フォト
無料ブログはココログ

Amazonウィジェット

  • Amazonおまかせリンク
  • おすすめウィジェット
  • Kindle

« 2013年6月 | トップページ | 2013年8月 »

2013年7月

2013年7月31日 (水)

『マッキンゼー流 最強チームのつくり方』のビックリはマッキンゼーが日本企業だってこと

 更に「ちきりん」さんの「中の人」と言われる伊賀泰代さんの電子書籍が出ていた。

 同じ人の『採用基準』のエッセンス版みたいなものだろう、と考えて読んでみたら、やっぱりそうだった。先にこちらを読んでいれば、別に『採用基準』を読まなくてもよかったのだなあ。

20130726_101459_2メンバー全員にリーダーシップを求める マッキンゼー流 最強チームのつくり方』(伊賀康代著/ダイヤモンド社・DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー/2013年4月10日)

 取り敢えず、何が書いてあるのか、抜き書きすると;

『その採用基準は、論理的な思考ができる頭脳明晰さというより、リーダーシップの資質だという。そしてチームのメンバーすべてがリーダーシップを発揮することを求めるのがマッキンゼー流である』

『コンサルティング・ファームでは「プロジェクト・チームを組んでコンサルティング業務を行っている」というよりは、「組織そのものがチーム・システムによって運営されている」とでも表現するほうが正確であろう』

『マッキンゼーに入社するということは、この”ファーム内チーム組成市場”に参加できる資格を得るということにほかならない』

『常に個々人が「自分が入りたいチーム」を明確にし、その意思を軸にチーム組成が行われる”市場型”のチーム組成プロセスを、高い成果を生み出せる高業績チームづくりの第一歩といえる』

『チーム組成市場における強者とは、「顧客が求める分野の知識を持ち、顧客が抱える問題のうち、最も深刻な問題の解決に必要とされるスキルやネットワークを持っている者」である』

『「落としどころを探る必要のない議論が。ヒエラルキーのないメンバー間で、コンフリクトを恐れずに行われ、議論の結果は、チームの使命という明確な判断基準によって方向づけられていく」という、成果を出すための議論のルールの存在が、真摯で活発な議論を実現し、高業績を達成する最強チームを作りだすのである』

『リーダーとしての自覚のある者は、たとえ(チーム内の肩書としては)フォロワーであっても、常にリーダーの視点で物事を考え、自分の担当分野をチームの使命に統合し、他のメンバーの出してくる成果と自分の出そうとする成果が、相乗効果を発揮し、合成の誤謬を起こすことなくより高い成果に止揚されるよう、意識しながら動いている』

 という、リーダーシップを持った人間が集まってチームを組んで仕事を行うというマッキンゼー流の仕事のやり方は、まさに伊賀氏が『採用基準』で書いていたことのまんまである。結局、そんな本当のリーダーシップを持った人が集まっていれば、別に「船頭多くして船山に上る」ということはなく、それぞれが己の立ち位置を理解しながらチームメンバーとして動くことが出来るということなんだな。

 実はそういうことが出来る人こそが真のリーダーシップを持った人なわけで、他人の言うことに耳を貸さないような人は、実はリーダーシップを持った人とは言わないわけである。で、そんな他人の言うことに耳を貸さない人が集まると船が山に上ってしまうのである。

 実は、『個人主義といわれることの多いアメリカ型の環境下において、日本よりもチームで働くことの価値、成果が、より頻繁に問われていることはきわめて興味深い』というよりも、やはり個人主義のアメリカではあっても、結局は個人は弱い、あるジャンルでは知識豊富ではあっても、別のジャンルでは知識や経験が不足していることもある。そこでチームで動かなければならないということを知っているということなんだろう。

 で、面白いのは『忘年会や社内旅行といったイベントまでが「チームで使命を達成する」ことの訓練に使われているのである』という、今更、日本企業でもやっていない「忘年会」やら「社内旅行」なんてものを、マッキンゼーはやっているというところ。なんか日本企業以上に日本企業なんだなあ。まあ、だからこそ日本企業をよく知り、日本企業のコンサルタントができるということなのだろうか。

 ただし、『最終的に自分の入りたいチームがファーム内に見つけられなくなった場合や、スキル・レベルの問題でどこのチームにも入れない、という状況になるが、それらのメンバーは、ファームの外にみずから貢献できる場所を求めることになる』という厳しさはアメリカ型企業ならではのものであるし、コンサルティング・ファームならではの処し方なのだろうなあ。

 基本的には『採用基準』と書いてあることはほとんど同じなわけなので、『採用基準』を読む暇のない人にはこちらの『マッキンゼー流 最強チームのつくり方』を読めばいい。

 ただし、こちらは電子書籍のみなので、そんな環境が整っていない人は『採用基準』をお読みください。

 って言うか、この本に興味を持っている人なら、当然、電子書籍デバイスは持っていますよね……。

メンバー全員にリーダーシップを求める マッキンゼー流 最強チームのつくり方』(伊賀康代著/ダイヤモンド社・DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー/2013年4月10日)Kindle版のみ。

2013年7月30日 (火)

『ネットのバカ』ってもう、身もフタもないタイトルだなあ

 腰巻の惹句『ネット階級社会の身もフタもない現実を直視せよ!』という言葉の通り、まさしく本のタイトル自体が『ネットのバカ』って、それこそ見もフタもないタイトルなのであった。

2013_07_24_9840_edited1 『ネットのバカ』(中川淳一郎著/新潮新書/2013年7月20日刊)

 結局、ネットの世界にアタマからズッポリ漬かり込んでいる中川淳一郎氏から見たネットの世界とは、特別な世界でも何でもなく、ごく当たり前のリアルな世界と同じような論理がまかり通っている世界であるに過ぎない。ところが、「ネットは特別」「ネットはリアルを超える」「ネットの世界は超フラット」なんていうネット・エバンジェリストの言う妄言を信じている人たちが多すぎる、ということが問題なのだろう。それが結局『ウェブはバカと暇人のもの』『今ウェブは退化中ですが、何か?』『ウェブを炎上させるイタい人たち』『ネット右翼の矛盾:憂国が招く「亡国」』という著書に結実したわけなのであるが、その中で一貫して述べているのは「ネットは特別な世界じゃない」ということだけなのである。

 そうネットの世界であっても、それが世界、人間が作る世界である以上、それは実世界と同じ良識はあるのだし、ルール、マナーというものがあるのだ。ところが多くの人たちが「ネットの世界は特別な世界だ」という思い込みをしてしまい、その結果、実世界ではあり得ないバカなことになってしまっている。

 例えば、ちょっと前に話題となった芸能人によるステルス・マーケティングの問題にしても、単に「有名人が言っているから」という単純な理由で信用する人がいかに多いのかということが話題となったわけであるが、所詮タレントが何をしゃべっているか、何を薦めているかなんてこと自体が話題になるということ自体がおかしいのに、それに気づかないバカが多いということなのだろう。

 更に、"Winner takes all"ではないが、勝者が総取りというのは、リアルな世界でもネットの世界でも同じであるということであり、まさしくたった一人のリーダーの周りに多くのフォロワーがいるという構図も、まさにリアル世界の生き写しであるに過ぎない。

 そんな(勘違いばっかりの)ネット世界でウケる新12ヶ条と、叩かれる新12ヶ条というのがあるようだ。

【ネットでウケる12ヶ条】
①話題にしたい部分があるものの、突っ込みどころがあるもの
②身近であるもの、B級感があるもの
③非常に意見が鋭いもの
④テレビで一度紹介されているもの、テレビで人気があるもの、ヤフー・トピックスが選ぶもの
⑤モラルを問うもの
⑥芸能人関係のもの
⑦エロ
⑧美人
⑨時事性があるもの
⑩他人の不幸
⑪自分の人生と関係した政策・法決定など
⑫「ジャズ喫茶理論」に当てはまるもの

【ネットで叩かれる12ヶ条】
①上からものを言う、主張が見える
②頑張っている人をおちょくる、特定個人をバカにする
③既存マスコミが過熱報道していることに便乗する
④書き手の「顔」が見える
⑤反日的な発言をする
⑥誰かの手間をかけることをやる
⑦社会的コンセンサスもなしに叩く
⑧強い調子の言葉を使う
⑨誰かが好きなものを批判・酷評する
⑩部外者が勝手に何かを言う
⑪韓国・中国をホメる
⑫反社会的行為を告白する

「ジャズ喫茶理論」とは「衆人環視の下では人々は”イケてる人”と思われたい」ということ、ただしこの”イケてる”というのは相当に幅がありそうだが……。

 まあ、何となく分かるような分からないような12ヶ条ではあるが、しかし、なんかこの12ヶ条を見ていると、結局ネットの住民たちって、情報の入手先がテレビとネット上くらいしかないのかなあ、という気になってしまう。もうちょっとイロイロな情報入手先を作りましょうよ。でないと、結局数少ない情報の入手先から仕入れた情報だけで判断することになってしまうので、反フジテレビ・デモやその後その考え方だけが成長していって、結果として新大久保や鶴橋の「嫌韓デモ=ヘイト・スピーチ=レイシズム」になってしまうんだな。

 でもなぜフジテレビで韓流ドラマばっかりやっているのかと言えば、ごく単純に「番組購入費が超安い」というだけのことであり、同じ理由で他局も昼時間やBSチャンネルやCSチャンネルでは結構韓流ドラマは多いのだ。ところがそんな理由にも思いが馳せず、単純に「フジテレビは韓国が好きなんだ」という単純な発想になってしまい、「嫌韓=反フジテレビ・デモ」になってしまうという、なんかおバカな政治活動をやってしまっている。

 結局『ネットと右翼』や『ネット右翼の矛盾』に書かれている、ネトウヨ諸君の単純バカぶりは、愛国主義とも全く違う、単なる嫌韓・嫌中気分がそのまま成長していってしまい、世界中にその存在のバカぶりを示しているだけなのだが、それにも気づかないほど、連中は劣化した日本人なのである。

 まあ、ネットの社会であろうが。リアルの社会であろうが、それぞれの社会にはきちんとした守られるべくモラルがあるということを認識していればいいだけのことなんだけどね。

『ネットのバカ』(中川淳一郎著/新潮新書/2013年7月20日刊)こういうネタの本はすぐさま電子化して欲しいものだが……。

2013年7月29日 (月)

「お不動様と八幡様」について考察する

 私が子どもの頃を過ごした足立区関原には「お不動様」と「八幡様」がすぐそばに存在している。で、調べてみたら「関原八幡神社は大聖寺の守護神」と書いてある。大聖寺とはつまり「関原山不動院大聖寺(真言宗豊山派)」お不動様のことだったのだ。う~む、神様が仏様の守り神ってどうよ、とは思ったのだが、元々、明治になる前までは神様と仏様は一緒にいたんだよなと、考えてみればそれも当たり前か。

 なるほど「お不動様と八幡様」というのはいろいろ関係のあった存在なのだった。

Img0022_2

 ということで、門前仲町に行ってみれば、こちらもお不動様(成田山東京別院深川不動堂)と八幡様(富岡八幡宮)が並んで鎮座しているのだ。ということは知っていてわざわざ行ったわけのだが。そこはそれ何か関連はあるのでしょう。

Img0652

Img0212

 で、調べてみると「江戸時代のはじめ、歌舞伎役者の市川團十郎が不動明王が登場する芝居を打ったことなどにより、成田山の不動明王を拝観したいという機運が江戸っ子たちの間で高まった。これを受けて、元禄16年、一回目の成田不動の「出開帳」が富岡八幡宮の別当・永代寺で開かれた」とある。この頃は神様も仏様も一緒に祀られていた訳なのでね。

 別に富岡八幡宮が深川不動の守り神であるという訳ではないが、やはり深いつながりがあったようだ。で、明治維新後、神仏分離令が出たために永代寺は廃寺となり境内は「深川公園」となった。

Img0152

 で、その深川公園の一部に成田不動の分霊を祀り、明治14年に深川不動堂が作られたのである。八幡様がお不動様の守り神というよりは、お不動様は殆ど八幡様の一部といってもよく、お寺と神様といっても仲が良いのである。

Img0352

 富岡八幡宮はその境内で江戸時代に勧進相撲が行われていた関係で、横綱力士碑やら大堰巨人碑など相撲関連のいろいろな碑が建てられている。

 まあ、やはりこの辺は下町ならではですね。

Img0722

 で、シメはやはり深川丼で一杯、か。

 そうか、じゃあ今度は成田山だな。あそこは鰻が美味しいし……。

LEICA M6 SUMMICRON 35mm/F2 KODAK SUPER GOLD 400 @Monzen-nakachou, Koto (c)tsunoken

2013年7月28日 (日)

月島・散歩カメラby OLYMPUS PEN FT

 月島というと今は「もんじゃ焼き」の町として有名だが、それは本来の月島の中央を走る清澄通りの二つ裏、「月島西仲通り商店街」のことなのだ。

Img0022

 ところで、月島というのは勿論埋立地であり、勝鬨橋や晴海があるあたりから、佃島、石川島あたりに挟まれた地域を指す。

 今や、佃島と言えば隅田川沿いの超高層マンションで有名だし、晴海・勝鬨も高層のオフィスビルが多く建てられている。月島あたりはそんな再開発から外れた場所というイメージである。なんか空がだだっ広い町という感じがするのである。

 ところが、この月島が昭和15年の東京万博のメイン会場に予定されていたそうである。勿論、オリンピックと同じで、戦争のために万博もなくなってしまったが。

Img0032

 まあ、そんな町だから「もんじゃ屋」が似合うのかな。

Img0102

 レトロなポストはもんじゃ屋さんのオブジェで本物じゃない。

Img0062

 これまた超レトロな交番も今や役割を終え、今は「西仲通り地域安全センター」というのだそうな。

Img0192

 いまや築地名物は、一部の写真マニアには「クラブ・エダム」として超有名な、昔はどこにもあった酒屋さんの店先で立呑みが可能である枝村酒店かな。まあ、昔のまんまで営業している訳である。つまみは乾き物か缶詰なんかだな。清澄通りの月島のど真ん中にある。

Img0182

 まあ、所詮散歩カメラなので、結論はなし。

OLYMPUS PEN FT E.ZUIKO AUTO-W 25mm/F4 Tri-X 400 @Tsukishima, Chuo (c)tsunoken

2013年7月27日 (土)

『無印良品は、仕組みが9割』か、なるほどね

 株式会社良品計画は2001年8月中間期、38億円の赤字を生み出して世間をびっくりさせた。それまでは1980年に「無印良品」を西友ストアのプライベートブランド(アンチ・ブランドというブランド)としてスタートし、1989年に西友から独立して株式会社良品計画として独立して以来、「無印神話」と言われる奇跡の急成長を成し遂げてきた会社である。

 そのまさに2001年に良品計画の社長を拝命したのが松井忠三氏である。

 その松井氏が赤字38億円からのV字回復を実現したのが、MUJIGRAMという、無印良品の店舗で使っている全13冊、合わせて1683ページにもなる膨大なマニュアルである。

 実は私はこの株式会社良品計画という会社にはいろいろ興味を持っているところから、この本を買ったわけなのだが、実に面白い発見があった。

 それがこのMUJIGRAMなのである。

2013_07_24_9839_edited1 『無印良品は、仕組みが9割 仕事はシンプルにやりなさい』(松井忠三著/角川書店/2013年7月10日刊)

 通常マニュアルというと、本社のどこかお偉いさんか本部が作って、各店舗ではマニュアル通りの運営をしなければならない「金科玉条」のものである。ところが、良品計画のMUJIGRAMは『現場では毎日のように問題点や改善点が発見され、マニュアルは毎月、更新されていく』ものだという。つまり『マニュアルが更新され続ける限り、成長は止まりません。仕事のマニュアルは、成長を図るバロメーターでもある』ということなのである。

『マニュアルは社員やシタッフの行動を制限するためにつくっているのではありません。むしろ、マニュアルをつくり上げるプロセスが重要で、全社員・全スタッフで問題点を見つけて改善していく姿勢を持ってもらううのが目的なのです』

 その結果、マニュアルには想像以上の効果があるという。つまり;

①「知恵」を共有する
②「標準なくして、改善なし」
③「上司の背中だけを見て育つ」文化との決別
④チーム員の顔の向きをそろえる
⑤「仕事の本質」を見直せる

 というもの。

 確かに、金科玉条のマニュアルではなく、融通無碍に変化を遂げるマニュアルである以上、そのマニュアル作りに参加する全社員・全スタッフのマニュアルに向かう姿勢は必ず前向きになるだろうし、マニュアルが全社員・全スタッフに共有されるのも楽である。

 更にすごいのは『店舗開発部では名刺の管理をマニュアル化』して課長が一括して管理していたり、『商談のメモも部署内全員で共有するようにマニュアル化』しているというところ。

 確かに、そのようにすれば「仕事を『いつ』『誰に』でも引継ぎがすぐさまできる」ということはあるのだろうが、普通はそこまではやらないだろう。「仕事を引き継ぐということは、仕事の継続性を絶つ」ためという出版社の考え方の中で生活していた私なんかには想像ができない世界ではあるけれども、お客さんと直接接する機会の多い職業の場合は、どちらかといえば、こうした「継続性」の部分に重きを置いた考え方の方が有効なのだろう。

 こうなるとマニュアルはほとんど「社風」と言ってもよいものになるのだろう。良品計画の社風はマニュアルにあり、という風になればそれはそれで面白い。まさにMUJIGRAMに良品計画の社風がある、ということになってみればこのマニュアルにどんなことが書いてあるのか気になるが、そこまでは教えてくれない。

 以下、本書で面白く読めた場所を抜粋すると;

”戦略二流”でも”実力一流”なら良し

他社とは”徹底的に”交流する

「幹部は三年間、固定」せよ!

