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2013年12月

2013年12月31日 (火)

本年もお付き合いいただき、ありがとうございます

 本年も一年間、当ブログにお付き合いいただき、ありがとうございます。

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 本年のブログ総括を行います。

 ブログ開始からの累計閲覧数は626,543PV(2013年12月31日17時30分現在)。

 エントリー数は累計1,278本、本年だけでは421本(双方とも本日のエントリーを含む)。

 本の紹介は187(昨年は233)。

 映画の紹介は20(昨年は18)。

 写真・写真展の記事は83(昨年は18)。

 旅に関する記事は31(昨年はなし)。

 その他の記事は100(昨年は120)。

 一年間の合計閲覧数は302,815PV(2013年12月31日17時30分現在/昨年は190,399PV)、なので一日平均は830PV(昨年は522PV)。まあ、少しずつ増えている感じかな。

 旅費用は718,798円。

 昨年は9月まではサラリーマンだったが、今年は初めからフリーということでどう違ったか?   ……まあ、あまり違ってはいないな。

 ただし、昨年までは会社までの通勤時間や仕事での移動時間が基本的に読書の時間だったので、それがない今年は少し本の紹介は少なくなっているのではないだろうか。

 それともっと映画を観ないとなあ。あまり食指が伸びる作品がなかったのは事実だが、それでも200~300本くらい観ていた学生の頃に比べると何とも少ない。まあ、今は学生の時と違って、古い映画は観ないからそれは少なくなる理由にはなっている。

 来年は一週間に最低一作は、駄作でもよいから映画を観よう。

 本ももうちょっと増やしてね。

 ということで、新年からも再びブログは続きます。

 来年もよろしく、お付き合いの程、よろしくい願いいたします。

 tsunoken

NIKON F4+AF Nikkor 24-50mm Kodak Super Gold 400 @Isezakicho, Yokohama (c)tsunoken

Fitbit weekly progress report from Dec.23 to Dec.29

 Fitbitから今年最後のレポートが来た。

 一週間トータルで90,686歩、63.48km。この週はとにかく毎日1万歩を歩くことを目指した。それは達成できたが、毎日なんとか1万歩ということなので、却ってあまり特筆することがなくなってしまった。

 最も活動的だった日は12月28日、16,020歩、11.21km。

 最も非活動的だったのは12月24日、10,142歩、7.10km。ということで、あまり差はない。

 ただし、体重は10月頃に比べて2kg位落ちてる。やはり毎日1万歩歩いていることがいいのだろうか。あるいは毎日歩いているので何となく筋肉がついてきている感じがするので、それで基礎代謝が良くなっているのだろうか。

 いずれにしてもいい傾向だ。

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新宿……暮景

 暮れの新宿を撮って回った。

 なんか言っても、結局はヒマなんですね、「師走る」って言っても。

 コメントはありません。普通に新宿を撮って来ただけなんで。いつもの新宿と同じ新宿。

 フィルムカメラで撮っているだけ。

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 最後は藤圭子の「夢は夜ひらく」です。

 まさに、新宿の夜はひとりでひらくんだろうな。

NIKON New FM2+Ai Nikkor 28mm/F2.8 Fujicolor 100 @Shinjuku (c)tsunoken

2013年12月30日 (月)

『消えた横浜娼婦たち』は横浜関内の生き字引である

 横浜の「悪所」が現在どうなっているのか、という写真を撮るようになった原因がこの本である……、ってウソウソ。たまたま伊勢佐木町の有隣堂に入って地域の文化史みたいなコーナーにあったこの本を見つけたのである。

Dscf12292『消えた横浜娼婦たち―港のマリーの時代を巡って―』(檀原照和著/データハウス/2009年6月3日刊)

 横浜が港町になったのは安政5年(1858年)に日米修好通商条約によって、神奈川、長崎、新潟、兵庫、江戸、大坂に港を開くことが決められたためである。こうして嘉永7年(1854年)に日本が開国し下田、箱舘が開港したのに次いで6港が開港することとなった。開港地には外国人の居留が認められたが、江戸、大坂は居留が認められずに商談のための逗留だけだった。

 この神奈川というのは神奈川宿のことで、近くに神奈川湊があった。しかし、幕府としてはそんな交通の要衝(東海道の宿場町であった)で外人がウロウロされてはたまらんということで、神奈川の町はずれの横浜村に出島を作って港を作り外人を住まわせたという。これが現在の横浜関内のはじまりで、根岸線関内駅から港側がその地域である。

 本書はそんな外国人相手の娼婦の話であるから、その第一号である安政6年2月から記述が始まる。

『横浜において外国人相手の遊女が最初に確認されたのは、安政六(一八五九)年二月である。イギリスの捕鯨船ゼンクス号に乗っていた三人の日本人女性がそれだ。一人は二十三、四歳、あとの二人は三十歳くらいだという。彼女らは中国華僑に斡旋された下総(千葉)の女たちだった。
 江戸時代の日本人は外国語が出来なかったため、中国華僑に通訳や仲介役を頼んでいた。どうやら遊女の世話もその延長線上にあったらしい。
 寒風吹きすさぶ二月の海上にいたためか、女たちはガウン代わりに羅紗綿(今でいう毛布、しかし油染みのある薄汚れたもの)をまとっていた。そこから外国人相手の遊女は「らしゃめん(綿羊娘、洋妾などと書く)」と呼ばれるようになった。この三人が最初の「港のマリーたち」である』

 勿論、神奈川奉行によって遊郭なども作られたが、やはり横浜を代表するのはそんな遊郭などで働く遊女よりは、「チャブ屋」とか「チョンの間」と呼ばれたいわゆる「あいまい宿」で働く娼婦たちであろう。この遊女と娼婦の違いといえば、前者が基本的には自分の意志で働いているわけではなく、借金のかたなどで売られてきた女たちであったのに比較して、後者は自分の意思で春をひさいでいた、ということなのである。当然、公認と非公認の違いはあったし、比較的若い遊女に対して、娼婦はどうしたって高齢になってしまう。最初に来た三人にしても二十三、四~三十歳というのは当時にしては完全に「年増」の年齢である。

 戦前から外国船、外国人の存在が多く異国情緒に満ち溢れていた横浜であるが、しかし、本を読んでいて、我々にとってリアリティに溢れるのはやはり戦後の米軍(進駐軍)が多くなってからの話である。今の世代ではもっと違うのかも知れないが。

『本牧に移転したステーキハウスの「ジャックス」もよく知られた店だった。「ジャック」こと小倉昭二さんの料理は米軍キャンプ仕込みである。この店の客も米兵や外国人船員中心で、日本人には手の届かない三百グラムのニューヨークカット・ステーキに人気が集まった。
 日本人が滅多に寄り付かなかったこの店に赤いスポーツカーで乗りつける常連客がいた。石原慎太郎だった。ときには弟の裕次郎と一緒に分厚い肉を頬張っていたという』

 さすがにリア充逗子のお坊ちゃん兄弟ではあるな。

 これは都市伝説のひとつとしてあまりにも有名な話なのだが、「石原裕次郎梅毒説」というのがある。石原裕次郎に子どもがいなかった理由がそれだっていうのだけれども、やはりその原因はこの「横浜遊び」「港のマリーさん」との遊びだったんだろうか、という気分にさせる。まあ、官許の赤線なら性病検査なんかも頻繁にやっていたそうだが、基本的に「もぐり」の青線だとそんなこともやっていなかったからね。

 それにしても、神奈川宿神奈川湊というのは現在の京浜急行神奈川本町駅近辺にあったらしいのだけれども、現在に至るまでそこが横浜の盛り場だったという話は聞かない。どうにも基本的に横浜の盛り場というと、伊勢佐木町、日ノ出町、野毛、真金町、黄金町、寿町、本牧という、関内周辺の町が思い浮かべられるのである。

 やはりそれだけ、国際港としての横浜港の存在の大きさであり、また、戦後進駐軍が租界や基地を作っていたということが大きいのであろう。本書に『国道十六号線沿いの奇妙なプライド』という言葉が出ているが、まさにこの国道16号線こそは周辺に米軍基地がさまざまに広がっていて、東京周辺の異国情緒を作りだす原点にもなっているのである。

 現在、国道16号線の周辺に残っている米軍関連施設は横須賀海軍基地に始まって、浦郷弾薬庫、池子住宅地区、横浜ノースドック、本牧埠頭、上瀬谷通信基地(支援施設)、厚木基地、キャンプ座間、相模総合補給廠と続いて、最後は横田空軍基地まで、これでもかなりの数は日本に返還されてきて残ったものだけなのだが、それでも随分あるものだ。なお、本牧埠頭は現在は米軍施設ではないが、まだ多くの軍需物資が本牧埠頭でコンテナ荷揚げされているということなので加えた。

 で、結局この国道16号線沿線にやはり「悪所」が並んでいたわけであり、その「悪所」の初っ端が横浜関内であるのだから、やはり関内周辺にいろいろな盛り場があるというのも分からないではない。今やこの国道16号線周辺というのも、昔とは全く変わってしまった。横田基地周辺も今や全然「アメリカみたい」じゃなくなっちゃってるもんね。

『横浜銀行の支店長だった植木幸太郎氏は伊勢佐木町二丁目にあったキャバレー「モカンボ」の社長でもあり、同時に本牧で「ニュー・オリエンタル・ホテル」というチャブ屋も経営していた。そういう時代だった。植木氏の店で昭和二九年の営業時間外に繰り広げられた「モカンボ・セッション」は伝説で、近年研究本やCDがリリースされている』

 そうか、モカンボっていうのはそういう店だったのか。しかし、銀行の支店長がキャバレーやチャブ屋を経営していたというのは、なんとも凄い時代であったわけである。だって、キャバレーはまだしもチャブ屋っていったら御法度の裏街道を行く稼業なわけである。そんな違法営業(まあ、表向きは違法ではないにしても)を、現役の銀行支店長が裏で経営していた時代だったんだよなあ。

 まさに、それ自体が「時代」だと言うべきなのだろう。

 本当に『夜霧よ今夜もありがとう』という時代なのである。

『消えた横浜娼婦たち―港のマリーの時代を巡って―』(檀原照和著/データハウス/2009年6月3日刊)Kindle版は第3章「白塗りメリーの物語」を改訂して更に書き加えたものである。

2013年12月29日 (日)

『男性論』というよりは「ルネサンス的文化論」だ

『テルマエ・ロマエ』『スティーブ・ジョブズ』でお馴染み、ヤマザキマリさんの『男性論』である。腰巻に「『テルマエ・ロマエ』の著者がはじめて書いた波乱万丈の男性遍歴。」なんて書いてあるから、ちょっとドキッとしたり、あらぬ妄想を抱いたりしたのだが、まあ、要はヤマザキマリさんらしい、古代ローマ人や現在のイタリア人、日本人、そしてちょっと女性論も入った、『男性論』なのだ。

Dscf12082『男性論 ECCE HOMO』(ヤマザキマリ著/文春新書/2013年12月20日刊)

 ヤマザキマリさんから俎板に載せられて、ついでに似顔絵まで描かれた男は、まずヤマザキマリさんの夫・ベッピーノに始まり、『テルマエ・ロマエ』でルシウスに浴室設計を発注したハドリアヌス帝、超博学で好奇心に溢れヴェスヴィオス火山の視察に行って噴火に飲まれて死んでしまったプリニウス、ルネサンスを先取りした神聖ローマ帝国のフェデリーコ2世(本来は神聖ローマ帝国なのでフリードリッヒ2世が正しいともうのだけれども)、ダ・ヴィンチとミケランジェロに隠れて目立たないけれども夥しい数の名画を遺したラファエロ(ついでにダ・ヴィンチとミケランジェロも少しだけ)、過酷な戦争体験をしたもののそれとは正反対の漫画を描き続けている隻腕の漫画家・水木しげる、水木しげるとは対照的な「漫画の神様」手塚治虫、漫画家なのか文章家なのか今やよく分からなくなってしまったエッセイ漫画家とり・みき(現在、ヤマザキマリさんはこのとり・みき氏と組んで、先のプリニウスの漫画を「新潮45」に連載している)、ご存じヤマザキマリさんが『Kiss』に連載中の「世界で最も嫌な奴」スティーブ・ジョブズ、東大医学部を出ながら医者にならずに作家になって理系小説(と私は考えている)を書いていた安部公房、ヤマザキマリさんの夫ベッピーノの祖父でありヤマザキマリさんとイタリアを関係付けることになる陶芸家マルコ爺さん、プレイボーイから三枚目まで何でもこなすイタリアの俳優では多分最も有名なマルチェロ・マストロヤンニ、『暮らしの手帖』というある意味で実にラディカルな雑誌を創刊した花森安治。

 一方、対外的なコミュニケーション能力が低く、内向きの指向性を持って、「若さ」だけが自分の勝負所だと考えている日本女子を考える際には、ソフィア・ローレンやモニカ・ベルッチ、そしてそんな日本におけるいい女のお手本として須賀敦子さんや兼高かおるさんが出てくる。

 ふぅ~。

 しかし、そんな似顔絵を見ていると、男性の絵の時は気が付かなかったんだけれども、女性の似顔絵を見ていると、あることに気が付いた。要は皆ヤマザキマリさんみたいな顔をしているのだ。

 ソフィア・ローレンやモニカ・ベルッチもどことなくヤマザキマリ風だし、兼高かおるさんなんて、殆ど似顔絵になっていないで、まんま腰巻に「ドヤ顔」を載せているヤマザキマリさん自身の似顔絵なんだなあ。

 大相撲の表彰式の際「ヒョー、ショー、ジョー!」で有名なパンアメリカン航空極東地区支配人のデビッド・ジョーンズ氏の彼女だったという噂の兼高かおるさんも美人ではあるが、でもやはりその顔はヤマザキマリさんなんだなあ。

 そうやってよく見ると、男性の似顔絵もどこかヤマザキマリ風なところを、感じさせないでもない。

 人は自分の顔に似せて人の顔を描くというけれども、まさしくその典型例がヤマザキマリさんだったとはね。意外とヤマザキマリさんて不器用だったのね、なんてね。

 それはさておき、なぜヤマザキマリさんが古代ローマにそして現代イタリアに思いをはせるのか?

『それは、「寛容性」と「ダイナミズム」と「増長性」。喩えていえば、陽気で大食漢でちょっとお腹も出ていて、未知のものにどんどん首をつっこんでいくおしゃべり好きのおじさんのような性質を、私は古代ローマという時代に見出すのです』

 というけれども、それは決して古代ローマだけじゃなくて、現代イタリアでも同様だろう。ただし、現代イタリアは『生死が隣り合わせの、貧富の差も激しい混沌とした世界ながら、街道、水道橋といったインフラの整備をはじめ、コロセウムなどの公共建築や、神殿、公衆浴場、さらには世界に先がけた法体系の整備など先進的な文明を』築いた古代ローマとは違って、貧富の差の激しさは同じだけれども、ギリシア、スペインと同様にEUのお荷物となっている経済不況と特に若い層に高い失業率であるにもかかわらず、相変わらずマンマの言うことには逆らえず、無職のまま平気で大家族の中で暮らしている現代イタリアの若者の姿を見ると、そんなイタリアおじさんもいるようだなあ、と考えてしまうのである。

『今日と明日はもう違う世界。生き延びるにはフレキシブルに変化できなければならないから、完璧であることよりも、未完であり、伸びしろを持ち続けることを重視する。それをわたしは「増長性」と呼んでいますが、もっと簡単にいえば「ワキワキ・メキメキ」の状態。うーん、わかってもらえるでしょうか?』

 ということで判断すれば、それこそこの「ワキワキ・メキメキの増長性」こそが古代ローマから現代イタリアに通底する「人間の生き方」なのだろうな。

 キリスト教という、まあ古代ローマにとっては「あとからやって来た宗教」ではあるけれども、それでも今や「国教」といえるほどの宗教国家でありながら、ムッソリーニのファシズムが流行ったりグラムシなどの共産主義が流行ったりするイタリアである。まさにそこには「ワキワキ・メキメキの増長性」というものがあるのかも知れない。

 そこへ行くと、すべてに完璧性を求めてしまう我が日本人の心性ってものは、逆にうまく行かない時の落ち込んだ心境なんてものに生きがいを見いだしたりする変な心性だっていう気分になったりする。

『つまりみんな、人生にお金は必要だけれど、お金のために自分を犠牲にしてはもったいないと考えている。夫婦の時間や食事を囲んだ語らいこそが、人生を楽しむことだと信じて疑っていません。いまの日本社会でしばしば問題となる「ブラック企業」というのでしょうか、労働者の時間を極限まで搾取し、安く使い捨てる仕事のありかたをきけば、そんなものに従事するほうがクレイジーだと、とんでもなく憤慨すると思います』

 なんて記述を目にすると、なんかそのほうが実に有意義な生活であると思えてきてしまう。

『単純化をおそれずにいえば、「空気を読める」ひととは、自分がいま暫定的にいるにすぎない場所の価値観やルールに、高度に順応できるというだけのことでしょう? しかし本来であれば、合わなきゃ、出ていけばいい。こんな顔色の窺いあい、牽制のしあいがなされる風潮がはびこっていては、なかなか古代ローマ的なダイナミズム、ルネサンス的盛り上がりは起こりそうもありません』

 ということで、我が日本には(多分)ルネサンスは起きないだろう。

 まあ、Renaissance(re-再び+naissance誕生)なんてものは全く考えずに、前世代・旧世代・とにかく過去の否定でもって成長してきた国だからな。

 では、ルネサンスのない国、日本はこれからどうしていけばいいんだろう。

『男性論 ECCE HOMO』(ヤマザキマリ著/文春新書/2013年12月20日刊)

2013年12月28日 (土)

『新文化』2013年出版界10大ニュースから

「出版界唯一の専門紙」を謳う『新文化』12月26日号が、毎年恒例の今年の出版界10大ニュースを載せている。

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①大阪屋、楽天などの出資暗礁に/臨時株主総会は来年に持ち越し

 大きな問題は、ブックファーストのトーハンへの帳合変更なのだが、実はそれ以上に大きいのがジュンク堂新宿店の閉店とか、もっと大きいのはアマゾンジャパンの帳合変更だろう。

