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2013年6月28日 (金)

『脱グローバル論』というよりは「脱貨幣論」として読みたい

 これって、昨年10月20日のブログ「ポストグローバル社会は、脱市場、脱貨幣経済?」で書いた、講談社で行われた公共政策ラボのシンポジウムなどが元になっている本なのだった。

 そりゃあ、講談社が応援しているシンポジムなんだものな、当然講談社が本にして売りたいよな。

2013_06_14_6970_edited1 『脱グローバル論 日本の未来のつくりかた』(内田樹・中島岳志・平松邦夫・イケダハヤト・小田嶋隆・高木新平・平川克美著/講談社/2013年6月10日刊)

 で、4回のシンポジウムの中で展開された論議は、基本的には現在ある「グローバリズム企業が国民国家を破壊していく」という現状の中で、いかにその先の時代を生き抜いていくのか、というテーマなのだ。

 すべての価値が「お金」によってはかられている社会である現在の社会で、しかし、そんなすべての価値がお金ではかられている(というかお金ではかるしかない)グローバリズム経済の時代に、それに対する対抗軸は「お金を通じない経済」ということなのである。

 つまりそれは、シンポジムの第二回でイケダハヤト氏が言った、

『税金を再分配するやり方を否定するつもりはないですが、税金がないと社会が作れないんじゃないか、という強迫観念はおかしいんじゃないかと思うんですね。僕は、ツィッターに2万9000人ぐらいフォロワーがいて、年間で100団体ぐらいNPOのサポートをしてるんですが、そのぐらいやってると、たとえば僕が餓死しそうになっても「お米ください、なう!」なんてつぶやいて銀行口座を書いとけば、誰かが絶対助けてくれると思うんですよね。マジで、絶対助かると思うんです。それって、お金を介在しない、税金みたいな再分配に頼らずに僕が直接、パーソナルのセーフティネットを持つことじゃないですか』

 とか、同じ回で内田樹氏が言った、

『さっきイケダさんが、お米をもらえるって話をちょっとされましたけど、実は僕も、お米って全然買ってないんですよ。(主宰する合気道道場の)門人に農業やっている人がいて、どんどんくれるから』

 といったような、

『僕は今、”オタキング”岡田斗司夫さんと本を作ってまして、かれは「評価経済」、僕は「贈与経済」と、ちょっと言葉は違うんだけれども、2人とも似たようなことを考えていて』

 という、要は貨幣を通じない経済というものがある、ということを我々に気づかせてくれたのである。

 そう、貨幣を通じない経済というものがあるのだ。

 そういえば、私の家にも新潟の(妻の)菩提寺から毎年新米の季節になるとお米が送られてくる。

 そうなんだよな。昔の農村経済というか、大昔は農村経済しかなかったから、そこでは貨幣よりもむしろ「米」の方が貨幣のように流通していた訳だ。基本的には「自分の家では消費できないほどの収穫があった場合に、他所に持って行って別のモノと交換する」というのが経済の始まりだった訳だ。その場所として設定されたのが「市場」というわけだ。

 さらに、江戸時代までは大名の経済の基本は石高だったわけで、いかにもその時代までも貨幣経済はまだ完全には流通していなかった訳なのである。まあ、その「石高主義」が江戸時代に商業の繁栄を招いて実際には武士階級よりは商人階級の方が上になってしまった結果を招いたんだけれども。

 で、その結果、明治からは貨幣経済の道に進んだ日本は、その後、経済力をつけてきて、いい気になって第一次世界大戦までは良かったんだけれども、その後、日中戦争の時代からはまっしぐらに(瞬間的にはそういう感じではなかったのだろうが、現在から見てみると)世界経済の場からは落ちていったわけである。

 そして、日本経済が壊滅的な状態になった昭和20年(1945年)から45年経って、世界経済の中心に躍り出た日本は、そのとたんバブルが弾け飛んで、落ち込む一方になったわけだ。

 21世紀に入って、貨幣経済と国民国家思想の結果ともいえる(そして国民国家を崩壊させようとしている)グローバリズム経済の時代になって、世界中に経済格差と「失業の時代」が訪れている。

 しかし、考えてみれば「失業の時代」ってそんなに悪いことなんだろうか?

 別に大企業に勤めなければ生きていけないわけでもなく、アルバイトでもなんでもやっていれば生きていけるのだし、貨幣を介在させない経済もまだ日本には残されているようだし、SNSを通じたセーフティネットというのもありそうだし、基本的には我々は日本政府に頼らなくても生きていけるんじゃないだろうか。

 そう、ここが大事なんだよな。

 つまり、我々は日本政府(じゃ大きすぎれば、東京都庁でもいいし、区役所でもいい)に頼らなくても生きていける方法があるんだ、ということに気づけば、グローバル経済の時代でも、別に普通に生きていけるのである。

 我々、日本人は「一人で生きていく」ってことに真面目に向かい合いすぎているんじゃないだろうか。日本よりもずっと若年失業率の高いスペインやイタリアの若者は、ちゃんと親世代や祖父世代に寄生して、気楽に生きているのである。つまり、これも貨幣を介在させない経済のひとつなのである。

 まあ、あんまり簡単に寄生されても困っちゃうけど、でも生活できないんだったら、取り敢えず自分だけで悩まないで、親とか、周辺の友達に相談してみれば、っていうことなのだ。

 それが「ポストグローバル時代」の生き方なのである。

 かな?

『脱グローバル論 日本の未来のつくりかた』(内田樹・中島岳志・平松邦夫・イケダハヤト・小田嶋隆・高木新平・平川克美著/講談社/2013年6月10日刊)

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