重要商品はネットで販売すると、動向が事前につかめます

見える化は、やると決めたら徹底してやらなければなりません

行き過ぎたホウ・レン・ソウは人の成長の芽を摘んでしまう行為だ

 などなど、更に面白かったのは「ユニクロやダイソーなどの競合他社」という部分。

 ユニクロがファッションブランドショップという部分で競合他社というのは分かるのだが、ダイソーという100円ショップも無印良品の競合他社というのは、ちょっと想像しなかった。まさに「ノーブランド」の代表とでも言うべき100円ショップでしょ。それが無印良品という有名ブランドと競合するというのはあまり考えられないのだが、そこはそれ対消費者向けの展開の上では競合するのだなあ。

 そこも目を開かれた部分である。

『無印良品は、仕組みが9割 仕事はシンプルにやりなさい』(松井忠三著/角川書店/2013年7月10日刊)

2013年7月26日 (金)

2013夏~秋のスポーツ観戦予定

 2013年秋の関東カレッジ・アメリカンフットボールとラクロスの全スケジュールが発表になったので観戦予定表を作成。

 取りえず、アメフトとラクロスと闘牛。これに六大学野球、東都大学野球の予定が入れば完成する。

 いつかの日に、どこかのグラウンドでお会いするかも知れません。

 その時にはよろしく。

20130726_111401_2

『アジアの路地裏に魔界を見た!』って、わざわざ魔界を見に行くからでしょ

 私は6月に香港に行ったのが初めてのアジア旅であったのだが、なかなか奥深いアジアではあるな。今後もアジア旅をやっていこうと思っているので、参考に……、ならないか。

20130724_174211 『アジアの路地裏に魔界を見た!』(クーロン黒沢著/カルカッタレコード/2013年4月刊)

 取り敢えずその面白さ(ムチャクチャさ)を目次から拾ってみると;

日本編
【闇の投資家 永ブラック六輔に学ぶ!】

台湾編
【未だに残る謎の身分制度】【夜の台湾そぞろ歩き】【スパイ専用屋台】【空港で見つけた檳榔ガールズ】【熱枕服務専線って何だ!】【男一匹、中華ビジネスの真髄を求めて】【猫で儲けるニュービジネス】【怪人博物館の三倍速館長】【カリスマ屋台オーナーになろう!】【カリスマ屋台開業の奥義書】【台湾屋台王への道! 情念オールド屋台市】【台湾の食に日本の痕跡を感じる旅】【老人たちの理想郷・台湾シルバー事情】【台北の昭和町・骨董おやじの憩いの場】【その募金ちょっと待った!】【徘徊老人を探せ!】【番外編 家政婦は見た! 迷惑ばあさん機内で大暴れ】【今更ながら台湾のサブカルチャーに触れる旅】【台湾アキバビルと謎の少女たち】【怪しさのクライマックス・萬年商業大樓】【台湾でドカベン買いました】【ピンボールマニア聖地巡礼の旅】【台湾発 幻の電脳中心】

中国上海編
【スプラッター・エクスプレス 血まみれ上海リニア】【上海電脳マル秘ルポ 洗濯屋陳さん】【上海オタクビルは想像以上に渋かった】【横丁で売買される最強戦士たち】【どろどろ骨董市場に愛ちゃんの亡霊を見た!】

中国義鳥編
【世界で一番安い街、義鳥へゆく!】【謎の電機メーカー「かわ電気」を調べた】【上海VSド田舎メイドカフェ対決】【未来はもうそこに? 謎のワイシャツ自販機】【上海新幹線のカオスな車窓から】

ベトナム編
【ホーチミンは超ヤバイ危険都市だった!】【世界一汚いキーボード 新王者は日本人!】

カンボジア編
【仙人のバーガーショップ】【謎のプロレス大会 怪奇レスラー続々登場!】【あのスタローン氏がプノンペンで飲食業を?】【こいつは半端ない! 超本気のバイク店】【あなたの愛車も包んでみませんか?】【国境爆走! ハットリ号】【場末の町にロシア軍団が君臨!】【地の果てのダウンローダー】【密林のドメスティック・バイオレンス】【謎の三国志ブーム、プノンペンに到来!】【カンボジアに南田洋子の伝記が?】

マレーシア編
【格安エアラインの甘い罠】【聖なるPC店にアッラーのご加護を。イスラームIT紀行】【さわやかウォーキング 駅裏のスラムは地獄だった】【これぞ魔界の味と香り。高級ブランドドリアンを試してみた】【マレー半島グルメ紀行 謎料理店「便所」の謎】【マレーシア下町グルメの王「建記」】

タイ編
【ぶらり途中下車の旅・BTSスクンピット・ナナ駅の巻】【マニアの塔の最上階にあるもの】【熱血硬派な電脳市場に突撃。押忍!】【カレーライスと子宮マッサージの謎】【チェンマイの宿なしおじさん】

 う~ん、なんか目次を拾っただけでお腹いっぱい。もういいよ、ってな気持ちになってしまうのであります。

 だって、クーロン黒沢氏の行く場所って、どこの国に行っても「電脳市場」「アキバ」「オタク街」「スラム」なのである。つまり初めから「怪しい」ということは分かっている場所。でも、確かにそんなところこそ見るべきものがありそうな、しかし、見ると後悔しそうな、でもちょっとは興味がありそうな、とは言うものの始めていくときにはちょっと怖そう、でも行ってみたい、そんな町ばっかりである。

 従って、虎穴に入らずんば虎子を得ずとばかりにバチもんやら、変なおじさんやら、怖いおばさんやら、ドカベンのDVDやら飯島愛ちゃんなんかを見てまわるんだなあ。面白そうな、でも怖そうな、とっても興味のある旅なのである。

 あ、最後の【チェンマイの宿なしおじさん】とは、チェンマイでホームレスになっている日本人なのであります。そんな人がいるのね。

『もともと駐在員としてタイに派遣され、すっかりはまってしまったSさん。会社の帰還命令をばっくれ、遂には家族に内緒でアパートを借り、ほとんど夜逃げ状態でタイへ移住したそうな。
 女を囲ってよろしくやっていたものの、無職の辛さで次第に金が底をついてくる。
 そして訪れた運命の日。アパートから女が消え、部屋を叩きだされたSさんは、晴れてホームレスとなった――そうだ』

 そうか、アジアの街ってそんな「はまって」しまう要素が多いのだろうな。特にタイなんかにはそんな場所が多いという。

 あとがきに書いてある。

『最後に、本書を読んで「魔界の玄関先をうろうろしてみたい」と、何となくでも感じてしまった読者に朗報。
 次回は「魔界にどっぷり漬かってみたい」中・上級者向けのテキストを送り出すつもりです』

 とのこと。

 こりゃ、次回作にも大いに期待だな。

 しかし、アジアの暑さと湿気(特に湿気)はどうにかならないものか。まあ、中国以外はモンスーン気候の場所なんだからしょうがないって言ってしまえばその通りなんだけれども。

 それがなければもっと行くんだがなあ。

『アジアの路地裏に魔界を見た!』(クーロン黒沢著/カルカッタレコード/2013年4月刊)Kindle版のみ。最近こういう本が増えてきた。

2013年7月25日 (木)

『V.S 神田写真展』という、よくわからない写真展

 神田神保町は檜画廊にて『V.S 神田写真展』という、どんなつながりがある写真展なのかよくわからない写真展を見る。

2013_07_24_98382

2013_07_24_98252

 展示されている写真家は田中長徳、中藤毅彦、森田剛一、飯田鉄、石川栄二の5人。私は田中長徳氏や長徳氏のブログからリンクしているアローカメラの二代目ブログから、その写真展の存在を知り、見に行ってきたようなわけなのだが。

 団塊の世代に属する田中氏や飯田氏と、団塊ジュニア世代に属する中藤氏、森田氏、石川氏らの見た「神田」はどう違うのかという意味での「バーサス(VS.)」なのだろうか。

 勿論、その違いは明白であり、要は「神田カルチェラタン闘争」を体験しているか、知らないかという大きな違いがある。特に田中長徳氏の「神田写真」は1968年の神田らしいので、もう完全に60年代後半の学生運動の高揚期の写真なのである……。が、そこに写されている神田は、別に学生運動の姿が写されている訳ではなく、ごくありふれた普段の姿の神田であり神保町である。その昔、神田にあったというライカの代理店、シュミット商会なんかがあった場所に近いという理由で、田中氏にとっては神田は実に身近な場所であったに違いない。なので、神田カルチェラタンのデモの写真はない。

 中藤氏や森田氏は東京ビジュアルアーツ(旧東京写真専門学校)の出身であるが、今は市ヶ谷にある東京ビジュアルアーツが以前は神田にあったのだろうか。

 よくわからないのだが、もしそうなら昔親しんだ神田の街を撮影したと言えるのであるが、じゃあ、神田の街って何なのよ、と考えてみるとよくわからない。

 中央大学は昔、神田駿河台にあった関係で、私にとっては神田神保町という街はいろいろ思い出深い街ではある。しかし、もし別の大学に行っていたらそんなに神田という街には思い入れはなかっただろう。

 所詮、街と人との関係はそんなものだろう。その街に住んだことがある、その街に通っていた、その街で仕事をしていた、その街に恋人がいた……、等々。何か、その街と人とを繋ぐ「何か」がない限り、街に対する思い入れというものは起こってこないだろう。

 と考え直して、もう一度写真を見る。

 が、しかしよく分からない。

 う~ん、団塊ジュニア世代にとっての「神田」という街とは何なのだろう。

 フォトジェニー? 生きている街? それでも思い出の街? 

 よく分からない。

 もう一度、見に行こうかなあ。

『V.S 神田写真展』は7月27日(土)まで開催中。

 檜画廊のWEBサイトはコチラ

2013_07_24_98302

2013_07_24_98342

Fujifilm X10 @Kanda Jimbocho, Chiyoda (c)tsunoken

2013年7月24日 (水)

『ツール・ド・フランス』というまんまじゃちょっと身も蓋もないタイトルなんですけど

 第100回ツール・ド・フランスも日本時間7月22日早朝に終了。チーム・ユーロップカーの我が新城幸也も第5ステージの逃げに乗った走りで、4級山岳のポイント1を獲得って、ちょっと不思議なリザルトでもって、トップのクリス・フルーム(チーム・スカイ)から2時間54分58秒遅れの99位という結果となった。出場の度に少しづつ総合順位を上げていく新城だが、アタッカーあるいはルーラーとしての存在を認められている新城である、来年あたりはステージ優勝を見たい。

20130722_200359 『ツール・ド・フランス』(山口和幸著/講談社現代新書/2013年6月18日刊)

 で、毎年この時期になると出版されるツール・ド・フランス関連本。今年は講談社から現代新書で出てきたわけだ。

 で、結局今年のツールに関しては決して触れないわけにはいかない「ランス・アームストロング」問題である。

 まあ、要はそれがこの世界で最も過酷なレースの裏表ということなのだろうけれども、更にそれが「フランスのレースで勝ち続けてしまったアメリカ人」という問題も含まれているのである。

『開催国フランスは、85年のイノーを最後に、総合優勝の栄冠から遠ざかっている。
「フランスの若者にとって、楽しいことは他にもたくさんある。あえてツラい道を選ぼうとしない」
 と、自転車競技の関係者が嘆くほどだ』

 という言い方は、何かに対する言い方と似ていないだろうか。

 つまり、それは2006年(平成18年)初場所の栃東を最後に、優勝するのはモンゴル人力士ばっかりという大相撲関係者の嘆きと同じなのである。

「日本の若者にとって、楽しいことは他にもたくさんある。あえてツラい力士生活を選ぼうとしない」という嘆きは、日本でも聞かれることである。

 で、結局は日本における朝青龍バッシングと同じような形のバッシングが、アメリカ人ランス・アームストロングにも投げかけられたわけである。そのあまりにも激しい批判に対して、ついにアメリカのUSADAも(14年も!)過去にさかのぼって究明せざるを得なくなり、その結果「ランスはクロ」と発表せざるを得なくなり、UCIもこれを支持し、ツール・ド・フランスの7年連続総合優勝は剥奪され、繰り上げ優勝もなし、ということになり『執筆時現在、ツール・ド・フランス99回の歴代優勝者リストにおいて1999年から2005年までは空白となっている』ということになったのである。

 ところがランスについての記述はその程度。なんかもっと突っ込んで書けよと言いたくなる。それとも、書いちゃいけないルールなんてものがあるんだろうか? 要はランス・アームストロングが勝ち続けることについてのフランス文化への悪影響とか、好影響とかがある訳で、基本的にはそれがあってのフランス人によるランス・バッシングなのだが、何故かそういった方向への思考がないのが本書なのであるなあ。ちょっと残念。

 つまり、本書において残念なのは、ツール取材歴25年というベテランの書籍でありながら、現代新書という本の性格からなのか、実に基本的な記述のみに徹しているということなのだ。

 目次から見ていくと;

プロローグ
第1ステージ フランスの英雄とアメリカの開拓者(ベルナール・イノ―、ローラン・フィニヨン、そしてグレッグ・レモン)
第2ステージ ツール・ド・フランス5勝クラブ(ジャック・アンクティル、エディ・メルクス、ミゲール・インデュライン)
第3ステージ 黎明期からビッグイベントになるまで
第4ステージ 偽りの王者に戦いを挑んだライバルたちの悲運(マルコ・パンターニ、リシャール・ビランク、ヤン・ウルリヒ)
第5ステージ カミカゼ・ジャポネ! (今中大介、別府史之、そして新城幸也)
エピローグ

 という具合。

 別に、私がツール・ド・フランスに関する知識が普通の人よりも多少多いからという訳ではない。というか、その程度の歴史は既にネットでも十分知りうる程度の知識なのであって、わざわざ本を買うほどのものではない。例えば、Jスポーツのサイトあたりでも十分知りえる程度の内容なのである。

 やはり「お金を出して本を買う」という行為を読者に強いる以上は、もうちょっと突っ込んで、この本で始めて知りえた情報、知識というものが欲しいと考えるのである。

 例えば、日本人で初めてツール・ド・フランスに出場したと言われている川室競(かわむろ・きそう)について書かれた独立した書籍はない。たかだか2ページだけの紹介でなく、この川室競についての本『日本人で初めてツール・ド・フランスに出た男』なんていうタイトルで本を出したらどうか。公式記録には「出場」と「リタイヤ」だけの記録しかない無名の選手ではある。しかし、今中大介については自伝もあるし、関連書籍もある。多分、今後、別府史之に関する本や、新城幸也に関する本はいくらでも出てくるだろう。しかし、川室競についての本はまだ誰も書いていない。誰か書かないものか?

 というところまで書いてみて、そうか誰も書かないのなら私が書けばいいのか、というところに気が付いた。

 よし、じゃあいろいろ調べてみようかな。

『ツール・ド・フランス』(山口和幸著/講談社現代新書/2013年6月18日刊/Kindle版も当然ある。6月28日刊、136円安い!)

