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2013年5月 6日 (月)

「憲法第九十六条改正」には大反対を唱える

2013_05_05_29432なんか随分右に傾いている国会なのであった RICHO GRDⅢ @Kasumigaseki, Chiyoda (c)tsunoken

『第九章 改正

 

第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員数の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を得なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする』

 というのが愁眉の「憲法96条改正案」の的になっているものであり、その「三分の二」を「過半数」にしようというのが安倍総理と自民党・維新の会・みんなの党などの了解事項となっている。

 そうかそう来たかというのも、本来の安倍氏の目的は憲法第九条のはずである;

『第二章 戦争の放棄

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
   二 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない』

 しかし、この9条改正をはじめから言ってしまうと論議が難しくなってしまう。自民党の中にも「憲法9条改正反対派」がいるからであるし、国民の中には強い「戦争アレルギー」があるからである。で、取り敢えずその手続きを簡便にしてしまう改正案をまず通して、本丸の改憲はその後に行おうというのが安倍氏の目論見だろう。

 まさしく「手続き民主主義」の手法大全開である。

 ポイントは1947年の日本国憲法制定から66年間、一度も改正されていない日本国憲法は最早世界最古の憲法に属するわけで、「憲法とは状況に応じ、改正を重ねながら国民と国家を守る統治のルールなんだから、不都合があれば当たり前に変えるべきで、少なくとも世界はそう考えている」という考え方からもってきた発想法である。その発想自体はもっともである。

 しかし、「世論調査では憲法改正を支持する国民は半数を超えているのに、国会の一院で三分の一を超える反対があれば頓挫し門前払いになってしまう」という考え方である。だから、「三分の二」を「過半数」にして、少なくとも「憲法改正の発議」だけはもっとやり易くしようというのは、いささか暴論なのではないか。

 確かに、日本国憲法は一度も改正されていない中で、例えばアメリカ合衆国憲法は1987年の制定から1992年までに18回改正、ベルギーは1996年から2008年までに24回、ルクセンブルグは2009年までに34回、ドイツは2009年までに57回、フランスも2008年までに24回という具合に改正されている。

 では、日本が民主主義の先生としているアメリカの場合、改正の発議はどうなっているかといえば『上下各院の三分の二以上の賛成と、州議会の四分の三の承認が必要』という具合に現状の日本よりもっと厳しい条件がついており、その他の先進国の場合も大半が「国会議員の三分の二以上の賛成」が憲法改正の発議の条件になっている。

 ということは、別に国会議員の三分の二以上の賛成が必要というのは、ことさら厳しい条件という訳ではなくて、それだけ憲法改正というのは重い判断なのだということを前提としている訳である。

 それを「国会議員の過半数」で発議ができてしまうとどういうことになるか。

 まず、例えば憲法第九条改正案が国会で通りやすくなるだろう。

 で、国民投票になる訳であるけれども、そこで日本国民の思考様式・行動様式を考えてみよう。

 つまり、明治維新は結局は武士と公家だけの間での革命であり、一般国民(庶民)にとっては、それまで武士が治めていた国の運営を官僚と政治家が治めるだけ、それまでは武士の腹三寸で行われてきた政治が、元武士と官僚が作った憲法と法律によって行うようにに変わったということだけなのだ。また、第二次世界大戦後にも市民革命がおこったわけではなく、米軍の統治下で官僚が新たな憲法と法律を定め、結局庶民はそれに従うだけという歴史なのである。

 結局、庶民(日本国民)は、自ら階級闘争の結果革命を勝ち取った訳でもないし、独立戦争を戦って国民の手によって独立を勝ち取った訳でもない。

 なので、日本国民にとって憲法とか法律(ルール)ってものは、自分たちで自己統治をするために他の人々と作ったお互いを律するルールではなくて、誰か上の人、政治家とか官僚が定めて、国民はそれを守るだけが憲法であり、法律であると考えるものなのだ。

 まさに5月1日に「『なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか』って当たり前でしょ。ルールは自分に有利なために作るのだ。」で書いた通り、ルールを守ることには一生懸命だが、ルールを作ることには考えが及ばない、悲しい国民性をもった日本人の姿がある。市民革命や独立戦争を戦ってきた欧米人にとって、憲法や法律は自分たちの現在の立場を守るために、自分たち自身で作るものだと考えている。ところが日本国民は誰かが決めた憲法や法律を守るのが当たり前だ、という風に考えているのだ。

 こんな国で「憲法改正の発議」が国会から降りてきたら、確実に国民投票では過半数を取ってしまうだろう。だって、お上が決めた憲法改正案なのであるから、国民はそれに従うべきだと考える国民が大半のお国柄なのだからね。

 国民投票の段になって、そこで徹底的に話し合いになることはまずないだろう。面倒だから、面倒なことは国会議員と官僚にまかせて、早いとこ投票して遊びに行こう、というのが残念ながら大半の日本国民のビヘイビュアである。

 まあ、そんなことを読み込み済みの安倍晋三氏なんだろうけれどもね。

 しかしこんな国だからこそ、憲法改正の発議だけは慎重に、より慎重にしなければならない。

 まあ、確かに、ちょっと残念な国民性だけれどもね。でも、それが真実。

 なので、私は憲法改正の中身がどんな内容なのかは明らかにされていない以上は賛成でも反対でもないが、憲法第九十六条の改正にだけは大反対する。

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