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2012年9月

2012年9月30日 (日)

Fitbit Ultraがやってきたぞ。で、どうなの?

 アマゾンで注文していたFitbit Ultra Wirelessが来た。

 と言っても健康器具オタクじゃなければ分らないでしょう。単純に言ってしまうと「万歩計」なんだが、普通の万歩計とはちょっと違うんだなあ。

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 こんな感じのクリップ・タイプなのでズボンやシャツのポケットなんかに簡単につけられる。勿論、ポケットのない服(スポーツウェアなんかの)でも大丈夫なように、腕に巻きつけるベルトとか、この本体を別のクリップで付けられるようなデバイスもついている。

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 このクレードルの先がUSBになっていて、充電は勿論、データをパソコンと同期できるのだ。しかし、実はこのクレードルに差さなくてもクレードルから15フィートの距離まで近づくとWiFi的に同期できてしまうのだ。スゴイでしょ。

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 で、パソコンに「歩数」「階段の昇った階数」「歩行距離」「消費カロリー」の他に、「食事のプラン」や「就寝の状態」なんかも自動で記録できるようになっている優れものである。同じ会社のヘルスメーター(Wifi付き)を使えば体重管理もできてしまう。

 こうした記録がパソコンに自動的に収納されるばかりでなく、実はここからがこのFitbitのスゴイところなのだが、このFitbitのデータをFacebookに自動的にUPして自分のみっともない姿を人目に晒すことができるのだ。まあ、そういうことが好きな人はね。

 つまり、これは単なる「万歩計」じゃなくて、基本的には「ライフログ」の装置だってこと。「ライフログ」というのは、MITを卒業後、DECでミニコンの「PDP」シリーズや3DCGアニメーション制作で大活躍したオフコンの「VAX」などを開発し、現在はマイクロソフト研究所の主席研究員であるゴードン・ベル氏の発想で、とにかく人間の普段の生活の全てをデジタル化して記憶させよう、SNSなどでソーシャル化しようという発想である。

 ベル氏は常に首からデジカメをぶら下げていて、20秒に一回、定期的にシャッターが開かれるような設定になっており、それをSNSに公開すれば、まさしくそれがベル氏のライフログ(生きてきた証拠)ということ。誰にも否定できない、自分の生きてきた記録であるというのだ。ブログなんかもライフログの一種で、要は自分がここにいるということを、ネット上で残していこうという考え方なのだ。

 つまり、それの「自分のカラダ」版がFitbitの発想。とにかく、自分の姿を人前に晒しましょうってなもんだ。

 まあ、私はそれはしません。というか、未だ正規代理店もない本商品であり、アマゾンの並行輸入しかないので、英語のオンライン・マニュアルだけなので、セットアップは簡単だけれども、それ以上の使い方は、まだ使用1日目では分らない、というのが真相。いずれ、Facobookへの同期方法が分ったらやっちゃうかもしれない。しかし、こんなオヤジのみっともない生活を晒してなんになるんじゃ、という気もしないではないけれどもね。

 いずれにせよ、まだ使って1日目なので何も言えないが、なんでも「週次で活動結果からの分析レポートをメールで送ってくれる」というサービスもあるそうである。実は、使い始めて1日目の今日、すでに歩行5000歩を過ぎた段階で「Congrats on earning your first 5,000 daily step badge!」 なんてメールが来たりする。とまあなかなかにユーザーのモチベーションを上げようとする優れた健康用ガジェットであるということは間違いない。

 問題は、例えば旅行なんかに行って家のパソコンを数日はなれた場合に、どれだけ本体にデータが残っているのか、蓄電量はどれだけ持つのか、その間、本体パソコンはちゃんと待ってくれるのか、ということである。移動用のパソコンLenovoにはFitbitはインストールしていないし、する気もない。基本的には移動用パソコンにはデータは保存しないからだ。基本的にブログの書き込みと、そのための写真一時保存だけ。写真も移動用は一時保存だけで、基本は家パソコンに全て保存なのだ。

 あれ、やばいな。だとすると家のパソコンが「ダメ」になったら私の家の全データは消えてしまうのか。じゃあ、早めにクラウドにあげちゃうか?

 まあ、ガジェット好きの私であるから買ったようなものだが、しかし、ちゃんと健康に役立つものであれば、家族も購入に納得してくれるだろう。

 いずれまた、もうちょっとちゃんと使ったところで、Fitbit使用報告はしますのでそれをお楽しみに……。

2012年9月29日 (土)

さらば講談社

 いよいよ会社を定年で退職することになった。

 それを記念して初めて私自身のことを書く(ったって、今までだって自分の勝手な思い込みばかり書いていたんじゃね? という突っ込みは入れないように)。

 で、いままでブログには書いていなかったんだけれども(ってプロフィールみればバレバレじゃん、という突っ込みはやはり入れないように)、実は出版社の講談社の社員だったのだ。正確には9月末日の退職なので(辞令も9月30日付けになっている)まだ今日は従業員のままのだが、もはや週末ということなので実質昨日が最後の出社日となった。

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 1975年4月の入社なので36年と6ヶ月も講談社にいたことになる。

 実は、私自身入社時には定年まで勤め上げるなんてことは考えていなくて、10年位でサラリーマンは辞めてフリーで仕事をするつもりだった。それが何故定年まで同じ会社で働くというテイタラクに甘んじたのか。それはそれは長~い長~いお話があるのだ。

 私が入社試験を受けた1974年というのは、その前年1973年に第四次中東戦争が勃発し、10月には石油輸出機構(OPEC)が原油価格を1バレル3.01ドルから5.12ドルで70%引き上げる決定を行い、アラブ石油輸出機構(OAPEC)が原油生産を段階的削減をすることを決めた、いわゆる第1次オイルショックの年で、日本でもトイレットペーパーの買占め騒ぎなんかが起きた年である。なんで「石油ショック」が「トイペ買占め」なんだかよくわからないが、まあそんな年。

 当然、日本経済は大ショックを受け、不況への道まっしぐらとなり企業も採用減どころか、採用見直し、内定取り消しなんてことまで起きた。日本企業社会がそんな状況だから、大手マスコミ(特に民放テレビ)なんかも収入は大幅に減となり、「1974年は採用なし」なんて事になった。確か、大手民放で採用があったのはTBSくらいのもので、当時私が報道局でアルバイトをしていた日本テレビ放送網なんかも採用はなかった。

 しかし、学生当時から映画評なんかを書いていた私は、自分の進路も当然ながら映像業界を考えていた。基本的に映画会社かテレビ会社に就職しようと考えていたのである。ところが当時の日本映画界は観客動員が戦後最低の頃で、年間1億人くらいしか動員できていなかったのではないか。自分には脚本や演出の仕事は素質的にダメということは分かっていたので、狙いは映画会社のプロデューサー。その為には大手映画会社に入るのが一番だったのだが、大手映画会社で新人採用をしていたのは東映だけだった。しかし、当時は東映だって観客動員は最低の年だったので、採用されてもホテルかゴルフ場、不動産部門の従業員になることがほぼ決まりだったのである。

 じゃあテレビ業界にでももぐり込んでテレビドキュメンタリーか何かをシコシコと片隅で作っていこうかなとも考えたのだが、上記の通り日テレは採用なし、TBSは採用はあるものの、学内選考があって、抜群の成績の悪さを誇りにしていた私には(だって、ゼミ以外は殆ど授業なんか出ないんだもん)、取り敢えず申込はしたものの、お呼びでないってことに。大学のゼミの先輩でNHKのアナウンサーをしている人がいて、アナウンサーならNHKに入れるかもという話もあったのだが、それは私では無理でしょうということでお断り。

 日テレの報道局バイトで一緒に仕事をしていた下請けのフィルム編集会社が私を誘ってきたので、そちらにでも入るしかないか、なんてことを考えていたある日……。

 テレビ局でバイトをしていた「蛇の道は蛇」で、角川書店が『犬神家の一族』を製作するという話が聞こえてきた。「おお、そうかこれからはメディアミックス(なんて言葉は当時なかったが)を狙って出版社が映画を作る時代がくるのか」ということに気づいた私は、出版社の就職状況を調べた。

 すると嬉しいことに、殆どの出版社が新人採用を学生全部にフルオープン。学内選考なんてセコいことなんかはやらずに、一発試験で大丈夫というのである。ということで、新聞で一般公募をしている講談社にもぐり込んで、いずれは映画を作ってやれという気分で受けたら入っちゃった。

 というのが、私が講談社に入社した経緯。

 ところが、コチラの方がもぐり込みやすいだろうと考えて営業部門に入っちゃったもんだから、最初は販売促進部門に配属となり、基本的には本屋さん回りの仕事。映像からみの仕事からは一番遠いところに行ってしまったなあ。ということで関東地方を担当していたところ、4年ほど経って今度は名古屋へ行けということになって、もっと映像からは遠くなってしまう。そこで北陸担当などをしながらやはり4年。入社9年目にしてやっと本社の「映像出版事業本部」という「映像も製作する部署」に異動となる。

 しめしめこれでやっと映画が作れるぞ、とほくそ笑んでいたら、なんと「講談社は実写はやらん、アニメだ。」と言われてちょっとがっかり。しかしまあ、アニメだって実写だって、プロデューサーの仕事は現場ではないのだからあまり関係はない。シナリオ作りはアニメも実写も同じ、ということで次第に仕事にのめり込んで行くうちに、なんと映像部門で20年も過ごしていつの間にか一番の古株になってしまった。こうなると最早辞めるわけにもいかず、ついに部門廃絶までいることになってしまった。私の作品歴はプロフィール欄で。

 最後は、再び販売促進部門でもはや「余生」ですな。を過ごしてめでたく昨日定年退職と相成ったわけであります。

 ということで、見事定年になって最初に何をやるか……、は秘密です。

 近々、ブログで報告します。

 ……できるかな。

2012年9月28日 (金)

『日本古代史を科学する』っていうけど、結局は自分の説に酔っちゃうのだ

 PHP新書っていうのは毎月最終日が刊行日なのだろうか。2月29日刊ってすごすぎる。

『日本古代史と科学する』(中田力著/PHP新書/2012年2月29日刊)

 で、中田氏なのであるが、臨床医であり複雑系脳科学の世界的権威であるそうな。なんでそんな人が日本古代史? とも思うのだが、まあ、それはよい。要は『日本が守り続けた天皇家は、いまでも、神武と同じ高貴な血を引く家系なのである。そして、日本に生きる人々にとって何よりも喜ばしいことは、美しい日本という国が、商王朝の祭祀と叡智を受け継いだ周王朝が目指した理想の国家、孔子がその想いを馳せた周公旦の、民に優しい国の実現を夢見た人々が作り上げた国家であろうことにある。その綺麗な心が消え去ることなく日本の人々に受け継がれたように、その象徴たる皇室は、世界に類のない長きに渡って、万世一系の天孫染色体を守り通しているのである』という結語にあらわれるような、天皇家に対する思い入れが前提にあっての古代史解釈なのである。

 中田氏はまず「邪馬台国がどこにあったか」という設問に対して、「『魏志倭人伝』を読む」ことから始める。その際に三つの前提を定める。

前提1 「魏志倭人伝」に書かれている記載には故意に変更された事項がない。
前提2 科学・技術の時代背景をきちんと考察する。
前提3 社会学的な意識を持ち込まず、常識的でない解釈は採用しない。

 という三つの前提は、つまり『魏志倭人伝』に書かれた内容をそのまま信じるということである。

 邪馬台国のあった場所については大きなものに「畿内説」と「九州説」があり、その「九州説」に関しても、「福岡県の糸島市を中心とした北部九州広域説」「福岡県の大宰府天満宮説」「大分県の宇佐神宮説」「宮崎県の西都原古墳群説」など諸説あって、いまだにそれがどこなのかはハッキリしていない。

 そこで中田氏は『末盧国から伊都国 東南陸行五百里にして、伊都国に到る』『伊都国から奴国 東南奴国に至る百里』『奴国から不弥国 東行不弥国に至る百里』『投馬国 南、投馬国に至る水行二十日』『邪馬台国 南、邪馬台国に至る、女王の都する所、水行十日陸行一月』という『魏志倭人伝』の記述をそのままに辿ろうとする。その結果、『結局のところ、どちらの道を通ったとしても、到達地は宮崎平野、日向灘の地である。邪馬台国は日向灘に面したこの地にあったのである』としている。

 しかし、当然この説には批判は出てくるわけである。

 たとえば、『古代史雑記帳』というブログを書いている池沢康という人は「投馬国」に至る行程について『有明海は波が穏やかであり、佐賀から熊本までの水行の20日を要するとは考えられない』、「邪馬台国」に至る行程に対しては『それでは佐賀→熊本の水行に20日を要したという矛盾をそのままなぞっており、熊本→八代の水行に10日を要するのは同じ矛盾と言わざるを得ない』『八代から日向灘沿岸部までの陸行に一月を要したとは思えない。この矛盾を説明していないのは残念である』として、中田氏の説に異を唱えるわけである。

 しかし、池澤氏は別に歴史の専門家ではなく、『慶應義塾大学経済学部卒、商社兼松に30年間勤務後、早期退職してロサンゼルスで独立、日本食レストラン向け情報誌「フード業界情報USA」を15年間発刊、06年帰国」し、今は先の『古代史雑記帳』の他、『隠居爺の妄言録』というブログなんかも書いている人なのである。

 じゃあ、池澤氏なりの邪馬台国の場所に対する仮説があるのかと言えば、別にそれはないようだ。まあ、別になくてもいいけどね。

 つまり、「邪馬台国論争」というものは、基本的には「何でも言える」論争なのである。結局、参考文献は『魏志倭人伝』しかないわけで、それをどのように読むのか。昔の「一里」ってどのくらいの距離? おまけにその計り方って正確? 「陸行」「水行」ったって、ちゃんと毎日同じようなペースで進んだのか? 等々、いくらでも分らないことは沢山出てくるのである。その分らないことを、研究者それぞれが勝手に想像しながら読むわけである。当然、人によって解釈は180度異なるわけである。

 で、私の結論。

 いいじゃない、どうだって。所詮、古代史はロマンなのよ。

 ということです。

 これも結構ムチャクチャな話です。

2012年9月27日 (木)

『ディクテーター』はチャプリンの映画と同じタイトルなんだけど、中身はちょっと違うぞ

 さあこれがチャプリンの『独裁者』とどうなのか、というテーマもあるんだけれども。

 基本的にチャプリンの『独裁者』は独裁者=ヒトラーを単純に批判した映画なんだけれども、この作品はむしろ「民主主義者」をからかっているのである。

『ディクテーター 身元不明でニューヨーク』(原題:DICTATOR/サシャ・バロン・コーエン主演・脚本・製作/監督ラリー・チャールズ/パラマウント映画製作)

200http://www.dictator-movie.jp/

 一番手にとっておきたいのは「諸君、独裁制にしようではないか。独裁制にすれば、1%の人々に99%の富を集中できる。中国人、アラブ人、黒人で別の支配ができる。なんだかんだ難癖をつければ中東に対して軍事攻撃ができる」(日本語字幕からの引用なので、正確かどうかは不明)という、この主人公アラジーン将軍の各国首脳の前での演説なのであるが、それらは既にアメリカ合衆国という「民主国家」が実現していることなわけだし、いまさら「遅れた独裁制国家の元首」からいわれることでもない。ということは、既にしてアメリカは独裁制? って思ってしまっていたりするんだが、それは間違っているようで間違っているわけではない。

 ナチスの独裁制だって、元々は民主的に選ばれた議員内閣によって作られたわけであるし、それはイタリアのファシスト政権もそうだし、日本の東條内閣だって、国民の負託の元にできた政権なのである。

