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2013年5月19日 (日)

『不要家族』に「扶養」される家族って?

『不要家族』とうのは、当然「扶養家族」のダジャレなわけだが、要は2010年にお茶の水女子大学を定年退職した土屋名誉教授が、結局は家でも「不要」な家族となってしまっている姿を面白おかしく描いたエッセイ集である、なわけないじゃん。

20130516_1159『不要家族』(土屋賢二著/文春文庫/2013年3月8日刊)

 だいたい「内の章」「憂の章」「外の章」「患の章」と言っても、別に「内憂外患」とは何の関係もない。

 今回の単行本も『週刊文春』の連載していたコラムをまとめた本なので、そんな大きなテーマ的なくくりにはなっていないのである。とは言うものの、今回はいままでとはちょっと違って、大学を定年退官するいうことが一種通奏低音のようにずっと鳴り響いているためか、話はいつものバカ話といよりは、あまり笑えない哲学者のオフザケが続くのであった。

「なぜ人間は八本足か?」という哲学的命題に対し、本来は哲学的オフザケで解決すべきなのであるが『たとえば「なぜ人間は八本足か?」という問題は、明らかに問題として無意味である。「なぜ」という疑問詞の後には事実を表す文が来なくてはならないという言語規則を破っているからだ。この問題と同じく、哲学の問題とされるものにはすべて言語的誤解が含まれている。というのがこの本の主張なのだ。もしこの主張が本当なら、これほど意外なことあがるだろうか。ミステリの結末よりも意外だろう。長い年月をかけて問題の解決に取り組んで頭をしぼった挙げ句、問題が無意味だというのだから』なんて、哲学的に当たり前の結論を出してはいけない。それじゃあ土屋センセイの哲学の授業になってしまうじゃないか。

『週刊文春』読者は、こんな哲学の授業のようなものを期待してはいないのだ。もっと「哲学的オフザケ」しか期待していないのに、本当の哲学をやっちゃあいけない。

 で、この「なぜ人間は八本足か?」の次の連続エッセイ「夢の中の高級腕時計」ではついに『夢の中の時計は、夢を見た本人が高級腕時計だと「決めた」のであって、高級腕時計だと「分かった」わけではない。それなのに「どうして高級腕時計だと<分かった>のか?」と問うのは、歩いている人に「どうして走っているのか」と聞くようなものだ。事実に反した問題を立てているのだから、「なぜ人間は八本足か?」「ツチヤはどうやってノーベル賞をとったのか」という問題と同じく無意味である。哲学の問題にはこの種の誤解が含まれている。説得力を補強するために付け加えるが、天才哲学者ウィトゲンシュタインも同じ考えである』なんて言い訳をしているが、これじゃあ完全に普通の答えじゃないか。

 そうじゃなくて、読者が期待しているのはもっと衒学的言い回しでもって、なんか読者には「なんかこの哲学者は、哲学的に正しいことを言っているのではないか」と思わせて、実は哲学的でもなんでもない、どちらかといえば落語的落としどころにもっていくのが、文章芸人の正しいありかたではないのか?

 土屋賢二氏の愛弟子(というか、かなり生意気な学生だったというのをどこか土屋氏のエッセイで読んだ記憶があるのだが)である漫画家・柴門ふみは、もともと弘兼兼二のアシスタントだったのだが、あまりにも何にもできないアシスタントだったので、やむなく結婚することで柴門ふみの将来問題を解決したそうである。本当かどうかは分からないが。まあ、これは本題とは関係ないが……。

 今回も表紙を描いているいしいひさいち氏は土屋センセイの小学校の後輩だそうで、そんな縁でいしい氏が描く土屋センセイは『ののちゃん』の「ツチコノ教頭」なんだが、実はこれが似てないんだなあ。実際の土屋センセイは、あんな夏目漱石のような苦虫をかみ砕いたような気難しい顔をしていなくて、実にサラリーマン顔なんだなあこれが。で、そんなサラリーマン顔の人が哲学を語ってもなあというのが、実は土屋賢二氏にとっての最大の問題だったのだ。

 本来、哲学者はもっと「ブ男」でなければならない。

 でなければ人生の不条理や、人の生きることの意味だとか無意味だとかという、普通の人が考えようともしないことを一生懸命に考えるなんて非生産的なことをやれるはずがない。そう、哲学ってものはそれだけ非生産的で、多少なりとも生産的な仕事につけるような人が携わってはいけない学問分野なのだ。で、哲学をやってもいいのは、普通の仕事には絶対つけないような、まず「ブ男」であることが必要なのだ。

 いしいひさいし氏が描くような「ツチノコ教頭」位なブ男だったらまだよかったんだが、残念ながら土屋センセイはごく普通のサラリーマン顔。ということは、この先生の哲学ってのは、結局その程度のもの。つまりサラリーマン程度の哲学ってことね。

 まあ、土屋センセイお疲れ様でした。

 哲学者としては対した実績はありませんでしたが、まあ、エッセイストとしてはそこそこ楽しませてくれました。

 ま、そんなところ?

『不要家族』(土屋賢二著/文春文庫/2013年3月8日刊・Kindle版は5月2日刊)

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