フォト
無料ブログはココログ

Amazonウィジェット

  • Amazonおまかせリンク
  • おすすめウィジェット
  • Kindle

« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »

2012年11月

2012年11月30日 (金)

『絵で解る琉球王国 歴史と人物』で琉球の歴史を学ぼう

 本書の著者であり版元でもあるJCC出版とは、沖縄で1993年に創業した若い会社の名前であった。で、その会社は出版社ではなく、東京でいえばワタミみたいな飲食業をベースとした企業なのである。

『絵で解る琉球王国 歴史と人物』(JCC出版部執筆:与儀俊介・齋藤嘉苗・仲栄真七奈子:JCC美術部挿絵:齋藤嘉苗:出版部・美術部監修:渕辺俊一/監修:井上秀雄/JCC出版/2011年8月1日刊)

 で、その株式会社JCCのサイトを見ると事業内容として「和食・洋食・琉球(宮廷)料理・中華料理レストラン、健康(治療)食事宅配サービス、ダイエット支援食、菓子製造、病院、老人保健施設、公共施設、学校、企業等の給食業務の受託、惣菜製造、ホテル事業」となっていて、かなり手広く手がけていて、それに今回は「出版事業」が加わったということなのだ。そういえば、この本のチラシを見たのは沖縄1日目の食事を摂った「くんち家」という居酒屋であって、よく見たらそこもこの㈱JCCの経営する店であったのだ。なあんだ、そうだったのか。

 で、その㈱JCCが2007年に沖縄国際通りに「首里天楼」という琉球宮廷料理の店を作ったときに、その店の壁を飾る「偉人画」や「絵巻物」を自ら作り、その作った絵を元に作った本がこの『絵で解る琉球王国 歴史と人物」なのであった。確かに、偉人画や絵巻物を作るためにはその背景の歴史や偉人そのものについても知らなければならないわけで。なあんだ、そうだったのか。

 で、本書で紹介されている「琉球の偉人」とは「尚巴志」「護佐丸」「阿摩和利」「尚泰久王」「百度踏揚」「尚円王」「宇喜也嘉」「尚真王」「仲宗根豊見親」「オヤケカハチ」「尚寧王」「謝名利山」「儀間真常」「自了」「羽地朝秀」「湛水親方」「尚敬王」「玉城朝薫」「蔡温」「程順則」「高嶺徳明」「吉屋チル」「恩納ナビ」「飛び安里」「仲地紀仁」「牧志朝忠」「宜湾朝保」「尚泰王」という28名なのだが、私が知っているのは『小説 琉球処分』で読んだ琉球王国最後の王、尚泰王くらいなもので、沖縄の人だってこの全ての偉人を知っている人はいないだろう。

 琉球王国は日本の室町時代にあたる15世紀前半に尚巴志によって琉球が統一されたところから、1879年(明治12年)の琉球処分で沖縄県になるまでの450年間続いた歴史を持つ。その間、ずっと明(ずっと後には清)と日本の間で微妙な関係を保ちながら行き続けてきたわけだ。

 明に対しては朝貢貿易を行い冊封を受け名目的な君臣関係を持ちつつ、琉球としてはそれを利用して明や東南アジアなどの諸外国からの輸入を行い、日本にそれを輸出するという中継ぎ貿易で収入を得るということを行ってきたわけである。一方、日本との関係はそれまでは対等だったはずが、17世紀初頭に薩摩藩の島津氏による侵攻を受け、奄美諸島を薩摩藩に割譲し、琉球も薩摩藩の支配下に入り、いわば日本の植民地のような扱いになったしまったのである。

 しかし、それでいても名目上だけでも日本から独立した国家として琉球王国は存在してたわけで、1853年にアメリカのペリーが来航して琉米修好条約を締結し、日本との開国交渉の戦略拠点として琉球を使ったりしている。

 それほどまでに琉球という土地は日本・中国ばかりでなく、欧米にとっても地政学上に重要なポイントなのであろう。今、中国が朝貢貿易と冊封を持ち出して沖縄も中国の一部であるなんてことを言い出しているのも、あながち無視できない事柄ではあるのだ。

 事実、本書にもあるように『欧米の進出にアジアの国々が直面した時代、結果的に沖縄は、近代国家日本の中で生きる道を選択した』結果、琉球処分を受けたのであって、もともとの琉球(沖縄)のスタンスは「日本とも中国とも別の国」というものなのである。

 本書執筆者のひとり、与儀俊介氏は『今回、本書出版のために琉球王国の歴史を学んだことは、そんな私にとって大きな財産となりました。「琉球」を学ぶことを通じて、「沖縄」への誇りが私の中に再確認されるのを感じたからです。「歴史」を学ぶ意義を、体験として理解したのは初めてのことでした。いま私は、「沖縄」を愛する人たちにこそ、より「琉球」を知ってほしいと考えています』と編集後記に書く。

 まさしく、沖縄には日本と違う歴史があり、違う時間が流れているのだということを、我々は認識しなければいけないのだ。

 最後に「なあんだ、そうだったのか」でオトそうと思ったのだが、うまくいかなかった。残念!

2012_11_26_116_2城(グスク)の中でも大きい城、勝連城跡。かなり大きい。左上の階段の所の人と比べてください。

Nikon D7000 AF-S Nikkor 55-300mm @Uruma, Okinawa (c)tsunoken

2012年11月29日 (木)

今度は書評というか『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること』についてです

 11月25日のブログ『沖縄2日目。米軍基地「観光」である』で書いたとおり、今回の沖縄行で一番頼りになったのがこの本である。何しろ『沖縄・米軍基地観光ガイド』であるのだ。

『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること 沖縄・米軍基地観光ガイド』(須田慎太郎:写真・前泊博盛:監修・乙部克行:編集・矢部宏治:文・発行/書籍情報社/2011年6月15日刊)

 なぜ『観光ガイド』なのか。それは本書にもあるとおり;

『米軍基地を撮影する場合は、基地の敷地内に入ったらもちろんアウトですが、外から撮影しているからといって安心はできません。もし違法行為(私有地への無断侵入など)や、「不当な方法」または「通常ではない方法」による撮影があれば、そこが日本側の土地であっても、「日米安保条約」にもとづく「日米地位協定」に対応した「日本の刑事特別法」によって、10年以下の懲役になるおそれがあるからです。また純粋な観光客ではなく、政治的な背景があるのではないかと疑われると、法律にふれていなくても警官がやってくることもあります。
 だからこの本に収められた写真はすべて、公道、公園、海岸など、「完全に正当な場所」から、とくに見開きの写真は「かなり離れた場所」から撮っています。でもどこに行っても不思議にあるんですね、そうした撮影ポイントが。
   <中略>
 また米軍の問題に関しては、さまざまな形で「超法規措置」がとられていることも、最近少しずつあきらかになっています。ですからみなさんは、なるべく「観光」または「見学」するだけにとどめて、もし撮影する場合は、すこしでも注意されたらすぐに中止するようにしてください』

 ということ。なのであくまでも米軍基地は「取材」じゃなくて「観光」として見てください。ただし、そんな「観光」をする場所が、米軍基地にはいっぱいあります。また、途中で道をたずねると、皆親切にそうした場所を教えてくれるというのだ。

 何故だ?

 そこで、この本の著者はこう考える。

『最初はどうしてこんな簡単に絶好の撮影ポイントにたどりつけるのか不思議でしたが、そのうちに気づきました。これは基地の近くに住む人たちの暗黙の共同作業であり、ひとつの戦いの形なのだと。長年、米軍基地という大きな危険と隣り合わせて生きるなか、彼らは基地を見わたせるポイントを見つけては、またつくっては、みんなで監視してきたのでしょう。もちろん家族や地域を守るためにです。キャンプ・フォスターを見おろす若松公園、ホワイト・ビーチを見下ろす平敷屋公園、キャンプ・マクトリアスを見おろす安慶名城跡などをまわるうちに、その仮説は確信に変わっていきました』

 と。つまり、こうした米軍基地観光ポイントは同時に米軍基地監視ポイントであり、基地に反対する「団結小屋」なんかを作るのもいいが、それでは長期に、何年にもわたって闘い続けるには疲れてしまう。そこで、皆が誰でも基地を「観光」し、同時に「監視」出来る場所を「探し」あるいは「作って」継続して闘うことを可能にしようというのだ。

ということで、本書に収められているのは沖縄本島および周辺にある米軍基地・演習場など全28ヶ所を完全に撮影して、なおかつそれらの写真の撮影ポイントをすべて網羅しているのである。誰でも米軍基地を見たければここに行けば見られるよ、ここに行けば本書と同じ写真が撮れるよという具合に。で、実際に同じポイントから写真を撮影してきたのが11月25日のブログであったわけです。

 実はこういう本を待っていたのである。探していたのである。

 沖縄の観光ガイド本はいくらでもある。沖縄の様々な問題を取り上げた本もいくらでもある。しかし、こうした「米軍基地ガイド(Traveller's Guide to American Bases in Okinawa)」は今までに出版された記憶はない。観光ガイドではまったく米軍基地の問題は取り上げられず、ただただ沖縄の美しい海や、自然、沖縄特有の食事などの「風物」は書かれているが、それだけである。日本全体の0.3%の面積の沖縄本島に、在日米軍施設の70.6%が存在している(沖縄県全体では0.6%の面積に73.9%の米軍施設)という事実なんかまったくないかのような、単なる日本の南の自然豊かな島、という風説のみが語られている。また様々な沖縄の問題を取り上げた本にしても、それを読んだ本土の読者がいざ沖縄に行って、それらの問題点の場所を見てみようという点にこたえた本はまったくなかった。

 そうしたふたつの問題点に完全にこたえてくれる本が本書である。

 まさしく、「観光ガイド」として沖縄の米軍基地を捉えて、なおかつ写真の撮り方まで教えてくれているのである。それも沖縄本島の米軍施設はすべて網羅されている。こんなに懇切丁寧なガイドブックはない。さらに、ついでに言ってしまえば、そうした米軍基地の存在の問題、その元になっている「日米安全保障条約」の問題、さらにそれを運用する「日米地位協定」のも問題なども、懇切丁寧に解説してくれる。勿論、写真も豊富に収録されていて、「沖縄米軍基地写真集」としても充実していて、いわゆる「基地萌え」「戦闘機萌え」などの基地マニアの要望にも応えている。別に、米軍基地に反対する人たちばかりが読者である必要はない。当然、基地賛成の人だって読んでも面白いのだ。

 問題は、日米安保条約に賛成するのか、反対するのかではない。仮に日米安保条約に賛成してもいいが、であっても問題は「日本全土の0.3%の場所に70.6%の米軍基地がある」という「いびつさ」だけは認めてはならない、ということなのだ。

 反対する人は単純だ、三沢も横田も横須賀も厚木も岩国も佐世保も沖縄の米軍基地も出て行けということだろう。まあ、すぐには無理だろうけれども。更に米軍基地を全ての日本から追い出した後の、日本及びアジアの平和をどうやって守ってくのかという問題もある。いまや、日本の平和だけを守っていけばいいという立場ではないのだ、この日本は。勿論、アメリカだってアメリカの平和を守るために在外基地を置いているわけで、別に日本の「尖閣列島」を守るために沖縄の米軍基地があるわけではないということは当然である。

 しかし、米軍基地を容認する人たちは、であるならばその基地負担は本土の都道府県で応分に負うべきだろうという考え方をしなければいけないはずだ。沖縄だけに一方的に異様なまでの負担を強いている現状を変えなければいけないのだ。沖縄の米軍基地はよその話ではないのだ。日本人全体に突きつけられた問題なのである。知らん顔はしてはならない。

 と、まあそれが沖縄の基地問題なのですね。沖縄の本土復帰がされてからは、沖縄だけに基地負担を負わせることは出来ないはずだ。条約が日米でされた条約である以上は、日本の国中でそれらの負担を応分に受け容れるべきだという正論を全ての日本国民は受け容れなければならない。

 その意味では、鳩山由紀夫総理が普天間の移転を「国外、最低でも県外」といった時に、「関空を使っても良い」といった当時の大阪県知事・橋下徹はまだスジが通った発言をしていたわけだ。もっとも、それは地元の猛反対に会ってすぐに下げてしまったがね。でも、そういう問題ではないだろう。

 まあ、そういう問題。でも、これはすごく大きい問題だ。

 そのためには、沖縄の人たちはもっと大きな声で主張していい問題だし、本土の人間も、もっと基地受け入れに前向きにならなければいけない問題だ。

 と、そういうこと。問題はすごく単純。でも、解決はすごく大変な問題だ。所詮、皆「総論賛成各論反対」の日本人だからね。

 で、沖縄ネタはまだ続く。明日からは那覇で買った「沖縄の本」について書きます。

 どうかな?

 

2012年11月28日 (水)

沖縄4日目。漫湖公園にドッキリ……沖縄地形考

 那覇空港を出て那覇市に向かって車を走らせていると、国場川を渡る大きな那覇大橋を渡って右側にあるのが「漫湖公園」という運動施設などがある大きな公園がある。「えっ? ま○ここうえん?」って思わず目を疑ってしまうのであるが、まあ実にさりげなく存在するわけなのである。

2012_11_26_030_2公園入り口

2012_11_26_015_2入り口にある門票

2012_11_26_025_2静かな佇まいをみせる公園です

 確かに「広辞苑」によれば『まんこ 女性器をいう俗語』のとなりに、ちゃんと『まん‐こ【漫湖】沖縄県那覇市・豊見城市にまたがる湿地帯。シギ・チドリ類の中継地。ラムサール条約湿地の一つ』という表記があるわけです。つまり沖縄の人にとっては別に普通の表現であり、それを聞いて頬を赤らめてしまうのは本土(というか関東)から来た人間の勝手な振る舞いにすぎない。勿論、沖縄の言葉で『女性器をいう俗語』は別にあるわけです。

 そういえば、国道58号線を走っていて「おんなの道の駅」というのがあって「何だこれは?」という気分になったのだが、要は「恩納村の道の駅」というだけのことであって、別に何の意図もない。まあ、土地の名前なんてものはその土地の人だけが理由を知っていればよいというものなのだろう。

2012_11_26_001_2那覇市内、国道330号線。上に見えるのが「ゆいレール」というモノレール

2012_11_26_358_2コザ(沖縄市)のごく一部

 ところで、那覇やコザ(沖縄市)はアップダウンの多い地形の場所にだだっ広い道路が走っていて、ヤシの木ではないだろうが何となく南の方の木が並木道に植わっていて、那覇の一部を除いては土地の値段があまり高くないためだろう背の低いビルが並んでいて、どこかで見たような風景だなあ、と考えていたら、そうかアメリカのロサンゼルスあたりの風景にそっくりなのであった。ロスでもロサンゼルス国際空港より北の、山々が近づいてくるあたり。サンタモニカからビバリーヒルズ、ウエストハリウッドを通ってダウンタウンに向かうサンタモニカ大通りなんかの作りにそっくりである。

 やっぱり、戦後アメリカ軍が中心になって町作りなんかも行ってきた沖縄だけに、どうしてもアメリカンな町作りになっていったのかもなあ。てなことを考えていたら、Facebookで知り合いになった沖縄在住の女性から『「北谷(ちゃたん)」の方がもっとアメリカンですよ』と言われて、そういえばコザも北谷も嘉手納基地周辺の街だしなあ、2日目に行っておけばよかったな、と思って4日めに行こうと思ったのだが、残念、帰りの飛行機の時刻が迫ってきていて行けなかった。

 別に首里城なんか行かなくても(ホテルから1km位の近さにあっったんだけれども)後悔はしないが、アメリカとの関連で沖縄を見ていると、北谷にいけなかったのがちょっと後悔。

 次に行くときは、多分自転車レース見物はないだろうから、「街見学」でもしようかな。

 な~んて考えて、またどこかで後悔するんだよな。

 ということで、まだまだ続く沖縄ネタである。以降は沖縄に関する本の紹介です。

2012年11月27日 (火)

沖縄3日目。ツール・ド・おきなわは参加するレースだ

 ということで、昨日書けなかった「ツール・ド・おきなわ」について書きます。結果はもう皆さん知っていると思うので、まあ、それなりに。

2012_11_26_011_2男子チャンピオンレース210kmのスタート。唯一のプロも走るクラスである。

2012_11_26_089_2チャンピオンレースと同じコースを走る市民レース210kmのスタート風景。このクラス、参加者が数百~千人くらいいて、スタート時点でトップとテールエンドの差は1kmくらいある!

2012_11_26_224_2石垣島出身のワールド・クラスのサイクリング選手、新城幸也選手であります。


2012_11_26_243_2チャンピオンレースのゴール。オーストラリアのトーマス・パルマーが初優勝!

