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2013年7月12日 (金)

『それがぼくには楽しかったから』という単純な理由がLINAXなんだなあ

 ビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズ、共に1955年生まれ。1960~70年のヒッピー・ムーブメントを少年の目から眺めていた。リーナス・トーバルズ、1969年生まれ。1960~70年のヒッピー・ムーブメントなんて知らない。1951年生まれの私。1960~70年の学生運動には高校生ながらその渦中にいた。

 その辺の違いがオペレーティング・ソフト(OS)のオープンソフトウェアというものに対する考え方の違いになって表れているのだろうか。

2013_07_02_8297_edited1 『それがぼくには楽しかったから 全世界を巻き込んだリナックス革命の真実』(リーナス・トーバルズ、デイビッド・ダイアモンド著/風見潤訳/中島洋監修/小学館プロダクション/2001年5月1日刊)

 OSというものは、言ってみれば「基本言語」みたいなものだ。であるならば、それはオープンソースである必要があるんじゃないだろうか。それを人によって使ってもいい人といけない人がいるっていうことは、それだけで差別的な存在になるし、そんな現代のバベルの塔みたいなものを作ってしまっては、ますます社会の「フリー」化からは遠ざかってしまう。

 勿論、そうやって囲い込むことでもって、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズは自らのビジネスを極大化させてきたわけなのだが、それが元々コンピュータ文化と密接な存在であるヒッピー・ムーブメントの目撃者たちが行ってきた所業だと思うと、何故か悲しくなってしまう。本来、反権力性とか反権威性というものがヒッピー・ムーブメントの基礎にあるのならば、彼ら、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズらはそうした反権力性を発揮してOSを自らフリーにすべきだったのだ。

 しかし、彼らはそうしなかった。何故だろうか? つまり、彼らはまさしく映画『バトル・オブ・シリコンバレー』で描かれていた通り、例えばMS-DOSというOS自体がシアトル・コンピュータ・プロダクツを騙して奪い取ったものであるという事実が示すように、結局自分たちで開発したOSじゃなかったということが基本的にはあるのだろう。ゲイツやジョブズの言うピカソの言葉「偉大な芸術家は模倣せず盗む」を実践した彼らはまさに他人の開発した技術を騙して奪い、しかしそれに手を加えて自らのものとすることに長けていた人たちなのだ。

 結局、彼らはヒッピー文化とは何の関係もない人たちだったのだ。

 むしろ、ヘルシンキのアパートのベッドとパソコンしかない寝室でOSの開発を個人的に始めたリーナス・トーバルズの純粋性の方が、本来のパソコンソフトの開発環境としては相応しいのではないか、という気になってくる。そんな純粋な気持ちで開発したからこそ、本来のパーソナル・コンピュータというもののあり方、ユーザーを支配から解放するマシンとしてのパーソナル・コンピュータという存在に忠実になれるのではないか。

 トーバルズは書く。

『オープンソース現象を理解する一つの方法がある――それは、何世紀も昔(現代の話ではないけれど)、科学が宗教界からどのように見られていたかを考えることだ。科学は、最初のうち、何か危険で、破壊的で、反体制的なものと見なされた――ソフト会社は時々、オープンソースをそんなふうに見ている。科学は宗教体制を攻撃しようとして生まれたわけじゃなかった。それと同じように、オープンソースだってソフトウェア体制を破壊するために考えだされたわけじゃない。オープンソースは、最高のテクノロジーを生み出すために、そしてそのテクノロジーがどこに行くかを見守るために存在するんだ。
 科学それ自体は、お金を生み出さない。富を生むのは、科学の二次的効果だ。同じことがオープンソースにもいえる。科学の副産物が教会の権威に疑問を投げかけたのと同様、オープンソースは二次的産業を作りだして、既存のビジネスに疑問を投げかける。VAリナックスのような小さな会社が、オープンソースを利用し、突如として伝統的な企業と渡り合うようになる。アイザック・ニュートンの言葉を借りれば、巨人の肩に乗っているわけだ』

 オープンソースを嫌ったビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズは、言ってみればオープンソースにとっては協会権威みたいなものなのだろう。つまり、いずれ彼らはオープンソースが当たり前になった時代には消え去る運命にある。勿論、一部の人にはいまだに教会というものがありがたい存在であるように、ウィンドウズを信奉する人たちは残るだろう。しかし、その他の大半の人はリナックスというオープンソースを正しいと考えるようになって、協会権威は形骸化するのである。

 いまやスーパーコンピュータやサーバーではリナックス搭載が普通になっている。パソコン・レベルまで下りてくるのはいつのことだろう。勿論、いまでもパソコンでリナックスを使うことはできるが、それができるのはごく一部の人だけであるのは残念である。

 私もそんなリナックスの考え方が気に入って、それを使いたいと考えたことがあるのだが、自分にそんなスキルがないことを思い知って諦めたことがある。

 しかし、いつかはリナックス……であるのだが。

『それがぼくには楽しかったから 全世界を巻き込んだリナックス革命の真実』(リーナス・トーバルス、デイビッド・ダイアモンド著/風見潤訳/中島洋監修/小学館プロダクション/2001年5月1日刊)

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