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2012年10月29日 (月)

『C世代駆ける』から見えてくる日経新聞の(非)戦略性

 さて、三冊目の日経e新書である。

「C Generation」というのは9月15日のブログ『『ワークシフト』でもシフトしないこともある』でその本『ワークシフト』に書いてあったまさにC Generationのことである。Computer Generation、Connected Generation、Community Generation、Change Generation、Create Generation、Communication Generation、Collaboration Generation、Contribute Generation、Casual Generationなどなどいろいろ言われている世代のこと。基本的には現在の20代のことなんだけれども、日経的には30代も含めてC世代という呼び方をしている。

『C世代駆ける 20年後、世界はこうなる』(日本経済新聞社編/日本経済新聞社/2012年5月1日データ作成)

Book_04_larhttp://pr.nikkei.com/ebooks/list/book/index04.html

 つまり、昭和的価値感では20代は使いッ走り、30代はお勉強の時代、40代になってミドルマネージメントになって社会の中枢に現れるというのが普通だった。しかし、平成の時代は20代はお勉強もしながら中枢で仕事をしつつ、あるいは勉強をしながら仕事をして、30代ではもはや社会の中枢で仕事をしてください。40代は「仕事が引き続きできる奴」と「もうお仕舞いの奴」に分れて、「お仕舞い」の人には早々と余生を送ってもらって引き下がってください。という位にいまや世の中は若返ってきているという話なのだ。

 というと威勢が良いが、実はそうではなくて、今や日本を含む世界の有様はそのようになって来ているんだけれども、日本はまだまだそんな体制になっていない。政治の世界では未だに60代、70代、でつい最近は石原何某という元都知事がよせばいいのに再び中央政界に舞い戻るという80代で何ができるんだよ、というような世界がある。経済界でも60代、70代の経営者がいっぱいいて、なかなか若者がそんな世代と渡り合える状況にはなっていない。

 がしかし、一方でそれを打ち破ろうとしているC世代が出てきているっていう、頼もしい話なのである。そう「20年後、世界はこうなる」というサブタイトル通り、20年後にはいまのC世代が社会の中枢になっている時代なのだ。今のC世代を取材して、かれらの20年後を予測させる記事はいっぱいある。

 デジタル・ネイティブとも呼ばれるこの世代。Windows 95が出たのが1995年だから、生まれたときからパソコンがあったし、携帯端末もものごころがつくころには普通にあった。そんなデジタル・ネイティブ世代が「世の中の普通の人たちは当たり前のように横つながりでつながっているんだ」という関係論の中で育ち、今や社会に出てきている時代になって、これから20年の間にどんな風に日本があるいは世界が変わっていくんだろう、という論考なのである。

 日経新聞の連載記事をまとめた本であるだけに、さすがに取材だけは丹念にいろいろな人に、いろいろな組織に行っている。その分量たるや大変なものだ。で、問題はそれらの大量に主題した材料が新聞記載の時のままか、新聞では読んでいなかったので比較ができないが、新聞記載でカットした部分までも含めて、この本には収められているのだ。それはそれでよい。

 しかし、問題は「本の主題」までが「新聞のまま」ってのはないでしょ。

 言ってしまえば「20年後、世界はこうなる」というのが、具体性がなにもないならまだしも、抽象的にも語ってくれないのだ。

 新聞は基本的には「中立」を保たなければいけないというのが「建前」になっている(日経新聞が中立を建前にしなくてもいいし、実際には中立じゃないけどね)以上は、なかなか「じゃあ、世の中こうなる」という結論を出しにくい、というのは分る。しかし、これは新聞じゃなくて、「報道」じゃなくて「言論」の書籍なのである。堂々と自分の主張を入れていい「書籍」なのである。あ、待てよ。「堂々と自分の主張」って誰の主張なんだ、ってところで躓いてしまうんですね新聞記者は。最早新聞記事じゃないんだから、新聞記事を書いている時とスタンスを変えて自分の考え方を存分に入れて文章を書き換えればいいじゃない。でも、普段から「客観的な記事」の書き方を訓練されてしまっている記者諸君は、そんな自分勝手な記事の書き方を知らない。

 じゃあ、その取り纏めをした人が、取材してきた内容を元に自分の視点で書けばいいんじゃないの? と考えるんだけれども、やっぱり新聞記者上がりの論説委員位じゃダメなんでしょうかね。普通、論説委員位になれば自分の名前で本を書く人もいるんだから、できるはず。それができないってことは……。

 ってところから、実は日経e新書の秘密が見えてくるのだ。

「日経新聞の記事や連載が元になっている本」というのは「日経新書」にいっぱいある。それらは、著者名が個人でそれぞれの人の立場になって、行ってみれば自分勝手なことを書いているわけである。でもその場合、書いた内容に何か問題があれば追及されるのは日経新聞ではなくて著者である。著作権がある以上、基本的な問題点はすべて著作者が引き受けるのである。たとえ、それが日経新聞の論説委員であっても責任はすべて個人である。

 で、この日経e新書3冊(?/データ?)を読んだ限りでは、そんな明確な未来予測はないわけで、要は「日経新聞」の記事あるいは「日経オンライン」の記事をまとめただけの本(?/データ?)でしかないわけだ。

 それだけの本を誰が読むの?(って、私は3冊も読んだけれども)

 つまり日経新聞としては、多分この原稿のままでは売れないだろうけれども、でもこのテーマに興味がある人が多ければ、その取材データを元に、誰かいいライターを見つけて本に出来るかも知れない、ということでいわば天候予想バルーンみたいな感じで出してみた、ってのがこの「日経e新書」なんじゃないか。まあ、購入数が多ければ、そのまま紙の書籍化しちゃえばいいしね。

 というのが、私が日経e新書3冊を読んだ結果の考え方です。

 まあ、いろいろあるけど、取り敢えず電子書籍化できる材料があるのならば(材料だけはいっぱいあるはず)、取り敢えずWebに載っけてみて、上手くいけばビジネス化すればいいというのが、今の日本の電子書籍ビジネスなんだから、日経的にはこのやり方はこのやり方で正解。

 ただし、「個人の視点」のない本は、絶対に面白くはありません。

 それだけは日経新聞の人には言っておきたい。

 どうせ読んでないだろうけど。

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