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2013年8月

2013年8月31日 (土)

榛名湖と言えば……、だよね。

「東京の今日の最高気温36℃」という脅し文句に追われるように、昨日はまたまた「東京から近場の涼しいところ」ということで榛名湖へ行ってきた。

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 関越自動車道駒寄パーキングエリアから見た榛名山。真ん中の山頂が別名榛名富士と呼ばれる榛名山の山頂である。

 勿論、ここではまだ気温は36℃と、とてつもなく暑い!

 で、榛名山と言えば、群馬県は高崎市の藤原とうふ店の一人息子の話だよね。

 ということで、私も渋川から伊香保を抜けて榛名山までの群馬県道33号渋川松井田線、いわゆる上州三山パノラマラインを、藤原拓海のAE86も私のベンツC200も同じFRであるので、そんなFRテクを駆使して「溝落とし」やら「インベタのさらにイン」などで、ドリフトで攻めていったのである…………………………って、ウソウソ。

 大体『頭文字D』の勝負は榛名から伊香保までの下り線であり、真昼間の登りでそんなドリフトなんてできるはずもない。

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 ここが『頭文字D』の「下り勝負」のスタート地点。上毛三山パノラマラインが旧日本道路公団の有料道路「伊香保榛名道路」だった頃の料金所跡なのである。

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 で、その料金所跡を過ぎるとすぐに榛名湖が現れる。

 榛名湖は榛名山山頂にできたカルデラ湖である。榛名富士というのは、そんなカルデラ湖の脇にできた溶岩ドームが大きくなったもので、榛名湖からは100m位上がっている。

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 で、何と榛名湖の気温は25℃! 下界からは10℃以上も涼しい! 快適! ただし問題がある。

 そう榛名湖には「オサレなレストラン」がホテルくらいにしかなくて、お茶する場所がないのであります。

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 やむなく、お土産を買って早々に榛名湖を後にした。

 榛名湖土産と言えば、これだよね。私がライツ管理の仕事をしていた時にライセンスした『頭文字Dミルクキャラメル』って、漫画も終わっちゃったのに、まだ商品は生きていたんだ!

 で、帰りは裏榛名と呼ばれる県道33号線の伊香保側とは反対の安中側を下りてきた。

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 って、何? このブラックマークは。ってことは、まだまだ峠の走り屋っているんだ! と感動したところで、本日はお後がよろしいようで……。

Fujifilm X10 @Lake Haruna, Takasaki (c)tsunoken

Kindle版で1巻から46巻まで出ている『イニD』。ここは一気に大人買いしちゃいましょう。

2013年8月30日 (金)

『ブログ飯』は食えるのか?

「笑いで飯を食う」からお笑いコンビ「笑い飯」だそうなので、「ブログで飯を食う」から「ブログ飯」なのだそうだ。

 つまり「プロ・ブロガー」という訳なのです。なんか、最近それを名乗る人が増えたなあ。

20130816_214708 『ブログ飯 個性を収入に変える生き方』(染谷昌利著/インプレスジャパン/2013年6月21日刊)

 まあ、私の場合別にブログで飯を食わなければならない理由はないけれども、多少は小遣い稼ぎくらいはしたい、というところである。とは言うものの、今のところAmazonのアフィリエイトだけが収入の元で、これが大体3ヵ月で5,000~6,000円というところなので、平均毎月2,000円位では小遣い稼ぎにはならない。

 染谷氏に言わせると、私のブログは;

『もし、1年以上ブログを運営していて、1日のアクセス数が500PV以下、月額の収益が5万円以下なのであれば、何かしら運営方法に問題があります』

 というレベルなのだろう。

 2009年11月27日にココログでブログを始めた私の『tsunokenのブログ』は、最初の1年間はアクセス数を記録していない。まあ、大体自分でクリックした分も含めて数十という状況では、殆ど他人は読んでいない状況だからである。アクセス数を記録するのもバカバカしいというところである。それが1年ちょっとすぎた2011年1月1日から記録を取り始めて、最初の年は140~250位。2012年が400位から始まって、時に1,000を超えながら、年の終わりには600位。今年は時に3,000PVを超えながら800~1,000位で推移しているので、年末位には平均で1,000PV位は行くのかな、というところ。

 とは言うものの、アフィリエイト収入もそんなには増えないだろう。まさしく、染谷氏が言うところの『何かしら運営方法に問題があります』という状況なのだけれども、まあ、それはもともとブログを始めた理由がそもそも「ブログで飯を食う」じゃなくて、言ってみれば、単なる私の情報発信意欲だけなんだから、それがマネタイズできなくてもしょうがないわけだ。

『ノンテーマで自分が書きたいことだけを書き綴っているだけのブログは、案外「飯が食えるブログ」になれていないものが多いのです』というとおりであるが、取り敢えず「tsunokenのブログ」は「本のこと」「映画のこと」「写真のこと」に最近は「旅のこと」が加わって、結構、テーマ的には絞れているような気はするし;

●「なぜそのブログをあなたが始める必要があるのか」
●「誰にあなたのメッセージを伝えたいのか」
●「どのような表現方法であなたのメッセージを分かりやすく伝えるのか」

 という染谷氏言うところの「ブログを始めるための考え方」

① ブログ運営で最も重要なポイント
② 誰に何をどうやって伝えるか

 という部分は基本的におさえている筈である。

 じゃあ、なぜ私のブログがマネタイズできないのか。

 と考えてみて、よく分かったことは、初めから「マネタイズは狙っていない」からなのである。もし、初めからマネタイズを狙ってブログを書いていたのなら、ココログではブログを始めなかった筈である。つまり、アフィリエイトにも制限があるし、広告なんかも載せられない。もともとがニフティのサービスで始められたココログであるから、初めからブログを使ってマネタイズすることは前提にはしていないからなのである。それこそWordPressかホームページ・ビルダーあたりを使って、サーバーを借りて始めるべきなのだ。ホームページ・ビルダーは以前、ある会のサイトを作っていたときに使っていたのだから、今でも使い方は思い出せるはずである。ただ、まだサラリーマンをやっていた1年前までは結構忙しかったので、そんなものに手を出す気にはならずに、気軽に始めることのできるココログでスタートさせたという訳なのであります。

 じゃあ、ヒマな現在はもっと独立性の強いブログを始めるべきなのか? あるいは今までの通りココログで続けるのか? 

 う~ん、ちょっと難しい問題だなあ。「ブログで飯を食う」というところに注力するのであれば、独立性の強いブログ・サイトにするのは「当然」であるが、そこまでやらなくてもと考えちゃうと……。

 ただし、一つだけ染谷氏を見習わないとなあ、と考えたところがある。

『朝食を食べる前に30分だけ作業をする。ランチを食べる前に作業をする。自宅に帰ってきたら、ビールを飲む前に作業をする』

 というところ。「No Second Life」の立花岳志氏もそうだが、皆結構早起きして「朝食前にブログを書く」というのが、どうも「プロ・ブロガー」生活の基本のようなのだ。

 私もブログを書くのは午前中が多いのだが、基本的に朝食の後に書いている。つまり、朝起きて、朝食を食べて、二度寝をした後にやおら起きだしてブログを書くのであります。しかし、一番脳の働きの良いのは朝起きて朝食を食べるまで、つまり相当に早朝に起きなければならないということなのである。そのためには前夜はかなり早寝をしなければならないということ。

 とは言うものの、夜にブログを書くときなんかは、お酒を飲みながらかなり夜遅くまで起きてブログを書いている。とその翌朝は当然ながら早起きできないわけです。

 う~む、この悪循環を断たなければならないのだな。

 もう、サラリーマンを辞めて1年経つのだから、そろそろそんな生活に切り替えなければな、ということに気づかされたのが、この本を読んだ結果であります。

 問題は「ブログ」じゃないんだな。要は「生活習慣」。

 ところで、染谷昌利氏のブログサイトではこの『ブログ飯』でボツにしたネタも載っている。これも面白い。

『ブログ飯 個性を収入に変える生き方』(染谷昌利著/インプレスジャパン/2013年6月21日刊)当然、Kindle版もアルよ。ほとんど半分の値段で買える!

2013年8月29日 (木)

『セカ就』というよりは、取り敢えず「アジ就」だな

 森山たつをというから分からなかったが、もりぞうという名前を見つけて理解した。

 もりぞうといえば「早稲田大学理工学部卒業後、日本オラクルに7年+日産自動車に2年勤めた後、突如会社を辞めて「ビジネスクラスのバックパッカー」になって1年間世界一周旅行に出る。その後、2年間日本で働いた後、またも突如会社を辞めて、現在アジアでの日本人就職について研究・発表を生業にしている」というかアジア海外就職を薦めている人なのだった。

20130824_221344 『セカ就! 世界で就職するという選択肢』(森山たつを著/朝日出版社/2013年7月18日刊)

『セカ就!』と言っても、言葉本来の意味「世界就職」ではなく、それはアジア各国での就職という意味。ヨーロッパやアメリカ(北米)での就職ということではないんだな。まあ、いずれはヨーロッパやアメリカに本社があるアジア支社での彼らの働きが認められて、本社に引き上げられる、なんてこともあるかもしれないが、取り敢えずはアジアで就職ということ。

『ブラック企業を辞めてインドネシアに出る決意をしたLさん、アニメ好きの現地スタッフと一緒に通関書類を作っているMさん、シンガポールでファンキーなスタッフと楽しく働くEさん、海外就職の経験を元に起業準備中のJさん、IT技術者としてアジジャ中を飛び回っているNさん、高級ショッピングモールで冷凍マグロを運んだUさん。その他、たくさんの人の実体験が、この本の原型になっています』

 と書く通り、実はこの本はフィクションの形をとっているノン・フィクションなのだ。で、そんなフィクションのノン・フィクションの登場人物は;

第1章 ブラック企業からのインドネシア就活
     23歳・職歴1年 川崎君夫の場合

第2章 スーパー契約社員からのシンガポール就職
     26歳・職歴1年 鈴木英子の場合

第3章 貿易会社派遣社員からのタイ就職
     29歳・職歴7年 石川真美の場合

第4章 ウェブ制作会社からのマレーシア就職
     25歳・職歴4年 本田俊輔の場合

第5章 超大手企業からの香港就職
     37歳・職歴12年 小宮山剛史の場合

第6章 ブラック企業からのインドネシア就職 半年後
     23歳・職歴1年半 川崎君夫の場合

 という5人。

『海外で文化の異なる人たちと共に仕事をし、そのコミュニケーション方法を身につけることは、座学では絶対に無理です。現地に住み、日々直接対話し、肌感覚で覚える必要があるのです。
 そんな経験を積むことができるのが、セカ就の大きなメリットです』

 とは言うものの、日本の新卒就職と異なり、アジアでの就職というのは、欧米などと同じように、自分が何ができるかをアピールするということ。つまり『自分が行く国で自分のスキルを活かせる仕事があるかどうか』が重要になってくる。

『海外で評価されるには、
1 「何ができるか」が明確になっていること
2 「できること」が、現地で需要があること』

 ということになる。

 つまり;

『海外で一番評価されるのは「今まで(主に日本の職場で)培ってきた仕事上のスキル」です。ですから、セカ就する際にも、日本で今までやってきたことに関連する仕事をするのが、成功に至る近道と言えます』「『就業者は、会社にスキルを提供し、その対価としてお金をもらう」という原則を忘れてはいけません』

 ということ。

 ということなので、やはり貿易に関連する仕事が多いのかな。基本的には日本に関連する貿易ということになる。

 つまり;

『アジアに進出している日系企業は、当然日本やその他の国々と貿易をしています。その裏で、貿易のためには書類を作ったり、トラブルが起こったときの対応をしなくてはなりません。とくにトラブルが起こると大変です。日本に比べて、東南アジアの人たちはいい加減であきらめが早い人が多いので、対応に難儀します(私も仕事で何度もひどい目に遭いました)。
 そんなときに、やりとりする相手の国に日本人がいてくれたら……と思う担当者は多く(私もその一人です)貿易事務の仕事に日本人の求人が多いのだそうです』

 なるほどねえ、そのテがあったか。

 とは言うものの、もう既に日本で定年を迎えてしまった私の場合はアジアで就職するわけにもいかないなあ。

 まあ、そういう人たちを手助けすることでも、できればやってもいいかな。ただし、私にには貿易業務に関するスキルは全然ないけどね。まあ、外国人に負けない「ケンカの仕方」位ですけどね。

『セカ就! 世界で就職するという選択肢』(森山たつを著/朝日出版社/2013年7月18日刊)Kindle版も出ている。375円安い!

2013年8月28日 (水)

『やっぱり、海外で暮らしてみたい。』なんて思いますかねえ?

『クーリエ・ジャポン』10月号の特集は『世界の都市で見た「理想」と現実 海外で「暮らす」ということ。』という、ちょっと刺激的な記事である。

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 で、内容は;

<ヨーロッパ編>
ちょっと不便でも、豊かな人生を――パリ暮らしでわかった「大切なこと」
悲観的で、疑り深く、皮肉屋で…住む前に知っておきたい「フランス人気質」
外国人にも開かれた「国際都市」ロンドン生活を満喫する日本人たち
「坪単価世界一」の超高級物件にはどんな金持ちが住んでいるのか
「世界一住みやすい」のは本当か? コペンハーゲンの魅力溢れる暮らし

<アジア編>
”混沌の街”で身軽に暮らす「家賃3万円以下のバンコクライフ
新興富裕層の視察ツアーの同行! アジアの不動産「沸騰の現場」へ
夢の「海外リタイヤ生活」の暮らし心地はいかがですか?
夫を残して子どものために海を渡る「母子移住」という新たな選択肢
経済発展にともなって家賃も高騰…シンガポールの生活事情を聞いてみた
海外に出ればいいってもんじゃない 魔都・上海で夢破れた日本人たち

<アメリカ編>
夢を叶えるために「世界の首都」へ ニューヨーク生活はこんなに刺激的
IT長者たちの流入で高級物件が林立 サンフランシスコはこんなに変わった
”憧れ”だけで移住するのはNG? ハワイ暮らしの「理想」と「現実」

 で、面白いのはロンドン発のライフスタイルマガジン『モノクル』が選んだ「暮らしやすい街BEST20」なのだが、1位がコペンハーゲン、2位がメルボルン、3位がヘルシンキまでは分かるが、4位に東京、12位に福岡、13位が京都と日本の都市が3つも入っているのだ。ちなみに、5位がウィーン、6位チューリヒ、7位ストックホルム、8位ミュンヘン、9位シドニー、10位オークランド、11位香港、14位パリ、15位シンガポール、16位ハンブルク、17位ホノルル、18位マドリッド、19位バンクーバー、20位ベルリンという具合。

 北欧が3都市、ドイツが3都市、オセアニアが3都市という具合で、アメリカ本土やロンドンなんかは入っていない。

 コペンハーゲンの良さというのは、治安が良く、交通機関やインフラが整い、公園や緑が沢山あって人々が寛容であるということなどだそうだ。コペンハーゲンの人口は約55万人。3位のヘルシンキは60万人だから、大体100万人以下の都市が住みやすいということなのかも知れない。ちなみにメルボルンは450万人と、東京の1,000万人以上に比べると少ないが、しかし世界的にも大きな部類の都市である。

 ということで考えると、あまり人口の多寡ではなくて、それを支える交通機関やインフラの問題なのかな。東京は公共交通機関が24時間営業ではないなどの問題はあるが、交通網の発達ぶりは多分世界一であろうし、電気、水道などの生活インフラも多分世界一の普及ぶりであろう。

 問題は食料や衣料品の価格も殆ど世界一だということなのであるが、これまた世界一の物価を誇るロンドンの雑誌なので、そこはあまり気にしていないのかもしれない。

 ところで、表紙に書かれている『やっぱり、海外で暮らしてみたい。』という惹句のような気分に皆がなるのであろうか、ということなのだ。

「夢の海外リタイヤ暮らし」にはクアラルンプールで定年後の暮らしをしている夫婦の話が載っている。夫は週3回の日本人会のゴルフを楽しんでいるというが、そんなに毎日毎日ゴルフばっかりやっていても飽きないものか。ヤシの木が生い茂っている南国ムードいっぱいの庭園を毎朝30分ウォーキングするのが妻の日課だ、というのもなんか面白くない。更に、この夫婦結局は日本人コミュニティの中だけで生活しているのである。

 結局、何のためのマレーシア? 何のためのクアラルンプール? なんてことを私は考えてしまうのだ。

 日本を捨てて終の棲家としてのクアラルンプールって言ったって、日本食材を日系スーパーで購入して、日本食ばっかり食べて、日本人ばっかりと付き合ったって、そんなの日本より暑くて湿気の多い住みにくい「日本」に住んでいるだけでしょ。積極的に現地の人の中に飛び込んで、現地の人と同じものを食べて、現地に溶け込まないと、せっかくの海外移住も意味はない。

