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2013年10月

2013年10月31日 (木)

二つの「こども取り違え映画」比較論。注意! 全部ネタバレ

『そして父になる』と『もうひとりの息子(Le fils de l'Autre)』という、二つの「こども取り違え映画」が現在東京で公開中なので、それを一気見してきたというわけだ。

2(c)2013「そして父になる」製作委員会(フジテレビジョン、アミューズ、ギャガ)
2_2(c)Rapsodie Production/Cite Films/France 3 Cinema/Madeleine Films/Solo Films

『そして父になる』というのは『ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年』(奥野修司著/文春文庫/2002年10月10日刊/これについてはいずれ書きます)を参考図書として監督兼脚本の是枝裕和が作ったオリジナル作品。カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞。

 一流建設会社のエリートサラリーマン野々宮良多(福山雅治)、車はレクサス、と野々宮みどり(尾野真千子)の夫婦の一粒種、慶多(二宮慶多)6歳。そして前橋のつぶれそうな電器店主、(多分)元ヤンキーの斎木雅夫(リリー・フランキー)、車は軽自動車、と斎木ゆかり(真木よう子)の長男、琉晴(竜升炫)、弟と妹がいる。多分、この電器店も親父からの受け継ぎだろう。

 この二人が、みどりが慶多を産んだ、実家にちかい前橋の病院で、夫の連れ子との関係に悩む看護師のうっぷん晴らしのために、子どもを取り換えてしまったというのが事件の発端だったようだ。

『もうひとりの息子』は、ノアム・フィフトシという人が持ってきたスクリプトを、脚本家のナタリー・ソージョンと監督のロレーヌ・レヴィが書き直して出来上がった完全なオリジナル作品。東京国際映画祭グランプリと最優秀監督賞を受賞。

 テルアビブに住む、イスラエル軍大佐のアロン(パスカル・エリベ)と、妻オリット(エマニュエル・ドゥヴォス)の子ヨセフ(ジュール・シトリュック)18歳には妹がいる。ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区に暮らすエンジニアであったが現在は自動車修理工のサイード(ハリファ・ナトゥール)と、妻ライラ(アリーン・ウマリ)の子ヤシン(マハディ・ザハビ)には兄ビラル(マフムード・シャラビ)と妹、そして亡くなってしまった弟フィラズがいる。フィラズの死因は映画では語られてはいないが、多分、イスラエル軍の空爆なかんかで死んだんだろう。しかし、兄ビラルはパレスチナゲリラに参加している訳でもなく、特に仕事もなく過ごしているようだ。というか、ヨルダン川西岸にはそんなに仕事もないんだろう。

 ライラがハイファに住む叔母を訪ねていった際に、突然産気づいて駆け込んだ病院は、湾岸戦争でイラクによってスカッドミサイルの攻撃対象にされており、危険を感じた病院が赤ちゃんを保育器に入れて避難した際に、取り違えてしまった、というのが事件の発端。

 なんか、この二つの映画って、構造、というか対立軸がよく似ているのである。

 かたやエリートサラリーマンと(多分)元ヤンキーのしがない電器店の親父という関係があり、もう一方は、イスラエルの軍幹部とパレスチナ自治区で仕事も奪われてしまったしがない親父、という対立軸。で、どっちの関係がよりシビアであるかと言えば、やはりイスラエルvs.パレスチナだろうな。一流企業のエリートサラリーマンだって、別に地方のしがない電器店主の命までは狙わない。しかし、イスラエルvs.パレスチナは現在(そして多分今後もずっと)「戦争」を戦っている最中なのである。もっとも、一方は軍大佐である。そんな立場の人間は人に命令する立場なので、自分ではパレスチナ人を殺すことなんかはないかもしれない。更にもう一方は、もはや足も悪いしゲリラ闘争や自爆テロなんてのも出来ないだろう。いまや自爆テロは、女の子の時代なのである。

 ということは、あんなに仲良くしていた、ヨセフの妹に対し、ヤシンの妹が自爆テロを仕掛けるなんてことがあるのかも知れない。

 野々宮みどりは専業主婦、一方、斎木ゆかりは、個人営業の店なので結構夫の仕事は手伝っているだろう。オリットは医者であり、ライラは専業主婦。この対立軸はあまり変化はない。ということは、両作品でも共通しているテーマは「女同士の紐帯は強い」ということなのか。実はそこにこの二つの映画の共通点がありそうである。

 問題は、『そして父になる』はまだ6歳の子供であり、一方『もうひとりの息子』は18歳の、つまり兵役につくくらいの大人だっていうこと。『そして~』の子どもたちは、これから成長するにつれてアイデンティティ・クライシスが起きないかなという恐れがある。一方『もうひとり~』の方は既にアイデンティティはほぼ確立しているだろうから、クライシスの問題はない。多分、ビラルもイスラエルに攻撃するようなゲリラにはならないだろう。というか弟のフィラズがイスラエル軍に殺されても、復讐しなかったような奴だからね。

 で結局、『そして~』の子供たちは(取り敢えずは)父親以上に大人になってしまったようで、東京の家と前橋の家の往復を楽しむようになってしまったようだ。別に父親を「パパ」と呼ばなくてもいい、「おじさん」でいいんだ、という認識の下で次第に双方の家に親しんで行けばいいのだというオプティミズムがそこにはある。

『もうひとり~』の方も、結局はオプティミズムである。「イスラエルvs.パレスチナ」「ユダヤvs.アラブ」ということに拘ってきた双方の親たちも(表面的には)和やかに語り合うようになってきたし、ヨセフとヤシンは父親は違うが兄弟のように仲良くなってくるし、兄の反イスラエル派ビラルも、イスラエルの繁栄(それはパレスチナを虐待していることの代償なんだけれども)を見て、イスラエルと仲良くした方がいいのかも、なんてことを考えてきているようだ。

 では、それですべての問題は解決するのか、と言えばそうはいかないだろう。

 慶多と琉晴に関して言えば、当然それぞれの家の経済事情というものが関わってくるだろう。まだお互い6歳なので、むしろこれからの双方の親の子育ての考え方が、子どもの成長には関係してくる。その時に、エリートサラリーマンの息子だった慶多が、しがない電器店の親父の息子になってしまったために、自分が望む教育環境を与えられなかったとしたら、そこで、昔の父親が懐かしくなってしまうのではないかという思い。それとも、そんな環境がいいと感じてしまうのだろうか。琉晴も、野々宮家の教育方針にどこまでついていけるんだろうか。

 ヨセフとヤシンだって、「アブラハムの息子たち」というオチで、つまりユダヤ教もイスラム教も旧約聖書から始まった宗教なんだから、いずれは一緒になれるでしょうという、これまた超楽観主義で終わるんだけれども、個人的にそんな気持ちになったとしても、社会がそれを許さないだろう。社会的存在としての人間個人は、社会規範から切り離されて生きていくことはできない。

 つまり、双方の映画の結果としてのオプティミズムは、観客を幸せな気分で送りたいという映画製作者の思いは分かるんだけれども、世の中はそんなに楽観主義だけでは生きては行けないという事実が示しているように、「なかなかそうはいかないんだよ」というのが現実である。

 むしろ、悲劇的な結論もあるということを考えながらこの二つの映画を見る、ってことが大事なんだろうな。

『そして父になる』の公式サイトはコチラ

『もうひとりの息子』の公式サイトはコチラ

 

 

2013年10月30日 (水)

『グーグル、アップルに負けない著作権法』というよりは、「法」でないやり方で著作権を守るのである

『著作権をいくら強くしても、著作権者は儲からない。間違ったところに集中しちゃっているんだ。今の世の中というのは、いかにプラットフォームを作るか、ディストリビューションを持つか、そういうところに力が移っちゃっている』

 というところが結論的で、刺激的だ。

20131025_214859 『グーグル、アップルに負けない著作権法』(角川歴彦著/アスキーメディアワークス・角川EPUB新書/2013年10月10日刊)

 もともと「著作権=copyright」という発想そのものがグーテンベルクが活版印刷を発明し、同じ内容の書籍が大量に作られるという、(当時の)テクノロジーとともに出来上がった考え方である。ならば、その後のテクノロジーの進展に合わせて著作権の概念も変わってきて当然である。それがあたかも天与の権利だと考えている人たちによって、今のデジタル時代の著作権が、逆に侵されていると考えたらどうだろう。

 つまり、本来は「財産権=報酬請求権」であり、当然それは他人に譲渡できるものであり、売買の対象となるはずのものである。ところが、それに「著作者人格権」なんてものが乗っかってきてしまっているために、かえって自縄自縛状態になってしまった著作権というものがある。

『著作権法は『マルチメディアと著作権』(中山信弘著/岩波新書/1996年刊)を待つまでもなく、(1)時代の背景にある理念、(2)社会実態、(3)技術水準を前提として成立している』

『アナログ時代にあっても、グーテンベルクの印刷技術の発明以来、レコードや映画、ラジオ、テレビと、新たな技術的成果によってコンテンツは増加し著作権は拡大してきた。しかしその増え方は所詮足し算であった。ところがデジタル化とインターネットによって、デジタルコンテンツは掛け算で凄まじい増え方をする。粗製乱造といわれようが競争力のある活発で新たな市場を生み出す。しかも平成生まれのデジタルネイティブから才能のあるクリエイターが出現する』

『著作権に著作者人格権という言葉が入ったことによって、著作権法が財産権から、何か違う法律になってしまったという感じがあるんですよね。著作権法というのは本来は財産権で、著者が報酬によって生活ができるようになるということが基本だと思います。人格権ができたために、過度に「嫌なものは嫌だ」と言える権利だと著作者が勘違いしてしまったと言ったらいいでしょうか、そういうところが僕は残念なんですね。もう一度、著作権は財産権で、報酬請求権であるという基本に戻った方がいいんじゃないかと思うんです』

 こう書く角川氏の言葉がすんなり読み込めるのは、私がそんな考え方をしているからなのかも知れない。

 一方、アップル、アマゾン、グーグル、フェイスブック(あるいはマイクロソフト)などのいわゆる「ギャング4」という独占企業体は、クラウドコンピューティングに於ける覇権争いを繰り広げながら、

『・デバイスでユーザーを囲い込み顧客IDを独占すること
・コンテンツ全てを収集し、アプリ開発者を独占すること
・OSを独自に開発し、他社にはライセンスしないこと
・世界中のユーザーが買い物にくる世界最大の電子ストアを作ること』

 を、各々目指している。

 当然その前提条件として、

『ユーザーに最高のエクスペリメンスを感じさせ、彼らが満足するデバイスを作ること』

 というのがある訳だ。

 で結局、彼らにプラットフォームを独占され、デストリビューションを独占され、ユーザーを独占されてしまっており、著作者が著作権をいくら強くしても、彼らの前にひれ伏すしか残された道はない。

 だとしたらいっそのこと著作権なんてものは放棄してしまったらどうだろうか。

 これは暴論なのだろうか?

 いやいやその実践例があるのだ。つまり『評価経済社会』の岡田斗司夫氏の例があるじゃないか。つまり著作者は「権利金」として著作権の対価を受け取るのではなく、ユーザー(読者、観客、視聴者、聴取者など)から評価の対価として、何らかのものを受け取るのである。その「何らかのもの」がお金であってもいいのである。それらの「対価」はギャング4などのモノポリー者を通さなくても受け取れるものだ。勿論、通してもいいが、通さなくてもいいというユルいやり方でもって社会の経済が動いていく。決してGDPやらGNPなどの経済指標には表れない方法で経済を動かしていく。

 そうすればアップルやアマゾン、グーグル、フェイスブック(あるいはマイクロソフト)などには縛られない、本来の著作権者の表れとしてユーザーから直接の評価をもらって生活ができるのである。

 結局、通貨というものを使って経済生活を送ろうとするから、著作権の対価を通貨でもって受け取ろうとするから、独占企業体に縛られた生活を送らなければならない。メディアとしては独占企業体のメディアを使いながらも、生活としてはそこに頼らないで生きていく。

 そうした方法でやって行けるならば、独占企業体とは関係ないところで生きていけるのである。自らの著作権だって守れるのである。

 本当に自らの著作権を守りたいのであれば、自ら著作権を放棄すればよいというパラドックス。それこそが著作者が生きていける方法なのである。

『グーグル、アップルに負けない著作権法』(角川歴彦著/アスキーメディアワークス・角川EPUB新書/2013年10月10日刊)EPUB選書っていうから、Kindle版の方が本来のものなんだろうけれどもね。

2013年10月29日 (火)

Fitbit weekly stats from Oct.21 to Oct.27

Fitbitから先週のスタッツが来た。

合計では66,050歩、46.24km歩いた。最も活動的だった日は21日(月)、12,641歩、8.85km。この日は駒込のマンション建替え現場に撮影しに行った日だ。その後もいろいろ歩いた。

最も非活動的な日は27日(日)、4,521歩、3.2km。クルマで神宮球場まで行って六大学野球を見ただけなので、あまり歩いていない。

20131029_125614

東京六大学野球秋季リーグ戦閉幕

 10月7日の関東学生ラクロスリーグ終了 に引き続き、昨日は東京六大学野球リーグの試合が最後を迎えた。

 昨日の試合前までは、明治大、法政大、慶應義塾大、立教大の4校にそれぞれ勝ち負けの関係がいろいろありながらも優勝の可能性がある、という超混戦状態だった今年の東京六大学秋季リーグ戦だったのであるが。

2013_10_28_40872 明治大学、高山の決勝打で明治勝ち越しとなり、その後糸原のタイムリーを追加して5対3で明治が勝利。

 その結果、明治大学が春秋連覇を達成。

2013_10_28_40932 喜ぶ明治大学ナイン。

 ということは、その瞬間、他の慶應義塾大、立教大も優勝の可能性がなくなり、もはや試合は消化試合となってしまったわけだ。あとはリーグ内の順位争いだけである。

2013_10_28_43202 そんな消化試合であっても選手は勝つために必死である。立教大は澤田が好投し、打線好調な東京大打線に対し、苦労しながらも零点に抑える。

2013_10_28_43672 3回裏、寺田のタイムリーで1点を先取した立教大学は、その後は打ちながらも得点はならず、8回裏、佐藤拓の2点タイムリーで3点目を獲得。ところが打った佐藤拓は三塁ベースを踏み忘れという初歩的なミスでアウトになってしまう。

 が、それでも3対1で立教大の勝ちは勝ち。

2013_10_28_43822 応援団に挨拶する、主将、平原である。

 ということで、関東六大学野球秋リーグ戦は終了。えっ? 何々、今週末の早慶戦があるじゃないかって? そんな消化試合誰が見に行きますかいな。行くのは早稲田大学ナショナリストと慶應義塾大学ナショナリストだけでしょ。

 そんなことより、最早、自らの戦いは終わってしまい、青山学院大学対駒澤大学戦の結果によっては入れ替え戦に行かなければならなくなってしまった中央大学の方が気になるというものだ。こうなるんだったら、昔六大学側からお呼びがかかった時に、英国法をベースにしている中央大はドイツ法をベースにしている東大や早稲田大なんかと一緒にしないでくれ、なんてことを言って断ったことが悔やまれる。なにしろ2部リーグがない六大学だからな。だから、東大だっていまだに六大学リーグなんだものね。

 あとはtsunokenが気にしているスポーツで今年まだ終わっていないのは、牛の角突きと関東学生アメリカンフットボールだけである。

 学生アメフトは東京大が入れ替え戦回避をかけて一橋大と戦い、立教大がブロック2位を目指す日体大戦が11月9日にアミノバイタルフィールドで行われ、11日には中央大対慶應義塾大戦が横浜スタジアムで行われ、そこでレギュラーシーズンは終了である。