 アマゾンジャパンは例によって売上を報告していないのでよくわからないが、大阪屋にとってはかなり大きな売り上げに繋がっていただろう。なにしろ日本ではトップクラスの「小売店」ではあったわけだからね。それが大阪屋との取引をやめて日販主体に切り替えるということになって、大阪屋は大慌て、でアマゾンと国内で対抗している楽天や、楽天・アマゾンに等距離外交をしたいと考える大手出版社、講談社、小学館、集英社と大日本印刷に出資要請をしたわけだ。

 その結果がどうなったのか。

 結局、大阪屋としては会計処理の見直しから6月に予定されていた株主総会を7月に延期し、赤字決算を報告したのである。で、問題は前出5社からの出資を受けた増資の決議は未だにされていないという。

 どうなるのだろう大阪屋。③とも関連するけれども、こうした中堅取次会社の今後はかなり厳しい状況になることだけは確かだな。

②ミリオン続出…豊年の年/映像化で原作本が好調

 昨年の⑩が「ミリオンセラー 年末にやっと―文藝春秋「聞く力」1点のみ」というのに比べると、なんという状況。

 今年は村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(村上春樹/文藝春秋)、『疾走ロンド』(東野圭吾/実業之日本社)が今年発売された本。『海賊と呼ばれた男 上・下』(百田尚樹/講談社)、『モンスター』(百田尚樹/幻冬舎)、『永遠の0』(百田尚樹/講談社)、更に『オレたちバブル入行組』『オレたち花のバブル組』(池井戸潤/文藝春秋)、『陽だまりの彼女』(越谷オサム/新潮社)、『医者に殺されない47の心得』(近藤誠/アスコム)、『生き方』(稲森和夫/サンマーク出版)、『置かれた場所で咲きなさい』(渡辺和子/幻冬舎)、『プラチナデータ』(東野圭吾/幻冬舎)と、前年や数年前から発売されている本も含めてミリオンセラーが12点も出たということは、決して映像化だけが本の売れ行きを左右するのではなくて、結局は営業マンの動き方がベストセラーを生み出すっていう証拠なのかもしれない。

③取次会社の明暗くっきり/中堅4社の厳しさ増す

 ①と同じ。要は現在は取次は日販、トーハン、中央社だけが儲かっていて、それ以外の大阪屋、栗田出版販売、太洋社、日教販は赤字という状況になっている訳なのだ。更に、いわゆる神田村と呼ばれていた中小取次では明文図書の自主廃業というのも加わって、大取次だけが存立して、その他はすべて壊滅的状況になっているという状態は、今や仕方のないことなのだろう。

 本が「書籍」という形態を伴って存在するという状況は今は既にない、「本はコンテンツである」という状況になってしまえば、それも仕方のないことであるのだろう。

④大雪・地震・台風の天災被害/遅配、客足減強いられる

 これはまあ仕方のないことではある。

 天災は誰の元にも公平に降ってくる訳なのであるから、それに対して基本的な防御をしておかなければならない、ということなんだろうな。

⑤出版関連小委が最終まとめ/出版界の主張も考慮

 この辺が変なんですよね。

 これは以前からも言っていることなんだけれども、別に出版社(者)がレコード会社みたいな著作隣接権を持たなくても、著者からちゃんと「著作権譲渡契約」を結べばいいのだからして、なんでそんなに原著作権者から自らを卑下した立場に置かなければならないのかな。

 要はそれだけ。著作権というのは財産権だから人に譲渡できる権利なんですよ。なので、それを著者から出版社(者)は譲り受ければいいだけのこと。それで、出版社(者)は何でもできるし、しかし、原著作権者には著作者人格権というのが残されていて、氏名表示権とか同一形保持権というものがあるのであるから、出版社(者)が勝手なことはできないということは抑えられてはいる。

 つまり、「出版社に著作隣接権を」という主張には、なんらの必然性も感じられないんだがなあ。

 どうですか、永井祥一さん。

⑥武雄市図書館が物議/危惧される書店への影響

 これも何だかなあ、というニュース。

 だって、武雄市にどれだけの本屋さんがあったって言うのよ。書店への影響ったってねえ。

 いくらもないじゃないかよ。そんなところで図書館がTSUTAYAに乗っ取られたとか言っても、それは単に地元の「本屋さんの働きがダメ」だったってことでしょ。

⑦「緊デジ」6万点超に/約7割が大手出版社

 これは⑤と同じで、変な行政のひとつだなあ。

 やっぱり駄目だったんでしょう、永井祥一さん。

⑧講談社が快‟進撃”/フィルムパックも開始

『海賊と呼ばれた男』『永遠の0』『進撃の巨人』のヒットのおかげで講談社の第75期(平成25年11月30日)決算は増収増益になるようだ。

 ということで、年金生活者としては慶事ではあるのだが、問題はそれらのいくつかのヒット作によって作られた収益だということだ。

 本当はそんな単体の作品だけの収益で黒字になるよりも、恒常的に黒字体質になったほうがいいんだけどなあ。

 まあ、これはリタイヤ人としての勝手な言い草ではありますね。

⑨「特定秘密保護法」が可決・成立/業界団体が一斉に反発

 まあ、これは当然。

 別に出版界としては言うことはないと思うのだけれども、でも、新聞・テレビ界がなんでこの法案が決まるまで何も言わなかったのかなというのが気にかかる。

 結局、それらのマスメディアは自らを権力であると勘違いしていたので、自分達には関係ないことだと考えていたのだろうか。

 バカですね。

⑩各地で書店大賞、商談会/書店活性化へ自ら企画

「京都本大賞」「Osaka Book One Project」「静岡書店大賞」「名古屋文庫大賞」「酒飲み書店員大賞」(千葉県)といろいろある。

 これからもこうした地域書店大賞的なものは、地域でのベストセラー作りとか、書店員のモチベーション作りという意味では、増えていくだろう。

 そんな訳で、私もそんな場所に行って本屋さんを見る楽しみも増えてくる訳だ。

2013年12月27日 (金)

横浜、黄金町散歩カメラ by NIKON F4

 私の一眼アナログカメラの愛機はニコンF4とニコンNEW FM2である。

 ニコンF4は1988年の発表。ニコンのフラッグシップ機最初のオートフォーカス機である。F3 AFというペンタプリズム部分を交換することでオートフォーカスができるカメラを作ったニコンとしては満を持して発表したフラッグシップである。使用感としては、できるだけそれまでのF3のアナログ感を残そうと、すべてダイヤル式の操作系で液晶表示なんかは一切使っていないという、まさに保守系カメラ・ニコンの面目躍如といった作りだった。

 しかし、F3に比べるとオートフォーカスになった分だけシャッターが遅れ、その部分がマニュアルフォーカス派が大半の当時のプロフェッショナル・フォトグラファーからは不満が出された。同時に、翌年キャノンがEOS-1/EOS-1 HSを発表して、その合焦スピードがニコンF4より速かったので多くのフォトグラファー(特にスポーツ系の)がキャノンに流れたのは事実である。

 しかし、ニコンに残ったフォトグラファー(大半は報道系、雑誌系)は、ニコンが昔からのレンズマウントをそのまま使えるようにしていたことにもメリットを見いだしていたのである。そこでニコンは1996年に液晶表示を使ってデジタルライクになったニコンF5を発表、2004年にはF6という具合に撮影はアナログだが、操作感はデジタルというカメラを次々に発表、それが2004年のニコンD1の発表になったわけだ。

 ということで、ニコンF4はちょっと中途半端なオートフォーカス・フラッグシップ機という位置づけになってしまったせいか、今や中古カメラ店でも不人気機種になってしまったようで1~2万円位で買えてしまう。私も、今持っているF4は二台目で一時期手放してしまったF4を再び買ったというのが事実である。

…………

 ということとは関係なく、昨日は横浜、黄金町である。京浜急行で横浜から3駅目。

 黄金町といえば、23日に書いた伊勢佐木町が関内から繋がる表通りなら、そこから大岡川をはさんだ裏町という感じで、やはり娼婦街ではあったようなのだが、公娼ではなく、基本的に「ちょんの間」という形態の商売をやっていたようだ。

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「ちょんの間」というのは、1階で飲み屋なんかをやっていて、気に入った客を2階に連れていって売春をするという、いわゆる「青線」での商売のやり方。

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 この建物なんかは典型的な「ちょんの間」の建て方で、同じ建物が長屋状態で横には幾つもの店に分かれて、1階と2階が繋がっているという状態で建てられている。

 ところが、今はこの建物もそうだが、勿論「ちょんの間」なんてやっていなくて、なんかアートの香りがする街になっているのである。

 上の写真はそうではないけれども、基本的には京浜急行のガード下を利用した店舗が多く、そのスパンを幾人かで使ってやっていたそうだ。

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 で、今そこらがどうなっているのだろうかと行ってみれば、こんな「黄金町芸術センター」なんてものに変わっている。

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 黄金スタジオとか……

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 koganecho art book bazaarなんてアート系の本屋さんなんかになっている。

 まあ、要はガード下からそんないかがわしい人たちを追い出した京浜急行と、街を浄化したい人たちの思いが「アートで街を再興」という方向に行ったんだな。

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 今や倉敷芸術科学大学の出先ゼミなんかもある。

 同時に、お金がなくて自らのスタジオを構えられない若い芸術家に対して、安い料金で場所を貸し出すなんてこともやっているようだ。

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 ともあれ、まあ街を芸術で再興させるていうのは、取り敢えずの方法としてはいいことだろうけれども、なんか妖しい街がこうやって減っていくってのも、ちょっと寂しい。

 その地の人にとってはなるべくなくしたい町のイメージなんだろうけれども、そんな「悪所」というのも、ちょっとドキドキ・ワクワクというところで、男の成長にとっては必要なものなのである。要は男の子がオスになるためにね。

 しかしまあ、こうして街の女性化・子供化がどんどん進んでいくんだろうな、

 しかし、AE+AFですべてちゃんと取れてしまう写真ってのもあまり面白くないな。なんか、デジカメで撮っているような気がしてきた。アナログなのにね。

NIKON F4-S+AF Nikkor 24-50mm/F3.3-4.5 Kodak Super Gold 400

2013年12月26日 (木)

おススメの斎藤コーヒー店 今昔

 私が愛飲しているコーヒーは神田の斎藤コーヒー店のコーヒーであります。

 行き方はJR山手線・中央線の神田駅西口を出て……

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 そのまま東京駅方面へガード沿いに歩いていくと……右側にあるのが

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 斎藤第二ビル(ってことは自社ビルなのね)の一階にあるのが「斎藤コーヒー本店」

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 なんで斎藤コーヒー店なのかといえば、昔、神田駿河台に中央大学があった頃には、大学のすぐそばの小川町に斎藤コーヒー小川町店というのがあって(昔は「小川町店」なんてのは知らなくて、単に「斎藤コーヒー」と呼んでいた)、そこに入り浸っていたということがあって、それが懐かしくなり、いまだに斎藤コーヒー店のコーヒーが好きということなのだ。

 斎藤コーヒー(小川町店)には面白い展示があって、その一つがプロイセンのフリードリッヒ二世(大王)が出した、コーヒー禁止令。

 つまり、1777年にフリードリッヒ大王は「コーヒー・ビール条例」を発して国内のコーヒーに重税を課す布告をおこなったというもの。

 当時、海外に植民地を持っていなかったプロイセンにとって、コーヒー消費量の増加は一方的な通貨の海外流出となり、国際収支のバランスは悪化するばかり。しかも、そのおかげで国内のビールの生産量が減り、国は打撃を受けていた。

 そこでフリードリッヒ大王は「コーヒーは国民の勇猛さや勇敢さを損ない、国家の弱体化に繋がる」として、国民にコーヒーを飲むことを抑え、皆ビールを飲むように勧めたということなのだ。

 そこでフリードリッヒ大王は1781年には「王室以外のコーヒーの焙煎を禁止、貴族・司祭・将官といった上流階級のみ」がコーヒーを独占することになり、王室は莫大な利益を得たということなのだけれども、結局、庶民は「コーヒー・ビール条例」の後も「代用コーヒー」なんかを飲んだりして、相変わらず(疑似)コーヒーを飲んでいたのである。だったら、それを官許にして国庫の増収につなげた方がいいという発想。

 まあ、カジノ特区なんてのも同じ発想だからして……。

 とまあ、それほどまでにコーヒーはプロイセン国民にも浸透していたということなのだろう。
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 今、昔の斎藤コーヒー店があったところがどうなっているのかと行ってみれば……。

 確か、この小川町薬局ってのは昔からあったので、隣のスノーボード屋さんがあったところに斎藤コーヒー小川町店があった筈なのだ。

 閉店は昭和53年(1978年)であると斎藤コーヒー店のサイトに書いてあった。
Dscf12272私のおススメはこのフレンチロースト。ウィンナコーヒーにすると美味しいです。

 現在、斎藤コーヒー店は、本店(ここは豆売りだけ)の他、内神田店と日本橋室町店があります(こちらは店でも飲めるし、豆売りもしています)。

斎藤コーヒー店のサイトはコチラ

Fujifilm X10 @Kanda & Ogawamachi, Chiyoda (c)tsunoken

2013年12月25日 (水)

『はじめてのマルクス』で見えてきた、「日本型民主主義ファシズム」

 我々の学生時代はマルクスは必読書だった。

 とは言うものの、『資本論』まで読むのは普通はあまりなくて、『共産党宣言』からスタートして『ドイツ・イデオロギー』『経済学・哲学手稿』あたりで挫折するってのが普通でしたがね。

 私の場合『資本論 第一巻』あたりで大学へ入学してしまい、取った「経済原論」の講義は『資本論』だったわけだが、なんか知っていることばかり教える授業が面白くなくて、結局、三年になった取ったゼミは「トーマス・ロバート・マルサスの『人口論』」という、なんかまったく一貫性のない経済学部の学生生活ではあった。

Dscf12072『はじめてのマルクス』(鎌倉孝夫・佐藤優著/金曜日/2013年11月20日刊)

 ところが今の学生はマルクスを読まないばかりでなく、マルクスという名前すらも知らないという状況のようだ。

 特に「ソ連や東欧の社会主義体制が崩壊した後、それはマルクス経済学が間違っていた証拠だという風に解釈されて、マルクス経済学を学ぶことには意味がない」という風に見られてしまったことは、マルクスにとっては不幸なことである。しかし、マルクスの『資本論』は、別に共産主義や社会主義の経済学なのではなくて、19世紀から始まって現在まで続いている「資本主義社会」について、それを徹底的に解明した書なのである。

 つまり、資本主義の本質について書かれた本が『資本論』であり、だったら、それこそ現在の経済社会を解明するのに一番適した本が『資本論』なんじゃないか、というのが「保守主義者=佐藤優」氏の考え方なのである。

 本書は鈴木宗男氏の事件に絡んで執行猶予付き有罪判決を受けた元外交官、佐藤優氏が師と仰ぐ、埼玉大学名誉教授・鎌倉孝夫氏との対談、というより殆ど佐藤氏が喋って、鎌倉氏はそれに相槌を打つというような形で進んだ、対談を収めたもの。

 従って、内容については引用しても、対話をそのまま載せないと理解できないものなので、取り敢えず、佐藤氏によるまえがき「いまこそ高まる『資本論』の重要性」と、鎌倉氏によるあとがき「資本の支配を終わらせるために」からいくつか引用する。

 まずは「まえがき」から

『私はマルクス主義者ではない。思想ということならば、キリスト教(プロテスタンティズム)が私の物事を考える基本になっている。政治的には、私は保守陣営に属するという自己意識を持っている。しかし、私は、マルクスが『資本論』で展開した資本主義分析は基本的に正しいと学生時代から一貫して考えている。それは、マルクスが資本主義の根本的な矛盾が、労働力の商品化になることを解明したからだ。その具体的な内容と論理については、この対談でわかりやすく説明しているので、是非読んでほしい。労働力の商品化ということの意味がわかると、世の中がまったく異なって見えてくる。そして、経済現象に関して、ほんとうに重要な事柄と、そうでない幻影との区別ができるようになる』

『企業に勤務する社会人で、自己責任や成果至上主義で疲れ切っている人が加速度的に増えている。リストラの不安にさらされている人もたくさんいる。国家公務員、地方公務員でも、自らの仕事にやりがいを見いだせないという悩みを抱えている人は多い。将来が不安になり一年生のときから就職活動で走り回り、腰を落ち着けて勉強をすることができず、何のために苦労して受験勉強をして大学に入ったのかわからなくなったと嘆く学生もめずらしくない』

『社会主義体制が崩壊して、資本主義諸国にとって、革命の現実的な脅威はなくなった。その結果、資本の活動に歯止めがかからなくなった。これを「資本の暴走」と批判しても、あまり意味がない。なぜならば、資本とは、本質において暴走するものだからである』

『〈株式資本(一定の価格をもった土地とともに)は、擬制資本として商品形態をもつ。それは売買されうる対象になる。しかし資本主義の原理的関係の中では、この売買は一般的には現実化されていない。このことは、資本自体の商品化は、擬制資本によってはじめて行われるということ、そして擬制資本は決して現実資本から独立して自立的に存立しうるものではない、ということを意味している。すなわち、擬制資本としてしか成立しえないということは、現実的関係の中では現実化しえない、ということである』

さて、「あとがき」では

『むしろ今では、グローバル資本主義というような資本主義のほとんど無限界の発展というとらえ方に対し、私は資本の発展――市場関係への分解を通した――は限界があること、市場関係に分解されない共同体領域が現に実在していることを強調している。しかし資本主義は市場関係を超えられない、この関係の中に「閉じられている」、ということは明らかである』

『①「株式には株式のイデオロギーがある」、「カネを払って商品を買うということ自体がイデオロギーだ」という点。とくに前者に関してこれは何をいおうとしているのかわからないという感想があった。資本主義の中で生活していると、カネを払ってモノを買うということは空気や水の存在のように当たり前だと思うのではないか。しかしこの関係=交換関係は人間社会にとって普遍的関係ではなく、これこそ特殊な関係(歴史的形態関係)なのだ。だからこの関係を当たり前(普遍的)と思うことはイデオロギーなのだ。形態的関係を普遍的=実体的関係ととらえてしまう観念なのだ。いまこの観念は、株式をもつだけで利得(配当)がえられるのは当然だ、というところにまで高まっている。そういうとらえ方自体イデオロギーだ、ということである。マルクスがこれを「物神性」の最高形態だといっているが、これを「物神性」ととらえず当然視することは明らかに資本家的イデオロギーそのものなのである』

