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2013年3月

2013年3月31日 (日)

築地市場考

 築地市場(場外)へ行った。

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 外側は前とそんなに変わってはいない。ラーメンや丼物の立ち食い屋さんなんかが、お店と並んでいる。

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 ところが内側に入るとなんと鮨屋の多いことか。
 以前は築地の鮨屋といえば「築地寿司清」というイメージだったが、なんかやたらめったらそこいら中に鮨屋が沢山あって、なおかつお昼時ということもあって、それらの鮨屋の前は入店を待っているお客さんで溢れている。
 まあ、お客さんが多いということはいいことなんだけれども、なんか「築地の観光地化」ということが思い出されて、ちょっとした違和感がなくもない。
「東京の胃袋」というよりは、今や世界の観光地である。お客さんも世界中から来ている感じである。
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 帰りに、いまだに土の入れ替え工事をやっている豊洲新市場予定地を見てきたのだが、着々と工事は進んでいるようで、まだ時期は決まっていないが、いずれはここに移ってくるのは必至のようだ。
 その場合、今の築地市場跡はどうなるのだろうか。
 銀座からも歩いてこれる至近の地。以前は2016年東京オリンピックのメディアセンターになる予定ではあったが、それはなくなってしまい、それ以降は別に予定はないようだ。
 そう言えば、豊洲新市場の脇には「東京オリンピック選手村候補地」なんていう看板も立っていたな。
 築地市場跡には、石原知事時代にNHKが移ってくるという話があったが、NHK側がこれを否定して立ち消えになったままだ。
 本当にどうなるんだろう。
Nikon D7000 AF-S Nikkor 10-24mm @Tsukiji, Chuo (c)tsunoken

2013年3月30日 (土)

『投資家が「お金」よりも大切にしていること』で大切なこと

 その会社の株を買うのなら、その会社に投資したと考えるのでなく、その会社を応援するつもりで買えという、『日経平均を捨てて、この日本株をかいなさい。』を書いた、レオス・キャピタルワークス最高投資責任者の藤野英人氏が、若者向けの星海社新書を書いた。

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 勿論、若者向けだからと言って書くことが変わるわけではない。

 ほとんどの投資信託(ファンド)に対する批判として、ほとんどのファンドが「トピックス型」だとする。つまりTOPIX指数をもとに作られる金融商品を販売しているわけだが、それは運用会社がサラリーマン企業だからだという。

『大手の資産運用会社の担当者はサラリーマンなので、サラリーマンとしてのリスクを背負って運用します。つまり、お客さんのお金が増えるかどうかよりも、サラリーマンとして怒られないかどうか、という観点で運用するわけです。
 東証株価指数と同じ動きであれば、もしお金が減ったとしても、東証株価指数も落ちているから、と言い訳ができます。責任を回避できるし、クビになることもありません。
 こうして、実に日本のファンドの90~95%くらいが、良い企業を選ぶという本来のファンドではなく、東証株価指数をベンチマークにした「ミラーファンド」となっています』

 ということなんだな。

 結局そこには積極的にリスクを取りに行って、大きなリターンを狙うという、本来のファンド・マネージャーの考え方はなく、単なるサラリーマンの自己防衛本能だけがあるわけである。

『そういうきわめて不真面目な状況のなか、私たちの会社(レオス・キャピタルワークス)では、東証株価指数をほとんど参考にしないでファンドをつくっています。
 では、何を基準にしているかといえば、社会のために役に立っているかどうか、そして、成長しているかどうかです。
 成長する会社を見極めるのはもちろん簡単ではありませんが、これから成長していく(株価が上がっていく)会社に投資するというのはきわめてシンプルですし、本来ならばそれがあたりまえの基準になっているはずです』

 ということなので、どちらかといえばレオス・キャピタルワークスは「新しい会社」に注目するわけである。新しい会社であれば、うまくすれば成長するだろうし、失敗してもそんなに会社自体が大きくなっていないのだから、あまり大きなケガをしないですむ。問題は、その会社が社会の役に立っている真面目な会社かどうかということ。

 藤野氏は投資に値する「真面目な会社」かどうかを判断する一つの基準として「アニュアルレポート」を上げる。

『多くの会社は、「社員を大切にしている」と言います。
 逆に、そう言わない会社はほとんどないでしょう。
 ところが、実際にその会社のアニュアルレポートを見てみると、そこには社員の写真が一枚もなかったりするのです。だいたいは社長の写真が大きく載っていて、あとは製品や工場といった写真ばかりです。
 社長以外の写真が載っていたとしても、取締役などの経営陣か、優秀な事業責任者のみで、一般の社員の姿は見当たりません。
 家族写真にたとえると、父親と長男のみが写っている写真を人に見せながら、「私は家族のことをじつに大切に思っているんだ」と父親が言っているようなものでしょうか。当然、母親や他の子供たちは納得できません』

 なるほど、社員を大切にする会社は、お客さんを大切にする会社ということなのだ。で、そんな会社が伸びていくという考え方なのだろう。

 まあ、実にわかりやすい企業の判断基準である。が、だからといって投資するに足る会社かどうかは、まだわからない。

 ただし、わからないからこそ「投資の醍醐味」というものがあるのだろう。

 積極的にリスクを取りに行って「成功するか」「失敗するか」、あるいはリスクを取りにいかないで「成功も失敗もしない」道を歩むか。日本人はこの後者の方が多いというのが藤野氏の考え方だが、私なんかは投資信託なんて人に頼るよりは、自分で責任をとった方がよいという考え方なので、自分で個別銘柄を選んで投資をしたいと考えている。

 今のところ、藤野氏が前著で薦めていた企業の株を買って、今のところは「額面上では」儲かっているので、取り敢えずOKということなのだ……。

 ま、取り敢えずは結果オーライってことで。エッヘッヘ……。

『投資家が「お金」よりも大切にしていること』(藤野英人著/星海社新書/2013年2月25日刊)

2013年3月29日 (金)

ヤマザキマリ『ステーブ・ジョブズ』連載始まる

 ヤマザキマリの『スティーブ・ジョブズ』伝記連載が始まった。

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 当然、原作はウォルター・アザックソンの『スティ-ブ・ジョブズⅠ・Ⅱ』である。

 連載はスティーブ・ジョブズがウォルター・アイザックソンに自らの伝記を書くことを提案する、原作にも書かれていないエピソードから始まる。

 まだ49歳、2004年にジョブズズはアイザックソンに伝記を書くことを提案するのだが、当然まだまだ若すぎると考えたアイザックソンは、あと10年か20年してジョブズが引退する頃に書くことを約束する。

 しかし、それから間もなくしてジョブズの妻、ローリーンからの電話でジョブズが癌に罹っていることを知り、アイザックソンは伝記を書くことに決め、ジョブズを始め100人以上の人から取材を始める。

 きっかけはジョブズが言った言葉だった。

『僕は子供の頃、自分は文系と思っていたのに、エレクトロニクスが好きになってしまった』

『(ポラロイド社の)エドウィン・ランドがかつてこんなことを言ってたんだ…「文系と理系の交差点に立てる人にこそ、大いなる価値がある」って……ね。僕はそういう人間になろうって思ったんだよ』

 というジョブズの言葉に対し、

『人文科学と自然科学……双方の感覚を兼ね備えた強烈なパーソナリティから生まれる創造性こそ、フランクリンやアインシュタインに私が興味を引かれたトピックだった』

 と反応したのがアイザックソンなのであった。

 で、7歳のスティーブ・ジョブズから伝記は始まり、第1回はハイスクールでスティーブ・ウォズニアックと出会うところまでという、ちょっと走り気味。

 気になるのは、本来ギャグ漫画家であるはずのヤマザキマリなのであるが、今回はまったくギャグがないということだ。まあ、自伝漫画連載の第1回目としてはギャグは抑えたのだろうけれども、今後のギャグに期待しておこう。

 最初はヤマザキマリがステーブ・ジョブズを書くということに対して若干違和感を持ったのだが、考えてみれば「お風呂技術者のルシウス」も、古代ローマのイノベーターであり、徹底した顧客指向であったわけであるから、スティーブ・ジョブズとそれは共通する人物であるわけだ。

 まあ、ジョブズの「現実歪曲フィールド」なんかは完全にギャグネタになる考え方だし、今後展開されるはずのヤマザキマリ流ギャグの世界で生まれるジョブズの変な性格や生き方に大いに期待したいというところである。

『Kiss』2013年5月号(講談社/2013年3月25日発売)

2013年3月28日 (木)

東松照明氏を偲ぶ会

 昨年の12月14日に82歳で亡くなった写真家、故・東松照明氏を偲ぶ会が、一昨日(3/26)六本木の国際文化会館で開催された。

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 東松照明といえば、私にとっては長崎の原爆の後遺症に悩む人たちを撮った写真や、沖縄で生活しながら撮影した写真なんかで記憶に新しい写真家でジャーナリストだ。

 奈良原一高、細江英公らと結成したVIVOという写真家集団のメンバーとして有名で、1957年に開催された『10人の眼』という写真展をきっかけとして生まれたその集団は、当時土門拳を中心として極めて強い勢力を持っていた「リアリズム写真運動」に対して、新たな「個人の写真」を指向して、その後の「provoke(プロヴォーク)」などにも影響を与えた存在である。

 当日は細江氏や奈良原一高夫人などVIVOの仲間とともに、森山大道氏や荒木経惟なども参加して思い出を語った。

 私自身は直接的に東松氏を知っていたわけではなく、単なる尊敬する写真家というだけなので出席はしなかったのだが、それはちょっと残念ではあった。

『東松照明写真集 camp OKINAWA 沖縄写真家シリーズ[琉球烈像]第9巻』(東松照明著/仲里効・倉石信乃監修/未來社/2010年9月30日刊)

 多分、これが最後の本? な~んてことを考えていたが、キャパだって死後たくさんの写真集をだしているしなあ。

2013年3月27日 (水)

東横線・小田急線を見て西武新宿線を考える

 まあ、「乗り鉄」ではないし(あまり自信はない)「撮り鉄」でもない(これは100%言える)のだけれども、この3月16日に開業した東急東横線の渋谷-代官山間と、3月23日に開業した小田急線の東北沢-世田谷代田間を見てきた。

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 小高い場所にある代官山の駅から、渋谷川の谷底のなおかつ地下5階にある東急東横線・東京メトロ副都心線渋谷駅まで下りていくのは、途中に凄い急坂を挟むことになる。

 ということで、代官山駅は既に渋谷駅寄りのホームがやや下り坂になっていて、上の架線柱を見るとわかるように、駅の端で2m位下がっている。で、駅を出ると物凄い急坂で渋谷駅へ向かうのだ。凄いなあ、この急坂は。

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 で、こちらは小田急線梅ヶ丘駅。ここから先、世田谷代田、下北沢、東北沢駅が地下化されるわけであるけれども、同時に複々線化もされるわけで、今見えている2本の地下トンネル入口は急行線の分だけれども、やがては手前の、今は線路が途切れている緩行線の方にも地下トンネル入口ができていて、これで小田急線は和泉多摩川から代々木上原まで複々線になるわけである。

 まあ、問題はそこから先、代々木上原から終点・新宿までをどうやって複々線にするのか、あるいはダイヤ調整でなんとかするのか。まあ、小田急線新宿駅は前から地上1階と地下駅の二重構造になっているので、代々木八幡から新宿までも地下化すれば別に問題なく複々線は可能であろう。

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 下北沢駅のデジタルサイネージ広告。まあ、別に地下化しなくてもこれは可能なのだけれども、地下化したことで一気にやっちまったということなのだろう。

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 で、昨日の下北沢駅である。

 井の頭線も含めていろいろこれから変化のありそうな、下北沢駅である。

 というところまで見てきて、なんかちょっと残念な風景が見えてきた。

 私は今西武新宿線の沿線に住んでいるのだが、なんか、この路線のリニューアルの遅れが気になるのである。

 以前は井荻駅を中心とした前後の駅の地下化が提案され、その結果、急行と緩行の複々線化が実現するかもといった期待を持たせたのだが、それも西武の予算不足(関連自治体の予算不足なのか、西武自身の資金負担の不足なのかはわからないが)でもって、無くなってしまったし、高田馬場駅での東京メトロ東西線との相互乗り入れ構想も、西武側の煮え切れない態度で前には進んでいない。踏切問題も放置プレイのまんまだしなあ。

 同じ西武線でも池袋線は着々と複々線化が進んでいるし、上の副都心線と東横線との相互乗り入れでもって、いまや飯能駅から横浜中華街まで一本でつながってしまってるいるのである。まあ、西武電鉄にはお金はないわけではない。問題は、どちらの路線に今金を投入するのかということなのかな。

 下手をすると、西武としては新宿線をローカル線扱いにして、やがては廃線にするつもりもあるかもしれない。企業の判断としてはそれはあるかもしれない。

 サーベラスの買収問題もあるしな。

 まあ、今後何十年も西武新宿線沿線に住むわけでもない私にとっては「どうでもいいこと」だけれども。鉄道というインフラストラクチュアはそう簡単に廃線にすることはできないはずだ。

 その辺、どうなるんですかねえ。

 

2013年3月26日 (火)

Fitbit weekly stats from Mar.18 to Mar.24

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 暖かくなってだんだん活動的になってきた。

『アニメ! リアルvs.ドリーム』と言っても、これじゃあリアルはなくてドリームばっかりだ

 そうか丸山正雄氏はもはやマッドハウスにはいないんだなあ。

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 2011年にマッドハウスがインデックス傘下から日本テレビ放送網の傘下に移った時に、丸山正雄氏は社長の座を追われ、日本テレビから出向になった岡田浩行が代表取締役社長になったわけだ。

 その岡田浩行と宣伝担当の武井風太が書いた、ジュニア向けのアニメ業界解説本なのであるが。

 私とマッドハウスの付き合いは、最初は1984年の映画『SF新世紀レンズマン』と、そのテレビシリーズ『Gyalactic Patrol レンズマン』の制作であった。映画版の方は私が映像制作セクションに異動してきた時には既に大半のフィルムが出来上がっていて、あとはアフレコなどの作業を残す段階に入っていて、私があまり手を出す状況にはなかった。むしろその間放っておかれたテレビシリーズを、中途半端なシナリオ作りから私のプロフェッショナルとしての映像制作が始まった。

 当然、マッドハウスの全員が映画作りの方に気を取られていた状況の中でのテレビ番組作りであるから、かなり壊滅的な状況の中での制作開始である。どんな素材をCGで作るのかも決まっておらず、というか当時のCG制作状況からするとテレビシリーズでのCG投入は無理だったのだ。

 まあ、そんな具合だったから、視聴率も良くないし、スポンサーのマーチャンダイジング商品も売れずに、結局半年で番組は終わってしまった。

 その後も、マッドハウスとはいろいろなお付き合いはあったのだが、番組作りという部分でのマッドハウスとの共同作業は、1998年の『カードキャプターさくら』であった。

 当時、まだNHKでの放送が決まってはおらず、言ってみれば見切り発車状況での制作開始した理由は、もっぱら原作者のCLAMP対策であった。

 ということで、私は「暫定プロデューサー」という形で原作者でシリーズ構成を担当した大川七瀬(CLAMP)さんと浅香守生監督、脚本家との作業が始まった。

 武井氏によれば『『カードキャプターさくら』は「萌え」アニメの原点』で、『主人公のさくらが兄に「怪獣」と言われて「ぷんぷん」怒るところとか、会話中に楽しくなると「はにゃ~ん」となるところに感じてしまった』大きいお友達がたくさんいたのだそうだ。