 だったら、日本に住んで、アッチコッチに旅行にいけばいいんじゃね? 「暮らしたい」って言うんだったら、そんな旅もホテル暮らしじゃなくて、コンドミニアムか何かを借りて、ちょっと長期に暮らしてみるのもいいんじゃね? などど、私は考える。

 やっぱり東京暮らしが一番生活しやすいし、便利だし、物価は少しは高いかもしれないが、定年後の年金で暮らせないほどじゃない。どこに行くのも簡単だ。この「どこに行くのも」という中には、当然海外なんかも入ってるわけです。羽田には国際便も戻ってきたし、ちょっとアジアに行くのだったら、それこそ下駄ばき気分で行けるってなもんだ。

 東京にいて、世界中の食べ物を食べて、世界中から来た人と友人になるって方が、よっぽど海外に暮らすより海外だ。東京はまだまだそんなポテンシャルのあるパワフルな街なのである。

 絶対、東京暮らしだね。

2013年8月27日 (火)

『天使のたまご』を25年ぶりに見てみたんだが

 ヴェルタ・ア・エスパーニャは今一つ盛り上がらないなあ。大体「ツール・ド・フランス>ジロ・デ・イタリア>ヴェルタ・ア・エスパーニャ」という順番なんだから、そこに日本人が絡まないヴェルタはなんかなあ、取り敢えずJ-SPORTSのハイライト版だけで生中継はいいかな、夜も遅いし、ということになってしまう。

 で、突然話はアニメの話になるのだが(どう繋がってるねん)復刊ドットコムで『天使のたまご』絵コンテ集が出ていたので、思わず「ポチッ」しちゃったのがこの本。

2013_08_24_0984_edited1 『天使のたまご 絵コンテ集』(押井守著/復刊ドットコム/2013年8月21日刊)

 しかし、『天たま』はDVDも持っているし、今更何を書こうかなあ。なんてことを考えながら、DVDを見つつ、絵コンテ集を読んでいると思いねえ。もう、アニメのコンテなんて数えきれないほど見てきている。人によって、詳細に描いてあるコンテもあるし、人の顔なんて(マル×チョン)で済ましている人もいる。

 そんな中では押井守の絵コンテは、かなりちゃんと描いてある方で、その後には文字で書く必要がある部分はワープロの文字を張り付けていたのだが、この当時はそんな配慮はなく、ミミズがのたくったような押井の文字のままだ。

 多分、私がこのオリジナル・アニメ・ビデオとして作られた作品を見たのは、1985年よりちょっと後かもしれない。別にATG(アート・シアター・ギルド)や大学の映研映画なんかで「アタマデッカチ」の映画を見慣れていた私には、「ああ、アニメでもこんな作品を作るやつが出てきたんだ」という程度の認識しかなかったが、本作のプロデューサーでもあり制作会社の社長の長谷川洋に言わせれば、「押井ちゃん、こんなの作っちゃたんで、もうアニメの世界では生きていけないな」という、当時のアニメの世界では衝撃的な作品ではあったのである。そう、「アニメは子どものもの」というのが常識であった時代だったからね。

『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』なんて、今から見ればどうということのない映画なんだけれども、当時は賛否両論、結局、原作者の高橋留美子が「これは私の作品ではありません」という発言で収束したんだけれども、そんなの当たり前でしょ。映画は映画化された瞬間から原作者の手を離れて監督のモノになってしまうんだから。

 たしかに、この後、自らその企画に参加した『パトレイバー』シリーズまではアニメの製作からは離れて『紅い眼鏡』とかの(低製作費の)実写映画なんかをシコシコ作るようになってしまった。当時、私はOVA『バリバリ伝説』や『あいつとララバイ』で付き合いのあった音響監督の斯波重治氏(『紅い眼鏡』のプロデューサーでもある)に「押井はこのトンネルを抜けるんでしょうかね」と聞いて、「いやもうしばらくはかかりそうだよ」という返事をもらったのは、実は私の抱えているアニメ案件の監督に押井守を起用しようかどうしようかというタイミングであった。

 当時私の抱えていたアニメ案件を押井守に話したら、どういう反応を示しただろうか。まあ、少なくとも『AKIRA』が『攻殻機動隊』みたいになっていたことだけは確実だ。ということなので、その当時斯波氏がいった「もうしばらく」という言葉は私にとって、実に有効に働いたわけだ。その結果、私たちは「大友克洋」という素晴らしいアニメ監督を得たわけなのだから。ただし、その後の大友アニメを見ると、どこか「プロデューサー不在」という問題を見てしまう私は、単なる意地悪なのだろうか、あるいはそれは正しい批判?

 と、ちょっと話が『天たま』からそれてしまったが、何故、私は『天使のたまご』という言い方をせずに『天たま』と言っているのか。

 実はそこに押井守の基本的な考え方があるのだ。

 つまり『天使のたまご』というのは、『天たま』から逆に発想されたものなのだ。で、この『天たま』とは、要するに立ち食いソバの「天たまソバ」なのである。

 押井守が愛してやまない(って、コイツ本当に江戸っ子かよ)駅や町中にある「立ち食いソバ」の人気メニューのひとつである「天たまソバ」なのだが、私は生卵が嫌いだし、本当は「かけそば」が一番好きなのだけれども、まあそれではあまりにも素気ないというので天ぷらそばをたのんでいるんだが、多分、結果としてみれば「天ぷらそば」が一番に決まっているのだが、押井守にとっては「天たまソバ」なのである。

 立ち食いソバ屋の基本メニューは「かけそば」「天ぷらそば」「月見そば」の三つである。最近では(ってほどではないけれども)ちょっと上級メニューという感じで、ちくわ天そばとかエビ天そばとかのメニューも入っているし、JR三鷹駅には以前からコロッケそばというのがあった。そばの上にコロッケが乗っているわけで、要はそばを食べているうちにコロッケが崩れてしまい、ジャガイモがそばつゆに混じってしまうのであるが、それを気にせずに一緒にそばつゆを飲んでしまうというのがコロッケそばなのである。なにそれ、そばつゆグジャグジャじゃん、という批判はものともせずに「うまい、うまい」と食べてしまうのが、多分、千葉県出身の俄か東京人の発想なんだろうな。

 まあ、後半はそれでいいとして、問題は前半『の立ち食いソバ屋の基本メニューは「かけそば」「天ぷらそば」「月見そば」の三つである』というところなのだ。

 つまり、立ち食いソバの基本は「かけそば」だということ。それになんらかのトッピングを施すという行為は、基本的に「そばだけでは満足できない田舎者の発想」なのである。更科に行っても、藪そばに行っても、そば喰いの基本は「もりそば」。そば以外の余計なものはいらない。それが江戸っ子のそば喰いの基本なのである。で、そのもりそばの冬版がかけそばという訳。本当は冬だってもりそばを食うってのが江戸っ子の美学なんだけれども、まあ、かけそばまでは許す。

 でも、そのかけそばに、かき揚げ天ぷらを添えたのが「天ぷらそば」であり、更に生卵をポンと割って入れたのが「月見そば」ってのが、基本的に(浅草あたりでは)許されないそばの食い方ではある。

 落語の『時そば』も基本的には普通の「二八そば」の「かけそば」である。そばっていうのは、主食ではない。

 何かを食べて、飲んで、その結果、ちょっと小腹がすいたな、という時に食べるものだ。特に、立ち食いそばはね。

 そんな蕎麦屋で『天たま』を食う、押井守って、結局は「東京生まれの田舎者」だということなんだろうか。

 ……、って、話は『天たま』からは逸れていなかったよね。 

『天使のたまご 絵コンテ集』(押井守著/復刊ドットコム/2013年8月21日刊)DVD版、Blue-ray版が出ている。

2013年8月26日 (月)

2013関東学生ラクロスリーグ開幕!

 ヴェルタ・ア・エスパーニャも開幕して、初日のチームタイムトライアルではアスタナが2位のレディオシャックに大量10秒の差をつけてしまったが、それとは関係なく、関東学生ラクロスリーグ2013が開幕だ。

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 チャンバラと球技が一緒になった、アメリカ・インディアンのスポーツ、ラクロスの関東学生リーグ戦が大田区の大井埠頭中央海浜公園第二球技場で開始された。まだ8月の暑い盛りの「秋シリーズ」開幕戦だ。

 と言っても、もっと暑い先週8月15日には開会式が行われ、その後の男子開幕戦は早慶戦で9対3で早稲田大学が勝利。女子は更にもっと前、8月11日に開幕し、第1戦目は立教大学対学習院大学戦、11対4で立教大学が勝利した。

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 で、昨日はちょっと涼しい大井第二球技場では男子の立教大学対上智大学戦ということで、立教大学男子ラクロス部の開幕戦という訳。

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 立ち上がり、2点を先取された立教大学だが、その後盛り返してきて、前半終了後には 3対3のタイで折り返し。第3クォーターで2点、第4クォーターで3点取った立教大学は、第3、第4クォーターで1点ずつの上智大学に対して、8対5で1勝をもぎ取った。

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  立教大は今回が第1戦ということからか、度重なる反則でペナルティボックスに選手が入っている時間が長い。上智大はその時がエキストラ・オフェンスで得点のチャンスなのだけれども、それを得点に生かせないというオソマツな攻撃が目立つ。

 一方、立教大もボールの保持力が弱く、しょっちゅう自分のチームのボールを落として上智大に奪われている。ボール・ポゼッションという問題以前の保持力の問題だ。

 双方とも「得点力」と「反則の多さ」「ボール保持力の弱さ」という課題を抱えているというのが実状だ。

 ファイナル・フォーまで行くには、1部リーグBブロックでは一橋大、東京大という二大勢力のどちらかを倒さなければいけない、ということを考えると、立教大にはかなり高いハードルとなるであろう。

 一方、上智大は立教大戦の前に法政戦を戦っていて、そこでは8対3で敗れているので、立教大戦で2敗目。ちょっと2部との入れ替え戦が見えてきてしまっていて、剣ヶ峰に立たされているという感じだ。

 今年は関東学生アメフト、関東学生ラクロスとも、東京国体の関係で、9月10月の開催球場の確保が大変な状況になっている。

 そんな中での、関東学生選手権リーグだ。

 各チームとも頑張ってほしいが、しかし、試合の結果は残酷なもの。

 結局は「生き残りレース」に勝つのはどのこ大学なんだろう。

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Nikon D7000 AF-S Nikkor 70-300mm @Oi 2nd Ball Park (c)tsunotomo

2013年8月25日 (日)

『リーン・イン』といってもオートバイのライディング・フィームじゃない

 リーン・インというのはオートバイのライデイング・フォームで、バイクの上に乗った形でバイクと同じ傾きをするのがリーン・ウィズ、バイクより内側に傾くフォームがリーン・インであり、基本的にはバイクを傾ける際の最初のポーズがリーン・インなのである。リーン・インからリーン・ウィズになるのか、もっと内側にライダーがバイクからはみ出すのがハング・オフ(日本風にはハング・オンというのだが、本当はこれは間違い)というフォームで、1970年代にヤマハで活躍したヤーノ・サーリネンが最初に採用し、アメリカのケニー・ロバーツが完成させたライディング・フォーム。これに対してリーン・ウィズというのはハング・オフよりもバイクを傾けなければならなく。かなり転倒の危険性が増すライディング・フォームで、これはフランスのクリスチャン・サロンがその「優雅なライディング・フォーム」で有名だった。クリスチャン・サロンも後半は多少ハング・オフしたライディング・フォームになったけどね。

 ということとは関係なく、この本の場合の「リーン・イン」は、言ってみれば「前のめりに、人生を踏み出そう」とでも言う意味。別にオートバイのライディング・フォームとは関係ない。というか、多分著者のシェリル・サンドバーグはオートバイのライディング・フォームのことなんか知らずに、このタイトルを付けたんだろうな。無理やりにでも関連付けしたかったのだがなあ……。う~む、残念!

2013_08_20_0919_edited1 『リーン・イン 女性、仕事、リーダーへの意欲』(シェリル・サンドバーグ著/村井章子訳/日本経済新聞出版社/2013年6月15日刊)

 最初は「あっKindle版が出ている!」と思ってクリックしてしまったのだが、実はそれは日本語版ではなくて原語(英語)版なのであった。まあ、しかし読んでみると小説家の書いた文章ではないので、それほど読むのには苦労はしなかった。ただし、読み終えるまで5日もかかってしまったがね。

 で、誤読を避けるために日本語版も買ったわけなのであるが、結果として同じ本を二度読みしたわけだ。

 で、どうなのよと言わせれば、別にどうってことのないことが書いてあったというだけのこと。

 面白いのは、リーマ・ボウイーというリベリアで女性たちの抵抗運動を指導して独裁政権に終わりを告げることにによって2011年にノーベル平和賞を受賞した女性の、自伝の出版記念パーティーをシェリル・サンドバーグの家でやった時に、招待客の一人がリベリアのような国で戦争の恐怖や集団レイプに苦しむ女性を助けるためにアメリカの女性はどうしたらよいのかと聞いたときのリーマの答えだ。

『もっと多くの女性が権力を握ることだ』

 という、ごく当たり前の返事がかえってきたのである。

 1980年代の初期にアメリカの大学生の50%が女性になったにも関わらず、フォーチュン500社の中でエクゼキューティブ・オフィサーは14%、ボード・メンバー(役員)は17%という数字は10年以上も変わっていないという。しかし、これは日本の比ではない。日本では大企業の社長や会長を勤めている女性は皆無なんだから。

『女性よ大志を抱こう――そう言いたくて、この本を書いた。障害物を乗り越えて道を切り拓き、もてる力を思い切り発揮しよう。一人ひとりが自分の目標を決め、それに向かって心から楽しんで進めるようになることを願っている。そしてまた、すべての男性が職場と家庭の両方で女性の支えになり、それを楽しめるようになることを願っている。男女を問わずすべての人の能力を総動員すれば、職場の生産性は高まり、家庭はよりしあわせになり、そこで育った子供たちはもはや狭量なステレオタイプに囚われなくなるにちがいない』

『女性がトップになったら同性に手を差し伸べるという信念を鼻で笑う人がいることは、承知している。たしかに、女性のリーダーは必ずしも互いに助け合ってきたわけではない。でも私は、それに賭けるつもりだ。トップの座に就いた第一世代の女性たちは、数がきわめて少なく、散在していて、生き残るために順応するのに必死で、互いに助け合う余裕などなかった。だが、現役世代の女性リーダーは、次第に声を上げはじめている。もっと多くの女性がリーダーになれば、現状への同化と順応を要求する圧力は和らぎ、女性のためにさまざまな措置を講じられるようになるだろう。女性リーダーの多い企業では、家庭と仕事の両立を容易にする措置が講じられる。役員報酬の男女格差が縮小する。中間管理職に就く女性が増える、といった好ましい結果が見られるという調査結果もすでに出ている。
 先行世代が奮闘したおかげで、平等は手の届くところまで近づいている。いまはもう、リーダーの数に見られるかくも大きな差を縮めるときだ。一人の成功は、次の人の成功を容易にする。自分自身のために、他の女性のために、娘のために、そして息子のために、それをしよう。私たちの努力で、次の世代を女性リーダーの最後の世代にすることができるかもしれない。その先は、もう女性リーダーはいない、ただリーダーがいるだけだ』

 というシェリル・サンドバーグの「女性解放宣言」は、まるでマルクス・エンゲルスの「共産党宣言」みたいに、大きな力を持っている。

 ただし、問題は女性による女性に対するジェンダー・バイアスである。

『女性によるジェンダー・バイアスは正当なものと見なされる傾向がある。女性が女性に対してバイアスをもっているはずがない、というわけだ。だが、そうとは限らない。女性は、多くの場合そうと気づかないまま、女性を軽視する風潮を自分の中に取り込み、無意識に態度に表している。だから、女性は性差別の犠牲者であると同時に、加害者にもなり得る』

 ということにも注意を払う必要がある。つまり、『できる女は嫌われる』というのは、男性から嫌われるだけではなく、実は女性自身からも嫌われてしまうのである。いわく「男勝りの女」というレッテルを女性自身がつけてしまうのだ。

 これはマズい。男性側が女性リーダーを受け入れようとしているにも関わらず、女性自身の側が出来る女を嫌うようになってはいけない。むしろ、自分もそんな女性を見習い、自らを高める意識を持って付き合う必要があるのだ。そうやって、女性自身が自分たちの身を守り、より権力を上るりつめる意識をもって始めて、女性リーダーが社会に受け入れられるようになるだろう。

 もうすぐ、そんな時代が来るのだろうか。

 ま、日本では当分来そうもないけどね。

『リーン・イン 女性、仕事、リーダーへの意欲』(シェリル・サンドバーグ著/村井章子訳/日本経済新聞出版社/2013年6月15日刊)Ki dle版では原本以外にもこんな解説本が出ている。まあ、原本読むのが面倒なアメリカ人用なんだろうな。その辺、如何にもアメリカン。

2013年8月24日 (土)

西武苗場白樺平ヴィラってのも「涼しい」だけはあるんだけどなあ

「暑さを避けて……」シリーズ第2弾は「苗場」だっ!

