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2013年12月29日 (日)

『男性論』というよりは「ルネサンス的文化論」だ

『テルマエ・ロマエ』『スティーブ・ジョブズ』でお馴染み、ヤマザキマリさんの『男性論』である。腰巻に「『テルマエ・ロマエ』の著者がはじめて書いた波乱万丈の男性遍歴。」なんて書いてあるから、ちょっとドキッとしたり、あらぬ妄想を抱いたりしたのだが、まあ、要はヤマザキマリさんらしい、古代ローマ人や現在のイタリア人、日本人、そしてちょっと女性論も入った、『男性論』なのだ。

Dscf12082『男性論 ECCE HOMO』(ヤマザキマリ著/文春新書/2013年12月20日刊)

 ヤマザキマリさんから俎板に載せられて、ついでに似顔絵まで描かれた男は、まずヤマザキマリさんの夫・ベッピーノに始まり、『テルマエ・ロマエ』でルシウスに浴室設計を発注したハドリアヌス帝、超博学で好奇心に溢れヴェスヴィオス火山の視察に行って噴火に飲まれて死んでしまったプリニウス、ルネサンスを先取りした神聖ローマ帝国のフェデリーコ2世(本来は神聖ローマ帝国なのでフリードリッヒ2世が正しいともうのだけれども)、ダ・ヴィンチとミケランジェロに隠れて目立たないけれども夥しい数の名画を遺したラファエロ(ついでにダ・ヴィンチとミケランジェロも少しだけ)、過酷な戦争体験をしたもののそれとは正反対の漫画を描き続けている隻腕の漫画家・水木しげる、水木しげるとは対照的な「漫画の神様」手塚治虫、漫画家なのか文章家なのか今やよく分からなくなってしまったエッセイ漫画家とり・みき(現在、ヤマザキマリさんはこのとり・みき氏と組んで、先のプリニウスの漫画を「新潮45」に連載している)、ご存じヤマザキマリさんが『Kiss』に連載中の「世界で最も嫌な奴」スティーブ・ジョブズ、東大医学部を出ながら医者にならずに作家になって理系小説(と私は考えている)を書いていた安部公房、ヤマザキマリさんの夫ベッピーノの祖父でありヤマザキマリさんとイタリアを関係付けることになる陶芸家マルコ爺さん、プレイボーイから三枚目まで何でもこなすイタリアの俳優では多分最も有名なマルチェロ・マストロヤンニ、『暮らしの手帖』というある意味で実にラディカルな雑誌を創刊した花森安治。

 一方、対外的なコミュニケーション能力が低く、内向きの指向性を持って、「若さ」だけが自分の勝負所だと考えている日本女子を考える際には、ソフィア・ローレンやモニカ・ベルッチ、そしてそんな日本におけるいい女のお手本として須賀敦子さんや兼高かおるさんが出てくる。

 ふぅ~。

 しかし、そんな似顔絵を見ていると、男性の絵の時は気が付かなかったんだけれども、女性の似顔絵を見ていると、あることに気が付いた。要は皆ヤマザキマリさんみたいな顔をしているのだ。

 ソフィア・ローレンやモニカ・ベルッチもどことなくヤマザキマリ風だし、兼高かおるさんなんて、殆ど似顔絵になっていないで、まんま腰巻に「ドヤ顔」を載せているヤマザキマリさん自身の似顔絵なんだなあ。

 大相撲の表彰式の際「ヒョー、ショー、ジョー!」で有名なパンアメリカン航空極東地区支配人のデビッド・ジョーンズ氏の彼女だったという噂の兼高かおるさんも美人ではあるが、でもやはりその顔はヤマザキマリさんなんだなあ。

 そうやってよく見ると、男性の似顔絵もどこかヤマザキマリ風なところを、感じさせないでもない。

 人は自分の顔に似せて人の顔を描くというけれども、まさしくその典型例がヤマザキマリさんだったとはね。意外とヤマザキマリさんて不器用だったのね、なんてね。

 それはさておき、なぜヤマザキマリさんが古代ローマにそして現代イタリアに思いをはせるのか?

『それは、「寛容性」と「ダイナミズム」と「増長性」。喩えていえば、陽気で大食漢でちょっとお腹も出ていて、未知のものにどんどん首をつっこんでいくおしゃべり好きのおじさんのような性質を、私は古代ローマという時代に見出すのです』

 というけれども、それは決して古代ローマだけじゃなくて、現代イタリアでも同様だろう。ただし、現代イタリアは『生死が隣り合わせの、貧富の差も激しい混沌とした世界ながら、街道、水道橋といったインフラの整備をはじめ、コロセウムなどの公共建築や、神殿、公衆浴場、さらには世界に先がけた法体系の整備など先進的な文明を』築いた古代ローマとは違って、貧富の差の激しさは同じだけれども、ギリシア、スペインと同様にEUのお荷物となっている経済不況と特に若い層に高い失業率であるにもかかわらず、相変わらずマンマの言うことには逆らえず、無職のまま平気で大家族の中で暮らしている現代イタリアの若者の姿を見ると、そんなイタリアおじさんもいるようだなあ、と考えてしまうのである。

『今日と明日はもう違う世界。生き延びるにはフレキシブルに変化できなければならないから、完璧であることよりも、未完であり、伸びしろを持ち続けることを重視する。それをわたしは「増長性」と呼んでいますが、もっと簡単にいえば「ワキワキ・メキメキ」の状態。うーん、わかってもらえるでしょうか?』

 ということで判断すれば、それこそこの「ワキワキ・メキメキの増長性」こそが古代ローマから現代イタリアに通底する「人間の生き方」なのだろうな。

 キリスト教という、まあ古代ローマにとっては「あとからやって来た宗教」ではあるけれども、それでも今や「国教」といえるほどの宗教国家でありながら、ムッソリーニのファシズムが流行ったりグラムシなどの共産主義が流行ったりするイタリアである。まさにそこには「ワキワキ・メキメキの増長性」というものがあるのかも知れない。

 そこへ行くと、すべてに完璧性を求めてしまう我が日本人の心性ってものは、逆にうまく行かない時の落ち込んだ心境なんてものに生きがいを見いだしたりする変な心性だっていう気分になったりする。

『つまりみんな、人生にお金は必要だけれど、お金のために自分を犠牲にしてはもったいないと考えている。夫婦の時間や食事を囲んだ語らいこそが、人生を楽しむことだと信じて疑っていません。いまの日本社会でしばしば問題となる「ブラック企業」というのでしょうか、労働者の時間を極限まで搾取し、安く使い捨てる仕事のありかたをきけば、そんなものに従事するほうがクレイジーだと、とんでもなく憤慨すると思います』

 なんて記述を目にすると、なんかそのほうが実に有意義な生活であると思えてきてしまう。

『単純化をおそれずにいえば、「空気を読める」ひととは、自分がいま暫定的にいるにすぎない場所の価値観やルールに、高度に順応できるというだけのことでしょう? しかし本来であれば、合わなきゃ、出ていけばいい。こんな顔色の窺いあい、牽制のしあいがなされる風潮がはびこっていては、なかなか古代ローマ的なダイナミズム、ルネサンス的盛り上がりは起こりそうもありません』

 ということで、我が日本には(多分)ルネサンスは起きないだろう。

 まあ、Renaissance(re-再び+naissance誕生)なんてものは全く考えずに、前世代・旧世代・とにかく過去の否定でもって成長してきた国だからな。

 では、ルネサンスのない国、日本はこれからどうしていけばいいんだろう。

『男性論 ECCE HOMO』(ヤマザキマリ著/文春新書/2013年12月20日刊)

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