 そうなると1月の箱根駅伝まではしばしのお休みとなり、スポーツネタはなくなります。ので、ここのところ少しサボリ気味だった「本」ネタがまた増えてくるかな。

Nikon D7000 Sigma 150-500mm @Jingu Stadium (c)tsunoken

 

2013年10月28日 (月)

『失踪日記2 アル中病棟』の面白くも壮絶さである

 吾妻ひでおという漫画家は元々自虐的な漫画家だった。

 もっぱら自分が主役になって、美しい女性キャラにバカにされるというのをマンガのネタにしてきた人だ。それが、まさしく「自虐⇒自ギャグ」になっていたのが前著『失踪日記』であった。

 それが今度はもっと「自虐⇒自ギャグ」の度を深めて『アル中病棟』なのである。まあ、別に吾妻氏は法を犯した訳ではないので刑務所とは違って、嫌なら出ていけばいいというユルさはあるんだけれども、でも、アル中とおさらばしたいという気持ちが本人にあれば、そこの仕組みに従わなければならないわけで、それはそれで厳しい規則の中での生活なのである。

2013_10_24_1969_edited1失踪日記2 アル中病棟』(吾妻ひでお著/イースト・プレス/2013年10月10日刊)

 私も毎晩酒を飲む、というか昼間でも気分によっては酒を飲む。そんなわけで私も「アルコール依存症⇒アル中」の道を歩んでいるんだろうけれども、まあ、別に「死」を怖がっている訳ではない。それは単なる物理的な「生物としての生の終了=死」であるに過ぎないんであって、「魂」や「精神」の存続なんてことは一切信じていない仏教徒であるので、別にアルコールで死んでもいいのだが、遺族はなんてことを考えるのかなということは少しは考える。が、まあ、「少しは」だけであまり考えていない。

 まあ、「魂」や「精神」が存続しちゃったら困るけれどもね。

 で、アルコール依存症ってどういうものか、本書自ら登場する吾妻ひでお氏に従えば;

『アルコール依存症者は酩酊することで自己を拡大し「万能感」「合体感(他人と自己の区別がなくなる)」などの誇大傾向、いわゆるパワー幻想にとらえられ、その陶酔感(=薬因性オーガズム)から逃れられなくなってしまいます。
 退行状態(子供返り)になった時の多幸感が忘れられず、同じことを繰り返すようになるんですね。
 それが精神的依存になり、やがて身体的依存にまで進行します。
 こうなると、もはや引き返せなくなるわけです。
 アルコールの身体的依存の怖さは以前にもお話しした通り、死に至る病です。
 ではなぜ依存症者は陶酔感を求めるのか。
 素面(現実)への不安感・空虚感を否認するためです。
 現実生活での不安・淋しさ・怒り・抑うつ等に直面して、自分が壊れてしまうのを防ごうと自己防衛しているわけです。
 不安や空虚感にとらわれる要因は、人それぞれ多種多様です。
 一因に幼児期の精神的外傷(出ましたトラウマ)があると言われています。
 幼児期の拒絶体験(放置・見捨てられ・愛情の拒絶)、過保護(芝生的母子関係)、早すぎる責任分担(長男・長女)、これらの体験から過剰な依存欲求を持つ性格が生まれてくるわけです。
 100%以上の愛情を他人に求めてしまう。
 なにかと「退屈だ退屈だ」と言っている人は、一人を楽しむことができない、自己愛(自立)が育っていない人です。
 過剰な依存欲求を他人に向けると、当然拒絶されます。
 ここから「拒絶→不安→否認→失敗→自責感→飲酒→否認」となって描いている私もわけがわからない。
 他人の過剰な依存欲求をむしろ喜んで受け入れる人は、共依存的性格ですので、この場合2人して破滅します。
 依存症には過剰適応性格の人が多いとされています。
 がんばりすぎる、頑固すぎる、高望みしすぎる、割り切りすぎる、惚れ込みすぎる、中庸がない、独自性にこだわりすぎないのが大事。
 そして健康な依存関係を作っていくこと。自助グループ(断酒会・AA)で、家族ではなく仲間を作る。その中で自己愛(自立)を確立する。
 恨みを開放するのだ。
 私は孤独ではない! 私には仲間がいる。
 私は自己の欲求・行動・感情に対して無力である。
 足(行動)・耳(素直に聞く)・口(感情の分化)を使い、仲間を信じて、私は回復してゆくでしょう。
 感謝します。
 私は皆さんに感謝しています』

 って、何が何だか訳が分からなくなってきたぞ。

『というような、感情の効用も1~2ヵ月で消え、またもとの依存的感情生活に戻ってしまうのが普通です。断酒への道は遠い。がんばってください』

 というオチなのであった。

 この業界(何の業界だ)に伝わる格言『一度呑もうと決めたアル中は、何人とも止められない』そうなので、ということは一度アル中になってしまったら、もう死ぬまで治らないというのだろうか。

 取り敢えずアル中病棟を無事退院した吾妻氏は、断酒してから1年後くらいに強烈な飲酒欲求に囚われる。清酒やビールの自販機をみてそこにお金を入れてしまう。

 しかし『にらみ酒すること半日……。よい子のアル中さんは真似しないでくださいね。だいたい酒のほうが勝ちますから。この時の私はほっぺたの内側の肉噛んで、血流して耐えたけど』

 というのなら飲んじまえばいいじゃないか。

 どうせ人間一度は死ぬんだから。

 なんて悪魔の囁きでした。

失踪日記2 アル中病棟』(吾妻ひでお著/イースト・プレス/2013年10月10日刊)

2013年10月27日 (日)

東海道品川宿を往く

 今日は本当は吾妻ひでお氏の新作漫画について書くつもりだったが、ちょっと疲れてしまったので、この間の品川宿ネタでちょっとゴマカシ。

 まあ、旧街道宿場マニアにはお楽しみだったりして……て、そうかそんなことはマニアならもうご存知なんだよなあ。しかも、一番メジャーな東海道の一番大きな宿場町だもんな。

2013_10_17_15112

 ま、それはいいとして、旧東海道は品川宿を歩く。

2013_10_17_15242

 宿場といっても昔みたいに大きな旅籠や本陣なんてものは残っていない。こんなお店だって、出来たのは昭和の時代だろうし。

2013_10_17_16192

 こんな小さな宿も、別に江戸時代からあったわけではない(当たり前?)。

2013_10_17_15192

 むしろ時代を感じさせるのは、こうした石垣の遺構である。つまり、昔の東海道は本当に海との境界線を走っていたわけで、東海道から海側に行くともう既にそこは海に向かって急坂になって落ち込んでいくわけである。で、そこに海の石垣なんてものがあって土地を守っているわけなんだけれども、現在の石垣とは違ってちょっと安普請? というわけで、昔は結構この石垣も壊れたそうな。

2013_10_17_15262

2013_10_17_16162

 で、見つけたのがここ延命院品川一心寺というお寺。延命院という名前がいいですね。といっても境内は実に小さなお寺なんだけれども、なんでも江戸三十三観音札所の三十番に選ばれているそうで、その方のマニアにはそこそこ名前が売れているお寺のようである。

 しかし、こんなお寺に住職なんているんだろうか? なんてことを気にかけている貴方にはちゃんとお答えします。いるんです。実に小さなお寺で墓もないし、ということは埋葬者の法事なんかもないわけで、どうやって食っているのかはわかりませんが、確かに住職はいます。

 気になる人は、直接品川一心寺に行って確かめてください。

 京浜急行新馬場駅のすぐそばです。

Nikon D7000 AF-S Nikkor 18-105mm @Kita Shinagawa, Shinagawa (c)tsunoken

2013年10月26日 (土)

国定忠治のお墓は二つあった!

 上州佐位郡国定村に生まれた長岡忠治郎は、長じて国定忠治と呼ばれるに至った。

「天保水滸伝」にも笹川繁蔵の博打場への食客として登場している。

「名月赤城山」でお馴染みの国定忠治その人である。現在もJR両毛線に駅名を残す「国定駅」というとおり、国定村には国定忠治の残したものが沢山ある。

2013_10_22_18902 国定忠治、というか国定忠治の実家である長岡家の菩提寺である天台宗養壽寺というのがまず第一。国定駅そばの現在の伊勢崎市国定町にある。

 長岡家というのはこの地の豪農であったようで、苗字を名乗ることを幕府から認められたほどの家であったようだ。その家の放蕩息子が国定忠治だったってことなのであろう。

2013_10_22_19172 「国定忠治の墓」という碑があるのだが、本当の墓はこの写真の左の方にある小さな墓である。

2013_10_22_19042 こっちが本当の国定忠治の墓。群馬県もそうだが、多分日本中のギャンブル好きな人がやってきて、勝手に墓を削って自分の御守りにしてしまうので、墓は円くなってしまい、今はこんな囲いの中にある。

 周辺はとにかく長岡家の墓ばかりがあり、まさしくこのお寺が長岡家によって支えられていたということが良くわかる。

 そのひとつの碑文によれば;

『 長岡家のつたえ
 中世からの家歴と考えられる長岡家は その長い世襲の間に幾多の衰勢があったにしても徳川中期以降 長岡権太夫 長岡与五左衛門までは 歴代名主をつとめ この地に重きをなしていたと考えられる 長岡忠次郎は 与五左衛門の嫡男として生まれた 弟友造は 分家したが兄忠次郎の継承がなかった為 本家にその嫡男権太之を継ぎ その女とよに新田郡綿打村大字溜池吉田家より入婿の石次郎之を受け その嫡男藤之助之を継ぎ その子光石が現在家系を継いでいる
 卒然として天下を風靡した長岡忠次郎は その任侠心と 生来の気概により 世を助け一途を全うした ここに先祖代々の供養碑を建てるに当たり 特筆する
当代光石の姉ふみは 幼時より仏門に帰依し恵妙と号し 今も尚 千葉県山甲町大栄寺内に於て 先祖供養の為 お題目を唱え続けている 合掌
 昭和五十九年三月吉日  施主 長岡光石
 養寿寺住職 浅若祐昭代 撰文 野口俊美』

 ところが、この国定村からほど近い、現在の伊勢崎市曲輪町にある、天台宗善應寺にも国定忠治の墓があるというのである。

2013_10_22_18762 JR(東武線も)伊勢崎駅からほど近いところにある善應寺である。

2013_10_22_18842 寺の縁起には史跡として「国定忠治の墓」というのはあるのだが、実は国定忠治の墓がどこにあるのかはよくわからなかった。

 墓地の整理をしている人がいたので聞いてみたのだが、「あっちの方だよ」と言われてみても、どこにあるのかは分からなかった。

 国定村の養壽寺は国定忠治の実家が作った墓なので、キチンと保存されているのだろうが、こちらは「妾のおとくが勝手に作った墓」というスタンスなので、あまりちゃんとは保存されてはいないのだろうな。

 多分、国定忠治は晩年はおとく方にばっかり行っていたんだろう。なので、本当は私の方が本妻なのよという気分でおとくは墓を作ったんだのであろう。

 で、こっちのお寺には国定忠治の骨はあるんだろうか、ということが気になる。

 じゃなければ、単なる「碑」だもんな。どうなんだ?

Nikon D7000 AF-S Nikkor 18-105mm @Isesaki (c)tsnunoken

2013年10月25日 (金)

品川富士を征服!

 品川宿にいったついでに品川富士を登ってきた。以前、『お江戸超低山さんぽ』について書いた時に、品川富士も開山に合わせて行こうかなんて書いたままで行っていなかったので、今回はもののついでってやつですね。

2013_10_17_15662 ここが登山口。ちゃんと本当の富士山の登山口みたいに、登山口自体がすでに山の中腹位になっている。つまり、この登山口に至るまでに、品川神社の階段を数十段上がらなければならないのだ。

2013_10_17_15812 五合目まで上がるとちょっとなだらかな道がある。で、それまではちゃんと整備された階段なのだが、ここから上は普通の自然石を組み合わせただけの、ちょっと峻厳な坂道になる。

 と言っても、上がるのは2~3メートルだけなんだけれどもね。

2013_10_17_15742 で、これが頂上からの眺め。昔はここから海が見えたんだろうな。今は、海は更に沖の方へ行ってしまって、最早見えない。見えるのは湾岸地域のビル群だけである。

 正面に見える茶色と白のビルあたりが旧東海道の先なので、その更に先あたりが既に海面だったはずである。

2013_10_17_15872 で、これが浅間神社。境内には「交通安全旅行守護 ぶじかえる」というカエルの置物なんかがあって、東海道を旅する人たちの安全を守っているのである。

2013_10_17_15882

 ということで、品川神社の旅はおしまい。

 旅という程じゃないですけれどもね。

 しかし、これでやっと『お江戸超低山さんぽ』全峰を踏破したことになる……て、威張れるようなもんじゃないけどね。

Nikon D7000 AF-S Nikkor 18-105mm @Kita Shinagawa, Shinagawa (c)tsunoken

2013年10月24日 (木)

Smart City Week 2013が求めるテーマとは何か

 10月の第4週はSmart City Week 2013である。ここ毎年見に行っている。

2013_10_23_0699_edited1

 で、「スマートシティ」とは何か? と言われれば、基本的に「町全体の電力の有効利用を図ったり、再生可能エネルギーを効率的に使ったり」などのためにITを利用して、如何に効率よく町のエネルギーを回していけるのかな、とか高齢者に優しい街づくりとは何か、食の安全をいかにして推進するか、等々の取組のことなんだけれども、だったらそれはメーカーの提案だけじゃなくて、自治体の取り組みの方がもっと大事なんじゃないか、とも思えるんだが。

2013_10_23_0704_edited1メカ好きオヤジとしては、こんなニッサンのエレクトリック・カーとか

2013_10_23_0721_edited1サイバーダイン社のロボットスーツHALなんてものに、つい気を魅かれてしまう。

 いかんいかん、そうじゃないのだ。勿論、企業が作り出す新しいメカニズムというものは必要になってくるんだが、むしろ、それを活用して自治体がどういう考え方で街づくり、村づくりをしていくのかということが大事なのである。

 勿論、今や「走るコンピュータ」と化している自動車は、今後当然エレクトリックカーからエレクトロニクスカーとなって、スマートハウスの中心的な存在となってくる。となると、もしかしたらスマートシティの中心的存在にまで発展する可能性もある。そうなれば「若者のクルマ離れ」なんてものも解消するんだろうけれどもね。

2013_10_23_0715_edited1豊田市の「ミライのフツーを目指そう」とかね。あれ、でも豊田市ってことは当然トヨタが大きくからんでくる訳なのだから、やはり企業のあり方というのは重要な要素にはなるんだろうな。

2013_10_23_0729_edited1自治体ゾーンなんてのもあって、いろいろな自治体がどんな取り組みをしているのかが展示されたりしている。

 やはり2011年の東北大震災の影響もあって、各自治体ともいかにして災害に強い、エネルギー消費の少ない街づくりをしていくべきか、というのが大きなテーマになっているようだ。

 なんか、オリンピックに向けて、どんどんじゃぶじゃぶお金を使っていきましょう、なんて息巻いている東京都がなんか時代遅れのトレンドに見えてしまうのであります。で、東京都の自治体の(つまり区政の)参加はないわけで、なんかなあ。

 そいえば、昨年にも増してこうした自治体の出展が多くみられるのが、今年のSmart City Weekの特徴であった。

2013_10_23_0722_edited1野村不動産はプラウド・ブランドのマンション群をひとつにまとめ上げて、いろいろな省エネルギー策を考えている。マンション内外のコミュニティの問題なども含めて、不動産会社も「土地と建物=ハコ」だけを売る時代が終わったということなのだろう。

 問題はソフトなんですよ、ソフト、という訳で。


Smart City Week 2013はパシフィコ横浜で10月25日まで開催中。公式サイトはコチラ

RICHO GRDⅢ @Yokohama (c)tsunoken

2013年10月23日 (水)

