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2013年4月15日 (月)

『ノマド化する時代』と国民国家と国内企業の終焉

 こうして「国民国家」は終焉を迎えるのだな。

 その時の私たちの生き方はどうなるのか?

2013_04_10_0119_『ノマド化する時代 グローバル化、ボーダレス化、フラット化の世界をいかにサバイブするか?』(大石哲之(@tyk07)著/ディスカバー・トゥエンティワン/2013年3月25日刊)

 前にも『企業が「帝国化」する』でも書いたけど 、要は企業が自らの企業を生き延びさせようと思えば、グローバル化せざるを得ないし、グローバル化してしまえば「国境」ってなんだ? こんな簡単に超えてしまえるものならば、どんどん超えてしまおうよ、となって結局「国境」はなくなってしまう(しまっている?)のである。

 更にそんな感じでグローバル化した企業自体が最早「会社の中心」が無くなってしまい、ある機能はどこそこの国、別の機能はどこそこの国、という具合に、「その会社がどこの国の会社か分からなくなってきている」というのだ。Amazonは世界企業だし、アメリカで興された企業であるということはみんな知っているが、しかし、そのAmazonが世界中80か国にサーバーを置いて、なおかつ運営しているのはアメリカのシリコンバレーだが、実は本社がケイマン諸島にあるということは、意外と知られていない。

 所詮、「近代国民国家構想」なんてものは19世紀につくられた「共同幻想」にすぎないわけで、我々が属している「国」というものも、結局は「国民国家構想」の最初に設定された「同民族」というこれまた幻想によって作られた枠組みでしかないのだ。

 例えば、わが日本において、日本民族ってなんなんだ。そんな日本民族の中に「エタ・非人」なんかがいたり、「アイヌ人」がいたりするのは何故だ? それは、結局民族の血の浄化を阻む問題として、結局は解決のつかない問題としてずっと残るだけなのだ。

 ところが、企業はそんな問題は簡単に乗り越えてしまう。そう、単なる経済問題としてだけが彼らの(そして私たちの)テーマなのだ。

 で、21世紀の組織や活動は、地域、特定の場所から離れて、中心がなくなり、世界中にネットワークされて、離散する。

 つまり;

①近代国家ではなく、グローバル企業・個人が主役になる新しい中世の到来
②中心がなくなり、世界中に離散する組織や個人の形態』

 という、世界の中心もなく、国家という枠組みもなく、取り敢えずは浮沈する企業というのが、もしかすると国家以上の存在になっていくのかもしれない。

 そんな時代にどうやって生きていけばいいのだろう。ということを考えている本が本書である。そこに書いてあることが実現するかどうかは保証しませんがね。

 基本的なことを言ってしまえば;

・最初のノマドが、二一世紀の新しい支配層〈ハイパーノマド〉。
・二つ目が、定住民として国の枠組みの中に住みながら、ネットやガジェットを使って世界の境界を超える〈バーチャルノマド〉。
・最後が、仕事を求め世界中に出稼ぎに行かねば食っていけない〈下層ノマド〉だ。』

 ということだ。

 問題は、皆さん〈ハイパーノマド〉か、それは無理としてもせめて〈バーチャルノマド〉位になりましょうよ。ということ、つまり「仕組みを考える人」か「仕組みを作る人」になろうというんだけれども、その場合のスキルって何なのよ、といえば基本的には「英語力」なんだよなあ。そりゃそうだ。何せ「一億人」という巨大市場を自らの国の中に作ってしまったわが日本の場合、「日本語しか話せない」人でも、基本的にはビジネスができてしまうという「とても良い時代」が長く続きすぎたのだった。

 それは実は日本とアメリカだけの特殊例であって、他の例えば韓国なんかは国内需要は5000万人位しかいないのだから、それはどこかの国に輸出しないと企業は成り立たない。

 その辺は、ドイツだって、フランスだって、北欧諸国だって同じことである。

 つまり、近い将来、国というものはなくなってもいいということになるだろう。

 まあ、取り敢えず「英語(グローバル・イングリッシュ)が共通語となる世界である。

 そして、次には「仕組みを考えるアビリティ&クアパシティ」と「仕組みを作るスキル」かな。

 日中の間で問題となっている、尖閣列島の問題だって、今は日本国・中華人民共和国という国があるから、その地域がどちらの国のものなのかでもめているのだけれども、それが「国」という概念が無くなってしまえば、そこはお互いの企業がそれぞれ出資額に応じて、応分の青果物を得るという契約を(平和裏に)行って、海底開発ができるんじゃないか? と思うんだよなあ。企業の本音だけで、「国としてのメンツ」が、そこにはないからね。

 まあ、取り敢えずは「企業自身がノマド化する」社会である以上、そこに対応できる状況に自分ももっていかなければならないだろうし、それは自分自身がノマドになる覚悟が必要だということなのだ。

 ただ、考えてみれば、基本的には第二次大戦後の日本が「高度経済成長」を目的に「雇用安定」という「幻想」を作り出したんであって、それがほぼ完成された21世紀には別の雇用形態とか、別の企業形態とかあってもおかしくないわけである。

 ということは、割りと単純で、要は「高度成長経済モデル」で今でも経営してる会社からは早いところ逃れるべきだろうし、「高度成長経済モデル」を捨ててノマド化した企業をこれからは目指していけばいいのであるかとは思うが、そんな企業は社員を当然「将棋の駒」としてしか考えていないようなのだから、当面は、そんな企業の社員となって人脈(社外の)を作った段階でその会社を辞める、っていう路線だろうな。

 んでもって、ノマド一丁上がりだな。

 へい、毎度。

『ノマド化する時代 グローバル化、ボーダレス化、フラット化の世界をいかにサバイブするか?』(大石哲之(@tyk07)著/ディスカバー・トゥエンティワン/2013年3月25日刊)(紙版とKindle版が何故か同じ価格設定というディスカバー・トゥエンティワンの考え方がよくわからん)

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