 ツール・ド・おきなわはUCIのカレンダーに載っていないローカル・レースではあるが、まだ温かい沖縄のレースということもあって、アジアやオセアニアからもかなり多くの選手が参加している。今回優勝したトーマス・パルマー(ドラパック・ポルシェ)も2009年から参加していて、2009年には第1ステージの個人タイムトライアルで優勝している。2010年には宇都宮のジャパン・カップに参戦して、これも大会前日に行われる宇都宮市内のクリテリウムで優勝している。という具合に日本のレースでは結構強いトーマス・パルマーなのである。

 しかし、このツール・ド・おきなわはジャパン・カップやツアー・オブ・ジャパンなどのサーキット・レースとは違って、自転車レースのワンデイレース本来の「ぐるっと回ってゴール」という設定になっており、スタート・シーンを見ると5時間半経ってゴール・シーンだけを見るということで、実に見るほうにとっては何の面白味もないレースなのである。

 このレース、チャンピオン210kmを始めに、市民210km、女子国際100km、ジュニア国際100km、市民140km、市民100km、市民50kmオーバー50、市民50kmフォーティー、市民50kmサーティー、市民50kmアンダー29、中学生50km、市民50kmレディース、小学生10kmというレースだけでも13種類もあって、その他のサイクリング・イベントが金曜日からこの日曜日まで行われているという一大サイクリング・イベントなのである。レース部門の出場者は4,270名という数。ところが観客は出場者の2割くらい? まあ、1,000人もいればいいほう。つまり、市民レースの出場者の家族や会社の同僚などの関係者のみということで、ジャパン・カップやツアー・オブ・ジャパンのような「純粋観客」は殆どいないんじゃないか、というところである。

 つまり、ツール・ド・おきなわは「見るレース」じゃなくて「参加するレース」なのだ。6時45分にチャンピオンレースがスタートして、8時頃には全クラスがスタート完了。8時半くらいには50kmクラスのレースが順次ゴールして、10時半頃からはこの50kmクラスの表彰式が始まる。この表彰式後に特別ゲストの新城幸也(チーム・ユーロップ・カー)選手のトーク・イベントなんかもあって、それが唯一の「お楽しみ時間」であり、あとはコース裏のテント村を歩いてもたいした収穫はない。

 う~ん、やっぱりツール・ド・おきなわは、見ていても面白いレースではない。やっぱり、参加しなければこのレースの面白さは体験できなのではないだろうか。

 やっぱり、来年は「参加」かな………なーんてことは考えてはいないと思いますがね。

 
2012_11_26_346_2前日は見られなかったオスプレイの飛ぶ姿を帰路見ることができた。

Nikon D7000 18-105mm, 55-300mm @Nago (c)tsunoken

2012年11月26日 (月)

戸田公園考(ちょっとゴメン)

 

 本来はツール・ド・おきなわに関しての報告をしなければいけないんだけれども、その前に、というかチャンピオン210kmレースの結果は今日の新聞に出ているだろうし……。というか、ちょっと寝てしまいまして……。

 ということで、今日は暇ネタです

 、駒込に住んでいた頃には、サイクリングの途中でちょくちょく一休みをしていたのが埼玉県戸田公園である。

 戸田公園と言えば戸田漕艇場で有名だ。息子の中学・高校では毎年筑波大付属高校との対抗戦が行われていて、その観戦で初めて行ったのが、10ぐらい前。

 その漕艇場の脇には各大学や実業団の艇庫兼合宿所がある。以前見た感じではかなり古びた建物が多かったような気がしていたのだが、今やほとんどが建替えられていて新しい艇庫ばかりがある。そうか、もう7~8年も行ってなかったんだな。

2012_11_16_016_2戸田漕艇場

 で、改装なった各大学の艇庫を見比べてみると、さすがに国立大学と私立大学のスケールの違いが感じられるのであった。

2012_11_16_005_2一橋大学の艇庫。かなり大きいが、これでも他の国立大学の艇庫の中では小さいほう。

2012_11_16_008_2筑波大学の艇庫。手前にあるのが土方リユニオンホール。

2012_11_16_012_2東京大学の艇庫。これでも各大学の艇庫の中でも一番大きいのだが。

2012_11_16_013_2で、その隣にあるのが浅野記念艇庫である。ふたつの艇庫には連絡ブリッジがあって行き来が出来るようになっている。

 なかでも、東京大学と筑波大学なんかは二棟もあって、筑波大学はホールがあるようなんだが、東京大学は二つとも艇庫なんである。東北大学は仙台空港のそばに名取艇庫というのがあって、普段はそこで練習しているのだが、ここ戸田にも艇庫を持っている。

 さすがに独立行政法人とは言え国立大学である。おまけに元帝国大学、東京高等師範、東京商科大学であります。やっぱり私大とは持ってる財産が違うのね。そう言えば、東京大学なんて検見川総合運動場なんてのがあって、サッカー場5面、テニスコート8面、ラグビー場、野球場、アメリカンフットボール場、陸上競技場、クロスカントリーコース、体育館なんてものが揃ってるのだが、本郷や駒場のキャンパスから遠いのでどの部活も使っていないというまさしく「宝の持ち腐れ」なんてのもあったりする。

 う~ん、恐るべし国立大学。仕分けされないようにしてくださいね。

2012_11_16_006_2明治大学の艇庫。私立大学の艇庫としては大きいほうなのだが。国立と比べちゃうとね……。

Nikon D7000 AS-F Nikkor 10-24mm @Toda (c)tsunoken

2012年11月25日 (日)

沖縄2日目。米軍基地「観光」である

 基地を語るには、まず基地を知らなければならない。ということで、昨日は沖縄米軍基地観光をしてきた。そう、あくまでも「観光」である。

Dsc_4583まず最初は那覇のすぐ隣、宜野湾市にある「普天間海兵隊基地」である。オスプレイが並んでいるのがよく見える。こんな雑誌などで良く見る写真は普天間基地の滑走路の延長線上、南西1.2kmのところにある「嘉数(かかず)高台公園」の頂上から300mmのレンズで撮影できる。嘉数高台公園は第二次世界大戦末期の1945年4月「沖縄戦最大の激戦」とよばれる闘いのあったところで、当時の地下壕やトーチカが残っている。

Dsc_4610_4こちらは「嘉手納空軍基地」10mmの超ワイドレンズでも全貌を捉えきれない。なにしろ3,700mの滑走路が2本もあるのだ。東京の横田基地も大きいなというイメージがあったが、横田は3,350mの滑走路が1本だけである。それだけでも基地の規模の大きさが分かるというもの。ベトナム戦争時はここから毎日B52が北爆に飛んでいたわけだ。

Dsc_4634_3管制塔だろうか。下に輸送機が見える。

Dsc_4648で、これらの写真を撮影したのが、この「道の駅かでな」4階の展望台からである。3階には「学習展示室」というのがあって、米軍が基地を作る前の嘉手納のジオラマや、米軍の存在が村民に対して与えた影響などについてお勉強できるようになっている。

Dsc_4658最後が海軍のホワイト・ビーチ軍港である。この写真は軍港の上にある「平敷屋(へしきや)公園」から55mで撮影。いかに基地に近いところに公園があるか、ということが分かる。

 昨日はサンクスギビングデーの後の土曜日ということで、米軍もお休みなのだろう。各基地とも雰囲気としてはのんびりしている。

 しかし、これらの基地がそれぞれ30分ほどで繋がっているというのが、やはり沖縄の異常なところだ。国道58号線というのがそれらの基地を結んでいる大動脈で、横田・厚木・横須賀を結ぶ国道16号線も昔はかなり派手に軍事施設が並んでいたが、それ以上の迫力だ。那覇から名護へ走ると、左の海岸線にはリゾート・ホテルが並んで右を見ると米軍か自衛隊の軍事施設という感じ。日本全体の0.6%の土地に73.9%の米軍軍事施設が存在するという「いびつ」ぶりが良く分かる。何しろ沖縄本島の18.4%が米軍施設なのである。

 しかし、上記の3か所といい、基地の周辺にこうした「基地を観測できる場所」を作っている沖縄の人々の「基地に対する厳しい目」のあり方を見ると、日米安保条約を堅持するのであるならば、やはりこうした基地負担は各県で共有すべきではないか、との思いを強くした一日であった。いわゆる「団結小屋」みたいな「固い場所」としての観測場所ではなく、もうちょっと「ゆるい場所」としての「観光スポット」にしてしまうのだ。なるほど、これなら長期の設置にも耐えられる場所になるというものだ。

 ところでこの「米軍基地観光」を思い立ったのは、この本からである。

『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること 沖縄・米軍基地観光ガイド』(須田慎太郎:写真・前泊博盛:監修・乙部克行:編集・矢部宏治:文・発行/書籍情報社/2011年6月15日刊)

「沖縄・米軍基地観光ガイド」というサブタイトルが効いている 。この本についてはいずれ書きます。

 ということで今日はいよいよこの訪沖の最大目的である「ツール・ド・おきなわ」観戦である。

Nikon D7000 55-300, 10-24 @Okinawa (c)tsunoken

2012年11月24日 (土)

沖縄1日目。さすがのて~げ~精神ではある

 沖縄に来ている。とは言っても着いたのが夕方だったので沖縄らしいところはどこにも行っていない。那覇空港のそばは紳士服のはるやまとかTSUTAYAとかイオンとかイタトマとか、東京近辺でも見つけられる店ばっかりで、実際「琉球」らしいところはない。首里城に行ってみようかと思ったのだが、そこも夕方で入場できないようだし、ということでとりあえずはホテルに直行。

 その後、国際通りまで食事しに出かける。

Dsc_4539_2国際通りである。周囲は夕方になると真っ暗になるようだが、この国際通りのあたりだけは店の明かりがついていて明るい。ただし、その明かりは店の明かりだけで街の明かりではないのが気にかかる。

 もし、店がいなくなってしまえば街も一緒に暗くなってしまいそう。

Dsc_4542_2沖縄だもん、やはりシーサーがお出迎えですね。

Dsc_4558_2で、とりあえず入ったのが『沖縄家庭料理 くんち家』であります。
Dsc_4551_2_2
本場のゴーヤチャンプルーと島豆腐、 ビールは当然「オリオンビール」です。
Dsc_4553_2もうひとつラフテーと泡盛「菊之鶴」という沖縄では一番普通に流通している泡盛だそうである。

 というか、このテの居酒屋ではウィスキーなんかは置いてないのかな。完璧に「お前ら沖縄に来たらオリオンビールか泡盛しか飲まさないかんね」的な扱いなのである。さすがに琉球。

 まあ、それは良いとしても、この店の注文してからオーダーしたものが出てくる遅さは何とかならないものか。とにかく、食べ物はまあしょうがないとして、酒の追加注文も20~30分くらい待たないと出てこない。2~3度くらい文句を言わないと出てこないのだ。

 沖縄の「て~げ~」精神でやっているのかなと考えながら、私は大阪の「いらち」ではないのだからと考えながら待っていたのだが、それでも出てこないので何度か文句を言ってしまった。と思ったら、最後は地元の人も「頼んでいたおにぎりが30分待ってもでてこないんだけれども」なんて苦情を言っていた。そうか、このペースは沖縄の人も耐えられないんだなというところが新発見。

 まあ、さすがに現地の地元料理であるので美味しかったことで、それらの文句は帳消しにしてあげましょう。

 という、沖縄1日目。

Nikon D7000 AS-F Nikkor 10-24 @Naha (c)tsunoken

 

2012年11月23日 (金)

『ランキングの罠』に囚われない人になるためには

 ランキングって囚われてしまうと、それこそミシュランの星によって自殺してしまうフレンチのオーナーシェフの如くになってしまう。気をつけなければ。

『ランキングの罠』(田村秀著/ちくま文庫/2012年11月10日刊)

 どんなランキングが取り上げられているのか。

『全国学力テスト』『PISA』『THE-QSの世界大学ランキング』『ウエボメトリックス』『THE-TRランキング』『TOEFLランキング』『TOEICランキング』『国際競争力指数』『国債格付け(スタンダード&プアーズ/ムーディーズ/フィッチ/JCR/R&I)』『地域別豊かさ指数、ほか銀行・研究機関の都道府県ランキング』『日経行政比較調査』『世界生計費調査』『日経優良企業ランキング』『日経総合企業ランキング』『企業格付け』『患者30万人アンケート 完全保存版 患者が決めた! いい病院(2007年度版)』『医師1万5000人に聞いた 全国優良病院ランキング』『週刊朝日MOOK 手術数でわかるい病院2009 全国&地方別データブック』『an・an 好きな男・嫌いな男ランキング』『「週刊文春」好きな男・嫌いな男ランキング』『テレビ視聴率』『食べログ』『総務省家計調査(宇都宮と浜松の餃子消費額日本一競争)』『ミシュランガイド』『ゴー・ヨミ』『ザガット・サーベイ』『マスヒロの東京番付(“横綱審議会”じゃなくて“横槍審議会”ってのがいいね)』『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』『FIFAランキング』

 以上である。

 しかし、これでも世界で(あるいは日本で)流通しているランキングのごく一部でしかないだろう。それこそ星の数ほどあるランキングである。元々、相撲の番付表で力士を格付けしたのをきっかけにいろいろなものを格付けするのが好きな日本人である。結局、自分で評価できないものを誰かの権威でもって格付けしてもらって、それを参考にすることで安心してしまう私たちの心の弱さが、ランキングが流通する理由なんだろう。

 そんなあまたあるランキングをパターン別に分けると;

①単一指標の多寡だけで順位付けしているランキングと総合指標で順位付けしているランキング
②“客観的な”データだけを使うランキングと、アンケート調査など“主観的な”データも併用するランキング
③活用したデータが明らかなランキングと明らかでないランキング
④活用したデータの具体的な数値まで明らかにしているランキングと明らかにしていないランキング
⑤順位付けの方法(総合化)が明らかなランキングと明らかでないランキング
⑥具体的なデータや順位付けの方法が誰にでも公表されているランキングと有料で公表されているランキング

 があり、そのランキング付けの光の部分としては;

①結果が一目瞭然なこと
②個人では集められない情報によって第三者が“客観的に”評価してくれること
③ランキングすることで多くの人の注目を集めることができること
④ランキングによって、企業などの組織が全体の中でどのような位置にいるかが明らかになり、今後の改善に結びつけやすいこと

 ということがあるが、一方、影の部分としては;

①結果が独り歩きしやすいこと
②必ずしも客観的な評価とは限らないこと
③恣意的なランキングも少なからずあること
④元になるデータの信憑性が疑わしいケースもあること
⑤データの重み付けや加工方法、採用するデータを変えることでランキング結果が大きく変わることもあること

 などがあり、結局は第三者のランキングはあまり気にしないほうが良いということになるのではないだろうか。

 したがって、ランキングの結果とどう向き合うかということになると、ランキングを見るほうとしては;

①ランキングの結果を絶対視しない
②ひとつのランキングだけで判断しない
③ランキングだけで判断しない
④ランキングに関する情報がどの程度公開されているかを見る
⑤何のために実施されたランキングなのか確認する

 であり、一方ランキングされる側としては;

①まずは結果云々ではなく、ランキングの手法などを冷静に分析する
②ランキングの結果が良かった場合は、それをうまく活用する
③ランキングの結果が悪かった場合は、ランキングの妥当性がそれなりのものだったら、取り敢えず結果について過剰に反応せず、組織の問題点などを明らかにして問題解決の道を考えるし、ランキングの手法などに大きな問題があると判断したら、法的手段も辞さない

 また、ランキング作成者の品格としては;

①何のためのランキングなのか、目的をはっきりさせる
②情報を極力開示する
③評価の評価を受け入れる
④評価される側と一定の距離を置く
⑤ランキング作成者の社会的責任(CSR)を自覚すること

 ということが大事である、ってなんか当たり前のような結論ではあるのだけれども、それは当然であって、これはネットリテラシーの場合も同じなのだが、他人によるランキングはあくまでも他人の判断であって、自分の判断でないことを忘れずに、そのランキングの結果だけで右往左往せずに、泰然自若としていればいいのである。

 そうでないと、結局は他人の作ったランキングに左右される残念な人生を送る“情報弱者”になってしまう、ということだけなのである。

 という当たり前のこと。

 なんか、期待していた結論の通りに結論を書いている本なのだった。いいのか? 悪いのか?