『利田神社と鯨塚』に隠された秘密……うーん、別にそんなものはありません

 JR品川駅を出て、第二京浜国道八ツ矢橋を左に折れて京浜急行の踏切を渡ると旧東海道品川宿である。北品川駅の裏あたりから鈴ヶ森まで取り敢えずは繋がっている宿場町が、今でも商店街になって繋がっている。

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 と書くと、「おお、水戸街道の次は東海道か」なんて早とちりをする人がいるかもしれない。

 チッチッチ、違うんだなあ。

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 問題は、この品川宿の碑がある品海公園から東へ、ということは海の方へ行った先にある利田(かがた)新地にある洲崎弁天、現在の利田神社なのである。

 もともと、歌川広重が名所江戸百景に描いた洲崎弁天は、明治になり利田神社となり、祭神も弁天様から市杵島姫命に代わっている、とは言っても本地垂迹 (ほんちすいじゃく=清仏習合の考え方から仏と神を同一視する考え方)によっては弁天と市杵島姫は同じだそうだし、まあどちらも女の神様だしな。

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 で、ここがその利田神社なのだが、その境内にある「鯨塚」が今日の目的。

2013_10_17_15352 これがその「鯨塚」

 寛政10年(1798年)、暴風雨に惑わされたのか一頭のクジラが品川沖に現れた。漁師たちは初めて見るクジラに驚いたものの、「このでかい魚を逃しては品川漁師の名折れだ」とばかりに、総出で小舟を操り、やっとの思いでクジラを天王洲の岸へと追い込み、砂浜に乗り上げたのを捕まえたそうな。

 この出来事は即座に品川宿の人々に伝わり、江戸市中の人々にも瓦版でもって伝わり、クジラ見物の人たちが大いに駆けつけ、品川宿は大盛り上がりになったそうだ。当然、その話は当時の徳川第11代将軍家斉の耳にも入り、品川漁師は浜離宮の御殿までクジラの死体を小舟でくくりつけて将軍に見せたそうだ。

 しかし、この徳川家斉って将軍はどうしようもない奴だったようで、とにかく奢侈な生活が大好きだったり、贈収賄を奨励したり、という経済政策ではまったく見るべきものもないダメ将軍であったようだ。

 で、このバカ殿がクジラをみて読んだ歌が『うちよする 浪は御浜の おにはぞと くじらは潮と ふくはうち舟』という、なんとも言いようのないバカ歌である。

 その後、約18mという大きなクジラの死体は腐り始め、やむなく漁師総出で解体し、油を搾り、骨をこの洲崎弁天(利田神社)境内に埋めたそうである。

 その記念が、この鯨塚という訳である。東京で鯨塚があるのはここだけだそうだ。そりゃそうだよな、江戸や東京でクジラが取れたという話は聞かないからね。

 要は、日本人というのは昔からこうして生き物を使ったり、喰らった後はちゃんと塚を作ったりして、感謝と供養をささげてきたってことを言いたいだけ。哺乳動物を屠るというのは人間が食物連鎖の頂点にいる以上はやむを得ないことなんだけれども、それでも日本人はちゃんとそんな動物たちを、キチンと敬っているということなのだ。

 その辺が、牛や豚や兎や馴鹿などを喰らって当たり前の顔をしている欧米人とは違って、文化的に高いところにいるという現実なのである。

2013_10_17_15502 神社横になる児童公園には、クジラのオブジェがあって和やかである。

2013_10_17_15542 北品川橋から見た利田神社である。このアングルからみると、やはり品川は海辺の町なんだということが良くわかる。

Nikon D7000 AF-S Nikkor 18-105mm @Kita Shinagawa (c)tsunoken

2013年10月22日 (火)

Fitbit weekly stats from Oct.14 to Oct.20

FitbitからWeekly Stasが来た。

先週の合計82,339歩、57.14km。最も活動的だった日は10月14日、20,911歩、14.64km。最も非活動的だった日は10月20日だった。

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秩父散歩カメラ by OLYMPUS PEN FT

 先週末10月19日20日と、大学時代の友達と4人で奥秩父の白久鉱泉まで行ってきたので、その報告をば。

 と、言っても別に秩父の方で何か特別なことなどない。長瀞に行ったって、普通の景色があるだけで特別そこで何か変わったことがある訳でもない。

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 秩父高原牧場(別称:彩の国ふれあい牧場)に行っても牛と羊と綿羊がいるだけなのである。

 とは言うものの、牛の牧場(というか、人に見せるための牧場)に行ってみると、可愛い子牛がいるので近づいてみると、ちゃんと母親牛が警戒してコチラを威嚇しにくる。

Img0532牛は大きくてちょっと怖いけれども、子牛は可愛いし、好奇心もあるので、近づくと……

Img0542 こんな具合に「何すんのよ」ってな感じで母親牛が近寄って威嚇しにくる。

Img0552 ほらね、あんな怪しいおじさんのところになんか行っちゃいけないのよ。とでも言っているようだ。さすがにお母さん。

 うーむ、牛の角突きの牛とはちょっと違う牛なんだろうか。あっちは、こちらが近づいても全然気にしていないものなあ。まあ、体の大きさが違うからなのかもしれない。

Img0562 なので、子牛にあそんでもらえなかったおじさんはコスモスの花を眺めるのであった。

Img0602 まあ、あとはこんな剥製とか見ながら帰ってくるのであった。

 まあ、特別なこともなかった温泉行ではあったわけで、それはそれでよかったということなんだけれども、それが普通の温泉旅なんだろうな。

 という、何も起こらなかった温泉行ではありました。

 なので、単なる「散歩カメラ」。

OLYMPUS PEN FT G.ZUIKO 25mm/F4 @Chichibu (c)tsunoken

2013年10月21日 (月)

『電子書籍作家デビューしたい人は知っておきたい文章術』ったって、それは普通の文章講座なのだった

『電子書籍作家デビューしたい人は知っておきたい文章術』っていうから「電子書籍」には普通の文章術と違った文章術があるのかと思ったら、別にそうではなくて、ごくごく当たり前の文章術なのであった。

 まあ、そりゃそうだよなと思いつつ、言わば「釣り」のキャッチに引っ掛かってしまう私って、やっぱり甘いのかな。

20131016_233853 『電子書籍作家デビューしたい人は知っておきたい文章術』(安藤智子著/BOOKSPACE/2013年9月24日刊)

 媒体が紙なのかデジタルなのかを問わず、基本的な「文章によるコミュニケーション」ということではまったく共通である。だったら、紙の文章のスタイルと、デジタル文章のスタイルに違いがあるのか、と言えば実はこれがあるんだなあ。

 まあ、取り敢えず安藤氏の言う「基本的なよい文章の書き方」だけを引用する。

・細部にとらわれず、思いつくまま書いていこう。
・話題の転換点で改行をし、段落をつくっていこう。
・段落全体が表す考えとまったく関係のない文を入れないようにしよう。
・書き進んだら、全体を見通す視点で眺めてみよう。
・重複する箇所は削除しよう。
・話が散らばったり、言ったり来たりしているときは、一つの話題ごとに文章を固めて配置しよう。

 書く
 削る
 並べ替える
↑この方法で、徐々に論旨をまとめていこう。

・自分が最も主張したいポイントに力点を置こう。
・自分の論に自ら反論を加え、その反論にさらに反論してみよう。
・執筆を終えたら、少し時間を置いて読み返してみよう。
・推敲を重ね、わかりにくい箇所や誤解を招く表現は書き直しをしよう。
・自信を持って市場に出すために、何度でも手を加えていこう。

 という安藤氏の文章の書き方を見ると、なるほど安藤氏が;

『私は、いわゆるゴーストライターである。
 著者となる人物に会ってお話を伺い、原稿を代筆する仕事を任せている。
 これまでに、単行本・新書・文庫本あわせておよそ60冊分の原稿を書き、売れた部数は累計200万部になる。
 <中略>
 しかし私には、紙の書籍という形での自著が一冊もない』

 という残念なライターである理由も、実は上の『安藤氏の言う「基本的なよい文章の書き方」』で文章を書いているからなのである。

 つまり、その「よい文書の書き方」で書いている限りは、基本的な書き手の個性というものがどんどんなくなり、誰が書いてもいい、ゴーストライターが書いてもいい文章になってしまうのではなかろうか。

 たとえば、野坂昭如氏のようなセンテンスの長い悪文の代表のような文章があっても、それは逆に野坂昭如氏の個性として認められる訳で、じゃあそんな悪文が直木賞を取ったりするのは何故かと言えば、それは文章の書き方ではなく、書く文章の内容が面白いからなので、問題は文章の書き方ではなく、文章の内容であるということが、安藤氏には分かっていないのではないかという気にさせるのは、やはり安藤氏が長年ゴーストライターをやっているうちに、書き手の個性が大事なんだということを忘れているんじゃないかと思わせると同時に、自分の個性よりも書く技術の方にばっかり目が行っている訳で、やはり人に読ませる文章というのは技術で読ませる文章よりは、書き手のパッションがどれだけそこに注入されているのかというところが大事なんじゃないかと、私なんかは思うし、特にネットの文章なんかは何度も推敲なんかはしないで、むしろ書き手のスピード感の方が重要なんじゃないかと思うのであって、それは「電子書籍作家」というどちらかというネット上の文章のなかにあってはストック的な文章ではあっても、そこはネット上で流通させる文章であるならば、紙の書籍の文章とは異なってどちらかというとフロー的な文章になって当然なのであり、自ずから紙の書籍と電子書籍でも文章の書き方は異なってくるはずのものになって当然なのだし、それなりにメディアが異なればそれに合わせた文章の書き方があっていいのであり、私のこのブログなんかも、一度「ワッ」と書いて「てにおは」や句読点の振り方や誤字脱字の推敲はするが、文章の内容にまで踏み込んだ推敲はしないことにしているのも、やはりtwitterやfacebookなんかと同様にブログの文章はスピード感が大事だと考えているのであって、当然これは紙の書籍や雑誌に書くときとは、文章に向き合うスタイルは変わってくるものであり、それはそれでいいはずなのであって、あまり紙の書籍や雑誌に書く場合と同じように考えない方が良いわけで、更にいうと同じ紙媒体でっても書籍と雑誌と新聞でもそれぞれの文章スタイルは異なるのであり、それを一緒くたにして語るのもどうかとも思うが、やはりその辺が安藤氏の限界なのかもしれないし、この人は一生ゴーストライターの身から出てくることはないんじゃないかと、ちょっと残念な気分になりつつも、まあ、やはり自分の名義で本を書いて(電子書籍じゃなくて)みれば、文章は技術ではなくてパッションだ、書き方ではなくて書く内容なんだということが分かるのじゃないかと思えるし、是非そうした経験を積んでほしいと思うし、でないと優秀な成績でもって学校を卒業し、優秀な書き手とはなれても個性的な書き手にはなれないという、女性によくあるタイプの単なる優等生でしかないのかな、と少し残念な気分になってしまうのは、せっかくこうした良い本を書ける人なんだから、もうちょっと頑張って「個性」の方を出して、多少は悪文でもいいから、本を発表すれば良くわかるのにという気分になるからなのである。

 ああ、あえて悪文を書くのもラクじゃない。

 って、読む人も疲れたと思うが、書くこっちだって結構疲れるのである。

 だから何だ? って言われても困るけど。

『電子書籍作家デビューしたい人は知っておきたい文章術』(安藤智子著/BOOKSPACE/2013年9月24日刊)

2013年10月20日 (日)

『里山資本主義』は『評価経済社会』の現実的な実践例だ

「里山資本主義」というのは、里山にある間伐材やら森林材を使って、まず木質ペレットを暖房に使いましょう、更にはそこから発展させたバイオマス発電もしましょう、更に里山やその周辺で取れる野菜や米をみんなで分け合って、「おカネ」を使わない経済を始めましょう、ということなのだが……。

20131015_212223 『里山資本主義――日本経済は「安心の原理で動く』(藻谷浩介・NHK広島取材班著/角川oneテーマ21/2013年7月10日刊)

 たとえば『里山資本主義』で『これまで人類が経験したことのない超高齢化社会のトップランナーであり、マネー資本主義を徹底的に突き進んでその限界を自覚しつつある日本だからこそ、里山資本主義的な要素を取り込むことで、「明るい高齢化」の道を進んいけると思っているのだ』という書き方をするのと、『評価経済社会』で『これから先、人の係わり合い、物々交換などが発生しているのに、今のマネー経済ではこれが把握できない。これが0にカウントされるから、まるで経済成長が下がっているように見える。でも、経済は活性化している。
 <中略>
 日本は世界で先進国だから見本がないからみんな、びっくりしている。他国もいずれ、低成長で高齢化になる。
 でもギリシャみたいになるのではなく、リアルマネーの動きが静まって、地域通貨と評価通貨がこれからどんどん増えるから、「総経済成長」は続く』と書くのと、実はまったく同じことを書いているのだ。

 つまり『里山資本主義』で言うところの「マネー資本主義」は、『評価経済社会』で言うところの「貨幣経済社会」なわけだし、そのそれぞれが「貨幣の交換を伴わない経済社会」を目指しているというところもまったく同じ。で、結局それは「貨幣の交換を伴わない経済なので、いわゆるGNPやGDPなどの指標には表れない経済となり、したがって現在の経産省なんかのデータでは「経済活動」とはされないまったくゼロの経済活動なんだけれども、でもちゃんとそれで人々は生活できるし、もしかしたらマネー資本主義(貨幣経済社会)でもってアクセク仕事をしているよりもずっと豊かな生活が送れるかもしれない」という、経済指標の表には表れない一つの裏経済なのである。

 裏経済、ってつまりはヤクザ経済なんかと同じ、税金を払わなくてもいい経済なのである。政府はこれは困る。でも、ヤクザ経済は基本的には貨幣経済なので、それを炙り出せれば表の経済になって、数字に反映できるから、まだいい。しかし、里山資本主義や評価経済ってのは、基本的に「おカネ」の交換がない経済なので炙り出しようがない。

 里山資本主義と評価経済社会の違いは「ネット社会」と繋がっているかどうかなのだろう。ネットを通じて個人に対する評価が出来て、その結果、評価が集まった個人がいろいろな意味で貨幣交換を伴わない経済活動が出来るというのに対して、里山資本主義では、そんなネットでの評価はないけれども、もうちょっと狭い世界ではあっても、地元の人たちからのいろいろな評価を集めた人は、やはり貨幣交換を伴わない経済活動を行って、社会生活が可能になる訳である。まあ、昔からある里山資本主義を現代に持ってきたのが評価経済社会なのだとすると、ネットなんかの使い方も知らない人たちだって、ちゃんとやってきた評価経済社会が里山資本主義だったってこと。

 面白いのは、1958年生まれという団塊世代よりちょっと後の生まれの岡田斗司夫氏と、1964年生まれというバブル世代の藻岩浩介氏の、道筋は違うのだけれども、辿ってきてやってきたところが同じということである。

 ということは、最早、世の中の趨勢としてはそちらの方向へ動いているのかな、と思えばそうはいっていないというところもある。つまり、役人の世界ではいまだにGNPやGDPなどの「見える経済」だけが指標となっていて、それは「アタマの悪い政治家」のためにあるんだけれども、同時にそのために、彼らが「白書」などの「見えるペーパー」を作らなければいけない立場にいることもあるのだし、またやはりそのために里山資本主義とか評価経済社会とかの「見えない経済」を如何にして「見える化」する方法を見出していないからなのだろう。