 この映画を作っているサシャ・バロン・コーエン(バロンがついているから、なんか貴族の人なのかな。あるいはこれもギャグ?)はイギリス人であるから、そんな「立憲君主国家」にいる立場からみた「共和制民主主義」の脆弱さに対する批判なのかも知れないが、しかし、じゃあ「立憲君主制下の民主主義」(日本も同じ政体ですが)ならいいのか、といってしまえば実はそうじゃなくて、そこではやはりその政体の問題があったりするわけですよ。

 じゃあ、我々人間が一番いい政体を作り出すことができるのか、といえばその答えはほとんどNoだろう。取り敢えず今のところはこれがいいんじゃね、といってとりいれているのが、日本で言えば「立憲君主制下の民主主義」なわけだし、アメリカは「共和制として行っている民主主義」なわけだろう。

 でも、それを使って(悪用して?)富の集中を行っている人たちがいるわけだし、それは資本主義社会では当たり前であるとはいえ、でもこれだけ「富の集中と、貧の拡大」が資本主義社会を支えている基盤にある民主主義をベースとした政体が元になっていると考えると、民主主義が今のままでいいのか、とも考えてしまうのだ。

 じゃあ、その反対側に属する「独裁制」がいいのかと言われれば、そうじゃなくて今の民主制の中で何か解決方法はないのか、民主主義から独裁制に移らない方法論はないのか、ということも考えなければいけないのだ。

 そこで、戦前の政治主宰者たちは解決策としての「天皇」を持ち出したわけだ。取り敢えず「天皇」を持ち出してしまえば、国民は納得せざるを得ない。ということで、「天皇」の為には命を投げ出すことを是とする人たちが沢山いたということでね。で、その結果が東京裁判でもって「天皇の戦争責任」という問題が語られたわけなのであるが、問題は「日本天皇」が政治的な主権を持っていたのか、あるいは「天皇機関説」のままに「あるもののでしかない天皇」であったのか、ということが裁判では考察されたわけであるが、結局は後者のほうの解釈になって、「天皇の戦争責任はない」という、いわば「特殊な裁定」がなされたわけである。

 たしかに、日本天皇は独裁権力を行使したことはないだろう。それはイギリス王室も同じである。「日本皇室」も「イギリス王室」も戦争を望んだことはないだろう。しかし、戦争は起こった。何故か。

 結局、それは現世権力の象徴である「天皇の統帥権」だったり、「イギリス王室」の財産権だったりするわけで、それはそれで国内的には理由は通じる。が、それが海外では通じなかったから戦争になるわけですね。まあ、それは当面の政治的な理由であって、その裏にはちゃんとした経済的(ということは、いくつかの財閥会社的)な理由があるわけなのですね。

 とまあ、ちょっと映画からは外れてしまったけれども、まあ、映画が言っているのも同じ事。要は、アメリカ式の民主主義が実は独裁制じゃないかよ、ってことを言っているのだ。ただし、イギリスはアメリカより民主主義では先輩であるぞ、ってな上から目線の表現であるという部分でちょっとなあとも思うのだ。

 イギリス映画人がアメリカ民主主義をバカにするってのは分らないでもないが、そのイギリス民主主義だって、資本主義の部分ではアメリカ寄りになっているわけだし、というか経済的には殆どアメリカに飲み込まれてしまっているのではないだろうか。本来は、こちらに対する批判的叙述があっていいはずだ。

 まあ、そういう意味では、“DICTATOR”という映画自体も面白かったけれども、「独裁制と民主制」のどちらがいいのかも分らなくなってるぜ、俺。という存在も面白い、とうことが結論かな。

 まあ、独裁制も民主制も、結局は代議民主制なんだから、結局は「国民にいいことをやってくれた政権」を国民は支持するのだ。

 ……で、そんな政権って、できるんでしょうかね。

 おもしろかった台詞は、アラジーン将軍から絞首刑を言い渡されたんだけれども、生きていた(って言うか)ナダルの台詞「スウェットを着てクロックスを履いて、ファミレスに行くってやつらは『何にも物を考えていない奴らだぜ』」っていう話。

 だって、私の周辺にそんな奴がいるからね。

2012年9月26日 (水)

『池波正太郎を歩く』で歩いていない池波文学があるんだよな

 時代小説を読んで、そこに描かれている舞台を歩くというのは私もいろいろやっているが、それが池波正太郎氏の作品なら、歩く楽しみに増して食べる楽しみが加わる。いいなあ。

『池波正太郎を歩く』(須藤靖貴著/講談社文庫/2012年9月14日刊)

 が、残念ながら私が池波作品で一番好きな『剣客商売』の場所は歩かないのだ。

 取り上げられる作品は『仕掛人・藤枝梅安』『鬼平犯科帳』『真田太平記』『堀部安兵衛』『忍びの風』『近藤勇白書』『おとこの秘図』『雲ながれゆく』『人斬り半次郎』『西郷隆盛』『雲霧仁左衛門』『剣の天地』『忍びの旗』『夜明けの星』『あほうがらす』と『おせん』『男振』『おれの足音』『原っぱ』という具合。

『藤枝梅安』と『鬼平犯科帳』があるのに『剣客商売』なぜないんだろう。『藤枝梅安』は江戸だけじゃないから、そのほうが旅の趣があって良いだろうというのはわかるが、『鬼平』は江戸しか出てこないのだから、同じ江戸だけが舞台の『剣客』があってもいいのにねえ。『鬼平』は日本橋から門前仲町あたり、『剣客』は浅草と鐘淵という場所、両方とも江戸の東の方だ、いい店がいっぱいあるし。

 と言っても、私が何故『剣客』が好きなのかといえば、別にたいしたことじゃなくて、我が家の菩提寺である浅草今川の慶養寺が出てくる、というただそれだけであるので、まあ、あまり説得力があるわけではない。ま、ちょっと残念かなという程度。

 ところが、巻末に付けられている『池波用語の基礎知識』になるとまるで様相が変わってきている。要は池波作品でよくある表現方法について述べてあるのだが、全部で30の表現に触れている。つまり;

(1)肉置き(「ししおき」と読む:引用者注)(2)むうん……(3)かけまわす(4)“の”(ルビ)(5)怪鳥のごとく(6)このことであった(7)内ぶところをつかない(8)こころづけ(9)ぬれぬれと(10)その日。(11)……(12)いかさま(13)連絡(「つなぎ」と読む:引用者注)(14)どこをどうされたものか(15)女という生きもの(16)ところで……。(17)それはさておき……。(18)雨(19)大喝(20)這う這うの態(21)勘ばたらき(22)空の描写(23)いのちがけ(24)季節の描写(25)エンディング(26)のである。(27)筆者も知らぬ。(28)端倪すべからざる(29)うふ、ふふ……(30)だ、だあん

 という30の表現方法なのであり、それはいかにも池波正太郎読みの須藤靖貴氏らしい。ひとつひとつを見ると、「うんうん、そうなんだよな」と思わず頷いてしまうことばっかりが。

 だが、そのうち私がアンダーラインをした17の表現方法については、実は『剣客商売』から引用文を持ってきている。ということは、それだけ『剣客』が池波正太郎作品のエッセンスが詰まっているということなのだろう。「肉置き(ししおき)」という表現は『剣客』でもあったはず(たしか三冬の姿態に関する記述)だし、「連絡(つなぎ)」に類する表現、「勘ばたらき」に類する表現も『剣客』で行われていたはずだが、なぜかそれらには触れていないのは、多分、『剣客』があまりにも池波文学の集大成的なものなので、「触れるまでもない。」と須藤氏が考えたからなのか。

 ともあれ、池波文学の面白さとは基本的に『鬼平の超人的な勘ばたらきは、善のみならず悪をも熟知しているからだ。放蕩無頼を生きた経験の賜だろうか。
<悪を知らぬものが悪を取りしまれるか>と鬼平は笑い、<「人間というやつ、遊びながらはたらく生きものさ、善事をおこないつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。これが人間だわさ」>と諭す。読み物としての面白さも十全だが、鬼平の造形の奥深さが実にいい。鬼平の勘ばたらきの冴えに触れ合いたくて、頁をめくる』と須藤氏が書くとおり、まさしく池波文学の面白さは読んだ人をすべて飲み込みながら、それでいて浮世の渡世を語っていることなのである。つまりそれは『池波作品を読めば、人間や出来事は一面的でないことが分る。善の中にも悪があり、逆も然り。人間というものを相対化することができ、自分ばかりが辛い、という視野狭窄から救ってくれる』ということなのだろう。こんなことは、人間が生きている限りは知ってて当然というようなことなのだけれども、最近はそんな「自分を相対化」できない人たちが増えてきたのか、その結果としての「クレイマー」という存在を見ると悲しくなってしまう。

 ともあれ、いずれの料理法にも合わせることができる池波文学って、さすがに何度読んでも面白いということの証左なのである。

 そう考えると、

「池波文学の奥の深さは」

 さすがなのである。

2012年9月25日 (火)

『60歳でボケる人 80歳でボケない人』って、そのくらいの個人差はあっていいのじゃないか

『ここであえて断言してもよいが、男のボケの最大原因のひとつは、「定年」である』とのことである。もうすぐ定年の私もボケたくなかったら……、何をすればいいのだろうか。

『60歳でボケる人 80歳でボケない人』(フレディ松山著/集英社文庫/2005年4月25日刊)

 職業によってもボケやすい職業とボケにくい職業があるようである。

 つまり「ボケやすい職業」では「判で押したような単調な毎日を送っている公務員/毎年同じような内容の科目を教えている教師や大学教授/頑固で堅物の職人/防御型のサラリーマン/楽しんでいない専業主婦」であり、「ボケにくい職業」では「手と頭を連動させている芸術家/創造的な編集者、ジャーナリスト、俳優/つねに新しい知識を必要とする科目の教師や大学教授/開業している医師/攻撃的な部署のサラリーマン/前向きでものごとにあまりこだわらない主婦やクラブのママ」といったところのようだ。

 つまり、それは「常に頭と体を使っているかどうか」に関わっているようだ。そこで「定年10年前が、ボケるかボケないかの境界線」であるというのだ。

『よくサラリーマンが焼鳥屋や居酒屋で「俺、もうダメだよ。よくて部長代理で定年だ」
 などと話をしているのを耳にする。
(たしかに部長になれる器じゃないな、この人は……)などと私は自分のものさしでその人を見たりしていたが、彼のそのあとのセリフが気に入ったので、思わずグラスをあげてしまった。
 彼は、続けてこう言ったのだ。
「どうせエラくなれないんだったらよ、いまから趣味で生きようと思ってるんだ。昔から俺は映画が好きだったから、ビデオを本格的にはじめようかと思ってさ、今度の土曜日に秋葉原に行くつもりなんだよ。定年になってかたじゃ、買えないと思ってな」
 これは素晴らしい。思わず拍手を送りたいほどだ。なぜなら、かれなら定年になっても趣味を通して意欲が継続しそうだし、もしそうであれば、老後ボケるなどということを考える必要もないからだ。
 二十数年、ボケた人たちを診てきた私から言わせれば定年十年前になって、残りの人生を会社のために真面目に尽くしたところで、会社が喜ぶだけで、彼にとっていいことなどほとんどないものなのだ。
「最後まで精一杯会社のために働いて、大過なく勤め終えた」からといって、ボケは待っていてくれない。いや、むしろ、途中から会社の仕事をいいかげんにやって、趣味に没頭した人のほうがはるかにボケないのだ。
 ビデオでもいい、パソコンのホームページ作りでもいい、理想をいえば、自分の住んでいる地域のボランティアでもいいから、定年前十年間を定年後の助走と考え、いまから好きなことをはじめたらどうだろう。
 五十歳からはじめた自分の好きなことが、老後も続けられるとしたら、それは先の一週間のスケジュールが埋まることでもわかるように、ボケ防止だけでなく、最高の人生を送れることになるのだから』

 ビデオを見ることがボケにいいのかどうかは分からない。が、まあ、会社に滅私奉公するよりはずっといいということなんだろう。「途中から会社の仕事をいいかげんにやって、趣味(ブログ)に没頭した」私なんかはボケないいですむのだろうか。確かに、こうやって毎日本を読んで、ブログに書くってことは、それなりに頭を使っていなければならないし、毎日書店に行っていろいろな新しい本を見ていると、結構刺激の多い生活は送れる。しかし、この程度の刺激でいいのだろうか、という気にもなっているのだが、現状ではこれ以上の刺激は無理である以上、取り敢えずこの程度で満足すべきなのかも知れない。

 最後にフレディ松川流『いまからできる「ボケないための十の予防対策」』を見ると;

『①天気の良い日には、散歩をしよう
 ②魚をできるだけ食べるようにしよう
 ③生活習慣病にかかっていたら、治療はつづけよう
 ④いくつになっても、いつも恋心を持とう
 ⑤体の栄養状態に注意しよう
 ⑥できるだけ外出を心がけ、社会とよく交わろう
 ⑦三度の食事より好きな趣味を持とう
 ⑧寝たきりにならないよう注意しよう
 ⑨自分なりのストレス発散法を持とう
 ⑩心と体と経済の自立をしよう』

ということだが、これだと体は使うかもしれないが、アタマはあまり使わないなあ。ということは、やっぱりポイントはカラダか、ということになる。う~ん、毎日本を読むだけでなく、運動もね。写真撮るために徘徊老人になるというのはどうだろうか。例えば田中長徳氏みたいにね。

 でも、そんなことをしても人間最後はボケるのである。ボケて死ぬのである。問題はボケたまま生きている時間が長いか短いかってことだけ。

 しかし、ボケたからといって、当のボケた人は不幸せなのかといえば、実はボケた本人は自分がボケていることなんかは分らないから、意外と本人は不幸せになってはいないのだ。むしろ周囲の家族なんかがそのボケ老人の世話で不幸せになる。しかし、ボケた本人はそんなことすら分らないので、全然不幸せではない。

 したがって、私はボケることは全然怖がってはいないのである。

 ざまー見ろ、ってなもんだ。

2012年9月24日 (月)

電子出版について再び

 9月20日付の『新文化』が再び電子書籍を取り上げて『紙と電子のニーズ明確に 紙の市場との共生を』というタイトルで、「コンテンツ(人、書籍・雑誌、音楽、映像、ゲーム、スポーツ、文化・芸術、デジタル、イベント・スペース)、グッズ・サービスの制作・企画、コンサルティング、販売代行」を行っているアイズ㈱の石黒隆士代表取締役の記事が掲載されている。

2012_09_23_006_2http://www.shinbunka.co.jp/

 まずは8月にアイズ㈱が行った「紙の書籍と電子書籍の意識調査アンケート」の結果から見えてきた現状は、電子書籍の専用デバイスを持っている人はまだ7.3%であり、今後購入予定の人は11.5%にすぎないということだ。88.5%の人はあまり関心がないということである。

 サンプル数が300人という少なさは気になるとはいえ、出版業界人や一部のアーリーアダプターにしか、まだ電子書籍デバイスは浸透していないということだ。それも当然である。まだまだ電子書籍タイトルはごく僅かでしかないし、青空文庫なんかの古い作品ばかりでは読者は増えない。結局、出版社が新規タイトルをどんどん積極的に電子化しなければ、電子書籍の普及はまだ難しいというところだろう。しかし、9月4日のエントリー『本なんて、国の思惑でデジタル化することに何の意味もない』で書いたとおり、基本的に出版社にとってデジタル化というのは、経費ばっかりかかって全く売上には寄与しないのだから、それができるのは大出版社だけであり、中小出版社はデジタル化をあせる必要はない。ただし、その場合、出版契約書にはデジタル化権には触れるべきではないし、デジタル化権は著者の側に残しておくべきなのである。

 更にアンケート結果を見ると、「電子書籍に期待したいサービス」という点では、「価格の安さ」が40.7%、「読みやすさ、便利さ」が29%、「映像、音声等との複合サービス」が17.7%、「絶版、新人作家などいままでなかった本の入手」が32.3%という結果で、結局、「絶版、新人作家などいままでなかった本の入手」を期待する人以外は、あまり電子書籍の性格がわかっていないということだろう。まあ、電子書籍デバイスを持っている人が11.5%というアンケートなのだから、それは仕方がないとは言うものの、あまりにもデジタルの基本が分かっていない人が多いものだなあという気がするのだ。