 さて、私は本日から月曜日まで沖縄にいます。なんで沖縄なのか、は前にブログに書いた理由だけじゃないよ。

 では行ってきます。

2012年11月22日 (木)

キンドルも『ワンクリック』で即、購入させてよベゾスさん

 面白いのは訳者の井口耕二氏である。『スティーブ・ジョブズ』の翻訳者でもある井口氏は、今度はアップルの創業者の次はアマゾンの創業者の評伝を翻訳するということをやったわけだが、こうやっていずれは「IT関連のアントレプレナーの翻訳は井口耕二」という評価に繋がっていくんだろうな。

『ワンクリック  ジェフ・ベゾス率いるAmazonの隆盛』(リチャード・ブラント著/井口耕二訳/日経BP社/2012年10月22日刊)

 そうなると当然、ここはスティーブ・ジョブズとジェフ・ベゾスの比較になるわけだが、双方ともにその「圧倒的なカリスマ性」と「部下に何でも無理なことを押しつける傲慢性」という共通点があるようだ。

『アマゾンの目標はオンラインの巨大小売店になることではなく、「世界を変える」ことだと社員が口々に語りあっているというのだ。時給10ドルという最低辺の仕事を得るためだというのに推薦状3通、論文2通、大学進学適性試験であるSATの点数、大学の成績証明書を提出しなければならないということは、その後、昇進のチャンスがいろいろとあるのだとハワードは考えていた。結局、何週間かしか耐えられない仕事だったわけだが』
『毛沢東時代、共産主義が全盛だった中国のような感じです。共同体への貢献が常に求められ、貢献できなければ家族の厄介者という扱いになるのです。でも、あれを家族だというなら、低俗な番組に出てくるような家族ですね』

 といった具合に、常に社員に対し会社への忠誠を求める姿勢は、まったくカルト団体のそれだ。まさしく「アマゾン・ドット・カルト」である。

 もうひとつの共通性は、両者とも父親が本当の生みの親ではないということであろうか。ただし、労働者の子供として育てられたスティーブ・ジョブズに比較して、比較的に裕福な家庭で育ったジェフ・ベゾスという違いはあるが。

 ともあれ、ベゾスが何故最初に書店を始めたという理由はなかなか興味があるものである。つまり;

「よく知られた製品であること」
「市場が大きい」
「競争が激しい」
「仕入れが容易」
「販売書籍のデータベース作成が容易」
「ディスカウントのチャンスがある」
「送料が安い」
「オンラインの可能性」

 ということ。特に最後の「オンラインの可能性」というのはまさしく書籍ならではの商材といえるだろう。『ソフトウェアを使えば書名やカテゴリーで書籍を分類・検索・整理できるため、欲しい本をオンラインで見つけて買うのは簡単だ』ということと、『リアル書店ではせいぜい17万5000タイトルしか置けないが、それなりのパワーを持つコンピューターさえあれば何百万タイトルもの本をデータベースに用意できる』ということ。つまり、スタート時点でのアマゾンは自社で在庫を持たずに、取次在庫を使って本を売るということ、まさしく『ベゾスが作ったものは、インターネットで注文する本のカタログ通信販売サービスにすぎなかった』のである。

『データベースの登録が100万ヤイトルを超えたことから、ベゾスは、アマゾンは「地球最大の書店」だと表現するようになる』とは言っても、それは逆に『手元にある本の数を考えれば、当時のアマゾンは世界最小の書店だとも言えた』し『また、どのリアル書店もアマゾンと同等のタイトル数を取り扱っていると言えた』のである。しかし、その違いは『アマゾンには特製データベースがあって目当ての本をさっと探せること、また、リアル書店の店員に頼むよりすばやく注文できること』なのである。

 つまり特に先進性があったビジネスではないのだが、しかし、そのホンのちょっとの差が大きな差になっているのである。まさしく『業界2位の10倍になるには、実は10%だけ優れていればいいのです』という通りである。それと他の人より1日でも早くビジネスを立ち上げることが大事なのだろう。この1日、10%の違いがその後の大きな差となって2番を悩ませるとこになるのだろう。コンピュータ化の進んだ物流センターを持ったウォルマートが、ウォールストリートの連中がまだまだ安心して見ていたときに、最初にアマゾンに脅威を抱いたというのもうなずかせる話である。

 さてキンドルである。今後、日本でもアマゾンのキンドル投入によって電子書籍の波は大きくなるだろう。講談社もかなり前向きに対処している。

 しかし、問題はキンドルの配布の遅さである。10月26日のブログにも書いたが、10月25日に注文して手に入るのが来年の1月って話はないだろう。何しろ本を注文すると早ければその日に届いてしまうのである。ところがそれを読むデバイスは3か月待ちってのはあまりにも酷すぎる。それも店頭販売は既にスタートしているにも関わらずである。

 キンドルをアマゾンは将来的に無償化するという考えがあるそうである。確かに、アマゾンはキンドルの販売で稼ごうという気はないのだろう。むしろ無償化して書籍販売の実績を上げる方が大事なことであるだろう。とりあえずAmazonプライム会員向けにキンドルを無償で配布することをベゾスは考えているようだ。しかし、その時点でプライム会員のほとんどはキンドルを持っているのではないだろうか。だったら、初めから無償配布をしてしまった方がよい。

 とは言うものの、本当に早くしてよベゾスさん、というのが私の毎日なのである。

 

2012年11月21日 (水)

松任谷由実40周年記念アルバム『日本の恋と、ユーミンと。』

 松任谷由実のデビュー40周年記念アルバム『日本の恋と、ユーミンと。』初回限定盤(DVD付き)を買った。

『日本の恋と、ユーミンと。 The Best Of Yumi Matsutoya 40th Anniversary』(松任谷由実:作詞・作曲/EMI Music Japan/2012年11月20日刊)

 40周年だから、デビュー年は1972年。1972年にかまやつひろしプロデュースのシングル『返事はいらない』を出して300枚しか売れず、1973年に『ひこうき雲』を出して、多少は業界的には注目されてきたところだろうが、世間的に注目されたのは1975年の『あの日にかえりたい』の大ヒットだろう。

 私も荒井由実の名前を知ったのは、この『あの日にかえりたい』であって、その直前にヒットした『「いちご白書」をもう一度』の作詞・作曲が荒井由実だったことを知ったのは、この『あの日にかえりたい』のヒットの後だった。

 このバンバンが歌った『「いちご白書」をもう一度』の作者が荒井由実という小娘(と言っても私とたいして年は違わないんだけれども)だったというのがショックで、なおかつ『あの日にかえりたい』という、その当時としては(論理的には)絶対に同意してはいけない雰囲気の歌詞なんだけれども、何故か気分にしっくりくる歌詞を作ってきた人に対する興味は当然湧いてきたわけである。

 ということで、私は人には言わないけれども、いわば「隠れユーミン・ファン」であったわけです。ただし、「ユーミン」という呼び方は嫌でしたけれども。「アライ・ユミ」でいいじゃんかよ、という感じで。

 荒井(松任谷)由実の歌の良いところは、同じ「ニューミュージック」とか「ジャパニーズ・フォーク」とか言われてた世界からの出身なんだけれども、その「四畳半フォーク」と言われてた叙事的な、言い方を変えれば「貧乏臭さを売り物にした」フォークソングの世界から、そうじゃない世界があるということを示してくれた音楽ではあったわけだ。どうしたって日本人は世界では中流なんだから、中流の歌を歌うしかないんじゃない? という提案もあったのかも知れない。彼女の出自からもして。

 更に彼女のノン・ヴィブラート唱法は、それまで日本では語尾を伸ばせば皆ヴィブラートしていたのが、そうじゃない歌い方もあるのだということを知らせてくれた訳だ。実は、我々は既にアメリカのポップスの歌い方ではノン・ヴィブラートが普通だってのは知っていたのであるが、それを初めて日本で遣ったのが彼女ということ。

 何か、既成の音楽が嫌だからジャズやロックに(多少は無理しながら)行っていた気分を、邦楽に戻してくれる気分があった。そんな荒井由実ではあったのである。

 まあ、確かに八王子の呉服屋さんのお嬢さんと、慶應ボーイの恋愛であり、それを最初の頃はモチーフとしていた荒井由実の曲がカッコ良くないわけはないというものだった。

収録曲はDISC 1『やさしさに包まれたなら』『守ってあげたい』『卒業写真』『Hello, my friend』『DOWNTOWN BOY』『恋人がサンタクロース』『ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ』『ルージュの伝言』『Sunny day Holiday』『魔法のくすり』『acacia(アカシア)』『青いエアメイル』『時をかける少女』『ベルベット・イースター』『12月の雨』『A HAPPY NEW YEAR』、DISC 2『真珠のピアス』『あの日にかえりたい』『海を見ていた午後』『中央フリーウェイ』『埠頭を渡る風』『ノーサイド』『青春のリグレット』『BLIZZARD』『幸せになるために』『シンデレラ・エクスプレス』『DANG DANG』『わき役でいいから』『14番目の月』『翳りゆく部屋』『水の影』、DISC 3『リフレインが叫んでる』『ダイアモンドダストが消えぬまに』『真夏の夜の夢』『ANNIVERSARY』『Happy Birthday to You~ヴィーナスの誕生』『WANDERERS』『ガールフレンズ』『哀しみのルート16』『SWEET DREAMS』『カンナ8号線』『DESTINY』『ダンスのように抱き寄せたい』『ひこうき雲』『青い影/Procol Harum feat. Yuming』の全46曲。プラス初回限定盤では荒井由実時代のPVから最近のコンサートDVDの抜粋版約1時間が付いている。

 こうして荒井(松任谷)由実の40年間を見ると……なんて偉そうなことは言えないのだが、なんか戦後のまだ戦後らしい所の残る「東京」を知っている最後の世代としての「同時代感」というものがある。なにせ「中央フリーウェイ~調布基地を追い越し」なんですよ。調布基地なんて、その歌を作った時点でももうなかったはずなのに、そこに「基地」を入れるのは何かのメッセージとしか受け取れない。私が朝鮮戦争当時の練馬ジョンソン基地への「故障戦車入替トラック」というすごい存在を知ったように。

 さらに面白いことは、私が映画『AKIRA』でもって一緒に仕事をした芸能山城組の主宰者にして環境情報学者(音響)の山城祥二(大橋力)氏の調べたところ、松任谷由実の声にはモンゴルの「ホーミー」と同じような成分が含まれているということなのである。つまり基底音に足して倍音の要素が含まれている声だというのである。この倍音成分は人間に「いい気持ち」を感じさせるものだそうである。だから荒井由実の歌は聞いていると気持ち良くなるのか……、ってそんな単純な問題じゃないんですがね。でも、そんな感じさえさせる気分ではある。

 というところで、このオバサン歌手を持ち上げるのはおしまい。

 でも、この人のどこが「恋愛の教祖」なんでしょうね。初めっから松任谷正隆一本筋だったのがこの人の恋であった。「教祖」になる程の恋愛経験もないのに、たまたま歌詞の作り方が上手かったために、「恋愛の教祖」になってしまった。

 ということだけだったはずなのに。

 

 

2012年11月20日 (火)

『一億総ツッコミ時代』というより日本民主主義批判をしなければ

 テレビをあまり見ない私としては「マキタスポーツ」なる芸人がいることは知らなかったが、なかなかいいことを言う人だなあ。

『一億総ツッコミ時代』(槙田雄司著/星海社新書/2012年9月25日刊)

『自分では何もしないのに他人がすることについて批評、ときに批判する』という人たちの存在は、ツイッター時代になってますます増えているわけで、そんな時代の息苦しさを指摘したものだ。

 槙田氏は高度情報社会における消費者を3つの層に分ける。つまり「受動層」「求道層」「浮動層」である。

『「受動層」はかなり減ったとは思いますが、高年齢層などには依然として存在しています。情報源はテレビと新聞ぐらい。新聞も複数とって比較検討するようなことはしていません。一紙だけ読み、その一紙が「原発は安全だ」と書けば、そういうものだと信じてしまう』

『受動層の反対にいるのが「求道層」です。この人たちは放っておいても自分で情報を取りにいきますし、自分で情報を精査することもできます。リテラシーがとても高い人たちです。このような人たちは、少数ながらいつの時代も一定数います。
 オタクの中でもレベルの高いような人であったりとか、発信側にまわることができるような人たちが求道層となります』

『受動層と求道層の真ん中にいるのが「浮動層」です。いい意味でも悪い意味でも、情報に踊らされる人たちです。近年、この浮動層の人たちが特に情報に惑わされていると感じています。
 この人たちは軽めにいろいろなものをさらって、自分たちがツッコミ人格であるかのような錯覚を持っている人たちでもあります。頑張って「メタ視線」を維持し、いろいろな物事にツッコミを入れようとしているのですが、どこか無理がある。自分が求道層の気分ではあるのですが、完全になりきれているわけではないのです』

 という3つの層があって、問題はこの最後の「浮動層」なわけだ。

『浮動層は、情報を取りに行くのだけれど、処理能力が追いつきません。発信するふりをして、実際のところは右から左に横流ししているだけです。そこに一言「これはひどい」「これはスゴイ!」と感想にもならない言葉を付与して、何かを言った気になっている。インターネットは、そういう浮動層の人たちを確実に増やしてしまったと思います』

 というのがこの「浮動層」の実態だ。つまり、元々はマスコミが流した情報なのに、あたかも情報強者が何かを言っているような読み方をして、それを読んでリツイートしたり、ごく簡単で一方的なコメントを付与してツイートすることで、自分も何か言ったような気分になっているだけの、実は情報弱者が「浮動層」の実態なのである。

『何か出来事があると、ツイッターなどを使ってコメントひとつで軽くツッコミを入れる。とても手軽で、リスクも負いません。深い思慮があるわけでもなく、誰にでもできます。ワイドショーのコメンテーターは馬鹿にされがちな仕事ですが、それよりもさらに手軽でインスタントです』

 これでは自分の方は何も傷つく恐れはなく、自分は匿名性の向こう側に身をおいて、ただ単に相手を傷つけようという卑劣なやり方と何ら変わりはないではないか。何かを発信しようとするならば匿名性の中にいるべきではない。

 ところが日本におけるネット社会のあり方は、どうも2ちゃんねるやツイッターなどの匿名メディアで開放されているものが主流であるのが何か物足りない。逆にmixiやFacebookは実名主義ではあるけれども、内向きのメディアであり、ツイッターのような開放性のメディアではない。匿名のメディアであれば自分が何を言っても、自分が傷つくことはない。

 自分だけは匿名性の高みにおいて、他を批判するというのは、また更にそれが自分が発信した情報ではなく、他人が発信した情報にタダ乗りするだけのやり方では、それは決して民主主義の発展には寄与しないだろう。民主主義というのは「傷つくことを恐れずに発言」することであって、「傷ついても、更にそれを乗り越えて発言する」ことによって作り上げるものである。

 そうした姿勢があって初めて「ネット選挙」、「ネット直接民主主義」という言い方が出来るのであって、「匿名性」の陰に隠れて何かを言ったとしても、それは単に陰口を叩いているのと何ら変わりはない。そんな「陰口」をもって「何かを発信した・発言した」と考えているのであれば、それはとんでもない間違いであり、民主主義とは何ら関係のない、封建時代の農民的発想(本当は「百姓根性」と言いたいんだけれども)でしかない。

 まあ、元々民主主義が根付いていない日本である。あるのは多数決だけという「手続き民主主義」のわが国で、ネットリテラシーの発展なんて望むべきではないのかもしれない。しかし、ネット社会というものは、本来高い民主主義リテラシーにのみ支えられているべきなのである。良くも悪くも高い民主主義リテラシーのあるアメリカで発展したネットワーク社会である。そんなアメリカの(良くも悪くも)高い民主主義リテラシーを学ばないで、ネット社会の上っ面だけを真似した日本のネット社会のあり方である。

 そんな日本で高いネットリテラシーを望むこと自体が無理のあることなのかもしれない。

 なにしろ石原慎太郎と橋下徹が、政治的にはまったく正反対なのに、「強欲」という一点で手を握っちゃうことを容認する社会であるのだからね。

 いやはや何とも……。

 

 

2012年11月19日 (月)

全日本学生ロードレースカップシリーズ第8戦 浮城のまち行田ラウンド

 昨日は、「2012年度 全日本学生ロードレースカップシリーズ第8戦 浮城のまち行田ラウンド」と併せて「第7回 東京六大学対抗ロード(クリテリウム)大会」が、埼玉県行田市の行田総合運動公園を中心とする農道を締め切って2kmのコースを作った自転車レースが行われた。

2012_11_18_008_2しかし、全日本学生ロードレースカップは分るのだが、なんでその中に「六大学対抗ロードレース(クリテリウム)大会」が行われなければならないのか、ということだ。

