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2013年7月23日 (火)

『ちょいブスの時代』は今きたわけじゃないのだ

 放送作家の鈴木おさむと森三中の大島美幸の結婚を機に時代はブスの時代になったとか、HKT48の指原莉乃がAKB48の2013年第5回総選挙で第1位となったことをもって、AKB48自体がちょいブス現象の最終鬼畜兵器、究極生命体と言えるとか、『勝間和代さんもまた、ちょいブス。いや、擁護すると「ちょいカワ」だったからこそ、ブレイクしたのです』とか。

 などと、なんか「ちょいブス」という、新しい生き物が世の中に跋扈してきて、あたかも19世紀に「共産主義という幽霊が出てきた」ような持ち上げ方なのだが……。なんのなんの、これまでの世の中でも一番安定的にモテてきたのは、この「ちょいブス」なのである。

2013_07_17_9651_edited1 『ちょいブスの時代 仕事と恋愛の革命的変化』(常見陽平著/宝島新書/2013年7月24日刊)

「ちょいブス」が「ちょうブス」になってしまうと、どうかわからないが、でも大島美幸なんかはどっちかって言うとこの「ちょうブス」に限りなく近い人なので、従って、「ちょうブス」だって希望がないわけではない。

 というよりは、基本的にこれまでの時代であってもモテていたのはどちらかというと「ブス」。あまり顔や体型の美醜と「モテ」とは関係ないというのが歴史的事実なのである。金持ちの男も、カミサンにするのは「ブス」で、愛人に「美人」を持ってきたとういうのが実際のところ。つまり、長期的にお付き合いするのは「ブス」が良くて、短期的にお付き合いする対象として「美人」を選んできているのである。

 何故なのか。

 美人はすぐに飽きるけれども、ブスは飽きない、とか。美人にはすぐに言い寄る男がでてくるけれども、ブスにはそれがない、とか。美人はプライドが高そうだが、ブスにはそんなものがない、とか。まあ、いろいろ言われているけれども。結局は、男が安心して長くお付き合いできるのが、この「ちょいブス」ということなのだろう。

 ただし、外見のブスは問題にならないが、内面のブス、「どうせ私はブスなんだから」と「僻みの塊みたいな精神ブス」はだめですね。多少ブスだって「へへん、そんなの私は知らないわ」と明るく振る舞う人を、人は美しいと感じてしまうものなのだ。

 ということなので、常見氏の論点は実は「今更」な論なのである。まあ、やはり常見氏は人材コンサルタント、雇用・労働・キャリア関連の著述家として活躍されている方なので、なんか大島美幸や指原莉乃、勝間和代なんかの活躍を見て、新しいものを感じてしまったのであるが、別にそんなことはない。

 なので、文末に言い訳のように

『まあ、私の奥さんは、美人なんですけどね」

 なんて、微笑ましいことを書いているのを見ると、「なんだ常見氏の奥さんだって、ちょいブスなんじゃね?」なんてことを想像してしまうのであった。

 つまり『結婚を投資として考えれば、長期投資をしなければなりません。美人の見た目は、どうせ老化し、変化していきます(まあ、最近はアンチエイジングの技術も進んでいて、美魔女化するわけですが)。外見の美醜を損得の勘定に入れていれば、美人はあらかじめ暴落、ストップ安が予想されている銘柄のようなものです。いずれ絶対価値が下がるものに現在価値だけで投資するのは素人ですら犯さない間違いです』ということなのだけれども、『ちょいブスは落ち幅が少ないんです』と言っても、それは元々の株価が低いから落ち幅が少ないんであって、別に高値の株を買うことを否定している訳ではない。というか元々この株比較っていうのは、最初に買った時から株価は上がらない(「年を取るほどに美しくなる」ということを前提としない)ことを前提にしているからおかしいんであって、「年を経るごとに美しくなる」女性もいるんだから、それをも前提にしなければならない。ということは、「ちょいブス」の方が、年を経てから美しくなることもある(かもしれない)ということで、期待値があるのに比較して、元々美しい人が「もっと美しくなる可能性」と「美しくならなくなる可能性」を比較した場合、まあ、基本的には、「ちょいブス」の方が、年を経てから美しくなることもある(かもしれない)可能性の方が高い、といういずれにせよギャンブルにすぎない。

 まあ、そんなもんですよ。なんて言ってしまっていいのかな。取り敢えず、自分の付き合っている彼女・彼氏が美女(美男)なのかブスなのかはあまり気にしないで、お互いに高めるような感じで付き合っていれば、双方とも年を経るごとに美しくなるってこともあるかもしれない、という感じでお付き合いをするべきなのだろう。

 多分、20代で付き合い始めて30年も経ってみなさい。子供も出来て、子育ても終わって、お互い年も取って、そうなるともはや美醜は関係ない、普通の空気のような夫婦になって、楽しく暮らせるのである。

 人間の価値なんて、その位の年になって初めてわかるものなのだから、その時になってお互いを見て「まあ、こんなもんかな」と感じればいい。

 それが、年を取って温厚な夫婦ってものですよ。

 そうなると、妻や夫の美醜なんて関係なくなっちゃうから。

『ちょいブスの時代 仕事と恋愛の革命的変化』(常見陽平著/宝島新書/2013年7月24日刊)

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