2013年7月23日 (火)

『ちょいブスの時代』は今きたわけじゃないのだ

 放送作家の鈴木おさむと森三中の大島美幸の結婚を機に時代はブスの時代になったとか、HKT48の指原莉乃がAKB48の2013年第5回総選挙で第1位となったことをもって、AKB48自体がちょいブス現象の最終鬼畜兵器、究極生命体と言えるとか、『勝間和代さんもまた、ちょいブス。いや、擁護すると「ちょいカワ」だったからこそ、ブレイクしたのです』とか。

 などと、なんか「ちょいブス」という、新しい生き物が世の中に跋扈してきて、あたかも19世紀に「共産主義という幽霊が出てきた」ような持ち上げ方なのだが……。なんのなんの、これまでの世の中でも一番安定的にモテてきたのは、この「ちょいブス」なのである。

2013_07_17_9651_edited1 『ちょいブスの時代 仕事と恋愛の革命的変化』(常見陽平著/宝島新書/2013年7月24日刊)

「ちょいブス」が「ちょうブス」になってしまうと、どうかわからないが、でも大島美幸なんかはどっちかって言うとこの「ちょうブス」に限りなく近い人なので、従って、「ちょうブス」だって希望がないわけではない。

 というよりは、基本的にこれまでの時代であってもモテていたのはどちらかというと「ブス」。あまり顔や体型の美醜と「モテ」とは関係ないというのが歴史的事実なのである。金持ちの男も、カミサンにするのは「ブス」で、愛人に「美人」を持ってきたとういうのが実際のところ。つまり、長期的にお付き合いするのは「ブス」が良くて、短期的にお付き合いする対象として「美人」を選んできているのである。

 何故なのか。

 美人はすぐに飽きるけれども、ブスは飽きない、とか。美人にはすぐに言い寄る男がでてくるけれども、ブスにはそれがない、とか。美人はプライドが高そうだが、ブスにはそんなものがない、とか。まあ、いろいろ言われているけれども。結局は、男が安心して長くお付き合いできるのが、この「ちょいブス」ということなのだろう。

 ただし、外見のブスは問題にならないが、内面のブス、「どうせ私はブスなんだから」と「僻みの塊みたいな精神ブス」はだめですね。多少ブスだって「へへん、そんなの私は知らないわ」と明るく振る舞う人を、人は美しいと感じてしまうものなのだ。

 ということなので、常見氏の論点は実は「今更」な論なのである。まあ、やはり常見氏は人材コンサルタント、雇用・労働・キャリア関連の著述家として活躍されている方なので、なんか大島美幸や指原莉乃、勝間和代なんかの活躍を見て、新しいものを感じてしまったのであるが、別にそんなことはない。

 なので、文末に言い訳のように

『まあ、私の奥さんは、美人なんですけどね」

 なんて、微笑ましいことを書いているのを見ると、「なんだ常見氏の奥さんだって、ちょいブスなんじゃね?」なんてことを想像してしまうのであった。

 つまり『結婚を投資として考えれば、長期投資をしなければなりません。美人の見た目は、どうせ老化し、変化していきます(まあ、最近はアンチエイジングの技術も進んでいて、美魔女化するわけですが)。外見の美醜を損得の勘定に入れていれば、美人はあらかじめ暴落、ストップ安が予想されている銘柄のようなものです。いずれ絶対価値が下がるものに現在価値だけで投資するのは素人ですら犯さない間違いです』ということなのだけれども、『ちょいブスは落ち幅が少ないんです』と言っても、それは元々の株価が低いから落ち幅が少ないんであって、別に高値の株を買うことを否定している訳ではない。というか元々この株比較っていうのは、最初に買った時から株価は上がらない(「年を取るほどに美しくなる」ということを前提としない)ことを前提にしているからおかしいんであって、「年を経るごとに美しくなる」女性もいるんだから、それをも前提にしなければならない。ということは、「ちょいブス」の方が、年を経てから美しくなることもある(かもしれない)ということで、期待値があるのに比較して、元々美しい人が「もっと美しくなる可能性」と「美しくならなくなる可能性」を比較した場合、まあ、基本的には、「ちょいブス」の方が、年を経てから美しくなることもある(かもしれない)可能性の方が高い、といういずれにせよギャンブルにすぎない。

 まあ、そんなもんですよ。なんて言ってしまっていいのかな。取り敢えず、自分の付き合っている彼女・彼氏が美女(美男)なのかブスなのかはあまり気にしないで、お互いに高めるような感じで付き合っていれば、双方とも年を経るごとに美しくなるってこともあるかもしれない、という感じでお付き合いをするべきなのだろう。

 多分、20代で付き合い始めて30年も経ってみなさい。子供も出来て、子育ても終わって、お互い年も取って、そうなるともはや美醜は関係ない、普通の空気のような夫婦になって、楽しく暮らせるのである。

 人間の価値なんて、その位の年になって初めてわかるものなのだから、その時になってお互いを見て「まあ、こんなもんかな」と感じればいい。

 それが、年を取って温厚な夫婦ってものですよ。

 そうなると、妻や夫の美醜なんて関係なくなっちゃうから。

『ちょいブスの時代 仕事と恋愛の革命的変化』(常見陽平著/宝島新書/2013年7月24日刊)

2013年7月22日 (月)

『俺はまだ本気出してないだけ』っていうより、「本気」がないだけ

 ネタバレばっかりです。嫌な人は読まないでね。

 まあ読んだきっかけは映画版『俺はまだ本気出してないだけ』のポスターを目にしたことなんだけれども。

 本来は中二病くらいの若者が口にするようなことなんだけれども、42歳の中年男がなんで「俺はまだ本気出してないだけ」なんて言葉を口にするのだろう、という興味であった。

「もう、そんなこと言っている歳じゃないでしょう」ということなんだけれども……。

2013_07_21_9802_edited1 『俺はまだ本気出してないだけ』(青野春秋著/小学館IKKIコミックス)

 大黒シゲオ42歳。中学・高校では中途半端なツッパリ、要はパシリ。高校を卒業した後は、自称ミュージシャン志望のフーテン。成り行きで女に妊娠させ、取り敢えずサラリーマンにはなったが、結局15年勤めて40歳で退職。自分探しを始めるが、結局「漫画家になる」と言って、ハンバーガーショップでアルバイトをしながら出版社への持ち込みを続けるが、未だデビューできず。

 娘、鈴子、高校生。フィンランドへ留学して建築士になりたいとファッションヘルスでアルバイトをしている。父親には既に父親の権威も存在感も感じていない、リアル志向の高校生だ。

 父(鈴子の祖父)志郎。45歳の時、勤めていた会社が倒産して、焼き鳥屋(兼ラーメン屋)を開き何とか20年を生き延びる。現在は多分年金生活。

 この3人の不思議な家族が主人公で、シゲオの幼馴染の宮田修は妻と離婚し、パン屋を開いた男。一人息子の正男とたまに会うのが唯一の楽しみだが、離婚した妻が再婚することになり、正男を会うのを断られる。

 問題は大黒シゲオ(ペンネーム:中村パーソン)が何度持ち込みをしても雑誌掲載がかなわないということなんだけれども、そんなのは当たり前である。だってマンガ雑誌が仮に100種類あるとして、1冊に20人の作品が載るとして2,000人の作品が載る。しかし、そこに持ち込まれる作品は数万作あるのである。勿論、雑誌に掲載されたってそれだけでは食ってはいけない。単行本になって何度も重版されてやっと普通に食っていけるわけであるけれども、そんな人たちは数十人。大半の作家は食うか食わざるかという状態で、アルバイトをしながら夢を見続けている人たちなのである。

 漫画家になるったって、その夢が実現するのは、数万人に一人という状態だ。

 という常識位は40過ぎの男なら分かる筈であるのだが、一度夢見てしまうと、現実が見えなくなってしまうんだな。まあ、そんな他人の夢を食い尽くしながら生きているのが出版社だから、あまりバカにもできないんだけれども、それでもやっぱり現実を見ようよという気分にもなる。

 で、結局シズオの「40歳になっても夢見ていいんだ」という生き方を見た村上という男の編集者だけが、まさに自分に正直になって、出版社を辞めて「ホステス=女性」になって生きることにする、という結末。

 まあ、人間誰かに影響力を与えて生きることが夢であるということであるならば、まさに村上に影響力を与えたシズオは少しは人の役に立ったとも言えるわけで、その程度の生きてきた価値はあったわけだ。

 とは言うものの、その代わり自分の「担当編集者=頼みの綱」を失い、自分の夢をあきらめなければならなくなったシズオはどうするのだろうか……、ということで気になった私は、結局紙の第5巻を買いに書店へ走るのであった。

 怒涛の第5巻、最終巻。

 結局、フィンランド留学から帰ってきた鈴子の前には、相変わらず漫画家を目指しているハゲたシズオがいるのであった。

 まあ、そんなところだろう。というより、47歳になっていまだに漫画家を目指して修行中というのもなんか鬼気迫るものがある。

 もう、ほとんど望みはないのにね。

 でも、こんな親子関係があってもいい……、のか?

『俺はまだ本気出してないだけ』(青野春秋著/小学館IKKIコミックス)4巻まではKindle版もある。200円安い!

2013年7月21日 (日)

『男女共同参画の本当の意味』と、その意味を一番わかっていない人

 またまた勝間和代さんのマーケティングに引っ掛かってしまった私だが、まあそれはよい。問題は「男女共同参画」って何だということなのだ。

20130719_201848 『男女共同参画の本当の意味』(勝間和代著/デジタル・ブック・ストレージ/2013年6月25日刊)

 男女共同参画社会とは「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」のことであり、そのために男女共同参画社会基本法という法律が作られている。

 男女共同参画社会基本法の前文にはこうある。

『我が国においては、日本国憲法に個人の尊重と法の下の平等がうたわれ、男女平等の実現に向けた様々な取組が、国際社会における取組とも連動しつつ、着実に進められてきたが、なお一層の努力が必要とされている。
 一方、少子高齢化の進展、国内経済活動の成熟化等我が国の社会経済情勢の急速な変化に対応していく上で、男女が、互いにその人権を尊重しつつ責任も分かち合い、性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することができる男女共同参画社会の実現は、緊要な課題となっている。
 このような状況にかんがみ、男女共同参画社会の実現を二十一世紀の我が国社会を決定する最重要課題と位置付け、社会のあらゆる分野において、男女共同参画社会の形成の促進に関する施策の推進を図っていくことが重要である。
 ここに、男女共同参画社会の形成についての基本理念を明らかにしてその方向を示し、将来に向かって国、地方公共団体及び国民の男女共同参画社会の形成に関する取組を総合的かつ計画的に推進するため、この法律を制定する。』

 要は、男女共同参画社会が実現していないから、わざわざこんな法律まで作ってそんな社会を作りましょう、ってやっているわけである。

【月曜日】割を食っているのは、女性でなく男性である

『日本全体で、片方の性別だけが、長時間労働をして、納税をして、そしてその結果、職場以外の社会的なつながりが保てず、友人関係も損ねて、さらに、家族との関係も危うくしています』

【火曜日】日本で男女共同参画が進まない本当の理由

『男性にも、女性にも、男女差別(女性庇護)を支持する人たちがいて、その人数が社会の多数派を占めれば占めるほど、その国の差別は激しくなります』つまり『男性である、ということだけで得をしてきたけれども、その割には実力が伴わない人は、男女差別を無意識に好むようになります』と同時に『もし男女差別がなければ、正社員として自立して働くことを強要される女性たちのうち、競争に負けそうな人たちは、積極的に男女差別を支持します』

【水曜日】なぜ欧米諸国では男女共同参画が進んでいるのか

『日本では北陸三県、そして、ヨーロッパの多くの国は、女性は社会人になった後、結婚した後も、よほどのことがない限り、働き続けます。それはそういう文化であり、そのようなライフスタイルを支えるためのインフラや制度が整っているのです』

【木曜日】男女の能力に性差は存在するのか

『ウーマンリブやジェンダーイコールは強力に推進されていた頃は、性差がないことが強調されてきましたが、やはり、男女に身長の差や体重の差が存在するように、能力にも差があることが分かってきています』

【金曜日】配偶者控除があることで何が起きているのか

『この制度こそが、日本での男女共同参画について理解がなく、社会制度が整備されていない典型例だと思っています』

【土曜日】時間当たりの労働生産性を高める必要がある理由

『男性中心だと、実はみんな、無意識にですが、長時間労働が女性の参入を阻んでいることについて結託しています。だから、それ以外の働き方を許すことに、驚異を感じているのです』

【日曜日】これから私たちができること

『男性は女性をよりよく活躍してもらうことで自分の労働時間を短くすることができますし、女性はよりよく活躍できる場を自ら求めることで、まるで真空地帯のような環境ですから、あっというまに「逆差別」の恩恵をうけることができます』

 う~む、確かに女性の社会進出が増えれば増えるほど、社会の労働生産性は上がる訳で、それが日本経済再生の道であるということなのだ。

 しかし、育児休業を1年から3年にしようなんて言っている首相の下でそんな成長戦略を描けるんだろうか。安倍首相の成長戦略についての姿勢は分かるのだが、なんかやっていることがチグハグなのは何故だろう。

 多分、「安倍氏の基本的に持っている保守的な考え方=妻は家にいて子育てをするものだ」と、「こうあらねばならない=男女共同参画が日本経済再生のカギだ」という部分が完璧に乖離しているからではないだろうか。

 なんか、そこが問題だなあ。

 という、残念だが、予想できたような結論。

『男女共同参画の本当の意味』(勝間和代著/デジタル・ブック・ストレージ/2013年6月25日刊)

2013年7月20日 (土)

静岡市葵区呉服町通り・街は生きている

 7月14日のブログで群馬県前橋市のシャッター通りを扱ったので、今度は静岡市の呉服町通りはどうなっているのかが気になって見に行った。

2013_07_16_963022 静岡駅から矢印の部分が呉服町通り。左の線で囲った部分が静岡鉄道の新静岡駅にあるセノヴァというショッピングセンタービル。その下に見える緑の部分がご存じ、徳川家康の居城であった駿府城である。

 静岡市葵区呉服町通りと言えば、今や全国的に広がっている地方都市の中心部のシャッター通り化に反して、いまだに賑わいを見せている商店街として、全国の商店会から視察に来るほどの商店街である。

 なので、前橋のシャッター商店街とどこが違うのかを確認しようと見に行ったわけなのだ。

2013_07_16_95622 本当はこの江川町交差点からが呉服町商店街の入り口。葵タワーやパルコは実は呉服町ではなくて紺屋町。

 戸田書店、結婚式場のブケトーカイ、静岡市美術館をキーテナントとする葵タワーや静岡パルコなどが入口で、そこから静岡伊勢丹があるあたりまでつながる呉服町商店街。

 が、どうも昔のような賑わいが見られないのが不思議であった。

 老舗の江崎書店がなくなってしまいマツモトキヨシになってしまったのは知っていたが、もう一つの老舗書店、谷島屋呉服町本店までが、店が半分になってしまっている。

2013_07_16_96062 左のシャッターが下りている部分が、以前は雑誌売り場があったところだったが、店は右半分だけの大きさになってしまった。

2013_07_16_96202 新静岡セノバ

 実は静岡鉄道が運営する新静岡セノバという新静岡駅のビルであり、シネコンのあるショッピングセンタービルが2011年10月にオープンして、どうも人の流れが呉服町からこのセノバの方に移っているようなのだ。こちらには近隣に109やマルイなどがあって、元々若い人たちが多い場所なのであったのだが、以前の新静岡センタービルの頃はそのビル自体の古さもあってあまり若い人が行かなかったのだが、今や完全に若い人たちが圧倒的に多い街になってしまっている。

2013_07_16_95862 正面奥がザ・呉服町タワー

 勿論、呉服町の方だって手をこまねいている訳ではない。

 現在、呉服町再開発ということで、静岡伊勢丹の前に「ザ・呉服町タワー」という、1~2階が店舗、3~7階が駐車場、8~29階が住宅という複合ビルが建設中であり、こちらが2014年3月の完成予定なのである。

 多分、2014年3月にはまたまた呉服町にお客さんを取り返すぞという意気込みが見えてくる「ザ・呉服町タワー」なのであった。

Fujifilm X10 @Aoi Ward, Shizuoka (c)tsunoken

2013年7月19日 (金)

『非情の常時リストラ』というよりも、既に始まっていることの方が重要だ

 結局、バブル世代のリストラはほぼ終わり、次が団塊ジュニア世代のリストラに取組中、というのが今の日本社会なんだろうな。

 そこさえ乗り越えてしまえば、次の世代か次の次の世代あたりからは「新人一括採用関係なし」「終身雇用関係なし」「年功序列関係なし」という世代になってしまうので、経営者はラクになるということなんだろう。

 つまり、あと数年頑張れば……。

2013_07_17_9650_edited1 『非情の常時リストラ』(溝上憲文著/文春新書/2013年5月20日刊)

 あと数年頑張れば、今度は経営者が勝手に社員を選別して、個別に対応してクビにできる時代が来るのである。そうなれば「リストラ」なんて変な言葉はいらなくなる。「斬首」「解雇」「首切り」と何をやっても、別に問題にされない時代がやってくるのである。さて、労働組合はその時にどんな対応ができるのであろうか。問題は、そこだな。

 何度も書いてきたが、私のいた会社は出版業界では最大手と言われてきたが、その実態は中小企業中の中小企業、たかだか資本金3億円、従業員1000人規模の東証2部上場基準ギリギリくらいの会社であった。でも、というかだからというか、毎年新人採用は10人程度であるが、秋には経験者採用という形でほとんど同じくらいの数の採用を行ってきている。勿論、それでも「終身雇用」「年功序列賃金」という神話は今でも生きているが、これもいずれはなくなっていくのだろう。でないと、優秀な経験者採用が出来なくなってしまうからね。今でも、経験者採用で入ってくる人たちは、まあそんなに優秀な人たちではないもんな。