 しかし、シナリオを作っている私なんかは「なんか古いギャグだなあ」くらいにしか考えておらず、それがそんなに大きいお友達たちを喜ばせていたなんてことは知らなかった。

 その後、NHKの放送が決まり、ということは講談社は共同制作から降りる格好になったので、私の「暫定プロデューサー」はおしまい……、になるはずだったのだけれども、結局、第一シリーズの終了までは、今度はボランティア・プロデューサーとして番組と付き合うことになったのであった。

 という具合に、私とマッドハウスとの付き合いは、最初はちょっと苦い思い出とともにあり、二回目は割と気持ちいい状況で過ごすことになった。まあ、大川さんともいい関係を作れたしな。

 岡田浩行氏は日本テレビで多少の番組作りは経験してきたようだが、アニメに関してはほとんど素人同然の立場からアニメ会社の経営に当たることになった。

 それは別によいのだが、「クールジャパン」なんて言ってもてはやされている日本のアニメ業界状況が実は壊滅的な状態で進んでいることにも、もうちょっと触れてみてはいかがなもんだろうか。

 動画マンの収入の低さを上げるのは結構だが、その大本がテレビ局の製作費の低さに起因しているという点にはなぜ触れないのだろうか。勿論、その原因は手塚治虫があまりにも低い製作費で『鉄腕アトム』の制作を請け負ったというのがその始まりだとしても、その後もそのまま放置されていたということにも問題があるのじゃないだろうか。

 2000年頃の「アニメバブル」の時代は、それでも多少は制作会社も潤っていた時期もあったけれども、その後にはバブルも崩壊し、いまやアニメ業界は壊滅的な状態にある。

 そんな状況をもうちょっと「リアル」に語ってほしかった。「ドリーム」ばかりじゃなくてね。

『アニメ! リアル vs. ドリーム』(岡田浩行・武井風太著/岩波ジュニア新書/2013年1月22日刊)

2013年3月25日 (月)

広島高裁で選挙無効の判決

 今日の広島高裁の判決で、昨年12月の衆議院選挙の結果を無効だとする判決が出た。

 これまで、東京高裁ほかの高裁判決では選挙制度が違憲だという判断は出たものの、選挙無効判決が出たのは、この広島高裁判決が初めて。

 やっと、まともな民主主義を実現しようという判決が出たというべきである。

 本来の判断ならば違憲状態で行った選挙は基本的には無効だというのが当たり前なんだけれども、結局、裁判所(司法)としては国会(立法)との争いを避けて「選挙のやり方は違憲だけれども、選挙結果は有効だ」という、どう考えても無理筋の判決を出してきた東京高裁他の判事たちは、この広島高裁の判断をどう見るのか?

 この広島高裁の判断の方が法的な論理は通っている筈で、これからどう出るか。広島県選挙管理委員会は控訴をするのか、ということが次の興味だが、ことは県選管レベルの問題じゃないので、総務省としてはメンツをかけて控訴をするということになるのだろう。

 ま、多分それでそれを受けた最高裁は国会とつるんで差し戻しの判決を出すのだろうな。

 なんか見えている構図。

 しかし、それをすべて見ている有権者がいるということを、司法関係者は確認すべきだろう。

 それ以上に、国会議員自身がもっと問題視しなければいけないんだろうけれでども、まあ、彼らは当選してしまえば選挙のことは忘れるニワトリみたいな連中だからねえ。

「ホンダF1復帰」のニュースを耳にして思うこと

 3月19日のFacebookでホンダF1復帰のニュースに「エンジン供給だけの参加はクールな判断だ」と書いたので、その関連を。

 ホンダがF1参戦を発表したのは1962年のこと。当時はロータスにエンジンを供給する形での参戦を予定していた。ところが参戦直前になってロータスがコベントリー・クライマックスからエンジン供給を受けることにしたということになって、ホンダとしてはイギリス人コリン・チャップマンの交渉にノせられたことを知る。つまり、コリン・チャップマンとしてはホンダとコベントリー・クライマックスを天秤にかけていい方を取ったという訳なのである。

 当時の日本人の世界知らずの典型例なのであるが、それ以前から2輪車で世界GP進出をしていたホンダですら、こうしたイギリス人の交渉の巧みさには全くの素人同然だった訳である。

 で、やむなくホンダは当時エンジン開発のためのテスト・ベッドとして購入していたブラバムをコピーしたフレームを作って、ホンダRA270として開発し、その改良型、RA271をF1デビューさせたわけだ。

800px2006_sag__f1_honda_ra271_1964_1964年に初めてホンダがF1に参戦した時のRA271。当時は1500ccフォーミュラの時代。

 V型12気筒・横置きエンジン、常時噛み合わせトランスミッションという、オートバイからそのまま持ってきたメカニズムのホンダRA271はなかなか勝つことはできず、やっと1500ccフォーミュラ最終戦のメキシコGPで1勝を挙げることができた。

798pxmclaren_mp45破竹の大連勝を遂げたマクラーレンMP4/5 ホンダ。やっぱりホンダはエンジン供給だけの方が良かったんじゃないか。

 一度F1から退いたホンダはF2時代につきあっていたスピリッツ(いかにも日本人が好みそうな名前ですね)を切ってマクラーレンと組んだ。シャーシー開発はマクラーレン、エンジンはホンダ、ドライバーはアイルトン・セナというコンビネーションは最強で、1988年には16戦15勝という前人未到の記録を作ったりした。

 セナとアラン・プロストのジョイントNo.1契約という微妙な契約関係から1989年の鈴鹿サーキットで行われた日本GPでの接触問題なんかが、今でも記憶に蘇る。

 つまり、この時期のホンダF1が(ヨーロッパ的にはマクラーレンF1なのだが)、たぶん歴史上最強のホンダF1だったのだろう。

800pxjenson_button_2008_malaysia_3ホンダ最後のF1、RA108。あまり芳しい活躍はなかった。

 第3期のホンダF1は当初ブリティッシュ・アメリカン・レーシング(BAR)へのエンジン供給という形でスタートしたのだが、途中でBARが倒産してしまい、再びホンダは自らシャーシーも開発するという形での参戦になった。

 しかし、やはり「エンジン+シャーシー」両開発というのは自動車メーカーにとっては難しく、あまり芳しい成績を残せずに終了してしまった。

 ということが、私が「クールな判断」と書いた理由である。

 F1が「走る実験室」と言われ、その通りだったのは1950年代までで、その後は世界中に広まるモータリゼーションの波とともに、F1は「普通の自動車」とはどんどんかけ離れていったものになってしまったのである。

「普通の、どんな人でも」運転できる市販車と、「特別な才能に溢れた人じゃないと」運転できないフォーミュラ1モーターレーシング・マシンは、同じ自動車であってもまったく異なった乗り物なのである。

 ところが、そのまったく異なった乗り物ではあっても、市販車に応用可能なのがエンジンなのである。

 シャーシーは、開発手法から開発姿勢、開発スタイルすべてが異なる、特別な自動車なのである。だって、シャーシー下面の空気流なんて普通の時速200km位までの自動車なんて関係ないでしょ。ところが今のF1はこの「シャーシー下面の空気流」が一番の問題なのだ。

 エンジンの基本は「同じ燃料の量から如何にして高いエネルギーを得るか」という基本線からまったく離れていない。これはF1でも普通の自動車でもまったく同じなのだ。

 ここが私がメーカーが「エンジンの供給」だけでF1に参加する意味があると考え、メーカーが「シャーシーの開発までやる」のは無意味と考える理由なのだ。市販車とまったくことなる車を作ることにメーカーが地道を上げるのは意味がない。特にF1の場合はシーズン最初期と最後期ではまったくことなった車になっているような、トンでもない世界なのだ。つまり、毎レース毎レースで改良を加えているシャーシー&ボディはそれだけ毎レースごとに仕様が異なっているのだ。レースの世界はそれでいい。しかし、市販車ではそれはできない相談だろう。製造ロットごとに仕様の違う車を作ったら、それは製造コスト面でも、サービスの面でも、できない相談だ。

 しかし、一方エンジニアにとってはF1という世界最高峰のレースに挑戦しているというモチベーションは非常に意味のあることだ。毎レースごとに現場から上がってくる改良要請に応えることも、エンジニアとしては意味がある。

 そして一番大事なことは、ホンダ経営者としては「本田壮一郎DNA」をいかにして繋げていくかという命題がある。

 ホンダとしてはマン島TTレースというものの存在を知り、参加を決めたのもすべて本田壮一郎なのである。つまり、市販車改造車レース(GTやツーリングカーレース)ではない、純粋なレース専用車でレースを戦うというのが本田壮一郎DNAなのである。

 私は今回の伊東孝神社長によるホンダのF1復帰会見は、やはり生き残っていたホンダの本田壮一郎DNAの継承宣言であると受け止めたいのである。

 問題は今交渉しているらしいマクラーレンが昔のロータスみたいに「交渉を弄する」ことがないかどうか。まあ、昔の本田壮一郎に比べればもっと交渉術に長けているだろう現在のホンダ幹部である。まさかのドタキャンはできないような交渉はしているということに期待しよう。

 な~んてことを、ヨーロッパ車ばっかり乗って、ホンダ車を所有したことのないtsunokenが言っても説得力はないか。

 気分は「ホンダファン」なのだが、今は乗りたいホンダ車がないというのがその理由なのだが。だって、セダンはみんなFFばっかりだしなあ……。

画像はすべてWikipediaより

2013年3月24日 (日)

変貌する丸の内界隈

 3月21日は日経BPのセミナーを受講する前に、少し早かったので丸の内界隈を歩いた。

 そしたら忘れていたのだが東京中央郵便局を改装した新しいショッピング&オフィスビル「KITTE」がちょうどオープンの日だった。

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 東京中央郵便局の改装に関しては鳩山邦夫氏がいろいろ難癖つけて話題になっていたわけだが、どんなもんだろう。以前の中央郵便局の「表側」はそのまま残して、壁の大時計もそのまま残っている。

 オープニング・セレモニーには鳩山氏は呼ばなかったようだが、どうせならお招きして感想なんかを聞いてみるのもそれまた一興かとも考えるのだが……。

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 渋谷の変貌が最近の話題だが、丸の内の変貌の有様もなかなかのもので、丸の内仲通りは、いまや上はオフィス、1階はファッション、それもかなり高級なブランド・ファッションタウンである。

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 とはいうものの、本郷通りまで行くと昔のままの風景が、これまた出てくる。東京駅を背にして和田倉門方面を見ると、皇居はむかしのままで、何故かほっとする風景が広がっている。

 しかし、この時刻に見る皇居前の風景がどこかヨーロッパの都市の風景に見えるのはなぜだろう。

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 ところで、「KITTE」の発音が、「切手」のように平らに発言するのではなく、「キッテ」の頭にアクセントが来ることが気になるのは私だけ?

 で、KITTEの6階には屋上庭園があって、東京駅をこんな角度で見渡すことができるのはなかなか面白い。しばらくは観光スポットとして賑わうだろう。

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Fujifilm X10 @Marunouchi, Chiyoda (c)tsunoken

2013年3月23日 (土)

さわかみ流、長期投資術は実に明快、至極単純! オプティミズム

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 3月21日には日経BP社が主催する「ニッポン金融力会議―家計と資産セミナー 第9回 景気に左右されない投資先企業の選び方」というセミナーを受講してきた。講師はさわかみ投信取締役会長の澤上篤人氏。

 いわゆるアベノミクスによる株高はすでに日経株価がリーマンショック以前の水準に戻って、実体経済はまだ蘇っているわけではないが、先々の思惑だけで株式市場は賑わっている。円安も進行し、輸出企業はそれなりに潤っている状態だ。

 で、この一見好況に見えるこの経済がいつまで続くのかというと、澤上氏によればあと10年は続き、バブルの最高期1989年の日経平均3万8000円まで、いや5万円、10万円まででも上がるというのである。

 そもそもバブルとは何であったのか。背景には当然、当時の日本経済の高度成長があり、そんな日本企業に投資をしたいアメリカからの圧力で1967年から実施された「資本の自由化」があった。その結果、企業防衛をしようとする日本企業は株を企業間で持ち合いをしようということになった。また、生命保険会社がやはり自らの企業防衛のために、高上がりをしていた株を旺盛な勢いで買っていった。と、こうした企業の株の持ち合いと生保の政策所有でバブルの最盛期は、東証1部銘柄の55.3%が占められていたのである。

 それがバブルの崩壊でもって、株の持ち合いをしていた企業は余計な資産を売り払うために株を手放す、銀行は自己資本比率を上げるために株を売り、生保はソルベンシ・マージン比率(支払余力)を上げるために株を売り、年金は資産が減ってしまったために株を売り、という状況で、バブル崩壊後はこうした企業の株保有が8%まで下がったというのだ。

 今、アベノミクスでもって日経平均が上がっているのは、こうした機関投資家ではなく、個人投資家が株を買っているから。つまり国内の企業は、今は株を買っている状況ではなく、企業のグローバル化の方向にお金を使っている状態。外国株主は、ヘッジファンドなんかは買っているが、中長期投資家はバブル崩壊でもって日本株の担当者をみんなリストラしてしまったために日本企業の情報を持っている人間がいないので、何を買っていいのか分からない状態。

 ということで、売りは少ないのに、買いは多いために、少ない買いであるにもかかわらず、株価は上昇するということなのだそうだ。ここまでで外国人が買った株はたかだか67兆円に過ぎない。一方、日本の金融資産は1515兆円。その内785兆円(日本のGDP470兆円の1.7倍)が預貯金で眠っている。これからそんな低利率の預貯金のお金が株式投資(個別銘柄への投資あるいは投資信託)に回ってくるが、しかし売る株は少ない、ということでいやでも株価は更に上昇する。

 というのが澤上氏の見立てである。

 では、例えばそんなこれから上がる個別銘柄は何か、ということには澤上氏は答えない。当然である。そんなことをしたらさわかみ投信のライバルが増えてしまうだけなのであるから。

 しかし、どうやってこれから上がる個別銘柄を見つけるか、については澤上氏はなるほど長期投資家はそういう考え方をするんだという考え方を披露してくれた。

 要は、個別銘柄を考えるときは「業種」ではなく、あくまでも「個別経営」であるという。

「この業種が好調である」という見方はしない。ただし、その個別企業がどんなDNAを持っているか、例えば40年かけてシェールガスの開発のための素材を研究していた企業がある。当然、ダウケミカルやデュポンも研究していたが諦めてやめてしまった。ところがその会社はずっと研究を辞めずに、いまや世界で唯一のメーカーになる可能性を持っている。当然、株価はアップ。

 つまり、どこかの会社に興味を持ったら、その「会社の株」を持って儲けようというのではなくて、その会社の応援をするつもりで株を買う。その会社が当面ダメであればあるほど株は下がるので、下がったらまたまた応援しようとして買う。

