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2013年10月26日 (土)

国定忠治のお墓は二つあった!

 上州佐位郡国定村に生まれた長岡忠治郎は、長じて国定忠治と呼ばれるに至った。

「天保水滸伝」にも笹川繁蔵の博打場への食客として登場している。

「名月赤城山」でお馴染みの国定忠治その人である。現在もJR両毛線に駅名を残す「国定駅」というとおり、国定村には国定忠治の残したものが沢山ある。

2013_10_22_18902 国定忠治、というか国定忠治の実家である長岡家の菩提寺である天台宗養壽寺というのがまず第一。国定駅そばの現在の伊勢崎市国定町にある。

 長岡家というのはこの地の豪農であったようで、苗字を名乗ることを幕府から認められたほどの家であったようだ。その家の放蕩息子が国定忠治だったってことなのであろう。

2013_10_22_19172 「国定忠治の墓」という碑があるのだが、本当の墓はこの写真の左の方にある小さな墓である。

2013_10_22_19042 こっちが本当の国定忠治の墓。群馬県もそうだが、多分日本中のギャンブル好きな人がやってきて、勝手に墓を削って自分の御守りにしてしまうので、墓は円くなってしまい、今はこんな囲いの中にある。

 周辺はとにかく長岡家の墓ばかりがあり、まさしくこのお寺が長岡家によって支えられていたということが良くわかる。

 そのひとつの碑文によれば;

『 長岡家のつたえ
 中世からの家歴と考えられる長岡家は その長い世襲の間に幾多の衰勢があったにしても徳川中期以降 長岡権太夫 長岡与五左衛門までは 歴代名主をつとめ この地に重きをなしていたと考えられる 長岡忠次郎は 与五左衛門の嫡男として生まれた 弟友造は 分家したが兄忠次郎の継承がなかった為 本家にその嫡男権太之を継ぎ その女とよに新田郡綿打村大字溜池吉田家より入婿の石次郎之を受け その嫡男藤之助之を継ぎ その子光石が現在家系を継いでいる
 卒然として天下を風靡した長岡忠次郎は その任侠心と 生来の気概により 世を助け一途を全うした ここに先祖代々の供養碑を建てるに当たり 特筆する
当代光石の姉ふみは 幼時より仏門に帰依し恵妙と号し 今も尚 千葉県山甲町大栄寺内に於て 先祖供養の為 お題目を唱え続けている 合掌
 昭和五十九年三月吉日  施主 長岡光石
 養寿寺住職 浅若祐昭代 撰文 野口俊美』

 ところが、この国定村からほど近い、現在の伊勢崎市曲輪町にある、天台宗善應寺にも国定忠治の墓があるというのである。

2013_10_22_18762 JR(東武線も)伊勢崎駅からほど近いところにある善應寺である。

2013_10_22_18842 寺の縁起には史跡として「国定忠治の墓」というのはあるのだが、実は国定忠治の墓がどこにあるのかはよくわからなかった。

 墓地の整理をしている人がいたので聞いてみたのだが、「あっちの方だよ」と言われてみても、どこにあるのかは分からなかった。

 国定村の養壽寺は国定忠治の実家が作った墓なので、キチンと保存されているのだろうが、こちらは「妾のおとくが勝手に作った墓」というスタンスなので、あまりちゃんとは保存されてはいないのだろうな。

 多分、国定忠治は晩年はおとく方にばっかり行っていたんだろう。なので、本当は私の方が本妻なのよという気分でおとくは墓を作ったんだのであろう。

 で、こっちのお寺には国定忠治の骨はあるんだろうか、ということが気になる。

 じゃなければ、単なる「碑」だもんな。どうなんだ?

Nikon D7000 AF-S Nikkor 18-105mm @Isesaki (c)tsnunoken

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コメント

国定忠治が権堂の山形屋に乗り込んで越後の父娘を救う話は、明治時代から講談や浪曲で語られていました。

 権堂と国定忠治を決定的に結びつけたのは、劇団新国劇が大正8年に初演した劇『国定忠治』でした。この劇は「赤城の山も今宵を限り~」という名台詞がある「赤城天神山不動の森」の場が有名ですが、これに続くのが信州権堂の場面です。山形屋に乗り込んで父娘を救った忠治は、道で待ち伏せていた山形屋藤蔵たちを無言のまま斬り倒して去って行きます。

 この劇は戦後も上演されましたが、新国劇の解散により忘れ去られてしまいました。

 権堂には忠治ゆかりの柳の木がありましたが、昭和40年に切られてしまいました。代わって昭和42年には、権堂秋葉神社の境内に忠治の墓が作られました。

 近年は忠治と権堂の関係が再び注目され、一昨年からは権堂で忠治まつりが行われるようになりました。忠治の柳も、秋葉神社に植樹されました。

長野市権堂駅近くにもあるよ。

私は国定村の隣ですが、昨日は東吾妻郡の大戸の関所跡を偶然五見学。そこから数キロの所に国定忠治の墓が在るとゆうので行ってみましたが、お墓らしくなっていましたがちょとお墓ではない様です。
でも大戸の関所跡(忠治が関所破りをして今で言えば
逮捕された関所。)ではこの先に有るのが忠治の墓だ。と言っていましたが、伊勢崎が本当の忠治の墓だと思います。

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