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2012年9月25日 (火)

『60歳でボケる人 80歳でボケない人』って、そのくらいの個人差はあっていいのじゃないか

『ここであえて断言してもよいが、男のボケの最大原因のひとつは、「定年」である』とのことである。もうすぐ定年の私もボケたくなかったら……、何をすればいいのだろうか。

『60歳でボケる人 80歳でボケない人』(フレディ松山著/集英社文庫/2005年4月25日刊)

 職業によってもボケやすい職業とボケにくい職業があるようである。

 つまり「ボケやすい職業」では「判で押したような単調な毎日を送っている公務員/毎年同じような内容の科目を教えている教師や大学教授/頑固で堅物の職人/防御型のサラリーマン/楽しんでいない専業主婦」であり、「ボケにくい職業」では「手と頭を連動させている芸術家/創造的な編集者、ジャーナリスト、俳優/つねに新しい知識を必要とする科目の教師や大学教授/開業している医師/攻撃的な部署のサラリーマン/前向きでものごとにあまりこだわらない主婦やクラブのママ」といったところのようだ。

 つまり、それは「常に頭と体を使っているかどうか」に関わっているようだ。そこで「定年10年前が、ボケるかボケないかの境界線」であるというのだ。

『よくサラリーマンが焼鳥屋や居酒屋で「俺、もうダメだよ。よくて部長代理で定年だ」
 などと話をしているのを耳にする。
(たしかに部長になれる器じゃないな、この人は……)などと私は自分のものさしでその人を見たりしていたが、彼のそのあとのセリフが気に入ったので、思わずグラスをあげてしまった。
 彼は、続けてこう言ったのだ。
「どうせエラくなれないんだったらよ、いまから趣味で生きようと思ってるんだ。昔から俺は映画が好きだったから、ビデオを本格的にはじめようかと思ってさ、今度の土曜日に秋葉原に行くつもりなんだよ。定年になってかたじゃ、買えないと思ってな」
 これは素晴らしい。思わず拍手を送りたいほどだ。なぜなら、かれなら定年になっても趣味を通して意欲が継続しそうだし、もしそうであれば、老後ボケるなどということを考える必要もないからだ。
 二十数年、ボケた人たちを診てきた私から言わせれば定年十年前になって、残りの人生を会社のために真面目に尽くしたところで、会社が喜ぶだけで、彼にとっていいことなどほとんどないものなのだ。
「最後まで精一杯会社のために働いて、大過なく勤め終えた」からといって、ボケは待っていてくれない。いや、むしろ、途中から会社の仕事をいいかげんにやって、趣味に没頭した人のほうがはるかにボケないのだ。
 ビデオでもいい、パソコンのホームページ作りでもいい、理想をいえば、自分の住んでいる地域のボランティアでもいいから、定年前十年間を定年後の助走と考え、いまから好きなことをはじめたらどうだろう。
 五十歳からはじめた自分の好きなことが、老後も続けられるとしたら、それは先の一週間のスケジュールが埋まることでもわかるように、ボケ防止だけでなく、最高の人生を送れることになるのだから』

 ビデオを見ることがボケにいいのかどうかは分からない。が、まあ、会社に滅私奉公するよりはずっといいということなんだろう。「途中から会社の仕事をいいかげんにやって、趣味(ブログ)に没頭した」私なんかはボケないいですむのだろうか。確かに、こうやって毎日本を読んで、ブログに書くってことは、それなりに頭を使っていなければならないし、毎日書店に行っていろいろな新しい本を見ていると、結構刺激の多い生活は送れる。しかし、この程度の刺激でいいのだろうか、という気にもなっているのだが、現状ではこれ以上の刺激は無理である以上、取り敢えずこの程度で満足すべきなのかも知れない。

 最後にフレディ松川流『いまからできる「ボケないための十の予防対策」』を見ると;

『①天気の良い日には、散歩をしよう
 ②魚をできるだけ食べるようにしよう
 ③生活習慣病にかかっていたら、治療はつづけよう
 ④いくつになっても、いつも恋心を持とう
 ⑤体の栄養状態に注意しよう
 ⑥できるだけ外出を心がけ、社会とよく交わろう
 ⑦三度の食事より好きな趣味を持とう
 ⑧寝たきりにならないよう注意しよう
 ⑨自分なりのストレス発散法を持とう
 ⑩心と体と経済の自立をしよう』

ということだが、これだと体は使うかもしれないが、アタマはあまり使わないなあ。ということは、やっぱりポイントはカラダか、ということになる。う~ん、毎日本を読むだけでなく、運動もね。写真撮るために徘徊老人になるというのはどうだろうか。例えば田中長徳氏みたいにね。

 でも、そんなことをしても人間最後はボケるのである。ボケて死ぬのである。問題はボケたまま生きている時間が長いか短いかってことだけ。

 しかし、ボケたからといって、当のボケた人は不幸せなのかといえば、実はボケた本人は自分がボケていることなんかは分らないから、意外と本人は不幸せになってはいないのだ。むしろ周囲の家族なんかがそのボケ老人の世話で不幸せになる。しかし、ボケた本人はそんなことすら分らないので、全然不幸せではない。

 したがって、私はボケることは全然怖がってはいないのである。

 ざまー見ろ、ってなもんだ。

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