 それはいい。問題はその「あと数年」をどうやって凌ぐかということなのだ。

 つまり、その段階の経営者って、結局はまだまだサラリーマンとして「上がり」の人たちの集まりに過ぎないということなのだ。そんな「サラリーマンとしての上がりの人たち」が「サラリーマンとして上がれなかった人たち」の首を切らなければいけない、というのが今の「リストラ」の現状なのだろう。だから「リストラ」なんて変な言い方をしている。だって「リストラ」って言うのは「リストラクチャリング=再構築」ということであり「首切り」ということではない。「首切り」「解雇」という英語は「sack」とか「fire」とか、如何にも「らしい」言葉があってそれを使うのがアメリカ語である。勿論、正式にはそんな言葉は使わないがね。

 つまりそんな今の「サラリーマンの上がりの人たちが行うリストラ」の後は、そんな「サラリーマンの上がりの人たち」を解雇して、キレイになった会社で、これからの普通に「新人一括採用関係なし」「終身雇用関係なし」「年功序列関係なし」で入社してきた人たちが経営を行うんだろう。そんな意味では「サラリーマンの上がりの人たち」も大変だと思うが、まあ「サラリーマンとして上がり」になった以上はそんな汚い仕事もやって頂かなければいけないということなんだろう。

 溝上氏はその後の世界について;

『その結果が日本社会に何をもたらすのか。個人的には、アメリカ、ヨーロッパ型の格差社会に突き進んでいくのではないかと予測している。いうまでもなく正社員の選別と二極化は、正規社員と非正規社員という二層にとどまらず、本書で触れたように「グローバルとナショナル社員」、国内においては「正社員と地域・職務限定社員」が出現し、多段階の所得の階層化が進むことを意味する。それが現実のものになれば、多くの人が抱いている「中流意識」など吹き飛んでしまうだろう。』

 というのだが、それはその通りだろうし、その通りでどこが悪いのだろう、という気にもなってくる。勿論、それへの対応策としてのセーフティネットとかは必要になってくるだろうが、しかし、溝上氏が言うような『もちろんそうなった場合には国の対策が必要だ。日本の雇用政策はブルーカラーの支援がメインで、ホワイトカラーの転職や職業訓練、労働市場の整備などの公的セーフティネットが極めて脆弱だからだ。ここに大規模な投資が必要になるだろう』というのだが、そこまでしてホワイトカラーの職を守らなくてもいいのじゃないだろうか。

 基本的にはホワイトカラー層は「額に汗して働く」ことを拒否した人たちなんだから、そんな連中を社会的に守る必要はないんじゃないか、というかそんな人たちの次の職場は自分で勝手に見つければいいのである。自分で次の職を見つけられなかったらどうするのかって? そんな人たちは非正規労働でも何でもやりゃあいいじゃないか。そのくらいにホワイトカラー職の人たちは突き放した方がいいのではないだろうか。その位にしないと、人はどんどん自分に甘くなってきて、自分で自分の将来を考えなくなってしまうのだ。

 というか、そんな時代になってしまえば、ちゃんとそんな時代に合ったビジネスが生まれてきて、ちゃんとホワイトカラーの人たちの第2市場を作る企業が出てくると思うよ。そこは、ビジネスというのは何でもありだから、何かでダメになった人がいれば、その人を対象にしたビジネスが生まれてくる。

 問題は、そんな時代になっても、時代に合わないで「昔風の会社のやり方しか知らないサラリーマン」が生き延びれるかということなんだけれども、まあ、それは無理だろう。そんな人は直ちに退場していただこう。

 基本的には、本書の結論で書かれていることなのだ。

『会社が、何かを与えてくれる時代は終焉を迎えている。自分の人生を切り開くのは会社でもなければ経営者でもない。何かを実現したい、何かになりたいと思う自分しかいない。その覚悟を持つことがいま最も求められているのだ。』

 ま、それが当たり前でしょ。

『非情の常時リストラ』(溝上憲文著/文春新書/2013年5月20日刊)

2013年7月18日 (木)

『金持ちになる方法はあるけれど、金持ちになって君はどうするの?』と聞かれたって、答えられる人はいないだろう

 まさしく『金持ちになる方法はあるけれど、金持ちになって君はどうするの?』と聞かれても、ちゃんと答えられる人はあまりいないだろう。つまり、ほとんどの人はただ漠然と「金持ちになりたい」と考えているだけで、その根拠もないし、努力もしていない人たちなのだ。

 つまり、そんな人たち(私たち)は「金持ちになれない」人たちなのである。

20130712200351gif『金持ちになる方法はあるけれど、金持ちになって君はどうするの? これからのビジネスを獄中から考えてみた。』(堀江貴文著/徳間書店/2013年6月1日刊)

 本書は堀江氏長野刑務所収監中のメルマガ『堀江貴文のブログでは言えない話』の中から「ビジネスモデル教えちゃいます塾」と「Q&A」を、「第1章 1980年以降に生まれた君へ」「第2章 ネット社会の向かう未来」「第3章 本気で金持ちになりたいか?」「第4章 本当に幸せなライフスタイルとは?」「第5章 ホリエモン出所後の日本を考える」という五つのテーマに沿って取捨選択し、編みなおされたものだ。従って、「Q&A」なんかはメルマガに載っていたあまりにもくだらない質問は省いてある筈なんだけど、でも「なんだかなあ」というような質問もかなり残されている。

 例えば『人生を変えるべく、起業することを漠然と考えています。しかしビジネスモデルのアイディアなどなく、この状態で起業しても当然ながら失敗するでしょう。何かアドバイスを頂けませんでしょうか』とか、『僕は今年で30歳になりますが、ワープアかワープアの一歩手前です。一応、正社員ですけど、もうずっとブラブラしています。仕事は忙しいですが、気持ちはブラブラです。やりたいと思う仕事に応募したりしても受かりません』とか、『東大中退、特にやりたいことはないが、なるべく早く金持ちになりたい。苦労は厭わない。という状態だったら、堀江さんは何をしますか?』とか、『とにかく私は、有名になりたいです。有名になって、講演などに呼ばれて日本中を飛び回りたいです。自分の得意なネットを活かしてPRしているのですが、なかなか依頼が来ません。成功している人には、コツや共通点があるのでしょうか?』とか、『起業前の段階で。これだけは読んでおいた方が良い思われる、本(漫画でもなんでも)を挙げて頂けませんか?』とか、『異業種交流会に行くってのは意味がないと堀江さんは言います。私は株投資を考えていますが、これからどんなビジネスや企業が伸びるのかとの情報を集めるのは、そういう場なのかなと思うんですけどどうでしょうか?』とか、なんかみんなもうちょっと考えて質問とかしろよなって思ってしまう。

 結局、こういう人たちって何もできない人たちなんだよな。何かを成しうる人たちは、既にこの段階で走り出している人たちなのだ。「何をやろうかな」なんてことを考える前に、猛烈に「やりたいこと」があって、やむにやまれぬ思いで、気が付いたら起業してたとか、気が付いたら何か新しい仕事をやってたとか、気が付いたら既に走り出している。

 堀江氏だって、オン・ザ・エッジを始めたときには、別にそれで大儲けしたいとか、これで一発当ててやろうなんて考えていたわけではなく(実は考えていたのかもしれないが)、自分の好きなコンピュータで何か新しいことが出来るという楽しさでもって始めたのであろう。オン・ザ・エッジがライブドアになったのはあくまでも結果であるに過ぎない。

 その後、近鉄バッファローズを買収しようとか、ニッポン放送~フジテレビを買収しようとか、総選挙に打って出ようとかというのも、別に勝算があってやったわけではなく。何か面白そうだな、わくわくしたいな、というのがまず第一の感覚だったのだろう。まず、この「面白そうだな」というのが始めに遭って、次にその面白そうなことを手掛ける。そんなうちに、どんどんのめり込んで行ってしまい、気が付いたら随分先まで走ってしまっており、その結果として「お金」や「名誉」や、そして堀江氏の場合は「犯罪」までついてきてしまったわけなのだな。

 まあ、そんな「面白さ」だけで突っ走ってしまう企業家って、結局は「周りの空気を読まない」人たちだから、大人世代の人たちが堀江氏の成功を苦々しい思いで見ていることに気が付かない。結果として、その所業が既得権益の所有者たちからは自らの権益が侵されるのではないかと恐れられてしまい、それは「犯罪だ」ということになって、「逮捕→起訴→有罪」となって収監されてしまった。

 堀江氏の証券取引法違反(有価証券報告書虚偽記載)という起訴事実にしたって、基本的には実刑が与えられることは普通はないわけで、オリンパス事件で同じ容疑で逮捕・起訴された菊川前社長・森前副社長・山田前常任監査役だって執行猶予付きの有罪判決である。まあ、そこは歴史のあるオリンパスという会社とまったく歴史のないライブドアという会社に対する、社会の対応の違いというしかない。

 無事、仮釈放となった堀江氏はもう同じことはやらないだろうし、以前よりは「周囲の空気を読む」態度も多少は身に着けただろうが、まあ、基本的には人間の性格なんて変わらないから、またまた何か興味の対象が「お金」に関するものになたっときには、またまた同じようなことをするかもしれない。まあ、多少の学習能力はあるだろうから、同じことはしないと思うけれどもね。

 そんな意味では、まだまだ危なっかしい堀江氏だが、それはそれで私たちの興味を、相変わらず引く対象であることは間違いない。

『金持ちになる方法はあるけれど、金持ちになってどうしたいのか』よくわかっている堀江氏なのであるから、これからはあまり目立った動きはせずにいて欲しいと思うのであるが、果たしてどうなるであろうか。相変わらず、興味の対象ではある。

『金持ちになる方法はあるけれど、金持ちになって君はどうするの? これからのビジネスを獄中から考えてみた。』(堀江貴文著/徳間書店/2013年6月1日刊)勿論、Kindle版もある。498円安い!

2013年7月17日 (水)

『ブログエイジ』は農耕型ブログの書き方なんだな

 プロブロガー・イケダハヤト氏がKDPで出した本だ。編集者の小川未来氏は慶應義塾大学に通う現役の大学生であり、卒業後はそのまま個人編集者として生きていく予定だそうである。

 だんだん時代はそんな方向に向かって進んでいくんだな。

20130712_200124gif 『ブログエイジ イケダハヤトのブログ農耕ライフ』(イケダハヤト著/編集・デザイン:小川未来/未来系レーベル/2013年6月17日)

 ブログっていうのは本来はフロー型のコンテンツであるため、こうして書籍化されることはあまりないのだが、言ってみれば週刊誌連載のエッセイが書籍化されるようなもんで、基本的にストック型の文章を書いていればそれは書籍化されることも可能だということなのだろう。

 しかし、ブログを書くのも本を買ったり、取材旅行に出たりと多少お金はかかっているので、すこしはその足しにしようと本にするのも悪くはない。とはいうものの、今回この本に関してはイケダハヤト氏はお金は一切受け取らず、基本的に売り上げはすべて小川未来氏が受け取るそうだ。まあ、イケダ氏自身はブログの方でお金を稼いでいるので、電子書籍というマイナーメディアでの収入はあまりアテにしないでもいいのかもしれない。

 ブログを書くことを農作業にたとえるイケダ氏の論は面白い。つまり『僕は毎朝6時または7時に起きて、ブログを更新します。最近はふぉぼ毎日昼まで書き続けているか、特に予定がなければ夜まで書き続けています。<中略>僕はまるで農作業に勤しむ方々のように、朝起きて自分の畑=ブログに種を撒き、メンテナンスします。<中略>人を超越した「デジタルという自然」に、僕らブロガーは感謝し続け、種を撒くことに精を出し続けます』という。

 そうなのか。私はブログを書くっていうのは、頭脳労働だとばっかり考えていたが、しかしこうやって農作業に例えるというのも、なるほどなと思わせる。

『とりあえず始めたい、というレベルなら「アメブロ」などの無料サービスをつかうのもありですが、これは豪農から土地を分け与えてもらっている「小作農」のようなものです。小作農である以上、勝手に広告を入れられても、規約を突然変更されても、文句をいうことはできません』

 というのはその通りであるから『本気でブログをやりたいのなら、やはりサーバーをレンタルし、独自ドメインを取得し、WordPressでブログを開設すべきです』というのは頷ける考えかたである。それはそうですね、とは思っていても面倒くさいので私はNIFTYのココログの小作農の立場に甘んじている。WordPressそのものはそんなに扱いが難しいソフトでもないし、テンプレートも多いようなのだが、何となく最初にNIFTYで始めてしまったのでそのまま使っている。今のところ特に不満もないのでそのままであるが、もしかすると私も独自ドメインを取って始めるかもしれない。確かにその方が自由さはあるようだ。なーんて言って、でも結局は独自ドメインなんて取らずに相変わらずNIFTYでずっとやってるんだろうな。

 勿論、アフィリエイトや広告を入れようとするといつまでもNIFTYじゃだめなんだけど、まあ、イケダハヤト氏みたいに別にブログで生活をしようというわけではないから、そんなにお金を稼がなくてもよいのだから、当分はNIFTYでやってるんだろうな。

 もうひとつ、面白いのは『12.「影響力があるんだから発言に責任を持ってください」』というブログ。イケダ氏はたまにツイッターでそんな言葉を投げかけられるようだ。しかし、そんなのは受信者の問題であって、コドモじゃないんだからそんな言葉を投げかけるのは私も変だと思う。『結局、「影響力があるんだから発言に責任を持ってください」なんて言葉は、十中八九、安全地帯から発言者に石を投げたいがための言葉です』という書き方には賛成である。

 まさしく『そこには「要するにおまえが気に食わないから、俺の気に入るように振る舞え」という意図が隠れています』ということなんだろう。

 基本的にそんなことを書き込む人の大半は匿名の書き込みであって、そんな人は実名で書くイケダハヤト氏に対する批判を書く資格などないだろう。でも結局、日本のネットってそんな匿名のバカばっかりがのさばっている社会であり、そんな匿名の発言者が実名の発言者にマトモに相手をされる筈がないじゃないか。自分だけ匿名という安全地帯に身を置いて、勝手な言いぐさをしまくるこの手の人たちって、どこかに社会に不満を持っていて、でもそれを実名で言ってしまうと逆に攻撃されるのが怖いからって、匿名に安全地帯から発言するんだろうけれども、たかだか人が書いたブログ位に当たるんだったら、もっとまともなことをしろよと言いたくなる。

 そんなにブログに文句があるならば、読まなきゃいのにね。

 でも、それだけヒマなのか。やることもないほど。

『ブログエイジ イケダハヤトのブログ農耕ライフ』(イケダハヤト著/編集・デザイン:小川未来/未来系レーベル/2013年6月17日)当然、Kindle版というか電子版だけ

2013年7月16日 (火)

マッキンゼーの『採用基準』は実に単純

2013_07_12_8872_edited1 じゃなかった2013_07_12_8873_edited1 『採用基準』(伊賀泰代著/ダイヤモンド社/2012年11月8日刊)

 つまり、「ちきりんさんの中の人」という噂のある伊賀泰代さんの本を紹介したいがために、ちきりんさんの本をまず紹介するということにしたというややこしいこと。

ちきりんさんの略歴:関西出身。バブル最盛期に証券会社で働いた後、米国での大学院留学を経て外資系企業に勤務。2010年に退職してからは文筆活動や対談を中心に、”楽しいことだけをして暮らす”人生ふたつめの働き方を実践中。

伊賀泰代さんの略歴:兵庫県出身。一橋大学法学部を卒業後、日興証券引受本部(当時)を経て、カリフォルニア大学バークレー校ハース・スクール・オブ・ビジネスにてMBAを取得。1993年から2010年末までマッキンゼー・アンド・カンパニー、ジャパンにて、コンサルタント(アソシエイト、エンゲージメント・マネージャー)、および、人材育成、採用マネージャーを務める。2011年より独立。

 なんか、とっても似た経歴ですよね。

 ただし、伊賀さんにはもう一つ経歴がついていて、2011年独立後『キャリアインタビューサイト MY CHOICE (http://igayasuyo.com)を運営し、リーダーシップ教育やキャリア形成に関する啓蒙活動に従事する』というのがある。まあ、ちきりんさんにも、書いていないけれども「講演活動」なんてのもあるようなので、まあ、やはり伊賀泰代さんなのかな。

 そういえば、2011年3月11日には筑波の方で講演をしていたようだが、ちきりんさんのブログには講演の内容については触れていない。書かれているのは、その後のドタバタだけだ。もしかすると、これは伊賀泰代さんとしての講演だったのか?