『②この点との関係で、とくに強調したいのは「労働力の商品化」の無理という点である。まず「労働力を売るというのは普遍的なことなのか」ということ、である。労働力を商品として他人(資本家)に売る――それは自分の労働力を自分では使わない(使えない)で他人に使われる、他人の指示に従って労働しなければならない。つまり他人に支配されるということである。それをおかしいことと思わず、当たり前と思ってしまっているのではないか、それを反省し、批判的な目でとらえてほしい。
 そして労働力をなぜ商品として売らなければならないのか。それは労働者が自分の労働力を使うのに必要な生産手段(土地、原材料、機械設備等)を持っていない、奪われているからである。<中略>これを資本の本源的蓄積という。この特殊的歴史条件は、資本が労働・生産過程という社会存立・発展根拠、本来の価値形成・増殖根拠を包摂・支配する条件として、今日においてもくり返されている』

『そして今日の日雇い労働に示される労働自体の徹底した部品化、そしてその下での大量失業、生活破壊という現実は、明確に資本主義体制そのものを現実に総括=変革することが、現実の課題となっていることを示すもの、といえる』

 これらを総括するとどうなるのだろう。

 まず、現在の日本の現状はどうなんだろう、というところから考える。

 まあ、本書では日本は帝国主義状態になっているという。しかし、他国に対する帝国主義的支配関係(植民地とか、植民地的状態とか)はないわけで、それからすると帝国主義とはちょっと違うんじゃないかとも思う。まあ、アナロジー的には帝国主義状態とは言えないこともないとは言え、まあそれは違うんじゃないか。

 とすると、ブント流国家独占資本主義状態なのかといえば、それこそグローバル資本主義の中に放り込まれている日本経済であるから、もはや資本は国家を超えて成長してしまっている状態だ。最早、昔の「国民国家」思想は使えなくなってしまっているのが現状である。

 この後、どうやって日本資本主義(あるいは米国資本主義)が発展していくのか、あるいは衰退していくのか、あるいは崩壊に向かうのか、壊滅に向かうのか、どうなるのだろう。

 ただ、一つだけ言えることは、不破哲三氏が言うような『恐慌は資本主義の死に至る病』だなんてことはないということだけ。たしかに、本書でもいうように恐慌は資本主義社会の基本的に持っている病理なんだけれども、それは「資本主義的解決方法」でなんとかなるのである。たとえば、労働者の賃金引き下げとかね……。

 当然、今のような状況で日本に革命(平和革命であれ、暴力革命であれ)が起きる可能性は、殆どゼロだろう。そのためには主体的に動ける人々が数百万~数千万は必要だが、今の日本にそんな人間はいない。

 むしろ、恐慌が引き起こす資本主義に対する反省としての国家社会主義(要はファシズム)ではないだろうか。

 「あとがき」で鎌倉氏が書くように『私としては、国家の強権的なファシズムというよりは、すでに現れている新しい公共性とか社会的包摂とかに示される‟民主主義の衣をまとったファシズム”の危険性を強調したい』というように、私たちの社会は次第にファシズムへの道を歩いているような気がしてならない。

 特に、ネットを中心とする「総覗き見社会」とか「総批判社会」とか「総晒し上げ社会」とか、要は「炎上社会」というものが、どこか日本型ファシズムの第二類型であるような気がしてならない。

 勿論、第一類型社会は戦前の日本社会だった訳なのだけれども、やはりそこにあったのは密告社会ではあったのだ。

 そんな第一類型からきたところの第二類型が、これからの日本国家社会主義(民主主義的ファシズム)の原型になるのではないか。

 つまり、日本資本主義の終焉は最早自明のものであり、目前に迫っている。で、その後に繋がるのは資本主義の野放図な規制緩和を批判した、でも結局は国家社会主義(民主主義的ファシズム)なんだよなあ。多分。

 結局、自民党じゃだめなんだという勢力が、もう一度盛り返して、その結果それらの勢力が力を持ってきて、それが一種の「大政翼賛会」的なものになって「日本型民主主義ファシズム」が形成されるんだろう。

 それもあと数年のうちに。東京オリンピックがその切っ掛けになったりして。

『はじめてのマルクス』(鎌倉孝夫・佐藤優著/金曜日/2013年11月20日刊)

2013年12月24日 (火)

Fitbit weekly progress report from Dec.16 to Dec.22

 Fitbitから先週のレポートが来た。

 先週は雨などの悪天候が続き、ギリギリノルマを達成という感じで、トータル71,610歩、50.13km歩いた。

 最も活動的だったのは12月17日(月)で15,369歩、10.76km歩いた。マンションの建て替え現場を撮影した後、湯島天神まで歩いて年賀状のネタ仕入れ。

 最も非活動的だったのが12月18日(火)。この日は朝から冷たい雨が降り続いて結局一日中引きこもって年賀状作り。3,469歩、2.43km。

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『東映ゲリラ戦記』で初めて知ったことなど

 鈴木則文監督といえば東映ポルノ路線というか、東映B級プログラムピクチャー路線というか、とにかく東映A級プログラムピクチャーであるところの「ヤクザ映画」や「実録路線」にイマイチ乗り切れなかった私の愛する監督ではあった。

Dscf12062『東映ゲリラ戦記』(鈴木則文著/筑摩書房/2013年11月25日刊)

 1978年、「御大」片岡千恵蔵が語った東映出発の話が面白いので、まずそれを紹介する。

『――昭和二十二年スタートした大映京都作品『七つの顔』(封切りは前年の大晦日)は、引き続き『十三の眼』『二十一の指紋』とヒットを続けて大映は大いに儲けていた。
 その頃のNHKの正月インタビュー番組に出演した大映社長永田雅一が、自社のヒット作品多羅尾伴内について触れ「あんなものは大映が本来めざす映画ではない。当たっているからつくっているので、子供だましのあんなものは映画とはいえない……」等々、詳細は不明だが千恵蔵にとって大変屈辱的な言葉を言い放ったらしい。その放送を聞いていた同映画のスタッフの比佐芳武と松田定次監督も激怒。三者急遽協議して「もう大映で多羅尾伴内はつくらない」ことを申し合わせる。活動屋のプライドをここまで踏みにじられて仕事など出来る訳がない。三人は大映退社を決意。それに大映に不満を持つ時代劇スター市川右太衛門と松竹に居たマキノ光雄とその一党の満映出身者が参加し、新会社「東横映画」を創立する。『きけ、わだつみの声』などヒット作はつくれども、配給する映画館のない製作専門会社の悲しさ。東横映画はハラワント映画と陰口をたたかれる赤字が続く。儲けるのは配給会社のみである。
 製作し、映画を上映する映画館を所有してこそ映画会社であるとつくづく実感させられた千恵蔵、比佐、松田、マキノ光雄は、狙いをつけた東急オーナーでふところの深い五島慶太に懇願。遂に製作と配給網をもつブロックブッキングの映画会社「東映」を設立。東急から大川博が社長として就任。大映、東宝、松竹と並ぶ大手映画会社となっていくのである』

 ということ。なるほど「口は災い」ではあるな。

 ところで、ここに書かれている『きけ、わだつみの声』というのは鈴木則文氏が

『――東映ゲリラ部隊
本隊隊長      中島貞夫
別働隊カントク   鈴木則文
総大将       石井輝男
最高司令官    岡田茂』

 と書く、『最高司令官 岡田茂』の実質初プロデュース作品なのである。その後の岡田茂氏といえば、リストラやら人員整理なんかを大胆に行う経営者として有名なわけであるが、その最初の映画が『きけ、わだつみの声』であるというのは、何という皮肉なんだろう。まあ、岡田茂氏としては思想的なものから作った映画ではなく、あくまでも商売優先だったのだろうけれども、氏家齋一郎や渡邉恒雄が「天皇制批判がない」とクレームをつけたというのも面白いエピソードだ。

 そんな東映に立命館大学からいつしか東映京都撮影所のスタッフとなった鈴木則文氏は、当時、山口組のお友達であった俊藤浩慈プロデューサーの押しも押されもしない東映A級プログラムピクチャーである「任侠映画」の末端に属し、『緋牡丹博徒』シリーズの全シナリオを書くも、基本的にゲリラを自認し、『温泉みみず芸者』で「東映ポルノ路線」を確立する。

 池玲子や杉本美樹は鈴木氏によって見出された才能であり、当時の若者向け週刊誌のグラビアを飾ったものである。ええ、勿論私も随分おカズにはさせてもらいましたよ。

 当時、新左翼の活動家なんかは任侠映画を見ながらイキがっていたわけなのだが、何故か時代劇風のその様式美を好きになれなかった私は、鈴木則文氏や中島貞夫氏の裏番組の方に肩入れしていた。『温泉○○芸者』ノシリーズや『女番長(スケ番)』シリーズである。

 ただし『トラック野郎』シリーズになると、任侠映画がもはや廃れて、実録路線も陰りが出てきた東映にとっては、完全にA級プログラムピクチャーになってしまって、ゲリラどころか正規軍であり、ということはあまり興味が持てなくなってしまうんだから、ファンなんてあてになるものではない。

 で、本書の中からいくつか面白い言葉を;

『映画に民主主義は不要である』

『わたしがメロドラマこそ大衆娯楽映画の本道だと言ったのは、その場での単なる思いつきではない。〈映画の本道はアクションとメロドラマである〉というのは、私の少年時代からの変わらない信念であった』

『中止も早いが、決定も即断即決の速さである。このあたりが東映の変わらぬ伝統であろうか。マキノ光雄から岡田茂へと継承されているといわれる京都活動屋イズムであろう』

『もともと俺はスターシステム信奉者で、主義主張よりスターの魅力が映画を輝かせてくれると思っている人間なんだ』

 その他、この本で初めて知ったこと。

○池玲子のデビューは実は16歳だったということ、18歳だとばっかり思っていた。16歳の裸だったら、もっと丁寧に見ておくんだった(?)。

○「義理かく、恥かく、人情かく」と呼ばれる東映の三角マークについての由来は俳優山城新伍の説であるということ。

○名バイプレイヤーと称された殿山泰司は、田中小実昌の飲み友達でった。というのだが、禿げ頭二人で酒を飲み交わしている姿って、面白そうだ。

○その殿山泰司の実家が銀座のおでん屋「お多幸」であったとは。よし、今度行こう。

○殿山泰司が主演した『裸の島』という新藤兼人作品は「台詞のない映画」として有名だが、実はアフレコ代節約でそうなったという話。

『東映ゲリラ戦記』(鈴木則文著/筑摩書房/2013年11月25日刊)

2013年12月23日 (月)

伊勢佐木町ブルース

「〽あなた知ってる 港ヨコハマ」といえば、1968年に大ヒットした故青江三奈の「伊勢佐木町ブルース」の歌いだしだ。

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 そんな横浜市中区伊勢佐木町は一丁目から七丁目まであり、商店街が繋がっている。

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 JR根岸線関内駅前からスタートして七丁目の子育て地蔵まで、およそ1.5kmの賑やかな商店街であり、国道16号線の裏通りみたいな感じで並行して走っているのだが、「伊勢佐木町ブルース」に歌われているような盛り場というよりは、商店が延々と並んでいる町なのである。

 根岸線を越えて北東側にいくと、そのまま馬車道になる。つまり馬車道の延長線上にあるのが伊勢佐木町商店街なのである。

 伊勢佐木町といえばなんとなく「盛り場」というイメージでとらえがちであるが、実はそうではない。

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 むしろ盛り場といえば、国道16号線側の曙町や、反対側にある福富町の方であり、そちらは盛り場というよりは現在で言うところの「風俗街」である。

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 こんなファッションヘルスやクラブなんかがあるのは、伊勢佐木町ではなくてむしろ福富町の方である、

 それが何故「伊勢佐木町ブルース」という名前の歌になったのかは分からないが、「伊勢佐木町ブルース」という題名のおかげで伊勢佐木町の名前が全国的に知られるようになったことはご同慶の至りだが、一方で伊勢佐木町は盛り場というイメージがついてしまった。

 勿論、「伊勢佐木町ブルースの碑」は伊勢佐木町商店街にあり、伊勢佐木町の名前が全国的に広まったことを記念して作られたのであるが、多分、作った方はどこか複雑な思いがあったのではないだろうか。

 実は私も伊勢佐木町商店街に「伊勢佐木町ブルース」のイメージを追い求めて撮影に出かけたのだであるが、やはりそれは裏切られたわけである。

 まあ、歌を信じていくとそんなもんである。

LEICA M6+Elmarit 28mm/F2.8 Kodak Super Gold 400 @Isezakicho, Yokohama (c)tsunoken

2013年12月22日 (日)

道頓堀

 12月15日に甲子園ボウルに行くまで少し時間に余裕があったので、「大阪に来た人が必ず行く」道頓堀に行ってきた。

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「道頓堀」というのは、安井道頓という人が新川奉行となって運河の開削が行われ作られたものだが、道頓の死後、従弟の道卜が完成させた折り、当時の大阪城主、松平忠明が道頓の功績を鑑み「道頓堀」と命名したそうだ。

 道卜は振興策として別の場所にあった芝居町を道頓堀川の南岸に移転させ、周囲に茶屋町などを配置して現在に至る盛り場の元を作ったそうだ。

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 してみるとこの、松竹座や角座というのが大元の道頓堀の賑わいの名残りなんだろう。

 ただし、昔はこうした芝居小屋や茶屋(当然、遊女なんかがいたわけだ)なんかに遊びに来たのは当然男ばっかりだったんだろうから、今みたいに女の子が沢山集まることなんて信じられなかっただろう。

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 昔懐かし、法善寺横丁である。『夫婦善哉』なんてのが思い出されますねえ。

 というか、この一角だけは道頓堀のコテコテぶりとは違って、昔からの雰囲気が残っている。道頓堀の中心地あたりは女の子が中心でたこやき何かを頬張っていたり、JRAウィンズ道頓堀の周辺なんて真昼間っから酒を飲んで競馬中継に見入っているオッサンがいっぱいいるが、この法善寺横丁周辺は、そんな雰囲気とは一転して昼間は閑散としている。

 さすがに表通りは今風にコテコテさせているけれども、裏通りになると昔の風情を残そうというのが大阪人の心意気なのかもしれない。

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 こうした道頓堀の賑わいに比較して、JR大阪駅周辺は本当に人影が少ない……じゃなくて、実はこの梅田界隈では人は皆地下に潜ってしまうんですな。

 地上の閑散ぶりと逆転して、地下街は人々々でいっぱいなのだ。

 梅田名物串カツ屋さんなんかも、すべて地下街に展開している。さすがに地下鉄が発達している大阪の街は、基本的に地下街が発達してできているんだろう。

 う~ん、「UNDERGROUND CITY OSAKA」ってなんか「らしい」響きですね。

Fujifilm X10 @Osaka (c)tsunoken

 

2013年12月21日 (土)

Mac不安ちゃん

月刊『Mac Fan』の連載漫画だから『Mac 不安ちゃん』。じゃあ「Windows 不安ちゃん』とか『Unix 不安ちゃん』『Linix 不安ちゃん』とかもあるのか、といえば当然それはないわけで……。

20131217_92351『Mac不安ちゃん』(みずしな孝之著/マイナビ/2012年11月29日刊)

 何故か? それはそれらのOSの出自にあるわけだ。

 Windowsはご存じマイクロソフトのOSであるわけなのだが、最早それは「ファン」なんてものが必要ないくらいに世界中に普及しているわけで、むしろWindows OSを使っている人(というか、使わざるをえない人)はマイクロソフトを恨みながら使っている(ああ、それは私のことだが)というくらいなものである。

 UnixはAT&Tベル研究所の作。しかし、使っているのがサーバーやワークステーションなので、個人ユーザーはほとんどいないだろう。個人で使っているのは、相当なオタクか研究者だけなので、これは一般には広がらない。

 Linux(Linuxカーネル)は、上記のUnixがオープンソースであったために、勝手にUnixユーザーが作り変えたOSであり、なおかつ開発者のリーナズ・トーバルスが、これまたオープンソースでやったために、まさしくLinuxユーザーの数だけLinuxカーネルの変種があるといった状態で、これまたLinuxファンという存在がいるのかいないのか、まったく分からない状態になっているわけだ。

 そこから行くと、Mac OSはアップルの開発者がシコシコ作ったOSなのでしょっちゅう不都合が起きていて、昔のMacintoshコンピュータは年がら年中「爆弾マーク」が出てハングアップを繰り返していたものだ。逆に、その辺がMacファン(不安)を作る要素にもなっていたんだが、なんか「人間ぽいね」なんてね。実はMac OSのハングアップなんて、所詮、アップルのオタク・プログラマーの限界でしかなかったわけであるのだが、なんか、中途半端な機械を渡されると、却って愛着が湧いてしまうという人間のサガではあるのだ。

 そこへ行くとWindowsの前身であるMS DOSなんて、ビル・ゲイツがIBMに大言壮語した結果を受けて、どこかの開発者から安い値段で買ってきたOSを「これがMS DOS(マイクロソフト・ディスク・オペレーティング・システム)でございます」なんて言って売り込んだという安易さがまずある。で、IBMのマシンは基本オフィス用なので、そんなオフコン(懐かし呼び名だなあ)は安易にハングアップされちゃあ困る、ということでMS DOSはかなり頑丈に作られている。ところが、Mac OSとの競争になった時に、そんなIBM向けのOSとパソコンに特化したOSという対決なわけで、IBMはオフィス用コンピュータなので、個人ユーザーが皆Macに行ってしまうんじゃないか、と恐れたビル・ゲイツが「Macの真似をしろ」といって作ったのがWindows 3.1でありWindows 95だったわけですね。

 つまり、そんなところがWindowsが嫌われる理由。

 ただし、Mac OSだってMac OS Xからは、スティーブ・ジョブズがNeXTコンピュータで開発した、LinuxベースのOSなので、それまでのアップル内製のOSではなく、昔みたいな「爆弾マーク」は出てこない。つまり、普通のOSになってしまったのである。

 そんなわけで、「Mac不安ちゃん」の不安の理由は「いつ爆弾マーク」が出てくるか分からないという、昔ながらの不安じゃなくて、「新製品がヘンな柄だったらどーしよう? ジョブズさんの病気の具合がとっても心配……、iPhoneがこのまま縦長で進化し続けたら10年後は……」という、まあ昔から考えたら牧歌的なものなのである。だってさ、昔はMacで原稿を書いていたとしたら、ようやく原稿完成なんて時に限って「爆弾マーク」が出てきて、それまで書いていた原稿が全てオシャカになったりなんて経験をあなたもしたでしょう、Macユーザーの方々?