 そう、貨幣というのはきわめてラクに経済指標を作る際の指標になり得るものである。

 しかし、今はそんな「ラクに経済指標を作る」ことを求めてはいけないのだ。もっともっと、複雑になる、というか実はもっともっと単純になる、経済指標を求めればいいのだ。

「複雑になる」というのは、里山資本主義とか評価経済社会という考え方が、マネー資本主義とか貨幣経済社会と並立する考え方である、という部分をいっしょくたに考えて国家の経済を作って行こうとする無理やりさなのである。

一方「単純になる」というのは、それらの経済社会についての考え方が並立する状況をありのまま受け入れればいいのだ、「白書」としてマネー資本主義や貨幣経済社会と同じ指標のもとではない形で表現できればいいという考え方をすればいいということなのである。

 小泉純一郎氏が最近「反原発」を言い始めて困っている自民党の人たちがいるそうである。何でだ? 別に自民党総裁・総理大臣時代は「原発推進派」であっても、その後、「原発廃絶派」になってもいいじゃないか。

 つまりそういうことなのである。世の中の価値観は常に変わっているのだから、それまでマネー資本主義社会だったところに、おカネの介在を伴わない里山資本主義が入って来てもいいじゃないか。

 GDP主義であったものが、反GDP主義になってもいいじゃないか。

 問題は、私たち日本人が(本当は日本人だけじゃなくて世界中の人たちが、なんだけれども)幸せに、あまり先のことをくよくよ悩まないで暮らしていけて、安心して死んでいければいいのである。

 最後に、『里山資本主義』の結論を引いておく。

『問題は、旧来型の企業や政府やマスコミや諸団体が、それを担ってきた中高年男性が、新しい時代に踏み出す勇気を持たないことだ。古いヴィジョンに縛られ、もはや必要性の乏しいことを惰性で続け、新しい担い手の活力を受け入れることもできないことだ。しかし年月はやがて、消えるべきものを消し去り、新しい時代をこの島国の上にも構築していく。結局未来は、若者の手の中にある。先に消えゆく世代は誰も、それを否定し去ることができない』

 まあ「老人は去れ」ってことですね。

『里山資本主義――日本経済は「安心の原理で動く』(藻谷浩介・NHK広島取材班著/角川oneテーマ21/2013年7月10日刊)Kindle版は9月10日刊。Kindle版が出たんで読んだ。ちょっとだけ安い。本体の2013年版は10月22日リリース。

2013年10月19日 (土)

オーディオ・ホームシアター展は「超オタク」の世界

 IT Pro EXPOの帰りにゆりかもめの駅のポスターで見た『オーディオ・ホームシアター展2013』に行ってきた。

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 昔、長岡鉄男氏というオーディオ評論家がいて、自宅をレコード音楽を聴くためだけに設計してしまった話や、大友克洋氏の自宅兼仕事場の200インチのプロジェクター・モニターにビックリした経験があり、自分なりにはオーディオに興味を持った時期がある。

 私が学生時代は、マランツかなんかの管球アンプで、JBLのスピーカーでジャズを聴く、ってのが最高のオーディオだったような気がするが、今はどうなんだろうという気もあった。

 今は、昔オーディオ・ブームがあったことなんかも忘れて、今や音楽はi Tuneでダウンロードしてスマホに入れて、イヤホンで聞いている人たちが大半だ。私の家も、アナログ・レコードだけは「いずれ聴くかも」なんて持っているが、ターンテーブルはないし、ラジオ兼用の小さなCDステレオがあるだけである。

 そんな時代でもやっぱりオーディオやホームシアターなんかに凝っている人たちがいるんだな、というイメージで来てみたわけなのだが……。

 それにしてもこうした展示イベントは普通幕張メッセとか東京ビッグサイトでやるものとばかり考えていたので、意外な場所でこじんまりやっていることにビックリ。

2013_10_18_16482 が、考えてみればじっくり音を聴かせるためには、イベントホールみたいにいろいろなブースがここぞとばかりに大きな音を出している場所じゃだめで、こうして小さな部屋に分かれた場所でないと意味がないわけ、なのでイベントホールじゃなくて、普通のビルの会議室なんかでやる訳なのであった。

2013_10_18_16522それにしても、こんな瀬戸物のスピーカーや

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2013_10_18_16312 木製のスピーカー(スピーカーボックスじゃないです)って、どうなのよ。

 パイオニアやヤマハ、テクニクス、JVCケンウッドなどのその世界では大きなメーカーの場合はごく普通の「会社員」が展示説明員なんかを務めているんだが、上の瀬戸物や木製スーピーカーのメーカーになると、完全にメーカーの人自身が「超マニア」っていう感じで、「超マニア」が「オーディオ・オタク」にいろいろお話をしているという状態なのである。

 まあ、今や音響再生装置に凝る人たちなんて完璧にオタクしかいないわけで、そんなオタクを相手にする人たちも、結局はオタクのなれの果ての超オタク、っていうもんだろう。バイノーラル録音なんて気にしている人なんて完璧にオタクだもんね。

 すごいなあ、オタクパワー。

2013_10_18_16532 で、NHKのスーパーハイビジョンのデモなんだが、何と映像に写っているのはゴールデンボンバーとももいろクローバーZなのである。スーパーハイビジョンの8K映像と22.2chの音響で金爆とももクロか? 金爆やももクロのファンは8K映像と22.2ch音響で楽しむわけだ? はぁ?

 なんかなあ、結局その程度のものしかテレビではできないんだよなあ。NHKであっても。

オーディオ・ホ-ムシアター展はゆりかもめテレコムセンター前駅そばのタイム24ビルにて20日まで開催中。公式サイトはコチラ

Nikon D7000 AF-S Nikkor 10-24mm @Aomi, Koto (c)tsunoken

2013年10月18日 (金)

旧水戸街道を往く 新宿~松戸宿編

 旧水戸街道の旅、三日目は松戸宿まで行きます。

2013_10_14_12552新宿の下宿を来ると今は暗渠になっている用水がありそこに小さな橋がかかっている。ここが左(南)へ行くと佐倉道、右(北)へ行くと水戸街道という追分がある。

 追分を北上するとすぐに次の追分があるので、そこを右へ行って狭い方の道へ。

2013_10_14_12602追分の分かれ道には(多分)近辺の地蔵さまや石碑なんかをこの場所に集めたと思われるところがある。

 で、この狭い道をどんどん行くわけであるが、すぐ右には現在の水戸街道(国道6号線)が間のビルから垣間見える。

2013_10_14_12742で、京成金町線の踏切があるそばで国道6号線と一緒になる。

 しばらく国道6号線を歩いて、 新葛飾橋の手前で左に折れて、常磐線のガードをくぐると右に折れる。

2013_10_14_12932と、見えてくるのが葛西神社。とても大きな神社なのだが、昔は香取神社を名乗った時もあったようだが、現在祀ってあるのが「経津主神(ふつぬしのかみ)」「日本武尊(やまとたけるのかみ)」「徳川家康尊(とくがわいえやすのかみ)」という、ヤマトタケル以外はあまり由緒を感じない神様。境内には 弁天様がいたり、お酉様なんかもやったりして、なんかよくわからない。でも、地元では一番大きな神社である。

2013_10_16_14242 そのまま江戸川沿いに歩いていると「金町関所跡之記」という碑が見える。

 昔は江戸川には架橋しなかったので、ここから渡船で江戸川を渡河していたわけだ。

2013_10_16_14162 現在は葛飾橋を渡ればいい。

2013_10_16_14132 葛飾橋からみた松戸宿。

2013_10_16_14042 松戸側の渡し跡。

2013_10_16_13962 で、渡し跡からすぐが松戸宿である。 松戸本陣跡は碑だけで、現在はマンションになっている。

 というところで、取り敢えず旧水戸街道を往くのは取り敢えずおしまい。ここから先はあまり見るものもないようだし、私自身別に旧街道マニア(という人たちがいるのです)ではないしね。

 というか、以前旅した旧日光街道の写真はすべて銀塩写真で撮っているので、いずれまたデジタイズしたら紹介します。以前、デジタイズはしたのだが、そのデータはすべて消えてしまいました、とさ。

EPSON RD1s Leica Elmarit 28mm/f2.8, Nikon D7000 AF-S Nikkor 18-105mm @Niijuku & Knamachi, Katsushika @Matsudo (c)tsunoken

2013年10月17日 (木)

旧水戸街道を往く 葛飾新宿編

 JR亀有駅から南へちょっと行くと、旧水戸街道沿いに水戸黄門と助さん格さん(誰がモデルかは分からない)の像と共に一里塚の碑がある。千住宿からちょうど一里がほぼこのあたり。日本橋からは三里である。

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 旧水戸街道の中川西岸脇にはアリオ亀有という巨大なショッピングセンターと亀有香取神社がある。勿論、境内には「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の両津勘吉氏がいる。というか、この亀有駅周辺にはやたらいろいろなところに両津氏がいるのだ。

2013_10_14_12282どうせなので、ちょっとお参り。お七夜のお参りなのか、赤ちゃんをつれた若い夫婦が境内で順番待ちをしていた。

2013_10_14_12342で、この中川橋を渡ると葛飾区新宿(にいじゅく)になる。

2013_10_14_12392まっすぐ行く道は昔はなかったようで、基本的には新宿の上宿、中宿、下宿は枡形になっていて、この交差点を右に曲がると本当の新宿。

2013_10_14_12412千住宿に対する新しい宿場ということで新宿(現在の呼び方は「にいじゅく」だが、古くは「あらじゅく」と呼んだらしい)という名前になったのだというが、現在、そんな宿場町だったという風情はまったくない。

 まあ、巨大な宿場であった千住宿から見れば新宿がいかにもこじんまりした宿場なんだろうし、千住宿は宿場機能もさることながら岡場所としても知られていたところなので、普通に静かに宿泊したい人は千住宿じゃなくて新宿に泊まっていたのかもしれない。

2013_10_14_12452新宿の通りを南下すると、上宿、中宿となって、枡形を左に曲がると下宿になる。

2013_10_14_12472宿場町を中宿から下宿へと左折するところの裏にあるのが日枝神社である。

 下宿をまっすぐ行って、今は暗渠になっている用水を渡る橋を越えると、南に曲がれば佐倉道、北へ曲がれば水戸街道という追分になる。

EPSON RD1s Leica Elmarit 28mm/F2.8 @Niijuku, Katsushika (c)tsunoken

2013年10月16日 (水)

旧水戸街道を往く 千住宿~新宿

 以前、旧日光街道を歩いて栃木県小山市まで行ったことがある。

 勿論、まだサラリーマンをやっていた頃なので、一気に歩くなんてことは無理で、すこし行ってはその近辺の駅から家に帰って来て、次の週末にまたその駅から下りてまた歩く、という具合に千住から小山まで歩いたのだった。

 日光街道は江戸の五街道と呼ばれ、整備された大きな街道だったので、その途中の宿場もその宿場なりの遺構や碑、記念物なども多く残されて面白い。草加、越ヶ谷、粕壁(春日部)、栗橋、古河などは大きな宿場町だったので、いろいろ記念物なんかも作られているし、町自体位が旧宿場町だったことを示すような仕掛けをしている。

 それに比べると水戸街道はちょっと格が落ちるのであろうか、あまり旧宿場町というものの話は聞かない。元々、徳川御三家のひとつの水戸藩なのであるが、やはり紀州、尾張に比べると一段格落ちになるからなのであろうか。

 しかし、9月30日のブログで千住宿名倉医院のことを書き、日光街道と水戸街道の追分が千住宿にあることを書いた時から気になっていたので、旧水戸街道を歩いてみたのだった。

2013_10_11_00922 勿論、スタートは千住宿名倉医院である。

2013_10_11_00902千住5丁目あたりには、「東へ 旧水戸佐倉道 北へ 旧日光道中」という碑が立っている。当然、これは後年作られたもので、昔はなかったのだろう。名倉医院の前には、「北西 旧日光道中 北 旧下妻道」という追分もある。

2013_10_11_01012 しかし、東へ旧水戸佐倉道を往くと、すぐに荒川放水路の土手にぶつかってしまって道が途絶える。これは、荒川放水路ができたのが明治以降なので仕方がない・正面に見える東京拘置所のあたりに、荒川対岸の道がある筈、とやむなく京成線に乗って、京成関屋から堀切菖蒲園まで電車に乗る。

2013_10_11_01232で、対岸の旧水戸街道の入口がここ。左が東京拘置所だ。 京成線堀切菖蒲園だとちょっと行き過ぎ。千住新橋か堀切橋を歩いて渡った方が近かった。

2013_10_11_01332小さな商店街を往くと、綾瀬川にぶつかる。水戸橋という名前がいかにも水戸街道だなと思わせる橋を渡って対岸へ。

2013_10_11_01362水戸橋を渡った先は狭い道がずっと続いている。 多少広がってもせいぜい歩道ができているだけで、道そのものは片側一車線の狭い道だ。

2013_10_14_12082で、JR亀有駅の近辺まで来ると、こんな碑が。ここから中川を渡ると新宿(にいじゅく)であり、千住宿の次の宿場町になる。

Fujifilm X10 @Ex-Mito Road from Senju to Kameari (c)tsunoken

2013年10月15日 (火)

Fitbit weekly stats from Oct.7 to Oct.13

 Fitbitを再開したので久しぶりにWeekly statsが来たので公開。

 10月11日は22,043歩/15.8kmを歩いた。

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温故知新としての『評価経済社会』

 オリジナルのダイヤモンド社版は2011年の刊行。ロケットという岡田斗司夫氏が関係している会社で出した電子版では、「新版への付録」「電子版おまけ 「日本は”評価経済”の高度成長期に入った」「電子版おまけ あとがき」がついて、大分オトクです。

 勿論、オリジナル版でもキチンと将来予測にはなっているのだが、当然電子版の「まとめ」が現状をもっとキチンととらえている訳だ。

20131008_90430 『評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている』(岡田斗司夫著/ダイヤモンド社/2011年2月25日刊)

 で、その『電子版おまけ 「日本は”評価経済”の高度成長期に入った』が端的に現状を捉えていて面白い。

 曰く、

『おカネを使わないと、自分の楽しみを実現できないというのは、ネット社会ではすでにヘタクソな生き方になっている』

『社会保障とか失業に関して、政府が一手に面倒見るというのが、もう幻想。それは共産主義と同じようなもの。
 困っている人を政府が助けるというのは幻想。そうではなく、目に見える目の前の人たちを、個別の人たちが助けることに、評価経済ではなる』

『日本は世界に先んじて、貨幣経済の頂点であるバブル経済をやった後、ネットがいきなり普及して、若い人たちが働かなくなるという、評価経済に移行しつつある。その意味では、世界の先端を走っている』

『「キャラクター化」した企業、つまり「この人がいるから働く」という人がいる小さい企業ばかりになる。大企業がそういう顔の見える小さな企業に分裂していく』

『これから先、人の係わり合い、物々交換などが発生しているのに、今のマネー経済ではこれが把握できない。これが0にカウントされるから、まるで経済成長が下がっているように見える。でも、経済は活性化している。
 <中略>
 日本は世界で先進国だから見本がないからみんな、びっくりしている。他国もいずれ、低成長で高齢化になる。
 でもギリシャみたいになるのではなく、リアルマネーの動きが静まって、地域通貨と評価通貨がこれからどんどん増えるから、「総経済成長」は続く。

 僕らは評価経済の高度成長期に入った』

 というまとめである。

 大阪電通大中退で、DAICON3の主宰者としてSFグッズ専門店「ゼネラルプロダクツ」社長で、アニメ制作会社「ガイナックス」初代社長で、「オタキング」の岡田氏が、今や世界経済、日本経済を語る人になってしまったというのは、ある種、感慨深いものがある。

