の心の中では必ずしも「楽天は日本の会社である」という必要性はないのではないだろうか。

『三木谷氏は13年7月に行われた楽天市場の店舗向けのイベント「楽天EXPO」東京会場での講演で、
「楽天の全流通総額のうち、将来的には30%は海外向けの販売にしたい」と語っていた。これは単にグローバル化を語っているのではなく、国内の楽天市場の出店者に対して「君たちも海外に出ろ」と促したコメントでもある』

 であるならば、楽天自体も別に日本で営業を行い続ける必要はないわけで、いつでも本社を日本以外の場所に置くことも考えているのであろう。

 多分、そのきっかけは、上記の医薬品のうち全医薬品の流通量の0.2%ではあるけれども、劇薬や発売から3年以内の新薬の28%と処方箋薬についてはインターネット販売を禁止した改定薬事法を成立させた政府に対して、それは憲法違反にあたるとして国を提訴した裁判の結審する時だろう。もしそれが憲法に反していないということになれば、もう楽天は日本に本社を置く必要はない、日本には出先会社だけおいて、本社はもっと法人税の低いどこか別の国に行ってしまえばいいのだ。それでも今までと同じように楽天市場は運営できるのだ。

 で、問題はこれまでどちらかというと堀江貴文氏なんかと違って、うまいことお年寄りの経営者(つまり既成勢力の既成権益獲得者)なんかともうまく付き合ってきた三木谷氏が、本当に日本を捨てることができるのか、ということなのだ。

 問題はそこだよなあ。

 自分では日本を捨てること充分であると思っていても、これまで付き合っていた人種が完璧に日本人だったらからなあ、なかなかその関係は切れないもの。

「お前は裏切り者だ」

 と多くの日本人経営者から言われてもなお、日本を捨てられるかというところが、三木谷氏が経営の革命者と呼ばれるのかどうかというところだよな。

 ただし、本当の社会革命家は祖国に居残って、着実に国を変えていくんだけれどもね。その辺が革命家に「社会」がついているかどうかの違いかな。

『月刊BOSS』2014年2月号(経営塾/2013年12月24日発行)

2014年1月 6日 (月)

既に『やさしさをまとった殲滅の時代』の次の時代が始まっているのだ

 って言うか、そろそろマトモなブログを書かなきゃなあ、もう6日だぜ、普通の会社は御用始めだよ、ということで今年最初の書評(じゃない書評)はこの本だ。

 実は昨年大晦日に書いていたんだけどね。

Photo『やさしさをまとった殲滅の時代』(堀井憲一郎著/講談社現代新書/2013年10月20日刊)

『講談社現代新書のメールマガジン(「現代新書カフェ」)に連載していたものをもとに新書にした。
 連載時のタイトルは「失われたモノたちの00年代」だった。
 新書にする際に「やさしさをまとった殲滅の時代」となった。
「やさしさをまとった殲滅」とは、いま、若者がなんとなく抱いている願望を言い表した言葉である。実際に殲滅活動をしているわけではない。インターネットを介して、そういう気分になっていることが多いように感じた』

 ということである。

『いろんな便利なものが出てきたのが00年代である。
 いいね、おもしろいね、と気軽に対応しているうちに、そういうものばかりになっていた。ふと気がつくと、それまでの古いものはすべて片付けられていた。ちょ、ちょ、待てよ、と言ったところでもう遅かったのだ。
 しかたなく新しいもので生きているが、あまり身にフィットしてくれない。
 何か余計なものまで捨ててしまったんじゃないか、と考えるようになっていた。すでに2010年代を迎えていた。
 少し戻って、捨て去ったところから、ひとつ、ふたつ、大事なものを拾ってきたほうがいいんじゃないか、とおもうようになった。この10年をざっくりと振り返りつつ、僕はそうおもう』

 というのがその前の文脈。

 で、『2000年はどんな世界だったのか』と振りつつ、ドコモとJフォンの携帯二台持ち、『パーソナルコンピュータは買ってあったが、まだうまく使いこなせなかった』、『ディジタルカメラはまだ持っていなかった』、『ディズニシーには行ったことはなかった。できていなかった』し、『取材のときに音声を録音するのは、マイクロカセットテープレコーダーを使っていた』、『iPodはまだ発売されておらず』、『Suicaもまだ発売されておらず』、『パーソナルコンピュータを使いこなしていないのだから、エレクトリックメールはほとんど使っていない』、だいたそういう時代である。