 ところがMac OS X以降は、「岩のように頑丈なUnix(Linux)」ベースなので、もはや「爆弾マーク」を恐れる必要はなくなってしまったのだ。つまりMac OS 9までの不安定なMac OSだからこそ、そこにはそんな不安な気持ちを持ちながら、それでも「僕はMacと心中するもんね」というMacファンがいたわけだけれども、もはやそんな気持ちもなくても別に普通にMacを使えてしまうっていうのは、何か「昔のMac」じゃない。

 なので、Mac不安ちゃんの不安は、なんか普通の新製品に対する不安でしかない。

 ところが面白いのは、Mac不安ちゃんのお友達で「ビスタちゃん」が出てくる。

 ええっ? あのクソOSを?

 あのMac OS Xに比べたら、てんでクソがWindows Vistaではあるが、当然Windows側もVistaはクソだってわかっていたんだろう、すぐにWindows 7を出してきた。じゃあ、ビスタちゃんはセブンちゃんに変わってしまううだろうか、という点は単行本では分からない。「私、改名したの」なんてね。

 勿論、ビスタちゃんはビル・ゲイツさんのファンである。

 別に、ビル・ゲイツのファンがいても、スティーブ・ジョブズのファンがいてもいいけど、しかし、なんでこんなにWindowsファンとMacファンって対決的になるのかね。

 私のように最初では自分で買ったMac、当然家でもMac、その内会社では会社が買ったWinとなって、その内会社の仕事を家でもやるようになってしまい、やむなく会社Win、家Winという、多分それは多くのMacユーザーが辿って来た道なんだろうけれども、そうなってしまうともはやMacでもWinでも、どーでもいいやってなってしまうんだが、今でもWin排除のMacユーザーっているんだろうか。

「ノマドな人たち」は、スタバでMac Book Airがいいんだそうだが、なんでそんなにMacに拘るんだろうね。別に、ルノアールでLenovoだっていいじゃんかよ。

 そうもはや、MacだWinだっていう時代ではない。何しろWindows 8を出したあとのマイクロソフトはハードウェアも出し始めたからね。最早、マイクロソフトはソフトだけの平行分散モデル、アップルはソフトからハードの垂直統合モデルという時代は終わったのである。

 だって、ついにMacにもウィルス出たって言うしね。

 もう、APPLE vs. Microsoftの時代は終わったのである。

 いいじゃないか、それで。

 でも、多分次のラップトップはMac Book Airなんだろうな。

 先祖帰りじゃなくて、Mac帰りか。

 

『Mac不安ちゃん』(みずしな孝之著/マイナビ/2012年11月29日刊)今はKindle版だけなんだろうか。

『バトル・オブ・シリコンバレー』も、その辺のMac vs. Windows合戦が描かれていて面白いよ。

2013年12月20日 (金)

『イン・ヒズ・オウン・サイト』はちょっと気取りすぎ

『イン ヒズ オウンサイト』ってどこかで聞いたことがあるなあ、と思ったらジョン・レノンのパクりだったんだなあ。まあ、如何にも小田嶋氏らしいって言えばらしいんだが。

20131213_125754『イン ヒズ オウン サイト ネット巌窟王の電脳日記ワールド』(小田嶋隆著/朝日新聞出版/2011年10月31日刊) 

 小田嶋隆氏と言えば「偉愚庵亭撫録」や、日経ビジネス・オンラインの「ア・ピース・オブ・警句」などで知られるコラムニストなわけだが、1998年からこんなブログ(当時はそんな言い方はなくて、普通にHPに張られたWeb日記とか言っていた)を書いていたわけで、それがこんな本になって、現在は電子書籍になっているのだなあ。

 日本でブログ・サービスが始まったのが2002年だったそうなので、1998年というのは相当早く始めた訳なのである。つまり、小田嶋氏の如何にもコンピュータ・オタクな生活がそこには見られるし、書かれた文章を読むと、そのネタのほとんどがテレビ・ネタであることは、まさしく「引きこもり系コラムニスト」の面目躍如ではある。

 そんな意味では、同じタイトル案の中では「素晴らしきヒキーコ野郎」とか「ぬるぽ日記」の方が相応しいとも思うのだが、それでは「まんま」か。

 小田嶋氏は初期からのパソコン・マニアらしくMacとWindowsの双方使いであるが、最初はやっぱりMacだったのかな、『マックユーザーはマックに甘い。うん、おっしゃるとおりだ。が、マックに甘くない人間でないとマックユーザーなんてやってられません。キーワードは愛。いまどき「愛」だぜ。言うに事欠いて』って、なんか初期のマック・ファンらしい発言なのである。

 おまけに『ここのところ「テレホーダイ」の時間に影響されて夜昼が完全に逆転している』なんて言葉に異様に反応してみたりして。

 考えてみれば、私が最初にパソコンを手にしたのもMacだった。それまでOASYSのワープロ(表計算ができるワープロだったのだ)を使っていたのだが、考えてみればワープロ専用機っていうのは、パソコンのワープロ機能だけを(劣化させて)特化したものだって気がついてから、私の興味はMacになったわけだ。つまりMS-DOSなんてものはまったく理解できないし、勉強もする気がなかったので、そこは必然的にGUIに優れたMacに興味が行ったわけで、パワーブック150(HDD 120MB!)を買ったのは1994年か95年の頃だったと思う。

 当然、その年にはWindows95が出た訳で、そこはもうちょっと待ってWindowsを買うという選択肢もあったのだが、何故かMacに言ったわけですね、当時のイメージとしては。やっぱりMacの方がカッコイイという意識が働いたのかなあ。Windows95ではマイクロソフト最初のGUIなので、ちょっと心配だった。とまあ、私の話はいいとして、テクニカル・ライターとしての小田嶋氏なので、もっとMac関係の記事が多いのかなと思ったら、実は記事のほとんどはサッカー(特に小田嶋氏の趣味としての浦和レッズ)の記事ばっかりなのである。

『夕食後、ウェブページの更新作業。イラストを描く。
 どうしてオレはこういうことには勤勉なのか。
 ギャラの出ない仕事って、どうしてこんなに楽しいんだろう』

 って書くけど、そりゃそうだ。だって、ギャラの出る仕事って、要は「お仕事」でしょ。「お仕事」がそんなに楽しいわけじゃないでしょ。つまり、テクニカル・ライターの仕事は小田嶋氏にとって「お仕事」なわけで、その「お仕事」の記事はもっと別の本になっているわけで、この本は「ブログ」なので、それは趣味のジャンル。なので、小田嶋氏の趣味に属する「浦和レッズ」なわけなのであった。そうか。

 小田嶋氏は一時期、アルコール依存症(なんでアル中じゃないんだ)だったことがあるそうで、それから断酒すること3年、1998年にはこんな事を書いている。

『1、禁酒をはじめて半年ほどは、人が酒を飲んでいることについて、ひたすら羨望の念を抱いていた→「いーなー」「うらやましーなー」「オレも飲みテーナー」
2、じきに、酒、酒飲みおよび酒席一般に対する敵意、怒りを感じるようになった→「なんだよ、何笑ってんだこの酔っ払いは。オレに対する当てつけか?」「オレが酒飲まないのはオレの勝手だろうが。一緒に堕落しない人間を差別するのか、この罰当たりどもは!」
3、で、最近は、なんだか軽蔑ぐらいのところで落ち着いている→「ま、バカがバカ同士でつるんで、酒飲んで余計にバカになってますます連帯してるってわけだ」
 うむ。
 これまで「羨望」→「憤怒」→「軽蔑」ときたものが、この先「嘲笑」→「憐憫」→「黙殺」にまで到達すれば、オレの禁酒も本物になるってことだろう』

 うーむ、私もほとんど毎日酒を飲んでいるわけなので、時々「自分もアルコール依存症(なんでアル中じゃないんだ)なのかも知れない」なんて考えていることもあるのだが、今のところ特に医者から何か言われてはいない。

 アルコール依存症(なんでアル中じゃないんだ)になると、どうなるのかな。例えば昼間っから酒を飲みたくなるのだろうか(今でも飲みたくはなることもある。でも常に飲んでいるわけではない、たまに飲むこともあるけど)、あるいは朝飯の時から飲みたくなるのだろうか(そんなことはない)。まあ、ギリギリのところでアルコール依存症(なんでアル中じゃないんだ)にはなっていないのだろうが、ギリギリですからね。ちょっと気をつけよう。って、何を言っているんだ?

 そうか、読みたいのは小田嶋隆氏の「アル中日記」だったりするんだ。吾妻ひでお氏の『アル中病棟』みたいな小田嶋氏の本も読んでみたい。

『書籍の形にまとめるにあたって、6万行ほどあった文章を、最終的に約10分の1にまで圧縮せねばならなかった。
 圧縮&削除の作業は、本来自分でやるべき仕事なのだが、どうしてもできなかった。日記というテキストの特殊性なのか、客観的に見て出来の悪い文章の方に個人的な愛着が深かったりして、自分で整理を付けることができなかったからだ』

 というのはよく分かる。

 しかし 、そうなると6万行全部を読んでみたい誘惑にもかられるのだ。

 もっとも、そうなってしまうと、多分このブログも書けないほどに、本を読まなければならなくなってしまうだろう。

 まあ、なのでそんな程度がいいところなのかもしれない。

 ただし、元ブログの段階で全部読んでる人もいるんだろうな。羨ましい。

『イン ヒズ オウン サイト ネット巌窟王の電脳日記ワールド』(小田嶋隆著/朝日新聞出版/2011年10月31日刊)元本は2005年9月30日刊。現在はKindle版だけが生きている。

2013年12月19日 (木)

横浜散歩カメラ by Leica M3

 昨日のブログ「Revenge Yokohama by Leica M3」の別バージョンである。

 写真の無意味性ということではコチラの方が上、ただし「第三信号系」という意味ではなく、まったく無意味っていう……。

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 この写真の中で上から3番目の「戸部駅前」っていうのが、撮影された地域を限定している記号だろう。4番目の「ANDY KOYAMA」っていうのも、元(オリジナル)シャープホークスだということを知っていれば、なんとなく「横浜」っていう記号にはなる。5番目の「この地盤は約2.0m」という文字の下の方にある「横浜市」というのは、記号どころか「まんま」である。

「第三信号系の写真」というのは「特に何物をも意味しない写真」といった程度の定義なのだが、しかし、そこには明らかに「撮られた場所・時間・対象などに関する記号的情報」位は写されているものなのだ。それが写真というものの不思議なところなのだ。

 田中長徳氏の膨大な量の「ウィーンに関する写真」も、そこがウィーンであることは明白な記号的事実であるわけで、それでいてウィーンについてのなんらの情報も内容されていないというところが「第三信号系の写真」なわけである。

ところで、「第三信号系の写真」とか「第三信号系カメラアイ」とか、一体何なんだ、というご質問があるかとは思いますが……、何でもありません。単なる言葉の遊び。

 証明書や免許証なんかの「それが何であるかの説明的な写真」を第一信号系、新聞写真やアイドルなんかの「社会的価値を伝達する画像」を第二信号系といった場合の、昔は「芸術写真」なんて言っていた「訳のわからない写真」を第三信号系の写真……だから、つまりそれは言葉の遊びでしかない。

 写真は写真でしかないし、それが芸術か芸術じゃないかなんてことは、その写真を見た人が勝手に作り上げた価値観でしかないわけで、芸術写真というものはアプリオリには存在しないものなのだ。

 なので、私はそんな写真を「散歩カメラ」と呼ぶことにしている。「散歩カメラ」なので、別に何物をも意味していない。ただ、そこには写真があるだけなのだ……、って、要はヘタレ・カメラマンの自己弁護でしかないか。

LEICA M3+Summicron 5cm/F2.0 KODAK Super Gold 400 (モノクロ変換) @Yokohama (c)tsunoken

2013年12月18日 (水)

Revenge Yokohama by Leica M3

 12月8日のブログのリベンジという訳ではないが、またまたライカを持って横浜に出かけた。今度のレンズはズミルックス(シリアルナンバー2345690、1969年製)ではなくてズミクロン(シリアルナンバー1368651、1956年製)だ。いわゆる「沈胴ズミクロン」ってやつ。つまり「オールド・レンズ」って訳ですよ。

 でも、これが「オールド・レンズ」って感じの写り方なんだよなあ。

 しかし、これらの写真が「第三信号系の写真」と言えるのであろうか?

Img0202なんとなく、ドイツかオーストラリアの街角風の写真ではある。まさに「無意味」の写真?

Img0162右から「ルービンリキ」と書いてあるところが「第三信号系」? んな訳ないでしょう。

Img0172と、どうもこの辺から怪しくなってくる。大体、女子高校生が出てくる写真が「第三信号系」な訳ない。

Img0362最早、「観光写真」ですね。「第三信号系」からは、最も遠いところにある写真だ。真ん中に写っているカップルも「パリ市庁舎前のキス」ほどにはカッコ良くもないし、大体それだったら遠すぎる。

Img0332まあ、しょうがないので、最後は氷川丸じゃなくて、日本丸を大写しだあ。

 って、なんか居直ってますね。

 まあ、結局ヘタレ・カメラマンはいつまでもヘタレのままだ、ということでお許しを。

LEICA M3 + Summicron 5cm/F2.0 Kodak Super Gold 400 @yokohama (c)tsunoken

2013年12月17日 (火)

Fitbit weekly progress report from Dec.9 to Dec.15

 Fitbitから先週のレポートが来た。週合計で、108,377歩、75.86km。

 最も活動的だった日は12月14日。京都の下鴨神社(左京区)から日野の里(伏見区)へと京都「方丈庵」大縦断をした日だった。ちょっと疲れた。

 24,669歩、17.27km。

 最も非活動的だった日はその前日、12月13日。上の旅の準備をしていた日。

 10,925歩、7.65km。 

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Kindle 1年目の決算

 昨年の12月17日に『Kindle Paperwhite 3Gがやってきた!……って、遅っ!』を書いて1年経ったわけである。

 なので、Kindleの1年間の総括をしてみようと思う。

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 この1年間でtsunokenのブログで紹介した本の数は187冊。数えてみたら、その内93冊がKindleで読んだ本なので、私の電子書籍率は49.7%ということになる。ブログで紹介していない(というか紹介するに足らないとか、紹介すべき本じゃないなと、私が感じた)本も入れると、多分50%を超すのであろう。たいした電子書籍率ではあります。

 さらに言うと、94冊紹介した「紙の本」も、実はリアル本屋さんの店頭で見て気に入って買ってしまったのだが、あとで調べたらKindle版が出ていたりしているものもあったりして、それを入れればもっと電子書籍率は上がるのだ。

 いやはや、世の中は完全に電子書籍の時代ですな。な~んてお気楽なことを言っているが、しかし、世間は講談社や角川みたいに電子書籍に前向きな出版社だけじゃない。むしろ電子書籍には後ろ向きというか、一切向き合わないようにしている出版社や著者の方が圧倒的に多い。そんな訳で、今年の新刊の電子書籍率は多分10%も行っていないんじゃないかと言うのが私の実感からした観測。それについては、多分、来週か再来週の『新文化』で今年の出版界重大ニュースが載って、そこで電子書籍の話も出ると思うので、そこで再び語りたい。

 それにしても、私の電子書籍率50%というのはちょっと異常な高さであるかもしれない。とは言うものの、世の中の趨勢はパッケージ・メディアはどんどん少なくなってきて、基本はオンラインという流れである。多分、電子書籍化に後ろ向きの出版社はこれから淘汰、縮小、吸収という状況になってしまうだろう。

 Kindleが来る前までは、会社が買って社員に配ったSony Readerが電子書籍だったのだが、Kindleが来てからはSony Readerはまったく読まなくなってしまった。日経の電子書籍「e新書」なんかはSony Readerでしか読めないので、その点はちょっと不便だが、しかし、パソコンと同期しないと購入できないSony Readerはもっと不便なので仕方がない。ただし、現在はSony Readerもパソコンと同期しなくても良くなってはいるようだ。それはそうだよな。Kindleみたいな便利な電子書籍リーダーが出てしまえば、パソコンと同期しなければならない電子書籍リーダーは当然、これまた淘汰の対象になってしまう。

 とうよりも、日経さん早いとこe新書もKindle版対応にしてくれないかなあ。とは言うものの、経団連、JAと(ビルの下半身で)繋がっている日経新聞社としては、日本経済に益することの少ないAmazon様と付き合うのが嫌なのかもしれない。でも、日経文庫や日経プレミアシリーズはAmazon様でも売っているのになあ? なんかおかしいなあ?