 1980年代から90年代にかけて日本のスキーブームを支えた西武グループ。国土計画がスキー場を企画・制作し、プリンスホテルがそこにホテルを展開する、というスタイルは西武グループが作り上げたわけだけれども、結局、大規模マンションまで作ってしまったのは、ちょっとやりすぎ?

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 苗場プリンスホテルも今は、冬季と夏季だけの営業。ゴールデンウィーク明けから夏休み前と、9月初めから10月終わりまでは休業している。

 まあ、もともと夏はお客さんが少なかった苗場プリンスホテルだが、今は最早そんな状態になっているという訳。

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 それでも、東京から170kmで外気温27.5℃。まあ、2時間で行ける場所での涼しさという意味ではそれなりに体験できる涼しさである。

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 で、そんな苗場に、というかあんな山の中に信じられないほどの大きなマンションを、当時の西武不動産(現在は西武プロパティーズ)は作っちゃったのだ。それが。西武苗場白樺平ヴィラ。クリスタル1号館も含めると2,600戸以上ある。ちょっとした都会の超大型マンションだ。

 現在、西武白樺平ヴィラは1号館から9号館(!)まであって、更に三国峠のそばに西武白樺平ヴィラ・クリスタル1号館なんてものを作った時にはもう殆どバブルも崩壊する時期。

 ということで、西武商法は堤義明氏の失脚とともにダメになり、同時にバブルもハジけてしまい、これらのリゾート・マンションも殆ど不良債権化してしまったのである。

 実は私の家もここにマンションを買ったわけなのであるが、実は買った当初は1DKで700万円位だったのが、バブルがハジけた後に売った時にはスキーブームも去った後なので、なんと70万円。

 とろこが、今やこのマンション、1DK位だと5万円から20万円位で買えちゃうのであります。何と、40年で百分の一というお値段。う~ん、20万円位ならまた買ってもいいかな。但し、月間の管理費とか修繕積立金が合わせて1万円+α位はかかりますけどね。更に不動産取得税とか固定資産税、住民税(住んでなくてもかかるのだ)なんかの方が多いような気もする。

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 右が5号館、6号館、7号館、左が9号館で、真ん中が白樺平ゲレンデという(1~3号館と8号館は5・6・7号館の裏側にある)、マンションの住民(というか所有者)のためのゲレンデもあって、リフトもシングル1台、ダブル1台くらい動いていたのだが、今は当然、冬でも動いていない。

 その分、マンション住民(というか所有者)はスノーシューや、シールをスキーに付けたりという、昔ながらのスキー遊びを体験することを楽しんでいるようだ。

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 ひと言いっておきますけど、ここにはマンションがあるだけであとは「何にも」ありません。「何にも」

 昨日行った時にはラーメン屋さんが1軒と、苗場プリンスホテルのレストランが開いてるだけ。

 それ以外は、寿司屋とか居酒屋なんかもあるのだが、まったく店も何もやっていません。お土産屋さんもやってない。

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 この案内の、「味の街」とか「デリカショップ」なんてのも、前はやっていたのだけれども、今はやってません。

 でも、それなりに近所には自然を体験できる場所もあるし、平標山の登山道も入口が近いし、まあ、ひとそれぞれ自然に親しむ方法を知っている人なら、それなりに使える西武苗場白樺平ヴィラではあります。

「何もなくてもいい。ふもとでいろいろ買って行きゃいいんでしょ。自分で洗濯や、食事の準備とかしてもいいんだよ」という人なら、今でも結構使えるんでないでしょうか。コインランドリーはまだやっているみたいだし。

 西武苗場白樺平ヴィラ。ちょっとオススメの超安リゾート物件ではあります。

 ポイントは「安さ」です。

 それ以外は「ない」。

原田知世ちゃん、可愛かったなあ。しかし、この映画のメインは苗場じゃなくて志賀高原と万座温泉なんだよなあ。残念!

 住民(というか所有者)のこんなFacebookページがある。
 それなりに、住民(というか所有者)間でのコミュケーションてのもあるようで。

2013年8月23日 (金)

『おっさん海外一人旅』も、もう今はやってないの?

「フォトグラファー」にとって「旅」は必然だ。つまり「フォトグラファー」にとって「トラベル」は必然、ということは「トラブル」も当然というダジャレが成り立つわけですね。 

 ただし、玉石混交のKindle Direct Publishingだが、ちょっとこれは「石」に近いかなと。ちょっと残念!

20130820_193938 『おっさん海外一人旅 (トラブル編)言葉もわからず、しゃべれません』(高橋克郎著/㈱スタジオアルビ/2013年8月5日刊)

 さすがに1941年生まれの「爺さん」だ。当然、「クルマ」というものは「壊れる機械」であるということを前提にした存在であった。『言葉もわからず、しゃべれません』けれども、クルマのトラブルには全く動ぜず、対処ができる。ボンネットを開けてエンジンをいじくるというのは、昔は自動車オーナーの愉しみの一つだった。ラジエターを調べて水の量を見る、バッテリーを調べ、エンジンオイルの量と劣化を調べて、ファンベルトの張りを調整し、ブレーキフルードを調べて、基本的なエンジンの状態を調べるというのは、私たちの世代までなら当たり前の「クルマのオーナーなら自分でやること」だった。更に、「それが楽しみ」のひとつだったのだ。

 今はそうじゃない。というか、クルマを購入してから一度もボンネットを開けないことは普通のことになってしまったし、それこそ「何でクルマは動くのだ」ということを知らなくても、クルマの運転はできるようになったしまった。

 今に、自動運転が可能になると、もうクルマの構造なんてものには全く興味がなくてもクルマを運転しちゃうひとが続出するんだろうなあ。テレビや冷蔵庫や電子レンジやパソコンの構造(ハードウェア)なんかまったく知らなくても、それらの電子機器を使ってしまえるような時代がやってくるのである。その萌芽が既にアメリカではあって、2009年にトヨタ・プリウスやタンドラのアクセルペダルが戻らないとかブレーキがきかないといったクレームは、結局ユーザーの使い方が悪いという結果になったのだが、その一番の理由はユーザーがクルマの使い方を知らずに使っていたということなのである。

「クルマは壊れるものだ」ということを前提としていれば、その兆候が表れた時点でユーザーは注意し、ディーラーに持ち込んで調査と調整を依頼したはずなのである。要はそれは「クルマを使いこなしているユーザー」ではなく、「クルマに使われているユーザー」であるに過ぎないという、単なる「ユーザーの劣化」ということなのである。

 で、「おっさん(それも「言葉もわからず、しゃべれません」な)」が、海外で「一人旅」を、それも「クルマを使って」やっている以上は、「トラブル多いトラベル」になってしまうわけだ。

 しかし、日本と違って海外の場合のレンタカーって、結構怖いクルマが多いのだなあ、という印象。

 なにしろ『エンジンを留めてる台座のビスがなくてエンジンが落っこちてる』とか、『アクセルを踏んでもスピードが出ない』とか、『運転席側の窓ガラスが自然に下がって、もとに戻らなかった』などなど。

 う~ん、私も結構欧米ではレンタカーを利用したが、これほどまでのトラブルには遭ったことはない。まあ、多分それは利用の分量の問題なんだろうな。私程度の海外旅行の分量だと、これほどのトラブルに遭うこともないのだろう。

 つまり、「フォトグラファー」にとって「トラベル」は必然だから、「トラブル」も当然である、ということ。

 今は韮崎市に引っこんでしまった高橋氏だから、以前のようには海外には出かけずに、国内を改造キャンピングカーで悠悠自適に移動しながら写真を楽しんでいるようだ。しかも『デジタルになって35ミリ2台と三脚があれば十分。20分の1位になってしまった。しかも、機材の取り出しが簡単で、雨の日、雪の日の楽なこと』という状態で、アナログ時代のように『大型カメラ、中型カメラ、35ミリ、大きな三脚2本、各種の交換レンズ、そして各種のフィルム』をクルマに積み込んで、そうなると助手も必要になるし、その人件費も稼がなければならない。とまあ、いまのデフレ時代には合っているデジタル化であるが、それは多くの写真家が言っていることでもある。

 それでも、やはり「おっさん一人旅」なんだろうか。

 まあ、私も写真を撮ることが目的の旅となると、やはり一人旅になってしまうなあ。カミさんと一緒の旅行になると、必ずその中に「観光」というものを入れなければならなくなってくる。いやいや、単なる街の写真を撮りに行くんですよ、なんていうと途端に私のことをバカにするカミさんというものが出現する。

(一般の)女にとってみると、写真撮影というものは、何か観光とか重要なイベントとかそういったものに付随して行われるもので、それが第一目的になるというのは、写真家でもないと許されないようなのである。

 まあ、それが女の実利主義というものなのであろうが、男の「無駄遣い」というものを決して理解しないというのも、女の偏狭なところなのだけれども、まあ、しかしそんな偏狭さを一方がもっているからこそ、バランスがとれて一家が滅びないで済むというものでもあろうか。

 なんて、本書とは関係のないところにまで話が発展してしまったが、まあ、それもそうしたことが許される本であるということもある。

 高橋さん、すまん。

 本の批評にはなっていないが、それが私の「書評」なんですよね。

『おっさん海外一人旅 (トラブル編)言葉もわからず、しゃべれません』(高橋克郎著/㈱スタジオアルビ/2013年8月5日刊)Kindle版のみ

2013年8月22日 (木)

夏の街ゆく人たち

 うだるような夏の日中、街を歩く人の姿は少ない。

 で、お盆期間の通行人の交通事故が少なかったというニュースがあった。

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 仕事で歩かなければならない人も、できるだけ日陰を選んで歩いている。

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 出来るだけ日陰を選んで……

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 選んで……

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 でも、結局は日なたを歩かなければならなくなる。

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 まるで陽炎のようになってしまっていても……

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 それでも外を歩く。

 それを撮影している私も、どこか陽炎のようになってしまって、消えてしまいそうになる。

 かげろふ「陽炎?」「蜻蛉?」「蜉蝣?」って、何書いてんのかな。ちょっと暑さでアタマをやられちまったようで……。

RICHO GRDⅢ @Roppingi & Yebisu (c)tsunoken

2013年8月21日 (水)

『ネコライオン』という種があれば面白い

「ライオンは大きなネコだ。ネコは小さなライオンだ。」というのはよくわかるけれども、まさにその通りの写真展が開催中だ。いつも言っていたんだけど、石原慎太郎の唯一の善政である東京都写真美術館なのだが、今や石原都政ではなくなってしまったので、この言い方はもうしない。

 東京都写真美術館の現在開催中の写真展は『写真作品のつくりかた』という、写真を「アングル」「焦点」「光のあつかい」「暗室作業」という部分から取り上げた、まあいわば「夏休みの自主研究」的な所蔵展と……。

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『米田知子 暗なきところで逢えれば』という、私はよくしらない米田知子という写真家の、何故か人があまり写っていない写真展。本当に人が写っていないんだよなあ。でも、自然写真とかいうのでもない。ちょっと不思議な写真である。

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 そして、動物写真家として、近年は「ネコ写真集」をやたら出しまくって、それもすべて売れている岩合光昭氏の、それもまさしく『ネコライオン』という、ネコとライオンの同じ姿をしている場面ばかりを撮影した写真展である。

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 まあ、やはり「ネコ写真集」が売れている岩合氏の写真展である。8月17日は岩合氏自らの写真解説やサイン会が予定されているということもあって、これまで東京都写真美術館では見たことのないほどの人出で、凄いことになっていた。

 ついでに上の階の写真展も見に行ってほしかったんだけれども、残念ながらそういうことはないようだ。みんな『ネコライオン』なのね。

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 しかし、このポスターのようにネコと(雌)ライオンを並べて見せると、やはりその鋭さは違うんだな。やはりネコは体が小さいから、比較して目が大きくなってしまう。その分だけ「ネコは可愛いね」ということになってしまうのだが、私なんかライオンの勇敢さの方が嬉しくなってしまう。

 ネコの獰猛さというのもちゃんとあって、この辺はイヌと違って、人に飼われていてもそれを失っていないというところがネコ好きの人の堪らないところなのだろうが、しかし、どこか人に甘えることも知っているネコという存在にはしたたかさを感じさせる。

 ライオンが獰猛かというと、実は雄ライオンなんて狩りもしないで日がな一日寝ているだけなのである。

 子どもたちを育てるために一生懸命狩りをするのは雌ライオンだけで、雄は昼間は一日中寝ているだけ。で、人が帰ってしまう夜になると、自分の餌のために狩りに出るという生活を日々送っている。

 ネコとライオンの類似性を求めるための写真展なので、ライオンの写真もネコの写真もすべて昼間に撮影されたものばかり。ということなので、写されているのは殆どが雌ライオン。雄の姿はマーキングをしている姿だけである。

 まあ、雄ライオンは頭が大きく、ネコとの対比でみるとかなり不恰好になるのかもしれない。で、雌ライオンとネコ(こちらは雄も雌もいる)との対比映像ということになる。

 まあ、同じように見える写真もあり、う~ん、ちょっと無理があるなあという写真あり。まあ、いろいろ楽しんでください。

 ただし、単純にネコ写真を見て「可愛い~」というのはなし(そんなことを言っている人が多いんだなあ)。実は、そんなにかわいい動物ではないのだ、ネコは。

 だって、血塗られたライオンの仲間でしょう。

東京都写真美術館の公式サイトはコチラ

2013年8月20日 (火)

暑さを避けて山中湖に行ったわけなのだが

 昨年の8月25日に軽井沢は万平ホテルで"John's Favorite Royal Milktea"を頂いてきたのを思い出したわけではないが、昨日は午前中にいくつかの仕事を済ませた後に、もうちょっと近場でということで山中湖まで行ってきた。

 ただし、今回は妻はなし、というか「今から行くか?」とあきれられてしまい、私一人である。

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 ところが、先週でお盆渋滞は終わっている筈と目論んだ中央高速も、八王子ICを出るとすぐにこんな感じの渋滞状況。ただし、10km程度の渋滞なので少々我慢すれば事足りる。まあ、この時期、しょうがないですな。

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 で、2時間余りで山中湖到着。

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 外気温は27.5℃と、日なたはちょっと暑いけれども、ちょっと日陰に入れば心地よい暑さではある。

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 ということで、カフェに入ってマルガリータ・ピザとアイスコーヒーで、Kindle読書。万平ホテルのミルクティーみたいな講釈はつかない普通のお店だが、かえってその方が良いかもしれない。なんて言い訳したりしてね。でも、ピザは一人分ではちょっと大きめ。

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 こうして冷房の効いたカフェでくつろいでいると、多少はホッとした気分になるものだ。まあ、万平ホテルみたいに開放フロアじゃないところはちょっと不満だけど、でも、涼しいほうがいいもんね。

 取り敢えず、帰りのことは考えない。場合によってはどこかのホテルに泊まってもいい、という位の考え方。まあ、この時期だと結構宿泊には困らないようだ。山中湖でダメなら富士吉田までいけばビジネスホテルなんかもいくらでもあるしね。

 しかし、2時間ほどKindle読書で過ごして帰宅。が、今度は談合坂SAあたりから小仏トンネルまで見事な渋滞。首都高も国立府中ICから調布ICまで渋滞という具合で、途端に現実に引き戻される。

 とは言うものの、昨年はまだサラリーマンをやっている状態だったので、「週末の軽井沢」がせいぜいだったが、今年はもうリタイヤした身。朝起きて、ちょっとした気分で出かけられるのだから、気分は良い。あと1時間かければ軽井沢だって行けちゃうしね。

 明日はいろいろ予定があるのでダメだけれども、その次の日はまたまた予定はないので、これまたどこか涼しいところへ行こうかな。

Fujifilm X10 @Lake Ymanaka (c)tsunoken

2013年8月19日 (月)

『アメリカンポップアート展』って、そんな権威のある美術館で開催されるものではないと思っていたのだが

 アメリカン・ポップ・アートというと、アンディ・ウォホールやロイ・リキテンスタインなんかの、写真をベースとして、それに色を付けて大量に複製するという形のアートで、それまでのパトロンによって保護されてきたアートの世界とは一線を画した「大量生産時代」の美術の流れか、と思っていたのだが、実は結局ここにもパトロンという存在があったのだった。

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 それがジョン・アンド・キミコ・パワーズ夫妻という、日本美術およびアメリカ現代美術のコレクターという存在だったのだ。

