写真のフクシュウ 荒木経惟の言葉
『この本の使い方
How to use this book
荒木経惟とは何者か!?
彼が何気なく発してきた言葉は、
写真が上達するヒントにあふれている!?
強烈な言葉と作品を、
年代別、キーワード別に読み解いていきます。
その行為は本書のタイトル通り、
写真を「復習」すること。
同時に、これを機に
写真をより深く知るようになれば、
写真に「復讐」されることだって
ありそうですからご注意を。』
そうか、だから『写真のフクシュウ 荒木経惟の言葉』なのか。
『写真のフクシュウ 荒木経惟の言葉』(山内宏泰著/パイ インターナショナル/2013年7月19日刊)
『写真って撮ったらすぐにどんどん過去になっていくけど、あんがいこの日付がないと現在になっちゃうんだよね。結局、アタシにとっての写真行為っていうのは、日付を入れて撮っていくことだね。写真がアタシの人生だし生活だし、日記はそれこそその日のことを記録することだから。日付入ってたほうが、アタシにはぴったりみたいな感じがする。だからこれは絶対やめないんだよ。死ぬまで続ける』
って言ったって、その日付は本当の日付ではないのだ。縦横無尽にいじくった嘘の日付。まさしく「偽ルポルタージュ」それが荒木経惟の本来の姿である。
荒川区三ノ輪の吉原芸者の投げ込み寺として知られる浄閑寺。その浄閑寺の門前にある下駄屋の息子が荒木経惟だ。そんな浄閑寺における死生観が、多分荒木の写真にはある。
『頼まれた仕事も「日常」ってことでは、自分の日常と同じなんだよ。ラブホテルで撮ったAV(女優)も、タクシーの窓から撮った「クルマド」も、スタジオで撮ったポートレートも全部一緒』
『「撮らせて」って言ったときから、
写真はやらせなんですよ』
『写真なんていうのは、絵とか宗教と違って直接的だろ。そういう表現のものなのに、エロスがなくなったらどうしようもない』
『たとえば冬の夕方、駅で妊婦が夫を待っている。夫の姿がホームに見えた。その時の妻の顔。団地に帰っていく二人。部屋にはいる。きょうは寒いから水たきでもしようということになる。こいつだよなあ。この日常の事実には何もかなわないわけだよ』
この日常の裏側にあるのはエロスである。荒木にはこの二人が水たきを食べた後に性行為をするところまでも見えているというのだろうか。そう日常の裏側には性行為がある。
『空間じゃなくて、
時間をフレーミングするんだよ』
結局、荒木経惟も、森山大道と同じことを言うに至る。
『もう少したつとプロと素人の差は明確になってくるよ。便利なものが出れば出るほど逆に。事実は銀塩写真のほうが技術とかなんとかあるからごまかしがきくじゃない。デジタルにはそれがないから逆に、本当の本人の人間性がわかるようになるよね』
ますます写真から「復讐」されそうだ。
『写真のフクシュウ 荒木経惟の言葉』(山内宏泰著/パイ インターナショナル/2013年7月19日刊)
浄閑寺門前の荒木経惟の実家の下駄屋があった場所。今は駐車場になっている。
EPSON RD1s Leica Elmarit 28mm/F2.8 @Jokanji Temple, Minowa, Arakawa (c)tsunoken
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