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2012年9月11日 (火)

『独裁体制から民主主義へ』といっても闘い方は様々である

 それは多分、1980年代から1990年代にかけての東ヨーロッパの共産主義体制の崩壊と民主主義の再生という記憶がベースにあるのだろう。それが故の、非暴力闘争の提案なのだと考えるが、しかし、それもその国の「独裁体制のありかたと民主主義派の成長」という問題のバランスにあるのではないだろうか。

『独裁体制から民主主義へ 権力に対抗するための教科書』(ジーン・シャープ著/瀧口範子訳/ちくま学芸文庫/2012年8月10日刊)

 本書によれば、1983年から2009年にかけて、「自由」とされている国と地域は54から89に、「部分的に自由」とされる国と地域は47から62に増えてきているにも関わらず、いまだ「自由でない」という国と地域はまだ42もあるという事実だ。

『2009年現在、世界総人口66億8000万人のうち34%が「自由でない」とされる国々、すなわち政治的権利や人権が極めて制限された地域に住んでいる。「自由でない」とされる42カ国は、軍事独裁政権(ビルマのように)、伝統的な抑圧的君主制(サウジアラビアやブータン)、一党による独占支配(中国や北朝鮮)、占領地(チベットや西サハラ)などと統治下、あるいは変換期にある』

 とはいうものの、それらの独裁的あるいは独占的政権を支えているのもまた民衆そのものなのである。問題は、それらの民衆が独裁政権を受け容れない、独裁政権に対して「アンチ」を明確に届けさえすれば、独裁政権は実は簡単に倒されるものなのである。

『この政治的な力の源はすべて、民衆側が政権を受け入れ、降伏し、従順することによっており、また社会の無数の人々や多機関の協力によって成り立っている。ところが、これらは保証されたものではあないのだ。
 政治的な力の源は、全面的な協力や従順、支援を受けることによってさらに満たされ、そうなればどの政府の場合あれ、力を増大することにつながる。
 反対に、民衆や機関が独裁者に協力しなくなれば、どんな統治者であっても依存している力の源が枯れていき、時には絶たれる。そうした源を失うと、統治者の力は弱体化し、ついには消滅するのだ』

 基本的に独裁政権側はその権力の源泉を軍事力に置いていることが多い。そこで、それに対する民衆の闘い方もまた軍事力を用いたものになるのであるが、それに対してジーン・シャープ氏は反論する。

『その昔、アリストテレスはこう警告している。「……暴君はまた、別の暴君に取って代わられることがある」。その証拠は、フランス(ジャコバン派とナポレオン)、ロシア(ボルシェビキ派)、イラン(アヤトラ)、ビルマ(SLORC=国家法秩序回復評議会)、そして抑圧的な政権の崩壊を、単に自らが新しい支配者として入り込む機会だと捉える個人やグループがいるその他の国など、歴史の中には掃いて捨てるほどある。動機はそれぞれに異なっても、結果はだいたいにおいて同じになる。新たな独裁体制は、旧体制よりもより残虐で絶対的なものなることすらあろう』『従来の軍事的反乱が非現実的であると悟ると、ゲリラ戦に走る反体制者たちもいる。しかし、ゲリラ戦が抑圧した民衆を助け出したり、民主主義へ誘ったりすることはほとんどない。
  <中略>
 ゲリラ戦は、もし成功したとしても、その後に顕著な長期的構造欠陥をもたらす。攻撃を受けた政権は、その対策としてただちにより独裁的になる。ゲリラ側が最終的に成功を収めても、その結果生まれた政権は、拡散した軍事力を中央に集めて強力にし、闘争中に活動していた独立した社会組織や機関を弱体化したり解体したりすることによって、前政権よりももっと独裁的になることがしばしばある』

 そして、それに変わるものとして非暴力闘争を対置するわけなのである。

『非暴力闘争は暴力よりももっと複雑で多様な闘いである。暴力の代わりに、心理的、社会的、経済的、政治的な武器で闘い、民衆や社会機関が参加する。これは、抗議行動、ストライキ、非服従、ボイコット、離反、民衆パワーなど、さまざまな名前で知られているものだ。先に述べたように、どんな政府の支配もそれが続くのは、民衆や社会機関が協力し、屈服、服従することによって、力を維持するために必要な源が補充され続ける間だけである。政治的闘争は、暴力と異なって、そうした力の源を絶つのに特に適しているのである』

 しかし、そのような闘い方は、反ナチのパルチザン的な闘い方を通して民主主義的理解を持っている東ヨーロッパの国々の、ソ連のスターリニズム体制との闘い方を賞賛しているジーン・シャープ氏の立場を表明したものであるに過ぎない。実際には、東ヨーロッパの闘いの中にも軍事的な衝突も一部にはあったし、ジャスミン革命だって軍事的衝突はあったのである。ただし、それは闘い方の全部ではなかったし、闘いの全体である非暴力闘争のコンセプトの一部分であったというだけのことなのだろう。

 たとえば、アメリカ帝国主義とゲリラ戦で闘ったベトナムの場合はどうだったのであろうか。幸いベトナムの場合はゲリラ戦での勝利であったわけであるが、その後の政権が独裁的になってはいない。むしろ、中国より先に現実路線をとったベトナム社会主義共和国は、当然共産党の一党独裁ではあるけれども、いまのところその体制が大きな障害があるような様子は見られない。勿論、小さな問題は数限りなくあるが、それは民主主義国家だって同じなのだから。

 闘い方は、その時期、状況、独裁政権側のあり方、民衆側のあり方、周囲で独裁政権を支持する他国のあり方、民衆を支持する他国のあり方、などの数多くの要素の中で戦略的に決められるものである。したがって、必ずしも「非暴力闘争」だけが唯一の闘い方ではないし、軍事的な闘い方だけが唯一の闘い方でもないのである。

 ジーン・シャープ氏はそのヒューマニズム的な立場から非暴力闘争・非暴力革命を提案する気もちは分らないではない。また、闘っている当事者自身が決して暴力的手段のみを提案しているわけでもない。

 つまり、闘い方は「戦略的に決められる」ということなのである。

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