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2013年11月 3日 (日)

『ねじれた絆』は『そして父になる』以上に印象的だ

 是枝裕和監督の映画『そして父になる』が参考にした、沖縄で実際にあった「赤ちゃん取り違え事件」のルポである。

Dscf0513_edited1『ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年』(奥野修二著/文春文庫/2002年10月10日刊)

 事件が起きたのは昭和46年(1971年)、27年間にわたるアメリカの統治に終止符を打って、日本に復帰する前年の沖縄であった。そして発覚したのは昭和52年(1977年)。

 大型クレーンのオペレーターを務める伊佐重夫と智子の間に生まれた長女・美津子。自動車の整備技師を務める城間照光と夏子の間に生まれたこれも長女の初子(後に真知子に改名)。この二人が事件の当事者だ。

 きっかけは美津子が通う幼稚園で交通事故対策として行った血液検査。B型の重夫とO型の智子の間に生まれたはずの美津子の血液型はA型だった。問い合わせを受けた産院は昭和46年のカルテを調べた結果、8月16日に生まれた伊佐美津子より2日後に生まれた、城間初子の血液型が再検査の結果B型であることが発覚。初子の親、城間照光はO型、夏子はA型である。

ルポルタージュは平成6年(1994年)までの17年間が本編、「文庫版特別書きおろし 新章 若夏(うりずん)」が美津子と真知子が30歳になるまでの25年にわたる長期的な取材によるものだ。

 美津子には三人の妹がおり、後に照光が夏子の姉、敏子との間に産んだ盛光という腹違いの弟がいる。真知子には孝一という弟がいる。というように、城間家の方はかなり複雑な模様があり、母夏子もどちらかというと「子どもを産みっぱなし」のような母親である。後に、照光に対抗するように男を引っ張り込む。美津子の妹たちも夏子よりは伯母の敏子の方になついているようだ。一方、伊佐智子はかなりの教育ママで、子育てには一生懸命取り組む態度であり、一家団欒という雰囲気は伊佐家のほうがしっかりしている。

 その結果、美津子はいつまでも智子と離れたがらず、智子の実子、真知子とは智子を挟んで母を奪いあうようになる。

 現在の美津子と真知子はまるで姉妹のように親しくしているが、それまでの葛藤はかなりなもののようで、結局、美津子は城間家とは疎遠になってしまっている。

 悲しいことに『ただ奇妙なことに、遊園地やビーチへ両家で何度となく出かけた記憶が、現在の美津子にも初子にもぽっかりと抜け落ちている。楽しいはずの日々が、取り換えるための手段だったということがわかったときに、無意識のうちに消滅してしまったのだろうか。この期間だけが空白なのである』というように、やはり子どもを取り換えるということは、当の子どもにとってはあり得ないことであり、あってはならないことなのである。

 更に、本来はこうした赤ちゃん取り違え事件の後は、基本的には両家は縁を切って、離れ離れになるということが普通なのであるが、この城間家と伊佐家の場合は、縁を切るどころか、城間家の家の前にある、城間家が持っている貸店舗の上に更にプレハブ住宅を建てて伊佐家が住んでしまうのだ。

 この一種の゛同居"状態がものごとをより複雑にし、美津子は次第に城間家から疎遠となり、伊佐家にばかり入り浸るようになる。

 照光ははじめ「時間が解決するよ」と言っていたのだが、結局『時間で解決できないものもあるんだねえ……。だが、あの子もいずれ結婚する。結婚すれば子供も生まれる。母親になったときにどう思うか。そのときが勝負だなあ』と言うことになり、美津子はまだ結婚していない。

 結局、城間照光は育ての子、初子も、実子、美津子も伊佐家に取られてしまったまま、現在を迎えている。

『親子というのは、本来「血」と「情」は不可分なものである。それがいきなり断ち切られたことは、親の苦難もさることながら、二人の子供たちにははかり知れない衝撃を与えたはずだ。しかし、その後の二人の生き方は多少違ったものになった。育ての親への断ち切りがたい絆は美津子の人生を大きく狂わせていった。彼女は「血」と「情」のあいだで彷徨いながら、ついに智子との「情」を選んでしまったのである。「血」を捨てなければならなかった彼女の心中はどれほど辛いものであったか。だが、彼女は務めて明るく生きようとした。その逞しさには感動すら覚える。彼女の心の中では常に、親とは何か、子とは何かを考えなければならない状況にあった。そのことはいまも彼女を支配している。忘れようとしても忘れることができないものである』

 というのが奥野修司氏の結論的な言葉だ。

 まあ、やはり映画のようにはハッピーエンディングはないのだなあ。『そして父になる』の野々宮家と斎木家の関係が今後どうなっていくのかは、観た人による解釈に委ねるという終わり方だった。

 当然、それは映画なのだから当然なのであるが、映画以上に印象的な終わり方をしている『ねじれた絆』の方が、やはり迫力を持って私たちに迫るのである。

『ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年』(奥野修二著/文春文庫/2002年10月10日刊)Kindle版も出ている

こちらは映画のノベライズ版『そして父になる』(是枝裕和・佐野晶著/宝島文庫/2013年9月5日刊)

 ところで、今日明日と、山古志牛の角突き(11月3日)、小千谷牛の角突き(11月4日)に行ってくる。両方とも今年の最終場所。その様子は11月4日と5日のブログで書きます。

 乞うご期待……かな?

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