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2012年9月27日 (木)

『ディクテーター』はチャプリンの映画と同じタイトルなんだけど、中身はちょっと違うぞ

 さあこれがチャプリンの『独裁者』とどうなのか、というテーマもあるんだけれども。

 基本的にチャプリンの『独裁者』は独裁者=ヒトラーを単純に批判した映画なんだけれども、この作品はむしろ「民主主義者」をからかっているのである。

『ディクテーター 身元不明でニューヨーク』(原題:DICTATOR/サシャ・バロン・コーエン主演・脚本・製作/監督ラリー・チャールズ/パラマウント映画製作)

200http://www.dictator-movie.jp/

 一番手にとっておきたいのは「諸君、独裁制にしようではないか。独裁制にすれば、1%の人々に99%の富を集中できる。中国人、アラブ人、黒人で別の支配ができる。なんだかんだ難癖をつければ中東に対して軍事攻撃ができる」(日本語字幕からの引用なので、正確かどうかは不明)という、この主人公アラジーン将軍の各国首脳の前での演説なのであるが、それらは既にアメリカ合衆国という「民主国家」が実現していることなわけだし、いまさら「遅れた独裁制国家の元首」からいわれることでもない。ということは、既にしてアメリカは独裁制? って思ってしまっていたりするんだが、それは間違っているようで間違っているわけではない。

 ナチスの独裁制だって、元々は民主的に選ばれた議員内閣によって作られたわけであるし、それはイタリアのファシスト政権もそうだし、日本の東條内閣だって、国民の負託の元にできた政権なのである。

 この映画を作っているサシャ・バロン・コーエン(バロンがついているから、なんか貴族の人なのかな。あるいはこれもギャグ?)はイギリス人であるから、そんな「立憲君主国家」にいる立場からみた「共和制民主主義」の脆弱さに対する批判なのかも知れないが、しかし、じゃあ「立憲君主制下の民主主義」(日本も同じ政体ですが)ならいいのか、といってしまえば実はそうじゃなくて、そこではやはりその政体の問題があったりするわけですよ。

 じゃあ、我々人間が一番いい政体を作り出すことができるのか、といえばその答えはほとんどNoだろう。取り敢えず今のところはこれがいいんじゃね、といってとりいれているのが、日本で言えば「立憲君主制下の民主主義」なわけだし、アメリカは「共和制として行っている民主主義」なわけだろう。

 でも、それを使って(悪用して?)富の集中を行っている人たちがいるわけだし、それは資本主義社会では当たり前であるとはいえ、でもこれだけ「富の集中と、貧の拡大」が資本主義社会を支えている基盤にある民主主義をベースとした政体が元になっていると考えると、民主主義が今のままでいいのか、とも考えてしまうのだ。

 じゃあ、その反対側に属する「独裁制」がいいのかと言われれば、そうじゃなくて今の民主制の中で何か解決方法はないのか、民主主義から独裁制に移らない方法論はないのか、ということも考えなければいけないのだ。

 そこで、戦前の政治主宰者たちは解決策としての「天皇」を持ち出したわけだ。取り敢えず「天皇」を持ち出してしまえば、国民は納得せざるを得ない。ということで、「天皇」の為には命を投げ出すことを是とする人たちが沢山いたということでね。で、その結果が東京裁判でもって「天皇の戦争責任」という問題が語られたわけなのであるが、問題は「日本天皇」が政治的な主権を持っていたのか、あるいは「天皇機関説」のままに「あるもののでしかない天皇」であったのか、ということが裁判では考察されたわけであるが、結局は後者のほうの解釈になって、「天皇の戦争責任はない」という、いわば「特殊な裁定」がなされたわけである。

 たしかに、日本天皇は独裁権力を行使したことはないだろう。それはイギリス王室も同じである。「日本皇室」も「イギリス王室」も戦争を望んだことはないだろう。しかし、戦争は起こった。何故か。

 結局、それは現世権力の象徴である「天皇の統帥権」だったり、「イギリス王室」の財産権だったりするわけで、それはそれで国内的には理由は通じる。が、それが海外では通じなかったから戦争になるわけですね。まあ、それは当面の政治的な理由であって、その裏にはちゃんとした経済的(ということは、いくつかの財閥会社的)な理由があるわけなのですね。

 とまあ、ちょっと映画からは外れてしまったけれども、まあ、映画が言っているのも同じ事。要は、アメリカ式の民主主義が実は独裁制じゃないかよ、ってことを言っているのだ。ただし、イギリスはアメリカより民主主義では先輩であるぞ、ってな上から目線の表現であるという部分でちょっとなあとも思うのだ。

 イギリス映画人がアメリカ民主主義をバカにするってのは分らないでもないが、そのイギリス民主主義だって、資本主義の部分ではアメリカ寄りになっているわけだし、というか経済的には殆どアメリカに飲み込まれてしまっているのではないだろうか。本来は、こちらに対する批判的叙述があっていいはずだ。

 まあ、そういう意味では、“DICTATOR”という映画自体も面白かったけれども、「独裁制と民主制」のどちらがいいのかも分らなくなってるぜ、俺。という存在も面白い、とうことが結論かな。

 まあ、独裁制も民主制も、結局は代議民主制なんだから、結局は「国民にいいことをやってくれた政権」を国民は支持するのだ。

 ……で、そんな政権って、できるんでしょうかね。

 おもしろかった台詞は、アラジーン将軍から絞首刑を言い渡されたんだけれども、生きていた(って言うか)ナダルの台詞「スウェットを着てクロックスを履いて、ファミレスに行くってやつらは『何にも物を考えていない奴らだぜ』」っていう話。

 だって、私の周辺にそんな奴がいるからね。

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