 それが意外と、多少の成果が上がって株が上がると、意外と短期で儲かるし、もっとその研究が大当たりすれば大儲けできる。

 要は、短期で儲けようという発想で株を買ってしまっては、それは「銭ゲバ」の発想で、それは絶対に損をする。

 むしろ、長期投資家の発想は「企業に対する応援」だと考えて、皆が売るときはそれを買う。みんなが売るときは株価は下がるので買う。下がった時に大量に買い、上がった時に少しだけ売る。これが「長期投資のコツ」だそうだ。

 つまり、企業の研究とかは関係なく、超短期に「売り買い」を繰り返すデイトレーダーとは180度異なる手法である。

 株というのは。基本的に安い時に買って、高くなったら売る、ということでしかない。しかし、大半の個人投資家は皆が買いに走って株価が上がっている銘柄を買って、でも、彼が買ったときには機関投資家は売りタイミングを見計らっている時期なので、株価は下落する。で、個人投資家は機関投資家に金を巻き上げられるのだ。

 個人投資家は基本的にそんな存在。

 そこで澤上氏は「長期投資」を勧めるのであるな。つまり、それが景気に左右されない投資先企業の選び方なのである。

 そういえば、こうした長期投資の考え方「その企業を 応援するつもりで買え」という発想法は『日経平均を捨ててこの日本株を買いなさい。』 を書いたひふみ投信の藤野英人氏も書いていた。

 藤野氏の上げる銘柄を、ある理由から買った私は、その後1年間で80%位株価が上がって喜んでいる状態でもある。

 別に、私はその企業を研究したうえで買ったわけではなく、その本を読んで、更にあるきっかけがあって買っただけなのだが、まあ、応援しようという気分ではあった。

 そうか、それが正解なのか。

 つまり、株主になった以上、その売買益で稼ごうというんじゃなくて、自らその企業の一員になれる気分の企業を選べ、ってことなのであった。

 まあ、考えてみればそれが投資家の基本姿勢なんだけれどもね。

『本物の株価上昇の波が来たぞ!』(澤上篤人著/日経BP/2013年3月11日)

2013年3月22日 (金)

小林紀晴『写真と生活』を読むと、欧米化する写真家の姿が見えてくる

「本」ブログの体裁をちょっと変えてみた。

 今までように単純にアフィリエイトを貼り付けると、Facebookやココログ出版ではそれは反映されないので、上の方に書影が写っている写真を貼って、アフィリエイトは一番下におくことにする。書影と一緒にその本を読んでいる状態を写して、ちょっとした気分を出そうという試みである。

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 で小林紀晴の本である。

 小林が古屋誠一について書いた『メモワール 写真家・古屋誠一との二十年』について、その妙に重苦しい文章に何か不吉なものを感じた私は、しかし、この本ではいつもの小林紀晴だなあと感じられて、なぜか安心したのはなぜだろう。

 本書は雑誌『日本カメラ』2010年1月号から12月号まで連載された、つまり12人の写真家へのインタビューから構成された内容である。

 12人の写真家は以下のとおり。

平間至(1963年生まれ・50歳)
野村佐紀子(1967年生まれ・46歳)
亀山亮(1976年生まれ・37歳)
藤代冥砂(1967年生まれ・46歳)
金村修(1964年生まれ・49歳)
宮下マキ(1975年生まれ・38歳)
高木こずえ(1985年生まれ・28歳)
ERIC(1976年生まれ37歳)
山田敦士(1975年生まれ・38歳)
本城直季(1978年生まれ・35歳)
瀧本幹也(1974年生まれ・39歳)
石川直樹(1977年生まれ・36歳)

 これに加えて、小林紀晴(1968年生まれ・45歳)というラインナップになる。

 30代を中心に28歳から50歳までの若手から中堅に至る、それぞれ個性も、撮っている写真の対象もことなる写真家たちへのインタビューで小林紀晴は何を見てきたのだろう、というのが気になって本書を読んでみた。

 この30代の写真家たちに共通する状況は、彼らが独立して写真家になるころには、雑誌媒体や広告がかなり弱体化して、いわゆるアサインメントの仕事は、それまでの時代から見るとかなり少なくなってしまった時代である。

 小林紀晴があとがきで書くように;

『数年前にある写真学校の先生から「最近は卒業すると、そのまま写真家(作家)をめざす人が多い。就職しない学生が増えている」という話を聞いた。「世の中の景気と深く関係がある」とのことだった。
 景気の後退により就職先が以前より極端に限られ、条件のいい就職先が相当に減った。だから就職の道を諦めてアルバイトをしながら地道に写真家をめざすのだという。私が二十代の頃には、考えられなかったことだ。就職しないことにではなく、作家をめざすという発想が。考えてみれば私が会社をやめた20年前はバブルの絶頂期だった。選ばなければ仕事はいくらでもあった。雑誌や広告に元気があったからだ。おこぼれみたいな仕事をもらっていた。あの頃とは明らかに状況が変わっている』

 というくらい、以前は初めからフリーランスの写真家というものは少なく、広告会社や雑誌社、新聞社などでサラリーマン・カメラマンをして、それに飽き足らなくなった人、会社からの命令で仕事をすることに窮屈さを覚えた人、一発当ててやろうぜってな感じの人たちが、やがて独立してフリー・カメラマンになり、写真展や写真集で活躍するようになる、パターンだった。

 それが現在では初めからフリーで写真展や写真集で表現をするよう写真家が多くなってきたのである。確かに、この12人の写真家も初めからフリーの人が多い。

 本の中でも山田敦士が『いまはあまり夢がないじゃないですか。例えばいま写真学校の学生の八割くらいが作家志望らしいです』なんていう発言があったりする。

 ということは、日本の写真業界もこれからは欧米化していくのだろか。欧米の写真家は、もともと社員カメラマンというのはあまりいなくて、あとはフリーランスで新聞社や雑誌社と契約してアサインメントの写真を撮るカメラマンと、自分で被写体を選んで「作品」を作って写真展で写真を販売したりカタログ(写真集)を販売して生活している写真家とがいるらしい。

 まあ、本来は作家(小説家も写真家も)はフリーランスであるべきなんだろうけれども、それまでの日本のあり方が世界標準から見てちょっと変だったのかもしれない、と妙に納得。

 最後に本城直季の発言をひいて、今の写真家の生活を見ておこう。

『いまはどんなところに住んでいるのかと最後に問うた。高層マンションの最上階などという答えが返ってきて欲しいと半ば期待しながら。
「学生の頃から同じアパートに10年友達と住んでいます。印刷関係の仕事をしている男と。部屋は真ん中に廊下があって左右に分かれていて……」
「うるさいとか、プライベートがないとか、ないの?」
「ありますけど、平気ですね。10年も経つと、もうどうでもよくなっちゃうんですよね、もう家族になってますね(笑)」

『写真と生活』(小林紀晴著/リブロアルテ/2011年11月30日刊)

2013年3月21日 (木)

足立区西新井別景、というか本景

 昨日に引き続き「足立ネタ」ではあります。

 東京都足立区と言っても、荒川(放水路)を挟んで南と北では大いに異なる様相を見せることになる。

『1629年寛永6年)に関東郡代伊奈忠治らが現在の熊谷市久下で河道を締切り、和田吉野川の河道に付け替えて入間川筋に落ちるようになった。元の河道は、熊谷市で荒川から離れて吉川市で中川と合流する元荒川となっている。同時期の工事で利根川は東に瀬替え(利根川東遷事業)して古利根川流路から江戸川の流路を流れるようになった。付け替え後の荒川(元の入間川)は、下流で現在の隅田川の河道を通っていた。この部分は流速が遅く、台風で大が降るとしばしば溢れて江戸下町を水浸しにした。明治時代の調べでは、大雨の際、熊谷市と川口市で最高水位に達する時刻の差が48 - 60時間あった洪水が人や家を押し流すことはないが、浸水による家屋農作物の被害は深刻であった』(Wikipediaより)

 というのが江戸時代までの歴史。その後、明治時代になって赤羽の水門で荒川放水路と隅田川が完全に分かれて、今の荒川・隅田川になったのである。

 そんな意味で、まだ江戸の下町情緒を残す北千住までと、荒川放水路を挟んで対面する足立区の北側は分断されることになった。

 そんな分断された足立区の北側は「場末」と認識される場所になったわけである。

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 私の出身校である足立区区立第七中学校は典型的な場末の足立区の学校だった。つまり、毎年、冬休み明けになると「今年は正月休みに何人補導されたかな」ということが話題になるような、典型的な「ワル学校」である。「金八先生」どころではない。まあ、当時は教師も「鉄拳制裁」が当たり前だから、それに対して文句を言う生徒もいなかったけれどもね。

 手前の道路が昔は日清紡や子会社の日清繊布が廃液を堂々と流し続けていた川があったところである。しかし、そんなどぶ川でも春になると魚が釣れたりしたんだから、結構、魚も丈夫だったのかもしれない。

 つまり、在校生はそんなことは全く気にせず、普通に暮らしていたのである。

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「野球部は基本的にアタマのワルい奴がやるスポーツで、バスケットボールはアタマのいい奴がやるスポーツ」という、なんかわけのわからない認識があったなあ。

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 女友達の実家である蕎麦屋「あら井」、料理屋「狐塚」もまだ健在である。当然、そのころのガールフレンドはもういないだろうけれども。

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 さらに感激は、中学のバスケットボール部の練習の後にしばしば立ち寄った、お好み焼き&もんじゃ焼きの店「こなや」も健在だったということだ。

 昨日も書いたけれども、こうした部分は西新井の「旧市街」。当然、日清紡の跡地に作られたマンション街やアリオ西新井のある「新市街」とは分断されている。

 それこそ新市街の住民にとってはあまり足を踏み入れたくない場所なんだろうな。道も入り組んで、カオスのようなところだし。カスバじゃないよ。

 ただし、そこには確実に「昭和の場末」の町が息づいている。

 あ、そんなところいまどき誰も行きたがらないか。納得。

Fujifilm X10 @Nishiarai, Adachi (c)tsunoken

2013年3月20日 (水)

Fitbit weekly stats from Mar.11 to Mar.17

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ちょっと歩きが少ないなあ。

フロアは2階建ての家に住んでいるから、いやでも多くなる。

西新井大師門前町の一軒「小柳家」がなくなってしまった

 千駄木の医者に月1回通っているのだが、どうもそのあとには、日暮里舎人ライナーで西新井大師に行くのが恒例の行事のようになってしまった。

 で、月曜日も毎度お馴染みの西新井大師へ……。

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 風が強い日だったこともあって閑散とした御大師様であるが、緋寒桜が満開できれいではあった。

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 で、御大師様に参ったあとは、いつもの小柳家で蒲焼で一杯と思ったら、小柳家が無くなってしまい、その跡地はこんな風になってしまっている。小公園にでもするのだろうか。西新井大師門前町では一番古い雰囲気の小柳家だったので、ちょっと残念。

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 で、やむなく小柳家の隣にある清水屋で蒲焼で一杯と相成ったのであります。って、なんだ、結局同じ事じゃないか。

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 西新井大師門前町で一杯のあとは、これまた恒例の東武スカイツリー線、西新井駅までの歩行である。

 まあ、昔の西新井の町からはだいぶ変わってしまっていて、昔、日清紡があった場所は、アリオ西新井なんていう映画館付きのショッピングセンターや、大きなマンション群になってしまって、西新井警察も環七沿いからこちらのマンション群の中に移っている。

 私の出身校である足立第七中学校や、周辺の町には昔からの店も多く、なんか足立七中や、これまた私の出身校である関原小学校の周辺の「旧市街」と、マンション群の「新市街」に見事に分かれているようだ。ちょうど足立七中がその「旧市街」と「新市街」の境目に位置している。

 多分「旧市街」の住民は昔からの商店に買い物に出かけ、「新市街」の住民はアリオ西新井でのみ買い物をするんだろうな。

 まさしく「旧市街」と「新市街」の乖離!

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Fujifilm X10 @Nishiarai, Adachi (c)tsunoken

2013年3月19日 (火)

『Tweet & Shout』の元ネタを知っているからといって別にエらくはないですが

「Tweet & Shout」というタイトルは当然ビートルズの「Twist & Shout」からきているもので、あまり意味はないだろう。まあ、、その程度の関係ということで……。

『Tweet & Shout ニュー・インディペンデントの時代が始まる』(津田大介著/東京ニュース通信社/2013年2月25日刊/Kindle版の方が340円くらい安い!)

 しかし、「ジャーナリスト/メディア・アクテビスト」というのが通常の肩書である、津田大介氏がこんなに音楽関係にコミットしているとは思わなかった。まさに音楽界におけるニューメディア(懐かしい響きだなあ)の旗振り役とでもいう立場で活動してきたのだなあ。

 その津田氏が「あとがき――All You Need Is Patronage」に書いたことが

『300人を確保すること――日々激変するコンテンツ業界の現場で生き残っていくためのスタート地点はそこにある』

 つまり

『「毎月500円の収入をもたらしてくれるファンを300人捕まえなさい」ということになる。500円×300人=15万円。毎月ファンが喜ぶコンテンツを提供し続ける対価として月会費を徴収することで、ニュー・インディペンデントの柱が生まれるのだ』

 ということである。

 しかし、とはいうものの、例えば私のこのブログも平均するとページビューでだいたい毎日600~700、ユニークユーザーが毎日400~500なわけだが、じゃあ、それを読むのに月500円を払えって言ったら、多分誰も読まないだろう。

 この辺が、音楽なんかのコンテンツと、ブログ・コンテンツの違いである。音楽のように人々に「気分」を届け、時には「気持ちよく」させたり、時には「気持ちを落ち込ませたり」できるコンテンツと、例えば私のようなブログだと毎日読んだ本について書くようなものは、別に読まなくても何にも困らないだけでないし、下手をすれば、読まなければよかったなんてブログなので、別にそんなものにお金を払ってまで読むような人はいないはずだ。

 また、津田氏のような一次情報を伝えるメディア・メールマガジンであれば、それはそれなりに読む意味・意義はあるのだが、私のような二次情報が基本のメディアでは、やはりそれほど読者にとっては重要な情報ではない。一次情報が掲載される場合は、基本的に「ヒマネタ」である。つまり、箸休めみたいなものだから、それがなくては何か物足りないというようなものではないわけで、それはやはりお金を出してまで得たい情報ではないのだろう。

 で、音楽業界の話。つまり『個人がメディアを持てるというインターネットの原理的なメリットが、アーチストのとって大きな意味を持ち始めた』ということ。つまり、それこそ300人から1,000人の固定的はファンがいれば、アーチストはレコード会社からの支配を受けずに自由に活動ができるという、昔のニュー・ミュージックのアーチストが夢見ていた世界がインターネットによって、突然、開かれてしまったのである。

 まさしく、1億総アマチュア時代であるし、同時に1億総プロフェッショナル時代である。つまり、その人がプロフェッショナルなのかアマチュアであるのかの境目は、以前はその人がプロ的な集団(例えば音楽で言えばメジャーだし、出版で言えば基本的に出版社)に属していたり、そこから「モノ」を出しているかどうかであった。