 私は日本のSFファンの間では有名な井上博明氏の紹介でガイナックス時代の岡田氏とは付き合いがあったが、その頃からなんか肩に力の入っていない男だなあ、というイメージがあり、まあ「オタク」を自らの売り物にするという度胸だけは、さすがに大阪人という感じがあった。

 いまや「オタク」というのは、一部の特殊な人々の呼び名ではなくなって、単なる「アニメやマンガやゲームやSFやフィギュアやコスプレやAKBとかモモクロなどのグループ・アイドルや……や……などが好きな人たち」位の位置になってしまった。つまり、オタクの一般人化が進んでいる訳であるが、じゃあ、そんな一般人化したオタクだから世界経済や日本経済を語っていいのか、というか語るのは自由であるが、その語りが世間に通じていいのか、となると、しかしその語りの内容次第では、人からは「やっぱりオタクの論はね」という評価を得てしまう。

 で、岡田氏の論はどうなのかと言えば、確かに「評価経済」というネーミング・センスはいいとしても、しかし、その語っている内容はそれほど新しいものではない。

 たとえばイケダハヤト氏がブログや著書で語っている「もし、今僕がお金が全く無くなってしまい、お米が買えなくなった時に、そのことをブログで書けばたちまちブログの読者からお米を送ってもらえるだろう」という内容は、まさしくイケダハヤトという人の「評価経済」であろう。そんな訳なので、イケダハヤト氏は『年収150万円で僕らは自由に生きていく』という本を書いたわけなのであるが、そのような「自分に対するよそからの評価を金銭の授受を伴わない経済活動につなげる」ということは、実は「評価経済」というコンセプトがない時代からもあったものなのである。

 結局、ネット社会になってそれまで小さい社会の中だけで行われていた「物々交換」などの貨幣の交換を伴わない経済が、より大きな世界でも可能になったということなのだろう。今でも田舎の農村なんかにいけば、住民同士でのこうした物々交換なんかはごく当たり前に行われているし、例えば私が田舎のお寺に毎年お盆や法事でお布施を渡している訳であるが、そのお寺から毎年新米の季節になると大量にお米が送られて来るなんてのも、広い意味での評価経済である。

 大阪で教師の息子として生まれ、そして長じては商人の子どもとして育った岡田氏にとっては、こうした「金銭を伴わない経済活動」というものは新鮮に映ったのかもしれないし、これこそ新しい時代の経済関係だと考えたのかも知れないが、実はそんなものは昔から行われていたということ。

 新しいのは「ネット社会」における基準として「他人から受ける評価」が大事、という部分を見つけたということであろうか。

 それは結局「温故知新」ということだけなのかもしれない。

『評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている』(岡田斗司夫著/ダイヤモンド社/2011年2月25日刊)Ki dle版は(ロケット/2013年7月11日刊)

こちらも参考までに、どうぞ。

2013年10月14日 (月)

つちうら古書倶楽部

 つくばに行ったついでに、今年4月11日のブログ『土浦市に超弩級の古書店ができた』で書いた「つちうら古書倶楽部」に行ってきた。

 ブログに「 今度、れんが堂書店だけになったら、もうちょっと探しやすくなるだろうから、また来ようかな」と書いたのを思い出したのだ。

2013_10_10_00612 相変わらず、ハデな建物ですな。インターネットカフェやゲームセンターなんかは相変わらずビルの上の方に入っている。

2013_10_10_00622 つちうら古書倶楽部はこのビルの1階にある。

2013_10_10_00672 相変わらず広い店内、って,前のままなのだから当たり前か。ただし、以前ブログを書いた際にはいろいろな古書店がそれそれで軒を掲げていた状態で、写真集を探すのにもそれぞれの書店の店先を見て歩かなければならなかった。いまはれんが堂書店だけの運営になっているので、場所ごとにジャンルを分けて展示してあって、確かに以前よりは本を探すのがラクになった。

 もっとも、蔵書はれんが堂書店だけでなく、他の古書店の商品も入っている。ちなみに私が買ったのは、葛飾区立石にある岡島書店のタグがついていた。委託販売もやっているんだな。

2013_10_10_00652 開店当初はここも店舗だったが、いまは一緒に古書展をやっていた他の古本屋さんがいなくなって、れんが堂書店だけになっている関係から、店の奥のスペースは買取品の整理をするスペースになっている。

2013_10_10_00832 で、これが戦利品の写真集。『巫女(オガミサマ)』(赤羽敬夫著/遊行舎/1990年5月21日刊)

 残念ながら、Amazonにはありません。それこそ古書店で探してください。

2013年10月13日 (日)

谷田部自動車高速試験場~兵どもが夢の跡

「その音、ちょっと違うんですけど」と私は言った。

『バリバリ伝説』OVA版のダビング作業中のことだった。なんかバイクのシフトチェンジの時に「ポイン」というちょっとコミカルな音をつけた音響技師に対して、シフトチェンジの時にそんな音はしないと文句をつけた訳だ。でも音響技師は「だって、動きに合わせて音を付けないと分からないでしょ」なんてことを言ったので、「つけるなら本物の音を付けてください。じゃなかったら、どうせエンジン音で聞こえないからつけないでください」と反論したのである。

 当時はまだ「アニメは子どものもの」という常識が生きていた時代で、モーターサイクルの2ストロークも4ストロークも違いを考えずに音をつけていたのである。

 この時、私はアニメであろうと音は本物の音をつけなければファンは納得しないと考えるようになり、その後の『AKIRA』を経て、それは確信に至った。『AKIRA』もかなりいろいろな音ロケをやっているんですよ。ということなので、後年『逮捕しちゃうぞ』のOVAシリーズを作る際には、「とにかく本物の音を」ということで、スズキGSX-R750やら、ランチア・デルタやヤマハRZ250やら、モトコンポやら、とにかく出てくる車はすべて本物を使って音ロケをしたのであった。

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 で、その音ロケをした主戦場が、ここ財団法人日本自動車研究所にあった高速周回コース、通称「谷田部テストコース」であった。1965年にプリンスR380が、1966年にトヨタ2000GTが国際記録を打ち立てた、あの谷田部テストコースである。

 なんでそんなところで音ロケをしたのかというと、実は今や超メジャーな自動車雑誌になった『ベストカー』が講談社の関連会社だった関係から、『ベストカー』の協力を取り付け、彼らがやる新車のテストの際に混ぜてもらうという一計を案じたのであった。

 朝の5時頃から『ベストカー』とは別のところで音ロケを済ませると、9時には終了。『ベストカー』編集者たちは、食堂で納豆定食(さすが茨城!)を食べ、それから会社に戻って仕事をするという超ハードなスケジュールをこなしていた。

 当時私は八王子自動車学校が他校と差別化するために導入したメルセデス・ベンツ190ディーゼル4気筒マニュアル・ミッション102PSというヤナセでは一般販売していない超非力のお下がりに乗っていて、その車のあまりの馬力のなさにあきれていた。で、音ロケのついでに谷田部テストコースの30°バンクを走ってみようと試みたのだが、当然そんな非力の車では全然バンクの上の方には上がれずに、ほとんど下の方ばかりを走っていた記憶がある。

 で、その30°バンクが今どうなっているのか、気になって来てみたのだった。

 

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 つくばエクスプレスの研究学園駅そばの公園の駐車場に車を置いて、自動車研究所のフェンスに沿って歩く。

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 延々と続くフェンスの外を歩いていると、何やら怪しい車が……。なんか目隠しをして、それも目隠しの中には何か機械が入っている大きさだ。自動運転装置のテストか何かをやっているのか。

 テストコースの目玉、高速外周路はなくなっているが、まだまだ何かいろいろなテストをやっているんだな。

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 なんて感じでフェンス沿いを歩いてきて、自動車研究所入口のある県道123号線との交差点近くにきてみると……、ありました30°バンクだ!

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 ああ、これが上まで上がれなかった30°バンクだったのだなあ。今のベンツC200コンプレッサー184PS27.5kgmなら上がれたかな、なんて考えているのだが、どうもこの位置で、この向きだと、昔高速周回路があった場所ではないような気がする。

 多分、自動車研究所のモニュメントとして場所を移して残してあるのかも知れない。なんか草むしてまさしく「兵どもの夢の跡」という感じだ。

 現在は高速試験場はもっと北の茨城県東茨城郡城里町という山の中に行ってしまい、もはやこんな住宅のそばではテストコースは出来ないのだな。

 えっ? 「兵ども(つわものども)」って誰のことかって? う~ん、やっぱりタフな『ベストカー』編集者かな。

Nikon D7000 AF-S Nikkor 18-105mm @Tsukuba (c)tsunoken

2013年10月12日 (土)

『国宝 興福寺仏頭展』に行って、昔の戸惑いを思い出す

 本来、月曜日は美術館は休館なんだけれども、10月6日は日経新聞の読者招待日ということで、行ってきました東京藝術大学美術館、『国宝 興福寺仏頭展』である。

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 仏頭とは何か。読んで字のごとく「仏の頭」である。「鰯の頭も信心から」ではないが、仏の頭に何の意味があるのだろう。

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 興福寺の仏頭とは、もともと興福寺にあったわけではない。もとは飛鳥の山田寺というところの丈六像として鋳造されたものである。丈六像とは、釈迦の身長が1丈6尺(約4.85メートル)あったというところから1丈6尺の高さの仏像のこと。座像の場合は8尺に作るが、それも丈六といい、丈六より大きいものを大仏という。この仏頭の大きさは頭部だけで98.3センチということなので、おおよそ5頭身の大きさの仏像だったわけである。

 それがどういう経緯でかはわからないが、平安末期に興福寺の堂衆たちが興福寺に運び込み、興福寺の東金堂の本尊、薬師如来として安置された。応永18年(1411)12月に落雷による火災で仏頭は運び出すことが出来ないまま破損してしまい、その後の所在についての記述は途絶え、所在不明となってしまった。

 なんか、他所のお寺にあった仏頭を勝手に持ってきちゃって、でも火災の時にどこに行っちゃったか分からなくなる、ってなんか不信心というか、無責任というか、なんかなあ。

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 それが昭和12年(1937)10月、東金堂の解体修理中に現本尊台座内にあるのが発見されたのである。よかったね。決して興福寺の堂衆はいい加減に仏頭を保持していた訳ではないんだ。それもちゃんと本尊と同じ向きに顔を向けていたそうだ。

 以来、毀損仏でありながら国宝指定を受けている仏像として知られている。

20131008_184909 (c)Kofukuji Temple

 今回、この仏頭が興福寺から出されて東京で展示されたのは、多分に中金堂再建事業とのからみもありそうだ。

 創建以来たびたび焼失を繰り返してきた中金堂は、文政2年(1819)、篤志家の寄付によって再建されたが、これは仮堂で、規模も以前のものよりも小さく、作りも安物だった。1974年に中金堂裏側の講堂後に仮金堂を建てて本尊などをそちらに移した。中金堂は2000年に解体されて、現在は興福寺創建1300年の2010年着工、2018年落慶を目指して、創建当初の姿を再現した新・中金堂の建設が進められている。

 つまりそのために今、興福寺は一生懸命お金を集めなければならないわけである。興福寺には財団法人興福会というバックがいて、ここがなかなかの「やり手」でお金を集めているわけである。

 私が出版社のサラリーマンになった最初の仕事が「国宝純金阿修羅像」一体約三百万円というシロモノを、本屋さんと一緒にお客さんのところに売りに行くという仕事で、「何で出版社に入って仏像のレプリカを売らなならんのや」と戸惑ったものだが、この仏像こそは財団法人興福会の仕掛けに、トンマな出版社が見事に乗っかってしまって、結局大損こいたわけである。勿論、新入社員ごときがそんなものを一体たりとも売れるはずなんかないのであった。なんか、純金のはずが錆が浮いたりなんて噂もあったりして……。

 そんなこんなで、いろいろいわくがありそうな『国宝 興福寺仏頭展』であるが、頭だけの仏様でもなかなか良い表情をしていて雰囲気は良い。向かって右側、仏としては左側の耳朶が無かったり、頭がつぶれていたりしているのは、やはり火災の影響なのだろう。

 また、この仏頭を守る「木造十二神将立像」というのがあって、それが興福寺の薬師如来を守る十二神だったわけなのだが、十二というから、それぞれの頭に干支の動物が乗っているのが面白い。なかなか可愛い顔をしているのだ。私はむしろ、そっちの方が気に入った。

『国宝 興福寺仏頭展』は11月24日まで、公式サイトはコチラ

EPSON RD1s Summicron 35mm/F2 @Tokyo University of The Arts, Ueno (c)tsunoken

2013年10月11日 (金)

早速、Fitbitからお褒めの言葉をいただいちゃった

 本日1日だけで20,000歩を超えたというので、Futbitからお褒めのメールが来た!

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 現在、午後5時13分、歩いた歩数は21,228歩で、これまでで一日で稼いだ最高の歩数となる。今日は旧水戸街道を千住宿から新宿(葛飾の方「にいじゅく」と読む)まで歩いた。

 その結果は、近々のうちに書きます。で、これからは毎日20,000歩が目標ってか?

 う~ん、それはさすがに「無理」。

『大人のいない国』はもっともっと批判されるべきだ

 結局、世の中みんながみんな大人になりきれなくて、それでも回っているということは、それだけ日本の社会が成熟しているってことなんだけれども、だからってそれを放置したままでいいのかっていうことになると。ちょっと危うい。

 しかし、だからと言ってそれに対する処方箋はないのである。

20131005_90318 『大人のいない国』(鷲田清一・内田樹著/文春文庫/2013年8月6日刊)

 本の構成は、内田氏、鷲田氏の対談を挟んで内田『大人の「愛国論」』、鷲田『「弱い者」に従う自由』、内田『呪いと言論』、鷲田『人の作法』、内田『もっと矛盾と無秩序を』というのがサンドイッチのローストビーフみたいに挟まれている。で、それらはまさしくサンドイッチの中身と同じで、全部バラバラだ。

 そんなバラバラな中身でも少しは似たような論を、ということで抜き書きすると以下の通りとなる。

<対談>
『鷲田 最近、政治家が幼稚になったとか、経営者が記者会見に出てきたときの対応が幼稚だ、などと言いますが、皮肉な見方をしたら幼稚な人でも政治や経済を担うことができて、それでも社会が成り立っているなら、それは成熟した社会です。そういう意味では、幼児化というのは成熟の反対というわけではないんですね』

『内田 格差論や、ロストジェネレーション論の類を読むと、僕はちょっと悲しくなってくるんですよ。書いているのは三十代や四十代の人なんだけど、それだけ生きているということは、もう立派にこのシステムのインサイダーですよね。この世の中のシステムがうまく機能していないことについては、彼らにもすでに当事者責任があると思うんです。だから、そんなに簡単に「こんな日本に誰がした」みたいな言い方はできないと思うんですよ。でも、彼らの議論はいつも「自分は純然たる被害者である」という不可避の前提から出発している』

『内田 今の日本における「未成年者」は、現実の年齢や社会的立場とは無関係に、「労働し生産することではなく、消費を本務とする人」というふうに定義できると思うんです』

<内田の論>
『現在、呪いの言葉を吐き散らしている人々は、そのことを「言論の自由」の行使であり、「政治的に正しい」行為の実践であるとみなしている。彼らは「言論の自由」の大義によって自分は守られるべきだと考えている。この「大義に守られている」という確信が、自分がしていることが「忌まわしい行為」であるという自覚にたどりつくことを構造的に妨げている』

 基本的に鷲田氏の論は現在の「大人」の世界が、しかし「子ども」のスタンスだけけらしか語られていない。だけれども、そういった「子ども」のスタンス、つまり「大人社会」に入れない人たちの立場からだけ、現在の「大人」を語ってしまうと、ちょっとそれは「大人になり切れない大人への擁護」ということになってしまわないか。