 ま、それはさておき、私がおススメするKindleはWi-Fiモデルではなく、ちょっと高いけどWi-Fi+3Gモデルである。日本のWi-Fi環境はまだまだだし、3Gモデルは通信料はAmazo様負担で読者は本の価格だけを払っていればいい。紙の本に比べると必ず安いし、バーゲンセールなんかもかなり頻繁に行っている。まあ、中身を見てから買うっていうことは出来ないが、問題はそれだけだろう。中身はリアル本屋さんで確かめればいい。

 Kindle Direct Publishingなんて方法で本を出している人もいるので、それだとKindleでしか読めない本も今後はどんどん出てくるだろう。もっとも、Kindle Direct Publishingはそれこそ玉石混合ではあるけれども、勝間和代さんやChikirinさんなんていう「ビッグネーム」も出しているので、最初はそうした著名人の本だけKindle Direct Publishingでは読めばいい。その内、カンが働くようになって、これは読むべき本・これは読んだらガッカリする本、なんかの見極めも出来るようになる。

 ということろが、Kindle1年目の私の決算であります。

R11972612Amazon様の本社が入っている、目黒雅叙園アルコタワー

R11972702一番手前が東京消防庁、でその隣から日経新聞、JA、経団連の各ビルとなっているんだが……
R11972622反対側に回って見ると、ホラね、ちゃんと下半身で繋がっている

RICHO GRDⅢ @Meguro & Otemachi (c)tsunoken

2013年12月16日 (月)

まだまだまだまだアメフト

  関西遠征の理由は別に鴨長明ではなかった、実はこれなんである。

Dsc_00112パナソニック杯第68回毎日甲子園ボウル

 つまり、まだまだまだまだアメフトは続くのである。

 関東大学決勝戦のあずまボウルでは、法政大学をタッチダウン(TD)なしに追い込んだ日本大学フェニックス・ディフェンスライン(DL)。関西大学リーグでは不敗だったものの、最終戦では立命館大学戦ではスコアレス・ドローに終わった関西学院大学ファイターズ。

 東日本代表決定戦では東北大学を82対0で轟沈させた日大。西日本代表決定戦では名城大学に34対14で勝利したものの、2TDを許した関学大。

 この2大学がぶつかり合う第68回甲子園ボウルが昨日行われた。

 う~ん、関東在住者としては、やっぱり関東代表が勝って欲しいし、なんかそれを予想させる今年の甲子園ボウルなのである。

 じゃあ、行かなくちゃ、ということで……。

 1年生クォーターバック(QB)#19高橋遼平と2年生ワイドレシーバー(WR)#26岩松慶将、2年生パンター/キッカー(P/K)#11有輪七海を擁し、若い力で今季の関東戦を戦ってきた日大が2006年以来、7年ぶりに関東に栄冠をもたらすか。戦前の状況は上に書いた通りだ。そんな期待の集まってきた今年の甲子園ボウルである。なにしろ、うちの奥さんは日大OGですからね。

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 面白いのは上記3選手がみんな日大付属高校出身じゃないこと。岩松は神奈川県立松陽高校だし、有輪は立教新座高校だ。更にQB高橋というのが凄い。何しろフットボールを始めたのが幼稚園年長組からで、その後、立命館宇治中学、大阪産業大学付属高校というアメリカンフットボールの超名門校を出ながら、何故か関西の大学に進まずに、日大に入って来たという、19歳にしてアメフト経験14年のベテランプレイヤーなのである。

 しかし、フタを開けてみれば関東ではスイスイ通っていた高橋のパスが全然通らない。ロングパスはもとよりショートパスもあまり成功率が高くない。勿論、それは関西学院大のスカウティングが良くて、それにちゃんと合わせて動けるディフェンス陣のフィジカル、タクティクス双方の強さがあるからなんだけれども。

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 一方、関西学院大QB#11斉藤圭(中央大付属出身)のパスがどんどん決まりだす。

 元々は「ランの関西学大vs.パスの日大」かと予想していたのだが、結果としてはそれが逆になってしまった。

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 やっぱりディフェンス重視の関西学生リーグというのは本当なんだな。

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 結局、日大は試合終了直前に#22松尾がやっと初めてのTDを奪うという、ちょっと残念な試合に終わってしまった。

 試合結果は1TD、1フィールドゴール(FG)の日大が9点。

 2TD、3FGの関西学院大が23点ということで、関西学院大が優勝。

 ちょっと残念、やっぱり関西はディフェンスが強いなあ、という感想をもって阪神電車の人となったのである。

 まあ、高橋、岩松、有輪もまだまだ下級生なので、これからもチャンスがある訳で、その内に優勝できる日も来るかもしれない、ということで……。

 さあ、この後は学生日本一と社会人日本一(12/16 ジャパンXボウル)とのぶつかり合い、1月3日、ライスボウルだ。ま、でもこちらはもうテレビ観戦でいいや。

NIKON D7000 + SIGMA APO 150-500mm/F5-6.3 DG OS HSM & AF-S Nikkor 70-300mm/F4.5-5.6G IF-ED @Koshien (c)tsunoken & tsunotomo

2013年12月15日 (日)

方丈記 方丈庵 日野船尾の里

「『○○』って、何だ?」っていうタイトルは何にでも使えて便利なのだが、しかし、何物をも意味していないので、もうやめた。

 で

『ゆく河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつむすびて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖と、またかくのごとし』

 といえば、鴨長明の『方丈記』だが、『方丈記』といえば、彼自身が作った「0円ハウス=方丈庵」に居遇して綴った平安末期の、実は日本歴史上最初の災害文学なのであった。

 彼が記した災害は「安元の大火」「治承の辻風(竜巻)」「養和の飢饉」「元暦の大地震」であり、その間に平清盛による「福原への遷都」というのがあり、そんな世間に嫌気がさした鴨長明は、「住みにくき世」が嫌になり、『方丈記』「仮の庵のありよう」「草庵の生活」(いずれも「ちくま学芸文庫版・浅見和彦氏による章立てによる)のごとく、「0円ハウス」を自ら作って京都日野の山奥に隠遁してしまうのである。

「石川や 瀬見の小川の清ければ 月も流れを たずねてぞすむ」というのは、鴨長明の歌だが、瀬見の小川とは下鴨神社の脇を流れている高野川のことだそうだ。

2013_12_14_1115_edited1下鴨神社の入り口脇にあるのが河合神社。

『「仮の庵のありよう
ここに六十の露消えがたに及びて、さらに、末葉の宿りをむすべる事あり。いはば、旅人の一夜の宿をつくり、老いたる蚕の繭をいとなむがごとし。これを中ごろの住みかにならぶれば、また百分が一に及ばず。とかくいふほどに、齢は歳々に高く、住みかは折々に狭し。
 その家のありさま、よの常にも似ず。広さはわづかに方丈、高さは七尺がうちなり。所を思ひ定めざるがゆゑに、地を占めてつくらず。土居を組み、うちおほいをふきて、継ぎ目ごとにかけがねをかけたり。もし、心にななはぬ事あらば、やすく他へ移さむがためなり。そのあらてめつくる事、いくばくのわづらひかある。積むところ、わづかに二両、車の力をむくふほかには、さらに他の用途いらず』

2013_12_14_1111_edited1河合神社の境内に方丈庵はあった、が、しかし鴨長明が方丈庵を設置したのは河合神社ではない。「積むところ、わずかに二両」で運べる0円ハウスなのである。

『「草庵の生活
今、日野山の奥にあとをかくして後、東に三尺余りのひさしをさして、柴折りくぶるよすがとす。南、竹のすのこを敷き、その西に閼伽棚をつくり、北に寄せて障子をへだてて、阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢をかき、前に法花経を置けり。東の際に、わらびのほとろを敷きて、夜の床とす。西南に竹のつりだなをかまへて、黒き皮籠三合を置けり。すなはち、和歌、管弦、往生要集ごときの抄物を入れたり。かたはらに琴、琵琶、おのおの一張をたつ。いはゆる折琴、継琵琶これなり。
 仮の庵のありやう、かくのごとし』

2013_12_14_1187_edited1日野自治会の人たちが作った道標が方丈庵跡地まで約1000mのところから250mおき位に建ててあって、道に迷うことはない。ただし、地下鉄東西線の石田駅をおりるとすぐに上りがはじまり、この「約300m」の碑の位置ですでにかなり上っている。

2013_12_14_1190_edited1もうこの辺になると完全な山道。

2013_12_14_1192_edited1こんな具合で道なき道をどんどん上がっていく。

2013_12_14_1191_edited1どんどん上がっていく。右は峻厳な崖下。

2013_12_14_1198_edited1大きな岩の上に何かがある。

2013_12_14_1196_edited1で、完全に息が上がった状態で、やっと方丈庵跡地にたどり着く。

 今でも完全に山の中である。鴨長明の時代だったら手前の住宅地なんかもなかっただろうから、もっと凄い山中だったろう。まったく、よくこんな場所に住んだもんだ。というかそれほど世間から遠ざかって隠遁生活を送りたかったんだろうか。

NIKON D7000 AF-S NIKKOR 10-24mm @Kyoto (c)tsunoken

『方丈記』は各社版あるが、ここでは青空文庫版と私が読んだちくま学芸文庫版を紹介する。 Kindle版はNHK出版のものを。

『TOKYO 0円ハウス』もどうぞ!

2013年12月14日 (土)

『英語もできないノースキルの学生はどうすればいいのか』って、何だ?

 そりゃまあ、その通りだよなあ、って言っちゃえば身も蓋もない話なのだが。

 で、この「英語もできないノースキルの文系学生」って、どのレベルの学生なんだろう?

20131209_230028『英語もできないノースキルの文系学生はどうすればいのか?~就職活動、仕事選び、強みをつくる処方箋~』(大石哲之著/tyk publishing/2013年9月30日刊)

 取り敢えず、ノースキルの文系学生が就職するには

『自分をまるなげして、奴隷として売り渡すようなアピールしかないのです。
「なんでもやります」「やる気はあります」「一生懸命がんばります」その結果、入社できるのはブラック企業にほかなりません』

 要は

『いままでの就活は、できることが何もない学生が、企業に採用してもらうために、夢や理想を語って、経験やスキルではなく、自分を企業に40年間丸投げしますという宣言を売りにしていたのかもしれません』

 ということなのだ。

 で、あるからして、

『英語も喋れないノースキルの文系の学生が、東証一部正社員向けの市場で戦うのは難しい。欧州の人を参考に、もう少し、余裕を持ったり、就職する場所をアジアに広げて、戦い方を変えたら、勝てる場所も出てくるよ』

 ということなのだ。

 つまりは、普通に日本の大学を出て、そのまま日本の会社に就職するんじゃない方法もあるってこと。まあ、いまどき、日本の企業に入ったとしても、そのまま40年間その会社が何もないという保証は、それこそ何もないわけで、JALやパナソニック、東電だってヘタをすればダメダメの会社になったのである。

 だったら、視点を変えて、そんな日本企業や日本企業であっても日本採用に拘らずに、アジア企業や日本企業のアジア支店や出先企業に就職すればいいじゃん、というのが本書の主張するところなのだ。

『私が皮肉っているのは、自分で環境や生き方を変えようとせず、答えのマニュアルをひたすら求めるだけのタイプの人です。もしくは、どうしたら効率よく既存のレールに乗れるかということだけを求めているようなタイプの人です。「ぐだぐだ言うのはいいけれど、世の中は変わらないんだから、この俺(私)が、とにかく内定がとれる処方箋をくれ」そういう方には、この本の内容は響かないと思います』

 と、まえがきで書く通り、問題は『世の中は変わらないんだから』という発想なんだろう。

 いえいえ、世の中は物凄い勢いで変わっているんです。

だって、JALやらパナソニックがダメダメの会社になって、今は「パズドラ」のガンホー・オンライン・エンターテインメントが優勝ってな感じだけれども、その裏にはDeNAやらMIXIやらGREEやらの死屍累々でったりする訳だし、そのガンホーだって3年先にはどうなっているのかは分からない。メガバンクだって今みたいに国債をずっと買い続けているけれども、その国債自体が将来破綻するかもしれないことなんて、みんな見ないようにして仕事を続けているだけなのだ。

 つまり、日本という国自体がいつ破綻してもおかしくない状態で、しかし、今のところ取り敢えずうまく動いているだけなんだってことなのである。

 日本という国が破綻した状況というものを、今の学生たちは予想しているのだろうか。いや、学生だけではない、今の現役世代、リタイヤ世代だってどれほどの人たちが「日本破綻・破産」という状況を予想しているのかどうかは怪しい。

 国というものは、結局、国民全体で作り上げた「共同幻想」にすぎないのだから、当然その「共同幻想」が壊れれば、国も破綻するのである。勿論、国が破綻したって企業は生き残るし、人も生き残る。

 なので、そんな事態になっても困ることのないように、我々は一方で(税金を払うという形で)国を支えながら、もう一方で国が破綻しても自分は生き残るという道を探さなければならない。その一つが、「日本」という国に囚われない働き方なんだろう。リタイヤ世代にとっては、まあ資産の海外(口座)拠出かな。

 勿論、「英語も出来ないノースキルの文系学生」だって、入り込める日本企業があれば、それでもいい。でも、それに入れない学生だって、だからといってブラック企業に入るんだったら、そうじゃなくて日本を離れて他所の国に行って就職するっていうテもあるんだよな、というのが本書の基本テーゼである。

 まあ、別に「日本企業に就職する」っていうことだけが、学生生活の次に来る訳ではなくて、起業したっていいし、最初からフリー(フリーター?)で仕事をしてきた先達はいくらでもいるし、多分、どんなことをしたって、今の日本では生活することはできるだろう。最悪、故郷に帰って農業をするってのも、逆に今の時代では「素敵な就職」かもしれない。

 まあ、そういうこと。

「英語も出来ないノースキルの文系学生」であっても、『「日本企業に就職する」っていうことだけが、学生生活の次に来る訳ではなくて』ということさえ理解していれば、何の問題もない。

 当たり前じゃないかよ。

 別に、学生の就職率が国の経済を決める訳じゃないからね。

 たかだか……。

『英語もできないノースキルの文系学生はどうすればいのか?~就職活動、仕事選び、強みをつくる処方箋~』(大石哲之著/tyk publishing/2013年9月30日刊)電子版だけの出版だ。その代り、安い!

Img0052またまた、写真と記事は何の関係もありません

LEICA M3 SUMMICRON 50mm/F2 @Yokohama (c)tsunoken ってことで、12/8の写真とは違うんです、が……

2013年12月13日 (金)

『世界でも珍しい「謝罪会見」という光景』って、何だ?

 昨日の『反省させると、犯罪者になります』でも書いたんだけれども、完璧な反省文というのを書くってことは、いかにも自分は反省していますっていう態度をとっているだけで、実は反省なんてまったくしていないんだよな。

 企業の「不祥事」への対応なんてまったくその通りなのだ。

 で、それを見てパロディスト・マッド・アマノ氏としては面白がっちゃうんだよな。

20131209_231655『世界でも珍しい「謝罪会見」という光景』(マッド・アマノ著/アドレナライズ/2013年2月1日刊)

『実は私は「頭下げ会見」の写真入り新聞記事を約一二年前からコレクションしてきた。現在、A4判ファイルが六冊に及び、その件数はざっと数えただけでも三〇〇件を上回る。どれを見ても大の大人たちが深々と頭を下げた写真が添えられている。その写真自体、ユーモラスでさえある』

 と書きつつも

『これを見せられた私たち多くの日本人は「これほど真剣に謝っているのだから許そうじゃないか」という気分になる。これこそが日本特有の「謝罪文化」なのだ。こんな文化は少しも褒められたものではない』

 というあたり、あれっ? ここにいるのはパロディスト・マッド・アマノじゃないのか? という気分になる。なんか妙に真面目だなあ。もうちょっと笑い飛ばして欲しいんだがなあ。

1996年3月、薬害エイズ事件を起こしたミドリ十字の経営者5人が雁首揃えて土下座して謝罪した。

『土下座のシーンは瞬く間にテレビや新聞で全国に報じられた。これほど派手な土下座を私は見たことがない。一体この男たちは誰に謝罪しているのか。もしかすると取材するカメラの背後にいる数千万の視聴者・読者に対してかもしれない。これは単なる「懺悔パフォーマンス」ではないのか? こんな目くらまし的謝罪が許されていいはずがない。そう思った人は少なくなかっただろう』

 と言いながらも、じゃあミドリ十字の経営陣が被害者には謝っても、メディアの前では「何であなた方に謝る必要があるんだ」と真っ当なことを言ったりすると、それこそ袋叩きのメディアスラムにあったりするんだろう。実はここがおかしいのである。

 本来は被害者などには真面目に謝罪・反省の弁をするのはいいとして、メディアなどへは謝る必要はない。メディアに対しては、問題の根本は何なのか、解決策はなんなんだ、といった冷静な対応をすればいいはずだ。ところがこの国のメディアはファナティックに謝罪・カメラの前で頭を下げろということを要求するんだなあ。何でだろう。

 で、結局

『謝罪する側でも、頭は下げても、腹の中は裏腹ということもあります』

『日本人は淡泊だから、正直に謝れば許してくれます。だから、クライアントには、こう言っているのです。「下げている頭は叩けない」「正直は武器だ」と』

 とは本書に収録されている「危機管理のプロ」の言葉である。

『「謝罪」はする側とされる側の騙し合いという面もなくはない。とはいえ、謝罪される私たちが賢くなることによって彼らの演出術も、私たちがより納得できるものに変わっていくのではないか』

 とまあ、まさしく「謝罪」は「演出」なんですね。

『スイスのシンドラー社のエレベーター事故の時も、「とにかく謝れ、ひと言謝ればいいんだ」の大コールだった。しかし、同社はすぐには謝罪はしなかった。欧米ならそれは当たり前のこと。原因不明の段階での謝罪は現実的ではないし、科学的ではない。たとえば飛行機事故などの場合、操縦ミスとか機械の故障ならいざ知らず、人知を超えた気候のせいということもあり得る。事故原因が不明の段階での「とりあえず謝罪」はナンセンスだ』

 というデーブ・スペクター氏の発言がなんか当たり前のように聞こえてしまうのは何故だろう。

 つまり、「とりあえず謝ってしまう」ことによって、実は却って人々を真実から遠ざけてしまう可能性があるのだ。むしろ、必要なのは真実の究明であり、根本の解決なのだ。謝るのはそれからでも全然遅くはない。

 むしろ、日本人の「とりあえず謝る」というやり方が、「とりあえず謝ってしまえば、マスコミからの真実の究明から逃れることができる」、マスコミの側も「とりあえず謝らせれば、真実の究明はしなくてもいいよ」というご都合主義なのではないのか?

 結局、それでは真実の究明、根本の解決からはるかに遠い解決策でしかない。

 もういい加減にそんなやり方からは離れて欲しいもんだ。

『反省させると、犯罪者になります』の岡本先生も「反省文を書かせることよりも大事なことは、なぜそのような犯罪を起こすことになったのか、それまでの自分の環境(親、教師、上司など)を考えることの方が大事だ」という風なことを書いていたんだがなあ。

『世界でも珍しい「謝罪会見」という光景』(マッド・アマノ著/アドレナライズ/2013年2月1日刊)2008年11月に平凡社から紙版『謝罪の品格』が出版されたが、現在は電子版のみ。

Img0602これまた写真と上の記事とは何の関係もありません

LEICA M3 SUMMILUX 50mm/F1.4 @Yokohama (c)tsunoken

2013年12月12日 (木)

『反省させると犯罪者になります』って、何だ?