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 基本的に第二次世界大戦後のアメリカは、テレビなどのマスメディアの普及によって商品や広告のイメージが氾濫し、ハンバーガーやコーラ、レディメードの商品が街に溢れ、まさしくその後の日本のお手本となった大量生産、大量消費の社会が既に存在し、それらを主題とした作家たちは、それまでの美術などを特権化したものと見なすそれまでの既成作家群とは異なり、そうした大量生産によって生み出された「モノゴト」を素材として、それらを「複製」することによって美術作品の特権性を否定し、作家名を匿名化し、芸術を卑俗で普通の生活の中にあるものとして作品作りを行ってきた。それが「アメリカン・ポップ・アート」であり、日本では「VANジャケット」や「平凡パンチ」「ポパイ」なんかの、 卑俗メディアと共にあるものであった。

 つまりポップ・アートというものは美術界の権威主義に泥を塗るものであり、結局、イメージの大量生産と共にあり、それこそ美術館なんてところとは関係ないところで見られるものなのだと、考えていた。

 そんなポップ・アートにパトロンがいたなんてことは信じられなかった、というかそんなパトロン主義とは隔てられたところにアメリカン・ポップ・アートというものが存在していたと、昔は考えていたのだが、結局、美術の世界ではやはりパトロンの存在というものは切り離せないのだな、ということが理解できた。

 結局、美術の世界って、そういう世界だったのだな。

 アメリカン・ポップ・アート展は10月21日まで、六本木の国立新美術館で開催中。公式サイトはコチラ

2013年8月18日 (日)

『あんな「お客(クソヤロー)」も神様なんすか?』って、この程度のクレーマーじゃ当たり前じゃないですか

 まだまだ、この程度のクレーマーは安心できるクレーマーだな。

 だって、クレームの出どころは分かっているんだから。

2013_08_11_0623_edited1 『あんな「お客(クソヤロー)」も神様なんすか? 「クレーマーに潰される!」と思った時に読む本』(菊原智明著/光文社新書/2013年8月20日刊)

 取り敢えず、8人のクレーマーの紹介から……

「近くのスーパーでカレー味のカップラーメンと中濃ソースを買ってきてもらえる?」
ケース1 営業マンをこき使うお客様
 クレーマータイプ……勘違い型
 第一印象はこんな人……40代女性・専業主婦・おしゃべり・二人の子どもを溺愛
 【解決策】スムーズに契約させていただいたお客様だったため逃げられず、しばらくお付き合いするハメに。しかし、「これから大事な商談があります」と正当な理由で断っているうちにだんだんと雑用は頼まれなくなった。

「今日の2つの提案はどちらも受け入れることはできません。バカにしないでください」
ケース2 商談時とメールで態度がコロコロ変わるお客様
 クレーマータイプ……豹変型
 第一印象はこんな人……20代ご夫婦・おとなしそう・カカア天下で有名な群馬県にて
 【解決策】相手の顔が見えないメールでは、こみ入った話のやり取りは避ける。メールで関係をこじらせてしまうそうな時はアポを取るだけにして、直接お会いして商談を進めるようにする。

「人の敷地内でタバコを吸ったやつがいるぞ! どういうことなんだこれは!」
ケース3 現場でスタッフを威圧し続けるお客様
 クレーマータイプ……監視型
 第一印象はこんな人……5年前に定年を迎えた男性・無趣味・身長180センチ・コワモテ
 【解決策】業者さんやスタッフさんに、挨拶や声かけを徹底した。不器用で人見知りなだけで本当は話好きでさみしがり屋のお父様は、引っ越し時にはみんなと仲良くなっていた。

「えっ? よく聞こ……いなぁ……もういっかい……ツーツー」
ケース4 突然、音信不通になるお客様
 クレーマータイプ……自己中心型
 第一印象はこんな人……30代後半男性・財団勤務・上から目線で話すクセあり・独身・無趣味
 【解決策】考えたくなくても、どうしても頭から離れない案件を、すべてメモに書き出すことで、一旦思考の外に置くことができ、必要以上にその件に気をもむことがなくなった。さらに、窓口を複数に増やした。「私と連絡がつかない場合には監督の××か設計の△△に電話して下さい」もしくは「監督から確認の電話があります」と分散した結果、うまく回るようになった。

「すべてのものの金額は決まっているはずです。1円単位まで表示して下さい!」
ケース5 1円単位まで金額をはっきりさせようとするお客様
 クレーマータイプ……神経質型
 第一印象はこんな人……20代後半男性・年収少なめ・節約家・終始控えめな態度だったが……
 【解決策】納得なさるまで詳細見積りを出し続けた。すると、ある時に「これでお任せします」と急におとなしくなられた。

「もう嫌だわこんな家! 今すぐ来てちょうだい!」
ケース6 些細なことで怒り狂うお客様
 クレーマータイプ……怒り爆発型
 第一印象はこんな人……40代女性・細身・メガネ有り・教育ママ風
 【解決策】メンテナンス担当者と協力して、どんな小さい不具合でも丁寧に対応し続けた。その回数を重ねるたびにお客様の怒りは収まっていった。

「建物だけじゃなく、菊原さんにもガッカリしましたけどね」
ケース7 自分の都合のいいように解釈するお客様
 クレーマータイプ……自己中心型
 第一印象はこんな人……定年間近の男性・若々しい・決断が早くスピード契約
 【解決策】引き渡し後、嫌味を言われてもとにかく顔を出した。回数を重ねていくうちにお客様は私のことを信頼して下さるようになった。

「はぁ? そんなこと、プロだったらはじめから提案するのが普通でしょう?」
ケース8 ある日突然、豹変したお客様
 クレーマータイプ……豹変型
 第一印象はこんな人……30代前半のご夫婦・さわやかで感じが良い・商談に同席したご両親も好印象
 【解決策】第三者の存在に気づき、早いうちに接点を持つようにする。実際に会って話をすれば、意外といんなりとわかって下さることもある。

 うーん、この程度のクレーマーなら私でも相手ができるかも知れないなあ。だって、基本的にこうした「B to C」型のビジネスの場合、基本的にB側がC側に対して圧倒的に情報量が多いわけで、こうした情報の非対称性のある関係の中では、基本的に情報量の多いほうが勝つというのが基本なのだ。

 あとは、お客様との関係論の中での対処の仕方なわけで、要は如何にお客様とキチンと直接向き合うかということだけでしょう。でも、そんなのはビジネスの「基本のき」でしょ。基本的にお客様とは直接対面するというのがビジネスの基本であれば、別にお客を怖がることは何もないわけで、それでも理解してもらえなければ「ハイそれまでよ」ということでしかない。

「クレーマーに潰される」と言ったって、この程度のクレーマーなんてかわいいもの。キチンと正面から向き合ていれば何も怖くはないのだ。

 怖いのは、こんなメーカー側に実態を知られているクレーマーじゃなくて、メーカーに自分の実態を絶対に明かさないでもってクレームを言い出す奴。

 それでなおかつ、そんなメーカー社員の対応をいちいちツイッターか何かで呟いたりする奴なのである。「お客さんは神様です」って言葉を単純に信じ込んでいるバカ。

 むしろ、問題の多いクレーマーはこっちの方じゃないですか?

 なので、この本の程度の「クソヤロー」はクソヤローじゃなくて「神様」なのである。

 世の中にはもっとクソヤローな奴がいっぱいいるんだよなあ。

『あんな「お客(クソヤロー)」も神様なんすか? 「クレーマーに潰される!」と思った時に読む本』(菊原智明著/光文社新書/2013年8月20日刊)

2013年8月17日 (土)

『SHORT PEACE』は『SHORT PIECE』ではない

『SHORT PIECE』ではない、『SHORT PEACE』。

『SHORT PIECE』なら「短編」とか「小品」という意味だが、『SHORT PEACE』だと「小さな平和」という意味かなあ。

 まあ、原作表示としての『SHORT PEACE』じゃなくて、プロジェクト名としての『SHORT PEACE』なのだそうだ。

2013_08_13_0631_edited1 映画『SHORT PEACE』の公式サイトはコチラ

『SHORT PEACE』は大友克洋氏の初期短編集である。「宇宙パトロール・シゲマ」「'ROUND ABOUT MIDNIGHT」「School-boy on goodtime」「任侠シネマクラブ」「大麻境」「WHISKY-GO-GO」「NOTHIG WILL BE AS IT WAS」「夢の蒼穹」「犯す」という9タイトルが収められている。つまり、この映画とは何の関係もない。

 映画は『OPNENING』(監督:森本晃司)、『九十九』(ストーリー原案・コンセプトデザイン:岸啓介/脚本・監督:森田修平/CGI監督:坂本隆輔)、『火要鎮』(原作・脚本・監督:大友克洋/演出:安藤裕章/CGI監督:篠田周二)、『GAMBO』(原案・脚本・クリエイティブディレクター:石井克人/監督:安藤裕章/脚本:山本健介/CGI監督:小久保将志)、『武器よさらば』(原作:大友克洋/脚本・監督:カトキハジメ/演出:森田修平/CGI監督:若間真)の4作プラス1のオムニバス。

 基本的テーマは「日本」。

『九十九』は、嵐を避けて山の中の古いお堂に逃げ込んだ旅の男が、お堂に封印された「物の怪」によって訴えられた、使い捨てられた傘や着物を再生させ、やがてメデタシメデタシとなるお話。なんか「モノを大切にしましょう」なんてメッセージが聞こえてきそうな、近世日本の東北地方あたりにあったような、まるで柳田国男の『遠野物語』のような話。

『火要鎮』は、江戸の大店の娘が隣のやはり大店の一人息子に恋をするのだが、その息子は刺青をして親に勘当されてしまう。その一人息子は小さい頃から火事が好きで、半鐘が聞こえてくると家を飛び出してしまう。勘当をいいことに火消しに入ってしまう一人息子に会いたい娘は、家の行燈から出火した際に、それを無視して大火の原因を作ってしまう。という八百屋お七みたいなお話。

『GAMBO』は、「落ち武者」なんかが出てくるから中世日本、舞台はやはり東北地方か。村に災厄を招いている「鬼」の存在に悩ませている村長。やがて人身御供に出せるのは女の子一人になってしまい、女の子は山に入る。とそこで出会ったのがシロクマのGAMBO。GAMBOに鬼退治を願う女の子の意を察したGAMBOは鬼と壮絶な戦いを繰り広げ、そこにどこかの大名の鉄砲隊や槍部隊も加勢に入って、やがて鬼は滅びる。しかし、この「鬼」がどこから来たのだろうか? もしかしたら宇宙から?

『武器よさらば』は、『AKIRA』に先行して大友克洋氏が『ヤングマガジン』に2回だけ連載したマンガが原作だ。どこかの砂漠化した大都市でロボット兵器と戦う独立部隊。仲間や隊長を失い、最後はたった一人でロボット兵器と戦う兵士は、ロボット兵器にプロテクションスーツや認識票を破壊されてしまう。その瞬間、ロボット兵器は彼を兵士としては認識しなくなってしまい、一般人は戦闘地域から出ていくように諭される。素っ裸になった兵士は石を投げて戦おうとするが無視されて、カメラがずーっと引いて超ロングショットになると、そこに見えるのは噴火する富士山。そう、戦いの場所は富士山の火山灰によって砂漠化した未来の東京だったのだ。

 結局、この映画で描かれている日本って何なのだろう。

 つまり、「ちいさな平和」ということでの『SHORT PEACE』なら、まあ、そんなことも言えなくもない。柳田国男の世界、八百屋お七の世界、人身御供と鬼の世界、そして所詮は東京という狭い世界でのお話。つまりそれらのすべてが「ちいさな平和」ということ。

 であるならば、それに私たちはどう対処すればいいのだろうか、という設問には答えてくれない映画なのである。まあ、「日本」という存在そのものが『小さな平和』なんだということなのだろう。そう「平和憲法」に守られた、小さな日本。

 勿論、そんな答えを映画に求めるほどには私たちは劣化していないはずだ。しかし、何かヒントになるものでも提示があれば、それはそれで嬉しいのだが、まあ、それも無理か。所詮、オムニバス映画にそんな結論を求めてはいけない。

 じゃあ、何を期待して映画を見るのか。

 多分、皆、大友克洋の9年ぶりの劇場用アニメーションということでの期待感だけか?

 だったら、そろそろ短編じゃなくて、劇場用長編アニメーションを作ってほしいものなのだが。

コミック『ショート・ピース』は今回のアニメとは何の関係もない。しかし、大友克洋の初期のコミックの面白さ「不気味+コミカル」を見るにはいい作品である。アニメに関しては、むしろ『CG WORLD』の方が関係あり。

2013年8月16日 (金)

ヤマザキマリ版『スティーブ・ジョブズ』単行本①が出た!

 講談社の『Kiss』で連載の始まったヤマザキマリの『スティーブ・ジョブズ』だが、早速、単行本が出た。

20130816_215014 『スティーブ・ジョブズ 1』(ウォルター・アイザックソン原作/漫画:ヤマザキマリ/講談社KCデラックス/2013年7月1日刊)

 このペースで行けば、今後3か月か4か月に1回は単行本が出てくるだろうから、結構これは楽しみである。

 取り敢えず第1巻はリード大学から家に帰って、アタリ社に入社し、ドイツに派遣されて金を作りインドに行くまでが描かれている。

 まあ、一番の愉しみはスティーブ・ウォズニアックを組んでAPPLEを創業するところと、そのAPPLE社に返り咲いてからの、いろいろの粛清と新製品だろう。

 今後もその度に報告するつもりだ。

『スティーブ・ジョブズ 1』(ウォルター・アイザックソン原作/漫画:ヤマザキマリ/講談社KCデラックス/2013年7月1日刊)当然、Kindle版も出ている。125円安い!

『東京は郊外から消えていく!』なら消えていけばいいのである

 確かに「東京郊外」ってのは団塊の世代が中心になって作り上げてきた街だから、当然、団塊の世代の社会からの後退に伴って、滅びていくものなのだろう。

 つまり『郊外の物件が値下がりする理由①女性の社会進出②人口減少③高齢化④結婚しない団塊ジュニア』であり、それに対応しないままの東京郊外は廃れていくわけである。つまり『団塊世代のために建設された住宅ストックは次第に余っていき、空き家が増え続け、団塊世代の高齢化とともにニュータウンだった住宅地がオールドタウン化するだけでなく、空き家だらけのゴーストタウンになる危険性が増大するだろう』というのだが、それをしも結局、団塊世代の「自分たちのことしか考えようとしない身勝手な思想」がもたらした結果なのである。

 そんな町は滅んでいい!

