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2013年11月16日 (土)

『日本人には二種類いる』なんてものじゃない。もっと無数にいるのだ

 腰巻に曰く「あなたは新型? それとも旧型?」。

 勿論、私は旧型、著者の岩村氏も旧型。で、だからなんなのさ。

Dscf0515_edited1『日本人には二種類いる 1960年の断層』(岩村暢子著/新潮新書/2013年10月20日刊)

 どうもこの「世代別マーケティング」という手法は広告代理店が良く使う方法で、エリアマーケティングが1960年のテレビの普及とともに使えなくなったために、手に入れた方法なのではないだろうか。

 で、一番最初にターゲットにされたのが「団塊の世代」というやつ。勿論、日本人口の最大のボリュームゾーンであり、子どものころはまだ日本全体が貧しかったのだが、その後高度成長を遂げ、「何でもお金で手に入る」時代を経験し、未だにその蓄えた財産はもっとも多くが団塊の世代に集中している。彼らから如何にして金を引き出すかが、今の日本経済の最大課題ではある。ということで。

 で、その団塊の世代の次なるターゲットになったのが、この本で触れられている「1960年代生まれ」ということなのではないだろうか。つまり、それまでは団塊の世代くらいしか年代別マーケティング的な呼び方はなかったものが、この1960年生まれから先は、1965~1969年生まれのバブル世代、1971~1983年生まれの就職氷河期世代(その中に、1971~1974年生まれの団塊ジュニアを含む)、1987~2004年生まれのゆとり世代などなどの、いろいろな世代別の呼び方と、その世代へ向けたマーケィングが行われている。もう一つ別の切り口から見れば1992年以降のデジタルネイティブなんて呼び方もある。

 こうした世代別に人口を分けるという考え方が、まさしくマーケティングのための手法でしかない(あるいはである)ことの証左は岩村氏が「おわりに」で書いたこの言葉でもって示される。

『『人口統計』(総務省統計局、2012年10月発表)によれば、「’60年型」は既に日本人全体の約6割(59%)を占め、「旧型」は4割(41%)と少数派になっている。これからますます「’60年型」の感覚と価値観がものごとを動かす時代になっていくことは、間違いない』

 しかし、問題は企業がこうしたマーケティング手法で商品を消費者に訴えていくことは、企業の勝手であるが、それを一般の人が受け入れる必要は全くないということを書かないことなのだ。まあ、岩村氏自身がもともとアサツーDKの人で、そこでのマーケティング手法を用いて書いた本なのだから、それはそれでしょうがないんだけれども、だからこの本を読んだ一般の人は、この本の取り扱いには注意して、真に受けないようにしましょう、ということなのである。

 たとえば35項目目「現実より仮想 いつまでも子供でいたい」は要は「オタク」の問題を取り上げているのだが、しかし本当にオタクは1960年以降の生まれにしかいないのだろうか。

 何を言うのだ、伝説のオタキング・岡田斗司夫氏は1958年生まれというのはどうしたもんか。その他、同じ1958年生まれの人を上げると、大塚英志、中村うさぎ、グレート義太夫なんて人たちもいたりして、もう別にオタクは1960年以降の特権でも何でもないのだ。

 日本のテレビ放送は1953年に始まったが、家庭にテレビが普及し始めたのは1959年の今上天皇ご成婚であるとされる。それから言えば『本当にテレビっ子と言えるのは’60年以降に生まれた子供たちである』というのは間違っていないが、『’70年代には情報伝達の視覚化も進む。<中略>’80年代には古くからの活字メディアにも、「視覚化」「映像化」へのニーズが高まっていく。<中略>生まれたときからのテレビっ子たちが20代となり、事件や社会問題も読んで理解するより見て知りたいと思うようになってきたのだろう。<中略>言葉で説明するよりも、「見て、これなんだけど」と見せて伝え、共有して楽しみ、更には写真を撮ったり撮られたり、また交換することもコミュニケーションの一つとなっていく』として、60年世代が映像世代の先端を行っているように書くのは、完璧に間違えている。

 そこで出てくるのが、デジタルネイティブである。

 1995年にWindows 95が登場して、世の中の人すべてがパーソナル・コンピュータを操るようになるのは、実はかれら60年世代が30代になってから。つまり、それまでは映像とはいえアナログ・コミュニケーションだったのが、1995年のある日から突然すべてのコミュニケーションをデジタルで行えという指令が会社上層部から飛んだわけなのである。

 その時、60年世代はどうしたのか。ある者は、実に素早くデジタル・コミュニケーションに親しみ、自らのメインのコミュニケーション手段としていくが、その一方でそんな社会のデジタル化についていけずに脱落していったのも、この60年世代なのである。

 その上の団塊の世代は幸いあまりデジタル化の影響を受けずに、社会の表舞台からフェイドアウトできた。一方、デジタル化に対応した団塊の世代は必要以上にデジタル化にのめり込み、IT企業を起こしたりした人たちを生み出す。

 しかし、団塊の世代は人によってデジタル化に乗らなくても生きていけたし、デジタル化に乗っても生きていけた。それが60年世代は、30代になってから突然デジタル化しなければ今後生きていけなくなるということに直面したのである。

 デジタルネイティブとはどういう人たちなのだろうか。

 つまり、彼らは人としてマルチタスクが可能であり、彼らの知識はクラウドにある、そんな生き方ができる人たちなのである。

 デジタルネイティブの人たちは、人と会っている時にも、ラップトップ(ただしMac Book Air)やスマホ、タブレットを離さない。というか常にそれをいじくりながら、我々と話をしたり、講演を行ったりしている。じゃあ、そんなデジタルネイティブが我々との話を無視したり、講演を途中でやめてしまったりするのかというと、そんなことはない。つまり、かれらは我々と話をしている最中、講演で自ら発言をしている最中にも、ラップトップ(ただしMac Book Air)をいじりながら、私たちが言っていることの意味を、グーグルなんかで調べながら聞いているのである。で、彼らはそんな人の話を聞きながらいじくっていたラップトップ(ただしMac Book Air)から、我々の話への回答を見つけ発言するのである。つまりそれが「人としてマルチタスク」「知識はクラウドにある」という理由なのだ。

 そんな発想が60年世代に出来るかな。

 まあ、無理でしょう。

 ということで、デジタルネイテブから見れば「60年世代は立派な旧型」なのである。

 つまり、こうした世代別マーケティングなんて、私たちにとって何の意味があるの? ということなのである。

『日本人には二種類いる 1960年の断層』(岩村暢子著/新潮新書/2013年10月20日刊)

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