 まあ、東京六大学がアイビーリーグよろしく仲良くしているのは分るが、だからといって自転車レースでも六大学はないんじゃないのとも思えるのであるが、どうだろうか。結局、東京六大学という形でまとまってしまっていることが、野球でも六大学そのものの存在感を低めているということに気づかないのかな。入替戦のない六大学野球というシリーズが、今や全米学生フットボールでも全く存在感のないアイビーリーグと同じく、お互いの力を衰えさせていることがあるのだ。

 ということで、この自転車ロードレースでも、結局は学生大会の前座レースみたいなものだしね。

 ちなみに、優勝は明治大学、以下、立教、法政、早稲田、東大、慶應という順番だった。

2012_11_18_121_2_2実際のレースはそのあと学生選手権のクラス3A、クラス3B、女子、クラス2A、クラス2B、クラス1の5レースが行われ、まず最初に行われたクラス3Aのレースでは中央大学の伊藤邦和選手が優勝! パチパチ! ということで少しは嬉しくなったんだけど、まあそれだけ。クラス3Bは東北学院大学の日向剛史選手が優勝した。

 とは言うものの、基本的にこのレースは完璧な平地でのレースである。まったく上りや下りのないレースで、自転車レースではあまり見ないケースのレースである。つまり、これが「クリテリウム」という形式のレースであり、要は短い距離のサーキット・レースでアップダウンもあまりないというレース形式、本来ならば六大学対抗レースみたいな何週かごとのポイント獲得レースに使われるコースなのである。しかしロードレースでそうなると問題は「風」の問題がある。この日は東京でも木枯らし一番が吹いたそうだが、ここ行田でも「赤城降ろし」が吹いて、ホームストレッチは完全な向い風。見ていると、ストレートであるにもかかわらず、ギヤは6速か5速あたりに入れている選手が多かったくらい。

 バックストレッチも短い為にトップギヤに入れている選手はいなかった。

 とは言ってもそれなりにレースの駆け引きはあるわけで、20km位のクラス3や2のレースでは最初から逃げた方が勝ちって感じでしょうか、30kmのクラス1のレースになって本当の駆け引きがあったという感じでしょうか。

2012_11_18_173_2女子は参加選手4名という、ちょっと残念な出走選手数なのであるが、日本体育大学の中村紀智選手が圧倒的な力を見せて、他3選手を半周くらいの差でぶっちぎって優勝という存在感を見せた。そういえば、鹿屋体育大学あたりの選手がいつも来て勝つというパターンが多い女子のレースなんだけれども、今回は鹿屋体育大学の参加はなかったので、結局はそういうパターンなのですね、ということだった。

2012_11_18_390_2レースはその後、クラス2A、クラス2Bと進んで、最終レースは最上級のクラス1のレースが行われた。

2012_11_18_547_2でクラス1はその駆け引きに勝った立教大学の渡辺洋平選手が中央大学の選手を差して優勝! 取り敢えずこのラウンドでの優勝を勝ち取った。

 おめでとう渡辺洋平選手。

 この後、学生選手権は来年2月17日の明治神宮外苑クリテリウムまで続く。

 その時はまた……。

 しかし、最近は元東大の学生チャンピオン、西薗良太(ブリジストン・アンカー)選手みたいなモンスターはいないのかなあ。

 それが、ちょと残念。

Nikon D7000 AS-F Nikkor 55-300mm/10-24mm @Gyouda, Saitama (c)tsunoken

2012年11月18日 (日)

行田なう

って、何で「行田なう」なのかについては明日のブログを参照あれ。

『間抜けの構造』って程には“間”じゃないことを語っているビートたけしがいるのであった

 ビートたけしは漫才師・お笑い芸人のときの名前。映画監督は北野武だ。じゃあ、この本はお笑い芸人のビートたけし氏が語り下ろした漫談。だから「マクラ」の「はじめに」はあるけれども、話全体を最後に落としたら、そのまま「あとがき」はなしという構造になっている。

『間抜けの構造』(ビートたけし著/新潮新書/2012年10月20日刊)

『“間”って一体なんだろう――。
 これについて考え始めると、そう簡単に結論が出ない。つまり、「“間”が悪い」の反対である「“間”が良い」とは何か、ということを考えなければいけないのだけれど、これが結構難しい』というフリではじめる漫談は、まず『第一章 間抜けなやつら』で「バカと間抜け」「間抜けな政治家」「間抜けな客」「風俗の間抜けな待合室」「間抜けな選挙演説」「間抜けな芸能レポーター」「間抜けなテレビ」「間抜けな男と女」「間抜けな運転手」「間抜けな弟子たち」というネタふりに始まり、次にたけし氏の知る世界での“間”についての考察が始まる。

 つまり、『漫才の“間”』『落語の“間”』『テレビの“間”』『スポーツ・芸術の“間”」「映画の“間”』という各ジャンルでの“間”の考察から『第七章 “間”の功罪――日本人の“間”』となって;

『“間”というものを大事にするのは日本の長所でもあるけれど、その一方で、短所もそこにある。“間”を大事にするということは、つまり過剰に空気を読む文化でもあるわけで、そうするとゼロから何かを生み出す能力がどうしても弱くなる。新しいものをつくるには、何かを壊さなきゃいけないんだけど、それが苦手。結果、思い切ったイノベーションができない』

 と結論付けるのであるが、それはちょっと違うんじゃないかとも思える。

 つまり、「“間”を大事にする」というのと、「過剰に空気を読む」というのはちょっと違う。「空気を読む」という文化が「他と違うこと」を避けるという姿勢に繋がって、その結果、過去を断ち切った新しいものが生まれないということは、確かにあるんだけれども。

 外国の記者が『あんたの履歴書を読むと、スタンダップ・コメディアンだったのが、映画監督になったとある』という質問をしてきたときには『ウディ・アレンだってそうじゃないか』と返せばいいのにな、なんて考えたりするのであるが。

 そのたけし氏が自身の「人生の“間”」について語るくだりが面白い。

『三十代の前半で漫才ブームが来て、それからずっと突っ走った。一時は週に七本以上レテビのレギュラーがあって、他にも特番があたりラジオがあったりしたから。仕事が終わった後も軍団やスタッフを朝まで飲んで、それから寝ないで野球やってまた仕事に行って、終わってまた飲んで……。“間”なんて一切ない。正気の沙汰ではなかった。
 それでフライデー事件。1989年12月8日深夜、三十九歳だった』
『『その男、凶暴につき』でデビューして、四本目の『ソナチネ』なんかが結構評価されて、「いいぞ、いいぞ」と思っていたら、今度はバイク事故。四十七歳で死にかけた』

 それを『おいらはそれで二度楽しませたんだから。我ながらいい“間”をしていると思う』と結論付けるあたり、なかなかの余裕である。

『時代ということを考えたときに、さっきも言ったけど、どの時代に生まれるかというのは本当に大事だね。その人の“間”がいいか悪いかというのは、どの時代に生まれたかに尽きるんじゃないか。
 おいらたちの漫才ブームがあって、その約十年後にダウンタウンとかウッチャンナンチャンが出てきた。その十年の間にいた漫才師というのはほとんどダメになっている。<中略>どうしても周期というのがあって、その波は大体十年なんだ。
 野球で言えば長嶋さんと王さん、相撲だったら大鵬・柏戸、芸能界だったら裕次郎さんとひばりさん、お笑いだと一番ピークがおいらたち。あとは小さな波は来るけど、おいらのときのようなビッグウエーブにはならない。
 企業だってそうだろう。ソニーがすごかった時代もあったけど、今は見る影もない。IT企業は今が全盛かもしれないけど、十年後はわからない。あらゆる業種というか職種に波みたいなものはあって、その時代にその分野がどうかというのは運でもあるし、“間”がいいかどうかが試される』

 って、それは“間”じゃないでしょう。“運”というのは当たりだけれどもね。

 で、最後の“下げ”は

『特に今の時代は、どんどん“間”がなくなっちゃってギスギスしている。本当は間があったほうが豊かになるのに。みんな履歴書に空欄をつくらないように、人生の“間”を必死で埋めようとしている。それでイケイケな社会ならいいけど、バブルはとっくにはじけた。高度経済成長なんてもう来やしない。人口も減る。そんな日本なんだから、もう一回、“間”というものを見直して、生き方を考えてもいいんじゃないかと思うけどね』

 という結論って、なんかたけし風じゃなくて、なんか当たり前のことを言っているにすぎないような気がする。

 もうちょっとビートたけし風に“毒”を吐いて、『そんな日本なんだから、もう日本は見捨ててどこにでも行っちゃったほうがいいんじゃないか。な~んて言って、その気になって若者がどんどん外国に出て行っちゃって、日本は年寄りばっかりになっちゃうの。そうすれば、まずますおいらたちの天下が続くってもんで、こりゃ永遠にビートたけしの時代だ』くらいは言ってほしかったんだけれども、そうではない。

 なんか、あまり“毒”にもならない言葉を吐くビートたけし氏を見ると、なんか人間も歳を取ると、だんだん抹香臭くなるような、その典型を見させられたような気になるのである。

 ちょっと残念。

2012年11月17日 (土)

国府津逍遥

 ふと思うところがあって東海道線は国府津駅まで行ってきた。というか、国府津駅では乗り換えをしたことがあったが、降りたことはなかったのだった。

 東海道線国府津駅は1887年に横浜駅(現在の桜木町駅)から延伸して開業し、その2年後1889年に御殿場駅・沼津駅を経て静岡駅まで開通した。今の御殿場線を通るルートが昔の東海道線だったのである。

 ただし、国府津から御殿場までは勾配がきつくて列車を後押しする機関車(当然蒸気機関車である)を連結しなければならなく、国府津駅がそのための機関車の基地駅として重要な役割を果たすことになった。

 特急列車であっても機関車連結のため国府津駅で停車をしなければならなかったわけで、そんな意味では国府津駅は東海道線の要衝だったのである。

2012_11_13_010_2国府津駅の駅舎が大きいのは、やはり昔の東海道線の歴史の賜物なのかも知れない

2012_11_13_012_2ただし、国府津の町は宿場町ではなく(宿場は大磯と小田原)駅前も別に町が発達はしていないで、ただ国道1号線(東海道)が走るだけである。

2012_11_13_099_22012_11_13_001_2親鸞上人が7年ほど過ごしたお寺があるそうでそこが「親鸞聖人御庵室」として碑が立っているが、そこと天神様くらいが国府津の名所だそうな。

 しかし、御殿場経由のルートでは速度向上のネックとなり、小田原―沼津を直結するルートを作る必要が出てきた。

 その後、トンネル掘削技術の向上などもあり、東海道線全通から45年後の1934年に丹那トンネルが開通した。その結果、熱海―三島が直結してしまうと御殿場ルートはいらなくなってしまい、御殿場ルートは御殿場線として東海道線から切り離されて一ローカル線になったわけである。ついでに言ってしまうと、1943年には戦時中の金属供出のために東海道線という大幹線では当然の複線から単線になってしまった。

2012_11_13_120_2御殿場線の始発駅である国府津駅に止まる御殿場線はJR東海の路線。その為にJR東日本のカラーであるオレンジと緑の「湘南電車」カラーではなく、白にオレンジ・バーのJR東海カラーになっている。

2012_11_13_126_2


3面5線式の駅の東京行き上り5番線の右にあるのが、東海道貨物線の2線、そのまた右の2線が待避線なのだが、これが後押し用の機関車の待避線の名残なのだろうか。当日は成田エキスプレスの多分大船駅始発列車の待避線として使われていた。

Nikon D7000 AF-S Nikkor 10-24mm @Koudu (c)tsunoken

2012年11月16日 (金)

『10分あれば書店に行きなさい』というのはその通りなんだけれども

 空いた時間があれば書店に行って刺激を受けましょう、という発想は概ね私と同意見なのだが、ここはあえて反論を述べてみたい。

 なんでかって? 単にその方が面白そうだから、というだけの理由。

『10分あれば書店に行きなさい』(齋藤孝著/メディアファクトリー新書/2012年10月31日刊)

 早速ケチをつければ『私は昨今売出し中の電子書籍にもいささか違和感がある。確かに一つの端末に何千冊、何万冊を収められれば、便利なことは間違いない、しかし、一定の時間を書き手とともに過ごしたという証拠が、形や質感として残らないのはいかにも寂しい』というけれども、それはそれでいいことなんじゃないのか? 要は「読み終わった本」はそこまでで役割を終えているのであり、その後の本の存在までを「形として残しておきたい」というのは単なる「本フェチ」でしかないのだ。

 さて、この辺はメディアファクトリーとしてはどうなんだろうか。電子出版に前向き? 後ろ向き?

 問題はそんな本フェチとか言うことではない。もっと根本的な「本」を「コンテンツ」として考えるのか、あるいは「形のある商品」として考えるのかという問題なのだ。つまり、日本の出版社の大半は「本を形のある商品」として考えていたのである。そこで、そんな出版社の一部門が、よその会社からも出資を仰いで、形のない「コンテンツ=例えば映画」なんかを作ってみなさい。次の日から、その出版社の経理は「形のないもの」に対する評価をどうすればいいか思考停止に陥ってしまい、経理がストップしてしまうのだ。

 出版社は「本という形のある商品」を売っているのではない。「コンテンツ」という「形のないモノ・コト」を売っているのである。その辺が分っていないと、出版社は自らを「メーカー」であるという誤解の元に運営していかなければならないのである。え? 出版社は「本」なんか作っていないでしょ、作っているのは「印刷会社」や「製本会社」でしょ、というのは現状をよく理解している人たちの発想だ。そう、「本」を作っているのは「出版社」じゃない、「印刷会社」や「製本会社」なのだ。ところが、出版社の経理部門は自らがメーカーだと考えてお金の計算をしている。それで通ってきたのは、それまでずっと「本が売れていた」から。経理部門としては、何も考えずに今まで通りのことをやっていれば、何の問題もおきなかった。

 ところが、いまや映像化というだけではない、書籍そのものが「形のない=コンテンツ」になってしまったのだ。さあ「どうする経理部門」ってなことではあるが、まあ、それはそれでそんなことが主流になってしまえば、経理のやり方もリニューアルされて、普通になっていくんだろう。私がやっていたことなんて、所詮「早すぎた」ということなんだろう。とまあ、私個人の「恨み節」はこれまでにして。

 まあ、「本フェチ」は好きにさせてればいいけれども。

『私はむしろ、「人に会ったら新書の話をしろ」「そのために新書で会話のネタを仕入れろ」と呼びかけているほどだ』という『常に「引用」を念頭に置く』という読み方は、実は私の本の読み方ではあるのだ。つまり、このブログを書くときのネタということなのだ。

 というか、逆に引用のために新書を読んでいるという方が正解かな。

 つまり、新書というのはそれだけ引用がしやすいジャンルであるといえる。文庫本のような小説というのは、その作者の作品を系列的に読んでいないと評論を書けないが、新書の場合はそのテーマごとの記述であるので、書評は書きやすい、別にそのライターの書いたものを系統的に読んでないと批評を書けないというものではない。ということで新書を読みながら批評箇所・引用箇所を探している読者が私の姿ということである。

 またその本の選び方というのがあって、みすず書房、岩波文庫、新潮クレスト・ブックス、NHKブックス、新潮選書という選び方はまあまともだといえるけれども、ディスカバー・トゥエンティワンとかアカデミー出版の「超訳」シリーズを入れているのはいかがなもんか。まあ、古典に親しませるということでいえば意味があるというところかもしれないが、しかし、本当は古典そのものと格闘しなければ、古典を読んだことにはならないはずだ。それを「超訳」で読んで、古典そのものを読んだ気にさせるのは、実は詐欺である。

 ビジネスセンスと言ってしまえばそれはそれで成立してしまうのであるが、しかし、やはりそれは詐欺なのである。その詐欺的行為を批判しないでいいんですか? という疑問もある。

 まあ、取り敢えずこのブログの読者の方にも言っておきたい。

 取り敢えず『10分あれば書店に行きなさい』と。

 齋藤氏の言うとおり、書店に行けば森羅万象の知識の宝庫のような場所にいけるわけだし、その宝庫に貴方を導くわけである。別に本を買わなくてもよろしい。そこにどんな本があるのかだけでもわかれば、今の時代のトレンドがわかる。今の時代のおおまかな実相がみえてくるのである。テレビじゃ絶対にみられない実相がね。ただし、そのためには「森羅万象の知識の宝庫」のような書店じゃないと意味がないということになってしまう。じゃあ、ジュンク堂や紀伊国屋がない場所に住んでいる人はどうすれば良いのかは書かれていない。まあ、それは仕方がないが。

