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2012年11月 3日 (土)

『政権交代』というよりも日本型民主主義のあり方を考えたい

 何たってすごいのはサブタイトルである。「民主党政権とは何であったのか」って、最早過去形ですよ、過去形。まだ、総選挙もやってないのに。

『政権交代 民主党政権とは何であったのか』(小林良彰著/中公新書/2012年9月25日刊)

 まあ、殆ど「死に体」みたいな野田民主党を見ていればそんな言い方をしたくなるのもよく分かるが、しかしそれは2009年の総選挙で民主党政権を選んだ選挙民の問題であるのだ。つまり『政権交代をもたらした2009年の総選挙は、各党の政策を評価して投票する「争点態度投票」ではなく、自民党政権への「懲罰投票」だった』のであるから、その結果として選んだ民主党政権が選挙当時掲げていたマニフェストを次々に裏切って、結局自民党政権とたいして変わらない国民裏切り政権であっても、自民党以上に対米すり寄り政権であっても、それはそんな民主党の体質を読めなかった選挙民の問題であって、政治家の問題ではない(あ、勿論これは選挙に限った話で、政治姿勢のことではありません)。政治家は、単に目先の問題処理だけに追われていて、高邁な理想政治なんて初めから行うつもりなんてなかったのである。それを、あたかも政治家は理想を追わなければならないという、エリート民主主義を政治家に押し付けるのはいかがなものか。

 結局、小泉郵政選挙で新自由主義に裏切られたと感じた選挙民は、今度は民主党に投票してまた裏切られたと感じているのであろう。で、今度は維新の会に投票して、みたび裏切られたという感想を持つに至るのであろうか。

 では何故そのように選挙の度に裏切られるのであろうか。

 2009年の選挙結果を調査した小林良彰氏によれば、まず民主主義の民意負託機能として、各候補者の選挙公約に注目する。

『ほとんどの選挙公約は候補者の得票率や当落に影響をもたらしていない。他方、どの政党に所属しているのかは選挙結果を決める重要な要因となっている。つまり、有権者は各候補者が主張した選挙公約を比較検討して投票を決めたのではなく、その候補者が所属する政党によって決めたわけである』
『選挙に際して政党や候補者が提示した公約のなかで最も自分の考え方に近いものを選び、それを提示する政党や候補者に投票することで、自分たちで自分たちのことを決めるという間接代議制が機能しているとは言いがたい』

 さらに業績評価という点から日本の有権者の投票効果を考える。

『政策上の業績評価に関わる要因は投票に対して影響しているとは言えず、政党支持や内閣支持、居住年数(現在の住所に何年間、住んでいるか)といった要因が、投票に影響していることがわかる』

 その結果;

『現在の日本政治では、民主主義の民意負託機能、代議的機能、事後評価機能のいずれにおいても、きわめて限定的な関連しかみることができない。つまり、政治家が有権者に約束した公約から離れて国会活動を行って政策を形成しているために、政治的有効性感覚が著しく低くなっており、そのため選挙に際しても、政党政治家が提示した公約を信頼することなく投票を決定し、さらに、実施される政策に対する評価とは乖離して次の政党候補者選択を行っているのが、日本の選挙の実態である』

 ということになってしまう。

 これじゃあ、日本に民主主義なんて根付かないことは見えているじゃないか。明治維新から150年近く経っても未だに日本に根付かない政治思想=民主主義って何なんだろう。

 民主主義は基本的に個人主義をベースにおいた考え方なのだ。

 有権者における高度な民主主義への意識や平衡感覚が必要なんだろう。でないと日本の軍国主義、ドイツのナチズム、イタリアのファシズムなどと同様の全体主義への傾斜を妨げることはできない。その全体主義がいけないのかと言ってしまえば、それをしも民主主義の結果でしかないと考えれば、全く否定できるものではない。それもひとつのエリート人主主義の結果であると考えれば、現在の日本民主主義が容易にそんなエリート民主主義から全体主義に移行することは避けることはできないものだろう。

 今の野田民主党は何となくそんな全体主義への道を歩んでいるように見える。鳩山、小沢を切ってしまってからの野田民主党は特にそんな感じがするのだ。特に個人主義への規制を強めているところなんかはね。

 小林氏の言う「コンセンサス型デモクラシー」も、結局は有権者の意識次第なのだ。有権者が「そのときの気分で野党に投票する」とか、「そのときの気分で『なんか威勢の良いことを言っている政党』に投票する」というような近視眼的な投票を行っている限りは、そんな「コンセンサス型デモクラシー」も根付かない。

 結局、日本の選挙民はそんな「全体主義へのゆらぎ」と「学校でやっていた民主主義」へのあり方の中で揺れ動きながら、なんとか日本的民主主義体制ってものを最低線でもって維持していくんだろうな。

 まあ、それがもしかすると「普通の民主主義のあり方」なのかもしれない。ただし、ひとつだけ言いたいことがある。もう投票した後に「騙された」と言うのはやめよう。基本的に「詐欺は騙されたほうが悪い」んだからね。騙されないためには、候補者個人の公約(政党のマニフェストではなく)をよく読んで、自分が選んだ政治家がその公約通りの政治をやったかどうかを見よう。「公約通りの政治を行ったのか行わなかったのか」を次の投票行動に生かそう。「公約を果たそうと思ったけれども、周囲の状況で出来なかった」という政治家の言い訳には一切耳を貸す必要はない。それは個人主義の否定、単なる言い訳でしかないんだから。

 それが最低限の間接民主主義的なあり方なのだ。

 日本を再度、全体主義にしないためのね。

 

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