 やはり「幼稚な人でも政治や経済を担うことができて、それでも社会が成り立っているなら、それは成熟した社会です」というやさしい言い方はすべきでないし、もっと厳しく大人にあたるべきではないのだろうか。内田氏もそんな鷲田氏に寄り添って「彼らの議論はいつも「自分は純然たる被害者である」という不可避の前提から出発している」と発言しているが、それも基本的にもっと厳しく当たるべきではないのだろうか。特に「ロスジェネ論」なんて、単にロスジェネ本人たちが言っていることに対して、自らその矛盾に気がついていない破綻した理論でしかないのだ。つまり彼らが言っているのは常に「大人が悪い」という自虐的な見方でしかない。もっと自らの立場と責任を慮った発言をすべきなのだ。

 そんなこんなで考えてみると、内田氏の結論的な言い方が腑に落ちる。

<内田の論>
『グローバリゼーションの前提に採用されているのは、すべての人間は、性差、年齢、宗教、学歴、政治信条などにかかわらず、全員が権力、財貨、名誉、地位、情報、文化資本を欲望しているという人間観である。資源の分配はすべからく自由競争によらねばならない。それはつまり、能力のあるものが取れるだけのものを取り、能力のないものは自己責任によって飢えるということである。それこそが「フェアネス」であるとグローバリストたちは断言し、二十年にわたり、国民の一部はおずおずと、一部はうれしげにこのスローガンに唱和してきた』

 まあ、それが「民主主義的資本主義」のもって来る最終結論なのであるけれども、しかし、それこそアメリカ共和党茶会派の言っている自由主義が寄って来る「レッセフェール」の思想が陥っている自己矛盾でしかない。

 自由競争によって、自らの生が危なくなってしまっても構わないというのなら、それはそれで「自己責任の発露」ということで結構。しかし、自分だけは自由競争から自由でいたい。しかし、周囲は自由競争の中でもまれろというのでは、それこそ「子どもの論」でしかない。

 そんな「子どもの論」だけが大きな顔をして歩き回っている社会が、しかし、現代日本なのだとすると、その危険性をもっと厳しく論断しなければならない。

 内田氏の発言は基本的に正しいと私は思うのだが、最後の最後で、自らの発言を行動に移そうとしないところに「学者の発言」と、橋下あたりに言われてしまう弱さがあるんだろうな。

『大人のいない国』(鷲田清一・内田樹著/文春文庫/2013年8月6日刊)Kindle版は9月20日刊

2013年10月10日 (木)

今週は『IT Pro EXPO 2013』ですよ

 先週のCEATEC JAPANに引き続き、今週はIT Pro EXPO 2013です。

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 要はIT関連のプロフェッショナル向けの展示会なので、私のようなトーシロには関係ないんだし、クラウドだビッグ・データだって言っても、それはビジネス分野でのテーマなので、現実的に今の私には関連がない。筈だが、しかしたとえばAmazonのKindleだって実は私の蔵書でもなんでもなくて、書籍のデータはAmazonが持っていて、言ってみれば私はAmazonから書籍の閲覧権を買っているわけですね。で、本はどこにあるかといえば、Amazonのサーバーにあるわけで、それが一種のクラウド。

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 今、書いているこのブログだって、Niftyメールだって、私のところにはデータは残っていないわけで、すべてのデータはNiftyのサーバーにある。ブログは今のところすべてサーバーに残っているようだが、メールなんかはある一定の時期を過ぎると私からは見えなくなってしまう。サーバーに残っているのだかいないのだかは分からない。以前、使っていたEudoraだとデータは全部個人のパソコン内に残っていたので問題はなかったんだけど、クラウドに上げられたデータはサーバー管理者が勝手に放棄したり、ブロックしたりできるので、自分のところにデータを残しておきたければ、自分でデータをダウンロードして自分のパソコンに残さなければならない。という面倒くささはあるんだけれども、まあ、日々のメールでそんなに重要なものはそれほどないので、まあ気になったものだけパソコンに移しておけば、普通のユーザーだったら問題はない。

 ブログは今のところすべてサーバーに残っているようだが、それも保証付きではない以上、ライター&ユーザーとして自分のところに残しておく必要がある。以前はプリントサービスがあったので、年に2回印刷をしてアナログで残しておいたのだが、今年の9月でプリントサービスがなくなったので、今は、取りあえず自分のパソコンに毎日ダウンロードして残してある。ちょっと面倒くさい。

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 しかし、会場はなんかNTTデータ・グループのためにあるような会場で、NTTデータ・グループだけでNTTデータは当然として、NTT IT、NTTコミュニケーションズ、NTTコムウェア、NTTコムオンライン・マーケティング・ソリューション、NTTソフトウェア、NTTデータウェーブ、NTTデータエンジニアリングシステムズ、NTTデータ先端技術、NTTデータビジネスシステムズ、NTTデータビジネスブレインズ、NTTビズインテグラル、NTTPCコミュニケーションズ、NTTラーニングシステムズと14社も出展。それぞれが何をやっている会社なのかはわかりません。そういえば『AKIRA』のDVD化をやった時の音響スタジオがNTTラーニングシステムズだったような記憶がある。

 って、本当に何をやっているのかわからないなあ。

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 何をやっているのか実によくわかるのがこのブース。

 2014年4月9日にサポートをやめてしまうWindows XPに関する終了対策のためのブースなわけだが。えっ? Windowsって、その後評判の悪いVISTAでしょ、でまあ評判の良かったWindows 7がでて、再びキーボード・ファンから評判の悪いWindows 8になっているにも関わらず、いまさら「Windows XP終了対策」って何よ。というか、多分いまだにWindows XPを使っている会社がそれだけ多いということなんだろうな。

 まあ、パソコンなんてソフトウェアは基本的にかなり頻繁に変わるものだと考えていればいいのであるが、導入経費を考えると、一度機械を導入してしまうと、中身についてはあまり考えない企業が多いということなんだろうな。

 う~む、この辺の考え方が日本企業が弱くなっている理由かな。まさに「パソコン導入したからいいんでしょ」ってなもんだ。違うんだけどなあ。

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 多分、ジェトロの応援があったんだろけれども、なかなかの存在感を示していたのが、ここ「ベトナムパビリオン」。ベトナムのIT企業7社で共同出展していたのだが、このテのコンベンションで、面倒なのでほとんどチラシを受け取らないtsunokenが、思わずアオザイ姿の可愛らしいお嬢さんからチラシを受け取ってしまった。

 彼らの目的ははっきりしている。つまり「アウトソーシング」。

 チラシに曰く『「日本品質」×「オフショア価格」 日本の技術者の「たりない」を解決! 優秀なベトナム人プログラマーが1時間あたり¥1,800~』。勿論、これが全部ベトナム人プログラマーの手取り額ではないだろうが、800円ピンハネされても年収200万円。ベトナムなら十分高収入のクラスだ。いいぞ!

IT Pro EXPO 2013は10月11日まで東京ビッグサイトで開催中。公式サイトはコチラ

Nikon D7000 AF-S Nikkor 10-24mm @Tokyo Big Sight (c)tsunoken

2013年10月 9日 (水)

FITBIT FLEX使用開始

 以前使っていたFITBIT Ultraはパンツのポケットに差し込むスタイルだったので、結構なくす人が多かったようだ。

 私も、どこかの駅で切符を買おうとしたときにカバンに引っ掛けて落としてしまい、どうしようかと考えていたら、いつの間にかFITBIT Ultraは無くなってしまい、FITBIT ZIPかFITBIT ONEになってしまい、両方ともUltraと同じパンツのポケットに挟むスタイルなのであまり買う気にはなれなかった。

 そのうちJowboneというブレスレット・スタイルの万歩計が出たのでいいなと思ったのだが、これがiPhoneじゃないと同期できないようで、iPhoneユーザーじゃない私には無理。できればパソコンで同期したいのだ。

 と思っていたらFITBITからもブレスレット・スタイルの万歩計が出た。それがFITBIT FLEX。おまけに他のFITBIT製品はソフトバンクが販売・サポートを行っているが、それ以前からのFITBITユーザーとしては面白くないのだったが、FLEXはまだ出たばかりのせいか、ソフトバンクがサポートを行っていなかった。勿論、パソコンで同期できるのはFITBIT Ultraと同じ。

 で、早速Amazonで並行輸入。

2013_10_09_9916_edited1 これがFITBIT FLEX。腕に巻きつけて裏側の留め金をポチッとすればいい。Dashboardへのログインも以前のUltraの時のログインがそのまま使えた。

20131009_174012 面白いのがDashboardなのだが、今までのFITBIT Ultraの画面とはだいぶ違う。というだけでなく……。

20131009_173947 ログインした時に、それぞれ目標値をオーバーした科目については、こんなスマイル・マークが出てくる。

 勿論、そのマークはすぐに消えて、上のDashboard画面になるのだが、いろいろユーザーのモチベーションを上げる仕掛けを考えるFITBITである。1週間のレポートがどんな風にされるのか、それも楽しみになってきた。

 レポートが来たら、また以前のようにご報告します。

『マディソン郡の橋』じゃないですよ。じゃあ「城南野鳥橋」だな。

「建物の住人専用の駐車場のスペースに、古いシヴォレーのピックアップ・トラックが停めてある。  <中略>
 彼はトラックの運転席に乗り込んで、キャメルに火をつけ、頭のなかでチェックリストを点検した。各種のフィルムが二百本、ほとんどは低感度のコダクロームだ。三脚、クーラー、カメラ三台にレンズが五本、ジーンズとカーキのスラックス、シャツが数枚、カメラマン用のヴェスト。ようし。あとは、たとえ忘れ物があったとしても、途中で買えばいいだろう。」

 と書きだせば、それは『マディソン郡の橋』なわけだ。後の文章でカメラはNIKON F、レンズは24mm、105mm、300mmが登場するので、残りは多分35mmと50mmか、50mmと90mmか、その辺はクリント・イーストウッドじゃなかったロバート・キンケイドがどんな種類のカメラマンだったのかによって決まるんだけれども、NATIONAL GEOGRAPHIC系のカメラマンだととすると自然景が多いから望遠系かな、と考えると35mmはなくて50mmと90mmという組み合わせかも知れない。三脚はジッツォである。こういう装備でアイオワ州マディソン・カウンティに屋根付きの橋を撮影に行けば、メリル・ストリープみたいな農家のカミサンと逢瀬を楽しむことができるのだが。

 車は中古のベンツのセダン、カメラこそNIKONだが生憎D7000、なのでコダクロームじゃなくて4GBのSDカード、レンズはSIGMA APO 150-500mm F5-6.3 DG OS HSM という重装備で三脚はHAKUBAのカーボンであり、煙草はマールボロ・ライト、撮りに行った先は東京都大田区城南島じゃあ、農家のカミサンと会えるはずもない。

 というか、いままで500mmズームはTAMRON 200-500mmを使っていたのだが、これだとレンズ内モーターがないタイプなので、現在使っているNikon D7000だと使えずに、古いD50やD100を引っ張り出さないといけない。ということなので、レンズをグレードアップしたので、ちょっとしたレンズテストと慣れを兼ねた撮影行なのであった。で、望遠レンズといえば羽田空港のC滑走路の延長上にある城南島が航空機写真マニアにはお馴染みなのであります。

2013_10_03_76812 ANAのBOEING 787

2013_10_03_76942 AIR DOのBOEING 737

 BOEING 737あたりならあまり大きくないのでそんなに大変ではないけれども。

2013_10_03_75552 ANAのBOEING 747SR国内線用ジャンボは既に国内ではあまり見ない機材になってしまった。しかし、大きいね。大きすぎてカメラに入りきらないよ。

2013_10_03_73772 城南島のネコ(これが沢山いるんだ)も怪しからんという感じで見上げるのであった。

2013_10_03_72622 で、これが上記写真を撮影した機材。ニッパチ・レンズじゃなくてもなかなかの存在感でしょう。NIKON D7000+SIGMA APO150-500mm F5-6.3 DG OS HSM。まあ、デジタルカメラなもんで、この暗さでもいいんだけれども、レンズだけで1.78kgあるので、さすがに手持ちでは撮影不可能。なのでHAKUBAのカーボン製三脚を使用。これが軽くて持ち運びにとても便利。でもカーボンなので堅牢性の問題もなし。タテマエ上では150-500mmだけど、ニコンDXフォーマットなので、35mm換算で225-750mmになる。普通は手持ち可能なのは300mmの軽いレンズ(F2.8の重いレンズだと190~200mm)までなので、さすがに750mmだとちょっとね。

 しかし、超望遠で動くものを撮るのはとても大変です。400カット以上撮って、使えそうなものは数カット。確かに三脚を使っている以上機動性はちょっとね、ということはあるけれども、それでも大変。

 見た目ではそんな早くは見えないジェット機なんだけれども、この離陸時には既に300km/h位にはなっている訳で、結構速いんです。

Nikon D7000 Sigma APO 150-500mm F5-6.3 DG OS HSM & Fujifilm X10(モノクロモードで撮影) @Jonanjima Isl., Ota (c)tsunoken

2013年10月 8日 (火)

『許されざる者』全部ネタバレ……ったって、もう既にある映画のリメイクですからね

 黒澤明の『用心棒』をパクった『荒野の用心棒』に出演したクリント・イーストウッド。そのクリント・イーストウッドが製作・監督してワーナーブラザースが配給したのが『Unforgiven』。それをパクらせてくださいと李相日が考えて、渡辺謙がイーストウッドにお願いしたら、意外や意外OKが出てしまい、ワーナーブラザース・ジャパンが製作したのが『許されざる者』なので、これは一種の「先祖返り」なのかなと思った。

 予告編を見ると、何か完全に西部劇のリメイクって感じがして、ちょっと心配だったが。

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 勿論、映画を見る前にDVDで『Unforgiven』をみておさらい。っていうか、実はこの映画、公開当時に気になっていたにも関わらず、観ていなかったんだよなあ。何故だろう。

 人物設定は若干変わっている。

 主役がウィリアム・ビル・マニー(クリント・イーストウッド)=釜田十兵衛(渡辺謙)であり、二人の子持ちであることは変わりはないが、二人の子供の亡くなった母親(つまり十兵衛の妻)はアイヌである。マニーの妻がアメリカ先住民という設定は、多分ない。

 準主役のネッド・ローガン(モーガン・フリーマン)=馬場金吾(柄本明)はアメリカ先住民の女と結婚していたが、ネッド馬場は風来坊で、ウィリアム釜田に賞金稼ぎの話を持ってきたのはスコフィールド・キッド(ジェームズ・ウールヴェット)=沢田五郎(柳楽優弥)ではなく、ネッド馬場であった。

 ビッグ・ウィスキーを守るのは保安官リトル・ビル・ダゲット(ジーン・ハックマン)だが、鷲路の町を守るのは警察署長大石一蔵(佐藤浩市)。つまり、保安官は町から雇われた用心棒兼税務署長兼町長みたいなものだが、警察署長は行政組織のひとつ。つまり、国から認められていたのが警察署長なのである。当然、保安官殺しよりは警察署長殺しの方が罪は重い。

 その他の人物設定は原作『Unforgiven』とそんなに変わりはない。顔と心に大きな傷をつけられてしまった娼婦ディライラ・フィッツジェラルド(アンナ・トムソン)=女郎なつめ(忽那汐里)はまんまだ。

 ストーリー設定は先に触れた賞金稼ぎの話をウィリアム釜田に持ってきたのがスコフィールド沢田ではなくネッド馬場であったというものの他、ラストシーンもちょっと違っている。

『Unforgiven』では、ダゲットがマニーに「I'll see you in hell. William Munny」というのだが、『許されざる者』では、釜田十兵衛が大石になぶり殺しにされた馬場金吾の「地獄で待ってろよ」と声をかける。何か、こっちの方が、グンがヒデヨシに「地獄で鬼でもぶっちぎれ!」と言っているようで、ちょっとジーンときた、って分からない人には分からないでよろしい。