『世界を歩いて考えよう』の掲載写真じゃ小さすぎて伊賀さんかどうかなんてわからないし、とまあ、そんなことはどうでもよい。

 要は『採用基準』という本の中身なんだが、これが見事にマッキンゼーの採用基準について述べた本なのだ……。

 つまり、それは;

①リーダーシップがあること
②地頭がいいこと
③英語ができること
 というのに加えて現地語が話せること(つまりそこが日本なら日本語ができるってこと)

 という単純な基準。こうした採用基準なら日本の大手企業が持っている採用基準と大差ない。まあ、「英語ができること」っていうのは余り気にしていないだろうが。

 というか、マッキンゼーや大手企業に入る人たちは、小さいころから勉強ができた人だろうから、大体、小・中・高のいずれかの段階でクラス委員とか生徒会の委員長とかやってきて、そこそこリーダーシップの訓練は経ている人たちだ。

 ところが『学生の頃には自由かつ大胆に思考できていた人が、保守的な大企業で最初の職業訓練を受け、仕事のスピードや成果へのこだわり、ヒエラルキーにとらわれずに自己主張することや、柔軟にゼロから思考する姿勢を失ってしまう場合があることです』という具合に、それまで持っていたリーダーシップを大組織の中で失っていってしまっている、ということなのだそうだ。

 ふ~ん。私なんか確かに出版業界では最大手と言われたが、でもそんなの日本を代表するような大会社からしてみれば、如何にも的な中小企業だったので、大企業のヒエラルキーなんてものは分からない。まあ、お付き合いしていたメーカーや商社の人たちからは何となく窺うことはできましたけどね。

 しかし、そんなヒエラルキーに囚われているから、1997年に山一證券が破たんした時に、当時の野澤社長が「社員は悪くありませんから」なんて嘘くさいセリフを吐くことになっちゃうんだよなあ。だって、社員は悪くないんだったら、社員が会社の悪いところを指摘して、それを直せばいいんじゃん。結局、社員も一緒になって経営者の思考停止に合わせてしまったから、会社がダメになったんでしょう。

 結局、会社に採用された時点では立派な若者だった人が、その会社の色に染まることによって劣化し、共倒れしていくという図なんだろう。

 であるならば、マッキンゼーだろうがどこだろうが、基本は入社のときの採用基準ではなくて、入社してからの訓練とか、社内の雰囲気の作り方ってことでしょう。

 なので、マッキンゼーの『採用基準』は実に単純・明快なのだ、ということがよくわかった。

 就活生のみなさん、是非ともマッキンゼーに挑戦しましょう。兆戦のしがいのある会社だと思うよ。基本は上に上げた三つの要素なんだから、結構面白い。

 と煽っておいて……

 そんじゃーね

『採用基準』(伊賀泰代著/ダイヤモンド社/2012年11月8日刊)Kindle版もある。しかも、375円安い!

2013年7月15日 (月)

ちきりん『未来の生き方を考えよう』についてなぜ書くのか

「ちきりん」という人とその本については、2011年2月8日のブログ『ブログ本はやはりブログで読むほうが面白いということ』で書いた通り、私はちきりんさん最初の著書『ゆるく考えよう』の時から注目しており、その後『自分のアタマで考えよう』(2012/9)、『世界を歩いて考えよう』(2013/5)とすべて読んできて、『世界を歩いて考えよう』では覆面ブロガーちきりんの素顔が出ているなんてことまで知っているのだが、今回はもう「ちきりんはいいや」という気分になっていたのだ。がしかし、何故また読んでしまったのか?

2013_07_04_8505_edited1 『未来の働き方を考えよう 人生は二度生きられる』(ちきりん著/文藝春秋/2013年6月15日刊)

 基本的にはリンダ・グラットン『ワーク・シフト』が本書の執筆のモチーフになっている。しかし、書いてあることは最初の著書『ゆるく考えよう』の主旨からはあまり変化はない。『ゆるく考えよう』の基本線は、これからの若い人は『(1)「雇ってもらう」ことを諦め、自営業でたべていこうと考える(2)若者にしかできないこと(高齢者にはできないこと)を学ぼうとする(3)経済成長を続ける中国やインドなど海外に行って働こうとする』という考え方なんだけれども、それに『ワーク・シフト』の考え方を併せれば、『ワーク・シフト』で書かれていた;

『<第一のシフト>で目指すのは、専門技能の習熟に土台を置くキャリアを意識的に築くこと』でゼネラリストから、専門技能をいくつか連続して習熟して、その度その度に、そのジャンルでの専門家になる「連続スペシャリスト」になるということ。
『<第二のシフト>は、せわしなく時間に追われる生活を脱却しても必ずしも孤独を味わうだけではないと理解することから始まる』で孤独な競争からポッセ(頼りになる同志)を作って協業したり、<ビッグアイデア・クラウド>でおおきな繋がりを持った生き方をすること。
 そして『時間に追われる日々を避けるうえで最も有効なのは<第三のシフト>だろう。消費をひたすら追求する人生を脱却し、情熱的になにかを生み出す人生に転換すること』で、大量生産・大量消費という産業革命以来の人間の欲求から離れることである。

 という部分に日本でのこれからの人の生き方を考えれば、この『未来の働き方を考えよう』で書かれている「職業人生は二回選ぶ」という考え方になってくる。

『具体的には、働く期間を20代から40代後半までの前期職業人生と、40代後半以降の後記職業人生に分けます。今40代の人は「さて、いよいよこれから、新たに職業を選びなおす時期だ!」=「二回目の就活タイミングがやってきた!」と考えればいいし、今20代の人は最初から、「今は二回あるうちの、最初の就活をしているのだ」と考えればよいのです。今30代なら、10年後にどんな働き方を選ぶのか、あれこれ夢想するのも楽しいでしょう』

 つまりそれが、『第二章 世界を変える3つの革命的変化』に書かれている『パワーシフトその1 大組織から個人へ by IT革命』『パワーシフトその2 先進国から新興国へ by グローバリゼーション』『パワーシフトその3 ストックからフローへ by 人生の長期化』ということによて表される結果としての「新しい働き方」なのである。

 ちきりんさんは一回目の就職と二回目の就職をパッケージ旅行と自由旅行に例えて解説するが、その辺はパッケージ旅行というものは学校の修学旅行以外は経験したことのない私にはよくわからない。『大半の人が同じ場所を訪れたいと考えるため、初めての旅行にはパッケージ旅行がお勧めです。自分で調べなくても、観るべきものを漏れなく見せてもらえ、道に迷ったり、言葉がわからなくても困ることはありません』というけれども、実はそれが旅行を豊かなものにするのではないだろうか。旅行から帰ってきて「あれ? こんなところもあったのか」とか、道に迷ったり、言葉が伝わらなくて苦労するということのすべてが、旅の楽しみなのである。そんな旅の楽しみをすべて捨て去って、ラクにツアーコンダクターに任せた旅なんてしたって面白いわけはない。

 同じことは、就活にも言えて、20代から40代後半までの前期就職人生だって、もっともっと冒険をしていいはずである。別に大企業になんて勤めなくたっていいじゃないか。と、ベンチャーの時期は過ぎていたけれども、基本的にベンチャー企業の性格を持っている出版社に37年間勤務した私なんかは考えてしまうのだ。私が入社した時期でもすでに起業から60年余りを過ぎていた会社だから、多少「前例主義」に陥っている人もいたけれども、基本的に会社が持っているベンチャー性は残っている訳で、そんな会社にいるスリリングな気持ちと、一方大舟に乗ってる気持ちよさの両方を楽しんだような感じかな。

 実は人生は初めから「安泰」なものなんてのはないのだ。超大企業に入ったってその会社が倒産してしまうところはいくらでも目撃できたし、そんな倒産してしまう大企業は、なるほど外部から見れば倒産する理由はいくらでも見つけられる。中にいる人だけが分からないというのが企業倒産の実態なのだ。

 ということなので、初めから「自分がいるこの会社は、未来永劫にわたって大丈夫」なんてことは考えずにいれば、別に人生を二度に分けて考えなくても、いくらでも別の人生を生きることは可能なのだ。

 まあ、ちきりんさんが考えるような、「この会社に入ってしまえば自分の人生は安泰だ」なんてことを考えている人がいるならば、その考えはすぐに捨てなさい、といえばいいだけのことなのであるが。まあ、捨てられないのだろうから、こういう本が売れているのだな。

 なにしろ、ちきりんさんに「人生は二度生きられる」なんて言われなければ、そんなことに気づかない人が多いってことなんだろうな。

 ということで、損馬油(そんばーゆ)…………、じゃなくて

 そんじゃーね

『未来の働き方を考えよう 人生は二度生きられる』(ちきりん著/文藝春秋/2013年6月15日刊)

2013年7月14日 (日)

前橋、中央通り・弁天通り、シャッター通り

 群馬県前橋市は群馬県の県庁所在地として、交通の要衝にある高崎市が商業の街であるならば、行政の街として、北関東の中核都市としての存在感は大きい。

 ところが、そんな前橋市に行ってみると、なんともはや町は静かで人の動きが全く見えない街になってしまっているのである。

2013_07_11_87742 盛り場の中心にある書店、煥乎堂は、萩原朔太郎との交流でも知られる詩人、高橋元吉が経営していた老舗書店で、以前は前橋市を代表する商業施設だった。しかし、最近はなかなか経営が大変なようだ。確かに、この人出ではなあ。

 前橋市の盛り場の中心は、前橋城の本丸の後にできた群馬県庁を中心に、利根川をバックに抱え東側に展開している。茨城県水戸市と前橋市を繋ぐ国道50号線と、国道17号線がぶつかる本町一丁目の交差点の北東側、千代田町二丁目、三丁目、四丁目、五丁目というところに広がっていて、商業施設や飲み屋街があって、昔は前橋市民は一日に一度は足を運んだ町だったのである。

 で、この国道50号線から、町中の川としては珍しい広く水量の多い広瀬川までに千代田町二丁目から五丁目までが展開している。

2013_07_11_87712 千代田町二丁目にある国道50号線に面したアーケード、中央通りの入口。ここから、弁天通りへと繋がって、広瀬川までアーケードがある。

 国道50号線はさすがに北関東を横につなぐ大国道だけあって交通量はかなりある道路である。

 が、そこから脇に入る道になってしまうと……。

2013_07_11_87872

 で、その中央通りに入ってみると、なんともはや悲しくなる光景が広がっている。つまり、シャッター、シャッター、シャッターである。開いている店も、結局は自分の持家で商売をやっているので、家賃負担がないので開けているだけで、お客さんの姿は見えない。

 そりゃあ、この人通りでは無理もない。

2013_07_11_87962 中央通りから少し歩くと、上毛電鉄中央前橋駅と県庁を結ぶ道路で遮断された信号を挟んで弁天通りの入口になる

2013_07_11_87992

 弁天通りに入ると、中央通りよりもっと凄い状況になっており、更にシャッター、シャッター、シャッター、シャッターである。

 シャッターはカメラだけでいい。

 弁天通りというのは上の写真の正面奥にある弁天様にちなんだもの。

 昔はこのアーケードのおかげで人は雨にぬれずに買い物ができて大変便利だったのだろうけれども、今は郊外のスーパーやショッピングセンターに行ってしまえば、当然、雨にぬれずにショッピングができるので、町中のアーケードの優位性はなくなってしまった。更に、町中だと駐車場も優良だったり、お店が古いので魅力的な商品がなかったり、とかこの辺はどちらが鶏でどちらが卵か知らないが、いずれにせよ、街から人の姿が見えなくなってしまっている、ということでは前橋市は北関東随一である。

 群馬県は県民の自動車保有台数で日本一だそうである。だから郊外に店が展開してしまったのか、郊外に店が展開しているから自動車保有台数が日本一なのか、これまた「鶏・卵」の因果は分からない。

 このまま「町中」というものが日本全国からなくなってしまうのだろうか。

 まあ、それはそれで仕方のないことなのかも知れないが、ちょっと残念ではある。

Fujifilm X10 @Maebashi (c)tsunoken

2013年7月13日 (土)

『ビル・カニンガンム&ニューヨーク』が示すニューヨークのストリート・カメラマンの在り方

 ヴァニティ・シティ・ニューヨークでストリートファッション・フォトを撮り続けた男のドキュメンタリーである。

 使用カメラは(多分)ニコンFE2、レンズは(これも多分)35mm。ごく当たり前の廉価版仕様である。まあ、この辺が田中長徳氏が言う、アメリカ人写真家の「実用主義」ってやつだな。

20130709_210143『ビル・カニンガム ニューヨーク』(監督:リチャード・プレス/プロデューサー:フィリップ・ゲフター)

映画の公式サイトはコチラ

 これが雑誌のカメラマンだとポジ(リバーサル)フィルムを使うところであるが、さすがに『ニューヨークタイムズ』という新聞のカメラマンであるから、ネガフィルムを使う。『ニューヨークタイムズ』の定番コーナーの写真であるから、当然写真はすべてアサインメントの写真なのであるが、スタッフフォトグラファーではないので(というかアメリカでは社員カメラマンというのはいないようだ)数十年のネガはすべて自分で保管しており、そのキャビネットで一杯になったカーネギーホールのスタジオで生活している。って言うか、カーネギーホールに住民がいるなんて知らなかった。

 とは言うものの、その生活とは「単に寝ること」だけであり、それ以外はすべてニューヨークの街の中にある。食事はすべてコーヒーショップかレストランですませて、酒も殆ど飲まないようだし、何が楽しみで生活しているのかは分からないが、結局、写真を撮ることだけが「趣味」であり「仕事」であり「生活」であり、そして「人生」なんだろうな。

 今では、日本の雑誌でもこうしたストリートファッション・フォトは全盛であり、そこから発するファッション・トレンドもあるようである。しかし、その一番最初のところがニューヨークだったというのも、何となくわかるのである。まあ、ニューヨークというよりはマンハッタンだろうな、まさしく「見栄っ張り」の街、「虚栄」の街、そして「嘘つきだらけ」の街。

 でも、そんな街で「見栄っ張り」や「虚栄」や「嘘つき」と付き合いながら、彼らのファッションを撮影し続けてきた男、ビル・カニンガムである。

 1928年生まれのビル・カニンガムは最初は帽子デザイナーだったらしい。それが第二次世界大戦に徴兵され、帰国後、写真というものを教えてもらい、最初のカメラが人からもらったオリンパスペンだったというのが面白い。つまり、ハーフサイズのそのカメラは、基本的にタテ位置で撮影されることの多いファッション写真向きのカメラだったということなのだ。多分(本当に多分)それが彼をファッション写真に向かわせることになったのだろう。

 これが、もしかしてライカかニコンだったら、ファッション・フォトグラファーの方ではなくて、シリアス・フォトグラファーの、ニューヨークの社会的問題を撮影するフォトグラファーになっていたのかもしれない。社会的問題も一杯あるし、ニュー・ファッションも一杯あるニューヨークならではの選択肢だ。つまり社会的問題もニュー・ファッションも等価だということが、如何にもニューヨークなのだ。

 世界で一番進んでいる街であると同時に、世界で一番問題を抱えている街でもあるニューヨーク。世界で一番ファッショナブルであると同時に、世界で一番着るものが貧しい街であるニューヨーク。世界で一番お金が渦巻いている街であると同時に、世界で一番貧しい街であるニューヨーク。そんな、ニューヨークのカオスを現場で一番見てきて、なおかつその「きれいな」ところだけを撮影してきたビル・カニンガム。

 ビル・カニンガムは決してそんな「きれいな」ところだけを見てきたわけではないだろう。つまり、それはニューヨークの貧しい部分の写し鏡としての「きれいさ」なのだ。だって、ビル自身は、いまだに道路清掃者が着る青いジャケットで、パリの勲章授賞式にも出てしまう人なのだ。

 多分、ビルは基本的には自分が貧乏人として憧れのニューヨーカーを見る、それは我々日本人のニューヨーク視線と言ってもいいかもしれない。

 そんな、アウトサイダー・ニューヨーカーとしての視線を今でもずっと持っているのかもしれない。

 ニューヨークのスノッブの中にいながら、決して自分はスノッブにならないというのは、ちょっと難しいことなのだから……。

 映画では出てこないが、カーネギーホールを追い出されて移ったセントラルパーク・サウスのアパートも、早速キッチンをキャビネット置き場に改装したそうだ。

B0007805_47108(c)Bill Cunningham

 東京都写真美術館での公開は8月9日まで。以降はコチラを。

Img0052

OLYMPUS FT E.ZUIKO 25mm/F4 Kodak Super Gold 400 @Yebisu, Shibuya (c)tsunoken

2013年7月12日 (金)

『それがぼくには楽しかったから』という単純な理由がLINAXなんだなあ

 ビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズ、共に1955年生まれ。1960~70年のヒッピー・ムーブメントを少年の目から眺めていた。リーナス・トーバルズ、1969年生まれ。1960~70年のヒッピー・ムーブメントなんて知らない。1951年生まれの私。1960~70年の学生運動には高校生ながらその渦中にいた。