 という事を書いてしまうと、なんだやっぱり齋藤氏と同じことを書いてるんじゃないか、と思われるかもしれない。まあ、多分そうなんだろうな。しかし、その本の選び方、本の使い方などでは齋藤氏と違うはずである。

 まあ、そこだけが違うということなのかもしれない。

2012_11_01_096_2こういう「町の本屋さん」が電子出版時代にも生き残るのだ

Nikon D7000 AS-F Nikkor 18-105 @Nishi Ogikubo (c)tsunoken

 

2012年11月15日 (木)

Inter BEE 2012 の会場から

 Inter BEEというのは日本風に言えば「国際放送機器展」、アメリカでやっている本家本元 International Broadcast Equipment Exhibition の日本版というわけである。放送に関わる映像と音と通信のプロフェッショナル器材の総合展示会であるが、このうち「通信」は最近の放送のデジタル化の流れの中でいやがおうにも存在感を増した「放送と通信の融合」というものを背景に様々なソリューションの提供ということで、出展するメーカーが特にソフトウェア関連で増えている。

 プロ用機器だけなので、来場者はそうした制作現場の担当者や学生ばかりであり、こうした展示会としては地味である。毎年開催していて、私自身としては個人的な興味で映像部門、仕事的な意味で音響部門をウォッチしているわけなのだが。

2012_11_14_070_2会場全景

「日本版」と言っても、SONYは世界の放送機器のトップメーカーであるから、SONYが開発した、あるいは開発している機材が世界中の放送機器のトレンドになるのである。したがって、SONYの経営危機なんてものはこの世界には関係ない。サムスンやLGなんかは「民生用の汎用製品の生産技術では日本に勝っている」が、プロ用の先端技術ではSONYに圧倒的なアドバンテージがあるのでほとんど関係ないし、パナソニックもプロ用器材ではマイナーな存在なので、この赤字状態からかちょっと前から出展していない。

2012_11_14_017_2ソニーはシネアルタを中心とした4Kシステムの展示が中心

 したがって、SONYのブースが会場の中心的な位置を占め、ブースも巨大である。

 SONYはデジタルシネマであるCINEALTAブランドの展開として4K映像(走査線が4000本)のスーパー35mmフォーマットのカメラ「F35」「PMW=F3」を中心とした映像シズテムを提案し、同時に今年開発した8K映像のカメラ「F65」の提案をしているので、多分来年のInter BEEではこちらの8K映像が中心になるのだろう。4Kでも十分なのに8Kまで行ってしまえば、最早銀塩フィルムの解像度を超えてしまうのであり、あとは監督・キャメラマンのこだわりで銀塩フィルムを使うのみという世界に入ってしまう。しかし、銀塩フィルムみたいなしっとり感のある映像もいまやビデオで可能になっているので、今後ますます銀塩派は立場がなくなってくるだろう。

 うむむ、プロ機器の凄さを見た気になる。 

2012_11_14_026_2XDCAMのコーナー

 私が気になったのはこちら、XDCAMの器材の小ささだ。プロ用ビデオカメラ(当然HD撮影ができる)としては本当に小さくて、一番小さい「XDCAMメモリーカムコーダー PMW-100」なんかはレンズ込みで1.8kgという主さであり、おまけに希望小売価格が税抜きで390,000円というお値段であり、「これなら買える!」と思わず考えてしまった。

 ただし、それはカメラだけ買えば済むって言うもんじゃなくて、システム全部そろえなければ意味がないわけなので、そうなると何百万円の世界になってしまい、当然購入しても意味はないのである。やっぱり民生用のハイスペック機NEX-VG30まで待とうかな(あるいはNEX-VG20の売れ残り品を狙うとか)。
2012_11_14_061_2SSLはお得意の各種コンソール

 こうしたコンソールを見ても、私はスタジオマンじゃないので最早あまり興味はわかない。以前は仕事上の興味はあったのですがね。

2012_11_14_046_2立教大学現代心理学部映像身体学科のブース

 東京工科大学を始め各大学の映像関連学部や学科もブースを展示。これは学生向けというよりは映像業界向けのリクルート用なのだろうか。

 Inter BEEは幕張メッセで11月16日まで開催中。

 事前登録はコチラまで→ https://regist.jesa.or.jp/interbee-regist/index.php?lang=0

Nikon D7000 AF-S Nikkor 10-24mm @Makuhari (c)tsunoken

2012年11月14日 (水)

『アメリカを占拠せよ!』という言い方は、さすがに共産主義者ならではあるが、残念ながらそうはならないのだ

 結局、アメリカの民主主義を象徴する「草の根民主主義」の運動は左右に分れ、左右から議会政治を批判したのだが、しかし右からの動きは共和党に利用されてしまったということなのだけれども、それは何故なんだろう。

『アメリカを占拠せよ!』(ノーム・チョムスキー著/松本剛史訳/ちくま新書/2012年10月10日刊)

 ノーム・チョムスキーMIT名誉教授は言う。

『共和党は何年も前に、政党だというふりをするのもやめてしまいました。あれだけ一貫した献身的な姿勢で、権力と利益をごくわずかな層の集中させることに専念してきた以上、もはや政党とはいいがたい。彼らにはひとつの教理問答(カテキズム)があって、まるで昔の共産党の出来損ないのようにそれをくりかえしています。
 とはいえ、選挙区の票を確保するためには、何かをしなくてはならない。もちろん例の「一パーセント」の票だけでは足りません。そこで、つねに一定数いるけれども、政治的にはあまり組織化されていない層を動員してきました――福音派の人々のほか、自分たちの権利やこの国が奪われることを恐れる移民排斥主義者などを。
 民主党は少しばかりちがっていて、支持者の層も異なりますが、それでも共和党とほぼ同じ道をたどろうとしています。現在の民主党を実質的に動かしている穏健派の議員たちは、一世代前の穏健派の共和党員とほとんど変わりません。それがいま、民主党の主流を成している状態なのです。彼らは自分たちの利益に適う選挙民を組織化し、動員しようと――こちらの言い方のほうがよければ、「取り込もう」としています。白人の労働者階級については、ほぼ見放してしまった。これはかなりの驚きでした。
 したがって、じつに悲しい事態ではありますが、現時点での民主党支持者に白人労働者はほとんど含まれません。民主党が動員しようとするのは、ヒスパニック、黒人、進歩党です。オキュパイ運動にも触手を伸ばそうとするでしょう。
 そしき労働者はいまだに民主党の票田で、これもやはり取り込もうとする。オキュパイ運動への対し方は、他の有権者の場合とまったく変わらない。政治家がぽんぽんと頭を叩いて、「私は君たちの味方だ、投票してくれたまえ」と言ってくるでしょう』

 結局、2008年のリーマン・ショックを期に、二つの草の根民主主義運動「ティーパーティー」と「オキュパイ」が生まれたわけだけれども、片方はオバマ政権の標榜する政策に対して「それは大きな政府」への道であり、大きな政府は社会主義への道であるということで反発し、もう一方は2008年の大統領選でバラク・オバマを支持したが、結局「オバマに騙された」と感じている層が中心になっているという特徴がある。

 しかし、両者はそれほど違っているわけではなく、同じ99パーセントの層なのである。つまり、2007年において、最も裕福な1パーセントがアメリカ合衆国の全ての資産の34.6パーセントを所有しており、次の19パーセントの人口が50.5パーセントを所有、残りの80パーセントが14.9パーセントしか所有していないという。その80パーセントの層がティーパーティーとオキュパイに分れて戦っているわけである。双方とも「We are the 99%」なのである。

 1992年から2007年にかけて、アメリカにおける高額所得者上位400名の収入はおよそ400倍上昇していながら、平均税率は37パーセント低下している、という所得税が累進税率でないが故の問題に対して、オバマが高額所得者への累進課税を提案すると、それは社会主義的な政策だと反対する。医療保険制度を導入しようとすると、それは共産主義だと反対する。という基本的に「政治オンチ」の人たちがなんか「草の根民主主義」なんだとばかりにティーパーティーなんかに参加するわけだ。そりゃ、共和党の「政治屋」には取り込まれるわけだよな。

 で、一方のオキュパイの方も一時的には盛り上がった運動ではあるけれども、それは長続きはせずに、いつのまにか沈静化してしまっている。勿論、表向きは沈静化しているけれども、そのひとつひとつの運動は参加者の中に確実に残って、引き続きなんらかの形で運動を続けている人たちがいるだろう。しかし、オキュパイにしても自然発生的におこった運動であるから、参加者は基本的に「政治オンチ」であることは、ティーパーティーと同じである。ティーパーティーと違うのは、ティーパーティーは明確な指導者がいたのに比較して、オキュパイには指導者がいないということなのだ。

 チョムスキー名誉教授だって指導者ではなく、単なる寄り添いインテリゲンチャでしかない。70年安保の時の羽仁五郎とか吉本隆明みたいにね。

 問題は、そんな「草の根民主主義」と「議会」を繋げる「環」なのであるけれども、個々の政治家がそんな「環」を持っているだろうけれども、政党として持っているところはない。したがって、共和党はティーパーティーを見限ってしまったし、民主党もオキュパイからは距離を保ったままである。

 今後、このオキュパイがアメリカの国政にどんな影響を残していくのかはいまだに見えない。2008年のサラ・ペイリンが共和党の大統領候補になったころはかなり目立っていたティーパーティーも、今年のロムニーに対してはあまり積極的に支援をしていないようだ。一説によると中道派のロムニーは保守系過激派のティーパーティーでは支援できないというのが理由だという説もある。

 アメリカの選挙制度がそうした草の根民主主義派「ティーパーティー」「オキュパイ」などの院外派を直接選ばないような制度になっているというのも事実ではあるわけだけれども、だったら議会に自分たちの代表を民主・共和両党に送り込むという方法もあるわけだ。しかし、共和党のティーパーティー寄りの議員だけしか、今のところいない。しかし、それもティーパーティー出身ではなく、ティーパーティーの言うことを上手く取り込んだ議員だけである。

 結局、ブッシュ政権の金持ち優遇策と戦費の拡大による財政赤字がすべてのアメリカ経済の不振の理由なのだけれども、だとしたらすべての議員がオバマの政策に賛成してもいいとは思うのだが、なぜか共和党は「オバマの政治」だというだけで反対に回ってしまう。日本のような「党議拘束」がないアメリカの政党政治には少しは期待していたのだけれども、最近の共和党はちょっとおかしい。共和党支持者だって、99パーセントや80パーセントの、所謂「負け組み」がいるでしょう。なんで、そういう人のことを考えないの? ということである。

 ということで、残念ながらチョムスキー氏が期待するようにはアメリカ社会は変わらないだろう。相変わらず、全世界に迷惑と困惑を与えながら生き続けるのがアメリカ経済である。

 若い国でありなら、世界に覇権をもっている国。世界の覇権を失った時に、どうすればいいのか分っていない国。世界の国々(いまのところヨーロッパやアジア)と同列になった時に、どうすればいいのか分っていない国があるのだ。

 あと10~20年後の世界がどうなっているのか、それは分らないが、とにかくアメリカを中軸とした世界秩序がなくなっていることだけは、間違いない。

 その時に、アメリカがどういう立場で世界に迫ってくるのだろうか。

 

 

2012年11月13日 (火)

今週のfitbit weekly progress report 2

Hi mxl01056, here are your weekly stats.
11/05/2012 to 11/11/2012
WEEK'S MOST ACTIVE DAY
Fri, Nov 9
WEEK'S LEAST ACTIVE DAY
Mon, Nov 5
TOTAL STEPS
56,010
DAILY AVERAGE
8,001 steps
BEST DAY
12,165 steps
TOTAL DISTANCE
40.22 km
DAILY AVERAGE
5.75 km
BEST DAY
8.73 km
TOTAL FLOORS CLIMBED
111
DAILY AVERAGE
16 floors
BEST DAY
21 floors
TOTAL CALS BURNED
17,007
DAILY AVERAGE
2,430 cals
BEST DAY
2,662 cals
WEIGHT CHANGE
0.3 kg
LIGHTEST
93.4 kg
HEAVIEST
94.3 kg
AVG SLEEP DURATION
6 hrs 6 min
AVG TIMES AWAKENED
6
AVG TIME TO FALL ASLEEP
0hrs 5min

Last week's step winners

1 mxl01056
56,010 steps
See current leaderboard

Last week's badges

See all of my badges

What's the buzz?

You're receiving this newsletter because you signed up for a Weekly Progress Summary.
Not interested anymore? Unsubscribe. Fitbit and the Fitbit Logo are registered trademarks of
Fitbit, Inc. Fitbit, Inc. - 150 Spear Street San Francisco, CA 94105.

10ヵ月後の王子 さくら新道

 1月30日のブログに王子のさくら新道の火事のことを書いた。

 それから10ヶ月過ぎて現場がどうなっているのか気になって見に行った。

Epsn0501_2

2012_11_12_013_2

2012_11_12_017_2

2012_11_12_022_2

 3棟あった長屋は上中里側の2棟が全焼という状況だったが、その2棟は完全に更地になってしまい、フェンスで囲まれて中に入れない。類焼を免れた王子側の1棟ももはや営業は行っていないようで、家の中はがらんどうになっているようだ。

「みよし」という居酒屋も看板は出ているが仕事はしていないようである。長屋のすぐ隣というか壁が接している「歌えるスナック まち子」だけは、モルタルづくりであるためあまり火事の影響は受けなかったものと見えて、なんとか営業しているようだ。何ともはや残念な「飲み屋街」ではある。

2012_11_12_024_2Nikon D7000 AF-S Nikkor 10-24mm @Ouji (c)tsunoken

 もともとこの地は、JRを挟んで反対側にあるもともとの戦後の闇市、柳小路を区画整理する際にくじ引きで外れた人たちの移転先として割り当てられた場所だったそうで、土地の所有者は東京都である。

 東京都としては以前からこの土地の借地権を返還するように住民に求めていたそうで、だから焼け跡はフェンスで囲ってしまっているわけである。焼け残ったところも東京都からは返還を求められているのだろう。「まち子」だけが営業を行っているようだが、それも世代が変わってしまえばどうなるか。

 こうして、東京都からも戦後の記憶、昔の名残り(最初「遺構」と書いてしまって、ちょっとそれは酷いだろう、ということで)が減っていくのである。

 多分、その後は何の味もない普通の街ができてくるのであろう。

 ちょっと、残念。しかし、それもやむを得ないことなのかもしれないが。

2012年11月12日 (月)

カレッジフットボール2012 レギュラーシーズン終了

 昨日は関東学生アメリカンフットボールのレギュラシーズン最終日だった。

 横浜スタジアムではAブロックの決勝戦になる日本大学対明治大学の全勝同士、Bブロックの決勝戦になる全勝・法政大学対1敗・中央大学、3・4位決定戦になる4勝同士の早稲田大学対慶應義塾大学の各試合。アミノバイタルフィールドではBブロックの5・6位決定戦になる3勝・専修大学対2勝関東学院大学戦と、Aブロック3・4・5位決定戦になる3勝・東京大学対4勝・日本体育大学戦が行なわれたが、これに前日一橋大学に勝って4勝とした立教大学が加わって、もし東京大学が勝つと、東大・日体・立教の3すくみになって得失点差で順位が決まるという、ちょっとシビレる対決となった。

2012_11_11_001_2

2012_11_11_174_2_3

2012_11_11_752_2

2012_11_11_644_2_3Nikon D7000 AF-S Nikkor 70-300 @Chofu (c)tsunotomo

 結果は、ハマスタで行われた日本大対明治大戦は14対0で日本大、法政大対中央大戦は27対0で法政大、早稲田大対慶応義塾大は23対14で早稲田大がそれぞれ勝ち、アミノバイタルフィールドで行われた専修大対関東学院大戦は21対0で専修大、東京大対日体大戦は42対21で日体大がそれぞれ勝った。

 その結果、1部リーグAブロックは日本大がトップで、以下、明治大、日体大、立教大、東京大、一橋大、神奈川大、上智大という順位になり、Bブロックは法政大がトップで、2位が中央大と早稲田大だが、早稲田が勝っているため早稲田の2位、中央大3位、慶應大と専修大が同率4位となり、こちらも慶應大が勝っているため慶應の4位、専修大5位、以下、関東学院大、学習院大、東京都市大という順位順列になった。

 ということなので、11月25日に横浜スタジアムで行われる関東大学選手権「あずまボウル」は日本大学対法政大学という戦いになった。

 その後、あずまボウルの勝者と北海道対東北代表決定戦の勝者が戦う東日本代表校決定戦が12月2日、学生日本一を決める甲子園ボウルが12月16日、そしてクラブチームと学生代表が戦う全日本選手権「ライスボウル」が2013年1月3日に行われる。勝ったチームはまだまだアメフトを楽しめる(苦しむ?)わけですね。