 そして一番の違いは、『Unforgiven』では「多分、カンザスの農場に帰ったウィリアム・マニーは子どもたちとサンフランシスコで堅気の商売に成功したらしい」という噂話をマニーの亡妻クローディアの母親が聞いたという話がスーパーされるのであるが、『許されざる者』では、どこへとも行方も知らぬ釜田十兵衛、そんな釜田十兵衛から命を受けて沢田五郎となつめが賞金を持って農場に帰ってくるところで終わる。多分、彼らは十兵衛の残された子供たちと一緒に平和に暮らすことになるのだろう、という余韻で終わるのである。

 まあ、確かに保安官殺しよりは警察署長殺しの方が重罪ではあるし、そんな重罪を犯した十兵衛を日本の警察が許すはずもないと考えると、十兵衛はどこへとも行方をくらますという方が納得がいけるし、自然な終わり方である。

 問題は馬場金吾をなぶり殺しにしてしまった署長大石一蔵の目的はなんだったんだろう、ということ。

 リトル・ビル・ダゲットは自分で自作の家を作っていて、そこで静かに暮らすのが望みだったというようなセリフが最後のマニーとの対決の中で出てくる。つまり、ダゲットにとっては、なんかとっても小市民的な夢があって、それを実現するために小さな町で権勢をふるっているわけなのだが、それをちょっとやりすぎちゃったんで最後はマニーに殺されるという、なんか少しは良心というか、小心者的なちょこっとした隙間はある。

 一方、大石一蔵の方の小目的、大目的は何だったんだろう。多分、役人として北海道のそれも札幌からかなり離れた場所にある鷲路という超弩級の田舎町に赴任してきたというのは、そうとう忸怩たるものがあるはずである。自ら選び取るスタンスとしては、①何とかして札幌あるいは内地へ帰ろうとして、一生懸命任務に励むあまりやりすぎてしまう②もうこんな田舎町に赴任してきた以上は、好き勝手にやって札幌や内地になんか帰らなくてもいいもんね、的な『地獄の黙示録』のカーツ大佐みたいになってアイヌや住民たちを暴力的に支配してしまう、という二つがあると思うのだが、どちらにせよ町民にとってはちょっと迷惑、ちょっと頼もしい、という相反する感情があるだろうか。

 しかし、大石の目的っていうのが画面の表には表れてこない。果たして、大石は「根っからの悪者」なのか、それとも「立場からやむなく悪者になっている」のか、あまりはっきりしない。まあ、その辺は「日本映画」。

 そんな訳なので、私は大石一蔵よりはリトル・ビル・ダゲットの方に肩入れしたくなるのである。えっ? そんなに悪人ではないじゃん。という具合に。

 つまり私も小心者だということです。ハイ。

 しかし、映画のラスト、釜田十兵衛(=渡辺謙)の目のどアップで終わるというのは完璧に日本映画のセオリーである。なかなかやるな李相日。ハリウッドは基本的にロングショットで終わります。

 ということは『許されざる者』は完全に日本映画になっていたってこと?

『許されざる者』の公式サイトはこちら

2013年10月 7日 (月)

関東学生ラクロスリーグ、レギュラーシーズン終了

 8月15日に開幕した関東学生ラクロス男子リーグ戦も昨日10月6日で早くも終了。これ以降は、1部Aブロック、Bブロックの各1位、2位通過のチームによる関東大学選手権、各地域の優勝校による全日本大学選手権が12月1日まで行われ、そして12月15日のクラブチームチャンピオンとの全日本選手権と、長いながいポストシーズンが始まる。

 最終戦を待たずにいち早く早稲田大学(1位通過)と明治大学(2位通過)のファイナル4出場を決めた1部Aブロックに比べて、1部Bブロックはこれまで圧倒的な強さを誇った東京大、一橋大の一角が崩れてしまっている。東京大学の1位通過はなんとか見えてきている(?)が、2位通過を巡って法政大、立教大が争うという混戦状態となっており、特に立教大は二校に一橋大、東海大を加えた勝敗次第では、ファイナル4出場、1部残留、入れ替え戦出場というすべての可能性がある状況となっていて、目が離せない。

 昨日の第一試合、立教大vs.一橋大戦で立大が勝ち、第三試合、東京大vs.法政大戦で東京大が勝てば立教の2位通過、ファイナル4出場。法政大が勝てば立教大はブロック3位で1部残留。立教大が負けて、第四試合、東海大vs.上智大戦で東海大が勝つと東海大4位、立教大5位、上智大6位という具合に、立教大の2部との入れ替え戦が待っているという状態だったのである。

2013_10_06_78162 チームフラッグを掲げて入場する立教大メンバー

2013_10_06_79562 第1クォーター(Q)、古後が先取点を奪い、立教リードといういい形でゲームは始まった。

 しかし、その後が両チームとも思った通りには行かずに一進一退を続ける。

 1Q、1対1。2Q、1対1。動きが見えたのが第3Qで3対2となり、一橋1点リードで迎えた第4最終クォーター。立教は同点にまで持ち込むと、ゲーム終了寸前で立教が決勝の逆転ゴール。

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 ここは一橋クロスチェックを求めるがノープロブレム。結果、フェイスオフは無しで立教の攻撃となり、時間を使った立教の勝利となった。

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2013_10_06_85742 喜びに沸く立教メンバー。

 で、この後第三試合の東京大vs.法政大戦は東大圧倒的有利というのが下馬評だったので、ほとんどファイナル4出場のつもりになった立教セインツ・メンバーであったのだが……。

 直接対決で立教に負けている法政大は、東京大に勝てばブロック1位通過、負ければ4位という状況に一番前向きに向き合ったのかも知れない。一方、東京大は勝てば1位通過、負けても2位通過という、ある種「お気楽な立場」。

 この心理状態が働いたのであろう、試合結果は何と8対5で法政大の勝ち。

 その結果、1部リーグBブロックは1位通過・法政大、2位通過・東京大、3位・立教大、4位・一橋大ということになり、東海大と上智大が2部との入れ替え戦に回ることになった。

 ということで、残念ながら立教大学男子ラクロス部の今年のシーズンは1部残留ということで昨日でおしまい。4年生は昨日で引退。

 あとは、皆さん勉学に勤しんでください。

 えっ? まだ就職が決まっていない人もいるって? じゃあ、そういう人たちは最早就活だけに集中できますね。

 ガンバレ、立教生。

Nikon D7000 AF-S Nikkor 70-300mm @Komazawa, Setagaya (c)tsunotomo

2013年10月 6日 (日)

『クロニクル』っていうよりは、まんま『AKIRA』だな、こりゃ

『クロニクル』というタイトルでいかにも「記録映画です」ってな作りなのだが、内容はまんま『AKIRA』なのであります。

 さすがに20世紀FOXだとこういうことが出来ちゃうんだ。いつまでたっても実写版『AKIRA』の企画を辞められないワーナーブラザースじゃできない芸当ですね。

20131004_100940『CHRONICLE』(原案・監督:ジョシュ・トランク/原案・脚本:マックス・ランディス/製作:ジョン・デイビス/アダム・シュローダー/配給:ワーナーブラザース)

「撮影前に『AKIRA』と『エレファントマン』。それとドキュメンタリー映画を2本、監督からわたされたんだ」と語るのは主人公アンドリューを演じたデイン・デハーン。そうまさしく『AKIRA』のサイコキネシス表現のまんまパクリなのである。

 大友克洋氏は『AKIRA』を描くときに、それまでのマンガやアニメでサイコキネシスを描くときに波動を実際に描いたりや光の束などで分かりやすく表現していた方法をやめ、そんなものはあり得なくてなんにもないところで周囲の空間が歪んだり、周囲の人やモノ、壁や建物が「勝手に壊れていったり」する方法をとった。まあ、それがサイコキネシスを表現する当然の方法であったわけであるが、そういう表現をとったために、その様子が「実にリアルである」という具合に評価されたわけだ。

 映画は主人公アンドリューが日常をすべて記録しておこうという考えから使い始めたキャノンのXLシリーズのハイビジョンカム(最初の頃、途中からはHFシリーズになる)の映像と、ブログで映像を発表するために日常を撮影し続けているケイシー(アシュレイ・ヒンショウ)の、こちらはソニーのVGシリーズで撮影している映像だけで構成されている、というタテマエをとっているので、どこかドキュメンタリータッチなのです。というけれど、実際の手持ち撮影であんなに画面が安定していることはないので、これはウソということがすぐにわかる仕掛けになっている。ステディカムでも使わない限りは、そんなに手持ちでそんなに画面は安定しないのだ。今はステディカム以外にもカメラスタビライザーはいろいろ出ていて、それこそ本当の手持ちカメラで画面が安定させる方法はいくらでもあるが、映画の場面を見ている限りはそんなものは使っていないので、まあ、やっぱりウソですね。

 で、お話は三人の高校生がある日どことも知れぬ洞窟に入って、そこにある妖しく光る物体に触ることによって超能力を得るというお話。

 この辺が、もともと超能力の芽を持っていた子どもたちを、科学者たちが寄ってたかってもう力開発をするという『AKIRA』の方がなんかリアルですよね。結局、鉄雄もそんな科学者たちの手によって能力開発をされて、異常な破壊力を獲得したのであった。

 で、アンドリューが鉄雄だとすると、もう一人の超能力者マット(アレックス・ラッセル)の立ち位置はやっぱり金田なんだろうな。で、更にもう一人の超能力者で生徒会会長立候補者の黒人スティーブ(マイケル・B・ジョーダン)はもしかしたら大佐の役回りかなと思ったら、アンドリューに早いところ殺されてしまい、なんか中途半端な存在である。

 結局、物語に決着をつけてアンドリュー鉄雄を殺してしまうのは、金田マットなんだよな。この辺はお約束。原作『AKIRA』(って訳ではないですけれどもね)では、鉄雄を別の世界に送っていてしまい自分たちも一緒にいなくなるのは三人の年老いた少年少女たち。金田はすんでのところでケイに呼び戻されて現実世界に帰ってくるというストーリーである。

 とまあ、ストーリー的にはどちらがいいかは、お好きなようになのだが、『AKIRA』の方がもうちょっと重層的な話になっていて、その辺がハリウッド的には実現が難しく、ワーナーブラザースが何回も脚本を作り直してもうまくいっていないところである。私としては、3.11WTCビルの崩壊というのをうまく使えば、廃墟になった東京がそこから再生し、2020年の東京オリンピックに向けて、人々の記憶からAKIRAの災厄を忘れさせようと躍起になっている政府の姿という、まさしく『AKIRA』的な世界観をアメリカでも作れる機会じゃないかとも考えるのだが、なかなかそうは単純にはいかなそうである。

 一方、このように別会社になってしまうと、簡単に超能力表現をパクって、単純なストーリーでもって映画を作ってしまうということなんだろうな。実に単純。

 まあ、同じアメリカ人でも、国が外国から信用を失ってもいいから自分たちの主張を押し付けるんだという共和党茶会派みたいな単純バカもいれば、いろいろ日本人の原作者のことを慮って考える人もいるってことで、なかなか国をまとめるのは難しいようである。

 で、本作でもそうなのだが、黒人のスティーブは生徒会長に立候補するくらいなので、結構インテリなんだろうし、どうも生家もそれなりのちゃんとした家のようだ。多分、黒人インテリ中流家庭の育ちなんだろう。一方、アンドリューは、父親が元消防士だったのだが負傷し、その保険だけで自堕落な生活を送っている下層階級に育っている。マットはアンドリューの従兄なんだが、多分これも中流家庭の育ちであろう、リベラルな考え方を持っている。

 そうか、いまのアメリカでは映像で描くとなると、むしろ黒人の方を社会階層的には上に描き、白人は就業機会もないような下層階級に描くことが普通になってきているんだな。確かに、黒人大統領がいる国で、いつまでも「白人=上・中流」「黒人=下層」ってことはないか。現実的に「白人下層」と「黒人下層」が下層争いで鎬を削っている状態で、しかし経済的上流階級にはやはり白人しかいないという矛盾を抱えつつも、しかし、もはや黒人や有色人種を下層として映像に描くことはほとんどタブーというよりは無意味になっているんだろうな。

 まあ、その辺はキチンと押さえておきながら、しかし、映画としては『ブレアウィッチ・プロジェクト』あたりが対抗線になるんだろうが、はたしてどちらに軍配があがるんだろうか。

 私としては『ブレ……』おっと、これは言ってはいけないか。

 映画は10月10日までの限定公開なので、見るのならお早目に。

『クロニクル』の公式サイトはコチラ

 見逃してしまった人はコチラをどうぞ。

 映像的にはどっちもどっちもです。

2013年10月 5日 (土)

ホンダのブースがとんでもなくオカシイという話

 そろそろ飽きてきたCEATECネタなので、これで今年は最後です。というかCEATEC JAPAN 2013は今日でおしまいです。

 で、ホンダのブース展示がなんかおかしいぞ、っていう話題。

 勿論、ホンダだって一人乗りエレクトリックビークルと、それを使ったスマートハウスなんかの提案をしていて、そこはCEATECだもんね、ってところなのだが。

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 えっ? 何? EXlinkって?

 つまりエンジンのコネクティング・ロッドのビッグエンド側に工夫があって、エキセントリック・シャフトとリンクを使って、4サイクルエンジンの吸入時にはピストンの動きが少なく、膨張時にはピストンの動きが大きくなるというもの。

 つまり吸入時のピストンの動きが少ないので燃料の吸入は少なく、つまり燃料消費量は少なくなり、膨張時にはピストンの動きが大きいので出力は大きくなる、要は熱効率が圧倒的によくなるというスグレモノ。130年前にジェームス・アトキンソンが考案したアトキンソン・サイクルというリンクを使ったエンジン形式なんだけれども、機構が複雑になる、構造が大きくなるなどのマイナス点があったため、これまでの自動車エンジンはすべてクランクシャフトとコンロッドを直結するオットー・サイクルという考え方で作られてきた。

 そこをホンダはリンクをいろいろ工夫してEXlinkとして実用化したわけだ。

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 概念図だけではなく、カットアウトモデルや、発電機への実装モデルなんかも展示していて、いずれは自動車のエンジンにも使ってくるだろうということを容易に予想させる。

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 でも、これってモーターショーネタでCEATECネタじゃないでしょ。

 おまけに、ダニー・ペドロサが乗るレプソル・ホンダRC213VというMOTO GP参戦車って、完全にCEATECネタから離れている。そりゃあ、レーシング・モーターサイクルだって点火系統にはIT制御はしていますが、基本的にはガソリン・エンジンでしょ。

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 で、極め付けがコレ。

 要は、モータサイクルのエンジンの排気熱で後ろのヤカンでお湯を沸かすってスマートな考え方でしょ、って全然スマートじゃないですから。というか、完全に「スマート」をおちょくってるとしか言えないぞ、これは。

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 なんか、お隣の第7・第8ホールのUNI-CUBのデモはスゴイなって思わせといて、お隣の第6ホールのブースでのこの脱線のしっぷりを見ると、何かホンダっていうメーカーのお茶目っぷりと余裕みたいなものを感じさせるのだけれども。

 と、最後はホンダブースの脱線ネタで、今年のCEATEC JAPANレポートは終わります。

CEATEC JAPAN 2013の公式サイトはコチラ

Nikon D7000 AF-S Nikkor 18-105mm @Makuhari Messe, Chiba (c)tsunoken

2013年10月 4日 (金)