「ありのままの自分をさらけ出す」って言っちゃえば、それはそれで簡単だけど、そうはいかないから、いろいろ問題が起きるんだろうな。

20131207_91114『反省させると犯罪者になります』(岡本茂樹著/新潮新書/2013年5月17日)

『反省させると犯罪者になります』っていうタイトルは、ちょっと刺激的だけれども、でも、刺激的すぎるっことはない。まあ、「人によっては犯罪者になります」ってことで。

 メディアは犯罪者に「反省」を求める。それこそ、テレビカメラの前で頭を下げさせなければ気持ちが収まらないように。しかし、そんな姿勢は別に反省でもなんでもない。取り敢えず、面倒くさいから、テレビカメラの前で頭を下げたってことでしょ。

『なぜメディアは先に述べたような報道をするのでしょうか。最大の理由は、「人は悪いことをしたら反省することが当たり前」という考えが大半の人の心に刷り込まれているからです。悪いことをしているのに、まったく反省していないから、報道する側としては、「許せない奴」として大きく取り上げるのです。そうすると、表現は悪いですが、「面白い記事」になるわけです。面白いから、読み手も「けしからん」と思いながら、さらに事件に興味を持つようになり、報道がますます過熱していきます』

 ノリピー(酒井法子)が書いた(実際に書いたのはゴーストライターだろうけど)とされる『贖罪』というタイトルの本。

『わたしはこれまで十数回にわたって薬物に手を出してしまいました。嫌悪感を覚えながらも、逮捕されるまで過ちを繰り返していました。絶対にしてはいけないことだと分かりながら、自分から断ち切ることはできませんでした。芸能人としてはもちろんのこと、いい年をした大人としても、まるで自覚のない行動だったと深く反省しています』

 という「反省文」はまさしく、岡本氏が例に挙げた模範的な反省文=別に、本人は反省していないけれども、いかにも反省しているように見せる文章、なのである。

 要は、

『反省文は、反省文を書かされた人の「本音を抑圧させている」ということです。そして、抑圧はさらなる抑圧へとつながり、最後に爆発する(犯罪を起こす)のです』

 ということ。

『「悪いことをしたら、謝ればいい」と何事も軽く物事を考えるようになる』

 ということで、それが積み重なって、それは犯罪に至るってことなんだろうな。

『「我慢できること」「1人で頑張ること」「弱音を吐かないこと」「人に迷惑をかけないこと」といった価値観は、りっぱなことのように思われますが、見方を変えると、「人とつながること」を阻害する要因にもなります』

『弱音を吐いたり誰かに負けたりすることは、自分が他者から認められなくなる(=愛されなくなる)ことを意味するので、絶対に弱音を吐かず、いかなる手段を用いても相手に勝とうとします。その結果として起きる最悪の行為が、犯罪なのです』

 更に言ってしまうと、

『「男は男らしく、女は女らしく育てよう」という考え方で子どもを教育すると、子どもはしっかりと抑圧することを身に付け、後々に問題行動を起こす原因にもなるということです』

 って書かれてしまうと、親としては自分の子どもをどうやって育てればいいのかが分からなくなってしまう。

 だって、別に「男は男らしく」って言っても、別に男は武士のように雄々しくなければいけないとか、体面を保てとか、二君にまみれずとか、そんなことは言っていないわけで、まあ、女の子をいじめちゃいけないよとか、っていう程度の「男らしさ」しか男の子には求めていないし、女の子に対しても、別に男の影に従えなんてことも言ってはいないし……。

 あ、その程度ならいいのか。

 しかし、

『対外的に謝罪をしないと世間が納得しない気持ちも分かりますが、問題行動を起こした者をただ反省させて、いっそうの厳しさを求めるという方法はそろそろ止めませんか。そうでないと、私たちの住む世界はますます犯罪者や心の病を持つ人を増やすばかりになるように思えてなりません』

 という言い方は、多分無理だろう。

 だって、マスコミは犯罪者や企業犯罪を犯した経営者の(ハゲ)頭を写すのが大好きなのだ。そして、そんな「謝罪」を撮影して放送すればそれでその企業追求が終わったというような気分になって、明日は忘れるという悪循環を繰り返しているだけなのだ。

 別に、企業経営者が問題なのではない。マスコミは企業犯罪をおこした企業経営者の頭を下げさせて、反省をさせることの気持ちよさだけを求めて行動しているのだ。当然、そんなマスコミ企業だって、たまには不祥事を起こす。と、その時だけ、経営者の頭を下げさせて溜飲を下げるのである。で、すぐに忘れる。

 そんな繰り返しじゃないか。

 だから企業の不祥事はなくならないし、犯罪だってなくならない。

 当然、そんなマスコミの裏側には、そうしたマスコミが送ってくる映像を見て、溜飲を下げたり、怒りをさらに増したりする「私たち」がいるんですね。

 つまり、そんな社会構造を変えない限り、この世からは犯罪はなくならないし、企業の不祥事はなくならないってことですね。

 まあ、岡本先生の仕事は減らないってことなんだけれども……。

『反省させると犯罪者になります』(岡本茂樹著/新潮新書/2013年5月17日)Kindle版は11月15日刊行。

Dsc_00322写真と記事には何の関係もありません

NIKON D7000 AF-S NIKKOR 10-24mm @Marunouchi (c)tsunoken

2013年12月11日 (水)

International Meeting Expoって、何だ?

 昨日と今日の2日間、有楽町の東京国際フォーラムで第23回国際ミーティング・エキスポ(International Meeting Expo 2013)が開催されている。

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 これは何かといえば、要は日本でもっともっと国際的なミーティングやコンベンションを開催すべく、日本中のそれに関わる団体、企業が参加して海外企業・団体などを招待してプレゼンテーションを行っている、という訳なのだ。

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 90余りのコンベンションビューローやコンベンション協会などの公益財団法人・一般社団法人や地方公共団体、37のホテル・会議施設や関連企業・団体、それに6つの海外からの参加など、それなりに多くの出展者を集めた展示・商談会である。

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 人が動けば、そこにはモノ、情報、その他いろいろなものが動き出して、街が活気づき、経済活動は活発になり、国も潤う。

 というところからの、国際的ミーティング&コンベンションの誘致合戦なわけである。

Dsc_00132

 しかし、問題は「アフター・コンベンション」である。

 会議などを開催するだけではなく、その後の会議参加者の観光なども含めて魅力ある街づくりをし、さらに街の人々の海外からのお客さんに対するホスピタリティなど、その辺ではまだまだ心もとない地方都市は沢山あるわけだ。

 東京や大阪・京都などはまあ問題はないにしても、それ以外の大半の地方都市の参加者たちはどれだけ海外からのお客さんを満足させるだけの自信があるのかどうかは、ちょっと怪しい。地方からの参加は、見るとなんか日本人向けだけの展示なんだもん。

Dsc_00152

 さらにもっと問題はある。

『写真撮影禁止』って、どうよ

 この「国際ミーティング・エキスポ」って、なんと「写真撮影禁止」なのである。

 写真撮影禁止っていう展示会は聞いたことがない。展示会でも一部で著作権がらみの問題で、「ここでは撮影はご遠慮ください」って場所があるのはわかる。それは当然なんだけれども、でも会場内一切撮影禁止っていうイベントは普通はない。そんなことしたら、この展示会をやっていることすらも、一般に拡散しないじゃないか。

 こうしたイベントをやっています、ってことを国民に知らせたいから、開催してるんでしょう?

 まあ、その辺が「主催:観光庁/一般社団法人日本コングレス・コンベンション・ビューロー(JCCB)/日本政府観光局(JNTO)」っていう、まさにお役人仕事の最たるところなんだけれども、これじゃあ「企画・運営」に日経BP社を入れた意味がないじゃないか。

 まあ、会場が東京国際フォーラムなんで、いくらでも上から撮影できるんだけれどもね。

 まったくねえ、アホなお役人だこと。

NIKON D7000 AF-S NIKKOR 10-24mm @Tokyo International Forum (c)tsunoken

 

2013年12月10日 (火)

Fitbit weekly progress report from Dec.2 to Dec.8

 Fitbitから先週のレポートが来た。

 1週間の合計歩数は88,970歩、62.28km。

 最も活動的だった日は12月6日。16,274歩、11.39km。

 最も非活動的だった日は12月8日。9,038歩、6.23km。

 12月8日はアミノバイタルフィールドでアメフト観戦。往復は車移動なので、まあこんなものか。

20131210_82616

Fitbitの公式サイトはコチラ

The new mail magazine from Mr.Chris Buillebeau

 クリス・ギレボー氏から新しいメルマガが来た。

 題して「2013年 今年を振り返って」。

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クリス・ギレボー氏のサイトはコチラ

『旅行者の朝食』って、何だ?

 ロシア語同時通訳の米原万里さんと言えば「え勝手リーナ」として、イタリア語同時通訳の田丸久美子さん(シモネッタ・ドッジ)、スペイン語同時通訳の横田佐知子さん(ガセネッタ・ダ・ジャーレ)の三人で下ネタ大好きおばさんで、それぞれ名エッセイストだったんだが。

 もういないんだな。

20131206_105255『旅行者の朝食』(米原万里著/文春文庫/2004年10月10日刊)

 この『旅行者の朝食』という不思議なタイトルがどこから来たのか?

 内容は、第一楽章が米原万里さんお得意のロシア・ジョークをベースにジャガイモの歴史など。第二楽章が世界の童話のお話。第三楽章が食べ物にまつわる、もっぱら自分の話。というか、基本的にこの本全体が食べ物に関する話であり、それはつまりソクラテスが『食べるために生きるのではなく、生きるためにこそ食べるのだ』と言ったとか言わなかったとかという話から、『お察しのように、わたしは、この言葉にくみしない。どちらかというと、「生きるために食べるのではなく、食べるためにこそ生きるタイプの人間である』という結論を引き出す通り、まさしく、全体が「食べ物エッセイ」なのでありました。

 で、読んでみるとまさしく『旅行者の朝食』という一節があるのだ。

 ほとんどのロシア人が笑い転げるという小噺。

『ある男が森の中で熊に出くわした。熊はさっそく男に質問する。
「お前さん、何者だい?」
「私は旅行者ですが」
「いや、旅行者はこのオレさまだ。お前さんは、旅行者の朝食だよ」』

 という小噺。

 どこが面白いのか全然わかりませんねえ。

 もうひとつ。こちらもどのロシア人でも大笑いだそうだ。

 でも、こちらも「どこが面白いの?」

『密林深訪ツアーの初日、さっそく参加者からクレームがついた。
「募集パンフレットには、朝食付きとあったのに、どういうことです!」
「そうだ、そうだ、腹ぺこだ。こりゃ詐欺じゃないか!」
 ところが怒れる参加者一同を前にして、ガイドは落ち着き払って次のように告げた。
「皆さん、森の中のあちこちに木の実や茸が隠れています。小川の清流にはイワナが、木陰には獣たちが潜んでいるではありませんか。密林こそ、旅行者の朝食の宝庫なのです」』

 それが氷解するのが、もう一つの小噺である。

『「日本の商社が旅行者の朝食を大量にわが国から買い付けるらしいぜ」
「まさか。あんなまずいもん、ロシア人以外で食える国民がいるのかね」
「いや、何でも、缶詰の中身じゃなくて、缶に使われているブリキの品質が結構上等だっていうらしいんだ」
 どうやら、「旅行者の朝食」という名称の、非常にまずいので有名な缶詰があるらしい。素っ気ない命名がいかにもソビエト的ではある。普通名詞がそのまま商品名になった感じ』

 ということ。

 興味をもった米原万里さんは、ソビエト出張の際になんとかその「旅行者の朝食」を手に入れたそうだ。

『牛肉ベース、鶏肉ベース、豚肉ベース、羊肉ベース、それに魚ベースと、何と五種類の品揃え。で、中身はというと、肉や豆や野菜と一緒に煮込んで固めたような味と形状をしている。ペースト状ほどには潰れていない。そう、ちょうど犬用の缶詰、あれと良く似ている。これに、あとはパンと飲み物があれば、一応栄養のバランスがとれるようになっている。味は……、一日中野山を歩き回って、何も口にせず、空きっ腹のまま寝て、その翌朝食べたら、もしかしたら美味しく感じるかもしれない』

 というシロモノ。まあ、まさしく共産ロシアならではの実質的な(だけの)食べ物なのであるなあ。実質あるのみで、食事は人生の楽しみの一つだという発想がまったくない。それでなくともボルシチを除けば旨いものなんて一切ないロシアである。そのロシアでロシア人が「あんな不味いもの、人の食いもんじゃない」って考えているのだから、たいしたもんだ。っていうか、そういうことは、大概のロシア人はその「旅行者の朝食」を食べているってことでもあるんだなあ。なんか、どんな食べ物なのか、どんな味がするのか、興味がわいてきた。

 とは言うものの、さすがにソビエト連邦が崩壊して資本主義化してから、この「旅行者の朝食」はさすがに売れなくなってしまったのか、最早なくなってしまったようだ。

『ジョークと小噺はロシア人の必須教養』

 という言葉は有名であるけれども、そのロシア人が笑い転げるほどの、しかし、つまらない小噺のネタは意外なところにあったわけだ。

『まずくて売れ行きが最悪な缶詰を生産し続けるという膨大な無駄と愚行を中止するか、缶詰の中身を改良して美味しくするための努力をするよりも、その生産販売を放置したまま、それを皮肉ったり揶揄する小噺を作る方に努力を惜しまない、ロシア人の才能とエネルギーの恐ろしく非生産的な、しかしだからこそひどく文学的な方向性に感嘆を禁じ得ないのだ』

 という米原万里さんの結論は、ロシア人を愛するあまり、それに対する偏愛性を最も表している表現ではある。

 米原万里さん。2006年5月26日逝去。享年56歳。

『旅行者の朝食』(米原万里著/文春文庫/2004年10月10日刊)電子版は2007年7月20日刊・価格はメチャ安。

Dscf11052Fujifilm X10 @Ginza (c)tsunoken

2013年12月 9日 (月)

まだまだアメフト

 12月8日のアミノバイタルフィールドは関東学生アメリカンフットボール1部Bブロック7位の国士舘大学と、2部Bブロック2位の拓殖大学の戦いである。つまりは1部と2部の入れ替え戦というわけなのだ。。

 なんでそんな試合を見に行ったのかというと……。

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 この試合の注目選手はなんといっても拓殖大学の主将#9柳沢拓弥である。なにしろクォータバック(QB)・ランニングバック(RB)・タイトエンド(TE)・P(パンター)/K(キッカー)というオフェンス・パートのスキルポジションの総てを兼任というスーパー選手で、2011年度には当時2年生の柳沢は1部のリーディングランシャー(1025ヤード)になったのである。ところがその年チームは1部Aブロック7位という成績に終わり、2部との入れ替え戦で負けて2部落ちという、「リーディングラッシャーがいながら2部落ち」という、世にも珍しい記録を作った選手なのである。

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 日体荏原高校出身でありながら日体大に行かなかったのか、行けなかったのかは知らないが、やはりアメフトはチームスポーツであるから、一人優秀な選手がいても勝てないという、1部の証拠でもあった。

 柳沢としては、本当は昨年に入れ替え戦で勝って、4年生は1部で戦いたかったのだろうけれども、昨年、拓大は2部Bブロックで4勝3敗勝ち点12を上げたものの5位で終わってしまい、入れ替え戦に出ることはなかった。そんな柳沢が4年になって、後輩たちを来年1部で戦わせてあげられるかどうか、という拓大にとっては貴重な一戦だ。

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 そんな意味では、まだ3年生の#6のRB三浦の好走や、#8QB島崎の動きも重要なのだろう。

 しかし、それもQB柳沢がいるからこそのプレーであり、もし柳沢がいなかったら、それらのプレーができなかった可能性も高いのだ。

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 例えばこのプレー、TEの場所に#9柳沢を置いて、敵には「じゃあ柳沢の所にピッチか?」と思わせていて、QB#8・島崎は別の方向に投げるっていう手も使える。

 まあ、それが功を奏したこともなかったわけではなかったんだけれども、それが進路を大ききく進める材料にはならない。

 結局、柳沢が自ら走った方がいい、ってことでまあいつもの柳沢単独ラン&タッチダウン(TD)ということになってしまうんだが。

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 ということで、拓殖大学が見事1部昇格を、柳沢2TD、横森1TD、三浦1TD、小泉2FG、合計34対0ということで、完全に決めた試合ではあるけれども……。

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 勝利の報告をする柳沢はいいけれども、そのあとの下級生が大変だよな。

 昨日の試合でも頑張っていた#6RB三浦と#8QB島崎のコンビが、来春・来秋までにどこまで成長するか、その他の選手がどこまで成長するか、が来季、関東選手権リーグの愁眉になるであろう。

 そんな気がした関東学生アメリカンフットボール連盟、1部2部入れ替え戦ではあった。

 その他の入れ替え戦の結果は、1部・2部Aブロックは、2部1位の駒澤大学が一橋大学に勝って1部昇格。上智大学は2部2位の明治学院学院大学に勝って1部残留。

 1部・2部Bブロックでは、1部8位の関東学院大学と、2部1位の東京工業大学が、接戦の末、東工大が勝って1部昇格。

 ということで、2部としては3勝1敗という結果に終わった。

 取り敢えず、アップセットを果たした大学には、問題はいままでいた(昨日戦って1部昇格の原動力となった)4年生がいなくなったチームをどうやって作るのか、1部リーグで戦えるチームをどうやって作るのかという大きなテーマがあるだろう。

 さて、来年の「柳沢なき」拓大がどんなゲームを見せてくれるのか、それが楽しみだ。

NIKON D7000 SIGMA 150-500mm @Amino Vitral Field @tsunoken

2013年12月 8日 (日)

LEICA, My Life 承前

 ということで、ライカM3を持って写真を撮りに来たわけだが……。

 田中長徳氏の本を読むと、突然ライカで写真を撮りたくなる私は単なる浅はかな男なのだろう。

 いや、浅はかどころかおバカである。

Img0672ええっ? 赤レンガ倉庫? って!