『そういう世界があきらかに変わってきたのは、2005年からである』

『2003年には『涼宮ハルヒの憂鬱』が発売され、2004年からライトノベルの注目度が異様にあがっている』『2004年の夏にコミックマーケット入場者数が50万人を初めて超え』『2005年を境に、インターネットを通して世界がつながっている、とうのがみんなの前提になった』『2006年以降、すこし息苦しくなってきた』『世界のラーメン店は、インターネット上でほぼすべて網羅され、意味のわからないランキングによって並べられていた』『2007年が、ロストジェネレーションという若者世代への哀しいネーミングから始まったのも、あのころの空気を反映していたとおもう。「ブラック企業」という言葉が頻繁に使われだした。何かが失われた、としきりに喧伝された。何を失ったのかは、ついによくわからなかったけれど、とにかくいまの状況がいやなのだ、という気分だけはみんなに伝わった』『2008年に入り、秋葉原での無差別殺傷事件があり、9月にはリーマンブラザーズが破綻した』『2009年の夏には、どう考えても大人の対応が得意でなさそうな民主党を政党第一党に選び、より困難な社会状況を作ろうとしていた』『フェイスブックの日本語版が始まったのも2008年』『ツイッターの日本語版が始まったのも2008年であった』『2011年にラインが始まった。みんな、ラインがいい、と言い出した』

 といいう具合に、本書の内容をすべて「あとがき」でバラしまっている。

 う~む、そういう「あとがき」っていうのも、ありなのか。

 ポイントはインターネットであり、さらにそのためのガジェットとしてのスマートフォンなのだろう。

『インターネットに世界では匿名性が高い。
 一義的には自分が誰なのかを明らかにせず、いくつかの場所へ参加できる。
 仮想空間が作られ、現実世界ではまず言葉を交わす機会のない者たちが同じ空間で会話できる。
 善意を前提にしていれば、とても善き世界である。
 ただ、暴力は、破壊を意図せずとも、ただの一言で世界を変える力がある。
 悪意を持って、会話だけの世界を切り裂けば、ほとばしるように暴力をみんなが浴びるようになる。
 インターネット世界での言葉だけのやりとりが、暴力を潜行させる場所となった』

 インターネットは、人と人をつなげる武器であると考えられていたのだが、実はそのつながりは仮想空間だけでのつながりであり、現実世界では若者たちは孤立させられており、その孤立した個人はさらに分解されその電話型コンピュータ(スマートフォン)は、『各個人のデータが向こう側に蓄積され、何が好きか、何に興味を持ってっていて何に金を払う可能性があるのか』がビッグデータという名の、ビッグ・ブラザーに集積されて、「世界に一人だけのあなた」に向けて「recommend」という形で消費を強制してくる時代なのだ。

 勿論、人々は『消費を続け、きれいに孤立していくことになる』。

『いろんなものを放り出してきた10年であった。
 辞書を捨て、地図を捨て、自分の家に新聞を配達してもらうこともやめた。みんなインターネットで代用している。
 小さい本屋がなくなり、街のレコード店もなくなった。ぼんやりした八百屋や、のんびりした豆腐屋もなくなっていく。
 都市情報に金を払うのもやめ、ラーメンムックも買わなくなった。
 何かしらに後押しされてきたとはいえ、でも、僕たちが選んできた道である。
 洗練され、欲望が管理されだした。欲望の管理は頼んでなかったんだけど、と言っても、手遅れである。もう少し余裕が欲しい。留保と言ってもいい。でも、何かに興味を持つと、訓練された店員が音もなく近づいてきて「こちらの商品はですね」と説明してくれるようになった。無視してもまとわりついてくる。
 管理された欲望から逃げるには、壊すしかない』

 しかし、そんな「壊す方法」をだれが見いだすのだろう。

 どこかからエマニュエル・ゴールドスタインが現れてくるなんてことがあるんだろうか?

 それとも、今年ネットを炎上させてくれた「バイトテロ」写真の僕たちが、革命に先立つナロードニキだとでも言うのだろうか。

『やさしさをまとった殲滅の時代』(堀井憲一郎著/講談社現代新書/2013年10月20日刊)Kindle版も出ている。さすが講談社!