 その辺の違いがオペレーティング・ソフト(OS)のオープンソフトウェアというものに対する考え方の違いになって表れているのだろうか。

2013_07_02_8297_edited1 『それがぼくには楽しかったから 全世界を巻き込んだリナックス革命の真実』(リーナス・トーバルズ、デイビッド・ダイアモンド著/風見潤訳/中島洋監修/小学館プロダクション/2001年5月1日刊)

 OSというものは、言ってみれば「基本言語」みたいなものだ。であるならば、それはオープンソースである必要があるんじゃないだろうか。それを人によって使ってもいい人といけない人がいるっていうことは、それだけで差別的な存在になるし、そんな現代のバベルの塔みたいなものを作ってしまっては、ますます社会の「フリー」化からは遠ざかってしまう。

 勿論、そうやって囲い込むことでもって、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズは自らのビジネスを極大化させてきたわけなのだが、それが元々コンピュータ文化と密接な存在であるヒッピー・ムーブメントの目撃者たちが行ってきた所業だと思うと、何故か悲しくなってしまう。本来、反権力性とか反権威性というものがヒッピー・ムーブメントの基礎にあるのならば、彼ら、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズらはそうした反権力性を発揮してOSを自らフリーにすべきだったのだ。

 しかし、彼らはそうしなかった。何故だろうか? つまり、彼らはまさしく映画『バトル・オブ・シリコンバレー』で描かれていた通り、例えばMS-DOSというOS自体がシアトル・コンピュータ・プロダクツを騙して奪い取ったものであるという事実が示すように、結局自分たちで開発したOSじゃなかったということが基本的にはあるのだろう。ゲイツやジョブズの言うピカソの言葉「偉大な芸術家は模倣せず盗む」を実践した彼らはまさに他人の開発した技術を騙して奪い、しかしそれに手を加えて自らのものとすることに長けていた人たちなのだ。

 結局、彼らはヒッピー文化とは何の関係もない人たちだったのだ。

 むしろ、ヘルシンキのアパートのベッドとパソコンしかない寝室でOSの開発を個人的に始めたリーナス・トーバルズの純粋性の方が、本来のパソコンソフトの開発環境としては相応しいのではないか、という気になってくる。そんな純粋な気持ちで開発したからこそ、本来のパーソナル・コンピュータというもののあり方、ユーザーを支配から解放するマシンとしてのパーソナル・コンピュータという存在に忠実になれるのではないか。

 トーバルズは書く。

『オープンソース現象を理解する一つの方法がある――それは、何世紀も昔(現代の話ではないけれど)、科学が宗教界からどのように見られていたかを考えることだ。科学は、最初のうち、何か危険で、破壊的で、反体制的なものと見なされた――ソフト会社は時々、オープンソースをそんなふうに見ている。科学は宗教体制を攻撃しようとして生まれたわけじゃなかった。それと同じように、オープンソースだってソフトウェア体制を破壊するために考えだされたわけじゃない。オープンソースは、最高のテクノロジーを生み出すために、そしてそのテクノロジーがどこに行くかを見守るために存在するんだ。
 科学それ自体は、お金を生み出さない。富を生むのは、科学の二次的効果だ。同じことがオープンソースにもいえる。科学の副産物が教会の権威に疑問を投げかけたのと同様、オープンソースは二次的産業を作りだして、既存のビジネスに疑問を投げかける。VAリナックスのような小さな会社が、オープンソースを利用し、突如として伝統的な企業と渡り合うようになる。アイザック・ニュートンの言葉を借りれば、巨人の肩に乗っているわけだ』

 オープンソースを嫌ったビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズは、言ってみればオープンソースにとっては協会権威みたいなものなのだろう。つまり、いずれ彼らはオープンソースが当たり前になった時代には消え去る運命にある。勿論、一部の人にはいまだに教会というものがありがたい存在であるように、ウィンドウズを信奉する人たちは残るだろう。しかし、その他の大半の人はリナックスというオープンソースを正しいと考えるようになって、協会権威は形骸化するのである。

 いまやスーパーコンピュータやサーバーではリナックス搭載が普通になっている。パソコン・レベルまで下りてくるのはいつのことだろう。勿論、いまでもパソコンでリナックスを使うことはできるが、それができるのはごく一部の人だけであるのは残念である。

 私もそんなリナックスの考え方が気に入って、それを使いたいと考えたことがあるのだが、自分にそんなスキルがないことを思い知って諦めたことがある。

 しかし、いつかはリナックス……であるのだが。

『それがぼくには楽しかったから 全世界を巻き込んだリナックス革命の真実』(リーナス・トーバルス、デイビッド・ダイアモンド著/風見潤訳/中島洋監修/小学館プロダクション/2001年5月1日刊)

2013年7月11日 (木)

『英語を勉強し直そう』というけれども、し直さなくてもいい方法があるんだよなあ

 勝間和代さんの「マーケティング・ツール」に何回ひっかっかればいいんだろう。まあ、でも勝間さんの論旨は分かりやすいので……。

 そりゃそうだよな。たかだか500円で「勝間さんの実践的英語習得メソッド」が手に入る訳はないのだ。

20130630_93119 『英語を勉強し直そう』(勝間和代著/デジタル・ブック・ストレージ/2013年6月刊)

 まあ、英語の習得というのは、基本的には「英語を話すことが普通の人たちと沢山話すこと」ということなのであり、勝間さんが言うようなやり方ではない方法で英語がうまくなる方法はあるのだ。

 で、勝間流;

【月曜日】もう一度、なぜ英語が必要か考えよう
【火曜日】とにかく、英語の勉強時間を増やそう
【水曜日】たくさん、たくさん、英語を聞いてみよう
【木曜日】たくさん、たくさん、英語を読んでみよう
【金曜日】たくさん、たくさん、英語を話してみよう
【土曜日】skypeや海外留学を活用しよう
【日曜日】英語実益で使い倒そう

 というのが、本書の内容。

 基本的には、水曜日、木曜日、金曜日に集中しますね。結局、語学の上達方法はそれしかない。というか、一番いいのは英語(今は米語かな)を母国語とする国に数週間でもいいから、たった一人で行ってしまうことなのだ。例えば、アメリカの田舎町なら日本語を知っている人はまずいないだろうから、そんな町にひと月でもいいから住んでごらんなさい。あなたは、多分、既に「英語でモノを考えること」が平気で出来てしまうだろうし、話し言葉としての英語は十分に実践可能になってしまうのだ。

 赤坂の酔っぱらい出張連中を相手に英語の勉強(?)をしてきた私なら別に今更英語の勉強をしなくても、と考えていたのだが、もしかすると久々の、もう20年ぶりくらいの海外旅行というのが控えていたプレッシャーがあったのだろうか。

 で、結局行ったのは香港であるから、本来なら勉強すべきは広東語なんだろうけれども、ガイドブックに書いてある広東語もアタマに入ってこないので、まあなんとかなるだろう、と考えて私の「超日本語的英語」でもって4日間は過ぎてしまった。広東語なんて一切なし。勿論、香港の人も変な英語をしゃべっているんだろうな、と想像しながら。まあ、言葉なんてものはそんなもんさ、という変な納得。

 要は、日本人の英語コンプレックスというのは、英語に対するコンプレックスではなく、外国語全般に対して、その国に行く以上はその母国語人と同等に喋らないとこちらの気持ちは通じないんじゃないかという恐れに発するものなのだ。

 でも、そんなの初めから無理じゃん。その国に生まれた人以上にその国のことを分かったり、その国の言葉を話せたりするわけはないのだ。所詮、日本人は日本人でしかないし、やはり外国に行ってしまえば我々が「外国人」なわけだから、その立場に居直ってしまえば、別にカタコトの英語でも十分生活はできるのであります。

『英語ができるようになると、収入アップ、情報獲得、そして、いざというときの国外脱出まで、すべてまかなえます』

 というほどにはノー天気ではないが、多少は当たってはいる。しかし、そのためには取り敢えず英語を話す国で一度生活してみることが大事なんじゃないかと思うのだ。まあ、今ならイギリスよりはアメリカだろうな。取り敢えず、アメリカに1年間くらい住んでみて、それから仕事を探すっていうのはどうだろう。

 大学を卒業して、もしかしてその年に就職できなかったら、1年間アメリカに行ってしまうのだ。で、取り敢えずアメリカの学校に入る。学校は別にどんな学校でもいい。当然、ロサンジェルスやサンフランシスコ、ニューヨークあたりの日本人がいるところはダメ。中西部あたりの日本人なんか見たことない、という地域で「君は初めて見る日本人だ」なんて言われながら勉強してごらん。

 1年後、貴方はもはや立派な国際人になっていて、世界中どこに行っても通用するような人物になっているだろう。だって、基本的な知識は日本の大学で学んでいて(本当に学んでいればですが)、なおかつ、その学びの内容を世界語たる(アメリカ)英語で話すことが出来るんだから。

 ということで、勝間さんの「もう英語をちゃんと話せないで社会人になった人」に対する英語本はそうなんだけれども、私はちょっと小金を日本で稼いだんだったら、その金をもってアメリカに行っちゃう方をオススメします。

 だって、勝間さんだってそうやって英語に親しんだんですよ。

 それが勝間流結論だと思うんだけれども。

『英語を勉強し直そう』(勝間和代著/デジタル・ブック・ストレージ/2013年6月刊)

2013年7月10日 (水)

『希望をくれる人に僕は会いたい』人の「会いたい」感って?

 浜松市出身者らしい「なんとなく」感がする文章がいい。

2013_06_27_77882 『希望をくれる人に僕は会いたい』(若木信吾著/日本経済新聞出版社/2013年6月21日刊)

 静岡県浜松市の出身の人って何人も知っているのだが、なんとなく「なんとなく」感やら、「のんびり」感を感じるのは何故だろう。若木信吾氏は生地浜松市で書店「BOOKS AND PRINTS」「BOOKS AND PRINTS BLUE EAST」というお店も経営しているようだ。勿論、写真家という仕事をしながらなので、お店には毎日いるわけではないだろうが、一度覗いてみたくなるのだった。

 で、若木信吾氏のフェイバリット・マシンは「ライカに35mmレンズ」なのだそうだ。本の表紙を見ると若木氏自身の手になる自身のイラストが載っているが、まさしくデジタル一眼を首から下げて、ボイス・レコーダーをバックポケットあたりにブラ下げて、そこからの音声をヘッドホンで聞きながら、ライカをタテ位置に構えている姿が載っている。35mmカメラのタテ位置というのは、人物写真を撮るときの定番だ。

 ズミルックスかズミクロンかは知らないが35mmレンズ。普段、28mm使いの私にとっては35mmというのは広角というよりは標準レンズに近い感覚だ。6日前に仕入れたオリンパス・ペンFT用の25mmレンズを付けてみて、やはり35mmフルサイズでの換算焦点距離が35mm位の(今では)準広角レンズということになり「なんとなく広角」感のある、なかなかちょうど良いレンズ感覚である。つまり、この35mmレンズというのが、まさしく「なんとなく」感のある焦点距離なのである。

 と、そこでまたまた本に触発(影響)されやすい私は「よし、明日はライカM6に35mmズミクロンで撮影してみようかな」なんて気持ちになったりする。まあ、あまりこういうことは良いことではないのだが、でも、影響されちゃったりするのはしょうがないよな。

 で、若木氏がインタビューしたのは、やはり若木氏がフォトグラファーという仕事をしている関係で、グラフィックデザイナー、ミューシャン、音楽家(リトアニア初代国家元首)、写真家、アーティスト、沖縄民謡伝承者、詩人、映画監督、作家、編集者、舞踏家、キュレーターなどのクリエイターたちである。唯一、職人と言っていいだろうウメハラカメラサービスの梅原晃氏もそんな人たちに中に入ってしまうと、やはり何かをクリエイトしている人なのかもしれないな、という気分になってしまうのだ。

 インタビュー文のスタイルは、決して話した内容をそのまま文章にしているわけではない。当然、インタビュー内容はそのボイスレコーダーやデジタル一眼の中には入っているんだろうけれども、そのまま文章にはせずに、若木氏のアタマを通して、若木氏の感覚になって文章化されている。

 勿論、一見話したことをそのまま文章化しているように見えるインタビュー文が、実は話したままではなくて、やはりインタビュアーによってある種抽象化された文章であることは、元出版社の人間としては百も承知二百も合点なのであるが、それ以上に抽象化されて、若木氏の「インタビューの結果としての、インタビュイーへの感想」的な文章を読むと、実はそこに読み取れるのは、むしろインタビュイーのことではなく、むしろ若木信吾自身が見えてくるのである。

 つまり、若木信吾氏自身は他人をインタビューしているつもりかもしれないが、書かれている文章は実は自分について語っているのである。

 結局、若木氏は他のクリエイターたちを取材しながら、そこから抽象化される自分というものを本にしているということなのだろう。

 これは、実はフィクション作家の大半がやっていることで、彼らもいろいろ取材はするのである。しかし、取材したことをそのまま文章にするのではなく、取材した材料からいかにして自分が書こうとしているテーマに近いものを抽象化しつつ、自分が書こうとしていたストーリーに取材した内容を肉付けしていくのである。それが「小説を書く」という作業であり、小説家といえども、別に何もないところから物事を発想しているわけではない。

 多分、そのようなフィクション作家のような方法をとる写真家、という立ち位置から若木氏は映画『星影のワルツ』や『トーテム Song for home』を作ったのかもしれない。

 映画ジャンルとしては、本来の写真家の立ち位置はドキュメンタリー作家のそれ近い。しかし、ドキュメンタリーを下敷きにはしながらフィクション映画を作る若木氏の製作スタイルはまさにこの本にも通底している方法論なのである。

 そんなことを想像しながら、この本『希望をくれる人に僕は会いたい』を読むと面白い。

『希望をくれる人に僕は会いたい』(若木信吾著/日本経済新聞出版社/2013年6月21日刊)

2013年7月 9日 (火)

『「自分はこんなもんじゃない」の心理』を持ってる若者たちは、残念ながら本を読まない若者たちなのだ

「やろうと思えば、なんでもできる」とのたまう若者のイラストに「実はこういう人ほど成長してしまう。」という著者のコメントがついた腰巻が本についているのだが、多分、これは若者に対して、できればそうあって欲しいという著者からの応援メッセージなのだろう。

 実際にはそんな若者は少ないのであります。

2013_06_25_7741_edited2 『「自分はこんなもんじゃ ない」の心理 「根拠のない自信」が人生を変える』(榎本博明著/PHP新書/2013年5月31日刊)

 な~んちゃって。実はこの本、香港で買ってきた本なのであります。トマトブックスという日本書籍の専門店が九龍のMTR荃灣線尖沙咀駅そばにあって、そこで買ったのだった。99HK$。日本円にして1287円。本の定価は760円(税別)なのでそりゃ確かに高いのだが、まあ、香港だしなあ。

Photo (c)Google

 香港にはもう一つ旭屋香港そごう店というのが香港島のMTR港島線銅鑼灣駅そばのそごうデパートの中にあって、こちらの方がよっぽど大きな日本書籍専門店なのである。言ってみれば、日本国内にある「総合書店対街の本屋さん」の対決の縮小版が香港でも展開されている訳なのである。

Photo_2

 まあ、どちらも頑張って生き残って欲しいものだ。

 で、肝心の本なのだが。最近のポップスの歌詞を紹介しながら、イマドキの若者の「自分はこんなもんじゃない」とか「俺、まだ本気だしてないだけ」というどこかで聞いたことがある心理を紹介しつつ、そんな気持ちへの処方箋を書いているわけなのだ。

 しかしながら、『自分の仕事や職場の人たちを見下し、「自分はこんなところにずっといる人間じゃない」「自分はこんなもんじゃない」と言いながら、仕事も適当で、自分を鍛えることもしていない。他人を見下し、自分が優位に立っているかのような幻想をもつことで、自分の中の不満や不安から目を背けようとする。何とも卑怯で情けない姿だ。そんな風に自分を慰め、逃げてるだけじゃ、いつまでたっても自分らしい人生は手に入らない』とそんな若者たちを基本的には批判をする。

 そして『幼児的万能感をもち、「自分はこんなもんじゃない」といったポーズを取ることで、不適応感をごまかしている消極的モラトリアム。「こんな職場にずっといるつもりはない」と言いつつ、状況を好転させるための積極的行動がない。目の前の仕事に対する意欲もない。現実社会に出て行けない消極的モラトリアム。そんな消極的モラトリアムから積極的モラトリアムへの転換が必要だ。
 現状から脱するために、そのつど能力開発や資格取得に励む積極的モラトリアム。自分に合わせて現実社会のアレンジを試みる積極的モラトリアム、この種の積極的モラトリアムを活用することで、「自分はこんなもんじゃない」をエネルギー源として諦めない大人になっていく道が開かれているはずだ』と、励ますのだ。