「価格の安さ」という点を上げる人はアメリカのアマゾンの低価格政策を見て期待しているのかも知れないが、それは電子書籍が数多く売れるという前提があって初めて言えることだ。日本の電子書籍の現状、数部から数十部しか売れないのが普通であり数百部も売れたら大ヒットという世界では、当然、紙の書籍から電子化するためのオーサリング費用なんてものが別にかかる以上は、実は紙の書籍と同じ価格でも大赤字なのである。『ステーブ・ジョブズ』が電子で1万部売れたなんてのは別格中の別格の話なのである。

 ではアメリカでは何であんなに電子書籍が安く手に入り、そして売れているのだろうか。実際のところは私には分らないが、多分、こういうことではないかと考えている。

 つまり、まず大前提としてアメリカの書籍は高いということがある。ペーパーバックはそうでもないが、それ以外のハードカバーは数十ドルが基本である。更に、アメリカの読者は基本的に車で移動するので「電車で本を読む」という習慣はなく、音声ブックなんかで本を読む(?)ことに慣れているので、基本的に本を紙で読まなければならないという前提がないのだ。

 これが、アメリカと日本の彼我の差であり、そんな異なった市場環境にある国を比較しても始まらないということであろう。

 日本で電子書籍が普及するのは、多分これから電子教科書が出てきて、それで電子書籍に慣れた子どもたちが自分で本を買って読むような時代になると、「本は電子で読む」というのが当たり前になるだろう。ということは、まだ10年位は先の話しだし、10年後も生き残っていることが分っている出版社は今からでも電子書籍への対応は考えておくべきだが、そんな10年先にはどうなっているか分らんもんねっていう出版社は、別に今から電子出版に取り組む必要はないということになる。

 つまり、日本の出版界はデジタル化によって嫌でも淘汰・連合の時代を迎えるだろうというとだ。大きな出版社はまずます大きくなるだろうし、中小出版社は無くなるか、大手に合併されて生き残るか潰れるか、ということである。まあ、それは出版界が「業界」として大きくなれるかどうかが関わってくる問題だ。

 今のような中小出版社の集まりである出版業界では今後の外国との競争力はつかない。だとしたら、対外競争力をつけるための合従連衡は仕方のないことかもしれない。

2012年9月23日 (日)

東京ゲームショー2012

 幕張メッセで東京ゲームショー2012を見てきた。

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 私自身はゲームは一切やらなのだが、取り敢えず今のトレンドはどんなかな、という興味で毎年参加している。

 ところが今年はうっかりしていて事前登録を忘れてしまい、ビジネスデーには行けず、一般公開日の昨日行ってきたようなわけである。お金を払って一般公開日の超混雑のゲームショーに行ったのは何年ぶりか。おまけにビジネスデーだともっと照明が明るくて遠くの方まで見渡せるのであるが、一般公開日ってこんなだったかなあ、というくらい会場は暗く、他のブースが見えない状態になってしまっている。おまけに超大音響で頭が痛くなってくるくらい。まあ、イベントなんてこんなものですけどね。私も以前は出展者の方をやっていたわけで……。

 勿論、相変わらず一番大きなスペースを確保していたのは、マニア(ヲタク)からファミリー向けのゲームを幅広く展開しているバンダイ・ナムコ・ゲームスであり、入場料を取ることに反撥している任天堂は参加していない。

 今年の、というよりは最近の傾向は勿論スマートフォン向けのSNSゲームであり、それがあってかなくてか、最近はゲーム・デバイスの新発表はほとんどない。とはいうものの、既存のゲームマシン用のゲームはこれまでのタイトルの新バージョンという程度であり、あまり新味のあるゲームソフトはない。

 スマホの方もSNSゲームという性格上、あまり早急な新ゲームの発表はなく、既存のゲームを推し進める程度だ。

 というよりも、いまやスマートフォンの浸透で、ゲームショーでの新ゲームの発表というよりは、サイトでの発表のほうが早くなって来ており、メーカーもゲームショーまで発表を待つということはしなくなって来ているのだはないだろうか。

 ということで、ゲームショーの中心はコスプレや物販などの、まさにイベント性のあるものになってきているようだ。今に「ゲームショー」なのか「コスプレショー」なのか分らなくなるぞ。

 それと台湾、中国などのメーカーも参加しているのだがまだまだ存在感は薄く、ゲームに関しては未だに日本が超大国であることだけは確かなようだ。

EPSON RD1s Elmarit 28mm/F2.8 @Makuhari (c)tsunoken

2012年9月22日 (土)

『東京震災記』を読んで、いまの東京を考える

「震災小説」というと高橋源一郎の『恋する原発』を思い浮かべてしまうが……、あっ、あれはトンデモ「原発小説」か。

 田山花袋というと『蒲団』を思い浮かべてしまうが、それもその一つである自然主義私小説であるリアリズム派の作家である。そんなリアリズムの人が書いた、関東大震災のルポルタージュ文学である。

『東京震災記』(電子版)(田山花袋著/インタープレイ/2012年8月15日刊)

 とは言うものの、田山花袋自身がまえがきで示しているように『震災記と言っても、これは私の見たり聞いたりしたことだけで、決して完全なものではない。もっと本当に詳しく知ろうと思うのには、いろいろな記録も、いろいろな新聞記事も引張り出して見なければならないのは勿論である』なのであって、しかし、それらの記録では事実を記述しただけで、本当の光景や感じや気分はわからない。というところに、小説家のルポルタージュの優位性があるのだろう。

 最初の方は地震があって即日や次の日くらいまでの、田山花袋自身の体験であり、自身で見てきたことの記述であるのだが、段々と話は聞き書きが増えてくる。そうなると、次第に話が他人事のように、伝えている内容はかなり悲惨な状況なんだけれども、書き方がのんびりとして、如何にも小説家がワンクッションおいて書いたような暢気さのようなものが漂ってくる。

 最初のころ『全く廃墟だ! 都会の廃墟だ!』と言っていたのが;

『『廃墟ということは、この大きな自然のリズムではないか。どんなものにでもいつか一度はやって来るものではないか。人間の『自然死』もまたこの『廃墟』の一種ではないか。人間の心の中にも絶えず『廃墟』が繰返されているのではないか。淫蕩、倦怠、奢侈、疲労、そういうものの中に『廃墟』が常に潜んでいるのではないか。
 そして『廃墟』の中から更に新しい芽が萌え出すのである。新しい恋が生れて来るのである。新しい心が目ざめてくるのである。
《それを思えば、この震災も決して無意味に行われたのではないということが出来る。矢張、これも大いなる自然のリズムであらねばならぬ》
 赤く焦げた土の中を、灰燼の凄まじく黄ろく舞う中を、自動車や車や罹災民の夥しく通る中を、私はこんなことを思いながら歩いた』

 と言うほどに、落ち着いて震災後の東京という町を考えるのである。

 そして軍隊に行く弟との会話では;

『『何と言っても、江戸時代がまだいくらかは残っていたんだからね。日本橋附近に行くと、現代の影響を少しも受けていないというような純下町式な気分があったんだからね? それのなくなったのは惜しいと思うね?』
『新しい東京の出来上がった時には、もう、あの気分なんていうものは、すっかりなくなってしまっているにきまっているからな』
『本当だとも……』
『しかし見ように由っては、こうも言えるかもしれないね。今までは、東京と言っても、江戸趣味や江戸気分がまだ雑然としてその間に残っていて、完全に「東京」というものになることが出来なかったが、今度は、今度こそは、初めて新しい、純乎とした「東京」を打建てることが出来るわけかも知れないね……?』
『そうも言えるだろけれども、それまでになるのは大変だよ』
『まア、為方ないさ。こrからせっせと皆なして新しい東京を作るんだね?』

 という具合に、かなり前向きなオプティムズムに溢れた発想になっているのである。

 さらに震災後の惨状を目にした田山花袋は次のような予想までしているのである。

『二人の頭には、期せずして、外からやって来る敵のことが浮かんで来ていた。海からやって来る強敵は、この都ではとても完全に拒げそうには思えなかった。
『そうだってね? 飛行機でもやって来る段になると、とてもこの地震の比ではないそうだね? この東京などは、一度で滅茶々々になってしまうってね?』
『そうですって――? だから、どうしたって、こんなところに落附いてはいられないッていうことになりますよ。いずれ、そうなると、もっと山の中に入るかどうかしなければならないようになりますよ』
『しかし、そんなことがあっては大変だがね?』
 こう言って私はそのいやな話を打ち切ってしまった。それにもかかわらず、太平洋中の飛行母艦から爆弾を載せた恐ろしい飛行機が何隻となく飛んでくるさまがはっきりと私の眼に映って見えた』

 と21年後の東京の有様をはっきりと予想する様は、まさしく文学者の想像力の素晴らしさを感じさせるものがある。

 関東大震災と第二次世界大戦の米軍による空襲でもって壊滅した東京は、その後、60年を経て完全に「江戸」を感じさせない街に発展している。勿論、街というものは発展するものだし、そのためには前時代の遺構・趣味というものは破壊されることによってしか、発展しないものであることはよくわかるのだが、果たしてそれでいいのかと考えてしまう自分もいるのだ。

 果たして、明治のモダニズム、オプティミズムだけでモノを考えていいのか、しかし、すでに破壊されてしまっている遺構を前にして、そんな気分は何ら力を持たないものなのか。

 最近行われている、「江戸の風情」を東京に呼び戻そうといういくつかの事業も、しかし、完璧に「江戸時代のもの」を回復するものにはなっていないのだから、まあ、無理して江戸を復元しなくてもよいのではないか、とも思うのである。

2012年9月21日 (金)

『留学のほえづら』は「無知は恥」ってことを思い出させるバカ話

 22人の海外(と言ってもこの本の場合は全部アメリカだが)留学体験を面白おかしくコミック・エッセイの形でまとめたものなのだが、よく分からないのが、何故「語学留学」なんだということなのである。

『留学のほえづら もう笑うしかない! 海外留学生22人の泣きっつら体験』(沼越康則&ふじいまさこ著/アスキーメディアワークス/2012年7月13日刊)

 海外留学というものは、基本的に日本では学べないこと(ばかりでもないだろけど)を海外の学校に行って学ぶっていうことなんだろうけれども、語学留学っていうのは、行ってその国の言葉を学校に行って学ぶということだから、なんかその辺に二重によく分からないものがある。

 つまり、本来の海外留学は語学じゃないものを学ぼうということで、語学は留学前に既にマスターしておくべきことなわけではないのだろうか。別に、日本にいても英語学校はたくさんあるわけで、そうした日本の英語学校で学べば英語は話せるようになるわけでしょ。おまけに中学から6~10年間も英語は勉強している。それをなぜ、わざわざ「その国」に行って学ぶ必要があるのか。別に、その国に行って普通に生活してればいやでもその国の言葉は話せるようになるわけで、それをわざわざ学校に行く理由ってのは何なのだろう、と考えてしまうのだ。

 勿論、話せるだけじゃだめだ、文法やリーディング、ライティング、ロジカル・スピーキングなんかの高度な英語が使えるようになりたい、というのなら多少は分かるのだが、どうも本書を読むとそこまでの高度な語学の問題じゃなくて、もっと日常レベルの英語をわざわざアメリカまで行って、アメリカの英語学校に通って学ぶっていう。

 だって、アメリカの英語学校というのは、アメリカ人は通わない筈だし、基本的に日本人、中国人、韓国人などのアジア人ばっかりのようである。メキシコ人、ブラジル人、ドイツ人、など中南米のスペイン語・ポルトガル語圏やヨーロッパ人はあまりいないようだ。で、そんな中で英語を学んだとしても、周囲にはアメリカ人がいない環境ではアメリカ語を学べるんだろうかというのが気になる。

 というか、別に日常レベルの英語でいいのなら、学校に行かないで、アルバイトでもしちゃった方が、もう無理やりにでも英語を使わなければ生きていけないのだから、その方が英語を早く習得できるんじゃないのだろうかと思うのだが、どうだろうか。ま、勿論グリーンカード持たないで働いちゃいけないんだけど、正規の社員じゃなければ普通は分からないし、語学の修得が目的なら安い給料でもいいわけだし。

 ということで、本書に書かれた「海外留学生22人の泣きっつら体験」といったって、なんか単に面白いというだけで読んでしまうのだった。言ってみれば、そんなことは当たり前! 行かなくてもわかるでしょ、ってなもんである。

 内容は、ホームステイのホストファミリーのとんでも話や、シェアハウス仲間のとっても付き合ってらんない奴ら、英語を全然教えてくれない英語学校、何故か女性が多い語学留学生の男性とのアブない話や、友達関係のとんでもない奴の話や、インターンに行った会社のガッカリな話など、まあ、いろいろ留学にまつわる面白いネタはいくらでもあるだろうし、その中から上位22の話をマンガにしたわけなのだが、まあ、およそ予想のできる話が多い。特にホストファミリーのとんでも話なんて、アメリカが人種の坩堝だってことが分かっていれば、当ったり前の話ばっかりだ。って言うか、意外と皆無知なのね。

 こんなだったら、私の「赤坂、酔っ払い英語学校」の方が、よっぽど役に立つ。

 で、結局は沼越氏の『ネイティブ500人に聞いた! 日本人が知らない、はずむ英会話術』や『スーパーリアルDVDで 素のネイティブ200人と対話すれば リスニングが急激に伸びる! 見る英会話留学』という、なんかやたら長いタイトルの本の宣伝がそこかしこに入ってくる、宣伝本なのであった。

 まあ、それが目的だったのね。

 じゃあ、私も宣伝に協力させてもらおうか。

2012年9月20日 (木)

『もっと自由に働きたい』という気もちは分るのだが

 家入氏の名前はクラウドファンディングCAMPFIREで女子学生の学費支援でちょっと問題になってしまった時に知った。

 マイクロファイナンスやクラウドファンディングなどの考え方は以前から知っていて興味は持っていたのだが、CAMPFIREの考え方などには殊更面白味を感じていた。それを作った人がまたこんなに面白い人だったとは……。

『もっと自由に働きたい――とことん自分に正直に生きろ。』(家入一真著/ディスカバー・トゥエンティワン/2012年8月25日刊)

『登校拒否児童だった僕は、高校も1年で中退し、3年間ひきこもった。その後20歳で、福岡にあるデザイン会社に就職をした。仕事自体は面白かったけど、定時出社、上司や取引先とのやりおtり、つき合いで飲み会……、社会一般では常識とされていることに疑問を持って、いや、どうしても適応できなくて、ある日突然行かなくなった。
 学校、そして会社から逃げた』

 という経歴は、昔なら社会性不適格で生きていけなくなる典型例であったわけだ。ところが、家入氏にはひきこもり時代にパソコン通信と、それに興味を持ったがゆえのプログラミングとWebデザインという強みがあった。そこですぐに起業をおもいたつところが家入氏らしいところで、普通ならその技量を利用して何らかの会社に潜り込んで経験を積むというところだ。多分、福岡にあるデザイン会社というのがそんなところだったのだろうけれども、人付き合いのできない家入氏ではそんな会社にも長続きせずに、結局、嫁ができてそれなりに男として社会的責任に目覚めたのが、「起業という就職方法」に行き着いたといったところなのだろう。

家入氏は書く;

『僕がこの本で伝えたかったことは、逃げていい=腐ってもいいということではない。プレッシャーに押しつぶされて動けなくなるくらいなら、死にたいなんて思うくらいなら、逃げ出せばいい。でもそれは、腐ることじゃない。一般的なやり方に自分をはめて、気持ち悪さの中で我慢をしたり、自分を捨てたりするのではなく、「逃げるという戦法」をとる。そこから新しい道が拓けるなら、それはかっこ悪いことでもダメなことでもない。逃げ出すことからはじめるんだ。変なプライドや常識を捨てることで自分を殺さず、腐らせずにサバイブする。
 とことん正直に生きる』