2013_08_04_0053_edited1 『東京は郊外から消えていく! 首都圏高齢化・未婚化・空き家地図』(三浦展著/光文社新書/2012年8月20日刊)

 結局、団塊の世代って自分たちのことしか考えない世代なので『「第1に、空間のつくり方が間違っていた。時代の変化に耐えうる空間のゆとり、多様な世代が住める多様な居住の場がなく」、「まちに必要な『働、学、憩、農』の機能をつくらなかった」。つまり、若い核家族が永遠に、入れ替わり立ち替わり住宅地に住むという想定がされていたのである。
「第2に、住宅地をマネジメントする主体がなかった」。「開発業者はつくることが仕事で、行政は移管された道路や公園を決まった方法で管理する。住民は何かあれば、行政に文句をいうだけである。」つまり「だれも住宅地をマネジメントしてこなかった」。そもそも「マネジメントの発想がなかったのである」。』ということ。

 こんな連中が作った町なんかは『100戸あった家が70戸とか60戸とかになれば、そこで商売をしていた商店は採算が合わなくなり、撤退する。すると残された家の住民は、日常の買い物にも不自由することになる。地方の限界集落のような状態が、東京圏でもいたるところで出現』すればいいのである。次世代へいかにつなげるかも考えずに、自分たちだけの利便性で作った町である。そんな連中がいなくなれば、そんな町もいらなくなるのであるから、別にそんな町はそのまま滅びさせればいいのだ。

 しかし、とはいかないでしょ、というのが三浦氏の論点なのだ。

 つまり、そんな町をリノベーションして、オールドタウンをゴールゴタウンにしようという発想なのだが、そのためには基本的に自己中心的な「団塊の世代」を、取り敢えずご退場願わなければならないだろう。つまり、不動産の自己所有に凝り固まり、コミュニティを自ら作ることを拒否し、俺は俺で勝手に暮らせばいいじゃないかという団塊の世代である。

 したがって、そんな勝手な理屈でもって町を作ってきた団塊の世代が中心になって形作っているような町はなくなってもいい、というのが私の考え方である。

 つまり「町(街)は生きている」というのが私の考え方であって、町に住んでいる人たちが年老いていくのなら、それと同じように町も年老いて、いずれは無くなってしまってもいいのである。

 三浦氏は東京周辺の町しか見てきていないようだが、そのもっと周辺の北関東の町なんかは、いまや完全に滅びている都市が沢山ある。群馬県や茨城県のいくつかの都市なんかは完全にそうであるし、新潟県や長野県のいくつかの都市なんかもそうである。それは町がいくら発展を望んでいても、結局は人の移動によっては滅びなければならないし、消えていったりもするものなのだ。大体、限界集落なんて最早手の施しようがないじゃないか。それでも誰も手を差し伸べようとしていないのが現実だ。

 東京のブランド性の高いとされる「東急田園都市線沿線」の町なんかは、完全に東急という会社が作り上げた幻想なのである。団塊の世代に人気の高いこちらの地域なんかは、完璧に東京というビジネス圏から離れているにも関わらず『金曜日の妻たち』なんかのおかげで高級ブランド化し、今やそこに住む人間たちは自分の町がいかにも「山の手」であるような気分に浸っている。ところが、この町は言ってみれば東急というデベロッパーが作り上げた町でしかないし、そんな東京ビジネス圏から離れた場所が山の手だなんて、まさしく「東急の作った幻想の上に成り立っている人工都市」でしかない。

 町というのは基本的に為政者やデベロッパーのイメージで作られるものではない。何か町の中心になるものがあって、そこに自然と人が集まって作り上げられるものなのだ。つまり、そこには都市計画なんてものがなく、都市設計なんてものがあってはならないもの、というかそんなものの上に成り立っている町は、やがてその都市計画、都市設計が役目を終えたときには、町としての役割も終えるのである。

 そんな意味でも「都心3区」に入れられた千代田区、中央区、港区も、「副都心など4区」に入れられた渋谷区、新宿区、文京区、豊島区も、もしかすると首都機能を仙台とか京都に移した場合にはどうなるのか? つまり、三浦氏の論点の弱点は「いつまでも東京が首都であり、政治的にも、経済的にも日本の中心だ」という部分から離れられないという点なのである。

 今後、東京(首都)遷都というのは大いに有り得ることだし、そんな時にも三浦氏は東京を離れないのですか? 私は多分東京を離れないだろう。いや、むしろ東京が首都機能を失ってくれた方が、今みたいな東京一極集中というおかしな状況はなくなるだろうし、多分、その分だけ東京も住みやすくなるだろう。そうなった際の、東京限界集落化というのはどうだろうか。うん、これはいいかも。

 そう『東京は郊外から消えていく!』のなら、消えていかせればいいのである。「首都圏高齢化・未婚化」が何故問題なのだろう。

 そうやって、どんどん町が消えていき東京(圏)という変な都市機能が失われていくのが、私は楽しみだ。どんなに住みよい町になっていくのだろうか。

 まあ、どうせ引退した身になってみると、別にどうでもよいことなのであります。

『東京は郊外から消えていく! 首都圏高齢化・未婚化・空き家地図』(三浦展著/光文社新書/2012年8月20日刊)

2013年8月15日 (木)

こちらは「なつのロケット団」だ!

 きのう紹介した3331 ARTS CHIYODAの「Open Sky 3.0」と同時開催されていたのが「すすめ! なつのロケット団」である。

「なつのロケット団」というのは科学まんが家あさりよしとう氏描くところのマンガのタイトルなんだが、実は堀江貴文氏(仮釈放おめでとう!)の経営するSNS株式会社がスポンサーになって、実際に民間でロケットビジネスを立ち上げてしまおう、人工衛星をあげてしまおうというプロジェクトのタイトルでもある。

 まさしく規制緩和派の堀江氏ならではの発想ではあるのだが、しかし、JAXAあたりでやっている実験の数分の一位の予算で実はロケットなんてできちゃうよ。おまけに材料はそこらのホームセンターで入手可能なものだけでOKなんだ、というところがスゴい!

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 なんか萌え要素のある展示がいかにも漫画家の発想ですね。

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 で、「すすめ! なつのロケット団」の展示が。勿論、あさりよしとう氏もなつのロケット団のメンバーです。

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 こうしたロケットエンジンも普通に変える材料だけでできるのである。燃料もエタノールとか過酸化水素とか普通に手に入るものだけ。ただし、これらを制御する調整弁なんかが難しいのですね。彼らもかなりその辺で失敗を重ねている。

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 2017年には人工衛星を円周軌道に乗せ、2019年からはいよいよビジネス化させようというのだから、もうすぐである。

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 2013年8月10日には彼らのロケットすすかぜが到達高度6535メートル、最大時速マッハ1.12までだして、順次実験は成功しつつある。勿論、失敗も多々ある。

SNS株式会社の公式サイトはコチラ。いろいろなロケット実験の映像もタップリある。

Fujifilm X10 @Akihabara, Chiyoda (c)tsunoken

2013年8月14日 (水)

ナウシカのメーヴェはジェットエンジンで空を飛ぶ

 昨年の春に「AKIRA 原画展」をやった秋葉原にある、廃校になった元千代田区立錬成中学校の校舎を改修して作られた3331 ARTS CHIYODAで、現在『欲しかった飛行機、作ってみた Open Sky 3.0 八谷和彦 個展』というものが開催されている。

 で、そのイベントなんだ、って言ってしまえば、要は『風の谷のナウシカ』でナウシカが乗っている「メーヴェ」っていう飛行体を作っちゃおうという、しかもアート作品としてそれを出品してしまおうということなのである。アートだと普通「別に飛ばなくてもいいんじゃない?」ってなってしまうのだが、しかし、これはちゃんと飛ぶのである。

 そこが、スゴい!

 作ったのは八谷和彦氏というメディア・アーチスト。ポストペットを開発した人。2011年3月15日には『うんち・おならで例える原発解説~「おなかがいたくなった原発くん」』で話題となった張本人。

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 外から見ると普通のギャラリーみたいんんだけれども、中に入るとさすがに元学校という感じでの作りになっていて、なるほどなと思わせる。まあ、外観はまんま学校ですがね。

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 で、これはまんまメーヴェじゃないですか。ちょっと大きいけどね。スタイルはまったくメーヴェ。ナウシカの役割が八谷和彦っていうオッサン(失礼!)だということがちょっと残念だけれども。

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 参考図書の本棚にはちゃんと『風の谷のナウシカ』があります。

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 で、奥に見えるのがジェットエンジン。「機体中央部に噴気の反動で推力を発生するエンジンを積み」(Wikipedeia)っていうのがメーヴェの動力だそうだから、これまんまジェットエンジンのことだよね。

 で、基本は体重移動によって操縦するというのも、まんまメーヴェ。

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 こちらはゴム動力で飛ぶメーヴェ。現在は金沢21世紀美術館にアート作品として所蔵されている。金沢で飛ばした時は女性も操縦したそうなので、それこそまんまナウシカですね。

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 おお、科学まんがのあさりよしとう氏のマンガ解説があるぞ……、ってあさり氏はもう一つの方の展示の関係者なんだがなあ。

Open Sky 3.0のサイトはコチラ

金沢でのテストフライト(ゴム動力)の様子はコチラ

地上滑走&ジャンプ飛行の様子はコチラ

Fujifilm X10 @Akihabara, Chiyoda (c)tsunoken

2013年8月13日 (火)

う~ん、確かにその通りなんだよなあ。だけど……。半沢直樹シリーズに関するイケダハヤト氏の感想について

 池井戸潤の半沢直樹シリーズに関するイケダハヤト氏の感想が、いかにもイケダ氏風で面白い。

2013_08_12_0624_edited1 『オレたちバブル入行組』『オレたち花のバブル組』(池井戸潤著/文春文庫/2007年12月10日・2010年12月10日刊)

『半沢直樹さん、「倍返し」している暇があるなら、会社辞めて起業すればいいのに」というものである。

 これについては「この人、本当に原作読んだの?半沢が何のために銀行に入ったのか、そしてなぜやめないのは原作に充分描かれている」なんてトンチンカンなことをTwitterに書いて批判している人がいるが、それは筋違いというものである。そんなことはイケダ氏は百も承知、二百も合点というところから、しかしプロブロガーという立場から見れば、何か無駄なことをしているよなあ、という点をついたのであろう。

 とは言うものの、三大メガバンクと言われるうち、池井戸潤氏の出身行である三菱東京UFJ銀行(池井戸氏がいた頃は三菱銀行)の従業員数が33,600人、みずほ銀行が26,500人、三井住友銀行が22,500人と、三行合わせて8万人以上、連結会社までを含むとその倍くらいの人がまだまだ銀行関係で禄を食んでいる以上は、まだまだ銀行は日本の中心的な産業であることには変わりはないし、ということはまだまだ半沢直樹みたいに「やられたやり返す。倍返しだ」なんてことをやっている人は結構いるのである。

 プロブロガーなんて、言ってみれば今の日本ではまだあまりいない先端的な職業であるし、そんな立場の人から見れば「何無駄な悪あがきをしているんだ」というようなところだろうが、実は大半の日本人はいまだに大会社・中小企業の枷の中で生きざるを得ないということ。

 特に銀行なんて完全な官僚機構であるから、「手柄は上司のもの、失敗は部下のもの」というのは実にありそうだし、人事部出身の支店長がそれを武器に会社を自由に操ろうとするのも分かりやすいお話である。実際にはそんな単純な話ではないだろうけれども。

 ただし、一言だけ言ってしまうと、5億円位の不良債権なんて、それこそメガバンククラスになってしまうとゴロゴロある話らしく、それをもって銀行内部があんなにモメることはないそうだ。取り敢えず5億円位の不良債権は債権回収会社(サービサーというそうだ)に10万円位で売ってしまい、銀行としてはそれで債権処理終了、不良債権は経費処理をして税金対策をすませてオシマイ、ということになるそうだ。

 勿論、不良債権化した融資の担当者はそれなりには責任は取らされるだろうけれども、銀行上部の方には類は及ばないわけで、そうでもしない限りは銀行幹部になんてなる人はいなくなってしまう。で、結果として銀行内外部にはそんな不良債権となった融資の責任を取らされた行員の死屍累々ということになるのだ。

 まあ、勿論イケダ氏の言う通り『今の時代に半沢さんが、同じ環境で仕事をしていたら、さっさと会社を辞めて、優秀な同期たちと金融系のベンチャーでも興すのでしょう』というのもアリだろうし、『問題意識的に、エクイティ型のクラウドファンディングなんか興味を持ちそう。「これからは腐った銀行に金を借りる時代じゃない、市民の共感をお金にする時代なんだ!」とか』というのも面白い。これからは特にね。

 多分、今風に銀行を捉えたらまさしくその通りになるのであろう。で、池井戸氏も銀行を辞めて金融コンサルタント何かを始めたのかも知れない。

 で、テレビの半沢直樹シリーズは今度は『オレたち花のバブル組』の方に入っていき、今度は東京本店営業二部次長となった半沢直樹が、巨額の損失を出した伊勢島ホテルの立て直しを図るのだが、それを邪魔する金融庁の黒崎との戦いがメインのお話。ポイントは隠蔽資料の隠し場所であります。ネタバレごめん。

 で、実はこのお話の後、半沢は銀行の子会社の証券会社に出向になる。まあ、『オレたち花のバブル組』ではやりすぎってことで。で、出向先の証券会社で扱ったM&A物件が親会社の東京中央銀行に奪われそうになり、それと戦うのが、『ロスジェネの逆襲』なのである。現在、半沢直樹シリーズは『銀翼のイカロス』を連載中なので、それが完結したら、『ロスジェネ』と『イカロス』をベースにしてテレビドラマ続編かな。

20130812125607hanzawa TBS半沢直樹シリーズの公式サイトはコチラ

『オレたちバブル入行組』『オレたち花のバブル組』(池井戸潤著/文春文庫/2007年12月10日・2010年12月10日刊)Kindle版もあり、ただし値段は一緒。

2013年8月12日 (月)

『5年後、メディアは稼げるか』って? そりゃ、無理でしょ!

 東洋経済新報社という出版社に勤務し、しかし、自ら手をあげ「東洋経済オンライン」の編集長になりそれを楽しんでいる姿からは、まさしく次なるメディアへの変化に対応した正しい編集者の有り方を見るわけだが、そんな佐々木氏が『これから5年で、日本のメディア業界が激変する』というのであるが、果たしてそんなに時代は待ってくれるのであろうか。

20130804_122816 『5年後、メディアは稼げるか』(佐々木紀彦著/東洋経済新報社/2013年8月1日刊)

 まず佐々木氏が言う「メディア新世界で起きる7つの大変化」というものは何か?

大変化① 紙が主役→デジタルが主役
大変化② 文系人材の独壇場→理系人材も参入
大変化③ コンテンツが王様→コンテンツとデータが王様
大変化④ 個人より会社→会社より個人
大変化⑤ 平等主義+年功序列→競争主義+待遇はバラバラ
大変化⑥ 書き手はジャーナリストのみ→読者も企業もみなが筆者
大変化⑦ 編集とビジネスの分離→編集とビジネスの融合

 というものだそうだが、どうも私なんかはメディアというと出版社をイメージしてしまうので、これらの変化は既に起きているという発想をしてしまうのだが、佐々木氏は新聞・出版を同等に見ているので、やはりこうした見方になってくるのであろう。

 つまり、出版社は既に「大変化② 文系人材の独壇場→理系人材も参入」「大変化④ 個人より会社→会社より個人」「大変化⑥ 書き手はジャーナリストのみ→読者も企業もみなが筆者」「大変化⑦ 編集とビジネスの分離→編集とビジネスの融合」といったあたりは少しづつだが既に起きている変化なのである。ところが、新聞の場合は文系を出た社員のみが書き、編集権の独立というファイアウォールにしっかり守られている中で記者たちは仕事をしている訳で、そうなると多分一番メディアの変化に疎い人たちがメディア中のメディアである新聞記者であるということになってしまうのである。

 ところがそんな「旧来型のメディアの代表選手」である新聞でも、それとはまったく異なった展開をしている新聞がある。多分それがフィナンシャル・タイムズやウォールストリートジャーナルであり、日本では日経新聞なのである。1980年代に当時の「ニューメディア」ブームの時にセミナーやらニューメディア本をやたら出していて「ニューメディア・ブームを煽ってオールドメディアで稼ぐ日経」と言われた日経新聞も、それから30年経ったら、しっかりウェブで稼げるような体質の会社になっていたという訳なのだ。多分、こうした変化はオールドメディアの代表選手である朝日新聞や、渡邊恒雄氏のような頑固者をトップに掲げている讀賣新聞あたりにはできない変化なのだろう。何しろ難攻不落の「宅配システム」を未だに捨てていない両社である。そんな意味でも、殆ど朝日新聞の販売店に頼っており、その他では企業の一括販売によって立っている日経新聞は一番ウェブ・メディア化しやすかったのかもしれない。

 紙メディアとウェブメディアの違いは;

    紙              ウェブ
総合力勝負⇔タイトル勝負
          理性⇔感情
          余韻⇔断言
          建前⇔本音
       一貫性⇔多様性
          集団⇔個人

 ということ。この辺は大体わかっていることではあるが……。

 結局、新しいメディアビジネスを生み出すには;

オプション①社内に、デジタル時代に適合した新組織を立ち上げる
オプション②既存の組織からスピンアウト(分離独立)した新しい組織を立ち上げる
オプション③デジタル時代に適合した組織を買収する

 という、割と当たり前のアプローチになってしまうのだ。

 更に、ウェブメディア時代になると『記者の価値が下がり、編集者の価値が上がる』ということになるらしい。確かに、「記者やジャーナリストだけがメディアに物を書く」時代から「誰でもメディアに物を書ける」時代になれば「記者の価値が下がり」それをキュレーションする「編集者の価値が上がる」ということになるのだろう。

 で、そんな時代のジャーナリストの条件とは;

条件① 媒体を使い分ける力
条件② テクノロジーに関する造詣
条件③ ビジネスに関する造詣
条件④ 万能性+最低3つの得意分野
条件⑤ 地域、国を越える力
条件⑥ 孤独に耐える力
条件⑦ 教養

 ということだそうだ。って、言ってみれば当たり前のことが出来るということが条件ということなんじゃないだろうか。だって、この条件というのは雑誌ジャーナリズムの世界では既に殆ど当たり前の条件になっていることなのだ。

 つまり、大会社という枠に守られた新聞ジャーナリストではあり得ない状況の中で生きていかなければならない雑誌ジャーナリストは、実は既にして次世代のウェブメディアで生き残れる状況を持っているとも言える。おまけに「低所得」に耐える生き方も既に知っている訳で、それこそ新聞記者では味わえない生き方ではあるのだ。

 そうか、雑誌記者や編集者ももうちょっと頑張ればウェブメディアの中心的な存在になれるのだ。頑張れよ!

