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2013年1月18日 (金)

『銀塩カメラ辞典』はシロウト時代の幕開けに対する反抗なのであろうな。もう遅いけど。

「辞典」というのは一種の「実用書」である。ところが「銀塩カメラ」なんて今や実用性ゼロみたいなもんだ、それが「辞典」って言ってもねえ。

 こういうのを「笑止千万(お笑い種、臍で茶を沸かす、It would make a horse laugh.)」って言うんだよな。こんなタイトルの本がKindle版で出るわけないよね。あはは……。

『銀塩カメラ辞典』(赤城耕一著/平凡社/2012年9月12日刊)

  

 いやいや書いている赤城氏は充分マジメなんですが、しかし、今更「銀塩カメラ」についておおいに語ってもねえ、なんか最早寂しいなんてものじゃない心境ではある。

 しかし、面白いのは「あとがき」に書かれている若い写真家の話である。

『若い写真家の一部には銀塩カメラ、フィルムを使って制作を続けている人も少なからず存在するからだ。その理由をたずねてみると「面白いから」という漠然とした答えが返ってくる。デジタルよりも銀塩写真のほうが諧調がよいとか、粒状性がどうとか、色がどうとかいう具体的な回答ではないところがいい。何が面白いのかは人それぞれの価値観によって違うだろうが、私はこの「面白い」という言葉を大事にしたい』

 彼が(あるいは彼女が)銀塩カメラの何が面白いと思ったのかは単純である。つまり、現像してみなければ「ちゃんと写っているかどうか」「狙い通りの写真になっているかどうか」が分からないからなのだ。この「何が写っているかわからない」ドキドキ感が写真の面白いところであり、同時に世の中に「写真家」という職業を成り立たせてきた理由なのである。

 その意味では、今や世の中に「写真家」というものは存在しなくなってきている。写真家が撮影した映像は瞬時にパソコンのモニター上に現わされて、そこでもって編集者やアートディレクターが判断して「採用・非採用」を決めるという、それこそ1月6日のブログでドキュメンタリー映画『サイド・バイ・サイド』を紹介した際に引用したジョージ・ルーカスの言葉「デジタル技術が制作(製造)を民主化する」という、まさにそのようなメディアの製作方法が普通になってきている時代への、写真家のある種の反乱なのである。「どんな写真が写っているかは写真家しか知らない」、というか実は「写真家も分からない」という写真家の特権性を、いまやデジタル技術が排除してしまった。それに対するささやかな反抗というものが、銀塩写真なのだろう。

 しかし、その「若い写真家」であってもアサインメントの仕事(注文仕事)はすべてデジタルになっている。多分、それに対する反抗なのかな。まあ、それをおこなっても世の中は進む方にしか進まないですがね。で、アサインされなかった自分の意志でやる「芸術写真」だけは銀塩でやろうというのが、自分でしかその出来栄えを評価できない写真の世界なのだろう。つまりは、現代の仕事のやり方に対する反抗ですかね。それも、誰からも評価されない、「芸術」という世界なのである。まあ、「ゲイジツ」なんてものはそんなものかもしれない。

 問題は「モードラ」と「ワインダー」である。つまり「フィルム電動巻き上げ連続撮影装置」のこと。モータードライバーとワインダーの違いは、単に「1秒に何枚撮れるか」という違いだけで、要はモードラの方が沢山撮れるからエラい、というだけのこと。でも、これがモデル撮影だとモノゴトはどんどんいい方に行って、そのジーシャキ・ジーシャキというリズムに乗って、モデルがどんどん脱いでいってしまうという効果もあるそうな。私は経験したことないが。今週末にはニコンMD12を買おうかな。FM2用のモードラであります。

 つまり、アナログ写真時代はこうしたモードラも含めた「カメラマン偉いだろう」的なギミックに満ち溢れていた時代なのだ。それがいまのデジタル社会になって、そんなフォトグラファー専有のギミックの秘密がすべて明らかにされてしまい、それこそiPhoneで撮ってもそこそこの写真が撮れてしまうという時代になって、下手をするとフォトグラファーが撮った写真よりも編集者がコンデジ(か何かの安いカメラ)で撮った写真が雑誌に採用されてしまう時代なのだ。

 そう、もうフォトグラファー受難の時代なのであります。なんで写真学校になんていかなければいけないんだ? こうした「専門職」受難の時代は既に始まっており、もはや世界に「専門職」はいらなくなっている時代が始まっているわけだ。つまり、大学に代わる専門学校の意味がなくなってきてしまう時代。まあ、だからこそ、それが専門学校が大学に変身する理由なんだろうけれども

 ブログだって、別にもともとライターじゃない人がどんどん書いている。

 私もライターじゃないけど、そこにかなり近い世界にはいたし、その前は「映画評論家」(笑)であった時代もあった訳だ。

 こうなると、ほとんど世の中は「専門家」を必要なくなってくる時代になるのではないか。

 もう、みんな「シロウト」でOKな時代が来そうだ。

同じ赤城氏の本でこんなのもありますが、言っておくけど、赤城氏だって、仕事カメラはデジタルなんである。

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