 と。

 でもそれは、家入氏の「面白がり精神」が人一倍強く、その面白がり精神を実現しようとする気持ちが人より数倍強かったからなのではないだろか。『世間一般の常識がおかしいと思っているなら、合わせなくてもいい』というのは事実ではあるけれども、じゃあその常識から外れたところに成功例を見つけるには、やはりそれなりの才能が必要なのではないだろうか。そういう意味では、家入氏にはそんな才能があったということなのだ。

 ITの進展・普及のおかげでこうした家入氏のように、大学(高校・中学でもいいが)を出て最初から自ら会社を興して仕事をしてしまう例が多くなって来ている。それ自体は悪いことではない。無理して窮屈な常識ばっかりの会社に自分を合わせて生きる必要がないということは素晴らしいことではあるけれども、でも、そうじゃなくて自分がフィットできる会社があれば、その会社のお金を使って大きな仕事をすることもできるのである。

 所詮、個人で起業したって使えるお金は限られている。そこで銀行から融資を受けて仕事をすれば、そこは銀行の常識に合わせて仕事をしなければならなくなる。だったら、自分がフィットできる職場があれば、その会社のお金を使って事業をするという、失敗したって「ごめんなさい」ですむ事業をするというメリットもあるのだ。

 ということで、無理して会社に合わせる必要はないけれども、そんなに無理をしなくても合わせられるんだったら、そこに合わせて生きるというのも、選択肢のひとつだということ。そうしてそんな会社で実力をつけてから独立起業したってかまわないわけだ。

 そう皆が皆、家入氏のような才能があるわけではない。

 家入氏が自らの体験を踏まえてアジりたくなるのはよく分かるが、あんまり「その気」にはならないことですな。

2012年9月19日 (水)

『自慢させてくれ』といわれても、ねえ

 いやっ、実に面白い本を紹介してもらったもんだ。

 私の大学時代の友人の(今まで何回か登場している)Y川氏に「いやあ、俺の友達でこんな奴がいるぜ」ってなもんで教えてもらった、元赤軍派の塾講師・金煕志氏なのである。

『自慢させてくれ!』(金煕志著/源草社/2001年7月20日刊)

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 基本的に金氏は「ノンセクトラジカル」の人なんだなというのがよく分かる。

 あの当時(1970年頃)、学生の気分は「ノンセクトラジカル」の方向に向かっていたし、逆に、セクトにいる連中に対しては「おまえらスターリン主義者なんじゃぇね」という気分が学生の間には満喫していた。特に革マル派に対してそんな気分がいっぱいあった。

 そんな状況の下で、金氏は多分「左翼で一番誠に権力と闘っているのは赤軍派」くらいの気分で共産同赤軍派入りを決めたんだろうな。

 でも、その当時の共産同赤軍派は、もうメチャクチャで、彼らの「世界同時革命」の考え方に従って「国際根拠地」闘争を展開していたわけなのだけれども、しかし、塩見孝也は北朝鮮だというし(まあ、日本とは近いしね)、重信房子はアラブだっていうし、そんないい加減さが、まあ、言ってみればブント(共産同)らしいといえばいえなくもないか。

 いってみれば、その最大の失敗が「共同赤軍」である。

 だって、基本的に「反帝国主義」は同じとしても「反スターリン主義」を標榜するブントと、基本的に「反帝国主義」は同じだとしても、基本的に「毛沢東主義=スタリーン主義」を標榜する「京浜安保共闘=日本共産党左派」が共同歩調を取れるはずはないでしょう。これは完全に「野合」でしかないのに、世間はそれも合わせて赤軍派として取り上げている。要は、世間的な見方としては、「共産同赤軍派が」なんだかわからないけどとてつもなく過激な一派とつながった」という、イメージだけなのであった。

 ところが、それが浅間山荘事件でもって世の中に顕在化してしまたわけだ。

 しかし、そこでの闘いは革命のための闘いであったのか。革命の為に、山荘夫妻を人質に取る「革命的な理由」はあったのか、と考えるとそれについて応えられる赤軍派の広報担当はいないだろう。

 だとしたら、金氏が赤軍派から別れていく軌跡もわからないでもない。もともと「ノンセクトラジカル」なんだから、気にしないで「開成、麻布、灘、ラ・サール」へ教え子を送り込んでも何の問題があるんだろう。

 そうなんだ、このひとは、基本的に「ノンセクトラジカル」の人なんだな、と考えればいいのだ。

 ところで、「元革命戦士、全国指名手配、逃亡十五年!」と書かれた腰巻が気になる。つまり、本書に書かれたことだけで「逃亡十五年」はないと考えられるのだ。つまり、この本に書かれていないことがあるのだろう。それは、書いてしまうと誰かに迷惑をかけるとか、いやいやもっとすごいことなので書けないとか……。

 それが気になる。

 

2012年9月18日 (火)

北京国際図書展示会の記事を読みながら、日本の出版界のガラパゴス化について考える

 出版業界の専門紙『新文化』9月13日付けの特集記事が『北京国際図書展示会 アジアの「版権売買の場」に』という、トーハン海外事業部マネージャー外川明宏氏の報告記事である。

2012_09_16_003_2http://www.shinbunka.co.jp/

 第19回「北京国際図書展示会」(BIBF)が8月29日から9月2日の5日間開催され、そこで盛んに版権売買の交渉が行われている様子をレポートしている。外川氏によれば『BIBFは次の5つの特徴をもったブックフェアである。
 ①保税倉庫扱いで展示商品は持ち出せず、販売もできない。
 ②版権取引を主とした「B to B」イベントのため、一般来場者はほとんど見かけない。
 ③海外出展社のエリアが広い。
 ④中国はコミックが自由に出版できないため、コミックは展示しない。
 ⑤電子書籍関連の展示が目立つ。
 東京国際ブックフェアが自社商品の宣伝や読者謝恩のバーゲンブックなどを催事の中心に据え、海外出展社が少ないのと対照的に、BIBFはアジアの版権売買を目的としたブックフェアの位置付けである』ということで、いまや海外との版権売買のアジアにおける中心は東京国際ブックフェア(TIBF)ではなくBIBFにありとする論説である。

 まさにこれは卓見で、本来、TIBFも目指したところはフランクフルト・ブックフェアやボローニャ・チルドレン・ブックフェアなどと同じような国際版権売買が目的であったにも関わらず、出展出版社の海外市場に対する意識の低さのおかげで、海外セールスや海外からのバイイングが極めて少なく、結局、読者の方しか向いていない「内向き」のフェアになってしまっている状況をよく表しているのと対照的に、BIBFは完全にビジネス・ショーになっていることを示している。

 これは日本の出版社が海外版権売買にまったく気をつかっておらず、日本国内での書籍販売ばかりを考えて活動している証拠であり、その結果、日本市場がシュリンクしていることに対して何らの手も打てない状況をよく表している。

 いずれにせよ、日本の人口はいまや減少の方向に向かっている。更にネットなどの他のメディアの伸張も目覚しい中で、日本の読者人口が減ってくることは既に分っていたことなのだ。ところが、日本の出版社はいまだに日本のマーケットのことだけしか考えておらず、日々そんなシュリンクしている日本マーケットだけに向けて出版活動を行い、その結果としての売上減少と返品率上昇に頭を悩ませているというわけなのだ。

 ところが、世界人口はいまだに増え続けている。むしろマーケットは大きくなっているばかりなのである。なのに何故そうした増大するマーケットに向けて商品をださないのだろうか、というのが不思議だ。

 ヨーロッパではフランクフルトやボローニャなどのブック・マーケットをはじめ、映像関係などの国際マーケットが昔から盛んに開催されている。これは、もともと多言語で、なおかつ国内人口の少ないヨーロッパでは商品を作って国内マーケットだけでビジネスを完結することが難しいという事情もあって、国際市場が盛んになっているということなのだ。このことは、人口がいまだに増え続けているアメリカではこうした国際マーケットがあまり開催されていないことからも分る。ただし、アメリカの場合は「英語」という世界でもっとも普及している言語で書かれているために、国際マーケットに出品しなくても海外から注目されやすいという事情もある。しかし、日本語は決してそんな言語ではない。もっと積極的に海外に進出することを考えないと、マーケットを広げることはできない。

 今、日本で海外に名前を知られているライターといったら、村上春樹とか一部のコミック・アーチストだけであろう。ところが、たとえば『ハリー・ポッター』シリーズを書いたJ・K・ローリング氏なんて小説だけで世界で4億5千万部も売れていて、その印税収入だけでも数百億円になっているという状況だ。日本の作家だってもっと海外に売れれば、もっといい生活が送れるはずである。大学や専門学校で教師のアルバイトなんかをしなくても生活できるはずなのである。ところがそれもならないのは、日本の出版社が日本国内だけでしか本を売ろうとしていないからなのである。まさに出版社の怠慢といっていいだろう。

 もっと海外に向かって「日本にはこんなに面白い小説を書くひとがいます」と宣伝をし、その作品が海外で出版されるような動きをしていかないと、まさに日本の出版人が携帯電話のことを揶揄して「ガラパゴス化」なんて言っていたのまったく同じ評価をされても何の文句も言えない。

 フランクフルトやボローニャに出展している日本の出版社はごく僅かである。しかし、北京だったらそんなにお金はかからないはずだし、もし無理なら共同出展すればいいだけなのである。ところがその北京ですら日本からは116社、単独ブースを出したのはたったの17社でしかない。

 なぜ、日本の出版社は大海に乗り出さないで、国内マーケットだけで細々と商売しているんだろう。

 なんか、バカですね、としか言いようはない。

2012年9月17日 (月)

8x10カメラな仲間たち 写真展2012

『8x10カメラな仲間たち 写真展2012』という催しが麻布暗闇坂にある「元麻布ギャラリー」で開催されている。

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 主催は「東京8x10組合連合会」という団体なのだが、別に法人格を持った組合などではなく、石田一生、猪股良文、岡田彰、勝原保、黒川晃彦、権平太一、佐藤知志、柴田剛、鈴木ひろし、田勢敏明、橘宏幸、達川清、谷雄治、田村政実、那須川富美男、根本豊治、漂流者、堀野浩司、丸山杏子、満丸祐二、村上新という、今年は21名のフォトグラファーによる任意団体にすぎない。私はこの会の存在を「A Moveable Feast (移動祝祭日)」というヘミングウェイの作品から名前をとったブログによって知っただけであり、「A Moveable Feast」さんというのも上記の人物の中の誰なのかということも知らない(大凡の見当はついているが)。

 8x10(エイト・バイ・テン)というのは8インチ×10インチという意味で、その203.2ミリ×254ミリという超特大のサイズのシート・フィルムのこと。その超特大のフィルムを木製の大型カメラ(昔、町の写真館なんかにあったやつ)で撮影するわけなのだが、そのカメラは組み立て式になっていて、その大きなカメラを撮影現場まで運んで、組み立てて、撮影対象を選んでフォーカスを合わせたら、シート・フィルムをカメラに入れて撮影するという、エラく手間のかかるカメラなのである。ただし、この8x10というカメラは言ってみれば写真の原点ともいえる写真術で、乾板写真の一番最初はこの8x10だったのだ。というより、むしろ小型写真のフィルムではいまから150年も前の時代ではISO感度も低くロクな撮影画像はできなかった。また、今のような引き伸ばし式の印画紙焼付けができなく、密着焼きしかできなかった時代ではネガサイズもそれなりに大きくなければなかなかったという事情もある。

 当然、撮影対象は風景とかポートレイトとかの長い時間(といっても1秒以下だが)「じっとしていることが可能な」被写体だけである。ウジェーヌ・アジェのパリ写真なんかがその代表格で、事件写真なんかは本来一番苦手なジャンルの写真なのだ。事件写真は8x10の縦横半分(撮影面積としては4分の1)の大きさになった4x5(シノゴ)サイズのスピードグラフィックが戦争カメラとして使われ始めて、更にフィルムの感度も上がってきて、以降はブローニー判(6x9、6x7、6x6、6x4.5などのいろいろなサイズがある)や35mm映画フィルムを使用するライカ判なんかが出始めて本格化するのである。

 その報道・事件カメラには一番似合わない8x10で、国会前の反原発デモなんかを撮影している人がいる。夜のデモなので当然、手前の方の人物はぼやけてしか写らない。勿論、皆が皆そんなへそ曲がりばかりではなく、どちからというと風景やポートレイトを撮っている人もいるし、中にはそんな8x10のカメラを作っている工房を撮影している人もいる。

 まあ、要は撮影テーマや対象はまったく会員個人個人で勝手なのだが、そんなユルい集まりの「東京8x10組合連合会」なのであった。

 写真展は9月23日まで開催中。

 

2012年9月16日 (日)

ベトナム・フェスティバル2012

 代々木公園イベント広場で昨日と今日『ベトナムフェスティバル2012』という催しが開催されている。

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http://www.vietnamfes.jp/

 2008年に日本とベトナムの外交関係樹立35周年を記念して第1回のベトナムフェスティバルが開催されて今年で5回目になる。

 ベトナムはご存知の通り社会主義国でベトナム共産党の一党独裁制をしいているが、1986年のドイモイ政策の採用以来、政治的には共産主義であるが経済的には資本主義の方法を取り入れて発展してきており、そんな「政治抜き」の観光・経済イベントとして開催されている。

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 当然、フォーやベトナム・コーヒーなどの食のイベントとしても開催されており、多くのベトナムやタイなどの食屋台が出展している。暑い中、長い行列でなおかつ熱いフォーなんか食べるのか? 私はさすがにフォーはいただかずに、「コン・ガー」という「鶏肉のせご飯」、つまり「コン」というのは「米」のことで「ガー」というのは「鶏肉」という、なんかとてもわかりやすい言葉のご飯をいただきました。

 ついでに言ってしまうと、「ベトナム風カレー」は「コン・カリ」だし、フォーも鶏肉を使ったのは「フォー・ガー」というわけで、割かしわかりやすいベトナム語ってわけね。

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 ベトナムではベトナム戦争の落とし子として多くのハーフの子どもたちが生まれた。年齢的にいって、多分この子はそんなハーフの子の子ども、クォーターなのかもしれない。

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 当然、こうした観光や資本・企業・投資誘致のブースも出展している。ベトナムはいまや人件費がアップしてきている中国から、日系企業が工場などを移す先となっていて、日本からの投資も盛んである。実はODAなんかでも日本が最大の支援国だったりしているのだ。

 一番上の写真にもあるとおり、いくつかのスポンサー企業の中に「日本原子力開発」なんて会社がさりげなく載っているのも、日越の関係のひとつ。そう、今日本はベトナムに原子力発電を輸出しようとしているのだ。その方針は、福島第二原発の事故の後も変わらず堅持されている方針なのである。

 まあ、原発でもなんでも取り入れて国力をつけようという新興国の考え方も分らないわけでもないけれどもね。ちょっと、複雑な思いだ。

Nikon D7000 AF-S Nikkor 18-105mm @Yoyogi (c)tsunoken

2012年9月15日 (土)

『ワーク・シフト』でもシフトしないこともある

 カリスマ・ブロガーChikirinさんがTwitter上でソーシャル・ブック・リーディングをやろうなんて言って、書店店頭用POPまで作ってしまっているので、思わず買ってしまった『ワーク・シフト』なのだが。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120816

『ワーク・シフト 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉』(リンダ・グラットン著/池村千秋訳/プレジデント社/2012年8月5日刊)