2014年1月 5日 (日)

正月……雑景

 大晦日に『新宿……暮景』を書いたので、今日は「正月……雑景」である。

「雑」というのは「種々のものの入りまじること(「広辞苑 第六版)」ということで、別に「いい加減に撮った」ということではないんだけれども、これらの写真は、まあ「雑」ですね。

Img0422

Img0462

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 上から二番目まではオリンパスOM10で撮った近所の写真。以下はニコンD7000で撮った写真である。

 三番目は一昨日、関西学院大学のアメフトチームのスタッフが、東海道新幹線の遅れでもってライスボウルに遅れた原因となった有楽町の火事現場である。六番目はあの王将の駒込支店です。

 という事件がらみの話はどうでもよい。

 一番下の写真の意味さえご理解してもらえればいいのである。

 ということで、明日からはまともなブログを再開しようと考えている……のですがねぇ……。

OLYMPUS OM10 Zuiko 50mm NIKON D7000 AF-S Nikkor 10-24mm @Yurakucho @Komagome (c)tsunoken

2014年1月 4日 (土)

「可愛い! 應援團長」最後の雄姿? ……は見られなかった。残念!

 昨日は箱根駅伝のフィニッシュを見るために大手町へ。

 と言っても中央大学の走りを見るためではない。だって往路で17位、トップとの差が15分14秒となってしまったら、来年もまた予選会からの参加になってしまうだろう。そんなの見に行ってもねえ。それより有楽町の火事の方が気になる。

 なので私のお目当ては「可愛い! 應援團長」。そう中央大学の應援團長、TOEIC930点の帰国子女で4月からはIT企業でビジネスパーソンになる本城亜利架さんなのだった。

Dsc_00032

 ところが中大應援團もやはりシード落ちが分かっているレースでは応援する意味もないということなのだろうか、大手町には「可愛い! 應援團長」の姿は見えなかった。

 結局、中央大学應援團はスタートの大手町と、往路ゴールの箱根までで今年の応援はおしまい、ということになったようだなあ。いいのか? それで! と言ってももう遅いか。

 そりゃそうだよなあ、大会前は浦田春生監督も「6位以内が目標」と言っていたのが、1区で14位とブレーキがかかってしまい、そのままズルズルと順位を下げ結局17位。復路でなんとか順位を上げたがそれも15位までがせいぜい。

 う~ん、なんともはや残念! しかし「可愛い! 應援團長」が見られなかったのが、もっと残念! という結果に終わってしまった。

Dsc_00222優勝の東洋大学は毎年山古志で合宿を行っている、というあながち私にも無関係でもない大学だ。

Dsc_01082

Dsc_01092

Dsc_01102中央大学と東京農業大学のデッドヒート……、に見えるけど、実は復路、箱根の繰り上げスタートの関係で、順位的には後ろを走っている東京農業大学の方が、前を走っている中央大学より1位上。中大が15位、東農大が14位なのだ。だからこれは単に選手が前を争っているだけで、別にデッドヒートではない。勿論、選手はそんなことはあまりよく知らないだろうから、前にいる他校の選手を抜こうとするだけだ。

 この辺が、箱根駅伝の難しいところ……というのは、去年5区で途中棄権したことで初めて知ったことではある。それまでは中大は普通に時間差スタートで、シード権とって当たり前だと思っていたからね。「繰り上げスタート」なんてものは関係なかったのであります。

 それが、今年はねえ……。と、なんか「……」の多い文章になってしまった。

 家に帰って来てみれば、テレビでは関西学院大学ファイターズもオービックシーガルズには歯が立たないようだし。まあ、オービックDL陣には関学もかなわないのかなあ。週末しか練習していないクラブチームと、毎日練習している大学生チームなんだけれどもなあ。

「オジサン・アメフト」(アメフトXリーグの大半はクラブチームで、練習は週末しかできない。勿論、オービックもクラブチーム)の方が学生アメフトより強いってのが、何とも理解できないんだが、まあそれが現実。ケビン・ジャクソンって日本でプレーしちゃいけないんじゃないの? (NFLでドラフトに上がったんでしょ)という気にもさせるぞ。

 あんまり面白くない三が日だなあ。

 もう、フテ寝ちゃおう。

NIKON D7000 AF-S Nikkor 55-300mm @Otemachi, Chiyoda (c)tsunoken

2014年1月 3日 (金)

街角のオブジェ? What? Why? So.

 街角を彩るオブジェというか訳のわからないものを集めてみた。

 まあ、お店の看板みたいなものもあるし、「?」なものもあるし、ゆるキャラ風もあるし、単なる個人の趣味で置いたっていうようなものもある。まあ、全然統一感はありません。

 まあ、お正月の暇つぶしにでもご覧ください。

 コメントは敢えてつけません。

2013_10_17_15202NIKON D7000 AF Nikkor 18-105mm @Shinagawa

S00107452Fujifilm X10 @Oizumigakuen

Img0702LEICA M3 Summilux 50mm @Yokohama

Img0372NIKON F4 AF Nikkor 24-50mm @Yokohama

Img0392NIKON F4 AFNikkor 24-50mm  @Yokohama

Img0412NIKON F4 AF Nikkkor 24-50mm @Yokohama

All photo shooted by tsunoken (c)tsunoken

2014年1月 2日 (木)

正月はカメラの棚卸し……って、何で?

