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2012年11月20日 (火)

『一億総ツッコミ時代』というより日本民主主義批判をしなければ

 テレビをあまり見ない私としては「マキタスポーツ」なる芸人がいることは知らなかったが、なかなかいいことを言う人だなあ。

『一億総ツッコミ時代』(槙田雄司著/星海社新書/2012年9月25日刊)

『自分では何もしないのに他人がすることについて批評、ときに批判する』という人たちの存在は、ツイッター時代になってますます増えているわけで、そんな時代の息苦しさを指摘したものだ。

 槙田氏は高度情報社会における消費者を3つの層に分ける。つまり「受動層」「求道層」「浮動層」である。

『「受動層」はかなり減ったとは思いますが、高年齢層などには依然として存在しています。情報源はテレビと新聞ぐらい。新聞も複数とって比較検討するようなことはしていません。一紙だけ読み、その一紙が「原発は安全だ」と書けば、そういうものだと信じてしまう』

『受動層の反対にいるのが「求道層」です。この人たちは放っておいても自分で情報を取りにいきますし、自分で情報を精査することもできます。リテラシーがとても高い人たちです。このような人たちは、少数ながらいつの時代も一定数います。
 オタクの中でもレベルの高いような人であったりとか、発信側にまわることができるような人たちが求道層となります』

『受動層と求道層の真ん中にいるのが「浮動層」です。いい意味でも悪い意味でも、情報に踊らされる人たちです。近年、この浮動層の人たちが特に情報に惑わされていると感じています。
 この人たちは軽めにいろいろなものをさらって、自分たちがツッコミ人格であるかのような錯覚を持っている人たちでもあります。頑張って「メタ視線」を維持し、いろいろな物事にツッコミを入れようとしているのですが、どこか無理がある。自分が求道層の気分ではあるのですが、完全になりきれているわけではないのです』

 という3つの層があって、問題はこの最後の「浮動層」なわけだ。

『浮動層は、情報を取りに行くのだけれど、処理能力が追いつきません。発信するふりをして、実際のところは右から左に横流ししているだけです。そこに一言「これはひどい」「これはスゴイ!」と感想にもならない言葉を付与して、何かを言った気になっている。インターネットは、そういう浮動層の人たちを確実に増やしてしまったと思います』

 というのがこの「浮動層」の実態だ。つまり、元々はマスコミが流した情報なのに、あたかも情報強者が何かを言っているような読み方をして、それを読んでリツイートしたり、ごく簡単で一方的なコメントを付与してツイートすることで、自分も何か言ったような気分になっているだけの、実は情報弱者が「浮動層」の実態なのである。

『何か出来事があると、ツイッターなどを使ってコメントひとつで軽くツッコミを入れる。とても手軽で、リスクも負いません。深い思慮があるわけでもなく、誰にでもできます。ワイドショーのコメンテーターは馬鹿にされがちな仕事ですが、それよりもさらに手軽でインスタントです』

 これでは自分の方は何も傷つく恐れはなく、自分は匿名性の向こう側に身をおいて、ただ単に相手を傷つけようという卑劣なやり方と何ら変わりはないではないか。何かを発信しようとするならば匿名性の中にいるべきではない。

 ところが日本におけるネット社会のあり方は、どうも2ちゃんねるやツイッターなどの匿名メディアで開放されているものが主流であるのが何か物足りない。逆にmixiやFacebookは実名主義ではあるけれども、内向きのメディアであり、ツイッターのような開放性のメディアではない。匿名のメディアであれば自分が何を言っても、自分が傷つくことはない。

 自分だけは匿名性の高みにおいて、他を批判するというのは、また更にそれが自分が発信した情報ではなく、他人が発信した情報にタダ乗りするだけのやり方では、それは決して民主主義の発展には寄与しないだろう。民主主義というのは「傷つくことを恐れずに発言」することであって、「傷ついても、更にそれを乗り越えて発言する」ことによって作り上げるものである。

 そうした姿勢があって初めて「ネット選挙」、「ネット直接民主主義」という言い方が出来るのであって、「匿名性」の陰に隠れて何かを言ったとしても、それは単に陰口を叩いているのと何ら変わりはない。そんな「陰口」をもって「何かを発信した・発言した」と考えているのであれば、それはとんでもない間違いであり、民主主義とは何ら関係のない、封建時代の農民的発想(本当は「百姓根性」と言いたいんだけれども)でしかない。

 まあ、元々民主主義が根付いていない日本である。あるのは多数決だけという「手続き民主主義」のわが国で、ネットリテラシーの発展なんて望むべきではないのかもしれない。しかし、ネット社会というものは、本来高い民主主義リテラシーにのみ支えられているべきなのである。良くも悪くも高い民主主義リテラシーのあるアメリカで発展したネットワーク社会である。そんなアメリカの(良くも悪くも)高い民主主義リテラシーを学ばないで、ネット社会の上っ面だけを真似した日本のネット社会のあり方である。

 そんな日本で高いネットリテラシーを望むこと自体が無理のあることなのかもしれない。

 なにしろ石原慎太郎と橋下徹が、政治的にはまったく正反対なのに、「強欲」という一点で手を握っちゃうことを容認する社会であるのだからね。

 いやはや何とも……。

 

 

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