 2025年という今から13年後の世界では人々はどんな働き方をしているのだろうか、という近未来予想と、そんな世界になってもガッカリしない生き方への提言である。

 つまり、大きな会社に正社員で入って、とりあえず会社に自分の人生を完全に預けてしまえば、一生安楽に暮らせるという時代では既になくなっているという現状認識はその通りだろう。今でも既に「大企業=安泰」という構図はなくなってしまっており、人々は個人で起業したり、ノマド的に働いたり、社会起業家になったりという「スモールビジネス」の世界が、この日本でも始まっている。勿論、いまでも大企業神話が生き残っている部分はあるけれども、少しずつその神話は崩れ始まっており、いずれはそちらの方が主流になるだろうという予感はいまの私でも持ってはいる。まさに情報テクノロジーの進展とクラウド・コンピューティングがそれを可能にするというわけなのだ。

 ということなので、『第一に、ゼネラリスト的な技能を尊ぶ常識を問い直すべきだ』とか、『第二に、職業生活とキャリアを成功させる土台が個人主義と競争原理であるという常識を問い直すべきだ』とか、『第三に、どういう職業人生が幸せかという常識を問い直すべきだ』という提言はまさにその通りだと思う。また、そのような生き方ができる人たちにとっては『バーチャル空間でおこなえる仕事が増えれば、人々はますます多くの「思考の余剰」を手にし、その時間をもっと生産的な活動に用いはじめるかもしれない』という生き方ができるだろうし、逆にそれに乗り遅れた人たちは、『メガシティの下層階級は、次第に都市の周辺にスラム地区を形作るようになる。2020年までに、世界の15億人がスラム地区で暮らすようになると予測されている』という生き方を選択せざるを得ないだろうということ。

 ということで、「働き方を<シフト>する」三つの方法を提案するのだ。

 つまり;

『<第一のシフト>で目指すのは、専門技能の習熟に土台を置くキャリアを意識的に築くこと』でゼネラリストから、専門技能をいくつか連続して習熟して、その度その度に、そのジャンルでの専門家になる「連続スペシャリスト」になるということ。

『<第二のシフト>は、せわしなく時間に追われる生活を脱却しても必ずしも孤独を味わうだけではないと理解することから始まる』で孤独な競争からポッセ(頼りになる同志)を作って協業したり、<ビッグアイデア・クラウド>でおおきな繋がりを持った生き方をすること。

 そして『時間に追われる日々を避けるうえで最も有効なのは<第三のシフト>だろう。消費をひたすら追求する人生を脱却し、情熱的になにかを生み出す人生に転換すること』で、大量生産・大量消費という産業革命以来の人間の欲求から離れることである。

 こうして人々は現在の「お金を稼ぐこと」に第一の価値をおく生活から離れて、より有意義な「人間らしい」生き方ができるようになるというのだが、しかし待てよ、そんなにバラ色の未来だけが我々を待っているのだろうか、という気分にもなってくる。

 例えば、リオデジャネイロで都市交通システムの解決を見出そうとするミゲルのコ・クリエーションの方法。ミゲルは同じブラジル(だがリオからは遠い)のクリチバで都市計画の仕事をしているホセに声をかける。ホセは参加を決め、ミゲルと打ち合わせをする。『予定どおり、午後に打ち合わせがスタートする。ホログラム(立体映像)を使って話をする。充実した二時間の始まりだ』というのだが、はたしてこれがコ・クリエーションの実態だというと、なにか物足りないものはないだろうか。本書のいくつかの部分でこうしたテレビ会議システムについての優位性が持ち出されている。

『オフィスに出勤するために交通手段を利用すれば、かなりの量の二酸化炭素を排出するとわかっているのに、在宅勤務にノーを突きつける理由がどこにあるのか? テレビ会議システムを利用すれば、ボタン一つで海外支社と話ができるのに、飛行機で出張させることが合理的と言えるのか?』という具合である。しかし、ここには人間のどうしようもない性癖についての考慮がなされていないのではないか? 人間というものは基本的に「群れていたい」「たった一人で仕事をすることには向いてない」動物なのだ。だからこそ、本来は一人ひとりで別の仕事をしているはずのノマドたちが、コ・ワーキングスペースなんかにいって群れて仕事をしたりしている。勿論、情報テクノロジーの進展のおかげで、仕事の仕方は自由に選べるし、仕事の場所もどこに設定してもかまわないようになっても、しかし、人間は群れて仕事をしたがるのである。「会社」というシステムがこれまでいまくいってきたのは、こうした人間の基本的な性癖にうまく合ったシステムだったからなのではないだろうか。

 勿論、そうした仕事のやり方も変化はしてくるだろうが、そうそうテレビ会議なんかばかりで物事が進んでいかないような気がするのは……、私が古いからだけ?

2012年9月14日 (金)

東京都日野市日野347

 東京都日野市日野347とはセイコーエプソン株式会社日野事業所の所在地である。

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 昨日はこのセイコーエプソン日野事業所に行ってきた。というよりその中にある東京修理センターに行ってきたのだ。

 しかし、この東京修理センターで直接修理を引き受けるのはプリンターなどの、エプソンで直接製作をしたもののみで、私が持ち込んだエプソンRD1sというカメラは、実はエプソン製ではなく、コシナ(フォクトレンダー)のOEMなので「松本へ送ります」とのことであった。実は私のRD1sの距離計がちょっと狂っており、これが縦ズレだけなら大した問題じゃないのだが、どうも横ズレもあるようで、これが出てしまうとフォーカスが合わなくなってしまう。まあ、広角系レンスではもともと勘でフォーカス合わせをするので大したこともないのだが、50mmや90mmレンズの場合はちょっと困ってしまうのだ。で、距離計の調整をお願いしたというわけ。縦ズレ(これがRD1sではよくあるようなのだが)の場合は自分でも調整できるのだが、横ズレはそうもいかない。ということで、松本の病院に入院することになったのだった。

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 で、このセイコーエプソン日野事業所の外柵を見ると、こんなオリエント時計時代の写真がいくつか掲出されている。

 もともとこの場所には戦前は東洋時計の日野工場があったところで、それが戦後オリエント時計日野工場となったのである。それが経営不振から1997年にセイコーエプソンに対する第三者割当増資が行われてセイコーエプソンが筆頭株主になると、2001年の増資で持株比率52%となって親会社になると、セイコーエプソンは2008年には公開株式買い付けを始め、2009年には完全子会社になってしまって、いまやセイコーエプソン日野事業所となっているのである。

 とは言うものの、セイコーエプソンは以前は諏訪精工舎というセイコーの時計の開発・製造を行っていた会社であり、同じ時計メーカーであるオリエント時計(会社自体はまだある)に対する敬意を表しているのだろうか、こうしてオリエント時計時代の日野工場や前を走る川崎街道、オリエント時計の日野社宅の写真を掲げているわけである。

 なんか長野県民の奥ゆかしさといったものが感じられる、そんな外柵である。

 最後は庭の植え込みで発見したカマキリの写真でさようなら。

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Fujifilm X10 @Hino City (c)tsunoken

2012年9月13日 (木)

『「社会を変える」を仕事にする』ことは実は楽しいことかもしれない

 本の内容の生真面目さと同時に、著者・駒崎氏の文章の書き方の面白さが、読ませる要因にもなっている。

 駒崎さん。小説家でも目指したら? 

『「社会を変える」を仕事にする』(駒崎弘樹著/ちくま文庫/2011年11月10日刊)

 学生時代にITベンチャーの社長になった(ただし起業したのは別の人)ものの、何か違和感を感じたときに思い出したのは、高校生のときに留学したアメリカの「個人主義の国の共同体主義」であった。その経験から「日本の社会の役に立ちたい」と考えるようになるのだが、そのためには何をすればいいのだろうか、と言う事から再びアメリカの状況に思いをいたすようになり、アメリカのNPOが「ちゃんとお金を稼ぎ出している」ということを知る。つまり、1981年に大統領になったロナルド・レーガンは『「小さな政府」路線を選択し、それまでNPOに出されていた政府からの補助金を次々にカットしていった。国からの補助金で成り立っていたNPOは運営が行き詰まり、倒産する団体も出てきた。このことに危機感を募らせたNPOのなかに、経済的自立をはたすためにビジネスセンターから人材やノウハウを引っ張ってくる動きが生じた。限られた経営資源をうまく使って効果を最大化させる、というまさに純然たる経営を余儀なくされる状況になってきたのだ』という状況を知り、それなら日本でもIT起業を経営していた自分にもできるNPOがあるかもしれないと考えるようになる。

 そこで知ったのは発熱したわが子を看病するために会社を休んだらクビになってしまった女性の話だった。

 そんなところから「病児保育問題」という言葉を知り、そんな問題で悩んでいる人たちの存在を知り、じゃあそこにニーズがあるだろうと、病児保育のためのNPO「フローレンス」を思いたつ。ところが『保育や子育て支援の業界というのは、ほとんどが子育て経験のある中年以上の女性で占められている。バックグラウンドも主婦か保育園勤務などの公務員。まるで多様性がないのだ。だからイノベーションが起きない』ということに気がつく。『全体を救うイノベーションは、つねに多様性から生まれる』というのに、なのだ。

 保育園は働くお母さんが安心して子供を預けて、その間仕事に邁進してもらうための機関である。ところが、働くお母さんたちの悩みは『「仕事と育児の両立で最も悩むことは?」という質問に対して、約7割の人が「子どもの病気で遅刻や欠勤をすることがあり、周囲に迷惑をかけてしまう」』と答えており、『「保育園に子どもを預けていて不満に思うこと」の上位に「病気のときとかも預かってほしい」というものがランクインしている』という事実なのだった。

 保育園は、働くお母さん達のためには実に良い場所なのであるが、問題は子どもが病菌かかると預かってくれなくなる、というか当然保育園側としては他の園児にその病気がうつってしまうのが怖いので、当然病気の子どもは預からない。しかし、お母さんは仕事をしたい、のに働けない。ところがそんなお母さんたちが働いている現場では、そんなに仕事を休まれてしまうと、そのお母さんが仮に能力が抜群でも、やはり第一線には配置できない。よくてバックヤードか、下手をするとクビだ。

 ということで、順風満帆で進んだはずの「フローレンス」だが、その際には政治家(区長)の邪魔が入ったり、既得権益というか以前と変わらない仕事を依然とこなすことだけが生きがいの地方公務員のイヤミなどにも耐えながら、粛々と進めなければならない仕事が多そうだ。

 結局、「フローレンス」は子どもたちを「預かる場所・施設」を作ることはやめ、駒崎氏言うところの「松永のおばちゃん」方式という、病児保育ボランティアを、そのボランティアの家で行ってもらう方式を考えだす。その他、保険共済型課金方式のお金のもらい方や、小児科医との連携方法なども考えながら、病児保育事業はスタートする。

 その中で、コンサルタントや法律家や行政マン、大手会社の人事担当者などがボランティア(「プロボノ」というらしい)として協力を申し出てくれて、ますます事業は磐石なものになる。まあ、事業というものはそんなもので、走り出さないと何にも前に進まない。かといって、走り出す前の準備もそこそこ怠りなくやっていなければならない、というジレンマに取り付かれるのだが、ただし、悩んでいることがあるのなら、走っちゃったほうが勝ちよ、ということなのだろう。当然、失敗することもあるし成功することもある。それが事業というものだ。

 で、結論としては、別に駒崎氏のやっているようなNPO法人でもいいし、IT企業を起業したっていい。問題は、いまや「いい高校に入れれば、いい大学にいけるし、いい大学を出れば、いい会社に入れて、とりあえず出世するかどうかは分らないけれども、年功序列制・終身雇用で、まあ安泰な一生を送れる」といった、20世紀日本型の成功モデルは成り立たなくなっている以上、そういう「一本線型の人生」はもうやめて、それこそ「多様性モデル」の人生を送ろうよということが、既に感覚的に優れた学生の中では当たり前になっているということだ。

 まだ、大半の学生は「一流企業」への就活ばかりを行って、結果、内定率を押し下げることばかりに夢中になっているが、最早、感性の鋭い学生たちは、そんな「旧日本型モデル」にはしがみつかないで、外資系企業にキャリア形成目的で入る人もいるし、自分で起業してしまう人もいる。

 しかし、シャープやオリンパスのように、上場企業といってもいろいろな問題を抱えている企業は多い(まあ、シャープとオリンパスでは、抱えている問題はまったく違うが)。その他の、東証一部上場企業だって、明日か明後日にはどうなるのかは分らないのだ。

 とりあえず、一本線型の人生設計は破綻モデルにある可能性が高いということで、みんな多様性モデルで行くしかないのではないだろうか。

 多様性モデルの行く先は見えない。何しろ「多様性」だからね。しかし「一本線型」よりは絶対いいはずだ(しかし、多分)。何故なら、多様性モデルである以上、その時そのときの対応次第では、どんな人生でも送れるからだ。

「多様的な生き方(ダイバーシティ)」が、基本的にこれからの生き方なのだろう。

2012年9月12日 (水)

『アップルで何が変わったか?』って言って、変わったこと、変わらないこと

『ジョブズ氏からクック氏へ、CEO交代から1年―アップルで何が変わったか?』http://japan.cnet.com/sp/businesslife/35021326/

 というのがCNETジャパンの9月10日の記事である。

 つまり、昨年8月24日にアップル社のフルタイムのCEOにティム・クック氏が就任してちょうど1年経ちました。では、その間にアップル社で何が変わって、何が変わっていないか、を検証した記事なわけであるが、とりあえずこの1年間でアップル社が発表してきた「iPhone 4s」「OS X 10.8 Mountain Lion」とこれから出るであろう「iOS 6」「iPhone 5」はこれまで故スティーブ・ジョブズ氏が開発をリードしてきたものであり、例年通り「WWDC 2012」は開催されてきて、クック氏の指示による新製品や事業ではない。人事面でも、セキュリティ部門や小売担当部門、Macのソフトウェア担当バイスプレジデント、iAdのモバイル担当バイスプレジデントなどが辞任したのはジョブズ氏が医療休暇中のことだし、クック氏がCEOになってから辞任したのは財務担当者だけである。まあ、現場レベルのことは知らないが。

 5月18日のブログ「『僕がアップルで学んだこと』よりもティム・クックが何を出してくるのかが待ち遠しい」http://tsunoken.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-ea2e.htmlで書いた、その本の著者・松井博氏によれば「恐怖だけでいえば、ティムはジョブズ並みですよ。会議中に議論の相手を泣かすまで追い込むような男です」とのことなので、そのような恐怖政治を敷くティム・クック氏が、何を出してくるのかはやはり興味津々なわけであるが、今のところ何もも見えないのが実情だ。

 噂されている「iPad mini」にしたって、実はジョブズ氏が生前研究してはいたという話だし、なんかクック氏になって「新しいアップル製品」の噂は入ってこないのである。まあ、まだCEOになって1年だし、もともとクック氏はマーケティング担当で開発担当じゃないのだから、すぐには新製品の話は出てこないという見方もできないわけではないが、しかし、普通CEOが代わったら早急に新製品の匂いだけでも出して、新生CEOをアピールするはずなのがアメリカ流なのに、それをやってこないクック氏、あるいはアップル社って、なんか日本流? 「私は先代の跡をしっかり次いでやっていきます」っていう。

 しかし、それでは株式評価額世界1位の企業の跡継ぎとはいえないだろう、というかそんなことをやっていたら評価額はどんどん下がっていってしまうのである。今のところ、ジョブズ氏が作り上げた「最先端イメージ」は維持されているし、サムスンとの訴訟も(日本では負けてしまったが)一番大事なアメリカやヨーロッパでは勝ち続けている。だけれども、IT企業は次々に新製品を発表し続けることでしか、企業評価は維持できない。次々に新製品を発表することでしか「アップル社はどんな時にも開発をおこなっています」という、先進イメージを持ち続けることはできないのだ。

 クック氏CEO1年では結局何も出てこなかった。まさか初の製品が「iTV」っていうのではガッカリだ。だってここれまたジョブズ氏の遺産に過ぎないのではないか。

 というか、やはりジョブズ氏なき後のアップル社は最早過去のアップル社ではなく、単なる昔の偉業で持っているだけの会社になってしまうのだろうか?

