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« 周防・長門紀行①徳山コンビナート | トップページ | 周防・長門紀行③山口市は、フランシスコ・ザビエルの町である »

2012年8月 5日 (日)

周防・長門紀行②萩

昨日は徳山から同じ周南市の鹿野というところに行ってきた。元々は鹿野町という徳山とは別の自治体だったのだが、平成の大合併によって周南市鹿野になってしまった。実は今回の旅の一番の目的はこの鹿野にあったのだが、何にもない鹿野に行ってもしょうがないので、近くに行ったのだから、津和野に行こうか萩に行こうか、というところで悩んだのだが、結局、萩を選んでしまった。

 何故、萩に行くことを躊躇したのかといえば、別に大したことではないのだが、私の先祖に由来した理由があるのだ。私の母方の先祖が実は会津の出身で、会津藩の家老の家の人間で。会津の藩学校である日新館の館長をしていたことがあるというのだ。で、会津と長門の首府である萩といえば、1869年の戊辰戦争である。何しろ「この間の戦争」というと、いまだに戊辰戦争のことを言いだす会津人である。もう戦後120年も経ったのだから、過去の遺恨は捨てて仲良くしましょうという萩市の提案を、いやあの戦争の戦死者の埋葬を認めず、野鳥の啄ばむままにさせたことに対する陳謝がない、ということで、萩市の友好都市の提案を断った会津若松市である。そんな家に生まれた私が、さすがに萩に行くことには若干の躊躇があったのだが、しかし、すぐそばまで行って、行かないのもなんだよな、ということで、萩に行ってきたのであった。

 って、何でたかだか萩市に行くのにこんなに理由を説明しなければならないの?

 とまあ、そんなことはどうでも松陰神社である。

Dscf4630_2

 勿論、そのポイントは松下村塾であります。

Dscf4634_2

 6畳間と8畳間のふた部屋があって……

Dscf4649_2

 松下村塾の8畳間が講義室。という小ささなのであるが……。

Dscf4650_2

 ところが、こんな小さな松下村塾のすぐ裏には、吉田松陰の実家がある。のだが、その実家たるや、ものすごく大きな屋敷である。その屋敷の小さな3畳半の部屋に「下田密航未遂」の罪で、吉田松陰が蟄居させられていたというこのなのであるが、そんなことよりは、こんなに大きな屋敷があるのに、何で松下村塾はこんなに小さいのか、ということなのだ。

 そう、こんなに大きな実家があるのに、なぜそちらで松下村塾を開かなかったのか? という謎。なんだ吉田松陰って意外とケツの穴の小さい奴だったのかも、なんてね。

Dscf4670_2
 ということで、いまや人口5万人強でしかない、長門の府である。あんなに明治の初期に権勢を誇った長州閥の本拠地とも思えない、凋落ぶりというか、観光都市としての発展にも負けてしまった「昔の町」を見る思いである。

 結局は「交通の便の問題」という風に片づけられるのかも知れないが、それだけではない何らかの理由がある筈だ。

 それは、もしかすると「長門の国の府」という地位に安住してしまった町の人の考え方の問題なんかもあるのかもしれない……。

Fujifilm X10 @Hagi (c)tsunoken

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