 勿論、本書にはそんな積極的モラトリアムから転職に成功した若者も紹介されているし、その逆にうまくいっていない若者も紹介されている。

 基本的には「自分はこんなもんじゃない」と思っている若者の大半は、実は自分のことを一番わかっていない人たちであり、彼らを助ける必要なんてないんだけれども、教育心理学者である榎本氏にすればそうした若者たちが気になってしかたがないのだろう。そして、彼らに何か役に立つアドバイスをしようと、こんな本を書いている訳なのであるが、さて、肝心のこの本自体を読まない若者たちにどれほどそのメッセージは伝わるのだろうか。

 だって、「自分はこんなもんじゃない」「俺は、まだ本気出していないだけ」っていう若者の大半は、1か月に1冊も本を読まない人たちなのだ。

 残念ながら。

「いつ本気出すか?」

「今でしょ」

 という単純な話なんだけどね。

 ていうか、今考えたんだけど、香港あたりで仕事をしている日本の若者だったら、こんな状態は既に過ぎている訳で……、もう言う必要はないんじゃないかと。

『「自分はこんなもんじゃない」の心理 「根拠のない自信」が人生を変える』(榎本博明著/PHP新書/2013年5月31日刊)

2013年7月 8日 (月)

夏の風物詩、その2:高校球児の夏

 恐れ入谷の鬼子母神、の次は神宮球場である。

 一昨日から夏の高校野球選手権、東・西東京大会が始まっているのである。勿論、大田球場や立川市民球場なんてローカル球場で行われる試合が多いのだが、ここ神宮球場でも開会式の後の試合と2日目までは試合が行われるのである。初めから神宮で試合ができるラッキーなチームは5試合、10校だけ。

 で、大会2日目第4試合、開成高校対城北高校戦を観戦しに行った。開成高校は昨年は4回戦まで出場という「くじ運」に恵まれたチーム。城北高校は昨年2回戦、一昨年3回戦までという、まあそこそこのチームなので「もしかするともしかする」という可能性を、お互い秘めているチーム同士の対戦である。

2013_07_07_85692

 まあ、しかし城北高校というのも開成高校に負けず劣らず「拙守」のチームらしく、初めからエラーエラーの連続で、開成も結構得点チャンスには恵まれる。開成高校も青木監督の指導方針で、とにかく打撃、打撃、打撃、守備はあまり気にしない、というチームでよく打つのであるが、しかし、得点に結びつかないまま試合は中盤を迎える。

2013_07_07_86832

 う~む、開成生の頭脳にデッドボールを与えるという、かなり蛮勇な行為。プロなら危険球でピッチャー即退場という場面もあったのだが、高校野球は危険球はなし、バッターも臨時代走という形で少し休ませるという方法でいるのであるが、肝心のその臨時代走が「させられてしまった」2盗でアウトになちゃったりして。

2013_07_07_86992

 城北高校4点リードで迎えた6回表、ライト多田の放ったタイムリー2塁打で、2塁ランナー谷野が生還して、開成高校待望の初得点。

2013_07_07_87392

 とは言うものの、その後も城北高校が得点を重ね、8回裏に8点目を献上してコールドゲーム。

 残念ながら、今年は開成高校初戦突破はならず、ということで開成球児の夏は終わった。まあ、今年は初戦神宮というところで運を使い果たしちゃったのかな。

2013_07_07_87442

 で、この後開成高校の3年生は、スッキリ頭を切り替えて受験勉強である。野球強豪校は夏の大会が3年生最後の戦いだが、そう、進学校はもう一度戦う場面があるんだよな。

 来春、頑張ってね!

Nikon D7000 55-300mm @Jingu Stadium, Shibuya (c)tsunoken

2013年7月 7日 (日)

夏の風物詩のはじまりは、まず恐れ入谷の鬼子母神「朝顔市」から

 関東甲信地方は梅雨明けしたという話を聞いて、そりゃあ行く場所はここしかないでしょ。

 ということで、昨日は「恐れ入谷の鬼子母神」様まで行ってきたと思いねえ。勿論、目的は鬼子母神(仏立山真源寺)ではない。当然、目的は毎年この時期にやっている「朝顔市」である。

2013_07_06_85172

 たしか数年前までは普通に交通は行われていたと思っていた言問通りであるが、今年は鶯谷駅から来る通りから昭和通りまでが歩行者天国になっていて、朝顔売りの屋台も食べもの売りの屋台も道路側に展開していて、以前のように歩道側だけの展開じゃないので歩きやすくなっている。

 朝顔市の歴史を見ると、明治中期あたりになると往来止めをしたり、木戸銭を取って朝顔を見せていたところまで盛んになっていたそうで、そりゃあ今なら歩行者天国になるのも理由はあるんだな。

2013_07_06_85072

 この入谷の朝顔市が有名になったのは、元々は御徒町の下級武士や御徒目付あたりが盛んに朝顔を栽培していたのが、江戸幕府の崩壊に伴い、入谷にいた植木屋が作るようになったのがきっかけで、最初はそんな植木屋さんが鬼子母神の境内で毎年7月の6日から8日まで開いていたのが朝顔市なわけだ。

2013_07_06_85112

 勿論、今では入谷なんて場所で朝顔を作っている植木屋なんでいないわけで、大体埼玉あたりから来ているのであろう。 

2013_07_06_85392

 この「巣鴨とげぬき地蔵の植木屋の店」だって、花を作っているのは巣鴨はなくて埼玉の安行(川口市・草加市)あたりなのであります。まあ、大体東京で売られている植木は基本的にこの安行で作られているものが多い。

2013_07_06_85152

 勿論、イベントなのでこうした俄かカメラマンは一杯いるわけで、私も人のことは言えないわけであります。

 あ、勿論、私は「四色大輪」の鉢を買ってきましたよ。朝顔、楽しみにしましょう。

 入谷朝顔市は7月8日まで。9日と10日は、この先の浅草寺境内で「ほうずき市」が開催されます。

RICHO GRDⅢ @Iriya, Taito (c)tsunoken

2013年7月 6日 (土)

ネット投票までいかないと『ネット選挙』なんて意味はないのだ

 2013年7月21日に行われる参議院選挙から「ネット選挙」が解禁になる。という言い方をされているんだけれども、実はそうじゃないだよな。要は『インターネットを使った選挙運動』が解禁されただけであり、「インターネットを使った投票」が実施されないと、それは「ネット選挙」とは言えないんだよなあ。

2013_06_14_6971_edited1 『ネット選挙 解禁がもたらす日本社会の変容』(西田亮介著/東洋経済新報社/2013年6月13日刊)

 しかし、『新聞見出しなどでは、正確には「選挙運動におけるネット利用の解禁」に相当するものを「ネット選挙解禁」と記述し続けた。ネット選挙関連の報道に当たった者たちが、本質をよく理解しないままであったのではないかという懸念は拭えない』と書くように、まさしく新聞記者たちの誤解と無理解が、あたかもネット選挙が解禁されたような印象を与えてしまっている。

 この基本には各政党のネット選挙に対する無理解もある。2012年衆議院選挙の自民党、公明党、民主党、日本維新の会、社民党、共産党などの各政党のマニフェストにも「ネットを使った選挙運動の解禁」と「インターネット選挙」の混同が見てとれるし、日本未来の党、新党改革、みどりの風、新党大地、幸福実現党、新党日本などの政党はネット選挙に対する記述すらない。

 唯一、みんなの党だけが『個人認証の精緻化や秘密投票の確保がなされるようになった将来には、パソコンやスマートフォンを使ったインターネット投票を実現し、その技術を世界へと売り込む』という踏み込んだ記述があるのみである。

 なんでここまで政治家はネットに対し後ろ向きなんだろう。基本的には「現状を変えたくない」という後ろ向きの政治姿勢がまずあり、当然、「やったことのない方法を試すのは何が起こるか分からないから怖い」というリスクに対する恐怖心があるのではないだろうか。

 しかし、リスクを恐れていては何もできない。特に現在はネットの時代である。ネットの本質とは『開発過程ではさまざまなテストが行われ、機能は日々改善されていく。作り込んだ完成品を提供するのではなく、アイディアをまずはかたちにしてサービスとしてローンチ(スタート)する。リリースしてみて、問題が発生すれば対処し、不足している機能が見つかれば新たに実装する』という考え方であり、インターネットの『漸進的改良主義という設計思想は、日本の伝統的な政策過程の前提になる価値観とは大きく異なっている。日本の政策過程においては、法案に関連する課題を入念に洗い出し、リスクについての十分な検討を経て、精度の高い政策を開発することが要求されてきた』という、日本の官僚の完全主義と如何に決別すべきかが課題なのだ。

 つまり、ネット選挙(投票)というのは、もしかすると日本の民主主義に対する考え方を変えるかもしれないという期待感(危機感)を持たせるものなのだ。

 更に西田氏はオンライン投票を既に導入している韓国の大統領選の状況を見て、「ネット投票」を解禁しても投票率が上がるとは限らないと慎重な姿勢を見せるが、2012年の韓国の大統領選では投票率75.8%と2007年大統領選に比較して20%以上の伸びを見せているし、50代・60代が5%程度の伸びだったのに対し、20代前半~30代後半では14~23%の投票率の伸びを見せている。

 これは確実に「ネット投票を解禁すれば投票率は伸びるし、特に現在投票率の低い若年層の投票率は更に伸びる」ということが言えるのではないだろうか。韓国のネット投票はSNSを使ったものだそうだが、そうなると更に若年層向きかもしれない。

 若者がおおいに投票すれば、当然、政治家の政治姿勢も若者の方を向かなければならなくなるし、若者の言う「既得権益」というものが、実はたいしたことのないものであるということもわかってくるだろう。つまり、年寄りから既得権益を引きはがすことなんて造作もないことなのだ。

 そんなわけで、私は早いところ「ネット投票」まで日本の「ネット選挙」は行かなければ意味はないと考えている。

「候補者のツイッターを未成年者がリツィートしたら選挙違反」だとか「一般有権者がメールで特定候補への投票呼びかけは選挙違反」なんてくだらないことを言っている場合じゃないのだ。

 勿論、「ネット選挙は金がかからない」なんてことは全く信じていない。新しいメディアが導入されても、それまでの既存のメディアがなくならない以上は、それまでかかっていた金に更に上乗せされて金がかかるというわけなのだ。金のかからない選挙なんていう幻想は捨てて、逆にソーシャルファンディングでも何でもやって金を集め、それで選挙に臨めばいいのである。「何かキチンと主張すること」があって立候補しているなら、結構お金は集まったりする筈だ。

 元々、民主主義っていうのは金のかかる政治形態なのである。

『ネット選挙 解禁がもたらす日本社会の変容』(西田亮介著/東洋経済新報社/2013年6月13日刊)Kindle版もある。ちょっと安い。更にKindle Fireなら明日までは3000円安い!

2013年7月 5日 (金)

電子書籍も今や当たり前になって、落ち着いてきた

 昨日に引き続き、第20回東京国際ブックフェア会場の様子をお知らせします。

 まずは、いつも講談社の隣で存在感を示している楽天のブースが、今年も講談社の隣に(多分)ブックフェア最大のブースを出展。当然、楽天koboの売り込みに精を出しているのであった。

 楽天koboの責任者が出てきて、まず昨年のkobo発売当時のいろいろな騒動の詫びをしつつ、しかしその後順調に事業は伸長してきていると説明。

2013_07_03_84122

 日本では、koboそのものもさることながらkoboアプリによるスマートフォン、アンドロイドなどで読んでいる人が多いようで、月次20%の伸びを示している月もあるそうだ。

 楽天で面白かったのは、その責任者が元々TSUTAYAにいた人だそうで、楽天によるリアル書店の計画もあるようだ。まさしく、角川氏が言っていたハイブリッド書店を目指すということにもなるようだが、多分、そこからeコマースという楽天が一番お得意としている方向を目指すんだろうな。

2013_07_03_84462

 で、楽天の反対側の講談社の二つ先で楽天と同じような広さのブースが凸版印刷系の電子書店ブックライブである。

 こちらはブックライブの電子書籍リーダーLideoの売り込みに一生懸命だ。Lideoはwi-maxを使った電子書籍で、通信料はブックライブ側で負担するので、読者はLideoの購入料金と本の販売料金だけの負担でいい、というのがAmazonのKindleと同じ発想だ。まあ、そのくらいの費用負担は別に電子書店側でもっても全然問題ないってことなんだろうな。

 まあ、ブックフェア内での電子書籍リーダーについてはこの2社くらいなもので、あとはこれまでのブックフェアと同じく「紙の書籍」の展示だった。まあ、出版社側にしてみれば、あくまでも「コンテンツ」であるので、それが「紙」で流通しようが「電子」で流通しようが同じである、ということなのか。

 あるいは中小出版社にとっては、未だに「電子書籍」は関係ねえよ、ということなのか。そういえば、一昨日、角川と学研が新刊の同時電子化を発表していた。ますます、電子出版は盛んになるというのにねえ、何考えているんだろう。

 しかし、Kindle、kobo、nookあたりで収束しそうな海外での電子書籍リーダーの展開に対して、まさに百花繚乱、百家争鳴のわが国での電子書籍リーダーの乱立というのは、なにか頼もしい気もする。しかし、いずれはその内のどれかに収束していくんだろうな。わたしの予想ではでは○○○○と○○だとは思うけれどもね。

2013_07_03_84382

 講談社は1000万部を超えた『進撃の巨人』をメインにした展示で、その他、『小説現代』50周年とか、なんかいつもの総花的展開で、何を売りたいのかよくわからない。でも、ブースは会場の入り口そばという場所なので目立つことは目立つ。

2013_07_03_84692

 一方の雄、小学館は相変わらず図鑑をメインにした展開で、それも児童書フェアの中での展開であり、児童書フェア自体が「会場の片隅」という場所で展開されているので、なんかあまり元気を感じさせない。

2013_07_03_84632

 今年のブックフェア、韓国がテーマ国として選ばれていて、韓国の出版社ブースや特別展示が目立っている。

 日本と韓国という「近くて遠い国」。本来ならもっと文化交流が活発になっても良い筈なんだけれども、韓流スターやK-POP、嫌韓デモなんていうだけの交流じゃね。

 ということで、ブックフェアお越しの際は、是非、韓国出版社ブースや特別展示をご覧になってください。

 第20回東京国際ブックフェアは東京ビッグサイトで7月6日まで開催中。

 第20回東京国際ブックフェアの公式サイトはコチラ

Nikon D7000 AS-F Nikkor 10-24mm @Tokyo Big Site (c)tsunoken

2013年7月 4日 (木)

第20回東京国際ブックフェアが開催された

 ツール・ド・フランス第5ステージではチーム・ユーロップカーの新城幸也がスタートアタックを決めて、6人の逃げ集団でプロトンの前を走っている。今日は平坦ステージなので、このまま決めてルーラー新城がステージ優勝してしまうことを祈ろう(7/3 22:00現在)。

 ああ、残念、新城はプロトンに吸収されてしまった。

 なんてこととは関係なく……

 7月3日から第20回東京国際ブックフェアが開催された。

2013_07_03_83422

2013_07_03_83492

 まずは東京国際ブックフェア名誉総裁の秋篠宮殿下 同妃を招いた、業界関係者(主催各団体の代表者、後援団体の代表者、大規模書店の代表者、海外関係者、同時開催展関係者)総勢50名による大テープカットで幕を開いた。

 今年の基調講演は㈱KADOKAWA代表取締役、角川歴彦氏。

2013_07_03_83852

 最近は映画業界、出版業界をまたぐ発言の多い角川氏であるが、今回の基調講演の基本は、いろいろ保護されてきたために自らイノベーションを行うことができなかった出版業界を、普通の業界と同じく自ら改革していくようにしようというもの。

 つまり、「委託制度」「再販制度」「著作権制度」といった出版業界を守る諸制度のおかげで生きてきた出版業界(書店、取次、出版社)だったのだが、今や出版社は業界へ還元できるものがなくなってしまい、書店の店舗数は減少し、取次は大阪屋の楽天からの支援を仰ぐ形で再生しようとしているようにトーハン、日販以外の中小取次はこれからの生き方を考えなくてはならなくなってしまった。

 その結果、2012~13年にパラダイムシフトが起きたわけであるが、それは偶然起きたわけではなくて、その真相は「デジタル化」である。AmazonやAppleの垂直統合発想から、出版業は「コンテンツ業とアプリ業」が水平展開する「エコシステム2.0」に進まないといけない。その為のイノベーションを業界内部から起こしていこう。全国の書店店頭がプラットフォームになるような、デジタルとアナログのハイブリッド書店を目指そうというもの。

2013_07_03_83962

 最後に、この間いろいろと一緒になって進めてきた、紀伊國屋書店の高井昌史社長と講談社の野間省伸社長を壇上に呼び寄せて紹介。

2013_07_03_84062

 講談社、野間社長は「出版業界がやってこなかったことをAmazonがやってしまった。これからは業界自らがルールを作っていかないと、こうした新しい勢力に負けてしまう」と、角川氏にエールを送った。

 東京国際ブックフェアの会場の様子については、明日お伝えします。

 東京国際ブックフェアは東京ビッグサイトにて7月6日まで開催中。

 第17回国際電子出版EXPO、第1回コンテンツ制作・配信ソリューション展、第3回ライセンシング・ジャパン、第1回プロダクションEXPO、第2回クリエイターEXPOも同時開催。

 公式サイトはコチラ

Nikon D7000 AF-S Nikkor 55-300mm, AF-S Nikkor 10-24mm @Tokyo Big Site (c)tsunoken

2013年7月 3日 (水)

『キャリアポルノは人生の無駄だ』という本も人生の無駄なのではないのか?

