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2013年9月23日 (月)

『定年後のリアル』は定年後の世界を変える気のない人の本

 人は皆、一様に歳をとる。しかし、その歳のとり方は、人が100人いれば100様に違うのである。なので、そんな人の歳をとったあとの生き方について何か「こうした方がいいですよ」なんてことがいえる訳はないのである。もしそんなことを言ったり、本に書いたりしているひとがいたとしたなら、そんな人は詐欺師か、あるいはトンでもない大馬鹿か、現状認識がまったくできないうつけである。

2013_09_15_43962 『定年後のリアル』(勢古浩爾/草思社文庫/2013年8月9日刊)

 なので勢古浩爾氏も本を:

『天気がよくて、とくに用事がなければ、ほぼ毎日、自転車で市内の公園に行く。日課だといってもいい。そこで過ごす一時が気持ちいいのだ。五十九歳と六カ月ですこし早めの退職をしたが(理由はいくつかある)、それ以来すでに二年半が経ってしまった。早いものだ。まだ一年ほどの感覚しかないのに。
 書斎代わりに使っていた駅前の喫茶店が閉店してから、行くところがなくなり、市内や近郊を自転車でぶらぶらしていたときに、その公園を見つけた』

 で書きはじめ:

『今日もまた大した成果なし。まあ、いいや。よくはないが、いいや。今日の日が暮れてゆく。昨日とおなじ単調な今日。が、二度と帰って来ず、どんなに昨日とおなじように見えてもちがう今日という日が終わる。今日一日に感謝。なんてことはない。また電車に乗って地元の駅に帰ってくる。会社員や学生で一杯だ。みんなご苦労さん。
 さて自転車に乗って帰路につくか。人間界の俗事を離れた束の間の時間も終わりだ。とりあえずまた、今日と同じ明日がやってくるだろう、とは思わない。暗くなったな、日が短くなったもんだ。自転車のライトをつけ、ペダルを踏んで漕ぎだす。いつかこの先、なにかいいことがあるんだろうか? もうないのか?』

 で、書き終わる訳なのだ。

 それで「定年後本一丁上がり」ってやってしまったら、しかし、そんな本は誰も買わないので、やむなく上の「書きはじめ」と「書きおわり」の間に、ほとんど意味のない三百代言を書き連ねる訳である。

  それでも多少は参考になりそうな内容は以下の部分くらいなものか。

『しかしですね、いまさら団塊の世代が身の不幸を嘆くことは許されないですな。まあ、それなりにがんばって働いてはきた。しかし、終身雇用の恩恵を最後に受けた世代であり、そうでありながら、口ではえらそうなことばかりをいい、態度は尊大で、そのくせあっさりと集団転向したのであって、ようするにけっこう無責任な世代だったのである。まあ、みんな自業自得であるといっていい。後続世代はもっときついのである。それなのに、「定年になったらきっぱり辞めてやるよ」と見栄を切っていたくせに、いざとなったら、役職にしがみついてはいないか?』

 と、これについで半沢直樹のこんな言葉を引用する。

『バブル時代、見境のないイケイケドンドンの経営戦略で銀行を迷走させた奴ら――いわゆる"団塊の世代"の奴らにそもそも原因がある。学生時代は、全共闘だ革命だとほざきながら、結局資本主義に屈して会社に入った途端、考えることをやめちまった腰抜けどもよ。奴らのアホな戦略のせいで銀行は不況の長いトンネルにすっぽりと入っちまったというのに、ろくに責任もとらないどころか、ぬけぬけと巨額の退職金なんてもらってやがる。オレたちはポストも出世も奪われていまだに汲々としたままだっていうのにな』(池井戸潤『オレたち花のバブル組』文春文庫)

 いいこと言うぞ、半沢直樹! しかし、これは小説の中のこと。半沢直樹どころじゃない「恨み節」が世の中には渦巻いている。中小零細企業に勤めた勢古浩爾氏だって、それは同じこと。だからこそ、勢古氏は偉そうに三百代言を言わないようにしている訳であるな。

 で、結局、勢古氏の言うことは以下の部分。

『いまさらこんなことをいうのもなんだが、定年後はどう生きればいいのか、などという問いは、自分の内部だけでしか成立しない。他人に訊くべきことではない。で、でてくる答えはひとつである。「好きに生きよう」である。「好きでなくても、今の生活しかないのなら、それで生きよう」である。せっかく、長年の会社勤めから自由になったのだ。流行りの言葉でいえば、今こそ思い切り「自分らしく」、好きに生きればいいのである。だが、そのためには金がいる。その金がないのだが……というのなら我慢するしかないのである。「わしはその好きなものがないんじゃが」なんか、わたしは知らない。わたしだってないのだ』

『昨今の少子高齢化や若年層の生き難さの問題などを見ていると、人間はいきづまっているように見えてしかたない。政治は民主主義、経済は資本主義と市場主義、社会は自由主義と権利主義(こんな言葉はないが)。いずれも現時点において人類の叡智が到達した理想的な地点といっていい。これらを超える思想はまだ現れていないが、そこでどんづまっているのもたしかである。山積する「問題」でどんづまり、予算でどんづまり、なによりも頭でっかちになった人間がどんづまっている。
 もっと幸福な顔をした人間がこの社会(世界)に溢れていてもよさそうなものなのに、ちっともそうは見えないのである。人間の力量を超えて、それらの主義が思想が風船みたいに極限まで息を吹き込まれてパンパンに膨れ上がり、ついには政治と経済と社会と人間のあちこちが破れ、そこから醜悪なものが外に噴きこぼれているような状態である』

 とまあ、こんな生きづらい世界に生きなければならないから、その生き方に何らかの指針が欲しいというのであろうが、甘ったれんじゃねえよ団塊の世代! そんな生きづらい世界にしたのは、他でもないお前ら団塊の世代がいろいろやった(やらなかった)結果じゃないか。そんなに生きづらいのなら自殺でも何でもすればいいのである。それが嫌なら、生きづらい世界を何とかして変える努力をしなければいけないんじゃないか?

 と、ギリギリ団塊になれなかった1951年生まれの私なんかは思うんだよなあ。

 とまあ、ある種反撥心を持ちながらも、妙に納得しながら読んだのであった。

『定年後のリアル』(勢古浩爾/草思社文庫/2013年8月9日刊)Kindle版は当然、ない。

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