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2013年10月15日 (火)

温故知新としての『評価経済社会』

 オリジナルのダイヤモンド社版は2011年の刊行。ロケットという岡田斗司夫氏が関係している会社で出した電子版では、「新版への付録」「電子版おまけ 「日本は”評価経済”の高度成長期に入った」「電子版おまけ あとがき」がついて、大分オトクです。

 勿論、オリジナル版でもキチンと将来予測にはなっているのだが、当然電子版の「まとめ」が現状をもっとキチンととらえている訳だ。

20131008_90430 『評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている』(岡田斗司夫著/ダイヤモンド社/2011年2月25日刊)

 で、その『電子版おまけ 「日本は”評価経済”の高度成長期に入った』が端的に現状を捉えていて面白い。

 曰く、

『おカネを使わないと、自分の楽しみを実現できないというのは、ネット社会ではすでにヘタクソな生き方になっている』

『社会保障とか失業に関して、政府が一手に面倒見るというのが、もう幻想。それは共産主義と同じようなもの。
 困っている人を政府が助けるというのは幻想。そうではなく、目に見える目の前の人たちを、個別の人たちが助けることに、評価経済ではなる』

『日本は世界に先んじて、貨幣経済の頂点であるバブル経済をやった後、ネットがいきなり普及して、若い人たちが働かなくなるという、評価経済に移行しつつある。その意味では、世界の先端を走っている』

『「キャラクター化」した企業、つまり「この人がいるから働く」という人がいる小さい企業ばかりになる。大企業がそういう顔の見える小さな企業に分裂していく』

『これから先、人の係わり合い、物々交換などが発生しているのに、今のマネー経済ではこれが把握できない。これが0にカウントされるから、まるで経済成長が下がっているように見える。でも、経済は活性化している。
 <中略>
 日本は世界で先進国だから見本がないからみんな、びっくりしている。他国もいずれ、低成長で高齢化になる。
 でもギリシャみたいになるのではなく、リアルマネーの動きが静まって、地域通貨と評価通貨がこれからどんどん増えるから、「総経済成長」は続く。

 僕らは評価経済の高度成長期に入った』

 というまとめである。

 大阪電通大中退で、DAICON3の主宰者としてSFグッズ専門店「ゼネラルプロダクツ」社長で、アニメ制作会社「ガイナックス」初代社長で、「オタキング」の岡田氏が、今や世界経済、日本経済を語る人になってしまったというのは、ある種、感慨深いものがある。

 私は日本のSFファンの間では有名な井上博明氏の紹介でガイナックス時代の岡田氏とは付き合いがあったが、その頃からなんか肩に力の入っていない男だなあ、というイメージがあり、まあ「オタク」を自らの売り物にするという度胸だけは、さすがに大阪人という感じがあった。

 いまや「オタク」というのは、一部の特殊な人々の呼び名ではなくなって、単なる「アニメやマンガやゲームやSFやフィギュアやコスプレやAKBとかモモクロなどのグループ・アイドルや……や……などが好きな人たち」位の位置になってしまった。つまり、オタクの一般人化が進んでいる訳であるが、じゃあ、そんな一般人化したオタクだから世界経済や日本経済を語っていいのか、というか語るのは自由であるが、その語りが世間に通じていいのか、となると、しかしその語りの内容次第では、人からは「やっぱりオタクの論はね」という評価を得てしまう。

 で、岡田氏の論はどうなのかと言えば、確かに「評価経済」というネーミング・センスはいいとしても、しかし、その語っている内容はそれほど新しいものではない。

 たとえばイケダハヤト氏がブログや著書で語っている「もし、今僕がお金が全く無くなってしまい、お米が買えなくなった時に、そのことをブログで書けばたちまちブログの読者からお米を送ってもらえるだろう」という内容は、まさしくイケダハヤトという人の「評価経済」であろう。そんな訳なので、イケダハヤト氏は『年収150万円で僕らは自由に生きていく』という本を書いたわけなのであるが、そのような「自分に対するよそからの評価を金銭の授受を伴わない経済活動につなげる」ということは、実は「評価経済」というコンセプトがない時代からもあったものなのである。

 結局、ネット社会になってそれまで小さい社会の中だけで行われていた「物々交換」などの貨幣の交換を伴わない経済が、より大きな世界でも可能になったということなのだろう。今でも田舎の農村なんかにいけば、住民同士でのこうした物々交換なんかはごく当たり前に行われているし、例えば私が田舎のお寺に毎年お盆や法事でお布施を渡している訳であるが、そのお寺から毎年新米の季節になると大量にお米が送られて来るなんてのも、広い意味での評価経済である。

 大阪で教師の息子として生まれ、そして長じては商人の子どもとして育った岡田氏にとっては、こうした「金銭を伴わない経済活動」というものは新鮮に映ったのかもしれないし、これこそ新しい時代の経済関係だと考えたのかも知れないが、実はそんなものは昔から行われていたということ。

 新しいのは「ネット社会」における基準として「他人から受ける評価」が大事、という部分を見つけたということであろうか。

 それは結局「温故知新」ということだけなのかもしれない。

『評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている』(岡田斗司夫著/ダイヤモンド社/2011年2月25日刊)Ki dle版は(ロケット/2013年7月11日刊)

こちらも参考までに、どうぞ。

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