 お正月なので(?)我が家のカメラの棚卸しをしてみよう。

 結構あるんだなこれが。まあ、田中長徳氏ほどではないけどね。

Dscf13302

 まずはフィルムカメラから。

 右上がZEISS IKON(NETTAR-ANASTIGMAT 11cm/F4.5付き)、その左がRolleicord Ia-1(ただしレンズはCarl Zeiss Jena Trioter 7.5cm/F4.5付きというI-1仕様)。この2台は義父からの形見分けで入手したものだが、多分医者をやっていた義祖父がドイツに留学していた時に買ったものではないかと考えている。

 右下がLEICA M6、その左がLEICA M3、上の左がNIKON New FM2、その下の右がOLYMPUS PEN FT、左がOLYMPUS OM 10、下がNIKON F4。オリンパスOM10も義父からの形見分けである。オリンパス・ペンFTは昨年の6月7日に『ユージン・スミス』について書いた通り、浅はかにもその表紙の影響を受けて買ってしまったカメラ。ニコンF4は以前はこれがメイン機であったわけで、今でも時々使う。ライカM6、M3は結構常用カメラ。以前はライカM5も持っていた。

 で、すごいのはこのカメラたちがすべて実際に撮影に使えるということなのである。今のデジタルカメラだとこんな製造から80年も過ぎて実際の撮影に使うなんてことは想定していないだろう。

Dscf13402

 で、こちらがそのフィルムカメラ用のレンズ。一番右がニコン用で、上からAi Nikkor 24mm/F2.8、Ai Nikkor 50mm/F1.4、Ai AF Nikkor 24-50mm/F3.3-4.5、Nikkor 300mm/F4.5。三番目がF4用であるが、その他のレンズもニコンF4でフォーカスエイドが使える。

 右から2列目がオリンパス用。上からOlympus F.ZUIKO Auto-S 38mm/F1.8(これが標準)、Olympus E.ZUIKO Auto-W 25mm/F4(こちらは広角)でこの二つはオリンパス・ペンFT用。一番下がオリンパスOM10用のOLYMPUS OM-SYSTEM ZUIKO AUTO-S 50mm/F1.8。

 で、左の2列がライカ(とエプソンRD1sでも使える)用で右側の列の上から、VOGTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm/F4、Leitz ELMARIT-M 28mm/F2.8、Ernst Leitz Summaron 3.5cm/F3.5、LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm/F2。一番左の列が、上からErnst Leitz Summicron 5cm/F2(いわゆる沈胴ズミクロン)、LEITZ SUMMILUX 50mm/F1.4、LEITZ CANADA SUMMICRON 90mm/F2。

Dscf13332

 こちらがデジタルカメラ群であります。

 上2台は左が私が使っているNIKON D7000(マルチパワーバッテリー付き)、右がカミさんが使っているNIKON D7000。今はこれがお仕事用カメラであります。なんでニコンD7000かというと、このカメラISO6400まで使えて、夜のアメフト撮影に向いているというのがその理由。この他にもD50とD100があるのだが、レンズ内モーターが使えないのでいまやお払い箱になってしまっている。この辺がデジカメの弱点である。

 その下の右がRICHO GRDⅢ、左がEPSON RD1s。エプソンのこのカメラの登場でもって、ライカがあわててM8の製造を企画したきっかけになったカメラである。RDというのはRANGEFINDER DIGITALという意味。コシナ・フォクトレンダーのBESSAをベースに作られたカメラだ。

Dscf13372

 で、こちらがそのデジイチ用のレンズである。すべてズームなのでこの数ですべての撮影が可能だ。

 右上がNIKON DX AF-S Nikkor 10-24mm/F3.5-4.5G ED、下がNIKON DX AF-S Nikkor 55-300mm/F4.5-5.6G ED。真ん中の上がNIKON DX AF-S Nikkor15-105mm/F3.5-5.6G ED、下がNIKON ED AF-S 70-300mm/F4.5-5.6G。一番左がSIGMA DG 150-500mm/F5-6.3 APO HSM。ということで、10mmから500mmまでがシームレスにつながっている。