CEATEC JAPAN 2013 雑感 まとめにかえて

 ということで、そろそろCEATEC JAPAN 2013ネタ、まとめに入ります。

 CEATEC JAPANと言えば、昔のエレクトロニクスショー(略してエレショーなんて言ってた)から2000年に名前が変わったわけなので、基本的にはエレクトロニクスメーカーの展示会なわけなのである。

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 なので、こうしたdocomoのウェアラブルコンピュータの展示や、intelのバーチャルリアリティーなんかを見ていると、「おお、やっぱりエレ・ショーや」という感じで懐かしくなるわけですね。まあ、docomoの展示はまだまだプロトタイプって感じなんだけど。

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 がしかし、やっぱり今や自動車メーカーや、その関連メーカーの出展が目立ってくるんですね。

 で、いまやエレクトリック・ビークルは当たり前の時代になって、問題は充電をいつするか、今でしょという問題なのである。燃料の給油みたいに短時間で補給が出来ない電気というものを如何に便利に充電するかという問題。

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 そこで今注目されているのが、この「非接触充電システム」ってやつ。これはトヨタホームのスマートハウスの展示だが、そこ以外にも多くのブースでこの非接触充電システムは提案されている。

 まあ、まだ提案の段階で実用化されている技術ではないのだが、これが実用化されれば、別にクルマばっかりじゃなくて、パソコンだって、スマホだって、基本的には持ち歩き用デバイス(クルマもそういえば持ち歩けないけれども、モバイルデバイスであることは間違いない)にはすべて使えるわけで、出先で電池が切れちゃったなんて悲喜劇は起こらなくなるのである。

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 TDKのブースでも北京汽車のベンツBクラスにそっくりなエレクトリック・ビークルを展示してあるなど、自動車メーカーの家電メーカー化はさまざまなところで起こっていることなのですね。

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 これは自動車にも家電にも関係ないが、2015年北陸新幹線の開通を前に、東京・名古屋・大阪経済圏からのアクセスも良いし、地震のリスクも少ない(ただし原発リスクは高い)富山・石川・福井へのハイテク企業誘致を行っていたり、TAIWAN ELECTRICAL AND ELECTRONIC MANUFACTURERS ASSOCIATIONが日本への部品輸出を狙って展示をしていたり、いつもの地味な出展も、いつもの通り沢山あるのである。

 勿論、こうしたブースは専門家向けなので、訪れる客は少ないですがね。

 と言いながら、明日ももうひとつCEATECネタをやります。それで最後かな。だってCEATECももう終わっちゃうしね。

CEATEC JAPAN 2013の公式サイトはコチラ

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2013年10月 3日 (木)

4K、4K、4Kって言ったって、一体何を見るのさ?

 CEATECネタは今日も続きます。

 で、昨日は自動車メーカーの話だったんだけれども、今日はCEATEC本来の家電メーカーのお話。

 当然、各メーカーが今一番売りにしているのが「4Kテレビ、4Kモニター」。

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 なんかなあ、勿論、今の1K(走査線1080本)のハイビジョン映像に比較すれば、その4倍の走査線がある4Kテレビの映像は綺麗ですよ。デモ映像もそんな綺麗な画面を際立たせるための高精細映像ばかりだ。デモだからねデモ。

 デモ私たちはそんなに綺麗な画面のテレビで何を見るのか。というかテレビ局はどんな高精細な番組を提供してくれるのか、ということが問題なのである。

 テレビ局の個別番組の制作予算は、現在のテレビの置かれた財政的状況を見ると、今後とも下がることはあっても上がることはまずないだろう。だとすると4Kテレビでもって我々が見るのは、結局はひな壇芸人のくだらないトークか、たいして面白くもない下手くそ芸人の芸や、どこかの町のB級グルメを貪る半端芸人の姿でしかないわけだ。それでも制作費は増えるんだから、やってられないよね。

 まあ、浅田真央や安藤美姫のフィギュアスケートなんかは、4K画面で見れば「大変美しく見ることができる」だろう。NHKの大河ドラマも制作費をかけて、埃だらけで汚い京都や、汚い岩崎弥太郎などを実にリアルに見せてくれるかも知れない。

 が、せいぜいそんなものだろう。つまりオリンピックと大河ドラマだけが4Kテレビで見るに値するコンテンツってこと。

 その他の大半の番組は、上記のような今の「1Kハイビジョンで見ても、全然美しくない番組」ばかりだろう。

 さらに、これは1Kハイビジョンの導入の際にも言われたことなんだけれども、ハイビジョンになるとよりリアルに被写体が写ってしまうので、女優は皺が写ってしまってこまる、なんてこと。つまり、よりリアルになった画面で、より美しくない半端芸人の姿を我々は見なければならなくなってしまうのである。

 劇場のビデオ上映システムは現在既に一部で4Kや8Kでの上映をしており、こうした分野では4K、8Kシステムは採用されるであろうが、家に数百~数千インチみたいな大きな画面は入りきらないわけで、せいぜい6畳~12畳位だと、入っても50インチ~200インチ位だろう。だったら、現在の1Kハイビジョンで充分だと考えるのだが、如何。

 なんか3Dテレビなんかと同じ道を辿ってしまうような気がする4Kテレビなのであった。それともこれもガラパゴス化?

 明日もまだまだCEATECネタ続きます。

CEATEC JAPAN 2013の公式サイトはコチラ

Nikon D7000 AF-S Nikkor 18-105mm @Makuhari Messe, Chiba (c)tsunoken

2013年10月 2日 (水)

CEATEC JAPAN 2013 自動車メーカーの存在感増す

 昨日から10月となり、いよいよコンベンションの季節がやってきた。

 まず最初は幕張メッセで10月1日から5日まで開催中のCEATEC JAPAN 2013 に行ってきた。

 CEATECとはCombined Exhibition of Advanced Technologiesの略で、Adavanced Technologies なんだから、別にIT&エレクトロニクス分野だけじゃなくても参加は自由である。ということから、昨年あたりから自動車メーカーや関連メーカーの参加が増えてきている。

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 特に今年は日産、トヨタ、ホンダの3社が走行デモを行うというので、幕張メッセの第7・第8ホールすべてをこの3社のために使わせるということになった。多分、3社の出展料もバカにならなかっただろう。

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 で、日産はAutonomous Driveという、昨年は車庫入れ自動化というデモだったのが、今年は実際の街での走行シュミレーションを行っていた。

 Autonomous DriveというのはNISSAN RESEARCH CENTER SILICON VALLEYで研究が進められている自動運転システムで、Googleなんかも実験を進めている分野である。

 システムは既に商品化されている「アラウンドビューモニター」のカメラとリアビューモニターで周囲をセンシングして、5台のレーザースキャナーで道路の周りの障害物や他のクルマの動きを捉え、クルマに搭載された人工知能によって、相手のクルマの動きを先読みし、シーンに応じた停止・発進の判断を行い、自動的にクルマを運転するというもの。

 まあ、デモを見ているとドライバーが乗っているので、何となく「普通じゃん」とも思えてしまうのであるが、実際にはドライバーは何もしていないのだから、凄いAdvanced Technologyなのである。

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 ホンダはUNI-CAB(ユニカブ)というパーソナルモビリティー。

 ASIMOなどで開発したバランス制御技術を応用し、全方位駆動車輪機構(Honda Omni Traction Drive System)によって、身体を傾けて体重移動するだけで全方位への自由自在な移動を可能にするというもの。

 カブという名前がいかにもホンダって感じでいいですね。

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 トヨタのWinglet(ウィングレット)も体重移動で前後左右に動けるパーソナルモビリティーだが、ホンダの座った姿勢なのとは違い、こちらは立った姿勢で乗る。

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 いずれも(日産もホンダもトヨタも)ロボット技術を応用した自動化装置なのだが、この3社を比較してみると、日産がちょっとリードかなという感じがしてくる。

 自動車のエレクトロニクスは最初は点火装置の効率化のために採用されたものだが、その後の進歩によって、変速装置、エンジンコントロールシステム、カーナビ等々、今や自動車もエレクトロニクスの塊になってしまっている。その最終形が日産やGoogleが実験している「自動運転システム」なんだろうが、そうなってしまうと「クルマを操縦する楽しみ」なんてところからはまったく離れたクルマの使い方なんてものが出てきそうである。

 まあ、Fan to Driveなクルマはそれでも作り続けるだろうが、一方こうした技術が進歩すると、何かクルマを運転する資格のない人までクルマを運転してしまう時代が来そうで、ちょっと怖い気もする。

 本日からしばらくCEATECネタ続きます。

CEATEC JAPAN 2013 の公式サイトはコチラ

Nikon D7000 AF-S Nikkor 18-105mm @Makuhari Messe, Chiba (c)tsunoken

2013年10月 1日 (火)

『脱社畜の働き方』というか、今の時代の働き方の提言だな

 どこかのブログを読んでいたら出てきた本なので読んでみた。

 まあ、面白いことが書いてあるのは事実なんだが、世の中そんなにブラック企業ばっかりじゃないぞ、という気分にもなったりするのである。

20130930_152656 『脱社畜の働き方~会社に人生を支配されない34の思考方法』(日野瑛太郎著/技術評論社/2013年9月7日刊)

 面白いのは「社畜の思考法」と「脱社畜の思考法」というのが示してあって、つまりそれが34あるって訳なのだ。勿論、ここではそれを全部紹介しちゃおう。

●社畜の思考法 仕事とは、理不尽なことに耐えること。 ○脱社畜の思考法 仕事とは、価値を生み出すこと。
●社畜の思考法 若いうちの苦労は買ってでもする。 ○脱社畜の思考法 若いうちのしなくていい苦労は時間の無駄。
●社畜の思考法 会社で働くことは「奉仕」。サービス残業は当たり前。 ○脱社畜の思考法 会社で働くことは「契約」。サービス残業は契約違反で重大犯罪。
●社畜の思考法 会社の業績が悪いのだから、残業代が出ないのも仕方がない。 ○脱社畜の思考法 会社の業績は自分とは関係ないことだ。残業代はきっちりもらう。
●社畜の思考法 自分はまだ半人前なので、残業代をもらうような権利はない。 ○脱社畜の思考法 時間外労働をしたのだから、残業代は堂々ともらう。
●社畜の思考法 「社会人」としての自覚に欠ける行動は慎むように気を付ける。 ○脱社畜の思考法 「社会人」という言葉が出てきたら鵜呑みにせずに「社畜」に置き換え警戒する。
●社畜の思考法 風邪をひいたのは自分の体調管理ができていなかったせい。 ○脱社畜の思考法 風邪をひいたのは運が悪かっただけ。
●社畜の思考法 有給を全部使い切るのは「非常識」。 ○脱社畜の思考法 有給を全部使い切るのは「当たり前」。
●社畜の思考法 有給の取得は「申し訳ないこと」。 ○脱社畜の思考法 有給の取得は「必要なこと」。
●社畜の思考法 理由もないのに有給を取るなんてありえない。 ○脱社畜の思考法 理由がなくても、休みたい時は有給を取って休む。
●社畜の思考法 同僚の有給取得を、妬ましく思う。 ○脱社畜の思考法 同僚が有給を取る時は、笑顔で送り出す。
●社畜の思考法 長時間働いている人は頑張っていて偉い。 ○脱社畜の思考法 長時間労働で人の頑張りは測れない。
●社畜の思考法 「残業」が原則、「定時」が例外。 ○脱社畜の思考法 「定時」が原則、「残業」が例外。
●社畜の思考法 スケジュールは、残業前提で組む。 ○脱社畜の思考法 スケジュールは、定時前提で組む。
●社畜の思考法 先に帰る人を見て、「あいつだけ先に帰りやがって」と思う。 ○脱社畜の思考法 先に帰る人を見て、「自分も早く仕事を終わらせて帰ろう」と思う。
●社畜の思考法 他人の幸せを妬み、足を引っ張ろうとする。 ○他人の幸せを、自分のことのように喜ぶ。
●社畜の思考法 仕事で自己実現しなければなない。 ○脱社畜の思考法 仕事と自己実現は別のもの。
●社畜の思考法 好きなことを仕事にしているから、給料は安くてもいい。 ○脱社畜の思考法 好きなことが仕事でも、給料はしっかりもらう。
●社畜の思考法 仕事だけが、人間を成長させる唯一の機会。 ○脱社畜の思考法 恋愛、結婚、出産、育児、成長の機会は仕事以外にもいくらでもある。
●社畜の思考法 「成長」すること、それ自体が目的。 ○脱社畜の思考法 目的達成のために、手段として「成長」する。
●社畜の思考法 つらいことを乗り越えた先に「成長」がある。 ○脱社畜の思考法 つらいことはできるだけ避けて、楽しみながら「成長」する。
●社畜の思考法 会社は「家族」なので、どんな時でも精一杯尽くす。 ○脱社畜の思考法 会社は「取引先」なので、状況に応じて距離をとる。
●社畜の思考法 会社には定年まで必死にちがみつく。 ○脱社畜の思考法 転職する覚悟だけはいつでもしておく。
●社畜の思考法 常に「経営者の目線」を持って仕事にのぞむ。 ○脱社畜の思考法 常に「従業員の目線」を忘れずに仕事にのぞむ。
●社畜の思考法 ポータビリティの低い仕事ばかりしてしまう。 ○脱社畜の思考法 できるだけポータビリティの高い仕事を探す。
●社畜の思考法 どんなにつらくても、社会人なら逃げてはいけない。 ○脱社畜の思考法 つらくなったら、無理しないで逃げる。
●社畜の思考法 うまく働けないのは、自分のせい。 ○脱社畜の思考法 うまく働けないのは、環境のせい。
●社畜の思考法 自分に合った会社に就職できなかたのは自分の責任。 ○就職はどうせくじ引き、うまくいかないことも当然ある。
●社畜の思考法 食事や睡眠の時間を削ってでも仕事をする。 ○脱社畜の思考法 仕事のために、食事や睡眠が犠牲になるなんてとんでもない。
●社畜の思考法 人生の中心にあるのは仕事である。 ○脱社畜の思考法 仕事は人生のほんの一部にすぎない。
●社畜の思考法 大企業に就職、マイホーム、奥さんと子ども。これが幸せの条件だ。 ○脱社畜の思考法 自分が幸せになる方法は自分で決める。他人や世間は関係ない。
●社畜の思考法 給料の額だけに注目して、時間のことは考えない。 ○脱社畜の思考法 月給・年収だけではなく、時給も大事。
●社畜の思考法 いろんな作業を同時並行でやろうとする。 ○脱社畜の思考法 一つの作業に集中できるように働き方を工夫する。
●社畜の思考法 家に帰っても、仕事のことで頭がいっぱい。 ○脱社畜の思考法 家に帰ったら、プライベートのことで頭がいっぱい。

 以上が「34の思考法」なのであるが、しかし、見ればそんなことに当てはまるような企業ってそんなにあるんだろうか、っていうような気にもなってしまう。

 まあ、日野氏が入った会社が、割とできたばっかりの新興IT関連企業だったのかもしれないが、ブラックな企業ってそれほどあるものじゃないってこと。言ってみれば、それだけ日野氏が入った会社がブラックに近かったので、日野氏もそこからテイク・オフしようとしていろいろなことを始めたわけであるのだが、それでいいのである。

 あるいは、別に勤めている会社がブラック企業じゃなくても、別にそこから起業したっていい。要は、人の働き方って自由でいいし、働かない自由だってあるのである。別に、それは勤めている企業の問題じゃなくて、自分自身の生き方の問題なのだ。

 取り敢えず、上記の34の指標を参考にして、自分の会社はどうなのかを判断して、自分の生き方を決める、っていう方法はありそうだな。

 別に今いる会社を辞める必要もないのであるし、辞めるのも自由だ。

『脱社畜の働き方~会社に人生を支配されない34の思考方法』(日野瑛太郎著/技術評論社/2013年9月7日刊)

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