 と言った後で、しかし、考えてみればそんな人たちの中の何パーセント位の人が、ウェブのテクノロジーについて詳しいのだろうか、と考えてみると慄然とする。

 そうだ、問題は「条件② テクノロジーに関する造詣」と「条件③ ビジネスに関する造詣」が大事なんだよな。大体「落ちこぼれ」が多い雑誌ジャーナリズムだもんな。

 その辺をちゃんと勉強しないと、5年後に稼げないメディアになっちゃうよ。

『5年後、メディアは稼げるか』(佐々木紀彦著/東洋経済新報社/2013年8月1日刊)当然、Kindle版が出ている。300円安い!

2013年8月11日 (日)

高山市町内会会計係の家

 高山の街を歩いていると面白い発見があった。

 一軒家の門々には当然表札なんかが掲げてあるわけであるが、それと一緒に「町内会会長」とか、この写真みたいに「町内会会計」なんて、町内会の役職が表札として掲げてある。まあ、それだけ町内会活動が町の運営の中で重要な位置を占めているのであろうが、これは東京ではまず考えられないことなのである。

 う~ん、すごいな古都の町運営というのは……。まあ、こうした町内会関連の町運営というのがあって、はじめて「古い街を再現する」ということも可能になるということなのだろう。

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 で、高山として有名なのは「朝市」である。

 当然、私も朝市に出かけたわけでありますが、まあ、要は近隣の農家の主婦が、自分ちの畑で採れた野菜なんかを持ってくる市ということで、特別なものではない。その素朴さは高山の朝市でもそのままであり、その辺は好感が持てるところではある。

 お土産品なんかの屋台は殆どないというのも、いいところではある。

 あまりにも商業化されてしまった朝市ってのも、なんか興醒めだしね。

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 で、昔から「高山の朝市」としては有名な「宮川の朝市」なのだが、今は昨日紹介した高山陣屋の前にある広場でも朝市が開かれている。

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 まあ、でもこちらも宮川の朝市と同じようなもので、基本は畑で採れたものを売っている、という形態である。勿論、それ以外の「お土産品」を売っているところもなくはないのだが、ほとんどそれはないも同然。さすがに老舗の高山朝市だけのことはある。まあ、多少宮川の朝市に比べると「お土産度」がホンの少しあるかなという程度ではあるけれども。

 しかし、観光客がこうした朝市で野菜なんかを買っていくんだろうか? それはちょっと不思議。全国宅配便OKみたいな屋台もあったけど……。

Fujifilm X10 @Takayama (c)tsunoken

2013年8月10日 (土)

高山は欧米人、白川郷はアジア人が多い、って本当?

 さて、高山報告だが、白川郷、高山と順に巡ってみると、どうも白川郷はアジア人というか中国人が多く、高山は欧米人の観光客が多いようだ。

 というエントリーを書き始めようと思ったのだが……、やめた。白川郷のトイレに中国語で「トイレの水は必ず流してください」なんてことが書いてあり、「ああ、中国はまだ水洗化があまり進んでいないのだな」という印象からそんなことを考えたのだが……、それを証拠づける材料はないものでね。

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 とは言うものの、大型バスで団体旅行が多い中国人と、個人や数人の友人と一緒の旅行が多い欧米人の旅のやりかたの比較で考えてみれば、駅前から街が出来上がっている高山の場合は個人で訪れても街の観光ができるわけで、駅からかなり離れた(高山からクルマで2時間位かかる)白川郷では、旅の利便性がまったく異なり、なるほど高山の方に欧米人が多く訪れるというのも理由がある、というイメージはある。

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 高山の街は昔の町並みが再現されていて、古い街=高山というイメージ通りの街になったりしている。

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 代官屋敷(高山陣屋)なんかも蔵が再現されていて、そこが展示場になっていたりして、いろいろ観光客を飽きさせない配慮ができている。

 とにかく、高山は昔のイメージを如何に再現するかというのが観光テーマであるようだ。

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 一方、白川郷はどちらかというと、昔の建物をできるだけそのまま維持しようという発想で考えられており、「日本昔話」をイメージした町づくり。 まあ、世界遺産に登録されている以上は、あまり手を入れてしまってはいけないのだろう。

 かなりの合掌造りの家は民宿を営んでおり、ここに泊まる人は多いのだろう。なんか生活臭いっぱいの白川郷であり、欧米人なんかはこれら「いかにも日本」という雰囲気は楽しめると思うのだが、やはり「遠い」というのは観光には適していないということなのかなあ。

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 しかし、この合掌造りの家を維持するのは大変そうだ。 当然、屋根は何年かに一度は葺き直さなければいけないだろうから、その際は村人総出でやるんだろう。

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Fujifilm X10 @Tkayama, Shirakawa (c)tsunoken

2013年8月 9日 (金)

富山市民の足は富山地方鉄道富山市内軌道線

 富山地方鉄道富山市内軌道線って言ったって、多分富山市民も「何、それ?」という感じだろう。つまりは「富山市電」のことなのだ。

 運営は富山市がやっていた時期があり、そのために富山市民は皆市電と呼んでいるのだが、実は現在は富山市営ではなく富山地方鉄道という立山の方へ行く私鉄が市内電車を運営しているので、そんな正式名称がついている。

 とは言っても、富山市民にとっては市電ですよね。まあ「市営電車」なのか「市内電車」なのかは、それを使う市民にとってはどうでもよいことなんだろうなあ。

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 で、普通市電というとこんな感じや

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 こんな感じの高床式の電車ですよね。

 で、昨日紹介した富山ライトレールが北陸新幹線の開通、JR富山駅の高架化後はそのまま富山地方鉄道富山市内軌道線と相互乗り入れする計画があるというのだ。

 えっ? あんな高床式の市電と、低床式のライトレールが同じ路線を走るの? と思ったのだが、実は既に走っていたのだった。つまり、富山地方鉄道富山市内軌道線環状線は既にライトレール化しているのだった。

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 これがLOOPLINE、つまり環状線を走るポートラムと同じ形のセントラム。なるほど、中央環状線というわけね。

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 で、こちらが同じ環状線だがサントラムというような名前で呼ばれているトラム。なんでサントラム? っていうと3両連結だから……、というまあお手軽なというか、安易な名前のつけ方ではあります。いいなあ、こういう「ヌルさ加減」は。

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 環状線自体は反時計回りの単線なのだが、一部他の路線と共同で使用しているので、当然、トラム型の電車と、旧来の市電型電車が同じ路線を走っているのだ。

 なかなかシュールな雰囲気ではあります。

RICHO GRDⅢ+GW-3、Fujifilm X10 @Toyama (c)tsunoken

2013年8月 8日 (木)

富山ライトレール!

 新潟の妙高市に墓参りに行くことになり、帰りに高山市に泊まろうということになったので、その前日は富山泊まりということになり、前から乗りたいと思っていた「富山ライトレール」に乗ってきた。

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 富山ライトレールとは以前はJR西日本の富山港線といっていたのだが、第三セクター方式で運用することになり、一部を路面電車化して2006年4月に開業した、ライトレール方式の電車である。つまり、私が仕事でしょっちゅう富山に行っていた頃は、まだ富山港線でありライトレール化していなかったわけであるので、尚更乗ってみたいと、以前から思っていたのだ。

 ライトレールは現在宇都宮市でも企画されており、どんな感じなのかを知りたかったというのもある。

 基本的には路面電車なのだが、低床式の電車でいわゆる市電型の電車とはちょっと違ったモダンなデザインの電車で、オランダのアムステルダムのトラムが有名である。

 富山ライトレールの愛称は「ポートラム」。つまり富山港(Port)と路面電車(Tram)を組み合わせた造語で、一般公募でつけられた愛称だそうだ。

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 車内はこんな感じ。低床式なのでシートの部分だけが盛り上がっていて、その下に車輪が入っているんだろう。ちょうど羽田行のモノレールとは逆だ。

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 富山駅北口からインテック前までは路面電車なのだが、三つ目の奥田中学校前から終点の岩瀬浜駅までは専用軌道になる。つまり富山港線だった頃は、このまま道路を横断して専用軌道のまま富山駅まで行っていたんだろう。

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 基本的には単線だが、いくつかの駅では複線になっていてすれ違いが出来るようになっている。線路の切り替えは「スプリングポイント」という、江ノ電なんかと同じ方法が使われていて、車両が低速であるということと、進入方向が常に一定だからできる方法である。

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 で、現在富山ライトレールでは「鉄道むすめラッピング電車」というのを走らせていて、実はこれトミーテックが展開している全国の中小私鉄の萌えキャラ電車なのである。富山ライトレールの鉄道むすめは、終点駅に合わせて「岩瀬ゆうこ」という娘なのだそうだ。

 あとは詳しいことはよくわからないが、取り敢えず9月30日までこの鉄道むすめラッピング電車は走っているらしいので、萌えキャラの好きな鉄ちゃんはすぐにでも富山にイカネバの娘なのだ。

RICHO GRDⅢ+GW-3 @Toyama (c)tsunoken

2013年8月 7日 (水)

『軽自動車に乗る人妻はなぜ不倫に走るのか?』それはわからないけど。でも人妻にもモテたいな

 キャッチーなタイトルに思わず手にしてしまった一冊である。

 しかし、「軽自動車に乗る人妻」と「不倫」を繋ぐデータってあるんだろうか?

2013_08_04_0052_edited1 『軽自動車に乗る人妻はなぜ不倫に走るのか?』(溜池ゴロー著/双葉新書/2013年5月19日刊)

『つまり、日中、ダンナが仕事で出かけている間に彼女たちは、
① 自分の自由に使える軽自動車に乗って、
② 携帯サイトやネットで連絡を取った不倫相手と、
③ 郊外ロードサイドのファミリーレストランで落ち合って、
④ 街道沿いのラブホテルで……
 という感じで不倫を楽しんでいるようなのだ』

『ここからは、私の分析だが、軽自動車(世帯の2代目の車:引用者注)を手に入れ、ダンナのいない昼間にノビノビと行動できるようになった人妻たちが年々増えていく中で、『失楽園』『不機嫌な果実たち』などの大ヒットというキッカケを与えられ、不倫に走る人妻が増えたのでは? いわば、軽自動車の普及という、”不倫のインフラ整備”が整っていったのが、1996年を軸とする90年代のことだったのではないだろうか?』

 まあ、それは結局、日本の男たちが結婚した段階で、自分の妻に「女性」を認めずに「良き妻・良き母」という役割だけを求めてしまうという実態が起こしたものだということから考えれば、妻の不倫というものは、基本的に夫とその社会に原因がありそうだ。

『一歩外へ出ても「○○さんの奥さん」、「○○ちゃんのお母さん」と呼ばれ、「ひとりの女性」とは見てもらえない。そして、「自分という存在って、いったいなんだろう……?」と寂しさと虚しさを胸に溜めていってしまうのだ』

 で、そんな妻が不倫をする相手はどこで見つけるのかと言えば;

『都会では、手頃な場所にダンスや料理などの趣味の教室が林立している。少しでも「習いたいな」という気持ちがあったら、人妻でも、月に1万円前後のおカネを捻出しさえすれば、気軽に通うことができる。実際、子どもが小学校へ入学して、時間に余裕ができたのを機に習い事を始める人妻は多い。
 そうした学びの場所には、得てして知識の吸収に貪欲でレディファーストの術を身につけた紳士的な男性も集いがちだ。よって、彼らと「同窓生」となった人妻は、恋愛感情は別にして、ほどよい距離感を保った交流ができて、女性として丁寧に扱われる快感を味わい、自ずと「私は、れっきとした女性なんだ」という自信を身につけていったりする』

 あるいは、暇な女性同士でコミュニティを作って、地元の行きつけの店で他愛もないおしゃべりで時間をつぶしたりしている、そこで;

『実はね、夫以外の男とセックスしちゃったの』とか

『女性ペアで居酒屋に行ったら、隣の男性からナンパされちゃった』

 なんていいう「共同体員」の生々しい話を聞いたりして『「身近な人が体験したのだから、私もトライしても大丈夫かも!」というゆるい安心感が芽生えるし、強気にもなれる』となって、早速、夜、子どもの面倒を夫に任せ、「共同体員」と居酒屋なんかに繰り出して、見知らぬ男性からナンパされたりしても、「共同体員」同士で口裏を合わせれば、絶対に夫にはバレない完全犯罪が成立したりするのである。

 なるほどねえ。

 まあ、夫が堂々と浮気をしたりする訳だから、妻が不倫をしても別に罪悪感はないだろうし、夫というのは「超鈍感」な動物だから、まあバレることは絶対にないだろう。

 で、溜池ゴロー氏によれば人妻を確実に落とす10のメソッドがあるそうだ。

『今あなたが口説こうとしているのは「人妻」ではない~「相手は人妻ではない。一人の女性」と心得よ』
『積み上げ式のホメ言葉で人妻の心の隙に入り込む~「野球のバントのようにコツコツ」戦法で好感度アップ!』
『「その目尻のラインにゾクゾクッとくるんですよね」~相手がコンプレックスに思っている部分をあえて持ち上げる』
『女性に「大丈夫です」と言わせて細かな心遣いを感じさせる~「寒くない?」「痛くない?」……思いやりのボキャブラリーが大切』
『「こんなにまでして頼まれれば、仕方がないから」~人妻は行為に及ぶ「大義名分」を特に作ってあげる』
『人妻にモテる体質に劇的に変わるホメ術を伝授~ホメることに慣れていない人は即実践! さりげないホメの技術』
『人妻にとって「都合のいい男」を最後まで演じ切る~関係を持ち続けたいなら、人妻であることを忘れさせる』
『【番外編①】どんな女性でも必ず落とせる「溜池式モテ3ヵ条」~「不潔・ウジウジ・不自然(虚勢を張る)」に陥らないために』
『【番外編②】「童貞返り」は好感度を高める~モテたければ童貞時代を忘れてはダメ』
『【番外編③】女性と会話の「制空権」を握る~女性は話しやすい男性に自然と好感を持つ』

 ということなのだが。

 別にこれは「人妻」じゃなくても、普通に女性にモテたい男なら実践できることなのである。つまり、それはこと人妻じゃなくても、女性に持てる男の条件みたいなものであって、つまり人妻をちゃんと「普通の女性として」扱えということなのだ。

 で、当然不倫相手は彼女の夫と違い、人妻を女性として扱うわけであるから、人妻からモテるという訳なのだな。

 まあ、今や人妻っていっても若く美しい人は多い。もう、これは楽しみだな。

 ウッフッフ。

『軽自動車に乗る人妻はなぜ不倫に走るのか?』(溜池ゴロー著/双葉新書/2013年5月19日刊)

2013年8月 6日 (火)

『IT企業という怪物』だけがブラックじゃないが、そんなブラック企業は辞めればいいのだ

 今、富山に来ています。明日は高山に行って、高山泊まりで東京に帰る予定。

 だけど、取り敢えずこれまでにエントリーしていた文章をUPします。富山、高山報告はその後に……。

 別にIT企業がブラックだということではないのだが、一方IT企業にブラックなところが多いというのも事実なようだ。その理由は顧客にあるというのだが……。

 つまり『問題は技術にあるのではなく、顧客が夜遅くまで働くことです。「午後6時から会議をやろう」と言われ、会議の終わりに「翌朝までに結論を出しておいてください」と宿題をもらうことも少なくない。となると、IT企業の社員は遅くまで働くしかありません』ということなのだが、そんなものは毅然とした態度で断るくらいの姿勢がないのだろうか? それとも、そんなことすると他の会社に仕事を奪われてしまうという心配があるのだろうか?