 しかし、今はそんな境目はなくなってしまった。

 もしかして、ある人突然「私はプロ・ミュージシャンです」という人が現れて、ちゃんと彼の音楽活動で生活ができているのなら、まさしく「プロ・ミュージシャン」なわけなのである。それでいいのである。レコードやCD時代のように数万枚を売らなくても、数百人の支持者がいて、自分たちがそれで生活できれば、既にして彼はプロ・ミュージシャンなのである。

 すごいな。音楽では既にそんな時代に突入しつつあるのだ。

 じゃあ、書籍の世界でもそんな時代が来るのだろうか。

 実は既に書籍の世界でも同じような状況は現れているのだ。

 Kindleで提供されている多くの本はまだ読むに堪えない本が多い。基本的に今Kindleで売れているのは、紙の本でも売れているタイトルが多い。それはそうだろう。やはり「編集者」の目を通してキチンと「編集」された本の方が読者は安心して読める。

 しかし、そんなものは次第になくなるだろう。これから「出版社に属しない独立系の編集者」という存在が出てくるはずだ。出版社OBの編集者だっているし、最初からそんな編集者を目指す人も出てくるかもしれない。

 そんな風になれば、もはや出版社はいらないという作家が出てくるだろう。勿論、電子だけでは多くの数は売れないので、その電子本の出版権を獲得しようとする出版社が出てくるかもしれない。

 つまり、それってインディーズのミュージシャンが、メジャーのレコード会社と契約するのと同じだ。

 要は、出版社やメジャーにイニシアティブがあるのではなくて、作家やアーチストの側にイニシアティブがある世界。

 これって、理想的じゃない。

 

 

2013年3月18日 (月)

待乳山聖天・登攀記

 実は昨日は春の彼岸入りなので墓参に行ってきたのだが、そこの住職のお母さんが私のブログを読んでいたそうで、意外なところでブログの読者とお会いするという体験をしたきた。

 だからという訳ではないが、昨年の4月13日のブログで書いた『お江戸 超低山さんぽ』の際に、台東区、浅草今戸にある慶養禅寺という我が家の菩提寺のすぐそばにある「待乳山聖天」に今度行こう、なんて言っておきながら、実は今の今まで通り過ぎていたのを、昨日の墓参のついでに初めて行ってきた、登ってきた。

 要は身近な場所には意外といかないもんだ、という東京人にとっての東京タワーやスカイツリーみたいなもんだ、というまさにそのもの。

2013_03_17_0031ここが、言ってみれば登山口にあたる

2013_03_17_0010で途中の門をくぐって

2013_03_17_0016ここまで来ると、もう山頂。

 というくらい低い山。待乳山聖天さまなのである。

 浅草寺と同じく聖観音様を祀るこの寺は浅草寺の下院のひとつ。待乳山は昔は「真土山」と書いたそうで、他の千駄ヶ谷富士とか品川富士とか駒込富士などの築山と違って、本当の自然の山なのだそうだ。しかし、標高9.8mなので、「山」を意識する以前に登ってしまう。なんか普通のお寺の階段の方が高そうだ。

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「〽登山電車ができたので、誰でも登れる」というベスビアス火山ほどには高い山ではないけれども、待乳山聖天にこんなモノレールがあったなんて、実は知らなかった。

 4人乗りの「スロープカー」というのが本当の名前で、駐車場の脇にある。つまり、車で来た足の不自由な人のための施設なんだろう。まあ、面白いので下りだけ乗ってきましたがね。
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 で、浅草聖天町といえば、池上正太郎の生誕地である。

 そう、『剣客商売』13巻『敵』の書き出しにある慶養寺までは数十歩の距離である。

 なるほどなあ。さすがに近くに小説の舞台が多くある浅草の地、ならではあったわけなのであろう。

Fujifilm X10 @Asakusa (c)tsunoken

2013年3月17日 (日)

古屋誠一『メモワール』って、結局はダメな写真家へのオマージュなのか

 パソコンの調子が悪く、windows8のリカバリーをしなければならなくなった。当然、ファイルはバックアップを取っていればよかったのだが、そろそろバックアップ用の外付けHDDを買わなければと思っていた矢先のトラブルである。

 前に使っていたパソコンにデータが残っていたので「全損」は免れたが、「写真」ファイルは全損である。一番データ量の多かった写真ファイルが全損してしまったのは残念だが、しかし、やはり残すべきものはアナログであるなあ。はかなきデジタル・ファイルは全損だが、アナログのネガはすべて生き残っているので、それだけが救いである。

 ということで、これからますますアナログ・カメラの重要さが増すというものだ。やはりデジタルの怖さはここにある。何しろ「一瞬」ですべてのデータがなくなってしまうのである。

 というところで、話を本の話にもどす。まさしく古屋の写真はアナログ写真の典型である。

 一昨日の小林紀晴の本に触発されて古屋誠一の本を早速Amazonに注文した。

 ただし、古屋の妻の自殺直後の写真が収録されているオリジナル版『Memoires』は既に絶版になっているのだろうか、手に入らず。取り敢えず入手できたのは以下の2点。

『メモワール 1983/Christine Furuya-Gossler 1983|Seiichi Furuya 2006』(古屋誠一著/赤々舎/2006年10月1日刊)と『メモワール. 1984-1987/Seiichi Furuya Memoires. 1984-1987』(古屋誠一著/IZU PHOTO MUSEUM/2010年5月10日刊)

「Memoires. 1984-1987」の腰巻には「古屋誠一 最後のメモワール」と書かれていて、タイトルの「Memoires」の後にはピリオドが打たれている。まさに、古屋誠一の「常に後ろ向きの写真集」はこれが最後だという宣言にもとれる。

 まず『Memoires 1983』の方から観ていこう。表紙は1983年7月、グラーツで撮影された妻クリスティーネが馬に乗った写真が使われている。そう、この写真集は1983年のクリスティーネを時系列で並べたものだ。

 1985年、自ら命を絶った妻、古屋が撮影したクリスティーネと息子の未明(コボシー)、クリスティーネの母親らしき人物の写真が多く、もうひとつ小林が問題にしたクリスティーネの手記が散見できる。

 詳しくクリスティーネの手記を読むつもりはない。取り敢えず収録されて写真を次々に眺める。初めから最後まで、何度も何度も。

 既にこのころは精神病院への入院を何度かしているクリスティーネだが、少なくとも未明(コボシー)と一緒にいるときの写真は、多少は幼子といる安心感なのか、心の平安を取り戻しているように穏やかな顔つきの写真が多い。勿論、疲れ果てたかのような顔つきも、そのなかに散見できるのだが……。

 ちょっとショッキングなのが、8月にグラーツで撮った写真と、シュトゥレイドルフで撮った写真だ。この月、古屋はシュトゥレイドルフの屠場を撮影しているのだが、その内1点、見開きで左ページにクリスティーネの微睡むような雰囲気の写真があって、それを対応する右ページに、これから殺されるのであろうか目隠しをされた牛の写真が並んでいるのだ。「何かを予感させる?」のであろうか、それとも既にクリスティーネの運命を知っている我々が勝手に持ってしまった妄想なのか。

 この時期、まだクリスティーネは自らの死を予感していなかったのだろう。

 一方、『Memoires. 1984-1987』はクリスティーネの死を挟んで5年間の写真を集めたものだ。

「Potsudam, October 6, 1985-Falkenberger Chaussee 13/502, Berlin-Ost, October 7, 1985」と題された37カットのカラー・コンタクトプリントが掲載されている。これが小林が書いていた『廊下のような場所に、靴が揃えて脱いであるカットがある。次のカットは地面にうつぶせに倒れた、ピンク色のシャツを着た妻の姿だ。駆け寄ったとみられる数人の姿もある。次の写真は地上で、深緑色の厚手の布が遺体らしきものの上にかけられている。なかはまったく見えない。続く二つのカットにも、同じ布が写されている。どちらも警察官らしき男が、こちらを向いてその脇に立っている』と書いた、古屋の自ら命を絶った妻の写真なのだ。

 当然、写真集だから製版の際の粗さがある写真なわけだけれども、ルーペで覗いてみた。

 1枚目は確かに靴が揃えて置いてあるカットで、次が地面にうつぶせになったピンクのシャツと白のスラックスの女性が写っている。周囲に3人ほどの人影が見えるのであるから、実は自殺をしてから多少は時間が過ぎている写真なのだろう。

 それは確認できた。

 だからと言って、我々は何を言えるのでろうか。

 しかし、問題はそのあとの写真群であろうか。その後の写真が、どこか誰を写しているんだかよくわからない写真が多くなっている。「人」を写しているんだか、「街」を写しているんだか、わからない。

 それが、妻を撮り続けた古屋のスタンスとは違ってきたのかもしれないが、何か「写すもの」を見いだせない写真家の姿をそこに見出してしまうのだ。

 というところで、今日は中途半端だけれどもおしまい。

 まあ、パソコン故障についてのご理解を。

 いつか、この続きを書くことになるだろう。

 

2013年3月16日 (土)

『メモワール 写真家・古屋誠一との二十年』の重い文章について

 小林紀晴の文章というのは『ASIAN JAPANESE』あたりは、自らも同じ立場で撮影しつつ文章も書いていたのでそうでもなかったが、それ以降の本での文章の書き方は妙に重たくなってきている。

 その中での一番重い文章がこの本である。今後、益々重い文章になってくると、その後の小林の帰趨がちょっと心配になってきてしまうのは、私だけだろうか。

『メモワール 写真家・古屋誠一との二十年』(小林紀晴著/集英社/2012年12月19日刊)

 古屋誠一という写真家を知ったのはこの本が初めてである。自分の妻の自殺写真を撮影し、なおかつその自殺写真を何度も何度も写真集として出版していた写真家がいたなんて。まさしく、その写真家は妻との人生がそのすべてだったということなんだろう。

 早速Amazonに注文した(写真集なんかは部数も少なく、あまり本屋さんには置いていないので、Amazonが一番便利である)のだが、オリジナルの「Memoires」は既に絶版なんだろうかAmazonにもなくて、手に入ったのは「Memoires, 1984-1987」と、問題の「Memoires 1983」で今手元にある。ただし、まだ箱を開けていない。取り敢えず今は小林紀晴の本に集中しよう。古屋誠一の写真集にまで発展してしまっては収拾がつかなくなってしまう恐れがある。古屋誠一の写真については、改めて書こう。

 小林紀晴は1991年の夏、渋谷で開かれた写真展で、初めて古屋誠一という写真家を知ることになる。それこそがまさしく「Memoires」なのである。

『精神を病んだ妻の姿を執拗に撮り続け、死の直後までカメラを向けること、さらにそれを作品として発表することは、並大抵の精神ではできない』

 と小林が書くように、果たして古屋誠一という写真家の生きざまとはどんなものなのだろうか、私も気になるところではある。

 更に、古屋はその妻の自殺した直後の写真を最後に、写真を撮っていないようだ。いや、撮ってはいるのだろうが、その後の写真は発表していない。永遠に昔の写真ばかりの跡を追って、繰り返し繰り返し写真集を出し、写真展を繰り返し繰り返し開いている。最初の写真集「Memoires」と同じタイトルに年代をつけるだけの「Memoires ~」というタイトルの写真集・写真展を。

 小林は2001年9月11日にニューヨークにいた。2011年3月11日には東京にいた。当事者としてこの二つの体験は強烈だっただろう。写真家はそんな時に何をするのか。当然、カメラを手にして、より前へ前へと進み「いい写真」を撮ろうとする。「いい写真」とはなんだろう。

 ロバート・キャパは、ある日、ロンドン近郊の空軍基地で見事な胴体着陸を成功させた爆撃機を目撃する。

『キャパは、機内から次々と運び出される乗組員の負傷者を夢中で撮りつづけ、最後にパイロットがタラップを降りてくると、クローズアップを撮るべく駆け寄る。すると、そのパイロットに強烈な言葉を投げかけられる。
「これがあんたの待望の写真ていうわけかい、写真屋さんよ」』(沢木耕太郎『キャパの十字架』より)

 つまりそれが写真家なのだ。つまりそれが「いい写真」なのだ。ニューヨークの3.11から数週間後、レンタルラボでカラープリント作業をしている男の写真が崩れ落ちたワールドトレードセンター・ビルであることに気づいた小林は、男のこんな一言を聞く。

『もう少しダークにしたら、深刻に見えると思う』

 ここに、写真家の哀しいサガが読みとれる。小林も同じ日、ワールドトレードセンター・ビルに近づき、写真を撮るべく現場に近づこうとしたが、警察官に止められて諦めた。『悔しかった』と書く。そして、レンタルラボで会った男に嫉妬するのだ。その男の写真に嫉妬するのだ。

「他人の不幸は蜜の味」ではないが、写真家のそんな一面を知る小林にとって、妻の自殺直後の写真を撮り、発表する古屋に自分の姿を重ね合わせているのだろうか。

『自分が見たもの、触れたもの、そこにいた誰かをカメラに収めることで、唯一、自分の存在が立ち上がる。他者の力が大きく必要なのだ』

 と小林が書くように、古屋にとっては妻の存在が、古屋自身の存在証明として大いに必要だったのだろう。

 最後に小林は疑問を投げかける。

『果たして地上に横たわる妻に、古屋は何をみたのか。もっとも自分にふさわしく、もっとも美しいものだったのだろうか』

 しかし、古屋はそれには答えないだろう。

 古屋が見たもの、それは最後まで古屋にしかわからない筈だ。

2013年3月15日 (金)

『Amazonの3.11』が示唆するもの

Amazonが東日本大震災の復興支援として行った「ほしい物リスト」を活用した物資の支援についてのルポである。

『Amazonの3.11』(星政明著/角川e文庫/2013年3月11日刊/電子版のみ)

『ほしい物リストは、アマゾン発祥の地であるアメリカでは「Wish List(ウィッシュリスト)」と呼ばれているサービスだ。ほしい物リストは、日本では自分が購入を検討している商品を記録しておくという、備忘録的な使い方をされているケースがよく見られるが、アメリカでは、誕生日や出産などのプレゼントに希望する商品を登録しておき、それを見た友人や家族が注文をするという使い方が一般的だ。いわば、プレゼントをする人ともらう人のミスマッチを防ぐためのサービスだ。注目のポイントは、ここ。ほしい物リストを利用することで、受け取る人は自分の希望と寸分違わぬ物が手元に届く。まさに、災害発生時の物資支援に最適のサービスだ』

 ということがすべてを物語っている。

 私もAmazonの「ほしい物リスト」は購入を検討している商品を書き留めておくためのリストだと考えていたが、しかしドライなアメリカらしい発想なのだった。確かに、こうすれば贈る人ともらう人のミスマッチはなくなる。

 しかし、この方法を利用すれば復興物資をもらう方は「何が」「どれだけ」ほしいのかを書き込んで、支援する方は必要とされているものを、必要な量だけをきちんと送ることができる。