 私なりの方法論での生き残り方としてはソフトウェアの開発会社、あるいはクラウド提供会社として、規模を縮小しながら生き残る、という方法なのだが。しかし、本当にそうなってしまったら、ちょっと残念。

 やはり、アップル社はデジタル・ガジェットの会社として、我々が予想もしなかった新製品を発表してほしいのだが。

 無理かな?

 

2012年9月11日 (火)

『独裁体制から民主主義へ』といっても闘い方は様々である

 それは多分、1980年代から1990年代にかけての東ヨーロッパの共産主義体制の崩壊と民主主義の再生という記憶がベースにあるのだろう。それが故の、非暴力闘争の提案なのだと考えるが、しかし、それもその国の「独裁体制のありかたと民主主義派の成長」という問題のバランスにあるのではないだろうか。

『独裁体制から民主主義へ 権力に対抗するための教科書』(ジーン・シャープ著/瀧口範子訳/ちくま学芸文庫/2012年8月10日刊)

 本書によれば、1983年から2009年にかけて、「自由」とされている国と地域は54から89に、「部分的に自由」とされる国と地域は47から62に増えてきているにも関わらず、いまだ「自由でない」という国と地域はまだ42もあるという事実だ。

『2009年現在、世界総人口66億8000万人のうち34%が「自由でない」とされる国々、すなわち政治的権利や人権が極めて制限された地域に住んでいる。「自由でない」とされる42カ国は、軍事独裁政権(ビルマのように)、伝統的な抑圧的君主制(サウジアラビアやブータン)、一党による独占支配(中国や北朝鮮)、占領地(チベットや西サハラ)などと統治下、あるいは変換期にある』

 とはいうものの、それらの独裁的あるいは独占的政権を支えているのもまた民衆そのものなのである。問題は、それらの民衆が独裁政権を受け容れない、独裁政権に対して「アンチ」を明確に届けさえすれば、独裁政権は実は簡単に倒されるものなのである。

『この政治的な力の源はすべて、民衆側が政権を受け入れ、降伏し、従順することによっており、また社会の無数の人々や多機関の協力によって成り立っている。ところが、これらは保証されたものではあないのだ。
 政治的な力の源は、全面的な協力や従順、支援を受けることによってさらに満たされ、そうなればどの政府の場合あれ、力を増大することにつながる。
 反対に、民衆や機関が独裁者に協力しなくなれば、どんな統治者であっても依存している力の源が枯れていき、時には絶たれる。そうした源を失うと、統治者の力は弱体化し、ついには消滅するのだ』

 基本的に独裁政権側はその権力の源泉を軍事力に置いていることが多い。そこで、それに対する民衆の闘い方もまた軍事力を用いたものになるのであるが、それに対してジーン・シャープ氏は反論する。

『その昔、アリストテレスはこう警告している。「……暴君はまた、別の暴君に取って代わられることがある」。その証拠は、フランス(ジャコバン派とナポレオン)、ロシア(ボルシェビキ派)、イラン(アヤトラ)、ビルマ(SLORC=国家法秩序回復評議会)、そして抑圧的な政権の崩壊を、単に自らが新しい支配者として入り込む機会だと捉える個人やグループがいるその他の国など、歴史の中には掃いて捨てるほどある。動機はそれぞれに異なっても、結果はだいたいにおいて同じになる。新たな独裁体制は、旧体制よりもより残虐で絶対的なものなることすらあろう』『従来の軍事的反乱が非現実的であると悟ると、ゲリラ戦に走る反体制者たちもいる。しかし、ゲリラ戦が抑圧した民衆を助け出したり、民主主義へ誘ったりすることはほとんどない。
  <中略>
 ゲリラ戦は、もし成功したとしても、その後に顕著な長期的構造欠陥をもたらす。攻撃を受けた政権は、その対策としてただちにより独裁的になる。ゲリラ側が最終的に成功を収めても、その結果生まれた政権は、拡散した軍事力を中央に集めて強力にし、闘争中に活動していた独立した社会組織や機関を弱体化したり解体したりすることによって、前政権よりももっと独裁的になることがしばしばある』

 そして、それに変わるものとして非暴力闘争を対置するわけなのである。

『非暴力闘争は暴力よりももっと複雑で多様な闘いである。暴力の代わりに、心理的、社会的、経済的、政治的な武器で闘い、民衆や社会機関が参加する。これは、抗議行動、ストライキ、非服従、ボイコット、離反、民衆パワーなど、さまざまな名前で知られているものだ。先に述べたように、どんな政府の支配もそれが続くのは、民衆や社会機関が協力し、屈服、服従することによって、力を維持するために必要な源が補充され続ける間だけである。政治的闘争は、暴力と異なって、そうした力の源を絶つのに特に適しているのである』

 しかし、そのような闘い方は、反ナチのパルチザン的な闘い方を通して民主主義的理解を持っている東ヨーロッパの国々の、ソ連のスターリニズム体制との闘い方を賞賛しているジーン・シャープ氏の立場を表明したものであるに過ぎない。実際には、東ヨーロッパの闘いの中にも軍事的な衝突も一部にはあったし、ジャスミン革命だって軍事的衝突はあったのである。ただし、それは闘い方の全部ではなかったし、闘いの全体である非暴力闘争のコンセプトの一部分であったというだけのことなのだろう。

 たとえば、アメリカ帝国主義とゲリラ戦で闘ったベトナムの場合はどうだったのであろうか。幸いベトナムの場合はゲリラ戦での勝利であったわけであるが、その後の政権が独裁的になってはいない。むしろ、中国より先に現実路線をとったベトナム社会主義共和国は、当然共産党の一党独裁ではあるけれども、いまのところその体制が大きな障害があるような様子は見られない。勿論、小さな問題は数限りなくあるが、それは民主主義国家だって同じなのだから。

 闘い方は、その時期、状況、独裁政権側のあり方、民衆側のあり方、周囲で独裁政権を支持する他国のあり方、民衆を支持する他国のあり方、などの数多くの要素の中で戦略的に決められるものである。したがって、必ずしも「非暴力闘争」だけが唯一の闘い方ではないし、軍事的な闘い方だけが唯一の闘い方でもないのである。

 ジーン・シャープ氏はそのヒューマニズム的な立場から非暴力闘争・非暴力革命を提案する気もちは分らないではない。また、闘っている当事者自身が決して暴力的手段のみを提案しているわけでもない。

 つまり、闘い方は「戦略的に決められる」ということなのである。

2012年9月10日 (月)

ヴェルタ・ア・エスパーニャは本日終了(スペイン時間)

 スペイン人のアルベルト・コンタドールが総合優勝してことしのヴェルタ・ア・エスパーニャは終了したわけである。

Photo_pickuprace(c)Yuzuru SUNADA

 三大ツールといういい方がある。UCIもこの三つの3週間を通じたレースを他のワンデイレースやツァーレースとは別格において大事にする。

 しかし、大きな違いがある。三大ツールといってもその規模の大きさでいったら、やはりツール・ド・フランスが一頭地抜けてて、ジロ・デ・イタリアとヴェルタ・ア・エスパーニャは、どちらかというとローカル・レースとまではいわないけれども、なんかそれに近いイメージがある。

 何故か?

 勿論、スポンサーやメディアが落とす金の問題もある。ツールとジロやヴェルタでは、かかる金の問題も桁違いなのである。それは、ここ数十年の三大ツールの状況を見ればよく分ることで、如何にスポンサーがツール・ド・フランスしか見ていないのか、ということが分る。まあ、企業スポンサーなんてそんなものである。雑誌の世界でも類誌NO.1かどうかで、広告収入はまったく違う。まあ、英語では第一位は「WINNER」であり、第2位以下は単純に「LOSER」(敗者)であるというからね。一位でなければ、そのほかは全部負けというのは分りやすい。

 しかし実は、そういう経済的な問題ではないのだ。

 ツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリア、ヴェルタ・ア・エスパーニャの違いは何だろう。

 実は、最近での開催国の自国選手の優勝の数の少なさなのである。つまり、当然ツール・ド・フランスは一番少ないわけで、ここ何年かはフランス人が上位に来ることすら少ない。それに比べて、ジロやヴェルタでのイタリア選手やスペイン選手の優勝の多いことよ。

 ということは、それだけツール・ド・フランスが世界に向けて拡げられているということなのだろう。当然、ツールも初期の頃はその優勝者の殆どはフランス人だった。それは当然フランス人が読む新聞の販促イベントとして始められたレースであるから、基本的にフランス人が勝てば単純に嬉しい。ただし、ツールが大きくなればなるほど他国の選手が活躍するようになる。最初はイタリア人、ついでドイツ、スペイン、オランダ、アメリカ、最後はイギリス人と言う具合に。

 これは何か別のスポーツの状況に似ていないだろうか。

 柔道である。皆さんはオリンピックや世界選手権などで個々なわれている「JUDO」が何か日本で行われている「柔道」と違うことに違和感を感じているのではないだろうか。

 柔道は日本だけの武道ではなく、世界に通用するスポーツとして発展しようとした。その結果が東京オリンピックのアントン・ヘーシンク氏である。まあ、ヘーシンクの場合はまだ日本式の「組み手」をベースの柔道をやっていたけれども、結局、勝ちは体重を利用した「押さえ込み」であったように思う。

 で、その後、世界スポーツとして発展してきた柔道は「JUDO」となり、世界語として通用するようになる一方で、日本の言葉、日本の武道ではなくなっていった。

 それがツール・ド・フランスなのだ。最早、フランス人が勝たなくても、一番嫌いなアメリカ人が勝っても、とりあえずは興奮してくれるフランス人って、さすがに世界で一番文化が進んでいる人種ではあるな。まあ、これは実はウソで、基本的にランス・アームストロングに対するドーピング疑惑をずっと言っていたのがフランス人なのだ、と考えると、やはりフランス人はアメリカ人が嫌いなのかな、とも思ってしまう。

 閑話休題、要は自国の選手が勝たなくても、そのスポーツを支持するというのは、かなり高度な知識・常識・良識をもっていなければできないことであり、それはそれで大事なことであり、それができる高度な文化を持ったフランス人は、取り敢えず尊敬はしておこう。

 しかし、本当のフランス人の本音ってどうなのだろうか?

2012年9月 9日 (日)

『鋤田正義展 SOUND & VISION』を見る

 考えてみればデビッド・ボウイこそは世界史の中で始めて「見られる」ことを意識したミュージシャンなのではないだろうか。

 それまでのジャズ・ミューjシャンなんて実に地味な格好をしていたし、だいたい60年代までは殆どタキシードだった。ビートルズだって変な4つボタンのスーツなんてものを着てステージに上がっていたけれども、それもあくまでも単なる演奏する際の衣装に過ぎなかった。

Sukita_masayoshi(c)Masayoshi Sukita

 それがデビッド・ボウイが登場してから後は、化粧あり、派手な衣装ありという状況に変わってしまった。そう、多分デビッド・ボウイがこうした「ビジュアル・サウンド」の嚆矢であろう。であるならば、こうしたミュージシャンに目をつけるフォトグラファーが出てきても当然である。

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 鋤田正義はそれ以前からもミュージシャンを撮ってきた写真家である。リー・モーガンやロン・カーターなどのジャズ・ミュージシャンからチャック・ベリーなんてのも撮影している。そんな鋤田正義にしてみれば、忌野清志郎やイエロー・マジック・オーケストラなんかは当然の当然である。今は、なんだかんだ考えずに、そんな写真世界に身を浸して、じっと時の過ぎ行くのを待とう。

 昨日行ったら、何故か鋤田氏がたまたま来ていて、即席の写真家自ら解説する写真展になっていた。まあ、こんなこともあるから、行っては見るもんだね。

『鋤田正義写真展 SOUND & VISION』は9月30日まで東京都写真美術館開催中。
http://syabi.com/contents/exhibition/index-1651.html

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Fujifilm X10 @Yebisu (c)tsunoken

2012年9月 8日 (土)

『本人伝説』というよりも南伸坊伝説を見ながら考えたこと

 う~ん、発想は面白いんだけれども、できた企画はね……っていうものではあります。

『本人伝説』(顔と文:南伸坊/写真:南文子/文藝春秋社/2012年9月10日刊)

 南伸坊氏が本書で「本人」になったのは77人『松田聖子/荒木経惟/篠山紀信/ヨーコ・オノ/草間彌生/山下清/スティーブ・ジョブズ/ワンチュク国王/猫ひろし/ウッディ・アレン/糸井重里/吉本隆明/鶴見俊輔/福岡伸一/田中直紀/内田裕也/由紀さおり/橋下徹/菅直人/鉢呂吉雄/枝野幸男/野田佳彦/前原誠司/仙谷由人/斑目春樹/孫正義/伊集院静/長友佑都/澤穂希/島田神助/斎藤祐樹/仁科亜季子/マツコ・デラックス/池上彰/水嶋ヒロ/金正恩/渡部陽一/白川方明/宮里藍/菅伸子/鳩山由紀夫/鳩山幸/鳩山邦夫/琴光喜/玉置浩二/舛添要一/坂本龍馬/浅田真央/キム・ヨナ/スーザン・ボイル/タイガー・ウッズ/蓮舫/ダルビッシュ有/姜尚中/金正男/勝間和代/ヒラリー・クリントン/茂木健一郎/櫻井よしこ/石川遼/白露山/バラク・オバマ/麻生太郎/星野仙一/朝青龍/ペ・ヨンジュン/パンダ/ダライ・ラマ14世/藤原正彦/リリー・フランキー/石原慎太郎/浅野史郎/黒川紀章/吉田万三/北一輝/呉智英/南伸坊』である。

 しかし、この中で一部重複がある。つまり、それがスティーブ・ジョブズと呉智英なのだ。というより、まったく同じメイクでもって二人ともに似ているわけである。じゃあ、そんなにその二人が似ているのかといえば、実際の二人は全く似ていないのですね。それが、南伸坊氏が真似をするとよく似ている。本人になっているのである。それは何故か……。

 要は、つまりそれらの「76人の本人」が全て南伸坊氏自身であるからなのだ。そう、それらの「本人」は「南伸坊氏自身」なのであり、全然「本人」には似ていないのだ。でも、「似ている」ってことは何なのだろう。つまりそれが「40過ぎたら男は自分の顔に責任持て」ってやつである。「自分の顔であって、しかし本人の顔である」という二重のアイデンティティを重ねもつっていうことは、楽しいけれども、それはそれで苦労するのである。

 しかし、同時に他人の顔を「本人」として持つという楽しさもあるのだろう。この楽しさを知ってしまったが故に、南伸坊氏はこんなバカなことを続けているのである。それを載せている『オール読物』も変である。というか、こんなおバカなお遊びに付き合っているわけなのだな。

 遊びじゃないというなら、ダライ・ラマ14世が言っている本当の中国からの独立論を話せよ、金正恩の本音を語らせよ、北一輝の本当の革命論を聞かせよ、というところなんだけれども、まあ、それはなしにして……日本文壇がいかに幸せで、平和ボケで、闘争忌避しているのか、という証明を、まあしているのである。

 ということで、『本人伝説』というのは、まさしく日本文壇の幸せぶりの象徴なんだな。多分、こんな文壇からは革命的な小説なんてものは生まれないんだろうな、ということを考えてしまうのだ。何故か。

 決して……。

 

 

2012年9月 7日 (金)

『ロスジェネの逆襲』はロスジェネの世代間闘争は描いていません。でも、それがいいんです。

 それは別にロストジェネレーションからの逆襲ってことじゃなくて、言ってみれば銀行業務対証券会社業務の戦いを描いただけなんだけれども。

『ロスジェネの逆襲』(池井戸潤著/ダイヤモンド社/2012年6月28日刊)

 基本的にはロストジェネレーション(1970年~1982年生まれ/1993年~2005年大卒)という世代と、バブル世代(1965年~1969年生まれ/1988年~1992年大卒)の間の世代間闘争を描いたものだと思われがちであるが、実はそんな世代間闘争は意味がない、ビジネスにおける闘争はそんな世代間闘争なんて矮小なものは受け付けないものなのだ、ということを語っている作品なのである。