2013_08_01_9989_edited1 『IT企業という怪物 組織が人を食い潰すとき』(今野晴貴・常見陽平著/双葉新書/2013年7月21日刊)

『朝8時半出勤で、夜10時くらいに退社する毎日でした。平均して13時間労働です。
 でも当然のように1円も残業代は支払われない。時間外労働の100時間分は、毎月の給料に最初から”込み”ということになっていて、100時間を超えて残業しても一向に支払われなかったんです。
 そのうえ、持ち帰り残業はほぼ毎日あるんです。土日の休みの前になると”休日中のタスクリスト”を作るよう上司から課されて、休み明けには報告しなくてはいけない。息をつく暇もありませんでした。
 身体が半年持たずに悲鳴を上げて、血尿が出て鬱病を発症してしまって会社を辞めました。いまもリハビリの日々を送っています』

 入社式での上司の発言。
『お前たちはクズだ。異論はあるだろうが、社会に出たばかりのお前たちは何も知らないクズだ。その理由は、現時点で会社に利益をもたらせるヤツが一人もいないからだ』

『求人数も少なく、「正社員にならなければ」と追いつめられた新卒は安いし言うことを聞くからと大量採用、大量解雇を繰り返し、効率的に利益を上げようと悪辣な巧妙さで若者を使い潰す』

『正社員だったんですが、社長から無茶な命令をされて、それができなくて……なぜか固定給じゃなくて時給で給料が換算されるようになったんです。1時間につき850円。これが私の給料でした』
『トイレに行った時間や、煙草を吸いに行った時間の分は、社長の目分量で給料から引かれましたね。煙草はまあ、しょうがないところもあるかもしれませんが、出先から戻る時間とか、社長から電話でアレコレ説教されたような時間とか、そういうものも、すべて引かれてしまうんです』

『俺は君を気に入った。ほかの役員が反対していて、本当は不採用だけど、私の一存で、アルバイトなら雇ってもいいよ』

『従業員への罰金のみならず、「巨額の損害賠償請求」もよく聞く。実際に裁判になった事例で衆目を集めたのは、退職を申し出たら、2000万円もの損害賠償を請求する訴訟を起こされたという話である』

『独立をサポートする体を取りながら、実際は、従業員を分社化した会社の社長にすることで責任を押し付け、業績が悪くなったらすぐに切るという手管を駆使している企業も多々見受けられる』

 むむむっ、企業の側もいろいろやりおるのう。ただし、これらすべては違法行為なのである。

 まあ、いろいろ考えて、会社の利益を上げる方法を考えているのだろうが、ここはやはり働く側もいろいろ考えて対策を練る必要があるのだろう。

 別にIT企業がすべてブラックなわけではないけれども、企業としての歴史が浅いIT企業ならではの「モロ見え」部分がそこにはあるのだろう。歴史の長い企業は、結局創立当初はそんなブラックな部分もあっただろうが、時間を経ていく過程において、そんなストレートな部分を削っていき、できるだけ従業員が長い間仕事を続けてけるような環境づくりをせざるを得なくなり、「普通の企業」の姿になってきたり、そんな「普通の企業」の子会社だったりするIT企業は、親会社の文化を受け継いでいるので、はじめからキチンとした従業員対応をしている。

 まあ、そんなわけで今ブラック化しているIT企業だって、いずれの時期にはホワイト企業になったりするんだろうけれども、じゃあそんなブラック企業に入ってしまった若者はどうすればいいのか。

 って、コトは簡単。辞めればいいのである。

『そもそも、顧客の要求が厳しいから、労働条件が厳しくなっているのか、それとも、労働条件がゆるいから、顧客が無理を要求できるのか。どっちが先かというより、私は、そもそも日本人みんな労働条件を守ろうとしていないのだと思います』

 と今野氏が言う通り、日本人は労働者自身がコスト意識を持って仕事をすることを経営者から求められ、その言う通りに仕事をしている。勿論、経営者にはコスト意識は必要だが、労働者が会社全体から見た「自分という労働者のコスト」を考える必要はない筈だ。

『違法行為を受けて働けなくなりそうになると、まず人は「自分が悪い」と思いがち。それに「辞めても他に働くところがない」と悲観的に考えてしまう』のだが、実はそんなことはないのだ。違法行為を受けて働けなくなりそうだったら、働くのを辞めてしまえばいいのだ。別に、貴方がいなくても会社の仕事は回っているのだし、貴方が働く場所はいくらでもある。

 まあ、一度立ち止まって周囲を見回してはどうだろうか。結局、鬱病になったりするのは、そういう余裕がなくなってしまっているからなのだが、本当にギリギリになる前に、一度立ち止まるということが必要だ。

 で、周囲を見回してみると、なんだ結構みんなノンビリやっているじゃないか、ということが見えてくる。

 そう「こりゃ、やっていけんわ」となったら、辞めればいいのだ。

 ホントに……、辞めれば。

『IT企業という怪物 組織が人を食い潰すとき』(今野晴貴・常見陽平著/双葉新書/2013年7月21日刊)

2013年8月 5日 (月)

『さよなら渓谷』の夫婦関係って……ありかな?

 なんとも「重い」映画である。

201308031011142 映画の公式サイトはコチラ

『さよなら渓谷』(監督:大森立嗣/脚本:大森立嗣、高田亮/原作:吉田修一/製作:ファントム・フィルム、キングレコード、スターダストピクチャーズ)

 夫婦というものは基本的に「幸せになるため」に夫婦になる筈である。しかし、このように「不幸せになるため」に夫婦になる男女というものがあるのだろうか。

 15年前に自分をレイプした男と夫婦になることを決めた真木よう子演ずる尾崎かなこ(実名:水谷夏美)が何を考えて尾崎俊介(大西信満)と内縁関係を続けているのか。それは復讐なのか、あるのは憎しみだけなのか、あるいは憐憫なのか。自らレイプした女と内縁関係を続ける男は、何故、彼女との夫婦関係を続けているのか。それは償いなのか、悔恨なのか、あるいは「愛」なのか。

 なんともはや「救い」のない映画ではあるように見える。

 映画の最後は、かなこが突然疾走して終わる。しかし、俊介はそれをまた追いかけるという。再び「不幸せになるため」の夫婦生活を続けるために。

 ラストシーンで雑誌記者の渡辺一彦(大森南朋)が俊介に問う。「もし15年前に戻れるというのなら、貴方は、かなこさんを知らなかった人生と、知ってしまった人生とどちらを選びますか?」と。しかし、そんな問いには答えはない。当然である。人生に「もしも」はないし、仮にあったとしても、人生に正解はないのである。しかし、渡辺も自分の人生に迷いを生じている人間だ。元ラグビー選手だった渡辺は、実業団に行ってもラグビーを続け、怪我が原因でラグビーを辞め、今は雑誌記者をしている。ラグビーを続けたことによって、そして怪我でラグビーを諦めたことによって、妻との関係がギクシャクしている。その救いを求めて一彦は俊介に問うたのだろう。

 それはたとえ「幸せになるため」に夫婦になっても、それは永遠ではないということ。

 もともと、夫婦なんて言うものは、赤の他人がなんらかの原因で知り合って、結局人生を共にする関係である。いつかその関係は終わるだろう。いや、終わりを迎えなければならないのである。お互い別れ別れになる終わり方もあるし、一方が死亡して強制的に終わりを迎えなければならないこともある。どんな終わり方だろうが、それは「別れ」である。

 どんな別れ方がお互いにとっていい別れなのだろうか。

 それもやはり正解はないのだろう。

 だとするならば、男と女がどんな出会い方をするのが一番いいのか、ということにも正解はないのではないだろうか。

 それが誰かからの紹介だとか、ネットでの出会いだとか、街中でのナンパだとか、……だとか、……だとか。そんな「……」の中に、「レイプだとか」というものもあるのだろうか。

 なんかこの映画を見てからは、そんなこともあるのかも知れない、と考えるようになった。レイプ事件の被害者と加害者という出会い方。普通の男女の出会い方であっても、セックスのきっかけなんてレイプみたいなものだ、という考え方もあるのだろうが、しかし、それはお互い納得ずくのセックスである以上、レイプではない。犯罪ではない。

 しかし、犯罪によるセックスと普通のセックスを分けるものってなんだろうか。

 セックスをするという行為自体には何の違いもないのではないだろうか。

 女性が望まないセックスがレイプだというのなら、例えば女が正常位でのセックスを望んでいたのに、男が後背位でセックスをしたらレイプなのか。

 狒々爺が少女を手籠めにしたらそれはレイプなんだろうか。その結果、二人が結婚して、その元少女=今妻が一生かけて狒々爺を呪ってやるなんていう話はありそうだが、それもまた「不幸せになるため」の夫婦関係なのだろうか。

 世の中にはいろいろな夫婦関係があっていいはずだ。

 勿論、愛し愛され合う関係が一番いいのだろうが、そうでない夫婦関係はいくらでもあるし、そんな関係がいつまでも続くとは限らない。

 そうであるならば、15年前自分をレイプした男と夫婦になって、一生その男が不幸せになることを望んで末永く夫婦関係を結ぶ女、なんてこともあるのかもしれない。

 人間60年もやってくると、いろいろな夫婦関係があることが分かってくる。

 なかには憎しみ合いから、その結果として信じ合いになる夫婦もあるだろうし、あれだけ愛し合っていたのに、今や憎しみだけがお互いの存在理由になっている夫婦もある。

 表面上は平穏無事な我が家の夫婦関係も、実はどうなんだろうか。

 妻の心の中だけは見えない以上、ちょっと不安になったりして。

2013年8月 4日 (日)

『終戦のエンペラー』は「どっちがエンペラー」っていう映画だよね

20130802_182726 映画の公式サイトはコチラ

『終戦のエンペラー(EMPEROR)』(監督:ピーター・ウェーバー/脚本:デビッド・クラス、ヴェラ・ブラシ/プロデューサー:奈良橋陽子、野村祐人、ゲイリー・フォスター/原作:岡本嗣郎「陛下をお救いなさいまし 河合道とボナー・フェラーズ」集英社)

 基本的にはダグラス・マッカーサー元帥(トミー・リー・ジョーンズ)の副官として来日し、昭和天皇の戦犯不訴追に重要な働きをしめしたボナー・フェラーズ准将(マシュー・フォックス)が主演の映画である。なんか宣伝を見ているとBOSSコーヒーのおじさんが主演なのかと思ったのだが、それは鮮やかに裏切られた。

 で、ボナー・フェラーズ准将なのだが、加藤哲郎一橋大学名誉教授(政治学)の論文『ハーン・マニアの情報将校ボナー・フェラーズ』に詳しい。

 当論文によると、フェラーズは1896年イリノイ州の敬虔なクェーカー教徒の農家に生まれ、1914年にインディアナ州リッチモンドのアーラム大学に入学し、そこで津田梅子が創設した女子英学塾の教授で、日本YMCAの創設者の一人で、後に恵泉女学園を創立する河合道の尽力によって、同大学に留学していた渡辺ゆり(後の一色ゆり)と親しくなったという。その後も、来日する度にフェラーズとゆりはあっていたようなのだ。つまり、この映画でフェラーズと恋仲になるアヤ(初音映莉子)という女性のモデルはこの一色ゆりのことなのだなということが分かる。一色ゆりが米軍の空爆で死んだのかどうなのかはよくわからないが、どうも戦後まで生き抜いたようなので……、まあ、これはどうでもよいことなのだが。要は、映画にラブ・ロマンスの味をちょっと付け加えたいがためのキャスティングであるにすぎないからね。

 まあ、いくらでも突っ込みどころのある映画ではある。例えば、アヤの叔父である鹿島大将(西田敏行)だが、サイパンと沖縄で司令官を務めたとのことだが、ええ? それって玉砕したんじゃないの? 玉砕した島で司令官を務めた大将が、戦後静岡でのうのうと暮らしているなんて……、とか。マッカーサーが降りてきた厚木海軍航空隊基地で警備の日本兵がマッカーサーが乗った車が通り過ぎるたびに後ろ向きになったり、天皇が皇居をでてマッカーサー邸に向かう通りで人々が天皇の車にいちいち後ろ向きになったり、というのが日本人のビヘイビュアーとしてはあり得ない、普通はお辞儀をするか、跪くんじゃねの? とか。天皇の玉音放送用のレコード盤を巡ってのクーデターまがいはあったのは確かだが、あんなに戦闘状態にはなっていないとか。まあ、いろいろと考証部分などで突っ込みたければいくらでも突っ込める場所は多い映画である。日本人がプロデューサーを務めていても、結局は撮影現場はディレクターの世界であるから、あまり文句は言えない、というかそこで文句を言って撮り直しになってしまっては、結局製作費に跳ね返ってきてしまう問題なので、まあ、シナリオ段階では相当突っ込んだ話をしているだろうけれども、撮影現場になってしまえば、そこは監督にまかせてしまうしかないのだろう。

 なので、ここではあまりそうした突っ込みはしない(って、してんじゃないかよ)。

 問題をフェラーズ准将がどれほど日本のことを知っていて、「天皇不訴追」を上申し、その後の戦後憲法のもとになった「象徴天皇制」を考え出したのか、というところに持っていきたい。

 ポイントはフェラーズとアヤとして一人の女性として描かれた一色ゆりと河合道のふたりにあるのだ。来日したフェラーズの世話をした一色ゆりはフェラーズの「日本を知るにはどうすればいいのか」という問いに、「いちばんいい資料はラフカディオ・ハーンだ」と答えたというのだ。「ハーンは、日本人を理解した、初めての、そして唯一の西洋人であったろう」というのが、フェラーズのハーン像である。

『ラフカディオ・ハーン=小泉八雲の日本についての著作を原点として、小泉の思想が渡辺(一色)ゆり、河合道を介して米国陸軍きっての日本通フェラーズに伝わり、「ハーン・マニア」のフェラーズが敗戦時にマッカーサーに働きかけて「天皇不訴追」と「象徴天皇制」成立の有力なルートになったとるす研究が現れた』(『ハーン・マニアの情報将校ボナー・フェラーズ』加藤哲郎一橋大学名誉教授)

 とは言うものの、それは戦争が終結してから始まったテーマではない筈である。アメリカは日米戦争開幕以前から、日米戦の戦後処理方法を考えていたわけで、それはルース・ベネディクトの『菊と刀』であっても書かれたのは戦後ではあるけれども、執筆は既に戦争中に始められていたわけである。

 というか、アメリカの日本研究はそれ以前から盛んであって、例えばペリー提督が江戸に来る前に沖縄でかなり日本についての研究を既にやっていたという事実に行き当たる。

 まあ、戦争をするのに相手国の研究をあまりしない昔の日本陸軍みたいなバンカラ野郎みたいなのは世界でも珍しい位であって、戦争前には相当程度には敵国研究というのは普通はやるのである。基本的には自国が勝った時の戦敗国の統治の仕方を考える、という感じでね。

 その結果が、フェラーズ准将による「天皇不訴追」と「象徴天皇制」ということなのだろう。多分、それがその当時の現状の中で一番日本国民の気持ちの落としどころとしてはいい場所にある、というところなのである。つまり、天皇の戦争責任は追及しないことによって、日本国民の精神を逆なでしないことを目標に置き、象徴天皇制という「なんだかよくわからない」制度を憲法の基本におくことでもって、天皇を政治から」引き離すことを明確にする、という方法で。

 う~む、見事な日本民族解釈である。

 大日本帝国憲法に定められた「統帥権は天皇にある」ということは、日本国民すべてが受け入れた考え方であるにも関わらず、じゃあ「当然、天皇には戦争責任があるわけね」となってしまえば、ちょっと怖い状況になるということを、アメリカ人に感じさせてしまうという、「日本人の建前と本音の世界」なのである。

 とは言うものの、ダグラス・マッカーサー元帥の考え方はただ一つ、要は日本に共産革命が起きて、ソ連と国土分離をさせてはならないという、多分、単純な問題だったんだろうな。だって、共産主義革命が起こってしまったら、自分のアメリカ大統領出馬なんてことは吹っ飛んでしまうからね。

 ということで、マッカーサーの「共和制にはしない」という考え方と、フェラーズ准将の「日本人の建前と本音の世界」という考え方が、「天皇不訴追」「象徴天皇制」ということに結実したのであれば、それはそれ、すごい二人だったんだね。

20130802_203558映画のシーン

Photo 本当の写真

 やっぱり「本当の写真」の方が「らしい」よね。

2013年8月 3日 (土)

『蔵書の苦しみ』は本当は「苦しみ」を語っているんではないなよなあ

 本来「蔵書の愉しみ」であるはずの愛書家の話である筈なのに、それが『蔵書の苦しみ』になってしまう瞬間というのはどのタイミングでやってくるのだろうか。

 考えてみれば、私も来年夏、現在建替え中のマンションができたらそこに引っ越しする予定なので、それまでに蔵書を処分しなければならない。「毎日1冊 毎日2000字」を書きながらである。嗚呼……。

2013_07_28_99712『蔵書の苦しみ』(岡崎武志著/光文社新書/2013年7月20日刊)

 取り敢えず各話の最後に付けられた「教訓」を抜き出すと;

【教訓 その一】本は想像以上に重い。二階に起き過ぎると床をぶち抜くことがあるのでご用心。
【教訓 その二】自分のその時点での鮮度を失った本は、一度手放すべし。
【教訓 その三】古本屋さんに出張買取をお願いする時は、どんな本が、どれだけの量あるかを、はっきり告げるべし。
【教訓 その四】本棚は書斎を堕落させる。必要な本がすぐ手の届くところにあるのが理想。
【教訓 その五】段ボールに溜めておくと、本は死滅する。背表紙は可視化させておくべし。
【教訓 その六】本棚は地震に弱い。地震が起きたら、蔵書は凶器と化すことを心得ておくべし。
【教訓 その七】蔵書はよく燃える。火災にはよくよく注意すべし。
【教訓 その八】本は家に負担をかける。新築の際は、蔵書の重さを概算しておくこと。
【教訓 その九】トランクルームを借りたからといって安心するべからず。やがていっぱいになることを心得ておくべし。
【教訓 その十】三度、四度と読み返せる本を一冊でも多く持っている人が真の読書家。
【教訓 その十一】実生活とコレクターシップを両立させるためには規則正しい生活をすべし。家族の理解も得られる。
【教訓 その十二】紙の本を愛する人間は電子書籍に向かない。よって蔵書の苦しみは解決しない。
【教訓 その十三】地味な純文学作家の作品は、売ってしまっても図書館で再び会える可能性が高い。閉架扱いを要チェック。
【教訓 その十四】蔵書を一気に処分するには、自宅での「一人古本市」がお勧め。うまく売るためのポイントは値段のつけ方にあり。

