フォト
無料ブログはココログ

Amazonウィジェット

  • Amazonおまかせリンク
  • おすすめウィジェット
  • Kindle

« 『雇用の常識「本当に見えるウソ」』ったって、逆に「ウソに見える本当」ってのもある | トップページ | 時として暴論は正論になりうる『日本経済の奇妙な常識』 »

2012年8月30日 (木)

『Take This Waltz』はなかなかよくできた「女の身勝手さ」と「男のやたら高いプライド」の映画なのだ

 性的に欲求不満の人妻が、たまた出会った夫より若いボーイフレンドを好きになっちゃうんだけど、意外と堅物のこの男が抱いてくれない。で、男が引っ越してしまうのを期に男の方に走ってしまうのだが、でも結局その男とも倦怠期を迎えて「私どうすればいいのか分からない」って、勝手にしろよな、という映画なのである。

 なあんて言ってしまうと見も蓋もなくなってしまうので、もうちょっと考えてみようか。で、ネタバレごめん。

『テイク・ディス・ワルツ(Take This Waltz)』(監督・脚本・製作:サラ・ポーリー/製作:スーザン・キャヴァン/日本公開:2012年8月11日)

Main_img_3
http://takethiswaltz.jp/

 ポイントは、この人妻ライター・マーゴ(ミシェル・ウィリアムズ)が夫より若いボーイフレンド・ダニエル(ルーク・カービー)と取材旅行で出会った直後の飛行機内での会話「I'm afraid of being afraid.(私は怖いと思っている状態が怖い)」だろう。つまり、これは女心の不安定さを物語っているわけで、鶏料理のレシピ本を書いている夫・ルー(セス・ローゲン)に愛されていることは知っているのだが、子作りを先延ばしにする夫には不満、特にセックス面での不満を持ちながら生きているわけで、愛されていることに対する確信が持てないわけだ。

 女というのはこういう部分で厄介な生き物であって、「愛する」ってことを体で示さないといけない、とは言いながらそれが過ぎるとそれはそれで嫌がったりするのは、別に若いときだけではないから面倒くさいのだ。「何かを怖がっているんじゃない、何か怖いことがあるんじゃないか、と考えていることが怖い」って言う具合に、それはそれで自分に都合のいい時だけはいいのだが、そうじゃないと「もう嫌や」ってなってしまう。男にとってはそんな女の「もう嫌や」の加減が分からない。で結局、ボーイフレンドがある早朝、女との関係を30年後まであきらめて引っ越してしまうのだが、それを追おうとする女の姿を夫が二階の寝室から目撃し、夫は悩み、妻に告げる。「行けよ」と。で、妻はいよいよボーイフレンドのところに着の身着のままで駆けつけて、それから始まるセックス三昧の毎日。

 しかし、そんなセックス三昧の毎日なんてものは長続きはしない。月日が経って、また、あの「I'm afraid of being afraid」な日々を送っているところに元夫のところからの電話。アルコール依存症の姉・ジェラルディン(サラ・シルヴァーマン)がいなくなってしまったとの連絡に駆けつけてみると、結果、アル中の姉から「人生なんて、どこか物足りないものなのよ」と諭される。

 要は、女なんてそうやって自分の人生を惑いながら生きている、ってことを言いたいんだろうけれども、それが男との関係になってしまうと、「別れる、別れない」という問題になってしまい、その中間の状態でモラトリアムをしたい女の存在は許されないってことなのだ。マーゴは実は夫を愛していることは分かっているのにも関わらず、ボーイフレンドも愛してしまう。そんな、どっちつかずの状態を夫に認めて欲しかったんだろうけれども、なかなか「夫のプライド」ってものがそれを許さず、「どっちかを選べ」ということになってしまって、とりあえず「今愛している方」へ行ってしまったということなんだな。

 まあ、夫もまだ若い。で、どうしてもプライドが先に出てしまうんだろうけれども、これが老練の夫になってしまうと、多分、若い妻がボーイフレンドの方に気を引かれてしまっても、それを許して見て見ぬフリをしながら、妻が自分のところに帰ってくることを確信しながら待っているのである。夫・ルーが言った台詞「行けよ」でもって、妻は帰ってくる場所を無くしてしまったのである。

