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2013年7月 6日 (土)

ネット投票までいかないと『ネット選挙』なんて意味はないのだ

 2013年7月21日に行われる参議院選挙から「ネット選挙」が解禁になる。という言い方をされているんだけれども、実はそうじゃないだよな。要は『インターネットを使った選挙運動』が解禁されただけであり、「インターネットを使った投票」が実施されないと、それは「ネット選挙」とは言えないんだよなあ。

2013_06_14_6971_edited1 『ネット選挙 解禁がもたらす日本社会の変容』(西田亮介著/東洋経済新報社/2013年6月13日刊)

 しかし、『新聞見出しなどでは、正確には「選挙運動におけるネット利用の解禁」に相当するものを「ネット選挙解禁」と記述し続けた。ネット選挙関連の報道に当たった者たちが、本質をよく理解しないままであったのではないかという懸念は拭えない』と書くように、まさしく新聞記者たちの誤解と無理解が、あたかもネット選挙が解禁されたような印象を与えてしまっている。

 この基本には各政党のネット選挙に対する無理解もある。2012年衆議院選挙の自民党、公明党、民主党、日本維新の会、社民党、共産党などの各政党のマニフェストにも「ネットを使った選挙運動の解禁」と「インターネット選挙」の混同が見てとれるし、日本未来の党、新党改革、みどりの風、新党大地、幸福実現党、新党日本などの政党はネット選挙に対する記述すらない。

 唯一、みんなの党だけが『個人認証の精緻化や秘密投票の確保がなされるようになった将来には、パソコンやスマートフォンを使ったインターネット投票を実現し、その技術を世界へと売り込む』という踏み込んだ記述があるのみである。

 なんでここまで政治家はネットに対し後ろ向きなんだろう。基本的には「現状を変えたくない」という後ろ向きの政治姿勢がまずあり、当然、「やったことのない方法を試すのは何が起こるか分からないから怖い」というリスクに対する恐怖心があるのではないだろうか。

 しかし、リスクを恐れていては何もできない。特に現在はネットの時代である。ネットの本質とは『開発過程ではさまざまなテストが行われ、機能は日々改善されていく。作り込んだ完成品を提供するのではなく、アイディアをまずはかたちにしてサービスとしてローンチ(スタート)する。リリースしてみて、問題が発生すれば対処し、不足している機能が見つかれば新たに実装する』という考え方であり、インターネットの『漸進的改良主義という設計思想は、日本の伝統的な政策過程の前提になる価値観とは大きく異なっている。日本の政策過程においては、法案に関連する課題を入念に洗い出し、リスクについての十分な検討を経て、精度の高い政策を開発することが要求されてきた』という、日本の官僚の完全主義と如何に決別すべきかが課題なのだ。

 つまり、ネット選挙(投票)というのは、もしかすると日本の民主主義に対する考え方を変えるかもしれないという期待感(危機感)を持たせるものなのだ。

 更に西田氏はオンライン投票を既に導入している韓国の大統領選の状況を見て、「ネット投票」を解禁しても投票率が上がるとは限らないと慎重な姿勢を見せるが、2012年の韓国の大統領選では投票率75.8%と2007年大統領選に比較して20%以上の伸びを見せているし、50代・60代が5%程度の伸びだったのに対し、20代前半~30代後半では14~23%の投票率の伸びを見せている。

 これは確実に「ネット投票を解禁すれば投票率は伸びるし、特に現在投票率の低い若年層の投票率は更に伸びる」ということが言えるのではないだろうか。韓国のネット投票はSNSを使ったものだそうだが、そうなると更に若年層向きかもしれない。

 若者がおおいに投票すれば、当然、政治家の政治姿勢も若者の方を向かなければならなくなるし、若者の言う「既得権益」というものが、実はたいしたことのないものであるということもわかってくるだろう。つまり、年寄りから既得権益を引きはがすことなんて造作もないことなのだ。

 そんなわけで、私は早いところ「ネット投票」まで日本の「ネット選挙」は行かなければ意味はないと考えている。

「候補者のツイッターを未成年者がリツィートしたら選挙違反」だとか「一般有権者がメールで特定候補への投票呼びかけは選挙違反」なんてくだらないことを言っている場合じゃないのだ。

 勿論、「ネット選挙は金がかからない」なんてことは全く信じていない。新しいメディアが導入されても、それまでの既存のメディアがなくならない以上は、それまでかかっていた金に更に上乗せされて金がかかるというわけなのだ。金のかからない選挙なんていう幻想は捨てて、逆にソーシャルファンディングでも何でもやって金を集め、それで選挙に臨めばいいのである。「何かキチンと主張すること」があって立候補しているなら、結構お金は集まったりする筈だ。

 元々、民主主義っていうのは金のかかる政治形態なのである。

『ネット選挙 解禁がもたらす日本社会の変容』(西田亮介著/東洋経済新報社/2013年6月13日刊)Kindle版もある。ちょっと安い。更にKindle Fireなら明日までは3000円安い!

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