 そのあと、関東学生はカレッジボウルという「思い出作り」みたいなAブロックとBブロックのオールスター戦が行われるが、取り敢えず大半の4年生選手は昨日の試合で学生スポーツ終了ということになる。

 嬉しい結果を残したチーム、悔しい思いで終わらなければならなかったチーム、それぞれあると思うが、いずれにせよ学生時代の「いい思い出」であることには違いない。それに気がつくのはあと何年してからかな。

 まあ、後は卒論頑張ってください。

 

 なお、ラクロスも11月10日に関東学生選手権のファイナルが終了し、男女とも慶応義塾大学が優勝。このあと11月23日学生全日本準決勝、11月25日学生全日本決勝、12月16日クラブチームとの全日本選手権と駒を進める。

Photo(c)St. Paul Saints

2012年11月11日 (日)

長岡で散歩カメラ by LEICA M6

 11月3・4日に山古志・小千谷へ牛の角突きを見に行った際には長岡に宿泊。11月4日の小千谷闘牛は午後からだったので、長岡市中心部を散歩カメラ。久々のライカでアナログ撮影を試みた。

Img018_2

Img043_2

Img032_2

Img041_2

Img050_2

 新潟は越前・(加賀・能登)・越中・越後という具合に、ヤマト王権の勢力が十分に及ばない、京都から遠く離れたところということで、昔は「越の国」という具合に総称されていた場所である。そして越後も「上越」「中越」「下越」というふうに三つ(佐渡を入れて四つという言い方もある)の地方に分かれていて、それぞれが別の藩だった。上越は高田(現在の上越市)を中心とした地方で中越が長岡を中心として、下越が新潟を中心とした地域だが、実は元々は長岡藩領であった時代もある。つまり長岡が昔は越後の国の中心部であったわけだ。「山古志」「古志郡」という「越の国」にちなんだ名前が長岡周辺に残っているのも、その証左かもしれない。

 現在は日本海に面して良い港がある新潟市の方がずっと大きくなっているが、元々は長岡が新潟の中心。信越線も長岡から出ているしね。

 じゃあ、その中心たる長岡市にはさぞ大きな長岡城があるんじゃないかというのが、私を含めた素人の浅はかさというところで、実はそんなものは跡形もないのであった。長岡城の本丸跡は現在のJR上越線長岡駅の場所だし、二の丸跡は長岡市役所の出先機関があるのみである。

 まあ、幕末期に奥羽列藩同盟に加わり反維新派に属する結果となった長岡藩の平城が、維新後にも残るということはなかったというわけだ。

 11月10・11日は長岡まつりという官製のお祭りを開催していて、地域の名産品である錦鯉やランチュウなどの販売、菊の花展などを行っていた。お祭りの意向としては、何かよく分からないお祭りである。といっても、朝のうちしかいなかったからよく分からなかったのかもしれないので、あまりお祭りについて言及することはやめておこう。

 長岡の盛り場と言えば、駅から見て南西方面にある殿町あたりなのだが、日曜朝では人出もなく……、まあ休日の朝の盛り場ってこんなものなのだろうな、といういつもの盛り場の朝。

 というような訳で、前日夜にいただいた栃尾(現在は長岡市)の油揚げという名物料理の写真で。

Img006_2

 アナログ写真というのもいいもんだ。明るさと露出と絞りの関係論もたまには体に覚えこませておかないといけないからね。

Leica M6 Summicron 35mm/F2 Tri X @Nagaoka (c)tsunken

2012年11月10日 (土)

小太郎ゴメン! ということで罪滅ぼしなんだがなあ……

 先日のブログで「山古志の小太郎が小千谷に出張」なんてことを書いたら、早速「山古志・牛の角突きブログ」の管理人「あっちゃん」さんからクレームがついて、「一太郎は出張はしません! それは小千谷のよした君です」ということだったので、確かに見返してみたら「よした君」だった。ということなので何かこの罪滅ぼしはできないか、と考えていたら一太郎のFacebookに「墨田区緑町公園イルミネーションバザール」の文字が。つまり山古志村の展示やら野菜などのバザールがあるようなんだよね。で、そこに小太郎も来てると……。

 ということで昨日夕方、行ってきたんですよね。「イルミネーションバザール」っていうからにはメインは夕方からだろうと考えて……。

 で、前の打ち合わせを早めに切り上げて時刻は午後5時15分ごろ、頃合としてはちょうどいいかなという時刻に参上してみれば……

2012_11_09_001_2_2

 ええっ、もう終わってるの~。って、早すぎ。5時に仕事を終えて帰ってくるオジサンたちだって、これじゃあ間に合わないじゃない。バーベキューだって食べられないじゃない。お土産の野菜だって買えないじゃない。

 さらに「山古志の小太郎」にも会えないじゃない。

 ということで、残念ながら小太郎に「ゴメン!」の一言も渡せなかったんだよぅ。

 で、しょうがないので取り敢えず展示物だけの写真です。

2012_11_09_004_2_2

2012_11_09_005_2

2012_11_09_010_2_6

 これが「山古志の小太郎」、まあノーヘルであることはちょっと山奥のことなので許してね。

0503_1_3(c)小太郎

 これは小千谷の「よした君」、山古志の「小太郎」ではありません。

2012_11_04_116_2

Nikon D7000 AF-S Nikkor 55-300 Fujifilm X10 @Odiya @Sumida  (c)tsunoken

 ということで、墨田区緑町公園の『イルミネーションバザール』は11月11日まで。

 いろいろ山古志村の特産物の販売なんかを行っているようです。

 場所は墨田区亀沢2-7-7(地図はコチラ→ http://www.mapfan.com/m.cgi?MAP=E139.48.13.2N35.41.37.2

 JR総武線両国駅から歩いて10分くらいです。

 私は10、11日は別件があって行けないのです。申し訳ない。

 なのになあ。

2012年11月 9日 (金)

『百年前の日本語』は漱石の「立ち位置」の基本が分っていないんじゃないか

 筆者の今野真二氏は1958年生まれであるから、現在54歳。つまり学者としては一番いい年齢なのだろうけれども、こうやってミクロの世界に入り込んでしまうと(実はそれは楽しいんだけれどもね)「現代の全体像」ってものが見えなくなるんだろうな。

『百年前の日本語――書きことばが揺れた時代』(今野真二著/岩波新書/2012年9月20日刊)

 基本的に書きことばの分析から入るわけであるけれども、やはりその場合は夏目漱石からなんだな。

『夏目漱石の『それから』も第一回は(一の一)は、明治四二年(1909)年九月二七日に、『東京朝日新聞』及び『大阪朝日新聞』に同日掲載され、同年一〇月十四日に、一一〇回(一七の三)が掲載されて連載を終える。 <中略> その原稿の四行目に「思つてゐる所へ折りよく先方から遣つて来た」という行りがある。その「所」の字に注目してみると、まず「一」と書いてから、その下の左側に片仮名の「ツ」のようなかたちを書き、その右に片仮名の「ケ」のようなかたちを書いた字形であることがわかる。この字形を見て、「所」であるとわかる人は現在は少なくなっているのではないだろうか。原稿の五行目、九行目にも「所」字があるが、いずれも、右で述べたような字形をしている。この「所」の字形については、拙著『消された漱石』(2008年、笠間書院刊)第二章においても採り上げたが、伝統的な楷書体につながる、いわば由緒正しい字形である。漱石はそのような字を書いていた。
 ところが、この字形につながる字は、五万字を載せている『大漢和辞典』にも載せられていない。明朝体活字の漢字字形を概観するには、文化庁文化部国語課『明朝体活字字形一覧―一八二〇年~一九四六年―』(1999年刊)が便利であるが、これを見ても右の「所」字と同じような字形の明朝体漢字はみあたらない。先に述べたように、しらずしらずのうちに、「明朝体」という書体に基づいて「字体」概念を形成している現代人には、漱石の書く伝統的な楷書体の「所」が奇異なものに映ってしまう』と書くのだが、別にそんなことはないはずだ。

 こういうミクロな分析にばっかり行っちゃうから、学者の分析は間違うんだよな。

 漱石は明治40年(1907)に朝日新聞に入社したわけだが、それは別に新聞記者になるために入社したわけではない。つまり、当時は今のように「外部の作家に小説を書くために発注する」という考え方も、更に現在のような著作権に対する考え方もなかった時代、作家を自らの会社に留めて、なおかつ印税を払うという現在の考え方の代わりに給料を払うという形で作家に報いるためには「作家を社員にする」というのは、ごく普通に行われていたことなのである。

 漱石が朝日新聞に入社するまでのフリー時代に書いていた作品は『我輩は猫である』『坊ちゃん』『野分』の三作だけである。その三作で作家として認められた漱石は、朝日新聞の「座付き作家」になって、以後、朝日新聞の為に小説を書き続けたわけである。

 ということなので、当時1行19字詰めであった朝日新聞に合わせて自ら19字詰めの原稿用紙を作った漱石である。当然、その時期の漱石の小説原稿は朝日新聞の担当編集者と担当校閲者が目を通すことを前提として書かれているわけである。ということは、漱石はそういうことを前提として直筆原稿を書いていたわけであって、つまり、たとえどんな「略字」を書いていようとも、そこは朝日新聞の校閲基準でもって判断される表現方法に改められることを承知で書いていたのではないか、という考え方をするのが普通じゃないか?

 それをもってして、漱石の自筆原稿をそんなに「意味」のある原稿とする意味が分らない。何故、そんなに意味があると考えるのだろうか。

 というところから、私としては近代文学の研究者に対する不信が出てくるのだ。

 何故かこの辺の近代文学研究者って「自筆原稿」にこだわるのだ。しかし、明治以降の「活版時代」になってから現代に至るまで、「自筆原稿」を見ても意味はないのではないか。結局、自筆原稿なんてものは活版時代以降は単なる組版担当者に対する「記号」でしかないのである。まさしく、夏目漱石の原稿用紙がそうであったように。

 だいたい「原稿用紙」そのものが、「活版印刷」のための「文字数数え」のための参考用紙なのだ。適当な字詰めを見せて行数を見せることで、おおまかな全体字数を見せるというものなのである。でなかったら、全然原稿用紙なんてものは必要はないはずだ。昔、本を印刷しなかった時代には、書き手は勝手に自分の書きたい用紙に書くわけだし、それを筆写する人間はそれはそれで勝手に筆写していたわけだ。それがキリスト教聖書の歴史。

 つまり、漱石が「原稿用紙」を使ったことを基本的に採り上げるべきだと思うのだが、そうではない方向に今野氏は行ってしまう。

 その結果としての「統一される仮名字体」という言い方でもって、明治期の「漢語」「和語」「外来語」などの諸言葉による「揺らぎ」が、昭和を経て平成になって、そんな「揺らぎ」が統一されることを残念に思う筆者の姿が見えるのであるが、実は全然そんなことはなくて、相変わらず日本語は「揺らぎ」つづけているんだな。

 確かに、今野氏の判断の依拠している文科省の文書とか、神田神保町で作られる辞書では、最近の日本語表現は明治期に比べて「揺らぎ」がなくなっているようには見えているのだろう。ところが、事実はそんなところでは動いていないのだ。

 例えば「外来語」というのは今野氏にとっては「英語」をベースとするところのヨーロッパ言語だろうけれども、今の我々の「外来語」というのはアジア語ベースの韓国語(朝鮮語)や現代中国語(漢語ではない)なのである。

 そんな「外来語」の中で相変わらず「日本語は揺れ続いて」いるのだし、もっと大事なのは、やはり世界中の言語もまた「揺れ続いて」いるということだ。

「絶対的な英語」もないし「絶対的な日本語」もないのである。

『揺れ動いていない』言語なんかはない。常に『揺れ』ているのが『言語』なのである。

 その辺が『学者』には見えないんだろうな。

 ということで、通算1000番目のエントリーではありました。

2012年11月 8日 (木)

『英文法の魅力』は楽しく読める英語に関する本であるが、読んだからといって英語は上手くなりません

 今日と明日、語学シリーズであります。

 で、今日は英文法。そうみんな悩んだEnglish Grammarであります。Glamourではない。

 ところがこのgrammarとglamourの語源が同じというところが面白い。

『英文法の魅力 日本人の知っておきたい105のコツ』(里中哲彦著/中公文庫/2012年5月25日刊)

『grammarという単語は、ギリシャ語に起源をもち、ラテン語に引き継がれ、古フランスのgrammaireを経て、英語に』入ってきた言葉だそうだ。原義は「文字を書く技術」(art of letters)である。それがやがて大衆が「文字を書く技術」を「秘学・秘技」と結びつけて考えるようになり、「魔法・魔術」という意味を持たせるようになった。18世紀には、スコットランドの詩人たちがgrammarの異形であるgramarye(魔法)をglamourとつづくるようになり、19世紀半ばあたりから「魔法」が「うっとりするような魅力・妖しい魅力・性的魅力」へと変化し、20世紀に入ってからはアメリカ映画でglamourな女優が登場したことから、この単語を広く人々に知らしめるようになったということである。

 ここで面白いのは「r」と「l」の取り違えがあったということである。日本人にとって不得意だとされるこの「r」と「l」の違いが、実はヨーロッパ人だってあったんだというところが、何となく日本人としては安心できるところである。なんだ、アイツらだって同じジャンというところで。

 という具合に「語源」「語彙」「語感」「語法」「語義」「誤解」の6つの項目に分けて、読者からの質問に答える形で、英文法を説明する本書は、もともとは東京新聞および中日新聞に「英語の質問箱」欄に掲載されたコラムが元になっている。

 例えば「誤解」に属するものでは「ノー・モア・ヒロシマ」という言葉が日本語にはあるが、これでは英語にならないのはよく分かる。「ヒロシマの悲劇を二度と繰り返すな」という言葉を英語にするなら No more Hiroshima. ではなく No more Hiroshimas. と複数形にしなければいけない、なんてのは読んでみると「なるほどなあ」と頷けるものだ。「クール・ビズ」が完璧に日本語なのは知っている。 Cool Biz っていったら、Cool(「涼しい」転じて「カッコイイ」)なBusiness(「仕事」)ということで、それは経産省が提唱している「クール・ジャパン」つまりアニメ・マンガ・フィギュア・ゲーム・J-POP・アイドルなんかのビジネスということなのかと思われるだろう。

 Feeling good?(ノッてるかい?)に対する答え Yeah! はいいのだが、マドンナが東京でもライブで何を言っても Yeah! としか返事をしないファンにうんざりして Can I go home? と聞いたら、当然会場のファンからは Yeah! という答えが返ってきたという笑い話は面白い。はたしてマドンナがそれで帰ってしまったのかどうかは知らないが。

 ただし、この項の最後に『また、そうしたコンサートでは「アンコール!」を連呼することがならわしになっていますが、英語では次のように声をあげるのが一般的です』として We want more! We want more! という書き方をしているが、しかし、それはアメリカやイギリスでの話。別に日本では「アンコール!」であっても構わないのだ。だって「アンコール」ってのは encore というフランス語なんだから。ただし最後の「r」の発音をフランス風にしないといけないけどね。

 その他、「~関係の仕事に就いています」というのは I'm in ... でいいというのは、私としては I'm in charge of ... かと思っていたのだが、それだと「~の管理をしています」というような意味になってしまうのだったな、と思い出させてくれたり、「あのね」は Guess what? や You know や Look! Listen! や Say! でいいと言うのは、ちょっと最近のアメリカ英語の劣化ぼりを感じさせる。By the way ... という正しい言い方があるじゃないか。この余りにも簡単になりすぎたアメリカ英語はたしかにグロービッシュ的な流れの中の出来事なのだけれども、なんかネイティブだけはちゃんとした英語を喋れよと言いたくなってしまう。

 その他 Thank you. / I'm sorry. / Excuse me. の使い分けとかの実用的なこととか、「パンの耳」は ear じゃなくて heel だとかのトリビア・ネタ、リスニング能力を高めるためには音読をこころがける、なんていう昔から言われていることなど、いろいろ実用的な英語に関する知識がいっぱい詰まっていて、楽しく読みながら結果として読み終えると英語能力が上がっている…………………………なんてことはなくて、別にどうでも良い知識が増えてるだけである。

 英語を上手に話したかったら、それがグロービッシュであっても、ちゃんと訓練するしかないようだ。

 というのがオチって、ちょっと悲しくないか?