 更に『リストに登録する商品を東北の生産者が生産した物、あるいは東北の出品者による物とすることで、経済的な復興支援にも役立てられる――。それはいわば「地産地消」的な考え方だ。それからは、例えば、米の物資のリクエストがあれば、東北が産地で東北の事業者が販売する米を主にほしい物リストに登録する動きが増えたそうだ』というように、物資の支援にとどまらず、経済的な復興支援にもなったくるわけだ。

 ただし、これで東北の農業従事者がAmazonを使ってどんどん米や農産物を直接販売するようになってくると、農産物の流通経路が農協頼りではなくなってくるという、プラスの影響もあるかもしれない。つまり、それこそAmazonや楽天が一大流通産業となってきた昨今の関係のより強固な発展である。

『この取り組みは、東北で事業を展開する中小の事業者に非常に好評を博す。仙台を皮切りとして、岩手や青森、福島など、各地でセミナーを行い、出品方法や商品の管理方法をレクチャーし、地元の経済復興に一役買った。
 被災者向けのほしい物リストのアイテムを東北の出品事業者から購入する動きが現れたということは、アマゾンの打ち出した別々の支援策が、有機的に結びついたということである』

 ということ、つまりすでにそれは単なる「ほしい物リスト」を使った「支援策」から離陸して、新しいビジネスにもなっているわけだ。

 アマゾンのいわゆる「中抜き」ビジネスモデルがここでも、新たなビジネスを創出しているわけだし、こうして物の流通が新たになってくることによる、東北の新しい再生の道が開けてきているのなら、アマゾン様々と言ってもよい状況だ。

 単なる災害からの復興ではなくて、新たな事業の創出が見られれば、それこそが復興の最大の賜物だ。

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2013年3月14日 (木)

『火中の栗の拾い方』ったって、実は無理やり拾わされるのがサラリーマンの実態だ

「火中の栗を拾う=他人の利益のために危険をおかして、ばかなめにあること。あえて危険に身を投ずること」というのが広辞苑の解釈である。そんな「火中の栗」に「拾い方」なんてあるんだろうか。高城氏は、例えば「この仕事をやりたい人がいたら、手をあげてくれないか?」と、社員の自主性を促す形で仕事を任用する例を多くあげているが、現実的には「○○君、君に頼むよ」という形で一方的に上司から「火中の栗」を投げつけられることの方が多いのではないだろうか。

『火中の栗の拾い方』(高城幸司著/日経プレミアシリーズ/2013年1月23日刊)

 私も、サラリーマン時代こうした「火中の栗」を何度も拾わされたものだった。いわゆる「お鉢が回ってくる」というやつ。

 ある作品のアニメ化に関して作家とトラブルになり、その後を継いだ時には、その作家から「火消しの登場ですか」なんて言われながら、途中からプロデュースを続けた。とは言うものの、気難し屋で有名なその作家はなかなか首を縦に振らない人だった。「火消しの登場ですか」というくらいなら、私の言うことを聞けよといいいたい気持ちを抑えて、私がやったことは、実は前任者とあまり変わりのあることではなかった。要は、人の問題なのね。

「火中の栗を拾う」という行為は基本的に「リスクをとる」ということだ。ただし、リスクをとるということは、うまくすれば成功の可能性があるということだが、火中の栗を拾うのは、あまり成功の可能性はない。むしろ、火中の栗を拾ってそのまま火傷を負うことの可能性の方がはるかに高いわけである。

 しかし、そんな高リスクであっても、上司から「お前がやれ」と言われてしまったら、やらなければいけないのがサラリーマンの宿命である。その結果は「勝てば官軍、負ければ賊軍」というわけで、勝たなければその人のサラリーマン生活はもう先がない。

・親方日の丸の会社が潰れる
・定年まで働かさせてもらえず、子会社や取引先に出向・転籍になる
・勤務先の会社が他社と合併してしまい、職場に居場所がなくなる

 ということを高城氏は現代のサラリーマンのリスクとして上げるが、火中の栗を拾うのもそんなリスクの一つであろう。ただし、高城氏も書くように「火中の栗を拾う」リスクは、その栗に光明が見えれば拾うべきリスクである。勿論、光明が見えるかどうかは実は本人次第なのでもある。

 つまり

・ある人が「どうせ引き受けるのなら、仕事を楽しもう」
・別の人が「自分ばかりにやっかいな仕事がくるので、嫌になる」

 という後者では、見えてくるはずの光明も見えてこないだろう。

 火中の栗でも、食べればよく焼けていて美味しいこともあるはずである。だとしたら、そんな美味しさを味わってはどうだろうか。仕事は楽しくやらないと、自分にとって何も身につかない。勿論、仕事は「生活のため」にやるものであるが、一方、で「生活のために嫌々やるのであれば」何も身につかない、むしろ楽しんで仕事に当たった方が、結果としてはいろいろなことが身につくのである。

 まあ、結局は火中の栗を拾わなくてもすむことが多かった高度成長期と違って、今はあえて火中の栗を拾うようなリスクを冒さないと、美味しい結果も得られない時代になっているのだろう。

 そんなわけで本書のようなものも価値が出てくるのだろうけれども、しかし、ひとつだけ言えるのは、火中の栗は自ら選んで拾うのではなく、勝手に上司から拾わされるのである、というのがごく一般的なサラリーマンの世界である、ということ。高城氏のいたリクルートという会社が、社員が自ら選択して火中の栗を拾うような風土の会社であったのなら、それはそれでオープンないい会社だったのかも知れない。

 普通はそうじゃないのだ。

 無理やり上司から「火中の栗を拾え」と言われた場合の処し方が書かれていないのが、ちょっと残念なところである。

2013年3月13日 (水)

『フェデレーション』のいささか緻密さを欠くストーリー展開について

 アメリカで投資顧問会社に勤務する広瀬隆雄氏の小説は『いきなりニューヨークで面接しろと言われても、困ります』『商社マンはガイジンと付き合ってキャリアを棒に振るような真似はしない』『「おまえはスーパーモデルを目指せ!」なんて、よくも残酷なことが言えたわね』といういわゆるニューヨーク三部作や、ヘッジファンドのアナリストが主役の『すべての輝けるもの』などは、自分の体験から書いた小説であるから、まだいいようなものだが、このSF作品になると初めて挑戦する分野なのだろう。

 ちょっとそのストーリーは緻密さを欠き、リアリティに欠ける設定も加わって、今回はあまりオススメできない。今後シリーズが続くようだが、その中で軌道修正を求めたい。

『フェデレーション①』(広瀬隆雄著/Amazon Servies International/2013年2月22日刊・Kindle版のみ)

 21世紀のヨーロッパ、財政破綻を起こした南欧を中心にドイツが再建したヨーロッパはEUの発展型の国家連邦となっており、しかしそれは実際にはドイツによるヨーロッパ支配だった。それが「フェデレーション」。つまり、ヒットラーが夢見た欧州連邦が、彼の死後90年を経て遂に成立したわけである。つまり今から20年ほど後のヨーロッパ。

 欧州連邦政府は欧州各地の民族主義運動を抑えるために「焚書」を行って、フェデレーション域内の各国民族としての記憶や固有の文化への郷愁を呼び起こさなくさせた。

 そのころの世界はEMと呼ばれる「エンハンスト・マン(Enhanced Man)」、つまり脳にチップを埋め込んで、ARゴーグルをかけることで様々なコンピュータ・リードアウトを読むことができるという人たちと、HRと呼ばれる「ヒューマナイズド・ロボット(Humanized Robot)」が共生する世界。

 ポーランドはクラカフのシフィエンチゴ・トマシャ街という娼婦街から逃げてきたゾフィアというEM化していない女性を、偶然助けたHRのテス。この二人が主人公。

 よりロボットに近い存在になりたいという人間がなるのがEMであり、一方ロボット側はHRとなって人間が持つ感情を既に持っている。つまり、人間とロボットを見ても、どちらがEMで、どちらがHRであるのかは、一見しただけでは区別がつかない状況になっている、そんな時代の話なのである。

 とまあ、そこまでが第1章の設定話。第2章ではテスの仕事がPTS(Put to Sleep:安楽死)ツアーの看護師という仕事であることが明かされて、つまりテスが「死/あるいは殺しのスペシャリスト」であることが明かされる。

 ここまでも主人公二人の設定話、だからまだいい。

 しかし、第3章になると、突然物語が動き出す。

 まず、ゾフィアがドイツ首相の(つまり欧州連邦のトップである)ブラック・チャンセラーと呼ばれる人間のSMの相手だった(それもブラック・チャンセラーがMの)という話があり、ゾフィアがいた娼館のリーダーのクロードの話になる。

 ところが、このクロードがいとも簡単にテスによって殺される。だって、ドイツ首相が来るような娼館でしょう。そのオーナーがそんな簡単に術中に陥っちゃうの? というのがまず第1の疑問。

 そして、第4章になると早くも大物ブラック・チャンセラーの登場である。ゾフィアに化けたテスは何の疑いもなくブラック・チャンセラーに近づき、ブラック・チャンセラーにボンデージ・プレイを命じ、臀部に鞭打ち、ハイヒールでぐいぐい踏みにじる。この辺も、もっと近辺に対する警戒はあるはずだ。

 だって、ドイツ首相で欧州連合のトップでしょう。おまけにその人のSM趣味(それもM)がバレたら最大級のスキャンダルである。確かにテスはロボットだからゾフィアに化けるのは人間が人間に化けるよりは楽かも知れないが、だからといってそんな簡単に欧州連合のトップに近づけるのだろうか、というのが不思議。

 最後にチオペンタールという昏睡状態に陥らせることのできる薬を、ブラック・チャンセラーの臀部に注射したテスは、救急車でブラックチャンセラーを運びだし、アジトに連れていくと、ブラック・チャンセラーに過去3年間に公布したフェデレーションの全ての法律にNLP(No Longer Applied)、つまり無効宣言を出すことを命じる。勿論、それに逆らえば命を失うことと引き換え条件である。

 しかし、その最後のブラック・チャンセラーの台詞は;

「いい。あの女、実にいい味、出している」

 である。

 つまり、今後のブラック・チャンセラーのテスあるいはゾフィアへの巻き返しがあるという予告なんだけれども、それにしても、なんでこんなにストーリー展開を急激にしなければならないのか。

 特に、第3章、第4章の展開のアッサリ感は、何なんだ。ブラック・チャンセラーはヨーロッパの首相に当たる人なんでしょう。だったら、そんなに簡単な警護におかれているわけないじゃん、というのが基本的な問題。

 ここのリアリティがないと、その後の全ての部分においてのリアリティがなくなって、読んでいても面白い展開にならないんだよなあ。 

 なあんだよ、そんなマンガじゃないぜ、ということで……。

 ということで、やっぱり残念なKindle Direct Publishing なんだよな。

 確かにメディアの出始めの時は玉石混交はやむを得ないという話を、3月9日に作家の志茂田景樹氏としたばかりだけれども、もうちょっと玉石混交までいってほしいもんだ。石ばっかりってのもねえ。とちょっと残念。

 ①だけ読んで批判して、後は読まないってのもなんなんで、とりあえず、②までは読んでみるけどね。

2013年3月12日 (火)

Fitbit weekly stats from Mar.4 to Mar.10

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暖かくなってきて、だんだん活動的になってきた。

『「不労所得」のつくり方』って、実は「苦労所得」だったりして

「不労所得」って、なんて響きのよい言葉だろう。

 別に私たちが生きている世界は資本主義社会なんだから、「働かざる者、食うべからず」なんて社会主義的な考え方はする必要なんかはない。働かなくても生きていける人は「積極的に働くべきではない」そうやって、働かなければならない人のために、職を提供すべきではないのか?

一生好きなことをして暮らすための「不労所得」のつくり方』(吉川英一著/光文社文庫/2013年2月20日刊)

 なあんてことを書いたけれども、そうそう「不労所得」って、得るのは楽ではないのだ。

 例えばアパート経営について吉川氏は書く。

『都会の表面利回り10%の物件は、たしかに空いてもすぐに埋まるのでしょうが、地方の高利回り20%物件を満室経営できる大家さんには、収益力ではかなわないと思います』

 そう、首都圏で表面利回り20%なんて物件はまずない。大体が10%以下か、10%を超えても、12~3%がせいぜいだ。となると、アパートのメンテナンスにもお金はかかるし、何かあって借り手からクレームが出ればそれに対処しなければならない。また区分所有のマンションを買ってそれを貸すという場合には、マンションの管理費や修繕積立金なんかはバカにならない金額になる。

 やはり今年1月1日のブログ「『300万円で大家になって地方でブラブラ暮らす方法』はまさに田舎ならではの方法論だが」で書いた通り、この本の著者、加藤ひろゆき氏は北海道在住だし、本書の著者、吉川英一氏は富山県在住だ。つまり、両者に共通する「田舎、それも相当の田舎暮らし」ということがポイントになるのかもしれない。

 私も一時期所有するマンションを人に貸していた時期があるのだが、約20万円位の家賃をとっても、管理会社への手数料や管理費、修繕積立金、固定資産税なんかでおよそその半分は消えてしまうので、実際の収入は年間100万円ちょっと。別にマンションのローンがあるわけでもなかったし、会社員としての収入もあったので、困ることはなかったけれども、それで生活できるような甘い話はないってこと。

 それでも不動産収入(アパート経営)で不労所得を得ようというのなら、本書からいえることは以下の通り。

・高利回り物件にこだわろう!
・減価償却のメリットを活用しよう!
・都会の利回り10%程度の物件では、キャッシュフローがまったく出ない!
・地方の高利回り物件は投資効率がいい!
・まずは中古物件から!
・区分よりも一棟ものを!
・RC造よりも木造。それも2階建てが狙い目!
・木造のほうがRC造よりも減価償却費が多い!
・リフォームは自分でできることは自分でやろう!
・空き室対策は管理会社と共同で考えよう!

 といったこと。さらに私が加えるならば

・なるべくローンは組まずに、自己資金でできる範囲で!
・首都圏は捨てて、田舎に住もう!

