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2013年3月 8日 (金)

『インターネットを探して』も、そこには何もない。それがインターネットだ

「インターネットがどこにある?」なんて疑問は普段は気にしない。インターネットという言葉が既に死語に近いものになって、「ネット」とか「ウェブ」という呼び方が普通になってからは特にそうだ。

 著者のアンドリュー・ブルームもそうだ。ある日、彼の家のインターネットが止まった。それも可愛いリスが彼の家のケーブルを齧ってしまった、という理由で。その時、彼は「インターネットがどこにあるのか」という疑問を持って旅に出るのであった。

 確かに「あって当然だと思っていたもの」がなぜそこにあるのかについて疑問を持つのは、その「あって当然だと思っていたもの」が、突然なくなってしまった時だ。私がそのような気分になったのは、先月、突然パソコンの画面に「インターネットに接続していません」という表示が出て、ネットに接続できなくなった時だった。ルーターの電源を入れたり切ったりしているうちに、それは回復したのだが、一時はどうなるのかと途方に暮れたものだった。

『インターネットを探して』(アンドリュー・ブルーム著/金子浩訳/早川書房/2013年1月30日刊)こういうタイトルなんだもん、当然Kindle化はありですよね、早川書房さん!

『1994年、ぼくは高校を卒業し、電話回線をつないだうちのマッキントッシュの前にえんえんと座って、アメリカオンライン(AOL)の掲示板とチャットルームを探索しつづけた。そして、その年の冬のいつか、父が3.5インチの小さなフロッピーディスクにはいった“モザイク”という新しいソフトウェア――はじめてのウェブブラウザ――を買ってきた。天気のいい週末の朝、ぼくは物理の宿題をほっぽりだし、電話線に部屋を横切らせ、父と一緒にダイニングテーブルに座って、モデムが遠くのコンピュータと接続しようとして信号を送っていることを示すかん高い音に耳を傾けた。母は手にした新聞ごしに、渋い表情でぼくたちを見ていた。画面に、短い選択肢のリストがあるアメリカオンラインのメニューでなはなく、中でカーソルが点滅している空っぽの“アドレスバー”が表示された――それがぼくたちのデジタルな旅の最初の出発点だった』

 という文章を読むと、会社でスタンドアローンの内臓HDDが120MB(!)のPower Book 150を自費で買って使っていた私が、自宅用に一体型筐体のPower Macintoshを購入し、当初はゲームソフトなんかをスタンドアローンで使っていたのだが、「パソコン通信」というものがあることを知り、当時数少ない個人ユーザーのためのパソコン通信サービスNifty Serveに電話回線を繋いでピリリリリ・プルルルルというモデムの音を聞いていた頃のことを思い出した。それが私が初めてネットの旅に出発した思い出である。

 アンドリュー・ブルームはそうして、そんな「インターネットがどこにあるのか」を探ろうと旅に出るのだった。

 しかし、どこを旅しても、どこを訪れても、そこにはインターネットはない。単なるビットの移動が、それも膨大なビットの移動があるだけである。

 アメリカのいくつかのインターネットエクスチェンジ(IX)を訪れても、アメリカの東海岸とイギルスの西海岸という、アメリカ大陸とユーラシア大陸をつなぐ接点をのぞいても、ヨーロッパ最大のトラフィック量を誇るアムステルダムのインターネットエクスチェンジを見に行っても、ケニアのインターネットエクスチェンジを見に行っても、そこにあるのは単なる交通整理のような、整然とした、毎秒何百ギガビットという光のオン(1)・オフ(0)でしかない。というよりも、そんな素早い光のオン・オフなんかは人の目には単る光の流れにしか見えないということなのだ。

 要は光ファイバーとルーターがあるだけであり、そこには何もない。というよりも、重さを感じるものはファイバーケーブルとルーターだけであり、肝心のそこに流れる情報は何の重さもない光の流れにすぎないのだ。

 そんな数か月もかかった旅の果てにアンドリュー・ブルームが辿り着いたのは、オレゴン州にあるGoogleとFacebookのデータセンターだった。その二つのデータセンターは対照的だった。つまり、あくまでも秘密主義を押し通すGoogleと、すべてにオープンなFacebookであった。しかし、その秘密主義とオープンの違いがそこに置かれている機器に関してどう違うというのだろう。結局は、同じようなサーバーのハードディスクの幾重にも重なったものであるにすぎない。

 結局、アンドリュー・ブルーム自身が書く通り、オデュッセウスと同じくして、『旅をほんとうに理解できるのは家にもどってからだ』ということ。「幸せの青色い鳥」は実は身近なところにいた、というお話なのであった。

『ぼくが家にもどって気づいたのは、インターネットは現実世界でも仮想世界でもなく、人間の世界であるということだった。インターネットの物理インフラには多くの中心が存在するが、ある特定の観点から見れば中心はひとつしかない。あなただ。ぼくだ。特別な存在ではないぼくだ。ぼくがどこにいようと、あなたがどこにいようと』

 って、まさしくメーテルリンクやホメロスの世界なのであった。

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