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2013年11月25日 (月)

紅葉の六義園 ライトアップは12月8日まで

 駒込六義園の紅葉が色づいて、11月22日からは期間限定のライトアップがされているという宣伝もあるということで、昼間から観光客でいっぱいである。

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 ご存じの通り、六義園は五代将軍・徳川綱吉から元禄8年に加賀藩の下屋敷跡地を賜った、忠臣蔵の悪役で有名な柳沢吉保が7年かけて造営した庭園である。2万7千坪の平坦な土地に土を盛って山(藤代峠)を築き、千川上水を引いて池を掘り、起伏のある景観をもった回遊式築山泉水庭園である。

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「1702年(元禄15年)に庭園と下屋敷が一通り完成すると、以降綱吉のお成りが頻繁に行われるようになる。その回数は記録されているだけでも実に58回もあり、吉保の寵臣ぶりもさることながら、この庭園自体が当時にあっても天下一品のものと評価されていることが窺える」というのがWikipediaの紹介だが、もうちょっと別の面もあったようだ。

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 というのも吉保の側室・染子はかつて綱吉の愛妾であり、綱吉から吉保に下された拝領妻(妾?)であったという。で、吉保の子・吉里も綱吉の隠し子だという説があるのだそうである。

 つまり、綱吉は染子とニャンニャンしたくて、柳沢邸に日参したという話。吉保もそれを知っていて目をつぶっていたそうだ。さすがにゴマすりでもって出世した吉保ならではのエピソードではあるな。

Dsc_00382藤代峠からの眺めも六義園の魅力の一つだ。

 柳沢家は吉保の次の吉里の代になって大和郡山に転封となるが、六義園周辺の屋敷は柳沢家の下屋敷庭園として幕末まで使用された。

 明治になり、三菱家の創業者・岩崎弥太郎が六義園及び柳沢家下屋敷一帯を購入。その地の再開発に乗り出し、六義園の周辺は大和郷という高級住宅地となった。田園調布なんてのが開発されるよりずっと以前のことなのである。

 庭園部分は煉瓦塀で囲まれて六義園となり、1938年(昭和13年)には東京市に寄贈され、以後一般公開されるようになった。東京大空襲の被害も受けることなく、1953年(昭和28年)には特別名勝に指定されたのはご存じの通り。

 で、またまた後々になって柳沢家の屋敷跡に我がマンションが建設され、その建替えにあたっては、柳沢家の遺跡調査を文京区から命じられることになって、ちょっと困ったなんてエピソードもあったりしたのだ。

 残念ながら柳沢家の財宝が出てきたなんてことはなかったけどね(ちょっと期待したんだけど)。

Dsc_00452_2同じ藤代峠からの眺めだが、なんかちょっと違うものが写っているなあ。何だろ?

 六義園 紅葉と大名庭園のライトアップは12月8日まで

「六義園 公園へ行こう 東京都公園協会」のサイトはコチラ

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