R11972792

 で、これが上の写真をすべて撮った、FUJIFILM X10であります。

 結局、このコンパクトデジタルカメラが一番使い勝手がいいので、普通のスナップは殆どがこのカメラということになってしまうんだなあ。

 ま、そういうこと。じゃあ何でそんなに沢山カメラを持つ必要があるんだ、ということになってしまうのだが……好きなんだからしょうがない、ということにしてください。

 ということで、今年もこのカメラを駆使して拙ブログの「カメラ・写真」の日を作って行きます。で、また増えたりして。

2014年1月 1日 (水)

新年 明けましておめでとうございます。

新年 明けましておめでとうございます

本年もお付き合いの程、よろしくお願い申し上げます。

Dsc_00242

 ということで、新年のご挨拶なわけだけれども、大晦日の晩はそのまま新年に繋がってしまうので、現状ではまだ新年という気持ちにはなっていない。これで一晩寝て、朝のお日様を見て始めて新年という気持ちにもなろうというもの。

 なんっつって、こんなブログで新年をごまかそうって言うのか? それでいいのか?

 ということなので、チャンとブログを書きます。

 さて、今年は4年前から手掛けていたマンション建替え事業がいよいよ完結して、今年の夏には再び引っ越して文京区は本駒込の住人になる予定。

 昔は柳沢吉保が住んでいた六義園の正門前という好立地だ。今度は屋上が付くので、春は桜、夏は深緑、秋は紅葉、冬は雪景色と四季折々の彩が見られて楽しそうだ。東京大学が近いので、いい散歩コースもある。なんかノンビリしてしまいそうで、ブログ的にはちょっと怖い。

 もともと、妻の実家に近いし、息子の通っていた小学校の校庭が見えて、会社にも近いというところで選んだこのマンションなので、たまたま六義園のそばにあったというだけで、それが選択の条件ではなかった。当時は中古だったのでお値段もそれなりだったしね。

 買った当時から建替え案というのは出ていたようで、何しろ昭和45年頃に建てたマンションなので、当然、阪神淡路大震災以前の旧建築基準法による建物ではあった。でも、中身は結構きれいだったんですがね。

 でも、何度か出た建替え案もいろいろな理由で潰れていったわけである。

 当然、新規参入者にとってみればまだまだ続く銀行ローンの問題もあるし、旧居住者にしても、今から新しい資金負担の問題もある。特に入居者に多かった、既にリタイヤした人たちにとっては新規に建替えたとしてもその資金負担の問題もあった。

 建替えを言い出した人のバックの問題、というか不動産に絡んでいる人なのでいろいろルートはある訳で、結局その人にうまい汁を飲まれてしまうんじゃないかという疑念もあったわけで。

 まあ、そういう風にして、マンションの建替え計画ってものは、実は大半が潰れていくわけである。

 勿論、建替えだけがマンション再生の切っ掛けではない。リニューアルでもって再生していくマンションの方が実は圧倒的に多いわけで、そういうことを薦める書籍もそれなりに多い。

 ただし、それらの再生計画も、結局は建替えがダメになってリニューアルでもって再生しようという方向になったものも多い訳で、本当の目的は建替えであったというマンションも多い。

 結局、我がマンションは元荒川区職員労働組合委員長という、こうした組合(労組だろうがマンション管理組合であろうが同じ)活動の猛者が来てくれておかげで、組合員の共同理解の徹底とか、意見のとりまとめについての方法論などでうまく行って、建替え決議までたどり着いたわけなのである。

 まあ、そこまでが一番厳しかったな。

 建替え決議が決まってしまえば、あとは粛々と実務をこなすわけである。

 デベロッパーからのプレゼンを受け、そこから絞り出して一社を選択し、その後はその一社といっしょに建替え組合を構成して、あとは建替え作業をスムーズに行うだけである。

 勿論、そうはいってもなかなかこちらの思い通りには行くわけではない。建替え後の新しいマンションへの入居申込みは地権者が当然優先するわけなのだが、それについても地権者としてそれぞれ思いもある。その、それぞれの思いをどうやって調整するのかというのも、建替え組合の仕事ではある。

 まあ、それでもそんなことは、それまでの建替え決議に漕ぎつけるまでの重圧・葛藤・逡巡というか、そんな大変な思いに比べれば大したことない。

 で、何とか建替え決議から二年過ぎて、新しいマンションができるのである。

 まあ、別に新しいマンションができることについての感慨は、私はデベロッパーでもなんでもないので特にはないが、むしろ建替え決議に向けてのいろいろな思い出なんかが走馬灯のように頭の中で映っては過ぎていくのである。

 ということで、「何もなければ」今年の夏からは、文京区本駒込からお送りするブログになります。

 じゃあ、これまでのどう違うのか……、って言ったら、別に変わらないんですけれどもね。

 

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