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2013年3月16日 (土)

『メモワール 写真家・古屋誠一との二十年』の重い文章について

 小林紀晴の文章というのは『ASIAN JAPANESE』あたりは、自らも同じ立場で撮影しつつ文章も書いていたのでそうでもなかったが、それ以降の本での文章の書き方は妙に重たくなってきている。

 その中での一番重い文章がこの本である。今後、益々重い文章になってくると、その後の小林の帰趨がちょっと心配になってきてしまうのは、私だけだろうか。

『メモワール 写真家・古屋誠一との二十年』(小林紀晴著/集英社/2012年12月19日刊)

 古屋誠一という写真家を知ったのはこの本が初めてである。自分の妻の自殺写真を撮影し、なおかつその自殺写真を何度も何度も写真集として出版していた写真家がいたなんて。まさしく、その写真家は妻との人生がそのすべてだったということなんだろう。

 早速Amazonに注文した(写真集なんかは部数も少なく、あまり本屋さんには置いていないので、Amazonが一番便利である)のだが、オリジナルの「Memoires」は既に絶版なんだろうかAmazonにもなくて、手に入ったのは「Memoires, 1984-1987」と、問題の「Memoires 1983」で今手元にある。ただし、まだ箱を開けていない。取り敢えず今は小林紀晴の本に集中しよう。古屋誠一の写真集にまで発展してしまっては収拾がつかなくなってしまう恐れがある。古屋誠一の写真については、改めて書こう。

 小林紀晴は1991年の夏、渋谷で開かれた写真展で、初めて古屋誠一という写真家を知ることになる。それこそがまさしく「Memoires」なのである。

『精神を病んだ妻の姿を執拗に撮り続け、死の直後までカメラを向けること、さらにそれを作品として発表することは、並大抵の精神ではできない』

 と小林が書くように、果たして古屋誠一という写真家の生きざまとはどんなものなのだろうか、私も気になるところではある。

 更に、古屋はその妻の自殺した直後の写真を最後に、写真を撮っていないようだ。いや、撮ってはいるのだろうが、その後の写真は発表していない。永遠に昔の写真ばかりの跡を追って、繰り返し繰り返し写真集を出し、写真展を繰り返し繰り返し開いている。最初の写真集「Memoires」と同じタイトルに年代をつけるだけの「Memoires ~」というタイトルの写真集・写真展を。

 小林は2001年9月11日にニューヨークにいた。2011年3月11日には東京にいた。当事者としてこの二つの体験は強烈だっただろう。写真家はそんな時に何をするのか。当然、カメラを手にして、より前へ前へと進み「いい写真」を撮ろうとする。「いい写真」とはなんだろう。

 ロバート・キャパは、ある日、ロンドン近郊の空軍基地で見事な胴体着陸を成功させた爆撃機を目撃する。

『キャパは、機内から次々と運び出される乗組員の負傷者を夢中で撮りつづけ、最後にパイロットがタラップを降りてくると、クローズアップを撮るべく駆け寄る。すると、そのパイロットに強烈な言葉を投げかけられる。
「これがあんたの待望の写真ていうわけかい、写真屋さんよ」』(沢木耕太郎『キャパの十字架』より)

 つまりそれが写真家なのだ。つまりそれが「いい写真」なのだ。ニューヨークの3.11から数週間後、レンタルラボでカラープリント作業をしている男の写真が崩れ落ちたワールドトレードセンター・ビルであることに気づいた小林は、男のこんな一言を聞く。

『もう少しダークにしたら、深刻に見えると思う』

 ここに、写真家の哀しいサガが読みとれる。小林も同じ日、ワールドトレードセンター・ビルに近づき、写真を撮るべく現場に近づこうとしたが、警察官に止められて諦めた。『悔しかった』と書く。そして、レンタルラボで会った男に嫉妬するのだ。その男の写真に嫉妬するのだ。

「他人の不幸は蜜の味」ではないが、写真家のそんな一面を知る小林にとって、妻の自殺直後の写真を撮り、発表する古屋に自分の姿を重ね合わせているのだろうか。

『自分が見たもの、触れたもの、そこにいた誰かをカメラに収めることで、唯一、自分の存在が立ち上がる。他者の力が大きく必要なのだ』

 と小林が書くように、古屋にとっては妻の存在が、古屋自身の存在証明として大いに必要だったのだろう。

 最後に小林は疑問を投げかける。

『果たして地上に横たわる妻に、古屋は何をみたのか。もっとも自分にふさわしく、もっとも美しいものだったのだろうか』

 しかし、古屋はそれには答えないだろう。

 古屋が見たもの、それは最後まで古屋にしかわからない筈だ。

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写真・本」カテゴリの記事

コメント

古屋は別のテーマの写真も発表してゐます。すくないですが、全くないわけではない。

http://www.osiris.co.jp/dejavu.html

の「No17」

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