 で、私もライカメーターMRをつけたライカM3にズミルックス50mmを付けて、コダック・スーパゴールド100ならぬフジフィルム・スーペリア X-TRA 400 24枚撮りを入れて、行った先が横浜というところが、やはり私は田中長徳になれないところなのだなあ。

 だって、こんな「観光地」に行ってしまったら、意味性のある建造物なんかばっかりになってしまって、いわゆる「第三信号系」の写真なんか撮れないでしょう、ということ。

 この辺がヘッポコ・フォトグラファーであるところのtsunokenと田中長徳氏との大いなる違いなのであるなあ。この彼我の距離よ……嗚呼。

 まあ、私も田中長徳氏に倣って「1シーン・1ショット」を心がけましたけどね。

Img0582こんなグルグルも、ねえ。

Img0642おっ、ニッシン・カップヌードル・ミュージアムか。今度覗いてみようかな。

Img0712これも横浜名物「ゾウの鼻パーク」だ。嗚呼。

Img0742あっ、なんか第三信号系の予感が。

Img0792

 まあ、取り敢えず氷川丸を撮影して、田中長徳氏へのオマージュとしましょうか。

LEICA M3 SUMMILUX 50mm/F1.4 @Yokohama (c)tsunoken

2013年12月 7日 (土)

The new mail magazine from Mr.Chris Buillebeau

 クリス・ギレボー氏から新いメルマガが来た。

 スモール・ビジネス(1万円起業)の話と、来年の構想について。

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『LEICA, My Life』なのか? 「My Life is LEICA」なのか?

「古いライカを1台持って、世界の果てに旅に出る。これほど素晴らしいことがほかにあるだろうか」という言葉は以前に誰かが言って(書いて)それを引用したのかと思っていたら、チョートク氏本人の言葉だったのか。

Dscf11022『LEICA, My Life』(田中長徳著/枻出版社/2013年12月10日刊)

 それまでニコンFとペンタックスAPを使っていた田中長徳氏が「レンジファインダーカメラ」が欲しいと言い出したのは長徳氏が20歳の時。自身は国産のキャノンPか何か他のカメラのブラックペイントと決めていたところ、長徳氏の父親は言ったそうだ。

『長徳(ながのり)、どうせなら最初からライカにしたらどうだ。国産だとすぐに飽きがくるぞ』

 と日たもうたそうな。

 まあ、すごいお父様がいたもんだが、しかし、その日から田中長徳氏の「LEICA, My Life」が始まったわけだ。

『かつて自分が写真家で立とうと決意した時、その最初のステップは1台のライカを手に入れることであった。ライカが1台あることで写真家になることを保証されたことにはならないが、これは車のナンバープレートを登録するのとほぼ同義である。
 自分は最初のライカM2を入手し、その後にバルナックライカを手に入れて、1973年5月にウィーンへ渡った。70年代の初め頃は日本製カメラがアメリカ市場に続いて欧州市場を席巻し始めた時でもあった。だから真面目なウィーン人はおじいさんの時代から大事にしていて、その後の戦争も切り抜けたライカⅢ型などを安く下取りに出して、日本製の一眼レフを買った。下取りされたライカはすぐにウィーンのカメラ店の入り口の左側にある小さなウインドーに並べられる。メーンの舞台はお店の右側のウインドーで、当時ならニコンF2とかキャノンF-1が並んでいた。この店であたしはライカを手に入れて、その後ライカの数はどんどん増えていった。これは良くない傾向であった』

 確かに良くない。まさしくライカ・ウィルスに罹患した病人そのものである。

『自分はライカコレクターではないから、ライカの台数は自分で使う最小限で十分だ。理想は3台といきたいところだが、実用を考え、気分で持ち替えることもあるので、バルナックタイプならⅠ型、Ⅱ型、Ⅲ型、250あたりは欲しい。M型は登場した順にM3、M2、M1、MD、そしてM4、M5くらいは欲しいものである。これですでに10台だ。なかなか最小限度のライカで我慢するのは難しい』

 いやいや、たかだか10台ではないだろう。一体田中長徳氏は何台のライカを持っているんだろうか。私はM3とM6の2台だけ。一時期はM5も持っていたが、でも清貧でしょ。後はMy Birthday LEICAだけ。つまり1951年生まれのバルナックライカⅢfが狙いなんだが……。

 とは言うものの、それが田中長徳氏をして写真家ならぬ写真機家、田中ならぬライ家となさしめているのだから、ライカ・ウィルスも侮れないのである。多分、かの木村伊兵衛氏だってそんなにライカは持っていなかったはずである。それでも傑作写真は撮れるのだから、別にライカの台数と写真の良し悪しは関係ないはずだ。

『17歳の時、東京・神田にあったライカの代理店、シュミット商会でライカの総合カタログをもらった。高校生だったあたしに高額商品のしかも印刷コストもかかっているカタログをよく手渡してくれたものだと今更ながら感心する。これはシュミット商会の明石正巳さんのお手柄であったかもしれない。そのおかげであたしはライカ人類になり、ライカススペシャリスト(フィルムカメラ部門の)になり、こうしてライカの本などを執筆できる身になったからだ』

 う~ん、やはりこれは「三つ子の魂百まで」という言葉の正しさを言っているのであろうか。高校生・田中長徳はその時既に写真家で生きていきたいという志を持っていたのだろうけれども、まだまだライ家になるつもりはなかったはずだ。

 その後、日大芸術学部に進んで、写真家になるべく勉強を始めたわけなのだが、この時か、あるいはNDCで働いていた頃にだろうか、何かその辺に写真家ならぬ写真機家になる道程があるはずなのであるが、その辺についてはこれまでも語ってきたわけでも、本書でも語られていない謎なのである。

 というか、私のような田中長徳マニアになってしまうと、本書に書かれてあることは既にすべて知っていて、そんな意味では本書によって知らされたことは実はまったくない、ってのも自分自身に驚いていることなのであるが。

 写真家の本なので当然、写真が収録されているのだが、その収録方法が面白い。

「WIEN 1973-1980」ではトライXでタテ位置7点、ヨコ位置5点。同じ「WIEN 1973-1980」というタイトルでタテ位置15点mヨコ位置15点をコダクロームⅡで。「NEW YORK」ではタテ位置17点、ヨコ位置15点をトライXで。そして最後の「WIEN 2011」ではコダック・ゴールド100でタテ位置15点、ヨコ位置17点。

 これがすべて前半はずっとタテ位置、後半はずっとヨコ位置で収録されている。これは読者に優しい収録方法で、普通だと途中でタテ位置・ヨコ位置が入り混じっているのだけれども、これだと最初からずっと同じ方法で本を読み進めることが可能で、途中からは本をヨコにして見ていけばいい。

 う~む、田中長徳氏もやはり普通の写真集の写真収録方法には戸惑っていたのだろうか。

 それが本書での発見。

 更に、本書を書くためにウィーンに行った旅行記も、当然、本書で初めて書かれたことではある。まあ、内容は予想できたけれどもね。

『この本を作るためにウィーンを撮りに来たわけだが、それ以上にウィーンの街を楽しもうという気持ちでやって来た。ライカで街を撮ることは、快楽の一種である。そしてフィルムで撮る行為、デジカメと異なりその場で結果が見られない。いまの時代にあって、これこそが大きな魅力になっているのだ。デジカメが実用化し始めた20年前には、こんなこと誰も予想していなかった。ここにある3台が、今回のウィーンカメラだ。真ん中は1950年代のライカⅢc、製造番号は42万台。レンズは初期のエルマー50mmだ。右はライカMD。ビゾフレックスでエルマー65mmが付いている。左はライカM4だ。レンズはズマロン35mm。フィルムはカラーネガを45本持参した。すべて24枚撮り。撮影できるショット数はかなり限られている。だから1シーンは1枚しか撮らないと決めている。この撮り方が案外おもしろいのだ』

 そうか、よーし私も明日はライカ散歩だ。

『LEICA, My Life』(田中長徳著/枻出版社/2013年12月10日刊)

2013年12月 6日 (金)

『私の名前は高城剛。住所不定、職業不明。』って知ってますがな、そんなこと。

 なかなか刺激的な本である。

 なので、ちょっと気になる部分を抜き書きする(ちょっと手抜き)。

20131203_114033『私の名前は高城 剛。住所不定、職業不明。』(高城剛著/マガジンハウス/2011年2月24日刊)

『フランスの才人ジャック・アタリは、今後地球人は動けない定住者と非定住者に大きく分かれていくだろうと言っています。彼は、二十一世紀の非定住貴族のことを『ハイパーノマド』と呼んでいます
実際、そんなカッコいいことではなく、その時代時代の面白い街に、通ったり住んでるだけですけどね』

『あたらしい農法でおいしい野菜を作っている人などのほうが、今後の二十一世紀のクリエイター像にちかいのではないでしょうか』

『モノを売ることがカッコ悪くなってしまいましたからね。それを手伝うことはもっとカッコ悪い』

『僕はこの時代にずっと同じ街にいるクリエイターの感性を根本的に信じていません』

『二十世紀が、テレビ、コンピュータ、デザインといった網膜の時代、目に見える時代だとすれば、これからの100年は神経の時代、目に見えないけど感じる時代、となります』

『僕などは、この複雑でアンバランスな世界で、職業も不明、住所も不定であることで、バランスを取っていると言えます』

『アイデアと移動距離は比例します。日常から離れれば離れるだけ、俗と欲がなくなり、自身が活性化しアイデアが湧き出ます』

『『創造=創造物=平和=戦争=恐れ』のような、テーマに基づいた自分のバランスシートを常に作るようにしています』

『二十一世紀的高城剛だと、移動距離と真実を見る目は比例するのです』

『「日本とはなにか」を考えはじめると、伊勢とか出雲とか、日本の起源に眼を向ける人が多くなるでしょう。そこからなにかを学んだり、日本のオリジナルな部分を大切にするようなムーブメントが起こってくるんじゃないかと思います』

『これから100年は、大きく三つの革命が起きるでしょう。ひとつは、いまお話ししたコンピュータです。量子コンピュータやAIというか脳の再認識による人間の内的探査です。生命科学は、人間の一生を変えるでしょう。
二つ目は、抜本的に変わるエネルギーでしょう。現在、もっともあたらしいエネルギーの可能性は、電力に投資しているグーグルにあると思いますが、僕は、もっと意外なところから出てくると思います。
三つ目は、宇宙探査が進むでしょう。これは一般的に言われる宇宙だけではなく、パラレルワールドのことも指しています。
そして、この三つは別々のようで、実は根本は同じだということが言えます。面白い100年になることは、間違いありません。人類は、5000年ぶりのあたらしいステージに向かうでしょう』

『本当のあたらしいライフスタイルを構築したいんですよ。それは政治家の仕事ではなく、今の時代は画期的アイデアを作れるクリエイターの仕事だと思っています』

『これからは、誰もが写真を撮って、誰もが小説を書いて、誰もが映画を作る時代になると思います。世の中全員がクリエイターになっていくのだとしたら、僕ら先端にいるプロの仕事は、あたらしい時代の雛形を作ることだと思うのです』

『完全にモノを脱却して、住所はどこでもよくて、食物を作ったり、エネルギーを作ったりっていう二十一世紀型高城剛と、未だにいろんなものを買って、物質に固執してしまう二十世紀型高城剛、その二つが正直まだ僕の中で共存しています』

『僕はコンピュータの可能性と自分の可能性を重ねている。それが、20世紀後半に生まれたコンピュータ世代の生き方であると思うし、今後もアプリケーションは進化を続け、それは同じように僕も進化することを意味している』

『現在、国家という枠組みが不安定になり、それは僕の仕事だとポップの終焉、大衆の終焉を意味します。匿名的大衆の欲望が一気に噴出する大衆の時代から個の時代への変換期に、僕らはいるのです。二十世紀が大衆=マスの発見の世紀だとしたら、二十一世紀は個の発見の世紀です』

『撮影でもDJイベントでもキャンプやドライブでも大事なことは、1に天気、2に自分の気分、3にその場の気である。予算がいくらあっても、これらを思い通りにコントロールすることは難しい。では、その3つの『気』をいかにして、自分のものにするか、が本書の核だ』

 なるほどなるほど、何か納得させられることばかりが書いてあるなあ。不安定な時代のあらゆる危機やピンチに備えるためには定住を避けなければならなし、クリエイティブな仕事をしたいなら、尚更移動する生活をしていなければならない、ということにも納得。私もなるべく移動する生活を送りたいのだが……、もう遅いか。

 旅行に行くときのトランクの中身は『長期の場合、発芽玄米釜を持っていきますね。<中略>それからハンディエスプレッソメーカーかフレンチプレスのマシーンのどちらか。<中略>あとはMacを2台。デジタルカメラに携帯電話。あとは、現地調達』ってカッコよするぎるぜ。

 ただし、「これからは、誰もが写真を撮って、誰もが小説を書いて、誰もが映画を作る時代になると思います」なんてところは、さすがに2年半前の本であって、最早YOU TUBEやニコニコ動画でそんな時代がきているようなこともあったりする。でも、そんな時代にプロが新しい時代の雛形を作ることができているのか?

 しかし、まあトータルでは「ハイパーノマド」な高城剛氏らしい発想法だ。

『私の名前は高城 剛。住所不定、職業不明。』(高城剛著/マガジンハウス/2011年2月24日刊)現在はKindle版だけが出ているようだ。

2013年12月 5日 (木)

信楽焼きの狸の置物……記事はそれだけじゃないよ

 NIFTYココログのアクセス解析が以前のザックリしたものからかなり変わったので、本題に入る前に、ちょっとその話を。

 取り敢えずスクリーンショットを見て頂こう。

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20131204_213415
 例えば、この時点だとPVが610なんだけど、デバイスごとにPC 322(52.7%)、iOS 121(19.8%)、Android 111(18.20%)、ガラケー 49(8.03%)なんてのも出るし、参照元や検索エンジンから読みに来てくれた人の数、読者の年代も10代 17.1%、20代 19.9%、30代 20.1%、40代 35.9%、50代以上 7.0%なんてのも出てくる。男女比なんてのも男性 9.7%、女性 90.3%なんてのも出てきたりして、へ~私のブログの女性読者比率がこんなに高いなんて……って思ったのだが、どうやって性別や年齢なんかを調べたんだかよくわからない。まあ、あれば便利だ……、って言ったって、別にその結果書く内容を変えたりはしないわけだから、あまり関係ないのかな。

 まあ、取り敢えずどんな読者がいるのかな、ってことだけ。

 で、本題に入ります。

 信楽焼きと言えば狸の置物が有名だが、何故か見かけるのは下町ばかりだ。

2013_03_18_00482Fujifilm x10 @Nishiarai, Adachi (c)tsunoken

 信楽焼きの狸の置物の歴史はそんなに古くなく、明治時代からのものであるそうだ。

 1951年(昭和26年)、昭和天皇が行幸の際、沢山の信楽焼きの狸に日の丸の小旗を持たせて沿道に設置したところ、狸が延々と続く情景をお気に召され、歌を詠まれた逸話が新聞で報道され、全国に知られるようになったそうだ(Wikipediaより)。

Dscf74082Fujifilm X10 @Kanda, Chiyoda (c)tsunoken

「たぬき」が「他を抜く」に通じることから縁起物として喜ばれ、商売繁盛を願って店の軒先などに置くようになった。

2013_10_07_94302EPSON RD-1s SUMMICRON 35mm/f2 @Yanaka, Taito (c)tsunoken

 狸が編み笠をかぶり少し首をかしげ、右手に徳利、左手に通帳を持って突っ立っている、いわゆる「酒買い小僧」が定番となっている。

 ただし「小僧」なので「○玉」がついている訳で、一説には「狸の金○、八畳敷」なんていう言葉がある通り、大きな大きな「○玉」が信楽焼きの狸の置物の定番スタイルである。

 そんなところがお高くとまっている山の手の人々には不評なのであろうか。

Dscf11012Fujifilm X10 @Kami-Shakujii, Nerima (c)tsunoken

 ちなみに、我が家の軒先には「無事カエル」がおいてあります。

2013年12月 4日 (水)

Fitbit weekly progress report from Nov.25 to Dec.1

 Fitbitから先週のレポートが来た。

 最も活動的だったのは12月1日、14,805歩、10.36km。品川宿を歩いた日だ。

 最も非活動的だったのは11月25日、10,129歩、7.09km。

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『ブラック企業ビジネス』って、そんなに裏側があるわけでもない

 そうか<ブラック企業>のウラには<ブラック士業>がいるって訳なんだな。

R11972522『ブラック企業ビジネス』(今野晴貴著/朝日新書/2013年11月30日)

<ブラック士業>ってのは、本書によれば「弁護士」と「社会保険労務士」ということになるようだ。本来は、一般の人を違法な労働条件やらその他の違法な状態から守るべき立場にある「法律を基本にした仕事」を行う人が、何故<ブラック士業>に手を染めてしまうのか。そこにも問題がありそうである。

 ひとつは『1999年7月、内閣に「司法制度改革審議会」が設置され、司法制度改革を目指す議論が開始された。主要な柱は、①法科大学院(ロースクール)の設置(2004年4月から)、②司法試験制度改革(2006年5月に新司法試験開始)、③裁判員制度の施行(2009年5月から)の3つである。特に①②で目指されたのは、法曹人口の拡大だった』という。訴訟件数の増加や、企業や公共団体などへの弁護士の進出というニーズの拡大を見込んで、主に弁護士の人数の拡大することを考えたわけである。

 ところが、ロースクールで学ぶための費用だとか、司法修習生への給費の廃止などの問題が出てきて、多くの弁護士たちが「法律家の卵」の段階で既に貧困状態に陥っている。更に景気停滞などの影響を受けて訴訟件数は減ってしまい、その結果、2009年東京を拠点とする弁護士15,894人のうち、実に3割にあたる4,610人の弁護士が年収70万円以下となっていることが分かったという。2011年には全国の弁護士の中で100万円以下の年収しか受け取れなかった弁護士が6,009人(約22%)もいたというのだ。

 結局、昔は「イソ弁」などという多少は自虐的な言い方をしていた若手弁護士が、いまやイソ弁どころか、「ノキ弁」、「即独」、「ケータイ弁護士」などという弁護士自身がワーキング・プア常態になっているというのである。

