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2013年4月18日 (木)

『「死ぬのが怖い」とはどういうことか』って、本当に「死ぬのが怖い」んだろうか

 前野隆司氏はシステムデザイン・マネージメントの研究者で、ロボットに人間と同等の機能を持たせるようプログラミングする、いわゆる人工知能の研究者なんだけれども、なんでそんな人が「死ぬのが怖い」ことを研究したのだろう。

 この本、会社時代の元上司から薦められて読んだんだけれども、その人は元上司で当然私より年長なので、順番で行けば私より先に死ぬはずだ、なので「死ぬのが怖い」のだろうか、私なんかはこの本のタイトル自身の意味が分からない。

「死に至る過程」にはいろいろ苦しんだり、痛かったりしたりして、それこそ「死ぬほど嫌」だが、「死」そのものは「完璧な無」であるのであるから、別に怖くはない。

「死」そのものを「怖い」と感じる感性ってどんなもんだろうか。

2177421『「死ぬのが怖い」とはどういうことか』(前野隆司著/講談社/2013年3月1日)

 前野氏の妻は『自分が死ぬことよりも、自分が死んだあとで子供たちが困り果てているのを想像する方が怖い』と言う。私なんかもそんな感じである。

『この話の教訓は、「人間には、どうやら自分の死が怖い人と、怖くない人がいるらしい」ということだ。なんと、妻は、死んだあとは何もなくなってしまうという、このなんというか絶対的で世界のすべてを支配するかのような巨大で抗しようもない哲学的大問題を、別に問題と感じていないらしい』

 というけれど、大半の人はそんなもんだろう。あるいは「死後の世界がある」と宗教的に考える人たちは、その死後の世界がどんなものかの情報がない以上、「死ぬのが怖い」と考えるのか。「死ぬのが怖い」とはどういうことなのか。

『過去のことを考える力を身に付け、次に未来のついても考える力を身に付けた人類は、そのおまけとして、自分の死について考える力を、期せずして身に付けてしまった』『人間は、過去と未来について考える力を持った。これに付随して、皮肉にも、進化的に特に有効ではないにもかかわらず、よりによって、死について考える力を期せずして持ってしまった』『死について考える力とともに、ものごとを恐れる情動の力も身に付けた。だから、死ぬのが怖くなってしまった』

 という前野氏の説には納得。

 しかし、「死」の問題を克服する7つのルートなんてことを考えると、そんなもんどうでもいいんじゃないという気分にもなる。

 前野氏の言う7つのルートとは;

ルート1 心は幻想だと理解する道(脳科学の道)
ルート2 すぐ死ぬこととあとで死ぬことの違いを考える道(時間的俯瞰思考の道)
ルート3 自分の小ささを客観視する道(客観的スケール思考の道)
ルート4 主観時間は幻想だと理解する道(主観的スケール思考の道)
ルート5 自己とは定義の結果だと理解する道(自他非分離の道)
ルート6 幸福学からのアプローチ(幸福学の道)
ルート7 リラクゼーションと東洋思想からのアプローチ(思想の道)

 である。

 まあ、いろいろな方法があるもんだとも考えられるが、しかし、それだけ「死ぬのが怖い」人が多いということなんだろうか。

 私自身は別に仏教徒ではないが、私の家の菩提寺が禅宗だということもあって、禅について考えることは多い。

 で、神のいない仏教は実は宗教ではなくて一種の哲学・思想なのである。で、仏教哲学とはなにか。

『それは、徹底的に論理的に考え抜いた結果として至った、「世界は空だ」という考え方だ。仏教用語でいうと、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静』

『仏教は哲学だ。その中心は、生きていることは無であり幻想だと体で理解することだ。その境地が悟りだ。悟りは難解で到達困難な境地ではない。リラクゼーションの極限だと言ってもいいし、念仏に集中することによってかいま見ることのできる感じと言ってもいい。それは至福の境地とも同じものだ。達人の境地とも』

 というところまでは理解できる。『近代西洋型の論理では悟りを理解できないが、矛盾超越型、二項対立超越型の仏教哲学の論理を用いれば、悟りの境地は説明できる』というところまではね。

 しかし、本書の結論として;

『所詮、死後の世界など幻想だ。死も幻想だ。過去と未来も幻想であり、人間には現在しかない。そして、現在の意識のクオリアも、幻想だ。最初から、僕たちは生きてなどいない。人間とは、徹底的に、二重、三重に、幻想なのだ』

 と言ってしまうと、ますますそれが理解できない人が増えてしまうような気がする。

 勿論、言っていることは当たり前なんだけれども、それはあまりにも仏教的な死生観である。日本人以外はこんな死生観は理解できないのではないだろうか。

 あるいは日本人であっても、仏教的な死生観に興味のない人には理解できない方法論なのではある。

 う~む、難しい命題ではあるのだなあ、妙に納得。

『「死ぬのが怖い」とはどういうことか』(前野隆司著/講談社/2013年3月1日)Kindle版もあり。315円安い。

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