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2013年12月 3日 (火)

宿場と仕置き場

「仕置き場」とは刑場のことである。

「刑場」とは獄門、磔、火炙り、晒し首の「仕置き」をした場所のことである。

 で、これが何故か宿場町につき物なんだなあ。何でだろう?

 って、要は江戸への出入り場所である江戸の宿場町はそれなりに人の交通が多かったので、つまりは権力者の市民に対する見せしめと恫喝だったのである。つまり「悪いことをするとこうなるよ」っていうね。それは当然一般の法律(って当時あったのかなぁ)であり、もっと大きいのは幕府に対する反乱行為である。

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 東海道品川宿のはずれには鈴ヶ森刑場があった。

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 火炙台と磔台が今も残っている。火炙台は台の真ん中の穴に鉄の棒を差し込んで、人をはりつけ火炙りにする。磔台はやはり真ん中の穴に木製の磔棒を差し込んで使う。

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 奥州街道(日光街道)の千住宿の江戸の側には小塚原刑場があった。磔台や火炙台は残されていないが、刑場跡は残されていて、保存されている。

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 中山道は板橋宿の傍に「新撰組隊長 近藤勇墓所」がある。

 ただし、ここは刑場ではなく、この墓所の北東に100mほど言ったところにある平尾一里塚の傍が刑場であった。今は刑場跡は何も残されていない。

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 平尾宿は板橋三宿のうち一番江戸に近いところにあった。

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 で、当然江戸五街道の一つである甲州街道だったら内藤新宿か内藤新宿より前は一の宿だった高井戸宿に刑場があってもおかしくないのだが、実はないのである。

 内藤新宿のちょっと江戸側には、大杉栄を殺害したことで有名な市ヶ谷刑場があるが、これは明治になってできた刑場であり、江戸時代にはなかった筈だ。

 で、甲州街道の宿場の傍にある刑場は、はるばる八王子宿まで行かなければならない。で、八王子宿(中心は八日市宿や横山宿)からかなり離れた浅川という多摩川の支流にかかる八王子の町はずれ、大和田橋の北詰のそばにあったそうである。

 今は橋のたもとに交番があるだけであり、何も遺構などは残されていない。

 それにしても、なぜもっと江戸に近い場所に刑場を作らなかったんだろう。

 まあ、結局五街道と言っても、品川(東海道)、千住(奥州街道・日光街道)、板橋(中山道)なんかと比べて、甲州街道は信州高遠藩など数少ない大名のみが参勤交代で使う寂しい街道だったわけなので、徳川幕府としてはあまりここに刑場を作っても効果はないと考えたのであろうか。

 まあ、内藤新宿なんて宿場機能よりは岡場所として有名だったらしいからな。落語の「堀の内」で有名な堀之内お祖師様(妙法寺)への参詣だって、結局は内藤新宿で一泊して飯盛り女とニャンニャンというのが目的だったそうで、そういう意味ではそんな連中に見せしめしてもあまり意味はないか。

Fujifilm X10 (小塚原のみEPSON RD-1s Elmarit 28mm/F2.8) (c)tsunoken

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