 ということである。

 つまり、加藤ひろゆき氏の方法が究極の不労所得の得かたであるということ。吉川氏はアパート経営を始めて2年で不労所得で生活していける状態になって、サラリーマンを辞めたそうだが、加藤氏は初めから自己資金でアパート経営を始めている。吉川氏は銀行からの借入金で始めている。どちらがいいのかと言えば、当然借入金なしで始めた方が、最初から収入の全額が収益になるわけだから、その方がいいに決まっている。

 吉川氏も最初はいろいろと失敗を重ねているようだ。まあ、最初はどんなものでも失敗から初めて、数年たって(人によっては10年くらいたって)なんとかその仕事で食っていけるようになる。まあ、それがフリーランスの仕事の基本であります。

 しかし、考えてみると、これって不労所得なんだろうか。借入金の返済は「仕事」じゃないのか? アパートのメンテナンス、リフォームは仕事じゃないのか? まあ、サラリーマンのように「時間に縛られている仕事」でないことは事実であるけれども、アパートの借り手からクレームがあったら、即対処しなければならない。

 まさしく本書でも触れている「狼旅団の地下に潜った投資ブログ」に書いてある通り「『大家業は不労所得ではなく苦労所得』は大家さんを目指す方なら朝晩1万回唱えてほしい呪文です」なのでありました。

 もうひとつ、本書にはデイトレーディングのことも書いてあるが、まさしくデイトレこそは「苦労所得である。

 だって、デイトレで年間数千万稼ぐ人なんて本当にごく一部。月に20万円稼いで年間240万円。ということは日に平均10,000円は稼がなきゃならない。ということは、時には損(それも大体が大損である)することも考えると、1日に数万円稼がなきゃならない。そんなのはまず無理だし、かなりの苦労が伴う。

 ということなので、割愛。

 しかし、大半の人は源泉徴収という罠にとらわれて生きていくしかないのだ。

 勿論、挑戦することは尊いのだから、やる価値は否定しないが……。

 

2013年3月11日 (月)

時の鐘と蔵のまち川越散歩カメラ by Rolleicord

 Rolleicord(ローライコード)はFranke & Heidecke社が1928年に発表したRolleiflex(ローラーフレックス)の廉価版として1933年に発表したカメラである。

 これを撮影したのはローライコード Ia-1型といって1936年に発売になったモデルである。フィルム送りのストップ機能がついて、フィルム窓を見ながら巻き上げなければならないローライコードI型よりは多少速写ができるようになったカメラなのだ。

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 この速写性に目を付けた報道関係者がこのカメラを使い始め、この60mm×60mmというブローニーサイズが普及することになった。当時はまだ乾板カメラがまだ主流で、このサイズのカメラですら小型カメラなのであって、35mmのライカとかなり張り合った時代でもあった。

 この、「ロールフィルムを使う速写・小型カメラ」を普及させたのは、第二次世界大戦中の戦争カメラマンたちであり、ロバート・キャパもライカとローライフレックスを使っていた。で、キャパはもっぱらライカ(DⅡ)を、ゲルダ・タローがローライを使っていた。

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 しかし、速写と言っても、ローライのファインダーは当然ペンタプリズムなんかは付いていないので、左右は逆像になる。ので被写体が右に動けばファインダーでは左に動くわけで、動く画像を撮影するにはちょっとコツがいる。つまり戦争カメラにはあまり向いていなかった、ということ。

 ために次第に戦争カメラはライカやコンタックスなどのレンジファインダーカメラになっていった。それには連続12枚対連続36枚というロールフィルムの撮影枚数の問題もあったのかも知れないが。

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 私のこのローライコード Ia-1型は、しかし、私が購入したカメラではない。いくらライカが好きだからと言って、それはライカの完成度が好きなのであって、別にクラシックカメラ趣味はないのだ。

 このカメラは妻の父親の形見のカメラなのだ。と言っても、義父が12才の頃のカメラなので、もしかしたら義父の父親譲りのカメラなのかも知れない。義祖父は医者でドイツに留学していた時期があったそうなので、多分、その可能性は強い。

 ただし、義父がそれをせしめていたことは十分考えられる。なにせ、義父は今で言う「オタク」みたいな人だったからね。

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 しかし、このカメラについているカール・ツァイス・トリオター7.5cm というレンズはなんとまあ味のあるレンズなのだろうか。フィルムを詳細に見ていると、結構ピントはシャープであるが、ボケている部分になんか時代が写っている。

 なんか2013年の川越が、どこか1936年(昭和11年)の川越のような雰囲気で写っているではありませんか。

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 まさに時代まで写し撮るような味のあるクラシックカメラなのでありました。

Rolleicord Ia-1 Carl Zeiss Triotar 7.5cm F4.5 Tri X @Kawagoe (c)tsunoken

2013年3月10日 (日)

朗読っていう本の読み方があるんだ…と再認識

 普通本を読むときには「黙読」である。声を出して読むことなんかない。

 というか、小学校で先生に指されて本を声を出して読んだ時以来「朗読」なんてものはした覚えはない。

 ところが、世の中には「朗読サロン」みたいなのがあって、それの発表会っていうのがあるのだ。

 そんな朗読サロン“Green Heart Station”というところの発表会が昨日、四谷のレストランで行われたので、覗いてきた。

 で、「朗読」ってのは何だ。

Dscf6571_0803p会の主宰者でもある大場由江さんの福島訛りの「山姥」のお話はなかなか聞かせた。福島訛りが良かったのか、大場さんの喋りが上手かったのかは、私にはよくわからないが。

 童話や昔話、詩なんかを声を出して読むのを聞く、ってのもなかなか面白い経験である。まあ、一種のソーシャル・リーディングとも言えるわけだし、芝居みたいなもんだという見方もできるかもしれない。

Dscf6587_0819p本日のゲスト、声優の市川和也(本日の口座名は春風亭一二三)さんの落語「金明竹」はマクラなして突如始まる。

 市川氏は同じ声優の『サザエさん』のマスオ役で有名な増岡弘氏の弟子であり、この朗読サロンの先生でもあるそうだ。

Dscf6590_0822pそして本日のもう一人のゲストは、直木賞作家であり、いまや「よい子に読み聞かせ隊」隊長の志茂田景樹氏。

 いまや志茂田氏は作家業よりも、こちらの童話、絵本の読み聞かせ活動の方で有名なくらい。しかし、あいかわらずカゲキなお姿ですなあ。

Dscf6597_0829pで、本日の登場者全員集合。右から志茂田景樹氏、大場由江(「三枚のお札」日本昔話)、佐川かすみ(「クモンの空」吉原幸子)、藤平真菜(「聞く、笑う、ツナぐ。」高島彩)、矢崎仁美(「嫌いなわけ」吉平、「油断大敵」大原久道)、牧野恵奈(「詩「宝石館」より、寺山修司)、吉武佐紀子(「夢十夜 第三話」夏目漱石)、尾本健(「それまでの人生とは、直角に違った方向に歩いていく」茂木健一郎)、と影に隠れて見えない山口佐知子(「海苔巻きの端っこ」向田邦子)のみなさん。

 まあ、普段は黙読している本を一度声を出して読むと面白いことが起きそうな気がしてきた。

 とは言うものの、それはやはりストーリーのあるものの方が良いかも。私のようにノンフィクションというか、新書やビジネス書、社会科学関係の本なんかを大声を出して読んだら、なんか変な奴がいると思われそうだし、それこそ声を出して読んだらちょっとヤバい本もある。でも、尾本氏なんかは茂木健一郎だしなあ、そんなこともないのかなあ。

 まあ、そんな声を出してもいい本を、今度は探してみようかな。

Dscf6603_0835p本日の朗読会が開催された四谷三栄町のRistorante Kamiya

Fujifilm X10 @Yotsuya, Shinjuku (c)tsunoken

2013年3月 9日 (土)

 新大久保・森山大道(風)写真 by Contax T2

 2月21日のブログ『浅草過去景』でもって目覚めたわけではないが、なんかハイエンドのコンパクト・カメラ(って言語矛盾なんだけどね)で撮影する面白さを感じてしまい、新大久保でノーファインダー撮影を試みた。

 勿論、ファインダーで見て(って見てないか)撮影したものも多いのだが、以下の写真はすべてノーファインダーでとったものである。

 まあ、この辺が(高級とはいえ)コンパクトカメラのいいところで、ファインダーを覗かなくても、まあ普通に写真は撮れてしまうのだ。というか、今のカメラなら高級じゃなくてもとりあえずすべてのカメラはノーファインダーで撮れてしまう。フォーカスと写真の明暗はカメラが決めてくれるからね。

 あとはアングルだけがカメラマンが決める、ったってそれをしもノーファインダーで撮るんだったら、もうまったくカメラ任せっていうことなのか、と言えばそうでもない。

 やはり、撮る対象は写真家が決めているのだ。で、自分ではそれが「大道写真」だと思っていたのだが。

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 まあ、森山大道師匠には比べようもないですね。

 なので、「大道写真」じゃなくて「大道(風)写真」。

 でも森山大道大師の足元にも及ばない自分をそこで見るわけです。

 要は、被写体を見る眼のシャープさの違いかな。

 私も名刺には「写真家&著述業」と書いているが、それは名刺だけの話。さすがに写真だけで食ってきた人の鋭さは、我々凡人とはだいぶ違うのだな。たかだかブログ用の写真を撮っているだけの私とは大違いだ。

 もっと、精進せねば……。

 で、この新大久保。今やコリアンタウンとして超有名だけれども、昔は(といってもたかだか20年前位)どちらかというと、新宿歌舞伎町の裏町として、中南米から来た女の人たちの街娼街だった。

 歌舞伎町の裏町で、ラブホテルが沢山あった新大久保は、当初は東南アジアから来た街娼がいたが、日本人男の西洋主義というか欧化主義というかに合わせて、そのうちペルーやコロンビアから来たスペイン語を話す女の人たちで一杯になり、新大久保で山手線を降りて、大久保通りから脇に入った道に行くと、すぐさまそんな中南米の女性がカタコトの日本語で声をかけてくる状態だった。

 その後、大久保通りでは韓国料理店がだんだん増えてきて、そのうち、そんな韓国料理店の繁盛を聞いた韓国の人たちが次第に増えてきて、今のようなコリアンタウンになっていったわけである。

 まあ、コリアンタウンになって、それまでのヤクザが仕切る街娼街ではなくなったわけで、新宿区としてはOKなのであろう。今や韓国人のお蔭で新大久保は健全な街である。

 もう日本のオバサンたちが闊歩する新大久保なのである。

Contax T2 Sonner 38mm/F2.8 400TX/NEOPAN SS @Shin Okubo, Shinjuku (c)tsunoken

2013年3月 8日 (金)

『インターネットを探して』も、そこには何もない。それがインターネットだ

「インターネットがどこにある?」なんて疑問は普段は気にしない。インターネットという言葉が既に死語に近いものになって、「ネット」とか「ウェブ」という呼び方が普通になってからは特にそうだ。

 著者のアンドリュー・ブルームもそうだ。ある日、彼の家のインターネットが止まった。それも可愛いリスが彼の家のケーブルを齧ってしまった、という理由で。その時、彼は「インターネットがどこにあるのか」という疑問を持って旅に出るのであった。

 確かに「あって当然だと思っていたもの」がなぜそこにあるのかについて疑問を持つのは、その「あって当然だと思っていたもの」が、突然なくなってしまった時だ。私がそのような気分になったのは、先月、突然パソコンの画面に「インターネットに接続していません」という表示が出て、ネットに接続できなくなった時だった。ルーターの電源を入れたり切ったりしているうちに、それは回復したのだが、一時はどうなるのかと途方に暮れたものだった。

『インターネットを探して』(アンドリュー・ブルーム著/金子浩訳/早川書房/2013年1月30日刊)こういうタイトルなんだもん、当然Kindle化はありですよね、早川書房さん!

『1994年、ぼくは高校を卒業し、電話回線をつないだうちのマッキントッシュの前にえんえんと座って、アメリカオンライン(AOL)の掲示板とチャットルームを探索しつづけた。そして、その年の冬のいつか、父が3.5インチの小さなフロッピーディスクにはいった“モザイク”という新しいソフトウェア――はじめてのウェブブラウザ――を買ってきた。天気のいい週末の朝、ぼくは物理の宿題をほっぽりだし、電話線に部屋を横切らせ、父と一緒にダイニングテーブルに座って、モデムが遠くのコンピュータと接続しようとして信号を送っていることを示すかん高い音に耳を傾けた。母は手にした新聞ごしに、渋い表情でぼくたちを見ていた。画面に、短い選択肢のリストがあるアメリカオンラインのメニューでなはなく、中でカーソルが点滅している空っぽの“アドレスバー”が表示された――それがぼくたちのデジタルな旅の最初の出発点だった』

 という文章を読むと、会社でスタンドアローンの内臓HDDが120MB(!)のPower Book 150を自費で買って使っていた私が、自宅用に一体型筐体のPower Macintoshを購入し、当初はゲームソフトなんかをスタンドアローンで使っていたのだが、「パソコン通信」というものがあることを知り、当時数少ない個人ユーザーのためのパソコン通信サービスNifty Serveに電話回線を繋いでピリリリリ・プルルルルというモデムの音を聞いていた頃のことを思い出した。それが私が初めてネットの旅に出発した思い出である。

 アンドリュー・ブルームはそうして、そんな「インターネットがどこにあるのか」を探ろうと旅に出るのだった。

 しかし、どこを旅しても、どこを訪れても、そこにはインターネットはない。単なるビットの移動が、それも膨大なビットの移動があるだけである。

 アメリカのいくつかのインターネットエクスチェンジ(IX)を訪れても、アメリカの東海岸とイギルスの西海岸という、アメリカ大陸とユーラシア大陸をつなぐ接点をのぞいても、ヨーロッパ最大のトラフィック量を誇るアムステルダムのインターネットエクスチェンジを見に行っても、ケニアのインターネットエクスチェンジを見に行っても、そこにあるのは単なる交通整理のような、整然とした、毎秒何百ギガビットという光のオン(1)・オフ(0)でしかない。というよりも、そんな素早い光のオン・オフなんかは人の目には単る光の流れにしか見えないということなのだ。

 要は光ファイバーとルーターがあるだけであり、そこには何もない。というよりも、重さを感じるものはファイバーケーブルとルーターだけであり、肝心のそこに流れる情報は何の重さもない光の流れにすぎないのだ。

 そんな数か月もかかった旅の果てにアンドリュー・ブルームが辿り着いたのは、オレゴン州にあるGoogleとFacebookのデータセンターだった。その二つのデータセンターは対照的だった。つまり、あくまでも秘密主義を押し通すGoogleと、すべてにオープンなFacebookであった。しかし、その秘密主義とオープンの違いがそこに置かれている機器に関してどう違うというのだろう。結局は、同じようなサーバーのハードディスクの幾重にも重なったものであるにすぎない。

 結局、アンドリュー・ブルーム自身が書く通り、オデュッセウスと同じくして、『旅をほんとうに理解できるのは家にもどってからだ』ということ。「幸せの青色い鳥」は実は身近なところにいた、というお話なのであった。

『ぼくが家にもどって気づいたのは、インターネットは現実世界でも仮想世界でもなく、人間の世界であるということだった。インターネットの物理インフラには多くの中心が存在するが、ある特定の観点から見れば中心はひとつしかない。あなただ。ぼくだ。特別な存在ではないぼくだ。ぼくがどこにいようと、あなたがどこにいようと』

 って、まさしくメーテルリンクやホメロスの世界なのであった。

2013年3月 7日 (木)

Fitbitから1,000 lifetime kilometer badgeが来た!