 まあ、それぞれの教訓はそれなりに分かるんだけれども、別に今更言うことでもない。結局、岡崎氏は自ら「あとがき」に書いているように『「本が増えすぎて困る」というぼやきは、しょせん色事における「惚気」のようなもの、ということだ。「悪いオンナにひっかかちゃってねえ」「いやあ、ぜいたくなオンナで金がかかって困るのよ」、あるいは「つまらないオトコでさ、早く別れたいの、どう思う?」など、これらを本気で悩みとして聞く者はいない。そして「苦しみ」は多分に滑稽である。救いは、この「滑稽」にある。だから、「蔵書の苦しみ」については、他人に笑われるように話すのがコツだ』ということである。

 そりゃあね、別に本をそれほど読まない人たちにとっては「蔵書の苦しみ」なんてことを言ったって、全然、意味を承知してくれない。というよりは、「そんなのバカじゃね?」と言われておしまいだ。別に、本を蔵書として取っておかなくても、取り敢えず今読む本は買ってもいいけど、読み終わった本を持ってても意味ないじゃん、また読みたければ図書館にでもいけば? ってなもんだ。

 まあ、でも読み終わった本を手元に置いておきたいという読書家の気持ちはよくわかる。とは言うものの、その本自体が昔みたいに「数少ない写本しかない」なんて「中世か?」ってなもんで、今、普通に新刊本屋さんで手に入る本は、まず持っていてもさほど意味のない本ばっかりなのである。つまり、同じ本を読みたければ図書館に行けば? ってなものである。まあ、別に同じ本を何冊も買ったっていいんですけどね、著者の印税のためには。

 で、結局、理想の書斎とはとなると『第四話 本棚が書斎を堕落させる』でも引用している「方丈記」に至るのである。

「今、日野山の奥にあとをかくして後、東に三尺余りのひさしをさして、柴折りくぶるよすがとす。南、竹のすのこを敷き、その西に閼伽棚をつくり、前に法花経を置けり。東の際に、わらびのほとろを敷きて、夜の床とす。西南に竹のつりだなをかまへて、黒き皮籠三合を置けり。すなはち、和歌、管弦、往生要集ごときの抄物を入れたり。かたはらに琴、琵琶、おのおの一張をたつ。いはゆる折琴、継琵琶これなり。
 仮の庵のありやう、かくのごとし』(ちくま学芸文庫)

 という、なにもない部屋、というか小屋が日本人にとっての最高の書斎環境なわけなのだが、一方、それが分かっていながら、結局は自分が集めた(世界中の総知識量からすればホンのわずかな量でしかないにもかかわらず)知識を自分の身の回りに置いておきたいという欲求から、みんな大量の書籍を抱えてしまったり、書庫を作ったり、トランクルームを借りたりしたりしているわけなのだ。

 まあ、そうした行いが日本経済を(ごく一部ではあるが)活性化させている部分なのでマクロ的にはそれでもいいので全否定はしないけれども、ミクロ的にはもうだめでしょ。だって「単にムダ」だもん。

 ということで、皆さん、読み終わった本はどんどん捨てましょう。で、気になった時に「あっ、もう捨てちゃた」と思ったら、もう一回買いましょう。ヒマがある人は図書館に借りにいきましょう。

 そうやって、日本経済を回していくんだよ!

 まあ、図書館じゃあ経済は回らないがね。

2013_08_01_9984_edited1 我が家の地下倉庫の有り様もこんな感じである。床に置いてある段ボール箱は売る予定の全部、本。引っ越しの度に本は捨ててきたはずなんだけど、すぐにこうなってしまう。何とかせねば。RICHO GRDⅢ @Kamishaakujii, Nerima (c)tsunoken

『蔵書の苦しみ』(岡崎武志著/光文社新書/2013年7月20日刊) 「方丈記」は著作権が切れているのでいろいろなバージョンが出ている。青空文庫でもあるんじゃないかな。大体の文庫には入っているので、一度お読みすることをお勧めします。理想の書斎(というか殆ど世捨て人の書斎兼住まい)。短いので読むのは簡単。

2013年8月 2日 (金)

『定年後の勉強法』のポイントは知識のアウトプットにあり

『知的なアウトプットの質は、知識量と思考の掛け算からなっており、きちんとしたアウトプットのためには知識と思考力の両方が一定程度そろっている必要がある』(日経ビジネスオンライン2013年7月31日『スマホを使いすぎて、バカになっていませんか?』慎泰俊)

 なるほど、大事なことは知識をインプットすることだけじゃなくて、それを思考力を使ってアウトプットすることなんだな。

2013_07_28_99702 『定年後の勉強法』(和田秀樹著/ちくま新書/2012年9月10日刊)

 それは「定年後の」というだけじゃなくて、言ってみれば「大人の勉強法」とでも名付けられる問題であって、要は、「お勉強」するばかりじゃなくて、「お勉強の結果」をキチンと社会化するということなのだろう。ただし、その場合「社会化」するにあたっては何らかの「結果を外部化」するための方法が必要であって、それが「思考の柔軟性」ということ。

『思考の柔軟性があれば、アウトプットする作業がやりやすくなるし、インプットの人生から独自の発想を生み出すアウトプットの知の賢人への道のりに移行することもたやすいはずです』

 その思考の柔軟性を得るためには、脳におおいに刺激を与える作業が必要であり、その為には;

『前頭葉に強い刺激を与えることができるのは複雑で偶発性の高い、つまり先の読めない行為です。たとえば、株式投資や起業、ギャンブル、恋愛などがそれにあたります』

 ということ。

 なるほど「株式投資や起業、ギャンブル、恋愛」か。

『六十代で勉強をはじめても、並の勉強法であれば、あっという間にカルチャースクールレベルに到達してしまい(インプットが終わってしまう)、続ける意欲がわかなくなってしまいます』

『本書ではあえて並レベルの目標ではなく「アウトプットが魅力な知の賢人」を目標としています』

 で、そのアウトプットの方法としては、今の時代では実に簡単にできるようになった。つまり、パソコンなのである。

『実際にパソコンができるようになればどういったことが可能になるのでしょうか。ホームページを持つことで自分の趣味の写真や音楽、旅の記録、小説などを全世界に公開できるようになります。ブログを持つことで日々の自分の思考を世の中に訴えることもできます。最近はfacebookやtwitterというSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)で世界中の人々と情報の交換さえもできてしまうのです。また、映画の編集作業すらも自分のパソコン上でできます(最後だけは和田氏の個人的なイメージ:引用者注)』

 とは言うものの、英語でブログを書く、facebookやTwitterに投稿するとかじゃなければ「全世界に公開」とか「世界中の人々と情報の交換」は無理であり、あくまでもそれは理論上の問題だけなのだが、まあ、少なくとも日本に向けての公開や情報交換というだけのことだが、それでもネットがない時代に比べれば、アウトプットのハードルは圧倒的に低くなっていることだけは事実である。

 であるならば、それを利用しない手はないだろうということで、私もこのブログを書いているような訳であるけれども、それでも毎日700人位の人が読んでくれている「tsunokenのブログ」である。700人ということになると、もう「公的存在」と言っていいだろうか。そうなると段々書き方や書く内容も気を使ってくるようになる。まだまだメディアとしてはごく小さな存在でしかないけれども、それでも「公的」を意識すると、更に思考をめぐらしていろいろ気を使って書くようになる。

 ま、それがかえって能に対する刺激にもなっていいことなんだけれどもね。

 ということで「知の賢人」になるための四つのポイントをおさらい。

『一つ目は最終的な目標を立てることです。
「地の賢人になりたい」という目標であれば、より具体的に「何らかの資格を取りたい」「人に面白いと思われたい」「ライフワークとなる文章を書きたい」「国際情勢について語ることのできるブロガーになりた」といったそれぞれの目標を明確にする必要があります』

『二つ目は、お金と時間の問題、物理的制約を知ることです。
 たとえば、大学や大学院、専門学校での学び直しが必要になる場合があるでしょう。また、海外留学をしたほうが、目標に近づくケースもあるでしょう。こうした物理的制約をあげて、それに対してどう対応するかを考えないといけません』

『三つ目は、道具のレベルを知ることです。
 道具とは英語力やパソコンを利用できる能力などを指します。目標によって、それぞれ必要とされる道具は変わってきます。なんらかの研究をする際に、国内の文献だけですむ場合もあれば、海外文献が必要な場合もあります。また経済学などでも統計的な検証をする道具が必要になることもあります』

『四つ目は、リソースがどれくらい確保できるかです。
 リソースとは、人脈、周辺環境のことです。目標に向けてどんな先生に習うのか、その先生とはどういう人脈を通じて紹介してもらうのか、情報を集めるために十分なネットリテラシーがあるのか、近所に自分の知りたい情報・文献を気軽に集めることのできる図書館があるのかなどといったリソースを確認しておくべきでしょう』

『これらを検討した上で、これらが全部クリアをできているかを考えます。もし、クリアできていれば実際にとりかかりはじめてもよいでしょう』ということ。

 なお本書の最後の節『映画監督が夢ではなくなった』は単なる和田氏の自慢話だから、読まなくてもいい。このポイント「映画作りにお金がかからなくなった」というテーマについてはいずれ書きます。

『定年後の勉強法』(和田秀樹著/ちくま新書/2012年9月10日刊)まあ、年寄り向けの本なんだろうな、当然、電子版はないわけだ。

2013年8月 1日 (木)

『クラウドソーシングの衝撃』の衝撃

 これが「雇用者vs.被雇用者」という関係ならば「最低賃金法」なんかの対象になるんだろけれども、「発注者vs.受注者」という関係だとまったくそうした法律の対象にならないという、ちょっと恐ろしいことになる。

 日本におけるクラウドソーシングの最大手、ランサーズのサイトを見ると「フリーランスへの支援」というのが一番の眼目ではあるようだ。しかし、それが企業に対して「最安値でのフリーランス探し」になってしまうと、ちょっとそれは問題だよなあ。

 勿論、その結果いいこともあるんだろうけれども、物事の裏表というのは考えとかないといけないなあ。

20130728_94538 『クラウドソーシングの衝撃 雇用流動化時代の働き方・雇い方革命』(比嘉邦彦・井川甲作著/錦戸陽子編集/インプレスR&D/2013年7月12日刊)

 例えば、『P&G(プロクター&ギャンブル:引用者注)社のConnect & Develop戦略では、新製品の開発からデザイン、研究、マーケティング、技術的問題解決など多岐に渡るハイエンドの問題にクラウド人材を活用しており、50%以上の商品にこれらクラウドソーシング人材が寄与していると報告している』という。こうした動きの大きな要因は『2010年3月8日にオバマ政権から各省に出されたオープンイノベーションを促進するためにクラウドソーシングを積極的に活用するように、との通知があるようだ』ということ。つまりアメリカ政府自身が『NASAはTopCoder Inc.とハーバード大学の協力のもと、NASA Tournament Lab (NTL) というサイトを開設して、クラウドソーシングで各種アプロケーションを開発』しているし、アメリカ国防総省の機関である『Defence Advanced Research Project Agency (DARPA) は、GEとMITの協力のもとで、クラウドソーシングを活用する革新的なデザインのプラットフォーム、vehicleforg.milプログラムを開始した。このプログラムでは、軍事目的車両などの設計から、航空機や医療機器などの高度な設計をクラウド人材によって行う。プログラムの目的は、オープンイノベーションの促進と、従来の軍事産業による設計よりもはるかに短期間で、しかも低コストで設計を行うことにある。たとえば、Fast, Adaptable Next-Generation armored vehicle (FANG) と呼ばれる多目的軍事車両の設計から試作機の製作まで合計5000万ドルの予算を付けているようだが、これは従来の軍事産業が要求する額の10分の1にも満たない。ちなみに、FANGの設計には159件の応募があり、そのうちの100件は非常にレベルの高いものであってとのことである』という具合にアメリカ政府自身が積極的に進めているのが、このクラウドソーシング政策なのであった。

 確かに、フルタイムで雇われている設計技師や開発担当者を使うよりは、こうして公募方式で設計を募ることで開発コストを軽減することは可能だろう。ただし、その代わりそうした開発技法は、開発内容が外部に漏れることが前提となる訳で、まあ、そうした外部に漏れてもいい程度の軍事開発ならそれでもいいのかもしれない。

 問題は、そうしたクラウドソーシングの考え方をとった場合、企業にとっては開発・調査などのコストを大幅に削ることが出来る代わりに、企業に属していたフルタイムワーカーがいらなくなるということである。つまり、フルタイムの開発担当者はリストラにあうということである。あるいは、リストラにあわないでも、クラウドソーシングでもって使う雇用費用でもって雇われざるを得ない、ということである。

 勿論、それに対抗しうる方法はあるわけで、『インターネット上でフリーランスが活躍する時代になると、ワーカーはこれまで企業を通じて得ていた経済的保証、福利厚生、同僚との交流、教育などが受けられなくなり、そういったサービスを提供する組織として、新たなギルド的組織が誕生するだろう』『そして、現在の労働組合や学会、派遣会社が、経済的保証や福利厚生といったサービス提供の機能を持つことにより、将来的にギルド組織になりうる』ということなのである。勿論、そうしたギルド組織が発注者のコスト削減意識に対抗して、高度な技術をもったワーカー同士で発注者と交渉し、よりよい収入を得るために働くということにもなるだろう。

 つまり、これは人々の新しい働き方であるとともに、人間の働き方を中世のギルド制の時代、つまり資本主義社会の誕生以前、市民革命以前の姿に戻すということでもある。

 なんとも高度に発達した資本主義がグローバル化し、国民国家を超える存在になることまでは理解していたが、その後の世界が中世ギルド社会になるとは思わなかった。が、しかし現在のネットの発達状況を見ると、それも頷首できないことではない。

 以前、ポストグローバリズム社会の後には、小さな企業が連立し、個人が個人として仕事をするようになるだろうということを書いたことがあったが、その結果が中世ギルド社会であるとは予想しなかった。しかし、国民国家が瓦解し、イギリス東インド会社やオランダ東インド会社のようなグローバリズムの後にはギルド社会になるというのも、実は人類が経験してきた歴史なのである。つまり個人が個人として裸になってしまっては弱くなる。だから、そんな弱い個人がギルドを結ぶ。そんな歴史の繰り返しが、少しづつ姿を変えながら行われていくという風に考えるのであれば、まさにポストグローバリズムの後にはギルド社会ということにも納得がいくのである。

 ただし、そんな厳しさを持った社会にも少しは救いがあるかもしれない。

 例えば、現在の就職活動にクラウドソーシングを取り入れたらどうか、という提案がある。

『学生は、やりたい職種が決まった時点で、その職種に必要な基礎スキルを身につけ、クラウドソーシングサイトに登録して受注することで実績を作る。採用企業は、応募学生のサイトでの評価と実績を使ってスクリーニングをし、絞り込んだ応募者のみに面接を行えばよい。この方法は日本の学生の意識改革につながるであろう。よく言われることであるが、日本の学生は欧米の学生と比べて精神的に幼い。これは、就職活動中の学生の意識を比較するとよくわかる。欧米の学生は、就きたい職業や、やりたい職種を述べるのに対して、日本の学生は、就職したい業種や企業名を挙げるのである。つまり、日本の学生の多くには、プロフェッショナルを目指すという意識が欠落しているといえる。就職するためには、クラウドソーシングサイトで実績を積むことが前提条件になれば、この状況は大きく変わるであろう』

 ということ。

 まあ、確かに「学生時代はサークルでリーダーをやりました」なんて言うよりは、クラウドソーシングで実際に仕事のスキルを身につけた方が、企業も採用しやすいし、学生も自分にむいた仕事って何だろうかということが分かって、お互いミスマッチを避けることが出来ることが多くなるだろう。

 そういう良い点もあるということ。

 まさしく、世の中の裏表両面を見る必要があるということなのだ。

『クラウドソーシングの衝撃 雇用流動化時代の働き方・雇い方革命』(比嘉邦彦・井川甲作著/錦戸陽子編集/インプレスR&D/2013年7月12日刊)当然Kindle版があります。600円安い!

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