 バブル世代の上司・半沢が語る言葉『オレたちは新人類って呼ばれた。そう呼んでたのは、たとえば団塊の世代といわれている連中でね。世代論でいえば、その団塊の世代がバブルを作って崩壊させた張本人かも知れない。いい学校を出ていい会社に入れば安泰だというのは、いわば団塊の世代までの価値観、尺度で、彼等がそれを形骸化させた。実際に彼等は、会社にいわれるまま持ち株会なんてのに入って自社株を買い続け、家を買うときには値上がりしたその株を売却して頭金にできたわけだ。バブル世代にとって、団塊の世代は、はっきりいって敵役でね。君たちがバブル世代を疎んじているように、オレたちは団塊の世代が鬱陶しくてたまらないわけだ。だけど、団塊世代の社員だからといって、全ての人間が信用できないかというと、そんなことはない。逆に就職氷河期の社員だからといって、全て優秀かといえば、それも違う。結局、世代論なんてのは根拠がないってことさ、上が悪いからと腹を立てたところで、惨めになるのは自分だけだ』

 という言葉の通り、結局世代論でもって話をすることは問題を単純化するということではいいのかもしれないが、しかし、逆にそれは問題の「本筋」から論議を遠ざけることでしかない。要は、「世代」じゃなくて「個人」でしかないということ。「この世代はこういう考え方をする」ということじゃなくて、「Aさんはこういう考え方をする人だ」ということでしかない。

 更に言ってしまえば、ロスジェネ世代が敵にするのは、バブル世代じゃなくて、それより一つ上の団塊の世代でなければいけない。第二次世界大戦後の一番の人口ボリュームゾーンである団塊の世代に対する基本的な批判と闘いがないと、ロスジェネ世代の闘いは終わらないはずだ。つまりそれは、「ロスジェネ世代=団塊ジュニア世代」という考え方からすれば、自分の親から「財を取り返せ!」ということなのだ。もう現役を退いている団塊の世代ではあるが、いくらでも彼らの財を奪い取る方法はある。基本的にこの「対団塊の世代」に対する闘いをキチンと行わずに、「バブル世代vs.ロズジェネ世代」の闘いばかりをやっていれば、それは団塊の世代にとっては「対岸の火事」を見ながらの、自ら何もしないですむ「楽々勝利」ってことでしかない。問題は、この「団塊の世代の既得権益」を如何に剥ぐかということなのである。

 この作品でもそうなのだが、結局ロストジェネレーション世代だといっても、彼らだけではまだまだ社会経験も少なく、敵失を見つけ出す力も少ない。で、結局はバブル世代の力を借りることになるのだけれども、だったら、むしろ敵はやはりバブル世代じゃなくて団塊の世代なんだよな。そのためにバブル世代とロスジェネ世代は共闘する必要があるだろう。

 要は、敵はまさしく『いい学校を出ていい会社に入れば安泰だというのは、いわば団塊の世代までの価値観、尺度で、彼等がそれを形骸化させた』張本人なのである。言ってみれば、自分たちの世代のいいように世の中を作って(まあ、作ったのは彼らより上の世代だが)、同時に自分たちの後の世代が自分たちと同じような権益にありつけないようにバブルを崩壊させたのが、団塊の世代なのだ。

 団塊の世代の連中は、「バブルを演出し崩壊させたのは自分たちじゃない」というかもしれない。しかし、バブルの元になった「土地神話」を作ったのはまさに団塊の世代の「土地」志向なのだ。そう、戦後の基本的な日本経済はこの団塊の世代を中心にして動いてきた。つまり、日本人口のボリュームゾーンということでね。

 ということなので、ロストジェネレーション世代が「逆襲」する相手は「バブル世代」じゃなくて「団塊の世代」であることがわかっていただけただろう。そう、君達の相手はちょと違うんだぞ。

 ただし、世代間闘争と言うのはほとんど不毛である、ということだけは言っておこう。

 

2012年9月 6日 (木)

『オリンパスOM-Dワークショップ』がワークショップになっていないことについて

 写真家じゃなくて写真機家の田中長徳氏の本となると、こうした「一種のマニュアル本」であっても買ってしまうんだよな。

『オリンパスOM-Dワークショップ』(田中長徳著/エイムック2439/2012年8月20日刊)

 ただし、この本は決してオリンパスOM-Dのマニュアル本ではない。というかデジタルカメラにおけるマニュアル本ってなんだろうということを考えてみたい。

 アナログカメラの場合、フィルムの装填の仕方から、露出の決定の仕方、フォーカスの合わせ方なんてものが付属マニュアル本には書いてあったわけだ。そんなの知ってるよとばかり、我々はほとんどそんなマニュアル本を無視して写真をとっていた訳だ。つまり、カメラというものがそれだけコモディティ化した機材になって、どのカメラを使っても基本動作は皆同じということになっていたという訳なのだ。まあ、フィルムを装填して、露出を決めて、フォーカスを合わせれば、誰でも写真は撮れるわけで、その方法だってカメラ機材によってそれほど違うわけではない。距離計合わせの回転方向くらいの違い。なので、基本的に新しいカメラ(中古品を買っても同じ)を手に入れたフォトグラファー(要は写真を撮る人です。別に仕事で撮るわけじゃない)は、基本的にはカメラに付属していた操作マニュアルなんかは一切読まずに、即、撮影をしていたわけだ。しかしながら、アマチュアと呼ばれる(あるいは自称する)フォトグラファーは、何とこの操作マニュアルを読むんですね。で、それでは足らずに写真機材会社じゃない出版社から出る「作例写真」付きの、マニュアル本を一生懸命読んだりするわけだ。って、バカですね。だって、そんなマニュアル本を読む時間があるなら、自ら写真を撮っていたほうが絶対いいはずなのである。

 ということで、ということをよく知っている田中長徳氏のマニュアル本は決して写真機のマニュアル本ではないのだ。だって、『変換アダプターで様々なレンズを交換して遊ぶことを目的にしてはいけない』なんて言いながら、その一方で『長年交換レンズ選びで人生を無駄にしてきたあたしなども、やはり純正以外のとくに古いレンスなどをOM-Dで楽しんでみたいと思うのは道理である。変換アダプターで森羅万象、古今東西のレンズを交換して、その風情を楽しむことは、例えて言えば、「南方録」で千利休が毎回、台子飾りの内容を季節と時間と茶会の目的に応じて変化させた、その記録と相通じるものがある…と書くとあまりにも大げさだが、茶道は「単に茶を喫すること」であるらしいから、写真道は「単に画像を写すこと」にあるとするなら、そういうレンズの遊びもまた可能なのであろう』って言っちゃったら、もはや、もはやオリンパスOM-Dは単なる「レンズを通して写すための箱」でしかない、と言っているのと同じなのだ。

 写真は結局、「レンズでしかない」というのは事実である。その意味ではカメラ機材というものは、単なる「レンズを通して写すための箱」でしかない、という発想で作られたわけだ。それは、ライカだろうがハッセルブラッドだろうがニコンだろうがキャノンだろうが、皆同じである。とは言うものの、そのカメラ機材(機械)に対する偏愛というのもあって、その偏愛の行く先は結局35mmカメラの始祖、ライカに行き着くというわけだ。

 田中長徳氏も結局ライカに収斂される、そんなカメラ機材信仰の中にいるわけである。レンズグルメというか、やたらいろいろなレンズを使いたがるというのは、まさにいろいろなレンズを使えるようにした世界で一番最初のシステムカメラとでも言うべきライカから発祥しているのだ。

 結局、ニコンだろうが、キャノンだろうが、オリンパスであろうが、それらはライカをコピーしようとしてできずに、自らのオリジナルな方向を目指して一眼レフカメラを改良し、確立させたわけなのである。まあ、ライカM3がいわば距離計連動カメラとしては完成の形になって、今のデジタルライカでもまったく同じような方法論をとっていることと対照的に、日本でのカメラ発展の礎になったわけで、それはそれで正しい歴史発展の法則なんだろう。

 まあ、オリンパスOM-Dというカメラが優れたカメラであるというのはよく分かっている。しかし、そこで採用している<マイクロフォーサーズ>というフォーマットはどうなんだろう。今でも、35mmフォーマットとニコンやエプソンで採用している(ちょっと違うんだけれども)APS-Cサイズ・フォーマットにも何か違和感を感じている私である。まだ、ニコンのフル35mmフォーマットのデジ一眼やライカM9は買ってません(買うのかな?)。

 35mmフォーマットでは50mmがマイクロフォーサーズでは100mmでしょ。ということは、35mmフォーマットの標準の50mmと同じ画角は、マイクロフォーサーズでは25mmっていうこと。この焦点距離は35mmフォーマットでは(超)広角レンズである。ということでこの辺の焦点距離になってしまうと、アイリスを搾れば前景から後景まですべてのポイントで焦点が合ってしまって、標準レンズ的なボケ味は楽しめなくなってしまう。自分が食ったものの商品写真なんかはそれでいいし、実際私もそのような撮り方をあるホームページ写真でもやってきたけれども、なんかその写真は「のっぺり」していて面白い写真にはならないんだよなあ。

 一方、35mmフォーマットですら小さいと考えているフォトグラファーがいることに、今気づいた。そう、8×10とか4×5のでかいフォーマットで撮影するのが当たり前だと考えている人たちだ。つまり、彼らは150mm程度でもそれが「標準レンズ」や「広角レンズ」なんですね。

 そうか、そんな風に考えれば、どんな焦点距離をもって標準とするのかということ自体が、無理になってしまうわけだ。

 ということであれば、各フォーマットの標準レンズにおける「ボケ味」比較とか言うのも、まさに「マニュアル本」であれば見せて欲しいものだ。

2012年9月 5日 (水)

『新島八重 おんなの戦い』会津と京都をつなぐモノ

 2013年のNHK大河ドラマが『八重の桜』というタイトルで、新島八重が主人公なのだが、新島八重が綾瀬はるかで、新島襄がオダギリ・ジョーって、カッコ良すぎじゃね? なんて考えながら読んでいたのだった。

 とは言うものの、新島襄の死ぬ間際の言葉「狼狽するなかれ、グッドバイ、また会わん」というのもこれまたカッコ良すぎる。う~ん、それってオダギリ・ジョー並み?

『新島八重 おんなの戦い』(福本武久著/角川ONEテーマ21/2012年8月10日刊)

 著者の福本武久氏は同志社大学を卒業しているのだが、だから新島襄かというのはよく分かるのだが、その妻新島八重に目を付けたのは何故だろう。福本氏はこれまでに『会津おんな戦記』『新島襄とその妻』という2編の小説を書いてきて、現在第三弾を執筆中だそうである。

 確かに、この本『新島八重 おんなの戦い』を読んでみると、なかなかに魅力のあふれる女性であったようだ。

 もともと会津の高位の武士の家に生まれ、幼いころより武芸に興味を持ち、もともと実家が砲術指南の家であったことから、銃砲の扱いを覚え……といった具合に、もともと保守の土壌である会津ではかなり跳ねっかえりな娘だったのだろう。当然、戊辰戦争では男に伍して戦い、それなりの武勲は上げたのであろうが、それこそ会津では女が戦うなんてことは忌み嫌われていたわけなので、決して褒められたことではなかったのだろう。ましてや刀で戦うことを最上として、銃砲で戦うことを決して良しとしなかった(だから戊辰戦争で負けたともいえるのだが)会津武士の中でである。

 そんな跳ねっかえり娘を綾瀬はるかが演じるというのは、なかなかの楽しみである。以前TBSドラマ『JIN-仁』で、医師を助けることから自ら医学に目覚め、女医となっていく役を演じた綾瀬なので、今回も楽しみである。綾瀬はるかは跳ねっかえりの役が合ってるのかなあ。

 それはそれとして、むしろ八重の生きざまはむしろ、明治維新後。兄・山本覚馬について京都に行ってからの方が凄さを増してくる。当然、所謂切ったはったの戦いはないのであるが、それ以上に「当時の常識=女は家にいて夫につき従うものである」との戦いが待っていたのである。

 当時は「英語を習う」ということは、同時に「聖書を学ぶ」ということになるのであったのであろう。アメリカ人の宣教師に従い英語を勉強するうちに、八重はキリスト教に目覚めていくことになり、それは同時にアメリカの男女平等思想に目覚めていくことになるのだ。もともと男勝りの部分を持っていた八重であるから、男女平等思想に染まっていくのも早かったのであろう。英語を習うのにイギリス人ではなくアメリカ人から習ったというのが、もしかしたら日本をより開明的にさせるよい結果になったのかもしれない。まだまだ将来に向かって夢多かりし時代のアメリカである。現代のアメリカじゃなくてね。

 そんな八重を見て、興味をもったのがアメリカ帰りの新島襄だったわけだ。決して美しくはないが、初めから男女平等思想を持っている八重に興味を持ち、後に結婚するわけだが、その際にはやはり兄・覚馬の存在も大きかったのだろう。当時の帰国子女に対する周囲の見方は今よりずっと苛酷であったに違いない。そんな厳しい環境の中で、しかし、キリスト教をベースとする学校を作ろうとする襄に対して、覚馬は全面的な協力を申し出るのである。まさに会津藩随一の開明派であった覚馬の面目躍如たる判断であるが、そんな覚馬の存在があったればこその襄と八重の婚儀であったのだろう。決して周囲から喜ばれた結婚ではなかったと思われるのであるが、それでもそれを決行してしまう強さがこの兄妹にはある。そしてこの兄妹がいなければ同志社大学が出来なかったかもしれない、と考えると同志社OBは心して2013年のNHK大河ドラマを見なければいけない。

 と、これで多少は来年のNHKの視聴率も上がるかな? 同志社ワイルドローバーさんたち?

