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2013年12月 7日 (土)

『LEICA, My Life』なのか? 「My Life is LEICA」なのか?

「古いライカを1台持って、世界の果てに旅に出る。これほど素晴らしいことがほかにあるだろうか」という言葉は以前に誰かが言って(書いて)それを引用したのかと思っていたら、チョートク氏本人の言葉だったのか。

Dscf11022『LEICA, My Life』(田中長徳著/枻出版社/2013年12月10日刊)

 それまでニコンFとペンタックスAPを使っていた田中長徳氏が「レンジファインダーカメラ」が欲しいと言い出したのは長徳氏が20歳の時。自身は国産のキャノンPか何か他のカメラのブラックペイントと決めていたところ、長徳氏の父親は言ったそうだ。

『長徳(ながのり)、どうせなら最初からライカにしたらどうだ。国産だとすぐに飽きがくるぞ』

 と日たもうたそうな。

 まあ、すごいお父様がいたもんだが、しかし、その日から田中長徳氏の「LEICA, My Life」が始まったわけだ。

『かつて自分が写真家で立とうと決意した時、その最初のステップは1台のライカを手に入れることであった。ライカが1台あることで写真家になることを保証されたことにはならないが、これは車のナンバープレートを登録するのとほぼ同義である。
 自分は最初のライカM2を入手し、その後にバルナックライカを手に入れて、1973年5月にウィーンへ渡った。70年代の初め頃は日本製カメラがアメリカ市場に続いて欧州市場を席巻し始めた時でもあった。だから真面目なウィーン人はおじいさんの時代から大事にしていて、その後の戦争も切り抜けたライカⅢ型などを安く下取りに出して、日本製の一眼レフを買った。下取りされたライカはすぐにウィーンのカメラ店の入り口の左側にある小さなウインドーに並べられる。メーンの舞台はお店の右側のウインドーで、当時ならニコンF2とかキャノンF-1が並んでいた。この店であたしはライカを手に入れて、その後ライカの数はどんどん増えていった。これは良くない傾向であった』

 確かに良くない。まさしくライカ・ウィルスに罹患した病人そのものである。

『自分はライカコレクターではないから、ライカの台数は自分で使う最小限で十分だ。理想は3台といきたいところだが、実用を考え、気分で持ち替えることもあるので、バルナックタイプならⅠ型、Ⅱ型、Ⅲ型、250あたりは欲しい。M型は登場した順にM3、M2、M1、MD、そしてM4、M5くらいは欲しいものである。これですでに10台だ。なかなか最小限度のライカで我慢するのは難しい』

 いやいや、たかだか10台ではないだろう。一体田中長徳氏は何台のライカを持っているんだろうか。私はM3とM6の2台だけ。一時期はM5も持っていたが、でも清貧でしょ。後はMy Birthday LEICAだけ。つまり1951年生まれのバルナックライカⅢfが狙いなんだが……。

 とは言うものの、それが田中長徳氏をして写真家ならぬ写真機家、田中ならぬライ家となさしめているのだから、ライカ・ウィルスも侮れないのである。多分、かの木村伊兵衛氏だってそんなにライカは持っていなかったはずである。それでも傑作写真は撮れるのだから、別にライカの台数と写真の良し悪しは関係ないはずだ。

『17歳の時、東京・神田にあったライカの代理店、シュミット商会でライカの総合カタログをもらった。高校生だったあたしに高額商品のしかも印刷コストもかかっているカタログをよく手渡してくれたものだと今更ながら感心する。これはシュミット商会の明石正巳さんのお手柄であったかもしれない。そのおかげであたしはライカ人類になり、ライカススペシャリスト(フィルムカメラ部門の)になり、こうしてライカの本などを執筆できる身になったからだ』

 う~ん、やはりこれは「三つ子の魂百まで」という言葉の正しさを言っているのであろうか。高校生・田中長徳はその時既に写真家で生きていきたいという志を持っていたのだろうけれども、まだまだライ家になるつもりはなかったはずだ。

 その後、日大芸術学部に進んで、写真家になるべく勉強を始めたわけなのだが、この時か、あるいはNDCで働いていた頃にだろうか、何かその辺に写真家ならぬ写真機家になる道程があるはずなのであるが、その辺についてはこれまでも語ってきたわけでも、本書でも語られていない謎なのである。

 というか、私のような田中長徳マニアになってしまうと、本書に書かれてあることは既にすべて知っていて、そんな意味では本書によって知らされたことは実はまったくない、ってのも自分自身に驚いていることなのであるが。

 写真家の本なので当然、写真が収録されているのだが、その収録方法が面白い。

「WIEN 1973-1980」ではトライXでタテ位置7点、ヨコ位置5点。同じ「WIEN 1973-1980」というタイトルでタテ位置15点mヨコ位置15点をコダクロームⅡで。「NEW YORK」ではタテ位置17点、ヨコ位置15点をトライXで。そして最後の「WIEN 2011」ではコダック・ゴールド100でタテ位置15点、ヨコ位置17点。

 これがすべて前半はずっとタテ位置、後半はずっとヨコ位置で収録されている。これは読者に優しい収録方法で、普通だと途中でタテ位置・ヨコ位置が入り混じっているのだけれども、これだと最初からずっと同じ方法で本を読み進めることが可能で、途中からは本をヨコにして見ていけばいい。

 う~む、田中長徳氏もやはり普通の写真集の写真収録方法には戸惑っていたのだろうか。

 それが本書での発見。

 更に、本書を書くためにウィーンに行った旅行記も、当然、本書で初めて書かれたことではある。まあ、内容は予想できたけれどもね。

『この本を作るためにウィーンを撮りに来たわけだが、それ以上にウィーンの街を楽しもうという気持ちでやって来た。ライカで街を撮ることは、快楽の一種である。そしてフィルムで撮る行為、デジカメと異なりその場で結果が見られない。いまの時代にあって、これこそが大きな魅力になっているのだ。デジカメが実用化し始めた20年前には、こんなこと誰も予想していなかった。ここにある3台が、今回のウィーンカメラだ。真ん中は1950年代のライカⅢc、製造番号は42万台。レンズは初期のエルマー50mmだ。右はライカMD。ビゾフレックスでエルマー65mmが付いている。左はライカM4だ。レンズはズマロン35mm。フィルムはカラーネガを45本持参した。すべて24枚撮り。撮影できるショット数はかなり限られている。だから1シーンは1枚しか撮らないと決めている。この撮り方が案外おもしろいのだ』

 そうか、よーし私も明日はライカ散歩だ。

『LEICA, My Life』(田中長徳著/枻出版社/2013年12月10日刊)

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