『池波正太郎を歩く』で歩いていない池波文学があるんだよな
時代小説を読んで、そこに描かれている舞台を歩くというのは私もいろいろやっているが、それが池波正太郎氏の作品なら、歩く楽しみに増して食べる楽しみが加わる。いいなあ。
『池波正太郎を歩く』(須藤靖貴著/講談社文庫/2012年9月14日刊)
が、残念ながら私が池波作品で一番好きな『剣客商売』の場所は歩かないのだ。
取り上げられる作品は『仕掛人・藤枝梅安』『鬼平犯科帳』『真田太平記』『堀部安兵衛』『忍びの風』『近藤勇白書』『おとこの秘図』『雲ながれゆく』『人斬り半次郎』『西郷隆盛』『雲霧仁左衛門』『剣の天地』『忍びの旗』『夜明けの星』『あほうがらす』と『おせん』『男振』『おれの足音』『原っぱ』という具合。
『藤枝梅安』と『鬼平犯科帳』があるのに『剣客商売』なぜないんだろう。『藤枝梅安』は江戸だけじゃないから、そのほうが旅の趣があって良いだろうというのはわかるが、『鬼平』は江戸しか出てこないのだから、同じ江戸だけが舞台の『剣客』があってもいいのにねえ。『鬼平』は日本橋から門前仲町あたり、『剣客』は浅草と鐘淵という場所、両方とも江戸の東の方だ、いい店がいっぱいあるし。
と言っても、私が何故『剣客』が好きなのかといえば、別にたいしたことじゃなくて、我が家の菩提寺である浅草今川の慶養寺が出てくる、というただそれだけであるので、まあ、あまり説得力があるわけではない。ま、ちょっと残念かなという程度。
ところが、巻末に付けられている『池波用語の基礎知識』になるとまるで様相が変わってきている。要は池波作品でよくある表現方法について述べてあるのだが、全部で30の表現に触れている。つまり;
(1)肉置き(「ししおき」と読む:引用者注)(2)むうん……(3)かけまわす(4)“の”(ルビ)(5)怪鳥のごとく(6)このことであった(7)内ぶところをつかない(8)こころづけ(9)ぬれぬれと(10)その日。(11)……(12)いかさま(13)連絡(「つなぎ」と読む:引用者注)(14)どこをどうされたものか(15)女という生きもの(16)ところで……。(17)それはさておき……。(18)雨(19)大喝(20)這う這うの態(21)勘ばたらき(22)空の描写(23)いのちがけ(24)季節の描写(25)エンディング(26)のである。(27)筆者も知らぬ。(28)端倪すべからざる(29)うふ、ふふ……(30)だ、だあん
という30の表現方法なのであり、それはいかにも池波正太郎読みの須藤靖貴氏らしい。ひとつひとつを見ると、「うんうん、そうなんだよな」と思わず頷いてしまうことばっかりが。
だが、そのうち私がアンダーラインをした17の表現方法については、実は『剣客商売』から引用文を持ってきている。ということは、それだけ『剣客』が池波正太郎作品のエッセンスが詰まっているということなのだろう。「肉置き(ししおき)」という表現は『剣客』でもあったはず(たしか三冬の姿態に関する記述)だし、「連絡(つなぎ)」に類する表現、「勘ばたらき」に類する表現も『剣客』で行われていたはずだが、なぜかそれらには触れていないのは、多分、『剣客』があまりにも池波文学の集大成的なものなので、「触れるまでもない。」と須藤氏が考えたからなのか。
ともあれ、池波文学の面白さとは基本的に『鬼平の超人的な勘ばたらきは、善のみならず悪をも熟知しているからだ。放蕩無頼を生きた経験の賜だろうか。
<悪を知らぬものが悪を取りしまれるか>と鬼平は笑い、<「人間というやつ、遊びながらはたらく生きものさ、善事をおこないつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。これが人間だわさ」>と諭す。読み物としての面白さも十全だが、鬼平の造形の奥深さが実にいい。鬼平の勘ばたらきの冴えに触れ合いたくて、頁をめくる』と須藤氏が書くとおり、まさしく池波文学の面白さは読んだ人をすべて飲み込みながら、それでいて浮世の渡世を語っていることなのである。つまりそれは『池波作品を読めば、人間や出来事は一面的でないことが分る。善の中にも悪があり、逆も然り。人間というものを相対化することができ、自分ばかりが辛い、という視野狭窄から救ってくれる』ということなのだろう。こんなことは、人間が生きている限りは知ってて当然というようなことなのだけれども、最近はそんな「自分を相対化」できない人たちが増えてきたのか、その結果としての「クレイマー」という存在を見ると悲しくなってしまう。
ともあれ、いずれの料理法にも合わせることができる池波文学って、さすがに何度読んでも面白いということの証左なのである。
そう考えると、
「池波文学の奥の深さは」
さすがなのである。
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