 で、その結果「私どうすればいいのか分からない」って言いながら、街をさまようマーゴということになってしまうという構図である。見てるほうからすれば、何を今更「私どうすればいいのか分からない」だよ。そんなことは初めから分かっていたでしょう。夫の許を離れたときの、あのボーイフレンドの許に、喜び勇んで走っている姿はなんだったのよ。今度は今度でボーイフレンドと分かれて夫の許に帰りたいと考えたって、己のやってきたことを考えれば、そんなことは無理だってことはよく分かるじゃない。

 映画のラスト近く、ジェラルディン事件で再びあいまみえることになってしまったマーゴとルー。多分、そこでマーゴはルーからの「そろそろ帰ってきたら?」という言葉を待っていたに違いない。しかし、サラ・ポーリー脚本は「So (じゃあ)」というルーのセリフで終わりにしている。マーゴにとっては、それは近視眼的には残酷な台詞ではあるけれども、長期的には励ましの台詞でもあるのだ。「頑張って、自立しなさい」という。

「しあわせに鈍感なんじゃない。さみしさに敏感なだけ。」という、この映画の日本版宣伝コピーは、従って大間違いなのだ。そーんな話じゃないでしょう。そんな「大甘」なコピーは多分男が作ったんだろう。ダメだなこの映画配給会社。

 むしろ「I'm afraid of being afraid.(私は怖いと思っている状態が怖い)」という、ヒロインの状態を表す表現こそが、宣伝コピーとしては相応しい。その台詞を上手く使って宣伝コピーを考えた方がよっぽど作品にとってはいいのだ。

 多分、この宣伝コピー屋は、字幕が付く前の映画を見ていないで宣伝コピーを作ったんだろう。お前ら、ちゃんと字幕ができる前の映画を見ろよな、ってことだけは言いたい。字幕ができてしまうとそこに引っ張られる。ので、字幕ができる前の映画を見ることが、あるいは完成台本を読むことが大事なのだ。字幕は、あくまでも鑑賞を助けるためのものでしかない。基本は、本当に映画でどんな台詞が語られているかなのだ。

 そのことを、もって肝に銘ぜよ、映画宣伝屋さん。

Wallpaper5thum

 で、この美しいけど、怖そうなお姉さんが脚本・監督・製作のサラ・ポーリー。自ら女優でもあるし、監督もやっちゃうってすごい俊英である。ただし、インディーズではこういう人は多いけどね。シャロン・ストーン的なクール&ビューティーではあるな。

« 『雇用の常識「本当に見えるウソ」』ったって、逆に「ウソに見える本当」ってのもある | トップページ | 時として暴論は正論になりうる『日本経済の奇妙な常識』 »

映画」カテゴリの記事

コメント

私もこの映画のポイントはそこと思いました。的確で、素晴らしいです。

私は「しあわせに鈍感なんじゃない。さみしさに敏感なだけ。」、絶妙なコピーだと思いました!

私は30代既婚。アメリカ在住なので字幕無しで見て、脚本も読みました。

優しい旦那さんがいて幸せなのに何故?という疑問に答えるのがこのコピーなのだと思います。

ラスト、義理の姉が私とあなたは同じだ、という意味のセリフを言いますが、結婚するときにもう止めると決めたはずの「恋愛」にまた手を出してしまったという意味でアルコール依存と同じなのでしょう。この点こそがこの映画のポイントだと思います。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/549500/55535415

この記事へのトラックバック一覧です: 『Take This Waltz』はなかなかよくできた「女の身勝手さ」と「男のやたら高いプライド」の映画なのだ:

« 『雇用の常識「本当に見えるウソ」』ったって、逆に「ウソに見える本当」ってのもある | トップページ | 時として暴論は正論になりうる『日本経済の奇妙な常識』 »

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

PEN PEN チョートクカメラ日記

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

まだ東京で消耗してるの?