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« 二つの「こども取り違え映画」比較論。注意! 全部ネタバレ | トップページ | 『江戸しぐさ』は庶民の生きる知恵である »

2013年11月 1日 (金)

ギャラリー・バウハウスで『宮嶋康彦 Siberia 1982』を視る

 神田明神の裏手にある写真ギャラリー、Gallery bauhausへ『宮嶋康彦 Siberia 1982』を観に行く。

 私と同年生まれの宮嶋はネイチャー・フォトを中心に活躍しているひとで、同じ宮嶋でも宮嶋茂樹という多分に生臭い写真家とはちょっと違う。

Dsc_00172

Dsc_00382(c)Yasuhiko Miyajima

 その宮嶋康彦が1982年冬にハバロフスクを訪れて撮った写真が展示即売されている。

 1982年のソビエト連邦と言えば、ブレジネフ体制最後の年であり、まだまだスターリニズム・ソビエトが(瀕死の状態ながらも)生きのびていた頃である。そんな時のハバロフスクはまさに軍事都市として存在していたわけで、町のそこここには軍人や警察官の姿が見えていたことだろう。

 街のいたる所にあるレーニンの肖像や像が、まさしくここは旧ソ連体制の街であることを物語っている。

 冬のハバロフスクは氷点下30度以下にもなるという極寒の地である。そんな気候は政治の上部構造が如何に変わろうとも関係なく厳しさを求める。チェホフが『シベリア紀』で書いたような厳しい気候が、ハバロフスクに暮らす人々の前に立ちふさがる。人々の暮らしも、当然ながら政治的上部構造とは関係なく暮らしている。暮らし向きは決して豊かではない。写真からもそんな気候と同じような厳しい暮らし向きが伝わってくる。

 アムール川だろうか、舟が写っている写真#35のキャプションが面白い。

『酸味のあるパンにも慣れたころ、ニキビ顔の警察官にフィルムを没収された』

 当時31歳だった宮嶋にとっては、そんなニキビ面の若僧の警察官に対してよほど口惜しさが溢れていたのであろう。

『KGB(ソ連国家保安委員会)による尾行、毎夜ホテルの部屋にかかってくる誘惑の電話、撮影フィルムの没収…憧れのシベリアは厳しい旅行であった』(写真展案内ハガキより)

 そんな厳しい旅行であっても

『それでも私は積極的に人々に声をかけた。かれらは、私が示す和露、露和辞典を熱心にのぞきこんだ。日本人の源流をたどる私に社会主義を樹立したレーニンの孫たちは、どこか、懐かしい表情をたたえてカメラの前に立ってくれた。今、新生ロシアを支えている人々である』(前と同じく)

『宮嶋康彦 写真展 Siberia 1982』は11月16日まで開催中。

Gallery bouhausのサイトはコチラ

Dsc_00252

 写真展の後、神保町まで出て三省堂で買い物をし、ちょっとラドリオで一休みしようかと立ち寄ろうかとしたら、ちょうどラドリオから出てきたばっかりの学生時代からの友人Y川さんとバッタリ。

 Y川さん、東十条、草月のどら焼き、大変おいしゅうございました。

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コメント

とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!

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