 ま、でもそれが語学訓練の基本。とにかくアメリカ人やイギリス人(アメリカ人の方がいい加減でよいが)をつかまえて、英語で喋ってみるってことですね。上達の基本は。

 

2012年11月 7日 (水)

『アニメ映画ヒットの法則』は実は簡単な方法があるのだ。それがプロデューサーである

 著者の斉藤守彦氏から本が送られてきた。そういえば、元東宝宣伝部の芝裕子と一緒に来社されて取材を受けてからもう3年も経つのか。

『アニメ映画ヒットの法則 映画ジャーナリストが見た配給・興行・宣伝の現場』(斉藤守彦著/ナレッジフォア/2011年11月16日刊)

 斉藤守彦氏は「映画関連文筆業」を名乗っている映画ジャーナリストである。「映画評論家」ではない。その辺がいいところで、映画というものを「作品」というレベルではなく「商品」というレベルで見ている。映画というものは、商業映画というものは、映画評論家のように作品が当たったのかハズれたのかという観点は全く無視して語っていいものではない。基本的に映画のプロデューサーが外部から評価されるのは「映画が当たったかハズれたか」であり、関係者から評価されるのは「製作費をリクープして出資者にキャピタル・ゲインを与えられたか」である。つまり、「良い映画」は当たった映画なのである。

 しかし、そんな映画関連文筆業者であっても「We are NOT Publicity writers」と書くのであるから、それは不思議なものであるけれども、『批評や記事(報道)は、必ずしも誉めればいいてものではない。時には苦言を呈しなければいけない場合もある』と書いたものを読むとき、やはり斉藤氏のあたりにも配給会社からのプレッシャーがあるのだなあ、と感じる。つまり、配給会社の宣伝マンからの「誉めろよな」プレッシャーである。

 配給会社の立場からすれば、せっかく「タダで映画を見せた」んだから誉めてほしいってところだが、見た人はあくまでも個人なんだから、その個人なりの感想があるわけなので、誉めるばかりでなく、時には貶すこともあるわけだ。しかし、たとえ貶されようとも、その記事はその作品のタイトルについて「人々の目に触れる」ようにしたんだから、パブリシティにはなっているわけだ。その批評を読む人にとっては、「この批評家が貶したんだから、この映画は面白そうだ」と読む場合もあるわけなんだからね。

 配給会社ももっとおおらかになった方が、お互いの将来のためにはいいんだけれどもな。

 というところで、本の内容紹介を。

『第1章』は各映画の関係者からのインタビューに基づいた各作品背景の紹介。取り上げられる作品は『宇宙戦艦ヤマト』『崖の上のポニョ』『ハウルの動く城』『ルパン三世 ルパンVS複製人間』『時をかける少女』『ONE PIECE film STRONG WORLD』『AKIRA』『攻殻機動隊 S.A.C. SOLID STATE SOCIETY 3D』『プリキュア(シリーズ)』『イヴの時間』の他、映画の興行に関わる人たちへのインタビュー。作品についても斉藤氏が取材するのは、監督ではなくプロデューサーや宣伝プロデューサーなど、映画を創作面からばかりでない側面から見なければならない人たちだ。つまりそこで語られるのは映画の芸術的側面(もあるけれども)だけではなく、むしろ商業的側面の方だ。

『第2章』は2008年から2012年の年間アニメ映画総決算。各年に公開されたアニメ(国内産・外国産含めて)の興行的側面からの論評。

最後が『特別対談』ということで、パイオニアLDC(現ジェネオン・ユニバーサル・エンターテインメント)から独立して、現在はアニメーション映画などを製作している株式会社ジェンコの真木太郎氏と斉藤氏の対談『業界に必要なのはオリジナル作品と人材を育成するための環境だ』である。

 たしかし、ジェンコは設立当初は故今敏監督の『千年女優』『東京ゴッドファーザーズ』やなかむらたかし監督の『パルムの樹』などのオリジナル・アニメーション映画を作っていた。この生き方に私なんかも注目していたのだが、それらの作品は大ヒットを飛ばすことはなく、一部のファンから高く評価されたものの、映画業界からは無視されて、その後、ジェンコもアニメーション映画の製作は行っていない。

 結局、真木氏も言っているけれども、オリジナル作品を書けないというか書いたことのない脚本家や監督が多すぎるということなのだろう。

 これは、結局出版社が当たったコミックをコンテンツとして持っている、そのコンテンツを更に売り伸ばし、合わせてキャラクターなどの版権ビジネスとしてアニメーションを考えている、更に、アニメーション現場から「こんな企画があるんだけど」といって上がってきても、それを出資者に提案するプロデューサーがいないという、出版社・アニメーション制作会社などの業界構造からくる問題なのだろう。

 今敏みたいな確信犯的に作品作りをする監督でもいない限り、そんな業界構造を壊すことは出来ないんだろうけれども、それにしてもプロデューサーがそんな確信犯的な監督に呼応して動かなければならないのだ。真木氏自身は自分もそんな確信犯的なプロデューサーだから、それをオリジナルを書けない脚本家やアーチストのせいにするけど、むしろ現場にオリジナル作品を作らせようとしない、企画力のないプロデューサーが多すぎる、というかほとんどいないということのほうが問題は多いのじゃないか。

 いまやオリジナル作品を作っているのはスタジオ・ジブリくらいしかなくて、その他の製作会社はほとんどがコミック原作のアニメーションばかりだ。って、私もそんなアニメーションばかりを作ってきたのだが、それはやはり出版社の社員であった規制がかかっていたのかもしれない。今から考えてみるならば、アニメーション発のコミック企画だってあったはずなのだが、それはあまり考えてはこなかった。

 ただし、私もオリジナル作品を書けない脚本家があまりにも多すぎるアニメーションの世界には、残念ながらあまり未来はないな、と考えていたのも事実で、その狭間でいろいろ考えていたこともあった。

 とは言うものの、斉藤氏が『アニメ映画は、現在の日本映画界において作家主義が通用する唯一の分野』という通り、まだまだアニメーションの世界では作家が力を持っているのは事実。問題は、そんな作家と問題意識を共有できるプロデューサーの存在だ。実は日本のアニメーションの世界ではプロデューサーの地位が低すぎるのである。

 スタジオ・ジブリの鈴木プロデューサーのような存在は日本にはいない。少なくともあと10人くらいの鈴木プロデューサーが出現しないと、日本のアニメーション界には将来はない、と言っておこう。

2012年11月 6日 (火)

『誤解だらけの沖縄・米軍基地』は正論だらけの本である

 多分、この本が今のところ一番若い「沖縄本」だろう。なにせ初版が2012年11月5日なのだ。購入はそのちょっと前だけどね。

『誤解だらけの沖縄・米軍基地』(屋良朝博著/旬報社/2012年11月5日刊)

 屋良朝博氏は沖縄タイムスで社会部長を務めていた人で、今年退社した人物。

 あとがきに;

『沖縄の基地問題はこれまで外交、安保の領域で議論されてきましたが、はたしてそれは正しい問題認識なのでしょうか。本書で紹介したように、米国は「沖縄の基地を本土に移転してもいい」とずっと前からいっています。森本防衛相が認めたように、鹿児島に駐留しても軍事的には大丈夫なのです。守屋元防衛事務次官によると、1990年代に米政府は「北海道でもいい」と日本政府に伝えていました。
 これらを考えると、問題は半世紀を越えて小さな南の島・沖縄に米軍基地の74%も押しつけている日本の病理であると断定できそうです。沖縄ではいまこうした状況を「差別」と認識するようになっています』
『海兵隊は日本本土に駐留しても十分機能するにもかかわらず、政府はその事実をひた隠しにしています。本土へ基地をもっていくと、国民の猛反対が起き、日米同盟が維持できなくなると政府は心配しています。表向きには日本は米軍駐留を歓迎していますが、被害が自身におよばないかぎり賛成するという無責任な政策がまかりとおっています』

 と書く。

 また、経済的にも;

『沖縄県議会事務局は2010年9月、沖縄の米軍基地がすべて返還された場合、跡地を商業や農業に活用することで得られる経済効果を年間9155億5000万円に上がるとの試算を発表しました。これは米軍基地から生じている経済効果の2.2倍にあたります。一方、基地による逸失利益は年間4948億8900万円と推計しました』

 また、米軍施設であった旧牧港住宅地区が返還後に那覇新都心になったわけだが、その直接経済効果は1年あたり735.4億円と、返還前の51.5億円に比較して14倍以上の結果になっているそうだ。たしかに、基地は生産の場ではなく、ひたすら消費の場である。『基地従業員を含む現在の雇用効果3万4541人に対し、全部返還されれば2.7倍にあたる9万4435人の雇用が新たに創出される』というのだ。

 沖縄に米軍基地さえなかったら、その地政学的な優位さから日本のアジアに向けた経済発展基地になった可能性は高く、またその地理的な優位さから日本のリゾート拠点にもなったはずである。それが基地が存在するが故に、開発は思ったとおりには行かず、米軍が巻き起こす事件・事故によって常に恐怖にさらされて生きていかなければならないのだ。つまり、沖縄にとって米軍基地の存在は経済的にもマイナスであるというだけでなく、常に命の危険性をもたらすというものであるということなのだ。

 そんな沖縄の犠牲の上に日本の発展があったというのは、本土の人間としては忸怩たる思いはないか?

 8月9日に『沖縄経済離陸の時代はまさに「沖縄解放」の始まりだ』で書いたとおり、あまりにも多い基地のおかげで沖縄経済は基地経済に頼っているような見え方が本土ではなされているかも知れないが、実はそんなことはなく、むしろ米軍から返還された土地ではそれまで以上に活発な経済活動がなされていて、基地経済は沖縄にとってマイナスであったことが証明されている。

 ところが、そうであっても日本政府は沖縄の米軍基地負担を少なくさせ、基地を本土に持ってきて、沖縄の経済離陸を図ろうなんてことは一切考えていないのは何故だ。2009年12月13日のブログ『普天間基地が静岡に移転?』 で書いたように、日本本土の各県で応分の基地負担をすることによって、沖縄は発展、米軍も日本に基地を置くことで安心してアジア・中東に目を向けることができるし、経済的にも発展できて、日本政府も税金をつぎ込んで沖縄経済を支えなくてもよくなる。

 米軍に対する「思いやり予算」なんてバカな予算負担はしたくない。むしろ、沖縄に集中している米軍基地を日本本土にバラ撒けば「思いやり予算」の負担も減る。あとは、近隣住民の精神的・健康的負担だけの問題だ。それにしたって、沖縄に集中しているよりはマシである。言ってみれば「日本全国横田基地」「日本全国厚木基地」計画である。この人口が集中しており、経済・政治の中心が集中している東京都や神奈川県に米軍の空軍や海軍の基地がある(それってすごく危険?)わけだけれども、それを日本中にバラ撒いてしまえという考え方である。

 なあんてことを正々堂々と発言して有権者から支持される政治家は出てこないものかしら。本来はその発言は有権者から支持されるはずの発言なんだけれども、結局は有権者自身が身勝手なことしか考えていないからダメなのか。まあ、総論賛成、各論反対の日本人だからね。基地を沖縄に集中させていることには反対するけれども、自分ちの近所にくることには反対ってね。

 ……う~ん、やっぱりダメかなのかなあ。

 

 

2012年11月 5日 (月)

越後闘牛紀行2「小千谷」

 一昨日に引き続き、昨日は小千谷市の小千谷(小栗山)闘牛場で開催された「小千谷牛の角突き」である。こちらも今年最後の場所ということで、一昨日とは打って変わった好天気に恵まれ、多くの観客を集めた。

 山古志、小千谷といっても双方のルールは同じ、勝敗をつけない勢子長の手を挙げるタイミングなのである。昨日の小千谷闘牛にも山古志の虫亀からの参加もある。元々は一緒の闘牛の流れなのであろう。まあ、昔は小千谷市、長岡市、山古志村なんて行政単位は関係なかったわけであるからね。

2012_11_04_024_2小千谷闘牛会会長の挨拶で昨日の場所が始まる。
2012_11_04_036_2

 小千谷闘牛で面白いのはいろいろな牛主がいるということである。上の白牛は闘牛場のすそばにある小千谷市立東山小学校が牛のオーナーで、全国でも闘牛用の牛を持っている小学校はここだけだ、って当たり前か。そんな訳で、小学校の男の生徒に引かれて入退場する二代目牛太郎である。しかし、まだ三歳牛なので、あまり「闘う」という感じはなくて「じゃれている」という感じで他の牛と対戦している。角突きも始めの数戦はそんな若い牛達の「じゃれあい」を見ることになる。

 そんな「じゃれあい」から闘うことを覚え始め、激しくぶつかり合うようになると角突き牛としても一人前だ。

 変わった牛主としてはNHKのアナウンサーの荒木美和さんなんかもいて、残念ながら女性は闘牛場の土俵には入れないので、いつもお父さんの荒木正孝駒沢大学教授が牛を引いている。

 で、もっと面白いのが東京大学の菅豊教授で、「人と動物の関係史」という民俗学の研究テーマから牛の角突きに目を向けるようになり、結局牛主になってしまったのだが、その菅氏の持ち牛・天神が横綱となり昨日の競技では結びの一番をとるところまで出世したのである。こうなると単なる大学教授の趣味どころではないね。

 で、下の写真、左の赤牛が菅氏の持ち牛・天神である。 

2012_11_04_249_2

 季節も涼しくなり牛たちにとっては動きやすくなる季節だ。5月のシーズン・スタートの頃にはまだ動きが鈍かった牛たちも、シーズン・ラストで涼しくなったこの時期は、実に良い動きをして、あたりも激しくなる。「ガツン、ガツン」という頭をぶつけ合う音が会場に鳴り響いて、実に迫力満点というか、「痛そうだな」という感じがするのであるが、牛たちは痛くないのだろうか。

 まあ、1トンを超える重量のある牛同士なので、それほど痛くはないのだろうけれども、でもその当たりの激しさには思わず唸ってしまう。もともとは「じゃれあい」から出発した「闘い」がここまで来るとは。というところでは、場所を初めから見ると3歳牛から始まって十数歳までの牛の成長というものが観られるというところかな。

 で、これが結びの一番「天神vs.忠左エ門」の激しい闘いである。
2012_11_04_260_2

 そうそう、一昨日の「山古志 牛の角突き」では、ちょうどその日に別の場所で行われていた「山古志産業まつり」の方に行っていたので闘牛場には姿を現さなかった、「山古志観光協会会長代理」のゆるキャラ「小太郎」も、今日はお隣の小千谷まで出張。

2012_11_04_116_2

 ということで、無事平成十二年の「牛の角突き」はすべて終了。来年5月の初場所まで半年の休憩、というか牛持ち農家にとっては、雪への備えと牛の管理や運動が待ち構えている。そんなにヒマではないのだ。

 そして、あと半月もすれば初雪(2009年には11月3日が初雪だった)になって来春4月までは雪に閉ざされた毎日になるのだ。そうか、山古志や小千谷の山の中に住む人たちは半年間は雪の中で生活しているんだな。

 そんな訳で、この角突きも冬を迎える最後の行事なのだろう。

Nikon D7000 18-105 55-300 @Odiya (c)tsunoken

2012年11月 4日 (日)

越後闘牛紀行1「山古志村」

「越後闘牛紀行」ったって、別にあそことかこことかに行くわけではない。昨日は長岡市山古志村、今日は小千谷市小栗山に行くだけだ。そこだけしか「牛の角突き」は開催していないからね。

 ということで、昨日11月3日は山古志闘牛場の今年の最後の場所、今日11月4日は小千谷闘牛の今年最後の場所ということで、長岡に泊りつつの2日間連続闘牛観戦という訳である。

Dsc_3152_edited1

 山古志闘牛場は2009年に改装された闘牛場でかなりモダンな感じがする闘牛場である。山古志村にはこの他にも3つ位の闘牛場があり、それらはかなりワイルドな感じの闘牛場であるのだけれども、この山古志闘牛場だけは多分山古志闘牛のメイン会場という位置付けなのだろう、かなり立派な闘牛場である。2004年の中越地震で山古志村が壊滅的な被害を受けたこととも関係あるのかも知れないが、いずれにせよこんな立派な会場があるんだというのはちょっとした驚きではある。

 実は、この山古志闘牛場にはちょっとした思い出もあって、2009年の11月3日にその杮落としの牛の角突きを開催したので、これは行かなければと考えていたのだが、車で行って関越トンネルを越えた時からちょっとした雪まじりでおかしいなとは感じていたのだが、堀の内インターを出て数キロ行った先、あと山古志まで10km位のところで完全に雪になってしまい、サマータイヤ装着の我が車ではそこからさきには行けず、残念ながら撤退したことがある。

