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2013年5月28日 (火)

『クリエィティブ喧嘩術』というよりもドキュメンタリー的ドラマ作りが気に入った

 NHKには2年間の海外派遣制度があるそうだ。で、その制度を利用してハリウッドで映像制作を学んだ人たちは、大体帰国すると数年でその会社をやめちゃうんだなあ。

2013_05_22_49392『クリエイティブ喧嘩術』(大友啓史著/NHK出版新書/2013年5月10日刊)

 大友氏もその一人で、ハリウッドから帰国後、『ハゲタカ』『白洲次郎』『龍馬伝』を撮ってNHKを辞めてしまう。

 実はフジテレビにも同じような制度があって、やはりハリウッドあたりで学校に行ったり、プロダクションでインターンをしたりするわけなのであるが、やはり帰国後、みんなフジテレビを辞めてしまったために、今はその制度はなくなってしまったということである。

 会社としては、ハリウッド流の映像(映画)の作り方を学んで、自分の会社の映像作りに生かしてほしい、またハリウッドでの人脈から自分の会社の番組の輸出にも役立てててほしい、という気持ちからの海外派遣制度なのだ。ところが、派遣された本人にしてみれば、そこで学んだハリウッド流の映像(映画)作りは、実は皆独立した個人の才能が集まって一つの映像(映画)を独立したビジネスとして作り出す世界がそこにあることを発見し、そこから帰ってきた自分の会社の映像作りに何の未来的な可能性が見いだせなくなってしまい、じゃあ、独立して映像(映画)作りをした方がより刺激的に面白いビジネスができるんじゃないかと考えてしまうのである。

 つまりハリウッドにはそんな独立した個人の才能が切磋琢磨しあって、より面白い映像(映画)をどうやって作るのかということを、常に追求する姿勢があるのに対して、日本の「わが社」にはそんな方法を厳しく制御する「官僚制」しかないことに、実は帰国して初めて知ることになるのである。

 なんでそんなことを知っているのかといえば、実はフジテレビ『スター千一夜』のディレクターであったK氏が、やはりこの制度を使ってハリウッドで2年間修業をしたわけなのであるが、そこで初めの頃の「コンピュータ・グラフィック(CG)」というものと出会い、その可能性を夢見たK氏は帰国後、フジテレビを辞めて、当時はまだまだ未開発状態だったCGの世界にのめり込んでいくのであった。

 しかし当時はまだ巨大なVAX11なんてコンピュータを使って画像生成を行っていた時代で、それでも数秒のCG画像を作り出すのに一晩かかっていたような時代の1980年代だった。今では同じような仕事をデスクトップ・パソコンでできてしまう時代になって、K氏はそんな時代背景の下で、いまや東京工科大学の教授をやっているという現状。

 で再び、なんでそんなことを私が知っているのかといえば、じつはK氏が運営していたCGラボと講談社が協働して映像制作をやっていた時代があったからであり、その当事者として私も参加していたからなのだ。つまりそれが『SF新世紀レンズマン』『Galactic Patrol レンズマン』の時代だったわけですね。

 それからするとまさに隔世の感ではありますねえ……、と遠い目。

 まあ、それはよいとして、つまりそれだけ映画作りをビジネス、それもワールドワイドなビジネスとして展開しているハリウッドと、日本の中だけで完結しようとしている日本の映像(映画)ビジネスの世界の違いがあるということだ。まあ、最近はアニメを中心として多少は違う展開もあるようだが、基本的にターゲットとしているマーケットの大きさの違いは嫌でも感じさせる。あの宮崎アニメだって、ハリウッド発のアニメ程には世界を席巻はしていないのだ。

 とまあ、ちょっと本書の内容とは違うことを書いてきたけれども、だって、本書に書いてあることは、いわば当たり前のことだと私なんかは思ってしまい、そんな当たり前のことについてなんで書く必要があるんだよ、ともなってしまう。

 つまり、『『龍馬伝』は「坂本龍馬を一生懸命演じようとしている福山雅治のドキュメントですよ」という言い方もできる。いや、「福本龍馬」だけではなく、すべての役柄に対してもそのように向き合ったのが、『龍馬伝』の現場であったと言うことができるかもしれません』という言い方は、実は映像作りの基本なのかもしれない、と私が考えていることでもあるのだ。

 映像作りにテレビも映画もない。勿論「台詞で総てを語れ」というテレビドラマの世界と、「如何にして説明的な台詞を省くのか」という映画の世界の発想法の違いはある。しかし、映像作りという原点で言ってしまうと、そこにはドキュメンタリーもドラマもアニメーションもないのである。というよりも、すべての映像はドキュメンタリーに帰結してしまうのである。

 特にドラマの世界では、役者という生身の人間が自分以外の「役柄」を演じるのであるが、しかしそこには「役者本人」という個性と、「役柄」という「個性の乖離」があるわけである。問題は、そこで如何に「役者という個性」を「役柄という個性」に合わせるかということではなく、その「個性の乖離」をもって如何に「役者の個性」を「役柄の個性」に持っていくのかという状況を「ドキュメント」するのがドラマなのである。

 同じように、アニメーションというあらかじめ「作られた世界観」の中で、あらかじめ「作られたキャラクター」を、「アニメーターが描く」という、もっともドキュメンタリーからは遠い世界にあるような映像であっても、実はそんな虚構の世界に至るアニメーターの考え方はどうなんだろうとか、アニメーターの描くキャラクターや世界は、実は現実世界とどのような関係を示しているのか、という点で考えてみると、まさにこれはドキュメンタリーなのであるなあ。

 つまりそういうこと。

 映像作りにおけるドキュメンタリー性ということを感じていてくれさえすれば、その演出家は一人前である。

 そんな演出家が『一生のうち、自分が好きなように撮れる作品が一本あれば十分』と考えていればそれで充分。多分私はそんな演出家の作品を見続けるだろう。

 というのが、会社からある映画のプロデュースを終えたのちに「お前もハリウッドに行かないか」と言われて、実は行けなかった私の悲しい思いなんだがなあ。

 当時、バブルも弾けちゃったしね。

『クリエイティブ喧嘩術』(大友啓史著/NHK出版新書/2013年5月10日刊)Kindle版はない。残念!

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