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2013年11月 2日 (土)

『江戸しぐさ』は庶民の生きる知恵である

「江戸しぐさ」とは何か?

 武士が支配する江戸時代の江戸の町ではあったが、そこには武家社会を下支えするために全国から(専ら北関東や東北だが)農民がやってきて、江戸の町民となり、それらの町民たちの生活の知恵というものがあった。そうした生活の知恵を主に商人のものとして見たのが「江戸しぐさ」。

 ただし、「江戸しぐさ」が現実の江戸時代に存在していたとする文献的証拠はまったく存在していないそうだ。多分、現代でも使えそうな生活の知恵を、江戸時代からあったとして親しんでもらおうと、小林和雄という人が江戸講というものを復活させ、その流れをくむ越川氏たちが普及させようと発言をしている、というのが真相のようだ。

Dscf0498_edited1暮らしうるおす 江戸しぐさ』(越川禮子著/朝日新聞出版/2007年7月30日刊)

 まあ、それでも私たちの生活にそれが生かせれば、別に「江戸しぐさ」があったかどうかなんてことはどうでもいいのである。

 一つ面白そうな話を引用。

『「そんなこと朝飯前だよ」。簡単にできることを、よくこんな言い方をしたものですが、江戸人の「朝飯前」は、意味合いがちょっと違いました。文字どおり朝ご飯を食べる前にする「働き」のことなのです。
 向こう三軒両隣に声をかけ、母子家庭、父子家庭、あるいは老人の一人暮らしの中で困ったことが起きていないか様子を見て、その手だてをするのが日課でした。もちろんこれは浮世の義理で無報酬です。
 朝ご飯を食べたら、身過ぎ世過ぎ(生活)のためにお金を稼ぎます。昼食が済んだ午後からは、人のため、町のために、「傍を楽にする」働き、今でいうボランティアに精を出したそうです。職種にもよりますが、「江戸っ子は三~四時間しか働かない」というのは、どうもそのあたりから来ているようです。
 夕方は、夏などはみんなで一斉に打ち水をして、明日も元気で働くために備えました。「あそび」に引っかけてこれを「明日備」といい、リフレッシュ、レクリエーションの時間だったのです』

 つまり、これは江戸庶民の知恵ともいうもので、昔の電気なんかがなかった時代の生活習慣だったのであろう。

 つまり朝日が昇るとともに起きて、夜はさっさと寝てしまうという。

 朝日が昇るとともに起きてしまえば、朝食までの時間がタップリあるわけで、その時間に浮世の義理を果たしてしまおうという考え方であり。午後はもう仕事をしないでボランティアに精を出し、夜は夕食を食べたらすぐに寝てしまう。なので、翌朝も朝日と共に起きてしまう、という。こうすれば余計な油代なんかがかからずに出費が少なくなるし、生活もラクになる。夜っぴて酒なんかを飲んでいる私みたいな奴は余計者なのであったのであろう。

 更に、江戸時代は結構、母子家庭や父子家庭なんかが多かったようである。武士たちと違って、結構女の発言力が強かった江戸時代には離婚も多かったようで、むしろ現代なんかよりよっぽど自由に人々は生きていたようである。

『「草主人従」という思想がありました。「草主」とは自然への敬服の念を持ち、「人従」とは人がその偉大さに従うということです。日本人は昔から「おてんとうさま」を拝む習慣がありましたし、自然を征服するという考えはなかったようです』

 という部分も、元々多神教であった日本の考え方であったし、同時に西洋でもギリシャの多神教時代は同じような考え方であったようだ。つまり、どんなに対策を施しても、毎年来る台風には勝てない人間というものがある。

 むしろ「自然を征服する」という考え方は一神教の考え方であり、主に西洋キリスト教の考え方なのである。その最終段階が「自分でも太陽を持ちたい」という原子力の開発なのであった。で、それは人がコントロールできないものを作ってしまったのが、今の福島第一原子力発電所なのである。実際、半減期10万年ってどういう考え方をしているんだ。

 って、どうも話がズレてしまったようで。元の「江戸しぐさ」に戻そう。

『江戸商人の心得として、やる気、根気に続くのが「呑気」なのだそうです。矛盾しているようですが、人生も商売も、いいことばかりが続くはずはありません。だめでもともと、ものごとを長い目で見て、「陽」にとらえるのが呑気しぐさ。今で言うスローライフのような自然体の生き方で、無理は禁物でした』

『江戸の花相撲では、町衆たちは黒星力士を宴に招いて酒盛りをしたという話を聞きました。今も昔も、厳しい勝負の世界で負けたときの口惜しさは、察するに余りあります。勝者には賛辞はもとより、賞金やら賞品が山のごとく集まる一方で、敗者はブーイングや座布団が飛んできても、じっと耐えなければなりません。
 しかし、江戸しぐさでは、失敗や負け戦こそ、さらなく向上へのステップと考えました。ですから負けた力士を慰め士気を鼓舞し、やる気を出させたようです』

 などは「いい話やなあ」ということで、特に負け力士に肩入れする江戸庶民の姿勢は、まさしく江戸庶民の判官贔屓に見えて、これまた日本人のいい姿にも見えてくる。

「江戸しぐさ」なるものが本当にあったのかどうかは別にして、現代に生きる我々もたまにはこんな本を読んで、自分の生き方、処し方、日々の過ごし方を見直す機会にすればいいのではないか。

 武家の「お家大事」に勝る庶民の知恵。サラリーマンの「会社大事」に勝る、社会人の知恵である。

 勿論、こうした考え方は懐古趣味というか、ある種の保守主義であることは間違いない。しかし、一方で保守主義ほど落ち着けるものはないというのも事実である。

 つまり「変化しなくてもよい」という保守主義。常に変化を求める現代社会における、一種の逃げ込み場所でもあるんだなあ。誰にでもある保守主義的な逃げ込み場所、みたいな。

 こうした「江戸しぐさ」が身に着けば、「食品偽装」なんてものもなくなるかもしれないけどね。

暮らしうるおす 江戸しぐさ』(越川禮子著/朝日新聞出版/2007年7月30日刊)

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