 Fitbitからまたまたモチベーションアップのためのご褒美が来た。題して、「1,000 lifetime kilometer badge」

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 昨年の9月30日にFitbit Ultraが届いてからなので、5か月余。毎日10,000歩くらいを歩いていれば、当然その位の距離にはなるわけで、まったく不思議じゃないんだけど、なんか1,000kmっていう具体的な数字を目にすると「えっ? そんなに歩いたの?」っていう感じ。

 ふうむ、毎日の積み重ねっていうところでしょうか。

一人一票裁判「昨年衆院選は違憲」の東京高裁の判決出る

 東京高裁は、昨年12月の衆院選で最大2.43倍の一票の格差があるのは憲法違反だとして、東京1区の選挙無効を訴えた裁判の判決を3月6日に下した。難波孝一裁判長は「選挙自体は違憲だが、選挙無効の訴えは棄却」という判断を示した。

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 つまり、最高裁が以前判断した「違憲状態」のままの区割りで選挙に突入した昨年12月の衆院選に関して、「十分な時間があったにも関わらず何もしないで衆院選に突入した」国会の姿勢を批判したことになる。

 選挙無効訴訟は高裁が1審になり原告が上告すれば最高裁で審理されることになる。昨年末の衆院選に関しては全国14の高裁・支部に計16の選挙無効訴訟が起こされており、その最初の審判が昨日東京高裁で下されたわけだ。

 最大2.30倍の格差が生じた平成21年度選挙に関して、最高裁は平成23年3月に「違憲状態」であると判断し、47都道府県に1議席ずつを割り振った上で残りを人口比例して配分する「1人別枠方式」が格差の要因であり、できるだけ速やかに廃止すべきだと求めたのだった。

 それを受けての今回の訴訟だった。

 昨年末の国会では、小選挙区の定数を「0増5減」とする選挙制度改革関連法案が可決したが、区割り作業は進まないまま衆院選が実施された。

 当日、有権者数に基づく最大格差は、千葉4区と高知3区で2.43倍になった。ということで起こされた今回の訴訟である。

 原告側は「人口比例に基づかない区割りで行われた選挙であり、憲法に違反し無効だ」と主張したのだが、都選管側は「区割り全体を見直すには期間的に不十分だった。格差是正のための具体的な立法措置も行われた」として請求棄却を求めていた。

 要は、「選挙は違憲状態で行われた選挙で無効であるが、選挙結果は有効であり、当選議員はそのまま議員をやっていてもいい」という、訳の分からない玉虫色の判決なのであった。

 それはないよな。ということで当然これは上告することになった。

 本来論で言ってしまえば、「違法な選挙で選ばれた人は、やっぱり違法な存在なのだから、即クビ」だろう。じゃあ、選挙違反をしても当選しちまえば議員をやっててもいい、という理屈である。

 ところが、昨日の東京高裁判決はそれを是としているわけだ。

 これからは、選挙クルーがいくら選挙違反したって、当選した議員は大手を振って議員をやってていい、という時代が来るんだろう。

 こりゃあ選挙の暗黒時代の到来だ。国会議員にさえなってしまえば、何でもできるって訳ですね。

 まったく、無責任な「当事者意識を欠く」難波孝一東京高等裁判所裁判長なのであった。

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 正規のビザ発給を求め、チャーター機での強制送還に反対する在日外国人のデモがあったり、なかなか賑やかな昨日の東京高裁・地裁前であった。

 しかし、私もヒマですね。

Nikon D7000 AF-S Nikkor 18-105mm @Kasumigaseki (c)tsunoken

2013年3月 6日 (水)

西高島平の煉獄エロイカ

 吉田喜重が『さらば夏の光』『エロス+虐殺』と続けて日本アートシアターギルドの観客動員最低記録を塗り替えていた時に、さらに塗り替える作品となったのが『煉獄エロイカ』である。もっとも、それはすぐに田原総一朗と清水邦夫が共同監督した『あらかじめ失われた恋人たちよ』で破られるのだが……。

 その『煉獄エロイカ』の撮影の場所になったのが、この都営三田線の終着駅(どんづまり)西高島平駅付近である。

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 当時は三田線は高島平駅までしか運行しておらず、今の新高島平駅、西高島平駅は本来は東武東上線の一部として作られる予定だったものが、東武鉄道側の心変わりで作られなくなってしまい、東京都が免許を取り直して建設したという逸話がある。

 映画の撮影当時は、高架線の橋脚だけは出来ていて、しかし、周囲にはなにもなく、まさしく「世の中のどん詰まり」「東京の最果ての地」というイメージの場所だった。事実、そこから先は埼玉県和光市だからね。

 そんな「何もない場所=空白の地」という、それはまさしく戦後の六全協以前の、日本共産党の武装闘争路線の総括を巡って、不毛の論争を続けるこの映画の舞台に相応しいものだった。ということで、映画に敬意を表しモノクロ写真で(映画はモノクロだった)お届けします。

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 西高島平駅の前を走るのは笹目通なのだが、当時はこんな道あったのかなあ。と思って調べてみたら、笹目橋を通る新大宮バイパスも、当時は戸田漕艇場に行くオリンピック通りと呼ばれていた笹目通も既に開通していた模様。ただし、今のようなトラック通りにはなっていなくて、極めて交通量の少ない道だった筈だ。
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 まさにどん詰まりのどん詰まり。延伸計画もなくはないようなのだが、この先は埼玉県になってしまうので、東京都は資金を出すつもりもなく、捨て置かれている。

 ここから先が「地獄」、ここより向こうが「天国」で、ここが「煉獄」。

 で、駅の左奥に見えるのがトラックターミナル。このおかげで現在の笹目通のトラックの交通量はすごい。

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 当時は、こんな高架下の空間がたくさんあり、そこがロケ現場だった。まさに空白の場所。橋げたの上は有用だが、下は無用の地。空白の論争を繰り広げる場所には本当に相応しい。

 今でこそは周囲にも家が沢山並び、高架下も店や倉庫などで詰まっているが、まさしく当時はまさしく「最果ての地」という感じだった。

 う~ん、さすがに助監督や製作担当はいい場所を探してくるもんだなあ。

Fujifilm X10 @Nishi Takashimadaira, Itabashi (c)tsunoken

2013年3月 5日 (火)

Fitbit weekly stats from Feb.25 to Mar.3

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 ちょっと目標に到達せず。残念。

 暖かくなってきたので、今週はもうちょっと頑張らねば。

「終活」って「就活」と同じ音なんだけど、100%違う意味なんだよなあ

 日曜日(3/3)は日経カンファレンスルームで行われた、日経CNBCセミナー『いま考える、後悔しないための“終活”』を受けてきた。

 要は、「どうやって死ぬか」という話である。

 そうなんだよな。サラリーマンとしての人生を終わってみれば、後に残されているのは「どうやって死ぬか」というテーマだけなんだよな。あと10年か20年か30年か分からないけれども、確実にやってくる「死」という問題。その時に「子や孫の世代に、いかに迷惑をかけないで済む死」または「いかに国に余計な税金を納めないで済む死に方」というテーマなのだ。

 最初の登壇者は写真家の浅井慎平氏。司会の日経CNBCキャスター・小川まどかさんとの話の「噛み合わなさ」が実にすごい。

 なにしろ方や75歳の「老練」、方や35歳の「若輩」である。「若輩」の側はとにかく本日のテーマ『豊かな人生を送る秘訣。良いエンディングとは?』とサブテーマ「人生の後半をデザインする、編集する」「自分と向き合う」「本当の豊かさとは」などの方向に話を持っていこうとするのだが、「老練」はそんなことは全く気にせずに勝手に話を展開させてしまう。従って、話は小川まどかさんの思惑とは全然異なった方向に向かって進んでいくのだが、しかし、そこは「老練」意外とツボは抑えた話にしていくのである。

 いわく「60歳になった時に“時間がない”と思ったのだが、70歳になった時にはそんな意識はなかった」、「歳をとってくるとだんだん我儘になる。例えばパーティーなんかの案内状をもらって出席で返事をしても、当日になると面倒くさくなって結局行かなかったりする。それで後悔したり、世間が狭くなってきたり」、「自分に正直に生きるということは、生きづらくなるということ」などなど。

 小川まどかさんが「若い人が先輩に教えを乞う時には?」という問いを発しても「若い人たちが先輩から何か学びたいとは考えていないんじゃないか。今やコンピュータの時代になってしまっており、何かわからないことがあるとコンピュータに聞くだけで、年寄に聞くなんてことはなくなってしまっている。時代の進歩も早くなっており、年寄の知恵では追いついていかない」とつれない。

 一番受けた話は「シャブリ・ワインができるシャブリ地方は牡蠣の化石があるところ。だから牡蠣に合うワインができるのだ、という話をどこかの雑誌に書いたら、シャブリ・ワインを輸入している会社の社長からワインをたくさんいただいた。しかし、最近は送ってこない」という話。まあ、食い物の話は一番受けるという典型である。

 しかし、コンピュータが生まれる前の人間は優秀だった。それがコンピュータができてから人間は劣化し、「豊かなものに触れる機会」は減少し、今の文明・文化はすごく底が浅い、という文明批評はなかなか鋭いし、社会の仕組みがバラバラになってしまったことが心配、という結論になってトークショーを終えるというあたり、やはり「老練」ではあるな、という気にさせる。

 浅井慎平氏のトークショーの後は、東本願寺浅草浄苑の部長、長嶋尚仁氏の永代供養墓の話、須藤石材常務取締役、加藤雅久氏のお墓探しの話、税理士法人安心資産会計代表の税理士、高橋安志氏の相続税法改正に関する話、日比谷花壇葬儀プロデューサー、金澤和央氏のお金をかけないお葬式の話、とまあ多分ノーギャラのセミナーであろうから、もっぱら自分の会社の宣伝なのであった。

 まあ、無料セミナーなんてものはそんなもの。

Dsc_0005_0540ひときわ大きな三つのビルは、左から経団連ビルとJAビルと日本経済新聞ビル、この三つのビルは下半身で繋がっているんだよな。これって「意味深」(?)。

IS03 @Otemachi, Chiyoda (c)tsunoken

2013年3月 4日 (月)

『フライト』の限界は、ハリウッドの限界、キリスト教の限界、ロバート・ゼメキスの限界かも

 映画とはちょっと関係ないけど、こんなアル中でジャンキーなパイロットが普通に飛んでいるんだとしたら、アメリカで国内線に乗るのは実は怖くなったりして。

『フライト(FLIGHT)』(監督:ロバート・ゼメキス/脚本:ジョン・ゲイティンズ/製作総指揮:チェリーレーン・マーティン/製作:ウォルター・F・パークス、ローリー・マクドナルド、スティーブ・スターキー、ロバート・ゼメキス、ジャック・ラプケ/主演:デンゼル・ワシントン/日本公開:2013年3月1日)

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 映画のテーマは航空機の墜落事故なので、実在の航空会社、航空機製造会社は使えない。で、デンゼル・ワシントン扮する主人公ウィップ・ウィトカー機長が搭乗する航空会社サウスジェット 227便の機材はJR-88ということになっている。しかし、このJR-88は間違いなく、2000年にサンフランシスコ国際空港へ向かっていたが、スタビライザー(水平安定板・水平尾翼)が過大な機首下げ状態に陥って、ロサンゼルスに近い海に墜落して乗客全員が死亡した、アラスカ航空261便のMD-83であることは間違いない。何しろこの事故と全く同じ状態になって、だからこそウィトカー機長は背面飛行を実施し、墜落を防止し、胴体着陸に持ち込んで、102人のクルーと乗客を「たった」6人の死亡というだけの結果をもたらしたヒーローになったのだから。

 脚本のジョン・ゲイティンズは1999年にこの映画のアイデアを思いついてそうだが、それから10年以上の時間がたっている。ということは、その2000年のアラスカ航空の事故をアイデアに取り入れていることは想像に難くない。

 このJR-88もMD-83と同じ、リアエンジンでハイマウントされたスタビライザーを持っている、近距離専門の旅客機である。普通ならばもうちょっと大きい機材の機長になり、ワンフライトはもうちょっと長い距離にはなるけれども、「3日で4往復」するような過重な労働に就くはずのない60間近の老パイロットだ。それが未だに、そんな1時間や2時間程度の近距離便にしか乗らないということ自体に何か、彼についての問題があるのではないだろうか。つまり、会社も彼がアル中でジャンキーであることを承知して雇っていたのかもしれないという。

 つまり、アメリカでは国内線それも近距離便なんて、もはやバスに乗るのと同じ感覚なのだろう。そんな感じは既に30年前からそうだった。そういえば、ニューヨークから成田に帰ってくる便の機長も、この映画と同じ、アメリカンフットボール・ネタのジョークを言っていた。勿論、パイロット・ルームからであり、乗客の前にまでは来ていなかったが。

 事故調査の公聴会での話。クルーのアルコール調査を行った結果、ウィトカーと付き合っていた客室乗務員のカテリーナ・マルケス(ナディーン・ベラスケス)の体からだけアルコール反応があった。つまりウィトカーのアルコール反応は弁護士ドン・チードル(ヒュー・ラング)によって揉み消されていたわけで、そのままギャレーのゴミ箱から発見されたウォッカの空き瓶を、アルコール依存症の前歴があり、事故で死んでしまったカテリーナの物だといってしまえば万事OK、ウィトカー機長は無罪放免になったにも関わらず、なぜかウィトカーは自らの飲酒を告白してしまう。

 何故だ? というのが私の疑問である。それは「ハリウッド映画だから」というのが、やはり私の結論でもあるのだが、つまり、そこにはやはりキリスト教の壁があるのだ。

 なにしろ「嘘も方便」というのが、我が日本民族のビヘイビュアである。

 別にそれは嘘を擁護しているのではない。当然、日本人であっても、基本的には「嘘はいけない」という教育を小さいころから受けている。しかし、そこで嘘をつけば皆が幸せになるのであるならば、そんな嘘はついてもいい、というのが大人の日本人の判断である。そんなところで本当のことを言って、誰かがその犠牲にでもなったとしたら、「空気を読めない奴」ということになってしまう。

 つまり、公聴会でウィトカーは真実を求められたのではない、エレン・ブロック調査官(メリッサ・レオ)はウイトカーに対し「あなたの見方は?」と聞いたのである。そこで、彼が「もしかしたらカテリーナかも知れない」と一言っても別に偽証罪にはならない筈だし、そうすれば航空会社もパイロット組合も弁護士も皆幸せ、万事丸く収まって一件落着、悪かったのは航空機製造会社だけ、というハッピーエンディングになる筈だった。なにせ「死人に口なし」っていうのも日本語だからね。

 ところが、なぜかウィトカーは自分が酒を飲んでいた、麻薬もキメていた、飛行機が落ちたのは私の責任ではないが、事実は事実と認めちゃうんだなあ。

 つまりこれ「嘘をつくことは罪」というキリスト教の考え方があるというのがその結論。

 やはり、ハリウッド映画はキリスト教に忠実でなければいかん、という基本的なアメリカ人の発想がそこにはあるんだな。

 え、じゃあアメリカ人は絶対嘘はつかないいんですか? って、何を言ってるんですか、アメリカ人なんて嘘のつきっぱなしじゃないですか。

 つまり、これは「映画という別世界のお話」だけの問題。

 まあ、この辺がロバート・ゼメキスの限界であるな。所詮、ハリウッド的価値観でしか映画を作れないという、ハリウッド人士としての限界。

 もしかして、それを突き破って別の展開をしたならば、ゼメキスもフランスあたりで評価される監督になれたかも知れないが、まあ、フランスで評価されても「ハリウッド的お金のかけ方映画」は作れないからね。

 まあ、ハリウッド的妥協をするのも、ハリウッドで生きていくための智慧かも知れない。

 それより気になったのは、この映画の音響ポスト・プロダクションを行ったんだろうスカイ・ウォーカー・サウンドのフォーリー・アーチストとしてクレジットされていたゴロー・コヤマという名前。