 もともと、京都と会津は京都守護職にして会津藩主の松平容保という存在で結びつけられていたのであるが、ここにも京都と会津を結びつけられる接点があったわけだ。

 フムフム。なあんて会津にゆかりのある私も鼻たかだかだったりして……。

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結婚当初の新島襄と八重(同志社大学収蔵写真)

 残念ながら綾瀬はるかとは、似ても似つかないオバハンなのであるが……。

2012年9月 4日 (火)

本なんて、国の思惑でデジタル化することに何の意味もない

 最近は「デジタル化なんてしなくても、してもどうでもいいじゃないかよ」という考え方になって来ている。

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http://www.shinbunka.co.jp/

 出版界の業界紙『新文化』の8月30日版の特集タイトルが『緊デジ申請、出版社が躊躇する理由』というものなのだが、要は『日本出版インフラセンター(JPO)が経産省から受託して進めているコンテンツ緊急電子化事業(緊デジ)。経産省が10億円の補助金を出して行う国策として、電子書籍分野の産業振興を図っている。今年度に6万点の電子書籍を創出するこの事業に、出版社から5月時点で、約9万3000点の仮申請があったものの、本申請では8月28日の段階で、264社・約2273点と目標に遠く及ばない状況というのが実際である。出版社では一体何がネックになっているのか。JPOではさきごろ、EPUB3の対応を追加するなど、専門出版社の要望に応えて申請条件を緩和しているが今後、本申請の点数はどれほど増えるのか。出版者の権利許諾の問題に加え、電子化の妨げになっている出版社の課題とは。』というリードで書かれている記事は、基本的に「出版のデジタル化は当然の流れである」という主旨に彩られているわけなのである。

 でも、待てよ。なんで今まで「紙の出版」だけでよかったものが、今更「電子化」なんてことに踏み切らなければならないのか? 経産省からカネがでるから電子化するのか? そもそも、国のカネを使って事業を行うってのは出版業にとってイイことなのか? などなど、いろいろ疑問が出てくるのである。

 結局、講談社などの大手総合出版社は自前でデジタル化なんてものはできてしまうので関係ない。で、今回一番関係があるのは中小零細出版社なんだろうけれども、問題はそんな出版社が出している本は、文学作品よりはハウツウ本やビジネス書、自己啓発書の類、つまりノンフィクション分野だろう。私も最近は電子で読んでいる本は大分増えてきたが、問題は、たとえば今書いているようなブログなんかを書こうと思うと、それなりに本に付箋やら傍線などをつけて、それを見ながら書くということになってしまう。しかし、こうした使い方をする時に、電子書籍は極めて使い勝手がわるいのだ。アナログ的に「ああ、あのことはあの辺に書いてあったな」というイメージでさがせる「紙の本」に比較して、電子書籍の場合はそんなアナログ的な探し方ではうまくいかなくて、結構付箋を入れた場所を探すのに苦労する。つまり、小説なんかをストーリーの流れに沿って読むのには電子書籍は向いていると思うのだが、ノンフィクションのように前に行ったり後ろに行ったりという読み方をする読み物向きではないな、というのが私の考え方である。ということは、電子書籍ってますます小説なんかが多い大手総合出版社向けの企画じゃない? ってことになるのだ。

 では、これに対して中小零細出版社はどうなのかといえば、もともと初版3000部位で、重版してもせいぜい1万部位しか売れない「紙の本」がデジタル化したからといって数万部売れるなんてことはまず考えられない。更に、電子書籍は基本的に「衝動買い」というものがなく、電子書店のカタログに載っていなければ選べないのである。ということは、可能性として「紙の本」の初版+数部~数十部程度しかデジタル版は売れないのではないか。だったら、それをデジタル化するメリットは出版社側にはない。まあ、著者が勝手にデジタル化したければすればってなもんである。

 仮に「電子書籍が基本」になった世界を考えてみようか。そんな世界では大手出版社だけが電子出版を行っており、中小零細出版社の存在は、多分なくなってしまうだろう。まるで、新聞やテレビの世界と同じことになってしまい、これはこれで怖いことだ。

 つまり、今の出版デジタル化の話は、大手総合出版社にとっては、これからも大手でいるためには必要なことなのだけれども、抽象零細出版社にとっては、著者との契約が面倒なだけで一向にメリットはないし、アマゾンだって別に3000部位しか売れない著者の本の電子版の許諾を直接とりにいくことはないだろうし、ということは別にデジタル化しなくていいじゃん、何か企画で電子版の方が面白いことができそうだなってなったら、その時に電子版を考えればいいんじゃない、という程度の問題でしかない。

 結局、経産省が自らの省益拡大目的でもって始めようとした「緊デジ」も、そんなものに何のメリットも感じられない中小零細出版社からは無視されたわけで、結構なことであるのだ。税金を無駄に使わないで済むしね。だったら、アダルト系出版社(その大半は中小零細である)がデジタル化を希望しているようなので、そちらを優先的にデジタル化したほうが良いだろう。まあ、どんなメディアもヒットするのは始めはエッチからですからね。やはりアダルトが電子書籍をも領導するのか。確かに、電子書籍ならエッチ本を買っても、店員から「何だ」という感じで見られないっていうメリットもあるしね。エッチ本に注力する日本政府っていうのも面白いかもね。

 出版の多様性というのは、そんな国の庇護とか、補助とかいうところと関係ないところから生まれるのである。というよりも、出版という業そのものが、国からいかに自由になるかという観点から始まった事業なのである。そんな出版業界に国が手を出そうというところに、なにか胡散臭さを感じるのは当然である。我が出版業界はテレビや新聞なんかとは、全然志が違う業態なのである。

 それでなくとも、基本的に反権力である出版業界が、国の政策にノらない状況を見るのは楽しいことだ。

2012年9月 3日 (月)

『Welcome to Macintosh』ったって、マクドナルドじゃないよ

「Welcome to Mac」というのは「マクドナルドにようこそ」という意味。「Welcom to Macintosh」は「マッキントッシュにようこそ」という、マック立ち上げの時に出るメッセージ、というのは皆さんよく知ってますよね。

『Welcome to Macintosh: The Documentary for the Rest of Us』(監督:ロバート・ベイカ/ジョシュ・リッツォ/字幕:野元善/2008年製作)

 日本でのDVD発売は2011年だが、製作は2008年なのでスティーブ・ジョブズがまだ存命中の時期に作られたドキュメンタリーである。ということなので、インタビュー嫌いのスティーブ・ジョブズには多分断られたようなので、結局、周辺の人々に対するインタビューで構成されたドキュメンタリーになっている。

 で、インタビューに答えている人たちはかなりアップルの関係者(共同開発者、デザイナー、マーケッターなど)が多いのだが、当然、もともとはマック・ユーザーだった人たちで、言ってみればスティーブ・ジョブズ、スティーブ・ウォズニアック、マイク・マークラらの第一世代に次ぐ人たちである。アップルⅡやマッキントッシュをまず使い始め、そこからマック・フリークとなり、そのままアップル・コンピュータに入社して、マックやアップル製品の開発者になった人たち。

 ところが、彼らの大半は、自らアップル・コンピュータの社員になって僅かで、あるいは入社したときには既に、スティーブ・ジョブズはアップル・コンピュータを追われ、アップル・コンピュータはひたすら「普通のコンピュータ・メーカー」への道を突き進むことになるのであった。

 この辺が、自ら開発、あるはデザインするアップル製品に対する微妙なコンプレックスの現われとなる。そう、この時期のアップル・コンピュータの開発者ってちょっと微妙なんだろうな。敬愛するスティーブ・ジョブズはいないし、かといって自分が開発するコンピュータがとてもじゃないがマッキントッシュとはいえないような、「普通のコンピュータ」である。当然、自ら開発する製品が自らのものではないという不幸。例えば、スティーブ・ジョブズが次々に開発(を命じて作らせた)したコンピュータが、最早、スティーブ・ウォズニアックが、自分が開発したアップルⅡとはコンセプトも何も共通の基盤を持たないものであるにしても、しかしアップルという会社に対するリスペクトを今でももっている、のとは反対にかなり今のアップルには辛らつである。

 例えば、元アップル・コンピュータの社員で今はベンチャー・キャピタリストであるガイ・カワサキが言っているように、アップルにおいて「世の中を変える」ことになったのは、アップル、アップルⅡ、マッキントッシュ、iPod、iPhoneの五つだけだなんて言っているわけで、その中にはiMacやG3などの、スティーブ・ジョブズがアップルに帰ってきてから開発した製品は含まれてはいない。更に、2000年以降の製品に関しては、完璧に「コンピュータ・メーカー」的な製品じゃないものね。つまり、旧アップル関係者はすでにアップルはコンピュータ・メーカーじゃないという認識に立っているわけなのである。

 また、多くのインタビューでは、「もし、スティーブ・ジョブズがまたいなくなったら。あるいは亡くなったら?」という質問には、皆が否定的な感想を述べていて、まあ、あまりアップルの先行きには期待していない、というかネガティブな評価をしている。つまり、それは彼らがアップルのファンではなくて、結局スティーブ・ジョブズのファンでしかない、ということなのであろうか。この傾向は、元社員ではなくて、今のマック・オタクになってしまうともっと激しい。

 ということは、私が予想したようにスティーブ・ジョブズ亡き後のアップルにはあまり期待しないほうが良い、ということなのだろう。

 まあ、その方が元々(ジョブズがいた頃の)マック・ファンで、その後Windowsに転向した私のような(マック・ファンからすれば)裏切り者には、心安らかな日々が送れるってものである。

 会社のコンピュータと違っても問題ない引退後はマックに戻そうかなと考えていたのだけれども、まあ、しばらくは様子見だな。

 やっぱり。

2012年9月 2日 (日)

カレッジフットボール2012開幕

 9月1日からは越中おわら風の盆が始まる。静かさと熱気が組み合わさったようなそのお祭りはなかなかに見ものである。

 なーんてこととはまったく関係なく、関東学生アメリカンフットボール連盟の公式リーグが始まる日でもあるのだ。時に強く振る雨の中の試合ではあったが、かえって涼しく観戦でき、先々週のラクロス開幕戦よりはラクな観戦ではあった。

 ということで、アミノバイタルフィールドへ。Jリーグ戦もやっていて、その日は暴利をむしゃぶる駐車場にあえてクルマを止めて(もうちょっと早く行けば駅周辺のもう少し安い駐車場に止められたんだけど)、なおかつ、昨年よりも2,000円も一挙に値上げしたシーズンパスを手に入れ勇躍観戦なのである。

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 と言っても、リーグ戦開始直後はリーグ上位グループの上の方と下位グループの下の方の対決になるので、普通はあまり波乱はない。つまり、昨日行われた関東1部リーグAブロックの対戦も、1部Aブロック4位の日本体育大学トライアンフォントライオン対5位の立教大学ラッシャーズ、同じく3位の東京大学ウォリアーズ対6位の一橋大学クリムゾンという対戦で、それぞれ日体大が55対13で、東大が38対17で余裕で勝った訳なのであります。今年の日体大は強そうだ。東大対一橋大戦も、第1クォーター東大キックオフで始まった試合だったが、結局、一橋大のタッチダウンを許さず1フィールドゴールで抑えた時に東大の勝利を予感させる試合展開だった。

 同じ第1節の9月2日の対戦も、明治大対上智大、日大対神奈川大という対戦で、これも初めから勝ち負けはわかっているような試合である。まあ、お互い1試合しかしない野球以外の大学の試合なんてものは、こんなものなのかも知れない。リーグ戦とは言ってもほとんどトーナメント戦だなこれは。とりあえず優勝するためには「全勝」するしかないのである。

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 で、これは先々週に既にシーズン開幕をしているラクロス関東学生リーグ戦なのであるが、別に書く気はなかったのだ。が、書いて欲しいと言う選手が約1人いるので、軽く触れておく。つまり、同じ昨日、駒沢第2球技場で2部Bブロックの2戦目が行われ、立教大対千葉大戦で立教大が11対7で勝ったのであります。良かったね。そのまま全勝して入替戦勝利しろよな。まず、1部に上がらなければ、どんなメディア(ブログですら)も取り上げてくれないのだからね。

 ということで、私が越中おわら風の盆を見に行けるのは、いつ頃になるのだろう。

Nikon D7000 AF-S Nikkor 70-300mm @Komazawa & Chofu (c)tsunotomo

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2012年9月 1日 (土)

定年前から既に『定年からの旅行術』は始まっているのだ

 定年になったら私も旅三昧をしようかななんて考えているから、電子書籍のカタログ見ててもまず最初に引っかかってくるのはこんな本……というわけなのであります。

『定年からの旅行術』(加藤仁著/講談社現代新書/2009年9月20日刊〈2012年3月1日電子版刊〉)

 まさに、私の考えていたこと……、でどんな内容かというと。

第一章 地域発見! 日帰りの旅
それは「ほんの小さな旅」から始まった/きっかけはウォーキング/週末の日帰り旅で東海道を完歩/区境完歩「オンリーワンの旅」/自宅周辺「ミクロの旅」/自転車でスケッチの旅/石仏を追って酒を忘れる/県下の「校門」撮影旅行/源流から鶴見川の全橋をたどる/神奈川の滝をすべて撮る/東京に昭和を訪ねた筆者の旅

第二章 夫婦でいく旅
行かない理由、行く苦労/熟年夫婦の北米旅行ホームページ/初の海外でトラブル続出/喧嘩も持病も旅の道連れ/旅先では「自分のことは自分で」/パック旅行から生まれた人気ホームページ/現地の味情報を満載/「女房孝行」に駆り立てられ/妻をキャンピングカーに乗せて/退職を前に免許取得、海外レンタカーの旅へ/行きあたりばったり、筆者のマイカー夫婦旅

第三章 男も女もひとり旅
ひとり旅の魅力とは/<本当の私>になる/心のままにシャッターを切り俳句を詠む/若き日の情熱を傾けたベトナムへ/リピーターならではの安上がり旅行術/フットワークのよさもひとり旅の利点/「一人旅」と日本人/年金のやりくりで海外格安長期旅行/中高年もバックパッカー/男は冒険に憧れ、女は脱・日常を求める/ヨーロッパで自炊ホテルに泊まって絵を描く/女性の海外ひとり旅の気ままさと心がまえ/パック旅行に単独行動を組み込む/九十歳、旧同盟国のいまを確かめにドイツへ/グループ旅行という選択肢

第四章 私家版「街道をゆく」
還暦の「東海道ひとり歩き」/万歩計をつけて日本橋を出発/静岡で第一ラウンド終了/四日市までの第二ラウンドはやや苦戦/第三ラウンド、雨のなか三条大橋をめざす・芭蕉の時代、四十歳は「初老」だった/八十歳で「おくのほそ道」へ/芭蕉の旅を追体験/マラソンで日本一周をめざす女性/四国八十八ヵ所歩き遍路/それぞれの「発心」、それぞれの「足」/東海道自然歩道踏破にいどむ/野宿しながら大自然の中を歩く/熊野古道もテント泊で/テントを張れず橋の下で野宿/熊野三山から伊勢路へ/六十九歳、野宿の旅で列島を歩き通す/自転車とテント泊で低予算の日本一周

第五章 ライフワークとしての「大旅行」
「とんがり石」にこだわって世界の遺跡へ/日本各地の「裸祭り」を撮影/農民芸術としての「かかし」を記録/万葉歌碑を訪ね歩く/桜前線を追って日本縦断/「岬」と「離島」に目標を定める/海岸線を歩いて「岬」を踏破/カネがないのを原動力にフランスへ研究の旅/単車で「日本全市」「全米州都」めぐり/八十八ヵ国「国盗り物語」/ポルトガルに定住して世界美術館めぐり/「旅の名人」は「人生の達人」/旅への想いがリハビリを支える

 まえがきに『旅は「精神の若返りの泉」と述べたのはアンデルセン(1805-75)である。「裸の王様」「マッチ売りの少女」などの童話でお馴染みの、このデンマークの作家は、生涯に三十回もの国内旅行をしている。自伝『わが生涯の物語』を読むと、旅をするこによって、心の傷を癒したり、精神面のエネルギーを蓄えて創作意欲をかきたてていたりしていることがわかる。』とある。なるほどなあ。

 基本的に会社の金で行くような出張旅行ではなく、自分の金で行く旅行である。当然その基本は「貧乏旅行」になるわけで、しかし、この貧乏旅行というのが、実は学生時代の貧乏旅行なんかを思い出して、しばし青春気分になるというものなのだ。学生時代は多少お金があっても(基本的には学生は貧乏なものなのだが)貧乏旅行をしたがるわけで、我が家の息子も京都大との試合の後に新幹線で帰ってくればいいものを、わざわざ夜行バスなんかに乗って帰ってきたりする。

「青春21きっぷ」なんてのも、学生も多いかもしれないが、意外と高齢者の人たちが多く利用してるという話もある。確かに、お金は自分の持っているだけしかないわけだが、時間はたっぷりある高齢者たちは、そのあり余る時間を使って貧乏を楽しんだりしているわけなのだな。まさに「貧乏に勝る贅沢なし」ってなもんだ。

 勿論、私の旅もバックパッカー的な旅になるのだろう。それはそれで楽しいものになるはずだ。

 とりあえず、9月いっぱいで定年になる私の場合、10月は沖縄に行くつもりをしている。8月9日のブログにも書いたけど、私は沖縄には行ったことがなかった。まだ見ぬ沖縄の米軍基地やお城を見てきたい。LCCに乗って、なるべく安いビジネスホテルに泊ってね。

 というか、実は貧乏旅行は既にスタートしているのである。岩手県の遠野に行ったりしていることは既に書いたが、それも夜行バスで行って、なるべく安いビジネスホテルに泊って、という風な旅行は既に始まっているのである。

 以降、毎月、日帰りも含めてどこかに旅するつもりでいる。その旅の様子はおいおい書いていきます。お楽しみにね……、って別に楽しみじゃないか。

 楽しむのは私の方なんだから…………。

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自転車フォトグラファー 砂田弓弦

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