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2013年12月24日 (火)

『東映ゲリラ戦記』で初めて知ったことなど

 鈴木則文監督といえば東映ポルノ路線というか、東映B級プログラムピクチャー路線というか、とにかく東映A級プログラムピクチャーであるところの「ヤクザ映画」や「実録路線」にイマイチ乗り切れなかった私の愛する監督ではあった。

Dscf12062『東映ゲリラ戦記』(鈴木則文著/筑摩書房/2013年11月25日刊)

 1978年、「御大」片岡千恵蔵が語った東映出発の話が面白いので、まずそれを紹介する。

『――昭和二十二年スタートした大映京都作品『七つの顔』(封切りは前年の大晦日)は、引き続き『十三の眼』『二十一の指紋』とヒットを続けて大映は大いに儲けていた。
 その頃のNHKの正月インタビュー番組に出演した大映社長永田雅一が、自社のヒット作品多羅尾伴内について触れ「あんなものは大映が本来めざす映画ではない。当たっているからつくっているので、子供だましのあんなものは映画とはいえない……」等々、詳細は不明だが千恵蔵にとって大変屈辱的な言葉を言い放ったらしい。その放送を聞いていた同映画のスタッフの比佐芳武と松田定次監督も激怒。三者急遽協議して「もう大映で多羅尾伴内はつくらない」ことを申し合わせる。活動屋のプライドをここまで踏みにじられて仕事など出来る訳がない。三人は大映退社を決意。それに大映に不満を持つ時代劇スター市川右太衛門と松竹に居たマキノ光雄とその一党の満映出身者が参加し、新会社「東横映画」を創立する。『きけ、わだつみの声』などヒット作はつくれども、配給する映画館のない製作専門会社の悲しさ。東横映画はハラワント映画と陰口をたたかれる赤字が続く。儲けるのは配給会社のみである。
 製作し、映画を上映する映画館を所有してこそ映画会社であるとつくづく実感させられた千恵蔵、比佐、松田、マキノ光雄は、狙いをつけた東急オーナーでふところの深い五島慶太に懇願。遂に製作と配給網をもつブロックブッキングの映画会社「東映」を設立。東急から大川博が社長として就任。大映、東宝、松竹と並ぶ大手映画会社となっていくのである』

 ということ。なるほど「口は災い」ではあるな。

 ところで、ここに書かれている『きけ、わだつみの声』というのは鈴木則文氏が

『――東映ゲリラ部隊
本隊隊長      中島貞夫
別働隊カントク   鈴木則文
総大将       石井輝男
最高司令官    岡田茂』

 と書く、『最高司令官 岡田茂』の実質初プロデュース作品なのである。その後の岡田茂氏といえば、リストラやら人員整理なんかを大胆に行う経営者として有名なわけであるが、その最初の映画が『きけ、わだつみの声』であるというのは、何という皮肉なんだろう。まあ、岡田茂氏としては思想的なものから作った映画ではなく、あくまでも商売優先だったのだろうけれども、氏家齋一郎や渡邉恒雄が「天皇制批判がない」とクレームをつけたというのも面白いエピソードだ。

 そんな東映に立命館大学からいつしか東映京都撮影所のスタッフとなった鈴木則文氏は、当時、山口組のお友達であった俊藤浩慈プロデューサーの押しも押されもしない東映A級プログラムピクチャーである「任侠映画」の末端に属し、『緋牡丹博徒』シリーズの全シナリオを書くも、基本的にゲリラを自認し、『温泉みみず芸者』で「東映ポルノ路線」を確立する。

 池玲子や杉本美樹は鈴木氏によって見出された才能であり、当時の若者向け週刊誌のグラビアを飾ったものである。ええ、勿論私も随分おカズにはさせてもらいましたよ。

 当時、新左翼の活動家なんかは任侠映画を見ながらイキがっていたわけなのだが、何故か時代劇風のその様式美を好きになれなかった私は、鈴木則文氏や中島貞夫氏の裏番組の方に肩入れしていた。『温泉○○芸者』ノシリーズや『女番長(スケ番)』シリーズである。

 ただし『トラック野郎』シリーズになると、任侠映画がもはや廃れて、実録路線も陰りが出てきた東映にとっては、完全にA級プログラムピクチャーになってしまって、ゲリラどころか正規軍であり、ということはあまり興味が持てなくなってしまうんだから、ファンなんてあてになるものではない。

 で、本書の中からいくつか面白い言葉を;

『映画に民主主義は不要である』

『わたしがメロドラマこそ大衆娯楽映画の本道だと言ったのは、その場での単なる思いつきではない。〈映画の本道はアクションとメロドラマである〉というのは、私の少年時代からの変わらない信念であった』

『中止も早いが、決定も即断即決の速さである。このあたりが東映の変わらぬ伝統であろうか。マキノ光雄から岡田茂へと継承されているといわれる京都活動屋イズムであろう』

『もともと俺はスターシステム信奉者で、主義主張よりスターの魅力が映画を輝かせてくれると思っている人間なんだ』

 その他、この本で初めて知ったこと。

○池玲子のデビューは実は16歳だったということ、18歳だとばっかり思っていた。16歳の裸だったら、もっと丁寧に見ておくんだった(?)。

○「義理かく、恥かく、人情かく」と呼ばれる東映の三角マークについての由来は俳優山城新伍の説であるということ。

○名バイプレイヤーと称された殿山泰司は、田中小実昌の飲み友達でった。というのだが、禿げ頭二人で酒を飲み交わしている姿って、面白そうだ。

○その殿山泰司の実家が銀座のおでん屋「お多幸」であったとは。よし、今度行こう。

○殿山泰司が主演した『裸の島』という新藤兼人作品は「台詞のない映画」として有名だが、実はアフレコ代節約でそうなったという話。

『東映ゲリラ戦記』(鈴木則文著/筑摩書房/2013年11月25日刊)

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