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2012年12月13日 (木)

『人生の特等席』というよりは「終着駅」だな

 クリント・イーストウッド4年ぶりの主演映画である。

『人生の特等席(原題:TROUBLE WITH THE CURVE)』(監督:ロバート・ロレンツ/脚本:ランディ・ブラウン/製作:クリント・イーストウッド、ロバート・ロレンツ、ミシェル・ワイズラー/製作総指揮:ティム・ムーア/主演:クリント・イーストウッド、エイミー・アダムス、ジャスティン・ティンバーレイク)

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 原題は「カーブが心配」とでも翻訳すればいいのだろうか、クリント・イーストウッド扮するアトランタ・ブレーブスの老スカウト、ガス・ロベルが観察する高校生スラッガー、ボー・ジェントリー(ジョー・マッシンゲル)の欠点がこの「Trouble with the curve」だったわけなのである。つまり速球には強いのだが、変化球に弱い欠点があるというのだ。しかし、寄る年波に眼を病ませてしまいあまりよく見えない欠点を支えてくれるのが、ガスの娘、ミッキー・ロベル(エイミー・アダムス)であり、ミッキーの観察でガスを助け、ブレーブスにボーをドラフトの第1位指名をしないように進言する。ところが、ブレーブスは若いパソコン使いの上昇志向のやたら強いスカウト(マシュー・リラード)の意見を取り入れてボーを第1位指名し獲得してしまう。

 たまたまボーを観察するために泊まったモーテルの息子にピッチャーの才能を見出したミッキーは、ブレーブスのスカウト主任(ジョン・グッドマン)を説得してそのモーテルの息子をアトランタに呼び、ボー・ジェントリーを得意のカーブでキリキリ舞いさせるのである。

 というお話。「人生の特等席」のお話ではないのである。とはいうものの「カーブが心配」では何が何だかわからない。で、それを心配した配給会社は、クリント・イーストウッドの最近のお得意の役柄「年取っていろいろ衰えてきたけれども、頑固に自分を貫き通す「元なんとか」が、若い娘に心を開かされることで、物語が解決する」というお約束のストーリーそのものの展開にホッとして、「三等席の人生じゃダメだ」「分かってないのね。パパと一緒に野球を観た場所は、私の特等席だった」という少々臭いセリフのやりとりから『人生の特等席』という、ちょっと恥ずかしタイトルに収まった、というところなのだろう。多分。

 しかし、こんなに野球の知識が豊富で、選手の才能を見抜く目を持っていて、なおかつ法律事務所のパートナーになるほどの法律知識がある人だったら、もはや球団のゼネラル・マネージャーになるしかないのでは、と思わせる。これで美人だったらまさしくスーパーウーマンなんだけど、エイミー・アダムスはあまり美人じゃないところがいい。

 しかし、アメリカの国際非営利団体「国際女性経営幹部協会(CWDI)」の調査によると、女性の経営幹部は女性役員割当制度という法律で「女性(男性も)役員を役員全体の40%以上にしなかればならない」ノルウェーが1位で44.2%、2位がスウェーデンの21.9%、3位・4位がブルガリアとラトビアの17%、5位がフィンランドの16.8%、そして6位がアメリカの15.2%という状態であっても、男社会のプロ野球の世界ではGMになるのはまだ難しいだろう(ちなみに日本は38位1.4%で周辺には湾岸諸国しかない)。それだけプロ・スポーツの世界は未だに「マッチョ」な世界なのである。ハリウッド映画でしばしば揶揄されるこの「マッチョ幻想」なのであるが、そうかプロ・スポーツの世界は未だに「マッチョ幻想」が生きている世界なのか。だから、男の子たちがプロ・スポーツに憧れるんだな。

 女性の社会進出が著しい北欧に比べると、未だに「良妻賢母」思想の残るアメリカでは女性の社会進出は現場マネージャー・レベルに留まっていて、経営幹部になる人は少ない。ましてやプロ・スポーツの世界では……、ということか。

 そういえば、イーストウッドの世界もそんなマッチョな世界ばかりだ。なにしろ『ローハイド』や『荒野の用心棒』『夕日のガンマン』『ダーティーハリー』なのだからね。しかし、マッチョな世界で生きてきたイーストウッドも、寄る年波には勝てず、『人生の特等席』ならぬ「人生の終着駅」に近づいている。相変わらず「頑固な年寄り」という自らの特等席を持っているイーストウッドも、次第に若い人に席を譲る年寄りにならなければいけない。勿論、年をとってきて体力的には若者に勝てない状況になってきていることも事実である。眼だって見えなくなってもおかしくない。

 とは言うものの、ハリウッドはいつまでイーストウッドにマッチョなイメージを追い続けるのであろうか。アメリカ大衆が追い求める「イーストウッド=マッチョ」像にはもはや少々無理がきている。もう少し、普通の老人の役でもやらせたらどうなのだろうか。もっとも、それも面白くないか。だとしたら、死ぬまでマッチョな役を演じ続けるのだろうな。

 マッチョなまま死んでいくイーストウッドもいいかもしれない。

 それも難しいけれどもね。

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