「キャリアポルノ」とはいったい何なのか? 要は日本では「ビジネス書」というくくりで本屋さんに並んでいる「自己啓発書」のことなのだ。

 でも、読書そのものが人生の無駄でしょ? 違うかなあ?

Photo (谷本真由美著/朝日新書/2013年6月30日刊)

 つまり

『自己啓発書というのは、目に見えない部分での努力や行動、勉強をすっ飛ばして、読むだけで自分の手に届かないもの、例えばかわいい彼女、素敵な家、もっとやりがいのある仕事、高い給料、楽しい友達などを想像し、自分が求めている欲望を満たすだけの「娯楽」に過ぎないのです。読むだけ、聞くだけ、見るだけでは、自分の欲しいものは手に入りません』

 ということ。で、そのキャリアポルノとしての自己啓発書の分類は;

①説教系/②俺自慢系/③変われる系/④やればできる系/⑤儲かる系/⑥信じる者は救われる系/⑦エンタメ系/⑧ノマド系

 などなどあるそうで、びっくりしたのは②俺自慢系にアンドリュー・カーネギー『カーネギー自伝』やウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズ Ⅰ・Ⅱ』が入っていること。これらは自己啓発書じゃないと思うんだけど、まあ、見方によっては自己啓発書なのかなあ。

 まあ、本田健氏や本田直之氏の本が入っているのは何となく理解できるし、ナポレオン・ヒル氏やロバート・キヨサキ氏、与沢翼氏なんかは典型的な自己啓発書のやり方なのである。まさに与沢氏なんかは『自己啓発書の著者が大金持ちになったり、大成功したり、有名人になっているのは、「キャリアポルノを売ったり、講演をした結果」であって、自身の推奨する手法なり考え方を実践して成功しているわけではないのです』と谷本氏が書く通り、『秒速で1億円稼ぐ条件』や『スーパーフリーエージェントスタイル』なんかを売って稼いでいるんであって、それ自体が彼のビジネスになっているわけなのである。

 じゃあ、そんな自己啓発書を一生懸命になって読んでいる読者ってどういう人たちなんだろうと見てみれば、『今売れている自己啓発系ビジネス書は、これまであまり本を読まなかった層に受け入れられ、部数を伸ばしたのでしょう。このような人たちに共通するのは、『ダメな自分を変えたい、人生を変えたい』という、一種のコンプレックスの克服意識です』という若者向けの自己啓発書を発行しているフォレスト出版の取締役の発言があるようだ。

 アメリカ(日本と同様、自己啓発書が売れている)で自己啓発書を読む人々というのは『本当は仕事や私生活で華々しく成功してお金持ちになりたい、自分は愛されたいと思っていても、実際の生活はボロボロで、そのように成功する資質はなく、かといって努力する気力もないので、自己啓発書を読んで「成功した時の夢」を見ている人々だというわけです。これは、ダイエット本を読む人が痩せる気はあるがそのための努力をまったくしない人だったり、恋愛指南本を買う男性が身なりをきれいにしようという努力をいっさいしなかったりすることと同じです。本当は自分の生活を変える気などないのです』という人たちのようだ。つまり『実際に自己啓発書に関わったアメリカ人ジャーナリストのスティーブ・サレルノ氏は"SHAM : How the Self-Help Movement Made American Helpless"というアメリカの自己啓発書業界の内側を書いた本で、自己啓発書を手に取る人々は「人生の負け組である」とはっきり指摘しています』ということなのだ。

 ここまで言われてしまうと自己啓発書の立場もなくなってしまうが、考えてみれば本なんてものは、映画と同じでその本を読んでいる数時間だけ別の時空に遊んでいるもので、現実世界とは別のものである。普通の本読みはそんなことは重々承知で本を読んでいるわけなのであり、その本の中に書かれていることが現実世界にある訳はないことは理解している筈である。だって、『秒速で1億円稼ぐ』なんてことが出来るはずないじゃん。でも、それがもしかすると自分にもできるかな、と思わせることが自己啓発書の著者の力量であり、読者を騙すテクニックなのだろう。で、それを信じている(と自分で思っている)読者が「負け組」っていう構図なら見て取れる。まあ、だから『これまであまり本を読まなかった層に受け入れられ』ているんだろうな。

 つまり、普段あまり本を読んでいない人たちってのは「本に書いてあることは本当のことだ。この通り自分もやれば著者と同じような成功者になれる」と考えてしまうのだろうか。でも、そこで現実世界に戻った時に自分がそんな人間ではないことを発見して愕然としてしまうのだが、それでもまだなんかあるんじゃないか、と別の自己啓発書を探してしまう、という自己啓発書の出版社からしてみれば大得意様になる訳なのだった。

 ありがとうございます。

 でも、考えてみれば上のキャリアポルノの8類型の代表として谷本氏が上げた本は全部で30冊。ってことは、それは全部谷本氏が読んだ本なわけだ。ってことは、谷本氏も元々は自己啓発書の熱心な読者だった訳だ。

 う~む、それを考えた方が面白い。

(谷本真由美著/朝日新書/2013年6月30日刊/Kindle版も同日出版である。朝日新書頑張ったな。なお、7月7日まではKindle Fireが3000円お得なのでこちらをオススメ)

2013年7月 2日 (火)

ワイドレンズを仕入れに東松山まで出かける

 ツール・ド・フランス第2ステージはチーム・ユーロップカーの新城幸也がステージ12位、総合33位という好位置に付けており、第3ステージの活躍が期待できる。

 なんてこととは関係なく……。

 昨日はオリンパス・ペンFT用のワイドレズを仕入れに埼玉県東松山市まで行ってきた。

Img0322

 なんで東松山? という疑問を持つ向きは多いと思う。普通、カメラの機材なら銀座か新宿、中野あたりでしょというのが正解なのだが、これにはわけがある。実は「オリンパス・ペン 広角レンズ」でググッてみたら「プレミアム・ギア」というカメラ屋さんが出てきたのだ。このお店、基本的にはトイカメラなんかを主に扱っている店なのだが、オリンパス・ペンは勿論、リコー・オートハーフとかキャノン・ダイヤル、キャノン・デミなんかのハーフサイズ・カメラの完動品(メンテナンス済商品)を大量に在庫している店なのだ。そのお店が東松山市の郊外にあるというのを発見したわけなのだ。

 私のオリンパス・ペンFTは新宿のMAP CAMERAというところで買ったのだが、そこには標準の38mmレンズしか在庫がなく、やむなく標準レンズで撮影していたのだが、私の感覚ではどうも標準レンズはどこか望遠系レンズのような気がして、なんか隔靴掻痒の感じが否めない。普段28mmという広角レンズを標準使用しているので、それからすると50mmの標準レンズというのはかなりの望遠ということになってしまう。そこで、どこかオリンパス・ペン用の広角レンズを在庫している店はないだろうか、というところでたどり着いたのがプレミアム・ギアだったのである。

 で、住所を調べて、グーグル・マップでプリントアウトして行ってきました、東松山。東武東上線で池袋から小一時間、結構遠いですね。

 で、駅から淡々と国道407号線のすぐそばまで歩いて行ったのだが、見つからない。住所で辿ってもどこにも店はないのだ。住所はあってる、マンションの名前もあってる。でも、見つからない。なんだはるばる東松山まで来て骨折り損のくたびれ儲けかと思い、重い足を引きずって東松山の駅前まで戻って来た。

 で、駅前に「大正堂写真」というカメラ屋さんがあったので、別に期待もせずにショウ・ウインドウを覗いてみた。まあ東松山という田舎だし、普通のカメラ屋さん風のお店なのであまり期待せずに……。と、そこにはなぜかオリンパス・ペンFTがあるじゃないですか。ただし、「要調整」という断り書き付きで。「むむっ、この写真屋さん。なかなかやるな。」という感じでショウ・ウインドウを見渡せば、基本的にアナログ・カメラばかり。これは期待大ですよ。

 ということで、思わず店の中に入ったと思いねえ。あるはあるは、そこは東松山とは思えない、まるで銀座のカメラ屋さんにでも迷い込んだと思わせる国産アナログ・カメラの集積場なのでありました。で、店の中を見渡せば、ありましたオリンパス・ペンFやFTが、あっ、ユージン・スミスが本の表紙で使っている「黒のオリンパス・ペンFT」もあるぞ。思わずMAP CAMERAに今のオリンパス・ペンFTを返品して、この黒のペンFTを買っちゃおうかななんてことまで考えた。そして当然のようにズイコー・ワイドレンズが! 早速、Eズイコー25mm/F4を試しに持って行ったオリンパス・ペンFTに装着させてもらってファインダーを覗いてみると、なかなかイイ。ちょうど35mmフィルム換算で35mmレンズの雰囲気なのである。同じ焦点距離でGズイコーF2.8もあったが、昔のISO100が基本の時代だったらF2.8は欲しいところだが、今はISO400がデフォルトなのでF4で十分撮影はできる。

 ということで、早々に購入を決めてクレジットカードを出した。

 店のご主人は大正堂のサイトを見て来たのかと思ったようで、そんなことを聞いてきたのだが、私がプレミアム・ギアを訪ねてきたと言ったら、「ああ、あそこはお店はなくて、事務所だけで基本的に通販専門なんですよ」だそうである。

 やっぱり事前に電話などで確認してからじゃないとマズいな、と思ったものの、目的のオリンパス・ペンFT用のワイドレンズの仕入れには成功したので、もはや大満足である。

 スゴいぞ! 大正堂写真!

 ということで、大正堂写真のサイトはコチラ。在庫も豊富な店であるし、東松山市内でいくつか写真スタジオも展開しているナカナカの店なのであった。

 プレミアム・ギアのサイトはコチラ。こちらもトイカメラやハーフサイズのカメラは充実。ただし、通販のみである。

 で、早速Eズイコー 25mm/F4で撮影した大正堂写真が下の写真である。

Img0302 なかなかいい味出してるでしょ

 ところで、最初「地図は北が上」という基本を忘れて東松山駅の反対側に出てしまった。しかし、それはそれで新しい発見もあり、それが箭弓稲荷神社(やきゅういなりじんじゃ)である。別に「やきゅういなり」ではあるが野球の神様ではない。五穀豊穣、商売繁昌、家内安全の神様である。知恵の輪くぐりではなく、茅の輪くぐりのある、なかなか立派な神社であった。境内には宇迦之魂社(團十郎稲荷・穴宮)というのがあって、芸道向上の神様だそうである。私の写真術の向上を願ってお賽銭を入れさせていただいたことは、言うまでもない。

Img0092

Img0102

OLYMPUS-PEN FT E.Zuiko Auto-W 25mm/F4, F.Zuiko Auto-S 38mm/F1.8 Solaris FG Plus 400 @Higashimatsuyama (c)tsunoken

2013年7月 1日 (月)

関東カレッジフットボール春日程終了

 ツール・ド・フランスは6月29日にコルシカ島で始まり、ユーロップカーの新城選手は1位と同タイムの99位ということだった。これでまた眠れない3週間が始まったわけなのであるが、昨日アミノバイタルフィールドで行われた成城大学対追手門学院大学の関東関西交流戦、立教大学対専修大学戦、東邦大学医学部対東京医科歯科大学戦をもって、関東学生アメリカンフットボール連盟の2013年春日程はすべて終了した。って、何の関係もないですね。スミマセン、勝手に繋げて。

2013_06_30_78352 成城大対追手門学院戦は41対24で成城大の勝ち

2013_06_30_78682 立教大対専修大戦は立教大のランニングバック30茂住が5タッチダウンを上げる大活躍で56対26で立教大の勝ち

 以降は夏合宿を経て、9月7日の大井第2球技場の中央大学対関東学院大学戦、川崎球場の立教大学対東京大学戦を皮切りに行われる秋季リーグ戦というスケジュールになる。

 あ、その前に前期試験があるのだ。学生さんたちは取り敢えず夏合宿前の試験に全力で取り組んでほしい。

 まあ、それは良いとして、今年の秋季リーグ戦関東1部リーグはAブロック法政大学/早稲田大学/日本体育大学/立教大学/東京大学/一橋大学/神奈川大学/上智大学、Bブロック日本大学/明治大学/中央大学/慶應義塾大学/専修大学/関東学院大学/国士舘大学/横浜国立大学の、各ブロック8校合計16校で戦われ、11月24日のあずまボウルでA、Bブロックの第1位同士が戦い、関東の優勝校が決まる。

 ところが問題は来季のブロック編成が変わるということなのだ。つまり、来季の関東1部リーグが上位リーグ8校と下位リーグ8校という編成になり、今年までのA、B並びリーグという考え方を変えるのである。従って、今年の各リーグ上位4校が来季は上位リーグになり、下位4校が来季の下位リーグという、同じ1部リーグとはいえ、1部リーグと1.5部リーグというようなリーグ編成になる。2部以下のリーグは相変わらずあるのでそんな言い方がいいのだろう。

 なぜそんなリーグ編成の変更を行うのかというと、一つは強豪チーム同士の対決を増やして試合を面白くし、観客を集めようというのと、もう一つは2007年から2012年まで6連敗という甲子園ボウルで勝てるチームを作ろうというもの。

 まあ、その目的は理解するんだけれども、問題はどのチームが上位リーグに残るのかということ。Aブロックは法政、早稲田はテッパンだろうし、Bブロックは日大、明治、中央、慶應の四強は確実だな。ということはAブロックは日体大、立教、東大が残り2枠を目指して戦うことになり、Bブロックは慶應が一昨年の最終戦で東大に負けるようなシーズン後半でのモチベーションの低下なんてことがあると、どこが4位に上がってくるかは分からなくなる。勿論、Aでは一橋も狙っているだろうし、Bの関東学院あたりが何かしてくるかも知れない。いずれにせよこれまでは1部リーグ16校がすべて「甲子園ボウルを目指します」なんてことを言っていたのだが、来季は上位リーグに入らないとそんなこと自体が言えなくなるので、各校とも今年の秋は必死になって4位以上を狙ってくるのである。リーグ優勝というだけでなく、4位以上確保というもう一つの目標ができたわけだ。

 関西リーグは初めから1部リーグは8校だけだし、関西六大学野球は東京六大学野球ほどの人気はないから、関東よりはアメリカンフットボール人気は高い。つまり、関東は関西よりは大学の数が圧倒的に多いので、今までのブロック編成をする必要があった訳で、1部リーグを強豪校だけに固定化することがチーム力強化に繋がるかどうかはわからないし、もともと選手の関係者が観客の大半である関東リーグで、強豪校だけの試合になったからと言って一般客が増えるかどうかは分からない。

 つまり、来季の関東リーグの構想は「取り敢えず何年かやってみるか」という一種の実験なのである。とは言うものの、4年間しか在籍しない選手にとってはサバイバルレースにしかならない。まあ、そうやって選手の「必死度」を上げて試合が面白くなってくれれば、こちらとしては何の問題もないので、取り敢えず実験をおこなうことには賛成だが、選手は大変だということ。

 おまけに今年は東京国体のメイン会場が味の素スタジアムであり、そのあおりで本来のホームグラウンドであるアミノバイタルフィールドがリーグ前半戦では使えずに、川崎球場、大井第2球技場、や駒澤第2球技場、夢の島競技場などのゲームも多く、普段使い慣れていないグラウンドでの試合となって、尚更プレッシャーの多い年となってしまった。

 まあ、外部状況は各チームに平等なので、別にどこが有利になるということはないので、何の問題もないが、特に今年の秋は各チームとも大変な生き残り戦のシーズンになるということだけは確かだ。

Fujifilm X10 @AMINO VITAL FIELD, Chofu (c)tsunoken

« 2013年6月 | トップページ | 2013年8月 »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

PEN PEN チョートクカメラ日記

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

まだ東京で消耗してるの?