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2013年5月14日 (火)

『日本写真の1968』にどんな意味があるのだろうか。ちょっと考えてみよう

 東京都写真美術館で5月11日から始まったのが『日本写真の1968 1966~1974 沸騰する写真の群れ』という収蔵展である。

2013_05_12_36753RICHO GRDⅢ @Yebisu, Shibuya (c)tsunoken

 収蔵展であるから、基本的には東京都写真美術館が持っている写真からキュレーターが選んで、これはこういうテーマでまとめました、と提示するわけである。つまり、それはキューレータの勝負するところなのである。

 で、今回の展示のキュレーターは写真評論家にして写真集コレクター、一昨日の『これも写真集? あれも写真集?』で紹介した金子隆一氏なのである。勿論、金子氏は東京都写真美術館の学芸員でもある。

 1948年生まれの団塊の世代でもある金子氏ならではの1968年へのこだわりなのだろうか、あるいは小熊英二氏の『1968』への金子氏なりの返答なのか、結局1968年の表層のみをかき回して終わってしまった小熊氏に対する1968年の内実を生きてきた金子氏からの回答のようにその展示は見える。

 勿論、1968年という年がそれだけで存立するわけではなく、この展示も1968年の日本写真家協会による『写真100年――日本人による写真表現の歴史展』から始まって、あまりにも有名で、しかし今や誰もそれを見たことのない『PROVOKE――思想のための挑発的資料』を経て、『カメラ毎日』が特集した「コンポラ写真」、そして全日本学生写真連盟による1968年から1971年までの撮影行動へと結実する。

 つまりその一つの思想的な流れとしては、日本写真史の初期段階での田本研造らによる「北海道の系譜」における「現代につながるドキュメンタリーの誕生」から始まる、写真撮影の匿名性・無名性への試みなのである。『PROVOKE』の「アレ・ブレ・ボケ」もそうだし、コンポラ写真の「日常性」もまた、写真の持つ本来的な「匿名性・無名性」を、何かしら「意味のあるもの」として捉えようとする試みである。

 ところが、今ではそうした「アレ・ブレ・ボケ」表現も、デジタルカメラの撮影モードのひとつとなって「定着」してしまい、コンポラ写真の「日常性」ももはやケータイを持つ若者にとっては三食の食事を記録し、ブログやフェイスブックに掲載する「データ」にすぎないものとして、完全に「定着」してしまっている。

 写真というものはジャン=ウジェーヌ・アッジェの『パリ』から、その当時夥しい数で作られた「肖像写真」にもある通り、基本的に「匿名性・無名性」の「メディア」なのである。その辺は、よく似ているけれども人の手によって描かれた絵画とは全く異なる存在であり、まさに「著作権」の有りようがよくわからない存在なのである。便宜的にそれを「メディア」であると言い換えている訳であるけれども、まさしく「メディウム=中間的な存在、あるいは中立性」であるところの「写真」が、その写真をして何かを語らしうるものにはなりえないというのが、本来の写真性というものなのである。

 まさに「植物図鑑」としての写真がそこにはあるのであるけれども、そんな「物言わぬ写真」が、ある一定の量でもって集積すると「何かを語っている」ように感じてしまうのは、多分それを受けた人間のある種の思い込みなのだろうか。全日本学生写真連盟の夥しい数の学生叛乱の記録に見る思想性とは何なのだろうか。また、5月9日のブログ「『綾瀬はるか「戦争」を聞く』を読む」にも掲載されていた、山端庸介という陸軍写真部所属の従軍カメラマンが「対敵宣伝に役立つ、悲惨な状況を撮影せよ」という命に従って赴いた原爆投下直後の長崎における写真が語る惨状とはいったい何なのか。

 それは『PROVOKE』の作家たちが一生懸命「無意味性」の方向でもって写真を作っても、結局それが『PROVOKE』という容れ物に入ってしまったことでもって、まさしく「思想のための挑発的資料」になってしまった皮肉のようだ。

 つまり『日本写真の1968』とは何かと言えば、それは単なる1968年という時制のことでしかなく、例えば「金子隆一にとっての1968年」とは何かを問うている作業なのである。そう「私にとっての1968年」「貴方にとっての1968年」という具合に、人それぞれによってそれぞれの「1968年」というものがあるはずだし、それでいいのである。

 で、結局「金子隆一氏による日本写真の1968年」とは何なのか、と言えば、まだ立正大学の写真部に属する金子氏が、まさしくその渦の中にいた全日本学生写真連盟の活動の記録を社会に訴えるためのものではなかったのだろうか。つまりいまや存在していないような全日本学生写真連盟である。

 各大学には写真部は存在するようなのではあるが、それを全国で動かしていこうというエネルギーはもはや存在しないようだ。

 金子氏にとってはそれはある種の懐古なのかもしれないし、回顧なのでもあろう。また、「今の学生」に対する挑発でもあるのかもしれない。この金子氏の挑発に乗る学生はいるのだろうか。

 いて欲しいとも思うのだが、多分いないだろうなという諦めの方が強いかな、残念!

『日本写真の1968 1966~1974 沸騰する写真の群れ』は2013年7月15日まで。公式サイトはコチラ→ http://syabi.com/contents/exhibition/index-1870.html

2013_05_12_37722展覧会図録『日本写真の1968 1966~1974 沸騰する写真の群れ』(東京写真美術館)は東京都写真美術館のみの販売

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カメラ・写真」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。
私は、1971年あたりから「全日」に多少参加した地方大学のものです。
学芸員の金子さんは立正大学だったんですか。
ただいま都写真美術館展示を見ての帰り道です。
当時の学生のものは、ネガが散逸しているのかもしれません。圧巻の北海道101も、集団撮影行動が半ばで挫折しましたので写真集刊行までたどり着いていません。
この他、私も参加した「長崎」もうまく優れた写真を生み出せず、頓挫しました。
この他、OBによる足尾・谷中もあるんですけど、どこにネガがあるのか・・・。
回顧趣味といすうのもありますが、今日写真を見まして、学生のは、プロ達が都市化の中のアレやボケに志向するのと真逆。むしろ異質ではありますが、プロに負けていないと感じました。
以上、感想です。

 おもしろく、拝見させていただきました。

 WEB上の東写美などの大きな?美術館の展示会の記事は、ほとんどがパンフレットをそのまま載せるだけの紹介、参照記事ばかりで、イベント紹介雑誌のWEB版のような、思考停止のものがほとんどです。

 こちらの記事は、きちんと中に踏み込んでいて、意見があり、参考になる部分が多くあります。

 カタログのような、思考停止のWEBばかりは、一見繁盛しているように思えて、スカスカの枯れ木のようで・・・。

 個人の頭で考えた、こうした記事が増えることが、豊かな、幅の広い情報になるのではと思います。


 

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