 そんなワーキング・プア状態に陥っている弁護士たちを狙って暗躍する者たちがいるそうだ。

『「非弁」と呼ばれる集団である。弁護士資格を持たない彼らは、名義を貸してくれる弁護士を取り込んで法律事務所を立ち上げ、「事務局」を形成して、大量に事件を集めて大量受注・大量処理を行うことで利益を上げようとする』

 その結果、こうした弁護士たちがブラック企業の側に立ち、取り入れる手法は主に3つあるという。

『第一に、「脅し」である。これは弁護士・社労士といった専門家の権威を悪用した手法だ。第二は、訴訟・係争費用で相手を怖じ気づかせる手法である。第三は、法制度を意図的に「誤用(濫用)」し、当事者を混乱させ、紛争を無限に拡散させていく方法である』

 これ知ってる。私も以前ある女性との別れ話をした時に、女性側の弁護士から「訴訟するぞ」って脅しを受けたんだが、「フザケルナ!」って言い返したら、そのまま音沙汰なしということになってしまった。その時から、私は弁護士って言ったってたいしたことないな。法律に反していることをやっていない限りは、別に弁護士なんて怖くない、という風に考え方を決めてきたのだが、そうした経験を持っていない人にとっては、なんか弁護士自身が法律を操って「怖い人」という風に映ってしまうのだろう。

 で、そんな弁護士が「ビジネス」として法律を操ろうとしているのが、<ブラック企業>のウラにいる<ブラック士業>の構造なのだ。

『今、言論を封じ込める不当な目的で起こされる訴訟が世界中で社会問題となっている。そして、何を隠そう私自身も、ユニクロとワタミから「脅し」ともとれる通告書を受け取っている。
 本書でこの問題を取り上げるのは、ブラック企業の社内圧迫的な体質と、訴訟による言論への圧迫行動が連関しているように見えるからだ。会社内の社員に対して、圧力をかける企業は、お金と弁護士の力を借りて批判的意見をも封殺する』

 しかし、そんな圧迫的行動も結局はそんな行動を無視する、あるいはそんな行動に対抗する気構えをもっていれば、まったく問題にはならないのだ、

『アメリカでは、市民団体に対する「名誉棄損」「業務妨害」などの民事訴訟が70年代から増え始め、80年代にSLAPPとして社会問題化したことで認識が広がり、90年代には全米各地の州で反SLAPP法が制定されるようになっていった』

 いずれ日本でもこうした法律は出来るであろうが、なんかアメリカに先を越されるのは残念ではある。というのも、結局はアメリカでこうしたブラック企業が既に存在していたんだなということもわかるのである。

 20世紀の日本は社会主義国ではないかと言われていた位に、国の規制が強く、しかしその中で高度成長を遂げてきたという歴史があって、(経済的には)世界の一等国になった日本である。

 しかし、そんな日本もそうした護送船団方式ではうまくいかなくなって、結局、規制緩和の方向に向かっていったところ、出てきたのは<ブラック企業>問題である。結局、社会の規範が緩くなって企業が勝手に事業を展開できるようになれば、それはどこかで<ブラック企業>が暗躍どころか、社会の中で受け入れらるような形ですら存在してしまうということになるのだろう。

 そこで企業経営者に求められるのは「モラル」なんだろうけれども、その「モラル」というものは、明確な規範がない。というか、明確な規範がないからこそ「モラル」なんだろうけれども、だから結局は経営者の人間としての考え方が「モラル」になるのである。

 渡邉美樹氏や柳井正氏が、自らの働き方を正当化するのは別に構わないけれども、それと同じことを従業員に強制するのは問題がある。だって、自らの働きがそのまま自らの収入になる創業者と、企業の儲けの一部分しか収入にならない従業員の立場は違うのだ。それを一緒くたにして従業員にまで創業者的な仕事の仕方を押し付けるっていうのは……やっぱりブラックでしょ。

 で、そんなブラック企業を後押しするブラック士業の人たち。

 もう、そんなことは辞めて、普通に法律を守って仕事をしましょうよ。

 えっ? そんなことを言ったら弁護士辞めなければならなくなってしまうって?

 じゃあ、辞めりゃあいいじゃんかよ。

 弁護士やめてもいくらでも仕事はあるんだけれどもなあ。

『ブラック企業ビジネス』(今野晴貴著/朝日新書/2013年11月30日)残念ながらKindle版は今のところない。電子書籍への対応が遅いのが朝日新聞出版である。

2013年12月 3日 (火)

宿場と仕置き場

「仕置き場」とは刑場のことである。

「刑場」とは獄門、磔、火炙り、晒し首の「仕置き」をした場所のことである。

 で、これが何故か宿場町につき物なんだなあ。何でだろう?

 って、要は江戸への出入り場所である江戸の宿場町はそれなりに人の交通が多かったので、つまりは権力者の市民に対する見せしめと恫喝だったのである。つまり「悪いことをするとこうなるよ」っていうね。それは当然一般の法律(って当時あったのかなぁ)であり、もっと大きいのは幕府に対する反乱行為である。

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 東海道品川宿のはずれには鈴ヶ森刑場があった。

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 火炙台と磔台が今も残っている。火炙台は台の真ん中の穴に鉄の棒を差し込んで、人をはりつけ火炙りにする。磔台はやはり真ん中の穴に木製の磔棒を差し込んで使う。

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 奥州街道(日光街道)の千住宿の江戸の側には小塚原刑場があった。磔台や火炙台は残されていないが、刑場跡は残されていて、保存されている。

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 中山道は板橋宿の傍に「新撰組隊長 近藤勇墓所」がある。

 ただし、ここは刑場ではなく、この墓所の北東に100mほど言ったところにある平尾一里塚の傍が刑場であった。今は刑場跡は何も残されていない。

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 平尾宿は板橋三宿のうち一番江戸に近いところにあった。

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 で、当然江戸五街道の一つである甲州街道だったら内藤新宿か内藤新宿より前は一の宿だった高井戸宿に刑場があってもおかしくないのだが、実はないのである。

 内藤新宿のちょっと江戸側には、大杉栄を殺害したことで有名な市ヶ谷刑場があるが、これは明治になってできた刑場であり、江戸時代にはなかった筈だ。

 で、甲州街道の宿場の傍にある刑場は、はるばる八王子宿まで行かなければならない。で、八王子宿(中心は八日市宿や横山宿)からかなり離れた浅川という多摩川の支流にかかる八王子の町はずれ、大和田橋の北詰のそばにあったそうである。

 今は橋のたもとに交番があるだけであり、何も遺構などは残されていない。

 それにしても、なぜもっと江戸に近い場所に刑場を作らなかったんだろう。

 まあ、結局五街道と言っても、品川(東海道)、千住(奥州街道・日光街道)、板橋(中山道)なんかと比べて、甲州街道は信州高遠藩など数少ない大名のみが参勤交代で使う寂しい街道だったわけなので、徳川幕府としてはあまりここに刑場を作っても効果はないと考えたのであろうか。

 まあ、内藤新宿なんて宿場機能よりは岡場所として有名だったらしいからな。落語の「堀の内」で有名な堀之内お祖師様(妙法寺)への参詣だって、結局は内藤新宿で一泊して飯盛り女とニャンニャンというのが目的だったそうで、そういう意味ではそんな連中に見せしめしてもあまり意味はないか。

Fujifilm X10 (小塚原のみEPSON RD-1s Elmarit 28mm/F2.8) (c)tsunoken

2013年12月 2日 (月)

The new mail magazine from Mr.Chris Guillebeau

 クリス・ヒレボー氏からのメール・マガジンが来た。

 いろいろなもののディスカウント・セールのようです。

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 クリス・ギレボー氏のサイトはコチラ

PARIS GALERIE DE LUMIERE 2010-2013

 神田明神脇の写真ギャラリー、gallery bauhausuで小瀧達郎写真展‟PARIS GALERIE DE LUMIERE 2010-2013(PARIS 光の回廊 2010-2013)”が開催されている。

『1930~50年代製造の古いライカ・レンズで撮影したパリ。2010年から4年間にわたって撮影された小瀧達郎の10年ぶりの新作写真展』というのだから、そこには2010年のパリでありながら、1930~50年代の空気が写っているというのだろうか。

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沈黙する意志の光

小瀧達郎が撮影したパリは、その幻想的な作風から、一見すると甘美な憂愁の中にあるノスタルジーの表現のように映るかもしれない。けれども、それは大きなまちがいだ。かれのまなざしが向けられているのは、時の容赦のない流れの中にあって、変わることなく「パリ」という都市空間を支えている謹厳な意志だ。それは洋品店に置かれた古いトルソーや、大聖堂の上から下界を見下ろす怪物像や、使い込まれた階段の手すりや、ベンチにたたずむ老人の背中など、パリの街のあらゆる細部に浸透して、「パリ」を不断に生成させつづけている原型的な生命力のように思われる。「もの」をとおして立ち現われるこの細妙な意志をとらえるには、現実をおおう機能性や饒舌性をぬぐい去り、沈黙する純粋な光を浮かびあがらせてくれる古いライカ・レンズでなければならなかった。かつて小瀧さんとともに「マリ・クレール」誌の黄金期をささえた作家の故・辻邦生もまた、パリの街にそのような揺るぎない意志を見ていた。辻さんが今回の写真展を見ていたら、なにを想うだろうかとつい考えてしまう』というのが、作家兼翻訳家の田中真知による招待ハガキでの賛辞である。

 さて、昔のレンズで写真を撮ると今の町があたかも昔の町のように撮影されてしまうのかどうかは、私も3月11日のブログ「時の鐘と蔵のまち 川越散歩カメラ by Rolleicord」で試みたところである。

 しかし、そこに写っているのは、間違いもなく現在の日本である。雰囲気だけは昔の日本ね。

『しかし、このカメラについているカール・ツァイス・トリオター7.5cmというレンズはなんとまあ味のあるレンズなのだろうか。フィルムを詳細に見ていると、結構ピントはシャープであるが、ボケている部分になんか時代が写っている』

 なんて勝手なことを私は書いているが、実はそんなことはなくて、当然フォーカスが合っている場所は昔のカメラ(レンズ)であっても、今のレンズであっても、当然シャープであることは変わりはないはずだ。問題はアウト・フォーカスになっている部分の描写のことなんだろう。現代のレンズではデジタルデザインでやってしまうから、そんなにアウト・フォーカスの部分でもそれなりに写ってしまう。つまり、アウト・フォーカスの部分の描写能力なんてものは、デジタル・デザインができなかった時代は、基本的にレンズ設計者の好みというか、俺の設計ではこんなもんとか、取り敢えずは基本設計が終わってしまえば、あとはレンズの性格に任せるしかないというのがこれまでのレンズ設計思想だった。

 いわば、それが「レンズの空気感」というやつ。

 まあ、いわばそれは本当に写真を撮った人の「気分」の問題でしかない、という問題なのだ。

 で、この小瀧達郎写真展がどうだったのか。

 写っている空気感ってなんだろう。

 例えばFENDIの靴を撮った写真に1930~50年代のパリは写っているのか? ベンチにたたずむ老人の背中にオールド・パリは写っているのか? 数多く撮られているルーブル美術館の彫刻や、多くの町中の像に、昔のパリは写っているのか?

 いるんだなあ、これが。

 私のようなヘッポコ・カメラマンだと写っているのは昔の空気感ではなく、昔の空気感だという気分が写っているにすぎない。

 ところが小瀧達郎氏が写すと、しっかりそこにはノスタルジック・パリが写っている。

 この彼我の差というものは乗り越えることが出来ない大きな差である。

 もっと精進せねばなぁ、との思いを胸に神田明神を去るのであった。

 というのも「気分」だけどね。

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小瀧達郎写真展「PARIS 光の回廊 2010-2013 沈黙する意志の光」は2014年1月18日まで。

ギャラリー・バウハウスのサイトはこちら

2013年12月 1日 (日)

『「就社志向」の研究』といっても、別に特別なことが書いてあるわけではない

「希望は社畜」って腰巻の煽りがちょっと気持ち悪いが、まあ、書いてあることは普通だ。というよりは「凡庸」だ、と言うべきか……。

 って言うか、こういう本って、あまり書評に困る本ではあるんだよなぁ。自分で決めたくせに。

R11972512『「就社志向」の研究――なぜ若者は会社にしがみつくのか』(常見陽平著/角川oneテーマ21/2013年11月10日)

 結局、就活する方(学生及び大学)はあくまでも大学受験のような「公正さ」を求めるのに対して、採用する側(企業)はそんな公正さなんてものは一顧だにしないということなのである。つまり企業の求める人材というものは一定の基準なんてものはなくて、「多様」であるということなのだ。

 企業を取り巻く環境は常に変化している。そんな時に、企業に所属する人材が一つの価値観に凝り固まっていては、変化に対応できずに企業は倒産してしまうだろう。したがって、企業は多様な人材を求める訳で、その際には企業の採用する人材は様々な要素によって決まるわけである。つまり、企業は「私たちの会社が求める人材はこんな人たちです」なんてことを言っていても、別にそんなことを守るつもりはさらさらないのである。

 で、そんな企業が求める人材は東大、京大、一橋、早慶上智、GMARCH、関関同立あたりで充分求めることができるし、更にそれらの大学出身者なら普通の知能、感覚、技能は備えている筈だから、その辺から採用しておくのが一番間違いがないということにすぎない。勿論、日東駒専、大東亜帝国あたりからでも一流企業に採用される人もいるわけで、まさしくこれが企業の求める人材は一様じゃないということの表れなのである。

 ところがこうした企業の採用活動を一変させてしまったのが、リクナビやマイナビなどの、ウェブでの採用作業であろう。

『ネットを活用することにより、学生は居ながらにして、求人情報を閲覧、検索することができ、自分に合った企業に簡単に出会え、応募することができ、就職活動の手間を軽減することが期待されていた。ネットであるが故に、地域間の格差を解消するものだと思われていた。資料請求ハガキの送付や、企業説明会の予約など、手間のかかるものから解放され、自分の就きたい仕事や働きたい企業を探すことに専念できるようになることが期待されていた。企業も同様で、履歴書の山から解放され、より必要な人材を探せるようになることが期待されていた。
 しかし、これらの期待は大きく裏切られ、問題が起きてしまった。応募数の増大、ミスマッチの増加などが指摘されるようになった。結局、就活はますます肥大化、膨張化、煩雑化してしまった。
 まず、応募数の膨張である。就職課の求人票から探す時代、資料請求ハガキを送付する時代は、応募そのものに負荷がかかる時代だった。いくら資料請求のための事務的なハガキとはいえ、学生はこれも選考に関係あるのではないかと丁寧に書こうとする。
 逆に言うと、これにより応募数は抑制されていたとも言える。
 ただ、就職ナビでは、クリック一つで応募できるようになり、応募数は膨大になったのだった。一括エントリーと言って、例えばある業界を軸に検索したらこれらの企業に一気にエントリーすることも可能になった。結果として、企業への応募数は膨張していった。
 これまでの採用活動で活用されていた大学経由の求人票や、学生ごとに宅配される求人情報誌とは違い、学生は、掲載されている情報はすべて閲覧することができる。これにより、これまででは「ウチの大学からはこの企業は無理だろう」と思うような企業へのエントリーも可能になったのであった。これでまた母集団が増える。
 なお、この「エントリー」はあくまで、情報を企業に登録したものであって、応募書類を書いたわけではない。他の項目でも触れるが、メディアでは学生が何十社も「応募」しているのに内定が出ないという言説が紹介されるが、これはあくまで情報を企業に届けただけの状態である。とはいえ、これにより企業から多数のメールが届いたり、アプローチがあるので、心理的な負担は増えるのである』

 と学生側の負担増を言っているが、それは同時に企業の側の負担も増えているわけで、そんな「どうしてもこの会社に入りたい」と願っている学生ばかりでなく、それこそ「記念受験」みたいな気分の学生の相手までしなければならなくなってしまっている状態も、企業側の負担増も大きな問題なのである。

 なので、企業側も就活改革を言いだす訳である。つまり;

「インターンシップで低学年時から内定がもらえる採用手法」
「受験資格に社員か関係者の紹介状を求める採用方法」
「特定の技術・経験を有している学生には初任給が著しく高く設定されている採用手法」
「文系でも職種別に応募できる採用手法」
「入社時期を春と秋で選択できる制度」
「はじめから海外勤務が約束されている制度」
「一芸に秀でた人を採用する制度」
「他社のエントリーシートでも選考してもらえる制度」
「自分の動画を撮影し、その動画で選考される制度」
「会社の現場で実務経験を行い、選考される制度」

 このうち「インターンシップ」「社員か関係者の紹介状」「海外勤務」「一芸」「動画」などが学生からは受けが悪い採用手法なのだが、こうして見るとなんか学生側の消極的な就活姿勢が窺えるのではないか? 「インターンシップ」が採用と関係ないなんて発想は日本だけであり、欧米ではインターンで働くのはまさしく就活そのものだし、「紹介状」だって、どこの大学だって岩波で本を書いた教授はいるだろうから、その先生から紹介状をもらえばいいだけの話だし、「海外勤務」なんて希望したってできない人が多いし、「一芸」「動画」なんてまさしく今の学生のお得意分野なんではないかと思うのだ。

 ところがそうした手法が人気がないというのは、学生側の自身のなさというか、普通に試験で採用してねという消極性でしかなし、そんなでは結局、企業からの採用通知はこないのであろう。

 結局のところ、「はじめっからフリーランスでやる自信のない」人、「最後までフリーランスになるつもりがない」人たちがサラリーマンになるわけで、「はじめっからフリーランスでやるつもり」の人、「サラリーマンになりたかったがなれなかった」人がフリーランスになるという状況は全く変わっているわけではない。中には「いずれフリーランスになるつもり」ではあっても、結局、定年までサラリーマンをやってしまった、私のような人間もいる、というか多分そんな人が一番多いのだろうけれども、だとしたら、もうちょっと真面目に就活というものをやってみてはどうなんだろうか。

 言っておきますが、サラリーマンになるのだって、そんなに簡単なのではないのだよ。

『「就社志向」の研究――なぜ若者は会社にしがみつくのか』(常見陽平著/角川oneテーマ21/2013年11月10日)Kindle版もある。さすが角川。

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