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« 区境には何がある? いやいや何もないのだ。というところから問題は飛躍するのだ | トップページ | ICS 世界の中古カメラフェア2012 »

2012年10月 8日 (月)

『オッサンフォー』はナツメロか?

 腰巻には「Don't trust under 40!!!」とある。本来は「Don't trust over 30!」とかになって、その意味は「大人を信じるな!」となるはずであるが、それが「under 40」って、要は、最早40歳以下ですら「ガキ」なのかよ、とでも言いたくなる。

『オッサンフォー』(堀田純司著/講談社/2012年9月19日刊)

 1969年生まれの堀田純司氏と同じ年の頃の、一度足を洗った詐欺師の話である。

 多分、それまでの詐欺師人生でも逮捕された経験のない人たちなのであろう、つまり、詐欺師という仕事に対するルサンチマンはない。とはいうものの、何故彼らが5年の歳月を経て再び詐欺師になろうとしたのか? それは単に四人組のうちの「ちょーさん」と「おばのん」がいきつけの、大阪市西区堀江のカラオケ・スナック「アルカディア」の、多分彼らと同じ年頃の(つまり中年の)ママひかりの話を聞いたからなのだ。じゃあちょーさんかおばのんがママに惚れていたのかと言えば、まあ惚れてもおかしくはない年齢ではあるけれども、特別そんな関係はない。結局、まママひかりが結果としては騙されたことになる大阪市会議員・畑山を凹ましたれ、というていどの理由でしかない。

 結局、それは;

『ちょーさんは、「詐欺の手口は社会の鏡であり、詐欺師は人の欲望の司祭なんや」と、よく言う。』

 リクルート事件なんかにもあるとおり、非公開株をインサイダー情報を持っているとして公開情報を持ってきて、その株を買わせようと言う詐欺事件は一杯あるし、そうした「金持ち」を対象にした詐欺事件には「まあ、騙されたほうが馬鹿なんでしょう」という社会的評価をされて、被害者に対する同情なんてものはまずない。

『大掛かりな詐欺になると、会社をつくって営業を打ち、広く大勢から金を集めたりするわけだが、そうすると被害者は老人や主婦が多くなる』

 ということになって、その場合は単に「騙されたほうが馬鹿なんでしょう」とはいえない、被害者側の悲惨な状態なんかも出てきたりする。

 つまり、「ちょーさん」「おばのん」「やっさん」「ジョー」の四人組は、前者の詐欺には一生懸命になるが、後者の詐欺には手を染めないということを堅持としている。まあ、それがこの四人組がつかまらなかった理由なんでしょうけれども。

 しかし、こうした「詐欺話」が面白おかしく通用するのも、やはり大阪という場所だからこそなのかもしれない。同じ話を東京都の都議会議員のネタでやってもあまりリアル感がないのは何故だ? 

 多分、それは我々の中に「大阪人は経済人」という刷り込みがあるからだろう。東京の政治家ならばあまり「儲け話」には乗らないだろうし、それ以上に自らの経済スキャンダルには敏感だ。そこが大阪の政治家であれば、もうちょいと経済部分での「おちょくり」に乗りそうだし、詐欺だってわかっていたって、それがうまくいかなくて見事に自分の利益になってしまう目があれば、あえて乗ってしまおうというたくましさが、大阪の政治家にはありそうだ。

 その辺の、多分にありそうな大阪の政治家という存在が、この作品のベースノートなのだろう。こうした「分り易い政治家」の存在が、この作品においては結構重要な立場になってくる。

 で、結局、「詐欺」は「詐欺じゃなくなる」というかたちでもって、終了するのだ。勿論「犯罪」は正当に「犯罪」として行われるのであるが、でもその結果が、「犯罪によって受け取った金を別のものにして被害者に返してしまった」というかたちでね。

 なんか、これ面白くない。

 どうせなら、騙した以上は騙したまんまにして、騙された大阪市議を晒し者にして欲しかったし、それでこそアルカディアのママの憂さ晴らしにも(というか憂さ晴らしにしかならない)なったのではにだろうか。

 多分に、この小説の作家には「詐欺は犯罪=犯罪は悪」というステロタイプな考え方があるのではないか。そんな考え方では、一般社会人としては生きていけるかもしれないが、芸術家としては生きていけないという、日本の常識に嵌まったままの、多分「普通の小説家」で終わるんだろうな。

 基本的に、芸術家(表現者)というものは、本来はその国の為政者からのスポンサードを受けない限りは、単なる乞食である。河原乞食である。

 小説家も同じ。

 どこかの出版社とかお金持ちに(詐欺的技術で)契約された作家だけが、芸術家なのだったり、科学者だったり、哲学者だったりするわけだ。

 その中に政治家が入るのかと言えば、絶対に入るわけないじゃん。政治家は、国民から政治を預かっているのだが、その執行権は持っていない。執行権は官僚にあるわけなのだ。その執行「権限」を官僚から奪い返そうという政治家の言はよし。しかし、その方法論は基本的に破綻しているのだから、結局官僚政治になってしまうのはやむをえない。

 と、ちょっと話がそれてしまった。

 とにかく、この小説を読みながら、頭に浮かんだのは上田正樹の『悲しい色やねん』であります。「Hold me tight. Osaka Bay blues.」という歌詞がずっと流れていたのは何故だ?

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