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2012年9月29日 (土)

さらば講談社

 いよいよ会社を定年で退職することになった。

 それを記念して初めて私自身のことを書く(ったって、今までだって自分の勝手な思い込みばかり書いていたんじゃね? という突っ込みは入れないように)。

 で、いままでブログには書いていなかったんだけれども(ってプロフィールみればバレバレじゃん、という突っ込みはやはり入れないように)、実は出版社の講談社の社員だったのだ。正確には9月末日の退職なので(辞令も9月30日付けになっている)まだ今日は従業員のままのだが、もはや週末ということなので実質昨日が最後の出社日となった。

2012_09_28_005_2

 1975年4月の入社なので36年と6ヶ月も講談社にいたことになる。

 実は、私自身入社時には定年まで勤め上げるなんてことは考えていなくて、10年位でサラリーマンは辞めてフリーで仕事をするつもりだった。それが何故定年まで同じ会社で働くというテイタラクに甘んじたのか。それはそれは長~い長~いお話があるのだ。

 私が入社試験を受けた1974年というのは、その前年1973年に第四次中東戦争が勃発し、10月には石油輸出機構(OPEC)が原油価格を1バレル3.01ドルから5.12ドルで70%引き上げる決定を行い、アラブ石油輸出機構(OAPEC)が原油生産を段階的削減をすることを決めた、いわゆる第1次オイルショックの年で、日本でもトイレットペーパーの買占め騒ぎなんかが起きた年である。なんで「石油ショック」が「トイペ買占め」なんだかよくわからないが、まあそんな年。

 当然、日本経済は大ショックを受け、不況への道まっしぐらとなり企業も採用減どころか、採用見直し、内定取り消しなんてことまで起きた。日本企業社会がそんな状況だから、大手マスコミ(特に民放テレビ)なんかも収入は大幅に減となり、「1974年は採用なし」なんて事になった。確か、大手民放で採用があったのはTBSくらいのもので、当時私が報道局でアルバイトをしていた日本テレビ放送網なんかも採用はなかった。

 しかし、学生当時から映画評なんかを書いていた私は、自分の進路も当然ながら映像業界を考えていた。基本的に映画会社かテレビ会社に就職しようと考えていたのである。ところが当時の日本映画界は観客動員が戦後最低の頃で、年間1億人くらいしか動員できていなかったのではないか。自分には脚本や演出の仕事は素質的にダメということは分かっていたので、狙いは映画会社のプロデューサー。その為には大手映画会社に入るのが一番だったのだが、大手映画会社で新人採用をしていたのは東映だけだった。しかし、当時は東映だって観客動員は最低の年だったので、採用されてもホテルかゴルフ場、不動産部門の従業員になることがほぼ決まりだったのである。

 じゃあテレビ業界にでももぐり込んでテレビドキュメンタリーか何かをシコシコと片隅で作っていこうかなとも考えたのだが、上記の通り日テレは採用なし、TBSは採用はあるものの、学内選考があって、抜群の成績の悪さを誇りにしていた私には(だって、ゼミ以外は殆ど授業なんか出ないんだもん)、取り敢えず申込はしたものの、お呼びでないってことに。大学のゼミの先輩でNHKのアナウンサーをしている人がいて、アナウンサーならNHKに入れるかもという話もあったのだが、それは私では無理でしょうということでお断り。

 日テレの報道局バイトで一緒に仕事をしていた下請けのフィルム編集会社が私を誘ってきたので、そちらにでも入るしかないか、なんてことを考えていたある日……。

 テレビ局でバイトをしていた「蛇の道は蛇」で、角川書店が『犬神家の一族』を製作するという話が聞こえてきた。「おお、そうかこれからはメディアミックス(なんて言葉は当時なかったが)を狙って出版社が映画を作る時代がくるのか」ということに気づいた私は、出版社の就職状況を調べた。

 すると嬉しいことに、殆どの出版社が新人採用を学生全部にフルオープン。学内選考なんてセコいことなんかはやらずに、一発試験で大丈夫というのである。ということで、新聞で一般公募をしている講談社にもぐり込んで、いずれは映画を作ってやれという気分で受けたら入っちゃった。

 というのが、私が講談社に入社した経緯。

 ところが、コチラの方がもぐり込みやすいだろうと考えて営業部門に入っちゃったもんだから、最初は販売促進部門に配属となり、基本的には本屋さん回りの仕事。映像からみの仕事からは一番遠いところに行ってしまったなあ。ということで関東地方を担当していたところ、4年ほど経って今度は名古屋へ行けということになって、もっと映像からは遠くなってしまう。そこで北陸担当などをしながらやはり4年。入社9年目にしてやっと本社の「映像出版事業本部」という「映像も製作する部署」に異動となる。

 しめしめこれでやっと映画が作れるぞ、とほくそ笑んでいたら、なんと「講談社は実写はやらん、アニメだ。」と言われてちょっとがっかり。しかしまあ、アニメだって実写だって、プロデューサーの仕事は現場ではないのだからあまり関係はない。シナリオ作りはアニメも実写も同じ、ということで次第に仕事にのめり込んで行くうちに、なんと映像部門で20年も過ごしていつの間にか一番の古株になってしまった。こうなると最早辞めるわけにもいかず、ついに部門廃絶までいることになってしまった。私の作品歴はプロフィール欄で。

 最後は、再び販売促進部門でもはや「余生」ですな。を過ごしてめでたく昨日定年退職と相成ったわけであります。

 ということで、見事定年になって最初に何をやるか……、は秘密です。

 近々、ブログで報告します。

 ……できるかな。

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コメント

はじめまして。
じっくり読ませていただこうと思ったその日に「定年退職」の記事に遭遇しました。
(数日前「鋤田正義展 SOUND&VISION 」で検索して辿り着きました。)
これから何をするか・・・楽しみですね。
また寄らせていただきます。

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