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2013年10月11日 (金)

『大人のいない国』はもっともっと批判されるべきだ

 結局、世の中みんながみんな大人になりきれなくて、それでも回っているということは、それだけ日本の社会が成熟しているってことなんだけれども、だからってそれを放置したままでいいのかっていうことになると。ちょっと危うい。

 しかし、だからと言ってそれに対する処方箋はないのである。

20131005_90318 『大人のいない国』(鷲田清一・内田樹著/文春文庫/2013年8月6日刊)

 本の構成は、内田氏、鷲田氏の対談を挟んで内田『大人の「愛国論」』、鷲田『「弱い者」に従う自由』、内田『呪いと言論』、鷲田『人の作法』、内田『もっと矛盾と無秩序を』というのがサンドイッチのローストビーフみたいに挟まれている。で、それらはまさしくサンドイッチの中身と同じで、全部バラバラだ。

 そんなバラバラな中身でも少しは似たような論を、ということで抜き書きすると以下の通りとなる。

<対談>
『鷲田 最近、政治家が幼稚になったとか、経営者が記者会見に出てきたときの対応が幼稚だ、などと言いますが、皮肉な見方をしたら幼稚な人でも政治や経済を担うことができて、それでも社会が成り立っているなら、それは成熟した社会です。そういう意味では、幼児化というのは成熟の反対というわけではないんですね』

『内田 格差論や、ロストジェネレーション論の類を読むと、僕はちょっと悲しくなってくるんですよ。書いているのは三十代や四十代の人なんだけど、それだけ生きているということは、もう立派にこのシステムのインサイダーですよね。この世の中のシステムがうまく機能していないことについては、彼らにもすでに当事者責任があると思うんです。だから、そんなに簡単に「こんな日本に誰がした」みたいな言い方はできないと思うんですよ。でも、彼らの議論はいつも「自分は純然たる被害者である」という不可避の前提から出発している』

『内田 今の日本における「未成年者」は、現実の年齢や社会的立場とは無関係に、「労働し生産することではなく、消費を本務とする人」というふうに定義できると思うんです』

<内田の論>
『現在、呪いの言葉を吐き散らしている人々は、そのことを「言論の自由」の行使であり、「政治的に正しい」行為の実践であるとみなしている。彼らは「言論の自由」の大義によって自分は守られるべきだと考えている。この「大義に守られている」という確信が、自分がしていることが「忌まわしい行為」であるという自覚にたどりつくことを構造的に妨げている』

 基本的に鷲田氏の論は現在の「大人」の世界が、しかし「子ども」のスタンスだけけらしか語られていない。だけれども、そういった「子ども」のスタンス、つまり「大人社会」に入れない人たちの立場からだけ、現在の「大人」を語ってしまうと、ちょっとそれは「大人になり切れない大人への擁護」ということになってしまわないか。

 やはり「幼稚な人でも政治や経済を担うことができて、それでも社会が成り立っているなら、それは成熟した社会です」というやさしい言い方はすべきでないし、もっと厳しく大人にあたるべきではないのだろうか。内田氏もそんな鷲田氏に寄り添って「彼らの議論はいつも「自分は純然たる被害者である」という不可避の前提から出発している」と発言しているが、それも基本的にもっと厳しく当たるべきではないのだろうか。特に「ロスジェネ論」なんて、単にロスジェネ本人たちが言っていることに対して、自らその矛盾に気がついていない破綻した理論でしかないのだ。つまり彼らが言っているのは常に「大人が悪い」という自虐的な見方でしかない。もっと自らの立場と責任を慮った発言をすべきなのだ。

 そんなこんなで考えてみると、内田氏の結論的な言い方が腑に落ちる。

<内田の論>
『グローバリゼーションの前提に採用されているのは、すべての人間は、性差、年齢、宗教、学歴、政治信条などにかかわらず、全員が権力、財貨、名誉、地位、情報、文化資本を欲望しているという人間観である。資源の分配はすべからく自由競争によらねばならない。それはつまり、能力のあるものが取れるだけのものを取り、能力のないものは自己責任によって飢えるということである。それこそが「フェアネス」であるとグローバリストたちは断言し、二十年にわたり、国民の一部はおずおずと、一部はうれしげにこのスローガンに唱和してきた』

 まあ、それが「民主主義的資本主義」のもって来る最終結論なのであるけれども、しかし、それこそアメリカ共和党茶会派の言っている自由主義が寄って来る「レッセフェール」の思想が陥っている自己矛盾でしかない。

 自由競争によって、自らの生が危なくなってしまっても構わないというのなら、それはそれで「自己責任の発露」ということで結構。しかし、自分だけは自由競争から自由でいたい。しかし、周囲は自由競争の中でもまれろというのでは、それこそ「子どもの論」でしかない。

 そんな「子どもの論」だけが大きな顔をして歩き回っている社会が、しかし、現代日本なのだとすると、その危険性をもっと厳しく論断しなければならない。

 内田氏の発言は基本的に正しいと私は思うのだが、最後の最後で、自らの発言を行動に移そうとしないところに「学者の発言」と、橋下あたりに言われてしまう弱さがあるんだろうな。

『大人のいない国』(鷲田清一・内田樹著/文春文庫/2013年8月6日刊)Kindle版は9月20日刊

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