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2013年1月14日 (月)

『工学部ヒラノ教授の敗戦』は要は日本の敗戦なのだ

 はて、コンピュータのハードウェアは工学部だろうが、ソフトウェアは工学部なんだろうか理学部なんだろうか、なんてことわからなくてもパソコンを使えちゃう現代である。

 が、まあ東大を頂点とする日本の学術世界というものが、結局は権力争いばっかりやっている権謀術数家とか権力指向族、完全な学者バカ、もしくは計算機オタクなどが学者の大半である、ということはよくわかった。

『工学部ヒラノ教授の敗戦 日本のソフトウェアはなぜ敗れたのか』(今野浩著/青土社/2012年12月25日刊)

 多分、著者の今野氏自身がこの「ヒラノ(助)教授」のモデルなんだろう。東京教育大学を解体してできた筑波大学の、成立に至る権力争いの話と、その結果日本が敗れ去ったソフトウェアの開発競争の話である。ただし、ソフトウェアの方は「結果」であるに過ぎない。問題の大半は「権力争い」の方なのだ。

 1973年に東京教育大学を解体して開学した筑波大学は『学生運動と教授会自治を退治すれば、思い通りの大学ができると考えた、文部省と大学執行部の短絡的な発想』がすべての問題の根底にある。『この単純な考え方が、“赤旗を振らなければ誰でも可”という福田副学長を生み、それを取り巻くタカ派の教員や事務官の跳梁は許すことになったのだ』。

『文部省が巨費を投じて筑波大学を作った理由の一つは、文部省の意向どおりに動く大学を設立し、これを足場に全国の大学への管理体制を強めることだった。この目的を達成するには、教授会の権限を弱めた上で、学生自治会を廃止するのが手っ取り早い。
 教授会自治の廃止は簡単である。学長や副学長を中心とする大学執行部に権限を集中させ、教授会決定を覆すことができるようにしておけばいいからである。実際この大学では、教員組織である学系が教員人事を行う際には、大学全体を統括する「人事委員会」の承認を受けることが必要とされていた。国立大学としては、前例がないルールである。
 教授会が行った人事が、人事委員会で否決されるケースは稀だが、実際に何人かの人が、(恐らくは思想的な理由で)拒否されている。
 また逆に、大学中枢の人事委員会で選定した人物を学系側が受けいれざるを得ないケースがもある。広報関係の仕事を行うために招聘された新聞記者や、山村教授のような役所の天下り、福田・中曽根人脈に繋がるタカ派評論家など、この大学ではあちこちに“特殊任務”を帯びた教授がうごめいていた』

 なんて、まさに魑魅魍魎が跋扈する特殊大学だったのだな、ということがよくわかる。さらに、『(福田副学長黙認の下に)反共思想を背景とする“原理運動”が勢力を学内で伸ばしていた』となってしまえば、そんな大学があるものかという気がしてくるが、そんなことに近いものが、実際の筑波大学であったことを想像するにかたくない。

 で、結局そんな大学にはロクな教員は来ないだろうし、ロクな教員のいない大学にはロクな学生も来ないということなのだろう。

『二流のビジネス・スクールは、二流の教員と二流の学生の集まりだということだった。年配の二流教授は、適当な“研究”でお茶を濁していた。一方、昇進を目指す助教授は必死に頑張っていた。ここで准教授に昇進できないと三流大学に転出するしかないからだ。
 三流大学の教員は、毎週六コマ以上の講義を担当させられるから、研究に割く時間はない。だから、ひとたびここに落ち込んだら、二度と一流に復帰することは出来ないのである』

『東大や京大という、東西両横綱大学からはみ出してきた、“オレがオレが”教授たちは、自らの権力を拡張せんものと、抗争を続けていた』のであるから、マトモな研究なんかはできなかったのだろう。さらに、そうした“オレがオレが”教授たちの権力の拡張は自分の子分をいかにして連れてくるかという競争だから、結局、当時新興の学問である計算機科学(ソフトウェア)よりは、それ以前からある電子工学(ハードウェア)の学者たちがどんどん増えてくるということになるのだろう。そんな既存の学問分野ばかりがのさばっていては、新規の学問分野は伸びないことはよく分かる道理なのだけれども、しかし、新規国立大学なんてものはそんなそれ以前からある国立大学の“ハミ出し”教員の行き場になってしまい、その結果、旧来からの研究分野ばかりが伸長してしまうという結果になるのだろう。

 かくして『ソフトウェア陣営の内部抗争と物理帝国の総攻撃によって、あえなく瓦解した、そして35年後の今、日本のソフトウェア科学とソフトウェア産業は、アメリカに大差をつけられてしまった』ということになるのである。

『筆者は1960年代初め、日本の計算機科学の揺籃期に、ソフトウェア教育を受けた世代に属する。この時代のわが国における計算機科学は、徹底したハードウェア重視だった。ハードウェア関係者は、ソフトウェア研究を二流の人がやること、計算機応用(アプリケーション)研究は三流の人がやることだと考えていた』

 ということだから、結局、日本のソフトウェアは世界からおおいに立ち遅れることになってしまい、今やその分野ではスタンフォード大学やカーネギー・メロン大学に大差をつけられてしまう状態なのだ。

 ソフトウェアがなければハードウェアは動かないってのにね。

 ハードウェア研究科ってそんなことすら分かっていない、バカなのか。

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