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2012年11月16日 (金)

『10分あれば書店に行きなさい』というのはその通りなんだけれども

 空いた時間があれば書店に行って刺激を受けましょう、という発想は概ね私と同意見なのだが、ここはあえて反論を述べてみたい。

 なんでかって? 単にその方が面白そうだから、というだけの理由。

『10分あれば書店に行きなさい』(齋藤孝著/メディアファクトリー新書/2012年10月31日刊)

 早速ケチをつければ『私は昨今売出し中の電子書籍にもいささか違和感がある。確かに一つの端末に何千冊、何万冊を収められれば、便利なことは間違いない、しかし、一定の時間を書き手とともに過ごしたという証拠が、形や質感として残らないのはいかにも寂しい』というけれども、それはそれでいいことなんじゃないのか? 要は「読み終わった本」はそこまでで役割を終えているのであり、その後の本の存在までを「形として残しておきたい」というのは単なる「本フェチ」でしかないのだ。

 さて、この辺はメディアファクトリーとしてはどうなんだろうか。電子出版に前向き? 後ろ向き?

 問題はそんな本フェチとか言うことではない。もっと根本的な「本」を「コンテンツ」として考えるのか、あるいは「形のある商品」として考えるのかという問題なのだ。つまり、日本の出版社の大半は「本を形のある商品」として考えていたのである。そこで、そんな出版社の一部門が、よその会社からも出資を仰いで、形のない「コンテンツ=例えば映画」なんかを作ってみなさい。次の日から、その出版社の経理は「形のないもの」に対する評価をどうすればいいか思考停止に陥ってしまい、経理がストップしてしまうのだ。

 出版社は「本という形のある商品」を売っているのではない。「コンテンツ」という「形のないモノ・コト」を売っているのである。その辺が分っていないと、出版社は自らを「メーカー」であるという誤解の元に運営していかなければならないのである。え? 出版社は「本」なんか作っていないでしょ、作っているのは「印刷会社」や「製本会社」でしょ、というのは現状をよく理解している人たちの発想だ。そう、「本」を作っているのは「出版社」じゃない、「印刷会社」や「製本会社」なのだ。ところが、出版社の経理部門は自らがメーカーだと考えてお金の計算をしている。それで通ってきたのは、それまでずっと「本が売れていた」から。経理部門としては、何も考えずに今まで通りのことをやっていれば、何の問題もおきなかった。

 ところが、いまや映像化というだけではない、書籍そのものが「形のない=コンテンツ」になってしまったのだ。さあ「どうする経理部門」ってなことではあるが、まあ、それはそれでそんなことが主流になってしまえば、経理のやり方もリニューアルされて、普通になっていくんだろう。私がやっていたことなんて、所詮「早すぎた」ということなんだろう。とまあ、私個人の「恨み節」はこれまでにして。

 まあ、「本フェチ」は好きにさせてればいいけれども。

『私はむしろ、「人に会ったら新書の話をしろ」「そのために新書で会話のネタを仕入れろ」と呼びかけているほどだ』という『常に「引用」を念頭に置く』という読み方は、実は私の本の読み方ではあるのだ。つまり、このブログを書くときのネタということなのだ。

 というか、逆に引用のために新書を読んでいるという方が正解かな。

 つまり、新書というのはそれだけ引用がしやすいジャンルであるといえる。文庫本のような小説というのは、その作者の作品を系列的に読んでいないと評論を書けないが、新書の場合はそのテーマごとの記述であるので、書評は書きやすい、別にそのライターの書いたものを系統的に読んでないと批評を書けないというものではない。ということで新書を読みながら批評箇所・引用箇所を探している読者が私の姿ということである。

 またその本の選び方というのがあって、みすず書房、岩波文庫、新潮クレスト・ブックス、NHKブックス、新潮選書という選び方はまあまともだといえるけれども、ディスカバー・トゥエンティワンとかアカデミー出版の「超訳」シリーズを入れているのはいかがなもんか。まあ、古典に親しませるということでいえば意味があるというところかもしれないが、しかし、本当は古典そのものと格闘しなければ、古典を読んだことにはならないはずだ。それを「超訳」で読んで、古典そのものを読んだ気にさせるのは、実は詐欺である。

 ビジネスセンスと言ってしまえばそれはそれで成立してしまうのであるが、しかし、やはりそれは詐欺なのである。その詐欺的行為を批判しないでいいんですか? という疑問もある。

 まあ、取り敢えずこのブログの読者の方にも言っておきたい。

 取り敢えず『10分あれば書店に行きなさい』と。

 齋藤氏の言うとおり、書店に行けば森羅万象の知識の宝庫のような場所にいけるわけだし、その宝庫に貴方を導くわけである。別に本を買わなくてもよろしい。そこにどんな本があるのかだけでもわかれば、今の時代のトレンドがわかる。今の時代のおおまかな実相がみえてくるのである。テレビじゃ絶対にみられない実相がね。ただし、そのためには「森羅万象の知識の宝庫」のような書店じゃないと意味がないということになってしまう。じゃあ、ジュンク堂や紀伊国屋がない場所に住んでいる人はどうすれば良いのかは書かれていない。まあ、それは仕方がないが。

 という事を書いてしまうと、なんだやっぱり齋藤氏と同じことを書いてるんじゃないか、と思われるかもしれない。まあ、多分そうなんだろうな。しかし、その本の選び方、本の使い方などでは齋藤氏と違うはずである。

 まあ、そこだけが違うということなのかもしれない。

2012_11_01_096_2こういう「町の本屋さん」が電子出版時代にも生き残るのだ

Nikon D7000 AS-F Nikkor 18-105 @Nishi Ogikubo (c)tsunoken

 

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