 今年もかなり寒かったけれども、天候は何とかなりそうだったのでサマータイヤのままで行ったのだが、何とかなった。

Dsc_3024_edited1

 ということで、牛たちの熱戦の姿を少しどうぞ。
Dsc_3141_edited1

Dsc_2979_edited1
 何しろ、1頭1,000kgを超える巨体のぶつかり合いである、いやでも興奮してくる。

 そんな試合を見ている内に、自分の体の冷えとか、手がかじかんでくるのも忘れる。しかし、周りは完全に冬に向かって歩みを進めているのだ。

 気がついてみると体は完全に冷え切っていて、手も何もつかめる状態にはなっていない。

 やっぱり、山古志には完全に冬が来ているのだなあ、ということが分かってくるのであった。まあ、3年前には雪で来れなかったんだからなあ。
Dsc_3080_edited1

 真剣に牛の角突きを見ている犬。この犬にとっては牛の闘いはあたかも自分の闘いのように感じているのだろうか。そんな気がする。

Nikon D7000 18-105 55-300 @Yamakoshi Nagaoka (c)tsunoken

 ビデオも撮っているのだが、YOU TUBEに上げるのは今のところ考えてはいない。

2012年11月 3日 (土)

『政権交代』というよりも日本型民主主義のあり方を考えたい

 何たってすごいのはサブタイトルである。「民主党政権とは何であったのか」って、最早過去形ですよ、過去形。まだ、総選挙もやってないのに。

『政権交代 民主党政権とは何であったのか』(小林良彰著/中公新書/2012年9月25日刊)

 まあ、殆ど「死に体」みたいな野田民主党を見ていればそんな言い方をしたくなるのもよく分かるが、しかしそれは2009年の総選挙で民主党政権を選んだ選挙民の問題であるのだ。つまり『政権交代をもたらした2009年の総選挙は、各党の政策を評価して投票する「争点態度投票」ではなく、自民党政権への「懲罰投票」だった』のであるから、その結果として選んだ民主党政権が選挙当時掲げていたマニフェストを次々に裏切って、結局自民党政権とたいして変わらない国民裏切り政権であっても、自民党以上に対米すり寄り政権であっても、それはそんな民主党の体質を読めなかった選挙民の問題であって、政治家の問題ではない(あ、勿論これは選挙に限った話で、政治姿勢のことではありません)。政治家は、単に目先の問題処理だけに追われていて、高邁な理想政治なんて初めから行うつもりなんてなかったのである。それを、あたかも政治家は理想を追わなければならないという、エリート民主主義を政治家に押し付けるのはいかがなものか。

 結局、小泉郵政選挙で新自由主義に裏切られたと感じた選挙民は、今度は民主党に投票してまた裏切られたと感じているのであろう。で、今度は維新の会に投票して、みたび裏切られたという感想を持つに至るのであろうか。

 では何故そのように選挙の度に裏切られるのであろうか。

 2009年の選挙結果を調査した小林良彰氏によれば、まず民主主義の民意負託機能として、各候補者の選挙公約に注目する。

『ほとんどの選挙公約は候補者の得票率や当落に影響をもたらしていない。他方、どの政党に所属しているのかは選挙結果を決める重要な要因となっている。つまり、有権者は各候補者が主張した選挙公約を比較検討して投票を決めたのではなく、その候補者が所属する政党によって決めたわけである』
『選挙に際して政党や候補者が提示した公約のなかで最も自分の考え方に近いものを選び、それを提示する政党や候補者に投票することで、自分たちで自分たちのことを決めるという間接代議制が機能しているとは言いがたい』

 さらに業績評価という点から日本の有権者の投票効果を考える。

『政策上の業績評価に関わる要因は投票に対して影響しているとは言えず、政党支持や内閣支持、居住年数(現在の住所に何年間、住んでいるか)といった要因が、投票に影響していることがわかる』

 その結果;

『現在の日本政治では、民主主義の民意負託機能、代議的機能、事後評価機能のいずれにおいても、きわめて限定的な関連しかみることができない。つまり、政治家が有権者に約束した公約から離れて国会活動を行って政策を形成しているために、政治的有効性感覚が著しく低くなっており、そのため選挙に際しても、政党政治家が提示した公約を信頼することなく投票を決定し、さらに、実施される政策に対する評価とは乖離して次の政党候補者選択を行っているのが、日本の選挙の実態である』

 ということになってしまう。

 これじゃあ、日本に民主主義なんて根付かないことは見えているじゃないか。明治維新から150年近く経っても未だに日本に根付かない政治思想=民主主義って何なんだろう。

 民主主義は基本的に個人主義をベースにおいた考え方なのだ。

 有権者における高度な民主主義への意識や平衡感覚が必要なんだろう。でないと日本の軍国主義、ドイツのナチズム、イタリアのファシズムなどと同様の全体主義への傾斜を妨げることはできない。その全体主義がいけないのかと言ってしまえば、それをしも民主主義の結果でしかないと考えれば、全く否定できるものではない。それもひとつのエリート人主主義の結果であると考えれば、現在の日本民主主義が容易にそんなエリート民主主義から全体主義に移行することは避けることはできないものだろう。

 今の野田民主党は何となくそんな全体主義への道を歩んでいるように見える。鳩山、小沢を切ってしまってからの野田民主党は特にそんな感じがするのだ。特に個人主義への規制を強めているところなんかはね。

 小林氏の言う「コンセンサス型デモクラシー」も、結局は有権者の意識次第なのだ。有権者が「そのときの気分で野党に投票する」とか、「そのときの気分で『なんか威勢の良いことを言っている政党』に投票する」というような近視眼的な投票を行っている限りは、そんな「コンセンサス型デモクラシー」も根付かない。

 結局、日本の選挙民はそんな「全体主義へのゆらぎ」と「学校でやっていた民主主義」へのあり方の中で揺れ動きながら、なんとか日本的民主主義体制ってものを最低線でもって維持していくんだろうな。

 まあ、それがもしかすると「普通の民主主義のあり方」なのかもしれない。ただし、ひとつだけ言いたいことがある。もう投票した後に「騙された」と言うのはやめよう。基本的に「詐欺は騙されたほうが悪い」んだからね。騙されないためには、候補者個人の公約(政党のマニフェストではなく)をよく読んで、自分が選んだ政治家がその公約通りの政治をやったかどうかを見よう。「公約通りの政治を行ったのか行わなかったのか」を次の投票行動に生かそう。「公約を果たそうと思ったけれども、周囲の状況で出来なかった」という政治家の言い訳には一切耳を貸す必要はない。それは個人主義の否定、単なる言い訳でしかないんだから。

 それが最低限の間接民主主義的なあり方なのだ。

 日本を再度、全体主義にしないためのね。

 

2012年11月 2日 (金)

『定年後の勉強法』は私には向かない。私が向かうのは「知の賢人」ならぬ「痴の小賢しい人」だからね

 要は「前頭葉」なのだな大事なのは。昔、「前頭葉が大事なんじゃ」と言いながら額をペシャペシャ叩き続ける老人の話を、何かの本で読んだことがあるが、あれなんだな。

『定年後の勉強法』(和田秀樹著/ちくま新書/2012年9月10日刊)

 って、何を言い出すんだこの男は、というところでしょうけれども、つまりこういうこと;

『脳の前方にある前頭葉の機能には未知の部分が多いのですが、意欲や創造性を担っていると考えられています。この部位を事故などで損傷したり、ここに脳腫瘍や脳梗塞が発生したりすると、意欲が失われたり、驚き、怒り、悲しみ、喜びといった感情や思考の切り替えができなくなったりします。
 この前頭葉と呼ばれる部分の萎縮(老化)は早ければ男性更年期にあたる四十代から始まります。前頭葉が老化すると、意欲を持って物事に取り組んだり、自分で考えをまとめたりすることが苦手になるなどの変化が現れます。意図的に前頭葉を使う習慣をつけないと、クリエティビティも意欲も下がっていってしまいます。
 すなわち、人間の老化は身体機能や知力以前にまず、感情からはじまるのです。刺激を受けることに対して億劫になって、身体を動かさなくなるし、頭も使わなくなります。思考のパターンが決まって、感情が動かなくなると、ますます前頭葉の萎縮も進むという悪循環に陥ってしまうのです』

 初等・中等教育というのは基本的に側頭葉(文系脳)と頭頂葉(理系脳)を鍛える教育であったのに対して、日本の高等教育ではあまり前頭葉を鍛える教育がなされていない。つまり、「正解は一つ」という発想から、大人の考え方である「正解はいくつもある」という発想に切り替える考え方が弱いのであるけれども、そんな前頭葉的な発想法に考え方を変えていこうというのが「大人の勉強法」であるというのである。

 そのための勉強法とはインプット型の勉強法からアウトプット型の勉強法に変えなければならないということ。日本人の大好きな「詰め込み方の学習法」から、ちょっと苦手な「自分の頭で考える学習法」に変えるということなのだ。いろいろなアウトプットの方法論があるわけで、例えば大学院に行って研究発表の場を作ったり、カルチャースクールや大学に行って若者と知り合える機会を作っていろいろ刺激しあうという方法もあるが、実は一番簡単なことは仕事でも使っていたパソコンを使う方法なのである。

『実際にパソコンができるようになればどいったことが可能になるのでしょうか。ホームページを持つことで自分の趣味の写真や音楽、旅の記録、小説などを全世界に公開できるようになります。ブログを持つことで日々の自分の思考を世の中に訴えることもできます。最近はfacebookやtwitterというSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)で世界中の人々と情報の交換さえもできてしまうのです。また、映画の編集作業すらも自分のパソコン上でできます』

 と、最後の「映画の編集」というのは和田氏の趣味の世界だが、そうパソコンとネットのおかげで自分の考え方を世の中に広められることが可能になったわけで、それを利用しない手はない。ということで、私がブログを書くのは「老化の防止」? ってことでもないが、それにも繋がるのかも知れない。たまに「異論・暴論」も吐くが、それすらも大事らしい。

『刺激的・魅力的な発言をするためには、準備も必要です。自分の頭の中をとにかく聞いたことのない説とか、異論暴論、多様な説で埋めて、考え方のレンジを広げる試みをする必要があります。
 本を読んで、情報を与えられた時に、考える習慣をつけなければなりません。安易に納得するためではなく、そこからどんなことが考えられるのかを知るために読書をすべきなのです。これは「思考力」を刺激することにもなり、批判的な読書ともいえるでしょう。「批判的」とは、自分の経験をもとに、実際はこうではないかとツッコミを言えるようになることです』

 ということ。そうか「暴論」も必要な頭の体操なんだなあ。

 ということで和田氏がすすめる「知の賢人」とは『「話が役に立つ」「人徳がある」といった、他人が「魅力的だ」「知的だ」と評価してくれる人物のことです』として「知の賢人」を4パターンに分けて考えているようだ。つまり

・コンサルタント系賢人

・「心の健康、身体の健康」の専門家系賢人

・文化を再評価する宗教・歴史系賢人

・アーティスト(映画監督、小説家)系賢人

 という4パターンだ。

 これからすると私は、いろいろアウトプットはしているけれども、やっぱり「知の賢人」にはなれないのだろうな。

 なにしろ「話は役には立たない」し「人徳」なんて耳滓ほどもない。ましてや、他人が「魅力的だ」「知的だ」なんて全然思わないだろう。

 あ、そうか「知的」ではないにしても「痴的」くらいには考えてくれるかも知れない。だとしたら、私が目指すものは「知の賢人」ではなく「痴の小賢しい人」なのね。

 というところで納得した。

2012年11月 1日 (木)

fitbitから先週のweekly progress reportが来た(1)

Hi mxl01056, here are your weekly stats.
10/22/2012 to 10/28/2012
WEEK'S MOST ACTIVE DAY
Tue, Oct 23
WEEK'S LEAST ACTIVE DAY
Sun, Oct 28
TOTAL STEPS
59,635
DAILY AVERAGE
8,519 steps
BEST DAY
12,287 steps
TOTAL DISTANCE
42.82 km
DAILY AVERAGE
6.12 km
BEST DAY
8.82 km
TOTAL FLOORS CLIMBED
99
DAILY AVERAGE
14 floors
BEST DAY
19 floors
TOTAL CALS BURNED
17,353
DAILY AVERAGE
2,479 cals
BEST DAY
2,694 cals
WEIGHT CHANGE
0.1 kg
LIGHTEST
93.2 kg
HEAVIEST
93.5 kg
AVG SLEEP DURATION
6 hrs 57 min
AVG TIMES AWAKENED
9
AVG TIME TO FALL ASLEEP
0hrs 3min

Last week's step winners

1 mxl01056
59,635 steps
See current leaderboard

Last week's badges

See all of my badges

What's the buzz?

You're receiving this newsletter because you signed up for a Weekly Progress Summary.
Not interested anymore? Unsubscribe. Fitbit and the Fitbit Logo are registered trademarks of
Fitbit, Inc. Fitbit, Inc. - 150 Spear Street San Francisco, CA 94105

『FPD! International in Yokohama 1012』もちょっとな

 昨日より『FPD! International in Yokohama 1012』がパシフィコ横浜で始まった。

2012_10_31_048_2
 FPDとは何か。えーと、"Flat Panel Display"のことで、要はLCD(液晶)ディスプレイとPDP(プラズマ)ディスプレイの総称な訳です。ということで、国内外(といってもアジアだけ)のパネルディスプレイ・メーカーが勢ぞろいして各社のディスプレイ技術を競う……と思ったら、ソニーは主催者企画コーナーに申し訳程度にお付き合い出展しているだけだし、シャープも今会社が大変な時期だってことは分っているが、まったく影も形もないって、どういうこと?

 ということで、大型展示としてはパナソニックだけ。「103型 裸眼3Dプラズマディスプレイ」というのを展示していたけれども、これが微妙なんだなあ。確かに3Dっぽくは見えるんだが、あまり「凄い3D!」っていう感じではないし、見るほうの視点が微妙にズレてしまうと二重像が見えるという感じで、まだまだ本格的ではない。

2012_10_31_023_2
 その他は、殆ど周辺機器の会社ばかりで、ソニーがCEATECに出していた「84インチ 4K対応BRAVIA」を楽しみにしていた当方はちょっとがっかり。CHENZHEN CHINA STAR OPTOELECTRONICS TECHNOLOGYがやはり4K対応の「110型 QFHD」を"The World's Largest 4K2K LCD"を出展っていっても、LCDじゃなあ、やはりプラズマだよなあ、なんて考えながら会場をうろついていたのである。

2012_10_31_027_2
 ところで、このFPD! Internationalは、MOBILE TECHNOLOGY 2012とOrganic Electronics 2012、Smart City Week 2012、LED Solution 2012と何と五つの展示会の共催の形をとっており、何か無理してるなあという感じで、それぞれのブースも展示は地味だし、お客さんもチラホラという感じではある。

 まあ、Smart City Week 2012は今流行のスマートということで、建築会社や電機メーカー、地方公共団体なんかも出てきて、地味ながらもいろいろな展示はまあ面白かった。なかでも「チャデモ協議会」というのがあって日産自動車や三菱自動車工業も参加して、もしかしたら昨年のCEATECでの共同展示が元になっている協議会なのかも知れないが、いろいろスマートハウス的な提案をしているのも面白かった。こちらSmart Cityにはパナソニックも出展していて、今や総合メーカーであるパナソニックならではの展示ではあった。でもそれらもCEATECではやっていたことだし。

2012_10_31_035_2
 だったら、FPD! Internationalは余計なんじゃね、というあだしごとは取り敢えず置いておいて。

 ということで、CEATEC JAPNに始まる10月のデジタル機器関連イベント怒涛の4連チャンの締めくくりであるFPD! Internationalではあったが、結論から言ってしまうと、CEATECで全体のトレンドをつかめば、私のような素人は十分かな……、という何ともはやな残念な結果になってしまった。来年からはCEATECだけでいいか。

 面白かったのは、元NHK『ハゲタカ』『龍馬伝』のディレクターで、この夏公開された映画『るろうに剣心』の監督を務めた大友啓史氏の、画面の「ルック」にこだわる演出術のキーノート・スピーチくらいかな。

2012_10_31_005_2
 まあ、確かに1ヶ月で4回もイベントがあったら、メーカーだってつき合いきれんわな。

 で、11月は14日から16日に行われるInter BEE(国際放送機器展)だ。こちらはデジタルもアナログもある、プロ用AV機器展なので楽しみ。

Nikon D7000 18-105mm @Yokohama (c)tsunoken

« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

PEN PEN チョートクカメラ日記

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

まだ東京で消耗してるの?