 日本人なのか、日系人なのかが気になる。

 どなたか知っている人がいらっしゃったら、教えてください。

2013年3月 3日 (日)

再び炎上したメルマガによって、見事にホリエモンにノせられたイタいネトウヨ諸君の件について

 ホリエモンこと堀江貴文氏のメルマガ『堀江貴文のブログでは言えない話』の記事が、再び炎上の対象になっているようだ。

 対象になった記事は2月18日付の以下の記事。

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【中国戦艦、自衛隊艦及びヘリに対し、射撃レーダーでロックオン】
http://goo.gl/AaFjn
 中国人も中国軍も、日本人が思っているほど日本を攻撃することに対して及び腰ではないってところが怖い。日本人は太平洋戦争での敗北が超トラウマになっている。私の世代でも祖父は戦争に普通に行っているし、祖父の兄弟は大抵が戦死している。生き残りが私の両親の世代、つまり「ベビーブーマー=団塊の世代」なわけで。生々しい戦争の記憶が未だに焼き付いていて軍人になりたいとか、戦争したいって本気で思っている人は数少ないはずである。
 が、中国は違う。日中戦争でコテンパンにやっつけられた記憶と教育、その後も文化大革命などで経済は停滞し、再度日本に経済的にやっつけられた感が強い。独裁者、毛沢東の死後、やっとの思いで経済発展が始まり、中華の誇りを取り戻しつつある。最近になって、海外で「私は中国人です」と堂々と胸を張って言えるようになったと中国人は思い始めているのだ。
 はっきり言って、多くの中国人のメンタリティは戦争で多少の人命が失われることに対する怖さ、恐れはないだろう。日本と中国では「命の値段」がまったく違うのだ。だからこそ、挑発には絶対に乗ってはいけない。私が朝生に出演した際、「尖閣あげちゃえば」と発言したことに金美齢が怒っていたが、あーいう人にノセられて命を失うなんて割に合わない。

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 私は別に堀江氏の発言すべてにおいて賛同しているわけではない。特にその新自由経済主義的な考え方には、彼の年齢的なことも含めて、賛成できない発言は多い。

 しかし、今回の中国軍艦の一部ハネ上がり軍人による、自衛艦およびヘリに対する照準レーダー・ロックオンの問題に対する冷静な反応には、大いに賛同したい。

 しかし、なんでこんな発言が炎上の元になるのだろう。というか、この発言に脊髄反射で炎上させ、「ホリエモン、中国にあげちゃば?」なんてつぶやいているヒマ人がいかに我が国に多いのかということに、びっくりしたりするわけだ。

 大体、以前にも書いたように「国境問題に解決はあり得ない」わけで、そんなことは双方の国の「心ある」政治家は知っているわけだ。国境問題を軍事で解決しようとか、国際問題を戦争で解決しようとかいう考え方が、如何にコスト・パフォーマンスが悪いかは、最近の世界情勢を見ていればよくわかること。軍需産業に乗せられてイラクを攻撃したジョージ・ブッシュJr.を見ていればよくわかることで、結果それはアメリカという世界最大の国家を疲弊させてしまった。

 更に言えば、照準レーダーをロックオンさせるというのは、本当に戦闘態勢に入っていないと、結果、自らの手の内を敵にさらすことになるそうで、今頃、自衛隊は米軍とともに中国の照準レーダーの解析に努めているだろう。「海上保安庁の船舶に体当たり」みたいなアナログなやり方ならいいが、戦時デジタル技術はお互いの国における最大の機密事項である。そう、照準レーダーをロックオンさせるというのは、まさに直後に攻撃を開始しなければいけないのだ。攻撃を開始しちゃえば、もう双方撃ち合いになるので、機密事項なんて関係ないからね。ところがそんなことを中国政府が許可するわけはない。ということで、照準レーダーのロックオンを面白半分で命じた艦長は、今頃中国軍幹部から処罰が行われているにちがいない。

 そんな、中国政府が知りもしなかった、一部ハネ上がり分子の行動に対して、冷静な対応をせよというのはごく当たり前のことであって、そんな挑発に乗れという考え方は、相手のハネ上がり分子と自分が同じレベルの立場になって「キャンキャン」吠えるバカ犬みたいなものである。

 しかし、なんでまた今更過去の炎上発言を再び堀江氏が繰り返したのか……ということを冷静に考えてみると……。

 つまり、『堀江貴文のブログでは言えない話』の記事が2月18日付け、で堀江氏の新刊『刑務所なう。シーズン2 前歯が抜けたぜ。ワイルドだろぉ? の巻』の発売日が2月23日。

 要は、堀江氏による新刊のための話題作り、って訳でした。

 堀江氏の挑発に乗ったネトウヨの皆さん。ご苦労さん、としか言いようはない。ていうか、なあんだそうか。というお話。

『刑務所なう。』『刑務所なう。 シーズン2』ともにKindle版もある。って当たり前か。

2013年3月 2日 (土)

『渋沢栄一 100の訓言』で英語の勉強

 本当に久々の「紙の本」である。

 2月に入って読んだ「紙の本」は、2月6日に書いた『女ノマド、一人砂漠に生きる』、2月16日に書いた金沢で買った『新 頑張りまっし金沢ことば』、2月22日に緊急UPした『キャパの十字架』の3冊だけである。それ以外はすべてKindle版で読んでいるわけで、「紙の本」は買ってはいるんだけれども、それ以前に買ったKindle版から読んでいる間に溜まってしまい、「早く読めよ」と私に迫ってきていた。

 それだけ私にとってはKindle読書が普通の体験になってきている、ということなのだ。リアル書店で面白そうな本を見つけると、まずKindle版が出ているかどうかを調べて、出ていればKindleで購入、なければその見つけた本屋さんで購入、というパターンになっている。

 で、今日のこの本も、1月30日に渋沢栄一の孫の孫である、渋澤健氏の講演を聞いて気になる本となったのだが、以外と普通の本屋さんでは見つけられずに、1週間ほど過ぎてから神田三省堂で見つけたのだが、その間にKindleで購入した本が溜まってしまい、ずっと読んでなかったのだった。

 で、昨日の「クソ本」でしばしKindle本はお休みして、「紙の本」について、今日からいくつか触れます。というか、予想通り「Kindle Direct Publishing」は、「誰でも金をかけずにできる自費出版」である以上、こうした「クソ本」が出るのはやむを得ないんだけれども。まあ、Kindle Shopで99円で買える本は、まあそんなもんでしょう、と考えればいいのだ。

『渋沢栄一 100の訓言 「日本資本主義の父」が教える黄金の知恵』(渋澤健著/日経ビジネス文庫/2010年8月2日刊)

 で、読んでいて「ほほう」となったのが、「日本資本主義の父」と呼ばれている渋沢栄一は、第一国立銀行(現在のみずほコーポレート銀行)をはじめとする500あまりの企業や各種団体の設立に携わったわけだが、実はそれ以上に約600といわれている非営利団体の設立に関わっているということ。つまり、渋沢栄一は今でいう「ソーシャル・ベンチャー・キャピタリスト」でもあったわけで、「企業で利益を得たら、それを社会に還元する」ということを実践していた人であったわけである。

 いやあさすがに明治の企業人はちがうなあ。今のサラリーマン経営者とは一味も二味もちがう経営者像である。

 で、この本なのであるが、渋沢栄一の『論語と算盤』『渋沢栄一訓言集』などから、渋沢栄一の孫の孫、渋澤健氏が拾い上げた100の訓言をまとめたもの。

 第1章「心にも富を貯えるための教え」が9訓言、第2章「行いを研ぎすますための教え」10訓言、第3章「規律を学ぶための教え」8訓言、第4章「運のつかみ方を知るための教え」9訓言、第5章「教育の理想を説いた教え」11訓言、第6章「家族と幸せになるための教え」6訓言、第7章「人と人の関係を楽しくする教え」9訓言、第8章「会社の本質を見抜く教え」10訓言、第9章「社会を元気にする教え」10訓言、第10章「世界とともに生きるための教え」8訓言、第11章「お金儲けの哲学が光る教え」10訓言の合計100訓言である。

 一つ一つについては語らない。というか、こうした「教え集」のようなものは私は好まない。なぜなら、こうした「教え集」は基本的に「当たり前」のことを並べているだけにすぎないし、一つ一つに納得したところで、それは実践を伴わなければ意味がないし、そんな意味のないことについて語ったところで、自ら何も得るものはないのだ。

 それを実際に行った渋沢栄一にとっては実に自らを律する一つ一つの言葉なのであるが、それを聞かされる他人にとっては単に抹香くさい言葉の端々でしかない。まあ、渋沢栄一の死後、ほかの人によってまとめあげられた訓言集なのであるから、それは渋沢栄一の罪ではないが、もし生前から自ら書き上げたとしたなら、それは嘘に溢れた宗教書のようなものになってしまう。

 ただ、まあこれが渋沢栄一の考え方のエッセンスであると理解できればそれでいい。多分、まとめあげた渋澤健氏もそんな気持ちなんだろう。それこそ渋澤健氏にとってみれば、自分のお祖父さんのお祖父さんが実践してきた生き方として、自らのビジネスにも大いに参考になったと同時に、そのあまりにも「基本的な様」に対して、ビジネスの実践の参考にはならない事態に、がっかりもしたことだろう。

 まあ、訓言集なんてそんなものだ。『論語』が生活の実践に役立つかといえば……、ということと同じである。

 ただし、面白いのは一つ一つの訓言について、そのエッセンスを英訳した記事が載っていることだ。小学校2年生から大学を卒業するまでアメリカで暮らした渋澤健氏である。かなりこなれた英語表現がそこには見られ、私も「ははあ、そう言い方でいいんだ」と感じられる表現が多かった。例えば『人の安宅は「仁」の一事に帰着する』(渋沢栄一訓言集)の英語表現は「Being kind to others gives yourself leeway」などというのは、さすがに成程なと思わせるのに十分だ。

 こうした英語表現の勉強にもなるというのがこの本のメリットだな。

 

2013年3月 1日 (金)

『アフィリエイトは儲からないからやめなさい』って、身も蓋もないタイトルだな。

 しかし、なんて言う身も蓋もないタイトルなんだろう。要は、自分がアフィリエイト収入を狙ってブログを始め、しかし、たいした稼ぎにもならないから、人にもアフィリエイトを狙うのは辞めなさいって、勧めるなよそんなこと。

『アフィリエイトは儲からないからやめなさい』(ブラッキー原田著/Amazon Services International, Inc. /2012年12月28日刊/Kimdle版のみ)

 著者のブラッキー原田氏はIT業界に身を置く人であるらしい。

 で、その原田氏が「お金を儲けようと考えて」アフィリエイト付きのブログを始めて、月に1万円ほど稼ぐようになったことから、ブログにのめり込んだんだが、結局最高で月に1万円しか稼げなかったので、ブログでアフィリエイト収入を得ることを辞め、そして他の人にもアフィリエイトを辞めるように進める本、なのである。

 つまり、問題はどこにあるかというと、原田氏が「アフィリエイト収入を狙ってブログを始めた」っていうところなんだなあ。順番が違う。ブログを書くのが面白くて、その結果ついてくるのがアフィリエイト収入なのではないか? 2月24日のブログ「『必ず結果が出るブログ運営テクニック100』はそれなりのブロガーには意味がある」で書いたとおり、プロ・ブロガー(ブログ収入だけで生活している人という意味で)のコグレマサト氏やするぷ氏が言っているのは『「好きなネタだけを選んで書く」こと』『無理をしない」こと』が大事であり、『ブログで収入を増やしたいとか、自己実現したいといった目標があると、「楽しむ」より「目標に向けて黙々と努力する」ことに意識が向かってしまう』として、とにかくブログを書くことを「楽しむこと」であると言っている。

 原田氏の問題はこの楽しむという点ではなく、まさしく「ブログで収入を増やしたい」という人の典型であり、まさしくそのために楽しんで書くのではなくて、いかにしてページビューやユニークユーザーを増やすか、そしてその結果、アフィリエイト収入を如何に稼ぐか、という点に目が行ってしまったのだな。

 そんな考え方でブログを書いたところで、その無理は実際のブログの文面に嫌でも表れるので、そんなブログはページビューだってユニークユーザーだって増えるわけでもなく、そうなるとその数少ない読者に向かって、如何にその少ない読者からアフィリエイトを稼ごうかということになってしまい、益々その文章は「明らかにアフィリエイトを狙った文章」になってしまって、読者からは嫌われる文章になってしまうのだ。

 つまり原田氏のブログは最初から収入増を狙ったブログとして、結局は自縄自縛に陥ってしまったという訳。

『ブログの1日のページビューが500を超えるブロガーは、それ未満のブロガーよりも、ブログを書く目的として、「発信する情報を通じて他人の役に立ちたい」や「自分の考えや感じたことを発信したい」ということを挙げた割合が高かったそうです』とするぷ氏が書く通り、ブログの本来の目的はこうした「情報」や「自分の考え方」を他に向かって発信することであり、もしそれにアフィリエイト収入が付いてくるなら、それは情報発信の「おまけ」として付いてくるものなのである。

『アフィリエイトは一見、企業もアフィリエイターも購入者もWin-Winな仕組みに見えますが、私も含め紹介している商品が大好きで勧めている人は少数だと思います』と原田氏は書いているが、そうだろうか。むしろ、そんなアフィリエイト収入だけを狙っているような「イタイ」アフィリエイターこそのほうが少数なのではないだろうか。

 むしろ、自分もその商品を購入して幸せな気分になり、他人にもそれを勧めようとしてブログを書く、その結果、それがアフィリテイト収入につながって来るんではないのか?

『アフィリエイターの95%が1万円以下、さらに1,000円以下が70%と、殆どの人が収入を得られていないのが実情です』と原田氏は書く。実際、その通りだろう。私だって、2か月で5,000円位の収入であり、小遣い稼ぎの一部にもならない位の収入でしかない。でも、何故ブログを続けるのかと言えば、それはブログを書くのが楽しいからである。楽しくなければ続けない、続けられない。そんなのが「文章を書く楽しみ」なのである。

『実際は、ブログを一生懸命書いて宣伝して、商材を選んでかなりの時間をつぎ込んでいます。
 それでいて70%の人が月1,000円以下です。時給にすると幾らだよと馬鹿らしく思ったのもあります。
 結局、内職なりバイトするなりで稼いだ方が時給は高いです』

 なんていう不純な動機ではじめるブログなんてそんなもんだろう。ブログを書く時給なんて普通は考えないもの。ブログは情報発信すること自体が面白くてやるものだ。時給換算して面白くないなんて人は、始めからブログなんて辞めた方がよい。

 ということで、現在、原田氏はアフィリエイトを狙わない普通のブログを書いている。気分はどうだろう。今の方が気分は良い筈だ。おまけに結構面白い。Appleファンなら知っていて役に立つ。

 一つだけ原田氏に不満があるとすれば、ブログに自分のプロフィール位書きなさいよということである。プロフィールが載っていないブログは「のっぺらぼう」な感じがして気分が悪い。

 原田氏の現在書いているブログはコチラ

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